ホントに久々にのめり込んだ映画でした。
勢いに任せて、もうひとつ感想文書いたら、ほとんどあらすじになってしまい、さすがにソレはアップ出来ないので、さらに書き直し。
あらすじ書いちゃった方は上映が終わってからでもアップします。
「インディ・ジョーンズ」を観たときに予告編を見て、淡々と作業する納棺師の物語と立ち会う"死"の物語と思ったが、それどころじゃなかった。
これは人の生き方の尊厳と仕事の尊厳、そして"死"の尊厳を静かに語っている。
様々な"死"の形に出会うことで、少しずつ納棺師という仕事を理解し、誇りを持っていく主人公「小林」を本木雅弘は静かに演じている。
最初は戸惑い落ち込む小林が、社長の生死感と出会う様々な"死"に真摯に向き合うことによって、少しずつ仕事を理解し、誇りを持っていく姿を、派手な演技ではなく、むしろ地味、しかし丁寧な演技で表している。
とても存在感のある役者だと思う。
最後に失踪していた父とその死によって再会し、愛情を溢れさす姿は、それまでの落ち着いた演技とはうって変わった熱い演技を見せてくれた。
決して雄弁ではない小林の心をその演技で表していたと思う。
小林が土手で弾くチェロも効果的だった。
あれは小林が自分の心のバランスを保つ為だったのか、出会った"死"を悼むためか…
妻の納棺をしたのをきっかけに納棺師になったという山崎努演じる佐々木社長。
独特の生死感を持ち、「生きる為に生命を食べる」と、実にいろいろモノをいつも美味しそうに食べる。
食べることの生命の循環を語っていた。
居るだけで様になる役者さんです。
どこかフワフワした印象があるのに、ちゃんとそこにいる社長さんでした。
尽くしてるのに大事なコトをいつも相談しない夫についにキレて「汚らわしい!」と言ってしまう妻、美香を演じた広末涼子。
もう可愛いだけの女優さんじゃないんだなぁ。
夫の仕事を初めて見て、言葉もなく夫の仕事がいかに人に優しい大切なモノかを知ったときの表情は秀逸でした。
風呂屋の常連の老人と小林は鮭が遡上する川で初めて出会います。
仕事に落ち込み
「なぜ死ぬ為に鮭は遡上するのか?」と問う小林に老人は
「故郷へ還りたいからだろう」と答えますが、この老人もまた職業柄、独特の生死感を持ってます。
淡い想いを抱いていた風呂屋のおばちゃんをおくるシーンが印象的。
おくる人、おくられる人も実に様々。
ニューハーフの故人とそれを優しく受け入れてる遺族。
ヤンキー娘の故人とその姿を受け入れられない遺族。
愛した者達のたくさんのキスでおくられるおじいちゃん。
生前履いてみたかったルーズソックスを孫娘に履かせてもらうおばあちゃん。
故人をおくる形も決してひとつじゃない。
風呂屋のおばちゃんの納棺は幼なじみの母親ということと、妻と幼なじみが見ているということで、観ている方もよけいに緊張した。
時折挟まれる小林の顔も覚えていない父親の思い出。
父との思い出の石文が所々に現れ、最後に最大の効力を発揮します。
これをしたいがための演出だったのか〜と思いがら泣かされました。
エンドタイトルで本木が演じる納棺の儀はとても美しい。
あんな儀式を見せられたら、遺族は安らかにおくることができそうな気がする。
映画では納棺師の粛々とした儀式を家族総出で見守っていたが、ワタシ自身はそういう経験はない。
経験したのは死に水と湯かんの儀だけだ。
納棺は地域によっていろいろあるらしい。
ワタシの経験でも昔は男衆がやっていたが、近年は縁者が葬儀の準備をしている間に葬儀屋さんが行っていた。
葬儀の準備に垣間見る作業で故人はきれいに顔を洗われ、好きな着物を着せてもらい、臨床の時よりもきれいな顔に仕上げられてました。
正直、感動がありました。
映画であったような儀式があれば、故人と別れる遺族の心の整理になるのではと思いました。