泣かされたのは、満身創痍の熊徹が決着をつけにいった九太の力になりたいと宗師に迫り、つくも神となって九太に融合した所。
やっぱり親視点で見ちゃうから、熊徹の親心に持ってかれた。
血の繋がりもないが、親子らしい親子ではない。むしろ師匠と弟子。だけど決して師匠として優れていたワケでもない。
九太を弟子にしたのも自分の都合だけだし、日々の暮らしでも親らしいことをしていたワケでもない。
強いて言えば生き方を見せるって感じ?
それもイイ感じのモノでもない。
師匠と弟子という立場というより、強さを目指して共に生きる同士といったトコロか?
熊徹は馬鹿で粗野で不器用だから九太に接するにも決して優しくない。厳しいどころか放ったらかしに近い。でも傍で必死に食いついて生きて修行する九太と共に暮らして、何物にも代え難い強い絆と情が育まれたのだろうと思う。
いつも九太が傍らにいるのが当たり前になった。
だから九太が離れていくのが気に入らず、決闘で万事休すとなった時に九太が駆けつけたのが堪らなく嬉しくて、熊徹が九太への気持ちに気づいたのはこの辺りではないだろうか?
九太の決戦に身を投げ出して加勢しようなんて、友情とかというより過ぎた親心。ほとんど過保護とも言える。
それくらい走り出したら止まらない熱い親心。熱血単純とも言える。
でも泣かされた。
九太は元々生きる力の強い子なのだろう。
そして何より学習能力が高い。つーか自分から学習出来る子。自主トレや自習が出来る勉強熱心な子。
ウチの娘が自主勉がまるで出来ない子だったから「凄ェ!」と単純に思った。
熊徹の修行も密かなまねっこという自習から始まったし、渋谷に行き来できるようになってからの貪欲な学習意欲。
特に後半の人間界での学習意欲は好奇心だけとは思えない。
「広い世界を知りたい」もあっただろうが、8年分の知識の空白を埋めようとしてるようにも見えた。
楓という良い先生との出会いもあったのも幸運だった。
九太と一郎彦との最大の違い。それは渋天街において自分が異物であると知っていたか知らなかったかに尽きると思う。
既に9歳という年齢で渋天街に入った九太は自分が異物だと知っていた。
渋天街のほとんどの住人から疎まれてるのを知りながら、その好奇の目を打破するのが強さであると修行に励み、次郎丸と友情を結ぶほどとなった。
赤ん坊の頃に猪王山に拾われた一郎彦は、猪王山の親心ではあったが知らされずに誤魔化されて育った。
その為に成長しても父親に似ない自身に悩み、アイデンティティを疑い惑い心に闇を育てることとなった。
子どもの頃は父親の良き息子であろうと明るい優等生だった一郎彦が、成長してからは暗い目をして顔を隠すダークな少年と成長した。
あとは九太は自身の闇を人間界に置いてきてたから、渋天街で健やかに過ごせたとも言えるかもしれない。一郎彦は赤ん坊から渋天街で育ったから自身の疑惑と共に闇を育てていった。
九太が闇と融合してしまってからも、楓や熊徹達というそのままの自分を信じてくれる愛してくれる人達がいたからこそ、自身の闇を認めて制御することが出来た。
だからと言って九太がスーパーいい子であるというワケではない。
冒頭、母を亡くしたばかりの時は理解のない周囲の大人達に拗ねて憎んでさえいた。
家出して渋谷をさまよい、知らず知らずに自身の闇を落とした直後に、弟子を探す熊徹と出会った。
渋天街の熊徹の家に来てからもクソ生意気な小僧でしかなかった。
ただ、そのクソ生意気さが九太の生きる力と言えたかもしれない。
そーゆー意味では九太は最初から強かった。
人間が闇を持っていてバケモノが闇を持たないってのは、ちょっと嘘臭いが彼らが、人間より神様に近い所の住人てことで説明つけてるのだろうか?
なら熊徹はかなり特殊なのか?だって渋天街ではかなりの嫌われ者。闇を持たない暴れん坊の駄々っ子て、ほとんど子ども
いや他人を嫌うという感情はある意味、闇じゃなかろうか?
まあ、熊徹には百秋坊や多々良という悪態つきながらもいつも傍にいてくれる悪友がいたから、皆に嫌われていたというワケでもない。
彼らは最初、熊徹が九太を弟子にすると決めたときいい顔しなかったが、最終的に家族的な愛情を示してくれた。だから決戦に赴く九太は礼を言って残していく熊徹を託せた。
クソ生意気なガキだった九太は周囲が支えてくれて愛してくれたことをわかってたから、そう出来たのだろう。
一郎彦もそれはわかってたと思う。だけど自身への疑心暗鬼と、真実を知ったときの周囲の反応への怯えが闇を育てたのではないだろうか。
猪王山が子育て失敗したと言ってしまっては身も蓋もないが、彼は父親として一郎彦を守ろうとしたのに対し、熊徹は師匠として(?)九太を鍛えようとした点の違いもあると思う。
愛情の向け方が違うのだ。
猪王山はそっと守ろうとしてるのに対し、熊徹は体当たり。
育てる側の資質と育てられる側の資質の違い。
熊徹と九太はマッチしていたのだろう。
楓もまた強い女の子だ。
垣間見える彼女を取り巻く人間的環境は良いモノとは言えない。
彼女もまた愛情に飢える孤独な女の子だ。
だけど彼女はそんな自らの闇を認める心の強さがある。
だから取り乱す九太を鎮められたし、クライマックスで九太から離れずについて行けたのだ。
九太が楓から教わったのは知識だけではなく、闇を制御する強さ。
人間の闇とは心を鍛えるモノかもしれない。
だけど、楓も九太も強いけど特殊さはあまり感じない。
楓が言ってたように、(大小の差はあるかもしれないが)誰でも持ってるモノで誰でも越えていくモノだから。
多分、たいていの若者はもがいてソレを越えていく。
最終的に九太は人間界に還ったのだが、還ったと解釈すべきか新しい世界へ出発したと解釈すべきか、迷ってる
楓の過去と一郎彦のこれまでと九太の両親の話で3本のスピンオフが出来そうな気がするな。