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カナリア 4

鏡に映るのは、ふにゃふにゃと波打つ白くて長い髪に、目尻が下がり気味の丸くて赤い目。
さがってる眉は困ってるわけじゃないのに、困ってるみたい。
それが私、ヴィオレの見た目。

「ヴィーの髪の毛はふわふわしてて、柔らかいし気持ち好いね」

哀が笑いながら口にする。
でも、私は哀と同じ真っ直ぐな髪が良かったの。

「ヴィーの目ってまん丸で、垂れ気味でかーわいいーよね」

ロードが機嫌良くほっぺたをつんつんしながら言う。
でも、私はロードと同じ猫さんみたいなお目々が良かったの。

「ヴィーは肌白いんだな。哀も白いけど、それとは違う白さってやつか」

ティキが驚いた顔をして首を傾げる。
でも、私はティキみたいなお日様に当たって良い肌が良かったの。
お日様にいっぱい当たって、お花を摘んでいたいの。
教えて貰ったお花の輪っかをつくって、お昼寝をしてみたいの。
出来ないから、それをしてみたいと思う。
哀に話したら、悲しそうにごめんねって言われた。
身体が弱いからベッドから起き上がれなくて、眠る事も多い哀。
哀の側に居るから出来ないんだって思ったみたいで、そうじゃないよって首を振った。

「おにいちゃんと、違うけど、おにいちゃんと、同じだから、嬉しい」

お日様は肌が痛くて赤くなって、あんまり当たると火傷しちゃうから。
明るいところを見過ぎると目が熱くなって、涙が止まらなくなっちゃうから。
違うけど、同じだねって言ったら哀は笑ってくれた。
私の服は最近、ロードが哀とお揃いのものを着せてくれる。
ロードが好きなのはゴシックロリータなんだけど、私達にはロリータ系が似合うって。
ロリータ系が何かはよく分からないけど、白くてふわふわして、可愛いの。

「ヴィー、髪の毛結ってあげる。おいで?」
「ん!」

おにいちゃんは調子が良いと、そう言って私の髪を結ってくれる。
三つ編みだったり、頭の上に一つだったり。
でも顔の横は垂らすように、いつも残してる。
どうしてここは縛らないの?って聞いたら、

「邪魔だった? ごめんね、一緒にくくってあげる」
「ううん、違うの。おにいちゃんが遊んでくれるの、好き。どうしてかなって、思っただけ」

哀が好きならずっとそのままで良い、哀が好きなようにして欲しい。
でも何かあるのかなって、気になるの。
他のところみたいに縛りづらい?
それなら短くした方が良いのかなって。
けど哀は、目をぱちぱちさせてから笑う。

「あのね、ここを残してると本当にヒツジさんみたいだなって。ヴィーに似合ってて可愛いから」

頭を撫でながらかわいいって言ってくれて、嬉しくなった。
哀が笑うとうれしくて、胸がぽかぽかするの。
大好きなおにいちゃんと一緒に居られて、時々夢じゃないかなって怖くなる。
でも、哀は必ず側にいて、静かに寝てる所を見ると安心できた。
起きていると優しい声で、えほんをいっぱい読んでくれた。
眠っていても私の子守歌は聞こえてたって、嬉しかったよって言ってくれる。

「すっかり懐いてるよねぇ、ヴィオレってば」
「なつく??」

哀が起きて居る時間が少しずつ長くなって、ティキに抱っこされながらお庭を散歩してる時だった。
ロードは部屋に置いたテーブル一杯にお菓子を持ってきてくれて、哀が戻ってくるまで食べないで待ってるの。
なつくってなんだろう、一緒に居て良いって事かな。

「哀が好きだねーってこと」
「ん、おにいちゃん、好き」
「ヴィオレのお陰で安定してるみたいだし、良い事なんだけど……」
「?」

むすっとした顔でテーブルに肘を突いて、両足をぷらぷら。
どうしたのかなって気になるけど、ロードが何かを言うまで私は膝に手を置いて大人しくする。
足をぷらぷらするのはちょっと楽しそうだけど、何かに当たると困るから見てるだけ。

「ヴィオレって何なんだろうねー?」
「なん、なぁに?」
「んー、アクマ達に近い気配だけど違うしぃ……でも嫌な感じはしない、人間でもないしぃ……」
「にんげ??」

人間って、人って、動物じゃない人の事だよね。
私のことをヒツジって言うけど、私は本当にヒツジさんだったのかな。
悪魔、は司祭様が聖書に書かれてる怖いもので、人間を堕落させるんだってよく言ってたあれかな。
ロードが言う事は難しくて、よく分からない。
私、私は人間じゃないのかな。
不安になってロードを見上げてたら、ニヤニヤといつものように笑い始めた。

「良かったねぇ、人間じゃなくて。僕、人間は嫌いだからさー」
「……えと、えっと、ロードは人きらいなの?」
「うん、大っ嫌い。殺したいくらい嫌いだよー」

にっこり、笑顔で口にする。
ころすって、痛いことだよね。
それも嫌だけど、でも、嫌いだって言われる方がずっと怖くて。
泣きそうになった所でティキと哀が戻ってきて、ティキがロードの頭を小突く。

「何泣かせてんだよ、哀が怒るぞ」
「ぶー、哀は優しいから怒りませんー! あと泣いてませんー!」
「ヴィー、どうしたの? 何があったの?」

ベッドに降ろされながら手を伸ばしてくれる哀に近寄って、頭を横に振る。
ロードは何もしていなくて、私が勝手に泣きそうになったんだって言いたくて。
頭を撫でてくれる哀の手に、気持ちが落ち着いてくる。

「あの、ロードのきらい、教えてもらって……」
「自分がそうかもって、思っちゃった?」
「ん、ん……」
「あれ、そうなの?」

一生懸命頷く私に、驚いた顔で私を見てくるロードと、そんなロードをジト目で見るティキ。
哀はぎゅうって、背中に手を回して抱き締めてくれた。
少し高い体温に安心したけど、すぐに具合が悪くなったんじゃないかなって心配になる。
涙目になったまま見上げたら、哀が笑って首を傾げてた。

「僕もロードも、ティキも、ヴィーが好きだよ。ね?」
「え? あ、まあ、嫌いではねぇな」
「うん、ヴィーは好きだよー」

驚いた顔でティキが、ニヤニヤ笑ってロードが、優しい笑顔で哀が口にする。
嬉しくて、胸がぽかぽかで、嬉しいから、笑って頷いた。

「わたしも、好き、大好き」

ありがとうって、哀にほっぺたをすりすりして、一緒にベッドにころんて寝っ転がる。
今日は哀はたくさん起きてたから、そろそろ寝るのかも知れない。
お菓子が食べられないのは残念だけど、いっぱいぎゅうってしてもらえたから嬉しい。
さっきまでの怖い気持ちがなくなって、胸がぽかぽか。
そのまま寝るのかなって思ってたら、哀が私の肩をとんとんって叩いた。

「そういえば、ヴィーの年齢が分かったよ」
「ねんれ? 何才?」
「6才みたい。僕は7才だから、一つ下なんだね」

小さいから分からなかったよって笑う。
私は小さいんだ、っていうのと、哀のひとつしたっていう驚きに目をぱちぱち。
でも妹は年下のことを言うし、小さいのは可愛いから良いんだよって頭を撫でて貰った。
これからいっぱい食べて、眠ったら、大きくなれるらしいから、楽しみ。



真っ暗な部屋の中。
部屋の真ん中に置かれた長台に、べったりと、痺れて動けない体をくっつける。
両手は右と左に、針で刺されて、足も両方同じ。
痺れて、痛くて、苦しくて。
最初は声を上げてたけど、変なおクスリを飲まされてからは頭がぐるぐる、ぐちゃぐちゃで。

「カナリア、何故ノアと共に居たのです?」

暗い、暗い、部屋に怖い声が響いてくる。
のあって何、かなりあって何、知らない、分からない、怖い。
おにいちゃん、怖いの、おにいちゃん。
ぎゅってして、あたまをなでて、ヴィーってよんで、いっしょにいて。
おにいちゃん、おにいちゃん、ごめんなさい。
私が、そばをはなれたから、おくれたから、いなくなっちゃった。
ぐるぐる、ぐちゃぐちゃ、いたくて、くるしくて、こわくて。

「答えなさい、カナリア。何故ノアと共に居たのですか」
「かな……ちが、ヴぃ……お、ひつじ……」

涙がぽろぽろ、後から後から出てくるけどどうする事も出来なくて。
嬉しかったの、初めてもらった私だけのもの。
だから違うもので呼んで欲しくなくて、口が動かないけど、それだけは言う。
何度も声は聞こえてきて、そのうち何も分からなくなって。
私を抱き締めてくれる熱も、頭を撫でてくれる手も、温かい声もない。
私には、何もなくて。
私には、何もないから。
良いなあアノ子。
優しい家族も、温かい手も、明るい部屋も、幸せな思い出もあるの。
私はアノ子じゃないから持ってなくて、アノ子は私と違うから持っている。
うらやましいけど、でも、アノ子が幸せそうに笑うと、私は嬉しいかも知れない。
だから、良い。
暗くて、怖くて、痛くて、苦しいけど、アノ子が笑ってくれるなら、私には何も無くて良い。
目の前が、暗くて、深い、霧に包まれていった。

カナリア 3

眠る人、哀が気持ち良く寝られるにはどうすれば良いか。
起きたときに何が出来るのか。
最近の私の興味はずっとこれで、けれど答えはなかなかでない。
私が知ってる事は少なくて、ここへ来て初めての方が多いくらい。
部屋の中をぐるぐる歩いて考えたいし答えを探したいけど、それも出来なくて。
そんな時だった、あの子が来たのは。

「ティッキ、シープって安直ー。センスないよねぇ」

にこにこ、よりはニヤニヤと笑いながら跳ね髪の女の子が言う。
シャワーで離れて居た少しの間で、寝床と天蓋のベッド以外何も無かった部屋にテーブルと椅子が増えてた。
テーブルの上にはかわいい飾りの置物とティーカップがあって、女の子は置物を口にする。

「うるせぇ、急だったから仕方ねぇだろ」
「だからってさぁ、女の子だよー? もっと可愛いのあったじゃーん」

ぽんぽんと会話を続ける二人に、戸惑いながら寝床へと足を向けた。
けど、それに気付いたらしい女の子がぴょんと跳ねて先回りをする。

「きみはこっちー」
「え、え?」

私より少しだけ高い位置にある腕を絡められ、部屋の隅からテーブルへと引っ張られた。
さっき女の子が座っていた隣、ティキっていう男の人の向かい側に座らされる。
ティキには少し低くて、女の子には丁度良さそうな高さに見えたのに、私には少し高い。
もしかして、私は小さいんだろうか。

「何か人形みたいだねぇ、かわいいじゃん」
「余計ぬいぐるみ感が増してんぞ……」

にやにや満足そうに笑う女の子と、小さく息を吐くティキ。
何か気に入らなかったのか気になって、どうしていいのか分からなくて身体に力が入る。

「あれ、この子良い匂いがする。さっぱりした甘い匂いー」
「ああ、千年公もそれが気に入ってるんだとさ」
「なんだっけ、これ……覚えのある匂いなんだけどなぁ」

うーん、と首を傾げる女の子に、けれど答えられる事は無い。
甘い匂いなんて初めて言われて、シャワーの匂いかなって思った。
ここへ来るまではすえた匂いとか、思わず顔をくしゃってするようなものが多かったから。
周りの子供達も同じだったし、場所もそうだった。
変な匂いじゃないと良いんだけど、と顔の横にあたる髪の毛を掴んで鼻に当ててもよく分からない。
そんな時だった。

「……スミレ」

小さくて、静かな、掠れ気味の声。
聞き逃してもおかしくないのに、はっきりと耳に入ってきた。
ティキでも、女の子の声でもない、別の人。
それがレースの向こうから聞こえてきて、少し遅れてから眠る人の声だって分かった。
驚いた顔ですぐに反応したのはティキで、ベッドの側に歩み寄って顔を寄せる。
私はその高すぎなくて、涼しげな声に胸がドキドキした。
びっくりするくらい綺麗な声で、もう一度聞きたいと思う。
けれどティキはすぐに戻ってきて、その顔は悲しそうなものだった。

「またすぐ寝ちまった」
「そっかぁ……でも良いね、シープよりずっと可愛いじゃん、スミレ」
「"ヴィオレ"?」
「哀はヴィオレが良いってー。今からきみはヴィオレ・シープだねぇ?」

愛称はヴィーかなぁ、なんてころころ笑いながら口にする女の子。
ヴィオレ・シープ、それが私の名前。
嬉しくて、泣きたくて、変な顔で笑っちゃった。
下手に笑う私の顔を見て、女の子はにっこり可愛らしい顔で笑う。

「あは、やっぱり可愛いー! そうだ、今度哀とお揃いの服着なよ、持ってきてあげる」
「おま……そいつは良いけど哀までオモチャにすんなよ?」
「えー、オモチャじゃないよ、可愛がってるのー。何も持ってこないティキより良いじゃん」
「ばっ、ちげぇよ! 花なんて持ってきても見ねぇだろ」
「……花?なんでお花??」

焦るティキの言葉に、思わず口が滑った。
慌てて口を両手で塞ぐけど、ティキも女の子も私が声を出しても何も言わない。
むしろ当然みたいな態度で、女の子は頷く。

「あ? 見舞いには花だろ?」
「えー、そんなのよりお菓子の方が良いじゃん。ヴィーだって、お菓子の方が好きだよねぇ?」

ねー、と声を上げながら女の子はテーブルの置物を手に取って私の口に当てた。
ぺちょりと白い泡のような柔らかい何かが口に入って、驚く。
目の前が明るくなるような、ふんわりと軽くなるような、頬がとけるような味がした。
驚きときらめきに、動きが固まる。
女の子はけらけら笑って、やっぱり甘い物好きだよねぇって言う。
甘い、これが、甘いっていうこと?
こんなものが世界にはあるんだって、不思議になった。

「ヴィー、それ食べて良いよぉ」
「ん、ん……」

許しが出て、両手で受け取ってからこの甘い"お菓子"っていうモノを食べる。
ゆっくり、ゆっくり、一口ずつ味わう。
無くなってからも暫く、ふわふわ、ほわほわと気持ちが揺れる。

「ていうかティッキ、花ってその辺の雑草じゃないよねぇ」
「は? それ以外どこで手に入るんだよ」
「お店で買えば良いじゃーん。愛しの哀の為でしょ? だめティッキー」

私がふわふわしてる間に、二人の話はさっきの事になってた。
不思議に思って首を傾げてると、女の子が顔を覗き込んでくる。

「ヴィー、どうしたのー?」
「……あの、どうしてお花?」
「……見舞いには、花だろ?」
「えー、だからお菓子の方が良いって。ていうかティキ、もっとマシな花にしなよ」

おみまいには、お花かお菓子が普通らしい。
けど私にはお花もお菓子も用意出来ない。
そもそも、おみまいって何だろう。
知らない事が多くて、だから知りたくて、女の子が少しずつ聞いてくれるからそれを口に出していく。
そうしたら、本っていうのを持ってきてくれることになった。
私は字っていうのも知らなくて、ティキとお揃いらしい。
ティキは私よりマシらしいけど、学がないんだって。
色々話して、教えて貰って。
私は、眠る人の為にお花を用意したいなって思って。

「寝てても、お花の匂い、分かるから」

起きたらすぐにお花を渡せるようにしたい。
そんなことを言ったら、お花は育てて増やせるって女の子が言う。
部屋の前に庭があるから、そこを使えば良いらしい。
教わって初めて、お外に繋がる窓の先は囲まれたお庭あるって分かった。
ちょっとの木と、茂みと、草と、小さな白い花。
好きに弄って良いって言われて、嬉しくなる。
何でもして良いって許されて、怒られない場所があると、そこに居て良いって言われてるみたいで。
嬉しいがどんどん増えて、怖くなる。
だからいっぱいいっぱい、べんきょうをしようと思った。



それから少しずつ変わった所が多くなった。
ひとつは、限界まで我慢してから倒れるんじゃなくて、朝と夜にあわせて行動すること。
お庭に作って貰った花壇いっぱいに、女の子がくれた種を埋めて育て始めた。
何のお花かは、咲いてからのおたのしみって、教えて貰えなかったけど。
ひとつは、えほんを貰って読み書きの練習を始めたこと。
読むのはむずかしくて、すぐ詰まっちゃう。
けれど書くのはゆっくり、ひとつずつで良いから私でも出来る。
ひとつは、私の生まれた年の出来事が書いてあるシンブンを持ってきて貰ったこと。
難しい字ばかりでまだ読めないけど、見てるだけでわくわくする。
そして一番変わったことが、

「ヴィオレ、おいで」
「哀! おはよう」

数週間に一度、ほんの少しの間だけ眠る人、哀が起きる様になったこと。
哀をずっと女の子だと思ってたんだけど、男の子だったみたい。
起きてる内に色んな事をお話しして、フタゴっていう同じ顔のキョウダイが居る事を教えて貰った。
今は一緒には暮らせないらしくて、哀は悲しそうに笑って言うの。

「ヴィオレには、兄弟は居た?」
「んん、いない。私と同じ、白い子も居なくて、リョーシンとも違ってて、だからひとり」

リョーシンは親っていう意味だよね、この前絵本で読んだの。
孤児院には同じように集められた子供は居たけど、同じ子供は居なかったから、兄弟でもない。
何より、あそこでは話す事なんてしないで、自分一人が生きるだけで精一杯だったから。
私も、他の子供達の事を見てる時間は無かった。
それを少しずつ、少ない言葉でひとつひとつ説明をしていく。
そのうち哀が寝ちゃって、私はまた一人の時間に戻る。
今度は子守歌だけじゃなくて、絵本を読み上げるように練習も重ねていた。
出来れば楽しくて、ふわふわとしたお話が良いから、それを読んだ。

「ちぃたた、ちぃたた とんとん とん」

最近よく読むのはネズミの服屋さんのお話。
色んなお客さんが来て、その人達にあったお洋服を作っていくの。
その時の作ってる音がなんだか可愛くて、音にするのが楽しくて。

「ちぃたた、ちぃたた とんとん とん」

いつの間にか笑顔で読んで、楽しくなっていた。
そう、私、たのしいが分かるようになったの。
胸がうきうき、飛び出したくなるような、はずむような気持ち。
誰かが笑ってるときは、こんな気持ちになってるんだね。
哀が起きてる時には哀が絵本を読んでくれて、そんな時は必ずベッドの横に上げてくれるの。
まだ起き上がれないから、って。
哀と一緒に横になって、時々頭を撫でられて、ふんわり柔らかい声と香りにすごく安心する。
それからちょっと泣きそうになって、本当に泣いちゃって。

「何か嫌だった? 悲しい?」

顔を覗き込んでくる哀の方が悲しそうに眉を潜めてる。
私は首を振って、すごく胸がぽかぽかするのに泣いちゃったって伝えた。
哀は驚いた顔をした後、ふにゃりと柔らかく笑って頭を撫でてくれる。

「それはきっとね、安心とか、嬉しいからでた涙だよ」
「? なみだ、悲しいと出るじゃないの?」
「そっちの方が、多いだけ。嬉しくても、幸せでも涙は出るんだよ。僕はそっちの涙は好きだな」

言いながら、目尻をちゅって哀が吸った。
涙を拭いてくれるんだって分かったから大人しくしていたら、哀が小さくくすくすと笑う。

「ヴィオレは甘い匂いがするけど、涙も甘いんだね。砂糖菓子みたい」

砂糖菓子、女の子ことロードが持ってきてくれるふわふわと可愛い食べ物。
それのなかに、スミレの花の砂糖菓子もあるって哀が教えてくれた。
私の涙はそれの味がするよって。

「哀は、お菓子好き?」
「うん、好きだな。ヴィオレは?」
「ロードの持ってきてくれる、全部好き! 哀がお菓子好きで良かった、嬉しい」
「うん? どうしてヴィオレが嬉しいの?」

柔らかい笑顔で首を傾げる哀。
けれど、私はそう聞かれて、ひゅっと息を呑んで青ざめた。
分不相応な望みを抱いた事に気付いて、それを知られてしまった事に絶望して。
元から色素の白い肌が、病人の哀よりも白く青くなっていく。
どう、すれば良いのか分からなくて、次第に目の前がぐるぐると揺れ始めた。
そんな私に、

「ヴィオレ、ヴィオレ? どうしたの?」

哀が顔を覗き込みながら、肩を抱いてくれて気持ちを聞いてくれる。
今までは望みを持つことは出来なくて、願う事も禁じられて、ただひたすら苦しいのに慣れて耐えるしか無かった。
こうやって心配してくれる温かい手も、眼差しも、何も無くて。

「あの、あの……私が、砂糖菓子……みたい、お菓子になれたら、哀が……好き、なって、くれるかな、って……」

そんな事起こるはずないのに、高望みの希望が胸に痛くて涙が出る。
愛されたい、必要とされたい、側に居て欲しい。
ずっとずっと欲しくて仕方なくて、だからこそ見ないようにしていたのに。
哀が柔らかいから、やさしいから、もしかしたらを望んでしまう。
こんな私と一緒に居て、必要として、愛してくれる人なんて居ないのに。

「ヴィオレ……僕は、ヴィオレが好きだよ。優しくて、可愛い、妹みたいに思ってる」

哀の優しい声が胸に響く。
けれど、でも、それが私の欲しいそれじゃないのは知ってる。
せんねんこーも、ティキも、ロードも、哀も、構ってくれるけど受け入れてはくれてない。
同じモノにはなれないから、同じモノの中には入れない。
それが悲しくて、どうしようもなくて。
それでも、側に居ると言ってくれる哀の言葉が嬉しい。

「哀が、捨てるまで、いらないする、まで……一緒、側に、おいて……?」
「僕が捨てるなんてあり得ないよ。いらないなんてしない。でも……、ヴィオレを誰かに取り上げられるかも知れない。僕ではそれを止めれないんだ……ごめんね」

私を抱き締めたまま、哀は俯いて寂しそうな声で話す。
多分、きっと、一度あった事。
大切な何かを取り上げられて、捨てられて、それで哀は今ここに居るんだって。
泣いても良いのに、哀は泣かないで唇を咬む。
私はその分ぽろぽろと涙が出てきて、止まらなくなった。
まるで哀が泣かない分まで泣こうとするみたいに。
小さく、困った顔で笑った哀は私の頭を撫でて口を開く。

「それでも良ければ、側に居て? 僕の妹になって、お兄ちゃんって呼んで欲しいな」

まるで、ごめんねって言うみたいに哀が口にしたから、私は言いたい事が全部どこかに飛んでいったまま口を開いた。

「あ、哀……おに、お兄ちゃ、お兄ちゃんっ!」
「なぁに、ヴィー」

涙をぼろぼろ零したままの私に、両頬に手を添えてくれた哀が笑う。
ほっぺたを赤くして嬉しいっていう気持ちをそのまま表してくれて、そんな哀の笑顔を見てたら私まで嬉しくなって。
直ぐに眠くなってしまった哀と一緒に、この日は初めてベッドで一緒に横になって眠ってしまった。

奪われる者




愛していた。
たった一人の可愛い可愛い僕の弟。
ずっと、一緒に居られると思っていた。
僕の命の鼓動が止まる、その瞬間まで



「ゲホッ、ゲホッ」
激しい咳と一緒に肺の酸素が奪われて、息ができない。
止まらない咳に意識が混濁してくる。
「おにいちゃん!」
どこからかパタパタと走ってくる足音と同時に布団のそばに誰かが蹲って泣いている。
「楓、どうしたの?何かあった?
お兄ちゃんにはなしてごらん?」
苦しい咳を堪えながら体を起こして楓を抱きしめる。
双子の弟とは姿形瓜二つなのに、どうしてこんなに違うのかな。
こんな家に産まれなければ、楓は皆から愛される存在だったのに。
可愛い楓。僕の可愛い弟。
「ひっく、おとうさまがっ、どうしてこんなこともできないんだって…
ぼく、いっしょうけんめいしてるのに」
「うん、楓はこんなに頑張って偉いね。
お父様の言う事は厳しいけど、楓が大きくなって困らない様に言ってくださってるんだよ?
だからお父様の代わりに僕が一杯楓を褒めてあげる」
ぎゅっと抱きしめた弟の頭を撫でる。
「可愛い可愛い僕の楓。
ごめんね、僕がこんな体じゃなかったら君にこんな想いはさせなかったのに」
「ちがう、あいのせいじゃ……」
「僕が家を継げないから、君がこんなに辛い思いをしてるんだ…ごめん、楓。
僕を憎んでいいから、悲しまないで」
「いやっ!おにいちゃんだけがぼくにやさしくしてくれる。
あいがいなきゃ、ぼくなんて……」
「ふふ。ごめんね。
もう言わないよ、楓の為に僕も頑張って病気治さないとね?」
すると楓は花が咲いたように笑った。
「あい、びょーきなおる!?」
「分からないけど、頑張るよ。
良くなったら、楓が見つけた大きな木がある丘に連れていってくれる?」
「うん!やくそくだよ!」
約束は、きっと守れない。
それは分かってたけど、僕が生きてる間は楓に悲しい思いをさせたくなかった。




それからというもの、楓は父や母に辛く当られたら僕の所に逃げてくるようになった。
可愛い楓に頼られるのは何より嬉しかった。
身体が弱くて長く生きられない僕が唯一、大切な可愛い弟にしてあげられること。
「可愛い楓。僕の大切な弟。
僕が君を傷付ける全てから守ってあげる」
「あい、だいすき。
ぼくもあいをまもってあげるね!」
とても可愛い僕の楓。
楓さえいれば他に何もいらないと、この時は思っていた。


「ゲホッ、ゲホッ!」
咳が止まらなくて、布団の上で蹲っているとおかしなことに気がついた。
血が黒い…
吐き出した血が、墨のように真っ黒で、ズキズキと頭が痛んだ。
それが何日か続いて、額におかしな十字の傷が浮かび上がってきた時から妙な夢を見るようになった。

僕には沢山の家族がいて、僕は車椅子に乗っていた。
僕は綺麗な女の子で、目の前に男の人がたっている。
逆光で顔は見えない。
けど、怖くはなくて、家族だから笑いかけて聞いたんだ。

『どうしたの?ーー?』

誰かの名前を呼んだと思う。
僕には聞き取れなくて、名前かもわからなかった。
でも目の前の男が笑ったから安心したその時ーーー


「はっ!!」
目が覚めた。
嫌な汗が全身を這うように流れ、呼吸が荒い。
「何今の……僕は…ぼく、は……?」
がくがくと震える体を抱きしめて庭に目をやると不思議な人がたっていた。
耳が長くて、大きな口に大きな体。
見るからに不審人物なのに全然怖くなかった。
「あなたは……?」
「キミを迎えに来ましタ♪」
そう言ってその人は僕の目の前にやってきた。
「聖痕の影響が出始めていますネ。
キミはもっと良い環境で療養しながら覚醒を待たないといけまセン」
言われてる内容は突拍子もないのに、何故かそうするのが正しんだと理解出来た。
「あの……弟も一緒に連れて行って貰えませんか?
離れ離れになるのは嫌なんです」
「弟ですか……まぁいいでショウ。
ただし、殺されないよう気をつけるんですヨ?」
「ありがとう、じゃあ楓を探して……
ううん、まずはこの家を……壊して。
楓に酷いことして縛り付ける家が無くなれば、楓は僕の所に来るしか無くなる」
「わかりました、デハ皆殺しましょう!」
その人はアクマと言われる兵器を呼び出してそれに家を襲わせた。
アクマの弾丸には人間を殺すウィルスが入っていて喰らえば即死らしい。
僕はそれが効かない人間で、先程の人、千年伯爵の家族らしい。
新しい家族に、僕は不安もなく、安心していた。
楓と一緒ならどこでもいい。
楓はこの時間はいつもの丘に居るはずだから大丈夫だと思っていた。
けれど、崩れた屋敷の揺れでバランスを崩して布団に叩き付けられると、悲鳴の様な声がした。
「あいっ!」
必死に僕を助けようと炎に飛び込もうとする楓が居た。
なんで、なんで!
そんな所にいるの!?
危ないから来ちゃダメ、今迎えに行くからって言いたいのに、咳で声にならない。
助けて欲しくて、助けたくて、必死に楓に手を伸ばすと、目の前で崩れた柱が楓を押し潰した。

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

狂った様に叫んだ僕を千年伯爵が抱き締める。
「いきましょウ、ここは身体に障りまス」
突然空間ができて、そこをくぐると見知らぬ場所に出た。
「ここ、どこ?楓は?」
「おちつきなさイ。ここは我輩たちの家デス。
楓くんは…恐らくお亡くなりになったかと 」
「そんな、楓っ!!」
僕は千年伯爵に抱きついたまま泣きじゃくった。
千年伯爵は僕にノアの一族やアクマの事、イノセンスやエクソシストのことを教えてくれた。
「哀くんには我輩達家族がいマス。
今は気持ちの整理が必要でしょう?
風通しのいい部屋を用意しまシタ」
千年伯爵は僕を支えながら立たせてくれた。
「ありがとう、千年伯爵」
僕は千年伯爵にギュッと抱きついた。
千年伯爵は優しく僕の頭を撫でた。
「さぁ、キミの部屋に案内します。」
可愛らしい部屋に通され、ベットに横たえられる。
風がとても気持ちいい。
「哀くんは哀しみのメモリーを受け継ぐノア。
覚醒までに辛い記憶を継承していくでしょう…デモ忘れては行けまセン。
キミには家族がついていますカラ」
「はい、ありがとう。千年伯爵」



暫くその部屋で過ごした。
毎日毎日哀しい記憶ばかりが溢れ、頭が痛い。
黒い血が額から流れ、聖痕というのが浮き出てくる頃には僕の精神は疲弊しきっていた。
そんな時、ティキと出会った。
ティキは千年公が連れて来てくれた。
話し相手にって事だけど、子供の僕から見れば青年のティキは凄く大人に見えて何を話せばいいかわからなかった。
それでもティキは色んな話をしてくれた。
仕事柄?あちこち行くらしく、色んな話を知っていて、珍しい本をくれたりした。
「哀は可愛いから笑った方がいいぜ」
そんな風に頭を撫でてくれる優しい手が好きで、気がつけばティキの事ばかり考える様になってた。
僕がノアとして覚醒した日も、ずっとそばに居てくれた。
嬉しくて嬉しくて、ティキにずっと一緒に居たいって言ったらティキも僕とずっと一緒に居たいって思ってくれていた事が嬉しくて幸せだった。

でも、神様って言うのは残酷で僕が幸せになるのを決して許しはしなかった。


千年公から楓が生きてた事を教えてもらった。
その時は嬉しくて涙が溢れるほど嬉しかったのに、楓がイノセンスの適合者だと言うのを聞かされた。
「そんな、なんで……
楓が敵になるなんて……」
哀しくて哀しくて哀しくて……
僕はティキにしがみついたままわんわんと泣きじゃくった。
ぎゅっと抱き締めてくれるティキの体温に安堵しながら、暗く寒い絶望の中に意識を落としていくことしか出来なかった。


ごめんね、楓。
こんなお兄ちゃんで、ごめんね。
キミを壊すことしか出来ない僕を憎んでいいから…
君は誰にも殺させない。
もし、その時が来たら……

キミだけは、僕の手で……




守る者



おそらをながめて、
きょうもことりはうたいます。


いなくなった、あにをよぶうたを。




「おにいちゃん!!おにいちゃん!!」

家が燃えてる。
ごうごうと、音を鳴らして。
家の中にはまだ兄が居る。
この家でただ一人、僕を楓として扱ってくれた、優しくて大好きな兄。
燃える屋敷の縁側にまわり、兄の部屋に向かうと、布団の周りは既に火が燃えたぎってる。
そこに横たわる小さな子供。
大好きな双子の兄、哀。
「哀ッ!」
駆け寄ろうとすると、炎が大きくなって…
そして、そこで僕の記憶が途切れた。

「起きなさい、神宮楓」

気が付くと、ベットの上に寝かされていて僕の体には沢山の管が刺さっていて、痛みは感じなくて意識もぼんやりする。
ただ、これから何が起こるかは理解していた。
「検査はまだ途中だと言うのに、寝られると困るんだよ」
そう言って注射器を取り出した。
「いや、いや、たすけて、おにいちゃん!
たすけてっ」
泣き喚いても、体はピクリとも動かなくて…
「泣いても誰も助けに来ない。
君の兄は死んだんだ、アクマに殺された。
憎いだろ?憎め、アクマを。
大好きな兄を殺したアクマを憎むんだ」
「あ、くま……あい、しんで……
いや、ちがう、うそ、うそだ!!
あいは、あいはしんでない!うそだぁぁぁ!!」
僕の叫び声と共に繋がっていた管がどんどん破裂していく。
大人たちが何やら慌てて何かを叫んでいた。
「鎮静剤を早く!」
誰かが叫んで、視界がぐにゃりと歪んで…


いつもそこで記憶が途切れる。



けんさの時間以外は好きにしていい時間。
と言っても食事の時間とほんの少しの自由時間と、寝る前のお散歩の時間だけ。
「楓くん?お隣いい?」
出された食事をぼんやり眺めていると、隣から声がした。
「リナリーもこれからごはん?」
「そうなの、だから一緒にどうかなって」
暗い目をしたリナリー。
何かあったんだと思う。
「うん。いいよ。
リナリーは、最近どう?」
「ん、変わらないよ、全然変わらない」
「そう、僕も変わらない」
「そういえばね、新しいエクソシストが来たんだよ。
私たちよりちょっと年上みたい。
楓くんは、もう会った?」
「新しいエクソシスト?」
首を傾げるとリナリーは少しだけ微笑んだ。
「そう、楓くんと同じ日本人って言ってたよ。
名前は……たしか」
「神宮楓。ここにいたのか」
リナリーの声を遮る嫌な声に体が震えた。
「あっ……」
「君に会わせたい人が居てね、一緒に来てもらおう」
長官は僕の手を掴んで、有無を言わせず席から引きずり下ろした。
「ひっ……いや、いやだ…」
「いいから来なさい」
そう言われて、無理矢理手を引いて食堂から連れ出された。
「やだぁ、こわい、ひっく、おにいちゃん、たすけて」
ぐすぐすと泣きながら長官に半ば引きずられるように連れられたのはへブラスカの間だった。
心臓にイノセンスが寄生してる事から、教団に初めてきた時にここに通された。
でも、心臓のイノセンスは欠片のような小さなもので、それだけで個のイノセンスとして認められないと言われた。
エクソシストではない、戦えない、なのにイノセンスが心臓を動かしてる。
その場所には、どこか見覚えがある大人と、僕より少し年上の子供が一緒に居た。
「ティエドール元帥、こちらが話をした例の子供です。
心臓のイノセンスは未だ安定せず、検査は次の段階へ移行することになりました。
彼を弟子として連れていき、イノセンスを覚醒させて頂きたい」
「でも、その子まだエクソシストじゃないんでショ?
そんな子供を連れ歩くのはねぇ…」
ティエドールと言われた大人の人が渋り出すと、隣の子供が持っていたイノセンスが突然光出した。
「師匠っ」
子供が声を上げると、イノセンスは真っ直ぐ僕の方に飛んできた。
「ひっ!」
べしゃりと尻もちを着いた途端、検査着の間からポロリと落ちた扇子。
哀に貰った、形見の扇子にイノセンスが吸い込まれるように消えていった。
「今のは?」
「あ、い……」
震える手で扇子を触ると、突然それが大きくなった。
僕の体の半分くらいの大きさになった。
「イノセンスが…発動した、だと!
ヘブラスカ!今すぐ神宮楓のイノセンスを調べるんだ」
ヘブラスカの手がイノセンスと僕の適合率を図る為に二対の扇と僕を包み込んだ。
あったかいひかり。
心地よくて、安心する。
「……このイノセンスと、神宮楓の適合率は52%
神宮楓のイノセンスはこの装備型のイノセンスの方の様だ……
欠片のイノセンスがこのイノセンスに強く反応している」
欠片のイノセンスは扇のイノセンスに反応して初めて適合し始めていた。
「つまり二つのイノセンスに適合しているということか?」
「いや……欠片はあくまでブースターのような役割、イノセンスから個の力はやはり感じない。
ただ、何らかの役割は持っているはず…
神宮楓、この子はいつか白き救済者となるだろう」
白き、救済者……
大切な、何より大切な、命より大切な兄を救えなかったのに?
僕はヘブラスカから解放されて床に降ろされた。
「はっ、かは……ひゅ…」
極度の緊張と混乱から息が出来なくて、頭がクラクラしてる。
「た、すけっ……かひゅ、おにい、ちゃ……」
近くにいた子供に縋り付くように手を伸ばす。
子供はどこか戸惑ったように自分の師匠を見上げた。
「神宮楓に新たなイノセンス…
これは、また検査をしなおさなければ!」
長官がこちらに近寄るのが怖くて、ボロボロ涙を零しながら首を振った。
「悪いが、この子はもう私の弟子になったのだから私が責任をもって面倒を見るよ。
ユーくん、兄弟子としてその子を連れてきなさい」
子供は、ムッとして師匠をみあげると、舌打ちして僕を支えるように起こした。
「たてるか?」
「ひぐっ、うっ、はぁ……はぁ…」
ギュッとしがみついて、震える手足をなんとか立ち上がらせる。
「あい……?」
「あい?違う、俺はあいじゃない」
その子の近くにいると、不思議と呼吸が落ち着いてきた。
あったかい、ずっとずっとこのままでいたい。
「おい、寝るな!」
「ふぁ!ごめんなさいっ」
無意識に怒られたと思った僕はその場しゃがみこみ、小さな手で耳を塞いだ。
「やめて、いいこにするから、いたいことしないで、ごめんなさい、ごめんなさい、たすけて、おにいちゃん、こわいよぉ」
あまりに僕が震えてると、優しくて大きな手が僕を抱き上げた。
背中を優しく撫でて、大丈夫だと言ってくれた。
「楓くん、だったかな?
君は、今日から私の弟子だ。いいね?」
「また、こわいことするの?」
「暫くは私とこの子と一緒にイノセンスの発動を安定させる訓練をするよ。
痛くは無いけど、疲れはするかな
彼は君の兄弟子の神田ユウ。
困ったことがあれば彼に聞くといい」
「おい、なんでそうなる!」
ユウと呼ばれた子供が講義の声を上げた。
「君は楓くんより年上なんだから、新入りの面倒くらい見ないとダメでしょ
とりあえず、この子は預かるよ」
僕の師匠、ティエドール元帥と兄弟子である神田ユウとの初めての出会いだった。



それからというもの、毎日の検査から定期的な検査に変わり、空いた時間は師匠がイノセンスを発動させる訓練をしてくれた。
何度やっても上手く出来なくて泣きじゃくる僕を、怒ったりしないで優しく頭撫でてくれた。
優しくて、僕はすぐ師匠が大好きになった。
兄弟子のユウは気難しい性格なのか、いつも機嫌悪そうで、近寄り難い印象があった。
それでも、僕が泣いてるといつの間にかそばに居てくれる。
声を掛けたり何かをするわけじゃなく、黙って泣き止むまで寄り添ってくれた。
それが心地よくて嬉しかった。
「ユウ、ユウはおにいちゃんみたいだね」
「は?いきなり何をいいだすんだ」
「僕ね。双子のおにいちゃんが居たの。
哀は、身体がすごく弱くて寝たきりだった。
長く生きられないから哀の代わりに家を継がなきゃ行けなくて、僕頑張ったけど誰も褒めてくれなかった…哀だけが僕を褒めて、可愛がってくれて、大好きだった」
ユウは六幻の手入れをしながら黙って聞いている。
「優しくて穏やかでいつもにこにこ笑ってて…だから哀の為ならなんでもしようって、誰も認めてくれなくても哀が喜んでくれたらなんでも出来るって思った。
だけど、哀はもう居ない……
家が火事になって、動けない哀は屋敷と一緒に燃えちゃった……」
ぽつぽつと言葉が溢れては消えていく。
あの時の記憶みたいに。
「僕も屋敷の下敷きになって、心臓に折れた柱が刺さって…死ぬ…はずだった…
でも、後で聞いたら師匠がたまたま通りかかった時にイノセンスと一緒に見つけた欠片が突然光出して僕に……」
「それが心臓の代用品になったイノセンスか?」
「うん…そうみたい。
いっぱい”けんさ”されたけど結局これがなにかはよく分からないって」
僕の胸には確かになにかに貫かれた様な傷跡が残っていた。
「ユウは…僕が寂しい時、ずっとこうして傍に居てくれる。
うれしい、ユウと一緒にいたい」
「俺はお前の兄のかわりじゃない」
「かわり……?代わりなんて居ない。
哀は哀だよ、誰も哀の代わりになんてなれない。
ユウもユウだよ、誰もユウの代わりにはなれないでしょ?」
するとユウはちょっとびっくりした様子で僕を見た。
「僕はユウのそばに居たい。
ユウが嫌なら…やめるけど」
「……お前の面倒みねぇと師匠がうるせーから……その位なら許してやる」
ギュッと抱き寄せられて、嬉しくて初めて笑みがこぼれた。
「嬉しい!ユウ、だいすき!」
ギュッと抱きつけば、ユウはもうイヤそうに拒否したりはしなかった。



「おはようユウー、髪やって、髪ー!」
朝練の前に寝起きのまま慣れ親しんだユウの部屋に向かう。
ユウはもう身支度を整えていて、ちょうど六幻の手入れをしていた。
「お前、いつまで俺に甘えてんだ。
いい加減髪くらい一人で出来るようになれ!できないなら切れ!」
「やだ!切ったらこうしてユウに髪いじって貰えなくなるじゃん」
ユウは僕にとても甘い。
だけどそれは僕も同じ。
哀がいなくなった世界で、僕はユウに寄生してる。
ダメだとわかってるのに、ユウがあの時の哀みたいにとても儚くて今にも消えてしまいそうだから。
「今度は、守るよ…」
あの時は力が無くて守れなかった。
今は守る為に戦う力がある。
ユウは哀より身体も丈夫で強いから、まだ僕の方が守られる方が多いけど、僕は強くなるよ。
「ユウ、大好きだよ」
髪を三つ編みにするユウに持たれかかって見上げる。
「知ってる。髪結うのに邪魔だからくっつくな」
「やだ、ユウにくっつきたい。
明日からまた任務でいないんでしょ?
今のうちにユウを充電してるのー」
「ほら、終わったぞ。
俺はもう行く、お前はさっさと着替えてこい」
「えっ、ちょっと待ってよ、置いてかないで!」
慌てて着替えて鍛錬場に向かう。
ユウとの打ち合いの後、僕のイノセンス華鳥との適合率を上げるために演舞の訓練を一通りこなしていく。
ちょっと離れた場所でユウが素振りや型の確認をしてる。
「哀、僕強くなるよ。
今度は失わせない」
ギュッと強く華鳥を握る。
大好きな哀がくれた扇子にイノセンスが宿るなんて運命だと思った。
「ユーウ!
お腹すいたぁ、ご飯いこ、ごはん!」
型の確認を終えたユウの背中に抱きついてぐりぐりと頬を寄せる。
「ちゃんと鍛錬したのか?
そんなだからいつまで経っても半人前なんだ」
「分かってるよ!あーあ、僕も早く任務に行きたい」
「お前は早く一人前になれ」
ユウにキッパリ言い放たれ、さすがにショックで凹みそう。
「師匠に手紙でユウに虐められてるってチクっとこ」
「やめろ、あの人に冗談は通じない」
ユウが振り返ってギュッと抱きしめてくれる。
あったかい。
「任務で少し離れるだけだ、ちゃんと帰ってくる」
「分かってる、分かってるけど……」
やはり、寂しいには寂しい。
不安になる。
ユウが僕が知らないところで死んでしまったら?
そう考えるだけで不安で仕方ない。
「エクソシストになっても、ずっと一緒に居られるわけじゃない。
師匠もそう言ってただろ?
それに今はもう検査もされないんだ、大丈夫だ」
「うん、なるべく早く帰ってきてね?
ユウが居ないと寂しくて不安になる」
甘える様に擦り寄れば頭を撫でられる。
「お前も鍛錬サボるなよ」
「はーい。強くなれば僕もユウと一緒に任務行けるんだよね?」
「ああ、いつかな」
ユウは僕より強いから、早くユウにおいつきたい。
一緒に任務に行って、哀を殺したアクマを壊してやりたい。
もう大切な人が居なくなるのは嫌だから。
何も出来ずに泣いてばかりなのは嫌だから。

大好きな人達を守る為に僕は強くなるよ。
みててね、哀。

Dぐれ時系列検証1

■約7000年前
・ハート(キューブの作り手?)がノア(第1使徒、千年伯爵)に打ち勝つ
・ノアの大洪水で世界が一度滅ぶ
・イノセンスが世界中に飛散する

■???年前
・「ノア」の第2〜13使徒が大洪水を逃れ、滅びた世界で第二人類の祖先(第二のアダム)に
→ この方舟が今の「アクマの生成工場」
→ 以降繁栄した第二人類は全て「ノア」の遺伝子を持った子孫

■約500年前
南イタリア・マテール
・イノセンスによってララが作られる

■約300年前
日本
・千年伯爵が日本を制圧し鎖国させる

■約100年前
・一つのキューブ(イノセンス)が発見される
・黒の教団設立
・アジア支部でバクの曽祖父が「守り神」を造る
→「守り神」から「フォー」という結晶体が派生する(7巻62夜)

■約99年前
アジア・第六研究所
・第二使徒計画開始

■約80年前
マテール
・ララとグゾルが出会う

■約34年前
・「14番目」が千年伯爵とロード以外のノアを殺害する

■???年前
・「14番目」がノアの方舟を江戸に接続する
・千年伯爵が「14番目」を殺す
・「14番目」の遺志を複数の人間が受け継ぐ
(うち一人はクロス)
(「14番目」が殺されたのはジャスデビが生まれてくる前。(9巻86夜)
(ジャスデビがノアとして覚醒する前、という意味の可能性もある)
14番目の遺志を受け継ぐ者のうちの一人がクロスだと中央庁に行った老人が知っているので、「14番目→誰か→クロス」ではなく「14番目→クロス」の可能性が高い。)

■約12年前
・ラビ、ブックマン後継者として本名を捨て、ブックマンと旅に出る

■約11年前
・ラビ、流れ弾に当たって死にかける

■約10年前
黒の教団
・リナリー、イノセンス適合者として黒の教団へ連行される

■約9年前
アジア・第六研究所
・第二使徒計画で造られた人造使徒達の中から「YU」が目覚める

■約8年前
アジア・第六研究所
・暴走したAlmaが研究所職員を46名殺害
・YUがAlmaを破壊する
・かろうじて延命されたAlmaは目覚める前にルベリエの手によって隠匿
・神田、ティエドールの弟子に。約1年間師匠と各地を転々とする

・アレン、マナと出会う。一緒に旅立つ事に

ルーマニア
・クロウリー城に異変。調査に行ったファインダーが何人も餌食に

・神田、黒の教団本部へ。リナリーと出会いマリと再会

■約7年前
黒の教団
・リナリー、心が病んでしまい監禁される

■約6年前
・アレン、ピエロとしてマナと各地を回る日々

黒の教団
・コムイが黒の教団の室長として本部へ。リナリーと再会
・リナリー、バクやリーバーと出会う
・黒の教団にデイシャ(ティエ部隊)入団
・ジェリーが料理長に就任
・神田、初めて蕎麦を食べる。その旨さに感激し、以後、三食ほとんど蕎麦に

■約5年前
・マナ死亡
・アレン、クリスマスの夜に伯爵と契約しマナをアクマにする
・イノセンスが初めて発動。マナを破壊。
・クロスと出会う。約1年間、彼のパトロン・マザーの元に預けられる

■約4年前
黒の教団
・リナリー、任務の合間に科学班の手伝いを始めるようになり気付くと室長助手に
・クロス、大元帥からアクマ生成工場破壊任務を通達される
・クロス、教団本部から消息を絶つ

・アレン、クロスと旅に出る。(食人花のロザンヌを受け取る)
・左手のリハビリ、コントロールの修行をはじめる
・リハビリの一環でイカサマ技を覚える

■約2年前
アメリカ ニューオーリンズ
・スキン・ボリックのノア化が始まる

黒の教団
・黒の教団、記録的大敗
・黒の教団にラビとブックマンが入団

■約1年前
パリ
・ティモシー(18巻登場の少年)がイノセンスに適合し、その後孤児院に引き取られる

■(ジャンと出会う)3ヶ月前
・アレン、クロスに金槌で殴られる。クロス逃亡
・アレン、エクソシストとして本部へ向かう

■物語開始
・アレン、モアと出会う。レベル1一体破壊

イギリス
・アレン、ジャンと出会う。
・千年伯爵と遭遇。レベル1多数破壊

■7月末くらい?
黒の教団
・アレン、教団に到着
・(到着翌日?)アレン、コムイに任務を通達されてマテールへ

マテール
・ララと出会う。アレンの左腕進化
・アレンと神田でレベル2破壊

・三日後、神田は別の任務へ。アレン教団に戻る

黒の教団
・黒の教団壊滅未遂事件(コムリンU暴走)

■10月9日
ドイツ
・ミランダ、100回目の失業。無意識に日付を止める

黒の教団
・アレンとリナリー、任務でドイツへ向かう(この時点で入団から三ヶ月経過)

■11月8日
ドイツ
・アレンとリナリー、ミランダと出会う
■11月11日
・アレン達、ロードと遭遇。アレン左目を潰される。
・ミランダ、イノセンス発動。

ベルギー
・イエーガー元帥がティキに殺される
・各地のエクソシスト達に元帥護衛任務が通達される

ドイツ
・アレン入院。ラビ・ブックマン・コムイと合流
・コムイ、ブックマンに彼の知るノアの一族の痕跡を全て聴く
・千年伯爵がアクマ達をメッセンジャーにしてエクソシスト側に宣戦布告する

ドイツ
・「クロス元帥はもう4年近く音信不通」
・ドイツを東に汽車で進む

ルーマニア
・アレンとラビ、村人に頼まれてクロウリー城へ
・アレン、左目復活
・クロウリーはエリアーデを破壊。エクソシストとして共に旅立つ

キリレンコ鉱山あたり
・クロウリー、ティキ達にパンツ一枚にされる
・アレン、ティキ達をパンツ一枚にしてクロウリーの服を取り返す

・ティキ、千年伯爵に仕事を言い渡される
・「ここへ私の使いとして行ってきて欲しいんでス」
・「ここに記した人物を削除してくださイ」
→「オレ今とある人物の関係者を殺して回ってるんだけどさ」(6巻55夜)
→「あいつ(クロス)ティキのリスト入ってたもん!」(9巻86夜)
→「ティキぽんに暗殺を頼んだ要人達はその裏切りノアの関係者でスv」(9巻86夜)

・ティキ、偶然出合ったデイシャ(ティエ部隊)を殺す
・神田とマリ、ティエドールと合流

インド アグラ地区
・ティキ、ソカロ部隊のリドとラボンを殺す
・スーマンが裏切る。教団にエクソシスト達の居場所を聞き出す

ルーマニア
・探査中、アクマの攻撃を受けてファインダーの隊長が死亡

黒の教団
・教団に148名の死体が帰ってくる。うちエクソシスト6名

中国
・クロス、妓楼でアニタの世話になる
・クロス、日本へ向けて出航。海上にて撃沈される
→「旅立たれました。八日ほど前に」

日中
・アレン達、中国大陸に辿り付いて4日
・妓楼にてアニタ達と出会う。
翌朝
・スーマン、目覚めると同時に咎落ちる
→「発生したら人体はイノセンスに取り込まれ約24時間で破壊される」※5
・アレン達、日本に向けて出航準備
・大量のレベル2アクマ(スーマンのイノセンスが目的)と戦う
・アレンとリナリー、咎落ちたスーマンと遭遇
・アレン、スーマンとイノセンスを分離させる
・アレン、ティキによってイノセンスを砕かれ、心臓に穴を開けられる
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