「かあさま。どこに行くの?」
珍しく綺麗な着物を着せられ、髪を整えた僕と兄の怜鴉は両親に手を引かれて山の中腹に向かっていた。
そこは古びてるけど立派な無人の御堂。
中は真っ暗でホコリ臭かった。
僕達が入ると御堂の扉が閉められる。
「かあさん、まだ僕達中に居るよ」
酷く落ち着いた様子で怜鴉が言った。
「ええ、わかってるわ。
それでいいの、私達には子供なんて居なかった。
そうよ、あなた達は私達のどちらにも似ていないじゃない。
左右色が違う目なんて気持ち悪い」
何を言ってるかわからなかった。
ただ、置いて行かれるんだとわかった瞬間に怖くなって扉を叩いた。
「あけて!かあさま!とうさま!いいこにするから、ぼくたちちゃんと、いいこになるから!だから………」
必死にとを叩いてもビクともしない。
「やめなよ、僕達は捨てられたんだよ。
もう戻ってこない。僕達が死ぬまではね」
親に愛されてないのはわかってた。
村の人からも気味悪がられて友達もいなかった。
誰も僕達と遊ぶなと言われていたから。
それでも、愛されていたと思いたかった……
僕は怖いものがよく見えた。
それはだれにでも見えるものでは無いと知ったのは物心が着くようになって親に話した時だった。
自分には見えていたものが親には見えていない。
試しに怜悧に聞いてみたら怜悧にも見えていた。
見える物を見えないということの意味がわからなかった。
僕らの普通は両親にとって異常だったけれど、それは僕達も同じだった。
子供は7つまでは神のもの。
僕らは7つになる前に親に捨てられた。
しかもただ捨てられただけじゃない。
この御堂…きっと良くないものが住んでいる。
そこに捧げられたのは生贄にするためだろう。
せめてもの恩返しに村の役に立って死ねと言われてるみたいで腹が立った。
珍しく泣きわめく事もしない弟は絶望のどん底にいた。
目を見開いたまま、涙を零して項垂れている。
早くここから逃げないと、嫌な予感がする。
とはいえ御堂は頑丈でとても僕達では何とか出来そうになかった。
「怜悧、泣いてる暇はないよ。
ここで死にたいなら別だけど」
怜悧は縋るように僕を見上げた。
面倒くさいし、すぐ泣くし、臆病だけど、あの腐った村で怜悧だけが僕の存在意義で帰る場所だった。
「僕はこんな所で死にたくない。
だから何としてもここから逃げるよ。
お前は?ここで死にたいならそうしなよ、僕は一人で行くから」
「や、やだっ!ぼくもいく、れいあ、おいてかないで」
余計に依存度をはね上げた気がしないでもない。
でもやっぱりこんなんでも大事な弟に変わりはなかった。
「よしよし、じゃあこっちへおいで」
御堂の真ん中に連れてきて、邪魔な着物を脱ぎ捨てて襦袢一枚になる。
怜悧にも同じ様に脱がせた後、怜悧の手のひらを少し切って着物に血を染み込ませる。
怜悧は怖いものが好きな匂いをしてるみたいだからそれを餌にあいつらに戸を開けさせようと思った。
僕達は扉の脇で小さくなって息を殺す。
夜が更けて辺りの嫌な気配が濃くなった。
躙り寄る気配に怜悧の手をきつく握る。
何があっても絶対に叫ぶな振り向くなとは言い聞かせたが、果たしてどこまで守れるか…
怜悧の恐怖が限界を迎える前に安全な場所に隠さないといけない。
そして最悪な事に、こいつの限界は数分も持たずに訪れるだろう。
怜悧は恐怖に震えながらきつく手を握り返す。
外の気配は御堂の入口をウロウロしていたが、突然御堂の壁を突き破って後ろに庇っていた怜悧に噛み付いた。
突然の事に頭がついて行かない。
怜悧が痛みに悲鳴を上げて泣き叫ぶと、周囲の空気が揺れるような感覚のあとに怜悧に噛み付いていた何かが怯んだ。
その隙に怜悧を引っ張って駆け出す。
御堂は地面から高さがあり、飛び跳ねて御堂の壁を壊した奴は怜悧の足に噛み付いたが、高さと壁の衝撃で足を食いちぎられることは無かった。
それでも怪我は酷く、早く身を隠せる場所が必要だった。
助けて欲しい…もう限界。
経験も知識も足りないからどうしたらいいか分からない。
怜悧を見捨てれば僕だけは助かる。
でもそれをするという選択肢は僕に無い。
一緒に生きられないなら死ぬしかないんだ。
だから必死に宛もなくただ逃げ回ってた。
朝になれば少なくとも得体の知れない怖いものは居なくなると思っていたから。
親に捨てられた絶望と得体の知れない何かに襲われた恐怖で怜悧ははち切れそうだ。
泥だらけになりながら周囲の気配から隠れるように逃げて、小さな小川に辿り着いた。
「怜悧、傷口洗うからそこに座りな」
小川の近くの大きめの石に怜悧を座らせる。
すっかり怯えきって震えている。
僕は冷たい小川に足を浸し、怜悧の傷口を襦袢の裾を裂いて洗い流して布を巻き付けた。
泥だらけになった事で匂いはごまかせただろうが鼻のきく動物なら血の匂いは嗅ぎ分けられる。
動物なら、の話だけど。
「怜悧、歩ける?」
歩けないだろう。
心が弱い怜悧はもう限界をとうに超えていた。
それでも僕に置いていかれるのは嫌なのか、ぎゅっと手を握る。
「いく…おいていかないで…」
歩けるとは言わない。でも普段の様に泣き言ばかりよりよっぽどマシに思った。
「川を渡るよ、染みるかもしれないからおぶさりなよ」
怜悧は珍しく首を横に振って僕の手を強く握る。
怜悧なりに捨てられない様に努力しているんだろう。
それなら僕からは何も言う事は無い。
小川渡り、山を下に向かっておりていく。
川沿いに進めば下に行けると思っていた。
進めど進めど山から出てる感覚はなく、体力だけが減っていく。
出血した怜悧は既にフラフラしていて暫くしたら膝から崩れ落ちるように転んでそのまま意識を失った。
産まれた時からずっと一緒だった。
「お前を一人で死なせたらずっと付きまとわれそうだから一緒に逝ってやるよ」
もう限界だった。
それでも生きていたくて頑張ったけど、僕達は子供で、無力だ。
「こんな世界なんて、ぜんぶ、なくなっちゃえ」
怜悧を抱き締めながらその場に横たわる。
さよなら、最低なクソ世界。
「主、感じたか?」
「ああ、結界に誰かが侵入したな」
その日たまたま妖怪が悪さをしているという山を訪れてい緋翠は山に張った結界に誰かが入り込んだ気配を感じた。山の半分を覆う結界は川を挟んで南側にはりめぐらされていた。
結界はその北側、つまり反対側から侵入している。
丁度妖怪を退治して結界を解除している最中だったので同業者かとも思ったが、それにしては霊力を隠しもせずにただいたずらに垂れ流しているのは妙だった。
新米の陰陽師でも霊力を垂れ流したまま等と愚かしい真似はしない。
なら考えられるのは一つ。
「子供か?」
素養に恵まれた子供というのは貴重な存在で、通常は都に送られで陰陽師の家系に弟子入りをする。
そうでないと妖の極上の餌として喰われるからだ。
「この様な山の中の村ではそのようなことも伝わりにくい。
親御殿は都に奉公に出せば将来安泰と知らなかったのだろうなぁ…」
「奇異の眼に晒され、最後には生贄にされたって事か」
「そうだろうな。
見鬼の才を持つものは皆通る道だ。
死ななかっただけその子は運がいい……国永、先行して子供達を確保しておいてくれ。
これを片したら直ぐに追う」
「了解。じゃああとは任せたぜ、三日月」
白い鳥のような青年が山を駆け下りていく。
残された青い狩衣の男は微笑んでただ緋翠の傍に立っている。
「どうする気だ?
まさか村に帰す気ではあるまい?
受け入れ先に宛があるのか?」
見鬼の才を持つものはそう多くない。
優秀な血筋でも見鬼の才を持たず、普通の一般人として産まれてくるのが殆どで、だからこそ見鬼の才を持つ子の受け入れ先は慎重になる。
女子であれば、見鬼の才を持つ子を産むための腹としてしか必要とされ無いこともあるからだ。
緋翠自身高名な陰陽師の娘であり、様々な陰陽師とその弟子となった子供の末路を見てきた。
「まずはとりあえず保護だ。後のことは後で考えるさ」
緋翠はそういって笑うと結界を解除して妖の死体を焼き払った。
炎できよめられたあやかしの体は塵となって消えていく。
それを見届けてから国永の元に向かう。
霊気を辿れば小川の近くに薄汚い子供が二人、折り重なって倒れていて、国永の羽織がかぶせてある。
国永の姿が無いのは、恐らく近くに集まった獣や下級妖怪を駆除しているのだろう。
羽織に魔除けを施してあるが、目の届く範囲には居ると踏んで子供たちの様子を確認する。
「主、子供の一人が怪我をしている様だ」
抱きしめられる様に倒れている子供の足には血が滲んだ布が巻かれていた。
「……小さな体で必死に逃げて来たのか…」
二人はそっくりの顔立ちをしており、双子だと直ぐにわかった。
この双子は二人とも相当な霊力があるようで、外界と交流を絶った寂しい村の中ではこの子達の価値は埋れ、蔑まれただろう。
一人は自力で身につけたのだろうか、霊力を多少調節出来るようだがもう一人は強い力を垂れ流してる。
「この子が原因で村を追われたようだな。
霊気が湯水のように溢れてる」
「この子達を狙う妖はいま国永が狩っている。
宗近、これを連れていく。
国永を呼び戻して守備を頼む」
「弟子を取るのか?」
「何だ、不服か?
俺に散々弟子を取れと言ってたくせに」
ふわりと着物を翻し、緋翠はあどけない少女のように笑って見せた。
「この子達を俺の弟子にする。
久し振りの帰省になるからこの子達もめかしこんで綺麗にしてやらないとな」
細い腕に子供二人を抱えると、国永を呼び戻して夜明けの山を降りて行く。
目が覚めた双子がどんな子供たちかを想像しながら。