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ろパロ。―Cordierite/菫青石―


「よいしょ……」

空のカートを引いて少年は空間転移の魔法を使ってくれたカプラの前から移動を始めた。
空間転移の魔法で降り立った場所は国境都市アルデバラン。
錬金術士達を取りまとめるギルドがあり、製造書を取り扱っている唯一の販売者が居る所だ。
一人で行動するのは気後れしたため、同じギルドの仲間の一人と共に行動している。

「シルフィ、重くないか?」
「うん、大丈夫だよ」

顔を覗き込んで微笑みを浮かべる少女、リアンに同じように微笑んで返した。
あまり外の事を知らない彼女は、おつかいマップを両手で持っている。
今回はギルドで製造書を買った後、他の街へ行って材料を買い足すつもりだ。

「あそこに見えるのが、アルケミストのギルドだよ」

前方に見えてきた建物を指さすと、リアンは顔を上げて指の先を見た。
石造りの白い壁をした堅牢で大きな建物。
青い瓦屋根はこの辺りで特有のものらしく、住み慣れた街と違う色の街並みをしている。
見慣れない光景に二、三度瞬いたリアンは、少年―シルフィス・アンフレール―を見て笑顔を浮かべた。

「シルフィがギルド、すごい豪華!」
「豪華っていうか……ギルドだから普通だよ」
「ギルドは普通? それが、リアンはギルド違う?」
「えーと、このギルドは職人を統制するギルドだから違うかな……。
ボクらのギルドは……仲間が寄り添う集まりの事、かな」

ふむふむ、とリアンは大人しく橙色の目を輝かせながら何度も頷く。
言葉は拙いが好奇心旺盛な彼女は、それだけでギルドの種類というものを把握した。
そうして本質的なものが違うのだと言葉にしなくても理解する。
乾いた大地に水が染み込むように、周りの知識を素直に吸い込んでいく様は、教える方としても頼もしい。
シルフィスは殊の外、リアンと共に行動する事を好んだ。
その理由には、リアンもシルフィスに懐いて一緒に行動をしたがる事が多いのもあるだろう。

「あそこのギルドで、アルケミスト達が新しい製薬法を売ったり、ランキングを作ったりしてるんだよ」

ランキングとは、より質の良い製薬を多くした者を順位付けで紹介した一覧だ。
ランカーと呼ばれる順位上位者は王国から色々優遇されると聞く。
それ自体はカプラ達が週間で出す紙面で知る事が出来た。
が、ギルドへ行くと過去の様々な栄誉者の名残を見る事が出来る。
シルフィスの楽しみの一つだった。
リアンの言う豪華な館の扉をくぐり抜けて中へ入る。
一階は至ってシンプルだが、二階が作業場にでもなっているのか馴染んだ薬草の香りがした。

「いらっしゃい」
「こんにちは……あの、製薬書を買いに来ました」

目に傷のあるアルケミストは、目録の紙を見せてどれにする?と笑ってみせる。
人懐こい笑顔に、他人とあまり関わるのが得意ではないシルフィスも落ち着いて目録を見る事が出来た。
リアンはそわそわと室内を見回し、壁に掛けてある特集記事の切り抜きやヒゲのおじいさんの絵姿などを物色し始めた。

「彼女とデートか? それにしちゃあ随分色気の無い場所を選んだな」
「ぇ……いや、彼女では……」
「何だそうなのか、なかなかお似合いだと思うんだけどなぁ」

前言撤回、彼は人懐こいのではなく少々無粋な性格のようだ。
元々人見知りで他人と話すのが苦手なシルフィスは、それで困ってしまった。
相手は悪かった、と一言置いてからからと笑い声を上げると、シルフィスが選んだ製薬書を取りに奧へと引っ込む。
それでようやくカウンターから解放されたシルフィスは、溜め息を吐きながらリアンの所へと歩み寄った。

「何を見てるの?」

彼女は大きな目を更に見開いて一つの古い記事に注目していた。
同じように記事の文字を追えば、そこにはホムンクルスの創造貢献者にルーシェス・マグノリアの名前が載っている。

「これ、お師様……!」
「……シルフィ、こっちに」

戸惑った表情でリアンはシルフィスの見ている記事の斜め下を指さした。
自分の師匠は凄い人だったのだと感動していたシルフィスは、次の瞬間に凍り付く。
リアンの指が指し示すそこには、

「製薬資格永久剥奪者……」

ルーシェス・マグノリアの名前が唯一載っていた。
一体何故、そんな事になったのか。
そういえば製薬を教えてくれる師匠はシルフィスの作ったボトルを使う事はあっても、自分では決して作ろうとはしなかった。
同じアルケミストなのに、製薬の道具も書も何一つ持っていなかった。

「ほら、ご所望の品だぞ。……坊主? どうした?」
「ぁ……」

気さくな声に、肩を跳ねさせて驚き振り返る。
そこには驚いた顔をするアルケミストの姿があり、片目だけを見開いていた。
何故ここにルーシェスの名前があるのか知りたいが、驚きで頭が回らずに何を言って良いのか分からない。
きょろきょろと、カウンターと壁の記事を見返すシルフィスに気付いたアルケミストは同じように壁を見た。

「ああ、それか。何でも大罪を犯してギルドの秘匿を盗もうとしたんだとよ。お前さんの知り合いか?」
「んー、どんな人です?」
「銀色の髪に桃色の目だとよ。そんな奴珍しく無いってな」

硬く響いた彼の声が、リアンの一言で解される。
恐らくは錬金術ギルドですら、ルーシェスの行方を知らないのだろう。
そして何故か積極的にではないが、彼らはルーシェスを探している。
リアンが和やかに話してくれなければ、自分は逃げ出して居たかも知れないとシルフィスは思った。
居心地の悪さに、胸から迫り上がってくる気持ち悪さに、今すぐこの場から去りたい。

「何だ坊主、顔色悪いぞ」
「シルフィス、驚いたです。でも平気、シルフィスが剥奪無い」
「ああ、剥奪者なんて表記してるから驚いたのか。悪かったな」

一応規約なんだ、と笑う彼に手を振り、笑顔でリアンはその場を離れた。
つられるように、シルフィスも頭を下げてギルドの扉をくぐり抜ける。
暗い室内に馴染んだ目が、突然の陽光に耐えきれず眩暈がした。
勿論、それだけでも無いのだが。

「シルフィ」
「リアン……お師様は……」
「大丈夫、早く帰りましょう。リアンにシルフィに、お出掛け疲れました」
「……そう、だね」

不安を払拭させるように笑顔を向けて、手を繋いで確かな温もりをくれる少女に、シルフィスもようやく笑顔で返す事が出来た。
帰って、いつもの日常に戻れば平気だと。
ギルドの皆が迎え入れてくれれば大丈夫だと力無くだが、確かに心からの笑顔を返した。



――――――――――――
シルフィス=アンフレール
18歳 男 アルケミスト
製薬系アルケミスト、戦闘はちょっと苦手。
精霊宿りの仲介者。かなり丈夫。
シルフィスの側には常に影猫の姿の精霊。念属性。
トラヴィスと繋がっていて、意識的に彼女のダメージの肩代わりが可能。
右の紫の目を眼帯で隠し、左は青の目。

ろパロ。―傷みの記憶―

クレイハウンド・ロベリエは痛みが解らない。
それは身体の傷み。
彼は無痛症と言われるものであり、そういう感覚が分からなかった。
触れられれば分かる、触覚はあるからだ。
だが熱や物の感度というものを知らなかった。
彼がそれに気付いたのは幼い頃。

「クレイ、腕怪我してるぞ」

友人に言われた事により、己の腕に擦り傷がある事に気付く。
大きな傷跡だったが痛みは無かった為、クレイハウンドは大した傷では無いのだと思った。
周りも痛がる様子のない彼に平気だと思ったらしく、その日は夕暮れまで遊んだ。
だが、帰ってきてからが悪かった。
傷は一部がかなり深く熱を持ち始め、更には腫れて膿が溜まり始める。
そうなると傷を開いたまま、清潔なガーゼで抑えて時折瀉血をする必要があった。
彼はその一切を痛がらず怖がらず、周りが彼の様子を不気味がり恐れ始める。
様々な医者に掛かった事で彼の無痛症は発覚した。
そうして生活に必要な数々のトレーニングが行われる。

「正しい歩き方を学ばれなさいませ」
「朝一番に従者による診断に掛かりなさいませ」
「関節の動きを確実に把握なさいませ」
「人が痛がる様子を真似なさいませ」
「常に己の身体を検分なさいませ」

色々な人達が彼に色々な事を言った。
彼は自分が違うのだという事をよく学び、自分以外をよく真似た。
何故そんな必要が?という疑問は常に彼に寄り添っている。
だが、それを押してまで周りに反発する意思も無かった。
学んだ通りに動き、働き、彼は剣士となる。

「ロベリエが居るなら安心だ」
「貴方を頼りにしています」

この頃から仲間という者を募り、集団で行動するようになった。
彼としては幼い頃のごっこ遊びの延長である。
仲間からの信頼に応え、彼は皆を率先して導き守り通した。
やがて彼の名は世に広まり、王国の盾とも呼べるクルセイダーの一員として恥じないまでになる。
彼は自分に出来ない事など何一つ無いと思っていた。
自分が居れば、守りきれると思っていた。
例え相手がどれだけの強敵であろうと。
だのに、

「ロベリエッ! 下がれ、前へ出るな!!」
「いやぁあああああ!! 彼がッ、彼がまだ!!!」
「あいつはもう無理だ、今居る者だけでも脱出しろッ!!」
「ぐあッ――!!」

悪夢だった。
守りきれると思った仲間は呆気なく散り、陣形は乱れて皆が恐慌状態に陥る。
唯一平常心を持っている者は他を叱りつけて逃げるように指示を飛ばした。
肉が裂ける音がする、骨が折れる音がする、ぐちゃりと柔らかい何かを潰す音、どちゃりと粘着質で重量のある物を落とす音が響く。
目の前で凶刃を振りかぶる悪魔を見、横に居た剣士の襟首をわし掴んで背後に飛んだ。

「撤退だ! 撤退しろッ!!」
「ポータルをッ! 大聖堂へ――」
「どこでも良いッ!!!」

様々な声が飛び交う中、皆の中心に転移魔法陣が敷かれた。
中へ飛び込めば、違う場所へと逃れられる。
我先にと陣へ飛び込んで行く中、クレイハウンドはぐったりとしたままの剣士を脇に抱き陣を敷いたプリーストの手を引いた。

「お前も早く――」
「私は最後まで行けません。貴方こそ早く」
「なら、一緒だ」

自分が彼らを守らなければいけないという一心で出た言葉だった。
眼を見開いたプリーストは次の瞬間、微笑みを浮かべる。

「幸せに」

彼女に押される形で陣の中へと足を踏み入れたクレイハウンドは、それでも彼女の手を握り締めて引き入れた。
決して離すまいと決めたその手の温度を確かめて、違う場所へと空間転送される。
一瞬後には見慣れた大聖堂の中にいた。
辺りは騒然とし、神父やシスターが駆け回っている。
自分の周りにはまだ到着したばかり、恐らく安息から動けなくなった者たちが広がっていた。
顔色を無くした彼らを一回り見た後、腕の中にいる剣士に声を掛けようと顔を見る。

「おい、そいつ――」
「なんてこった……せっかくお前が守ったのにショック死したのか……」

ショック死。
剣士は既に腕の中で死んでいた。
胸を薙いだ凶刃は、しかし彼の急所ほど深くは抉っていない。
生きていられる傷だったのに、彼は死んでいた。
驚いて後ろを振り返ろうと、後ろにいたプリーストに声を掛けようとしたクレイハウンドは誰も居ない空間を見る。
確かに掴んだはずの温もりを手繰り寄せようと手の平を見ると、腕の先があった。
彼に掴まれた手の平と、ほんの少しの腕。
肘までもなかった。
切り口からは血が垂れていて、周りからは更に悲鳴が上がる。
確かに守れたと思っていたものは、何一つ手の中には残っていなかった。

「お前も酷い傷だ、休め……」
「いや、僕は良い。……痛くないから」
「バカ、やせ我慢はするな! これだけの事が合ったから今は感覚が鈍ってるだけだ」

感覚が鈍っていて痛みを感じないと言うのなら、彼は産まれた時から世界に鈍かったと言えるだろう。
人は痛みでも、絶望でも死ぬ。
どんなに守っても簡単に死んでしまうのだ。
それがクレイハウンドには理解出来ず、とても恐ろしいものである気がした。
同時に、守らなければいけないというのが彼の強迫概念<トラウマ>となった。
自分が守らなければ、人間は痛みに弱いから死んでしまうのだと。
それからの彼は人を恐れた。
人と行動する事を恐れた。
何より、人が自分の知らないところで痛みで死んでしまう事を恐れた。
人の痛みを自分の身へと代えてまで人を守る様を、周りの者は献身と褒め称える。

「ロベリエ、無理はしなくて良い」
「私達は貴方に助けられているわ。今度は私達が貴方を助けたいの」

止めてくれ、と思った。
自分の分まで傷を負おうとしないでくれ、と。
彼はそれが怖いのだ。
酷く恐ろしく、時には眠れないほど恐怖を感じた。
儚くて今にも消えてしまいそうな程、脆いものだと思った。
彼らが止めれば止めるほど、クレイハウンドは人の傷を肩代わりし続けた。
クレイハウンドを守る為だと、彼らが離れていってもそれを止める事すら恐ろしかった。
クレイハウンドにとって、人とは恐怖でしかなくなっていた。
そんな時に、見知らぬものから声を掛けられる。

「ふむ、人の噂では単なる死にたがりかと思うたが、いやはや現実は面白い。カカカッ、実に見物だのお」

憔悴しきった顔のクレイハウンドを前にして、それはその様な口を利いた。
あまりにも人を人だと思わぬ口様に、目の前のそれを悪魔か魔女だと思った。

「嗤いたければ嗤えば良い。ただ、俺のする事を止めるのだけは止めてくれ」
「おやおやー? 随分ご機嫌だのお、止めて欲しくないと言われた事を止める等ドSじゃな。
ワシは勿論ドSでは無いからのお、お前様が望むなら朝から夕まで、一から十まで見守ってやろうぞ? 嬉しかろう?」
「いや……」

繋がらない会話に何だこれは、と思うと同時に有り難かった。
親身になってジリジリと近寄られる事は恐怖だ。
だが、ここまで土足で踏み込んだ上に放置を決められると返ってどうでも良くなる。

「ふむ? 嬉しく無いのかえ? まあワシはただの人間じゃからお前様の恐怖の対象であろうがの。
強迫概念の対象じゃろうがの。守って守って守りたくて仕方がない美女という者じゃろうの」
「それは無い」

思わずツッコミを入れてしまったが、実際この場が戦場であったなら彼女を守っただろうと自分でも思った。
人間で無い気配がしようと、彼女が如何に人間らしく無かろうと、死ぬので有れば恐怖でしかない。

「そうじゃのお、ではこれでどうじゃ? 死なずの呪いを掛けられた者を紹介してやろう。
これはワシの勝手な世話じゃが、彼らも話し相手が出来るのは拒むまい。拒める訳も無い、お前様が人間であるならばな。
お前様等がそうやって連んでくれると、ワシとしても色々と好ましいのじゃ。都合が良い、扱い易いというものじゃ」

ズバズバと話の段取りだけを決め、最後に彼女はカカカッと哄笑した。
口を閉ざしていたが、その瞳はクレイハウンドが着いていくと言う事を疑っては居なかった。
彼女の言葉に、人への恐怖に、痛みのある人間に疲れていた彼は、それを受け入れた。



――――――――――

クレイハウンド=ロベリエ
20歳 男 クルセイダー
無痛症系男子。
傷みが分からないので傷みでショック死する人間が分からない、恐怖。
死なない人間からまずは慣れようとウィッカに連行されてきた。
武器は盾と片手剣。

ろパロ。―常若の林檎―

「お前様や、お前様はチェスというものをご存じじゃろうか?」

ウィッカは首を傾げて言う。
常は嘲笑や好奇心が強い瞳で嗤う事が多い彼女。

「この世界は箱庭じゃ。物語という枠ではなく、ただ無差別に駒という駒を敷き詰めた。
白や黒という明確な差別もなく、駒に意味合いも無い。チェスにすらなりきらない盤上の世界じゃ。
無意味に、無意義に作り上げられた世界じゃ。しかし操る手という者は居る。駒を置く以上、それを滑る手が無くてはの」

得意げに語る彼女は右へ、左へ。
両手を広げて薄紗の布が風になびくのを楽しみながら歩く。
その様は語り部のようで、道を示す賢者のようで。

「聖者は金剛石と呼ばれる瞳で運命を見、時には流れをねじ曲げ手繰り寄せる。男はそれをも承知で力を使う。
魔女と呼ばれる少女は死の呪いを受けておる、親しい者が永遠に生き続けるという死の呪いじゃ。
騎士もまた死の呪いを受けておる、己が死なぬが故に親しい者の死を遠ざけるという死の呪いじゃ」

それは死の呪いではなく命を与えているのでは?と思った事だろう。
ウィッカは嗤った。

「運命をねじ曲げる、それは死を操る愚行じゃよ。神様気取りの何様というやつじゃ。
死をはね除けるならば生である、というのは愚考じゃよ。死は死でしか有り得ない、反意には成り得ない」

歩みを跳ねるようなものへと変え、足先を滑るように前へと飛ばす。
しゃり、と足首に巻いた鈴が静かな音を奏でた。
くるりとその場で回り、立ち止まり。
色違いの瞳を歪めて笑みを覗き込ませた。

「壊れた人形は壊れた事を忘れ、今は人に求められるままに踊って居る。が、それは誰へ捧げる踊りじゃろうのお?
人形が抱いて菫青石と曙光石は隠されておるが、輝石である以上煌めきを止める術もあるまい。
人の眼を誤魔化せるものでもあるまい。野心というのはつくづく厄介で、鋭いものじゃ」

くつくつと喉の奥で嗤ってみせるウィッカは、テーブルに腰を預けると長い足を組み、惜しげもなく晒してみせる。
所々についたレースが彼女の身体の線を隠し、そこから覗く素肌は白い。

「人は孤独を好かぬ者じゃな。何人たりともそれは覆せぬ。猫が捨てられる孤独を知って尚、肌の温度を求めるように。
退魔師は周りの全てを凍てつかせる呪いを受けているが故に。
傷みを知らぬ青年は悼みを知るが故に、他者を求める。それは仕方が無かろうよ、自然の摂理じゃろうよ。
虎眼石もまた、人づてに彷徨う運命を持って居るが、それを受け入れる事は無かろうよ」

そこでウィッカはカカカッと白く細い喉を晒して哄笑を上げた。
面白くて仕方がない、楽しくて他ならないというように。
或いは正常な者が聞けば、狂っているとも言える声音を上げた。
しかし今この場にそれを止める者は居ない。

「のうお前様、人為らざる者として作られた少年達が人間の真似をするというのは酷く滑稽じゃのお。あれらは愛を理解出来ぬのに。
のうお前様、己の世界を守る為に他の世界を呑み込むというのは酷く懐疑的じゃのお?果たしてその行動原理は愛と言えるのじゃろうか。
のうお前様、己の世界を斜に見ていた者が他者を救おうと手を伸ばすのは、まるで物語の様じゃのお?
ああ勿論、ワシは彼らを愛して居るよ。彼女達を愛おしく、好ましく見ておるよ。ワシはあれらの味方であろうと思って居る」

慈しむ、と言いながらウィッカは嗤う。
果たしてその表情しか知らないかのように、道化の様に笑みを刻む。

「一つの出来事が幼馴染み達を引き裂こうと、天は空を落ち、紅がその色を増そうと。
島が全てから切り離されようと、守護者が闇に迷おうと、ワシは彼らを見守ると誓おう。
手を出さぬと言おう。それが運命という者じゃろう? 他人が踏み込んではならん域というモノは心得ておるよ」

ケヒケヒと嗤いながらウィッカは胸に手を置き、誓って見せた。
宣誓のポーズを取り、その様が自分でも面白かったのか更に笑みを深めてみせる。
狂人、真の魔女、悪魔、その全ての名が彼女らしく、正しく彼女を言い表す言葉ではない。
幾重の言葉を上げ連ねても、彼女を例える事は出来ない。

「人の想いが見えるという彼女の目線には、一体何が映っておるのじゃろうな?
己の想いが潰れるほど他人に尽くした狩人の心は、一体何を写すのじゃろうな?
ワシはそれが楽しみでならぬよ。ワシはあの子らが愛しくてならぬよ。ワシの愛は要らぬと言われようがのお」

嗤う彼女の目には、確かに慈愛の光りが灯されている。
大きな樹に実った彼らという黄金の実。
それが他者に刈り取られぬよう、彼女は見守り続けるのだ。
ウィッカ・イドゥン。
常若の林檎を見守る女神の名を冠した彼女は、見守り続ける。

「そういえばのお、お前様。お前様はワシを何でも知って居ると思って居るようじゃが、あながち間違いでもないのじゃがの。
ワシが視るのは地の記憶じゃ。大地に刻まれた記憶じゃ。何でも知っては居るが、これからは知らぬぞ。
じゃが人の世は偶然に似通った必然で成り立って居る。ワシはワシが知る以上の事は知らぬが、それ以上を知って居るとも言えるのお。
お前様はどう見える? お前様の目には何と映る? 果たしてそれは、本当のワシかのお?」

カカカッと嗤い、ウィッカは勢いよくテーブルの端から立ち上がった。
そうして真っ直ぐに歩き、観音開きの扉を大きく開け放つ。
そこには大量の本を抱えた少年が今まさに扉を押し開こうとしている所で、

「ビッ……クリした、ウィッカいつから居たの?」
「今じゃよロゼくん。今までワシはずっとこの部屋に居ったとも」

ニヤニヤと笑って少年、ロゼットを迎え入れる。
閉じられた本が無数に連なり眠りについている部屋には、ランタンの光りだけが漏れていた。

「話し声してたと思ったけど、誰かと一緒じゃなかったの」

訝しむ少年の言葉に口元の笑みを深めると、ウィッカは肩越しに部屋の中を覗いて見せる。

「いいや、ワシ一人であったよ」

秘密は蜜よりも甘く、黄金の林檎が風に揺れていた。

ろパロ。―絆の形―

昔、ウィッカ・イドゥンに言われた言葉。

「戦場で死した者は主神オーディンの待つヴァルハラへと戦乙女に導かれるらしい。
ワシ等が居るこの箱庭がそうじゃと、大昔にノエルが言いおった事もあったのじゃが。
更にその地にて死した者は夕闇の館で日が昇るのを待つという。はてな、ワシが疑問に思うのはそこじゃよ。
ワシ等が死んだ魂に仮初めの身体を与えられたとして、再びの死を体感したとして。
果たして魂なぞこの世に残るのか? 夕闇の館に招かれるのであれば、お前様の目に映るは何ぞや?」

ニヤニヤと嗤う魔女の言葉に首を傾げたリアンはこう返した。

「リアンが見る、想いです。人は残す想い、とても重たくて持って行くに無理です。
想いに形取ります、懐かしい形です。人がそれを魂と言います。人だけ見えませんの魂です」

人ならざる者、残像、幽霊、どうとでも呼べるそれらを、リアンは想いだと言った。
それは絆だと、魂を繋ぐ者は言う。
リアンは小さな頃から不思議な者たちが見えた。
他の者には決して見えない、傍らの隣人達。
彼らは今はもう居ない者で、時折少しの力を貸してくれるとリアンは知っている。
だが、それを言っても誰も信じようとはしなかった。
両親ですら信じず、リアンの言葉を不気味だと言う。
そこでリアンは傍らの隣人達を見えない者として扱った。

「リアン、この間言っていた人はどうしたの?」

母は時折、何かを思い出したかのように訊ねる。
しかしリアンは首を横に振って答えるのだ。

「知りません」

その言葉を聞いた母は満足そうにリアンを腕の中に閉じこめ、愛を囁いた。
リアンが愛を貰えるのは、自分が"普通"の行動をした時。
傍らの隣人とは話を出来ないし、遊べもしないのだ。
どれだけ彼らが声を掛けても、リアンは応えようとはしなかった。

「リアン、さっき遊んでいたのは誰だったんだ?」

父は時折、不安そうに神経質に訊ねる。
それにもリアンは首を横に振って答えるのだ。

「一人でした」

そのうち話しているのが本当にただの人なのか、傍らの隣人なのか分からなくなる事があった。
だからリアンは言葉を話さなくなった。
人と会話をせず、遊ばず、常に父か母の側で大人しくしているようにする。
そうすれば、間違えてしまっても一人遊びだと思ってくれた。
間違う事自体が少なくなった。
ただ、リアンは自分が人形になってしまったように重くなるのを感じる。
世界に圧迫されて潰れてしまうのだと、毎日のように思った。
呼吸すら、許されなければしてはいけないのだと何かに切迫されるようになる。
両親は娘の異常な状態に悩んだ。
まるで今にも死んでしまいそうな程、何も出来ず何もせず、人形のようになってしまった娘を嘆いて暮らした。
そんな家族の元へ、一人の老人が訪れる。

「彼女を思うなら、彼女を解放してあげて下さい」
「何から解放すれば良いのでしょう?」
「あの子はどうなってしまうのです?」

老人の言葉に両親は返した。
奇しくもそれは、彼女の運命の分かれ道だった。
親元へ残るのならば、このまま何も変わらず人形で在り続けるだけ。
けれど親と分かれて暮らすのならば、彼女はきっと自分を取り戻す。
疑問を疑問として受け止めてくれる場所へ、有りのままの彼女を受け入れてくれる場所へ、彼女を託すのだと。
両親はリアンを手放した。
それは不気味だと突き放す物ではなく、愛故に。
両親の愛をリアンは受け入れ、受け止め、愛を知った。
リアンを迎えに行った老人は、次の人へとリアンを託す。

「……?」
「何だ、口があるんだからちゃんと言え」
「…………」
「俺はノエル・ミト・クロッシュだ。これからお前が行く場所は、俺が運営するギルドだ。お前の仲間が居る」

仲間、と言われてリアンは首を傾げた。
優しく抱きかかえられた腕の中で、その挙動は本人に伝わったらしい。

「仲間ってのは、お前と同じって事じゃねぇ。だが、お前を受け入れる。お前が奴らを受け入れるならな」

受け入れて貰えるのだろうか、不安になる。
両親ですら自分達の枠にはめてリアンを育てたのだ。
赤の他人が、理解を示してくれるというのがよく分からなかった。
しかしリアンの様子を垣間見たノエルは鼻で笑う。

「他人で何が悪い。テメェの事情なんざ知らねぇし、テメェだって奴らの事情は知らない。だが知り合う事は悪い事じゃねぇ」
「……?」
「テメェはテメェのままで良い。誰かに望まれた完璧な形でなくても、歪でおかしな形で良いんだ」

ありのままで良いと、初めて言われた。
それをどんなに望んでいたのか、自分でも分からないほど欲しかった言葉。
ノエルの腕の中で小さくなり、胸にしがみつき、リアンは泣いた。

「……は、い……はい、はいっ……!」
「返事は一回で聞こえてんだよ」

ノエルの文句は、眉間による皺と反比例して優しく響いた。



――――――――――
リアン=エトワール
17歳 女 ソウルリンカー
幼い頃から傍らの隣人、或いは魂が見えていた。
親に気味悪がられた為、言葉ごと彼らの存在を呑み込んだ。
先代ソウルリンカーからノエルに預けられて以来、ギルドで言葉を学ぶ日常。
整然とした言葉より直感を優先するので会話が難航しがち。
魂を繋ぐ者として、傍らの隣人達の力を借りる事が出来る。

ろパロ。―蜜色の温もり―

初めて出会った少女は、月明かりの照らす部屋の真ん中で丸くなって眠っていた。
そこは自分の部屋だった筈だ。
正確には自分が教会に属す人間となった時に、兄へと引き渡した部屋。
兄の悲報を聞き、義姉と連絡の付かなくなった彼はこの部屋へと戻り、不可解な者を目にしている。

「んぅー……」

少女が小さく唸った事で正気を取り戻し、分からないのなら本人に聞けば良いと開き直った。
何より少女は、義姉によく似た容姿をしている。
唯一鋼色の髪が違うようだが、それでも敵意はなかった。

「そんな所で寝ていると疲れますよ」
「むぃ……ふぁ?」

変な声を出しながら、少女は薄く目を開く。
そこから覗く金色は義姉とは似ても似つかず、蜂蜜のようなとろりとした色をして光った。

「貴方は何者ですか」

質問ではなく詰問で、手が届かない程の距離を保ったまま部屋の主、ゼクス・マグノリアは青色の片目で少女を見る。
少女は欠伸をし、身体を一度だけ思い切り伸ばすと金色の目をゼクスへと向けた。
そうして口元に笑みを浮かべる。
義姉とは違い、無邪気な笑みを。

「おはよー、ゼクス。ルシェから聞いててねぇ」
「ルシェ……?」
「ルーシェス・マグノリア、私のお義母さん。私はタウフェス・マグノリア、ルシェの養子だよー」

マグノリア、と聞いてゼクスは目を見開いた。
同じ性という事は、彼の義姉と兄の養子という事になる。
あの二人に10歳前後の娘が居るなど聞いた事は無かった。
だが、今度帰省した際にはとっておきのサプライズがある、と書かれた手紙を見た事はある。
結局その帰省が今のそれであり、彼らの真意を知る前に居なくなってしまったのだが。

「あの人の養子ですか……貴方は今、幾つです?」

随分としっかり、というよりはのんびりとした気性に最近の小さな子は随分と大人しいと考え、

「17歳だよー?」
「…………もう一度言って頂けますか?」
「17歳」

悪戯な笑みを浮かべて跳ねた髪を弄るタウフェスに魅入る。
指先は細く短く、肩も華奢で大きな瞳の付いた頭を支えきれているのか怪しかった。
どう考えたところで結局は10歳であろうという憶測しかたてれない。

「冗談でしょう」
「んー、本気なんだけどねぇ。まあイイヤ、ゼクスがそう思うならそれで良いよ」

気にした風もなく、どうぞ?と首を傾げて笑うタウフェスに、嘘を吐いている様子はなかった。
嘘でも冗談でも無い以上、疑い続ける意味もないとゼクスは小さく息を吐く。
そうして、冒険者同士が夫婦になった場合は神の加護を受けた養子を取れるのだったと気付いた。
人よりも成長の度合いが遅く、力もか弱いがその子供達は様々な加護を与えると聞く。
もしかしたらそれかも知れない、と思ったところで更なる疑問が湧いた。
成長の度合いが遅く、止まったとしても逆行するわけではない。

「貴方は何者ですか?」
「ルシェの義娘、ゼクスの家族だよー?」

クスクスと惜しげもなく微笑む様は楽しげで、猫のようなしなやかさを含んでいる。
これ以上問答を続けたところでタウフェスからは何も情報は得られないだろうと考えたゼクスは問いを変えた。

「なぜ此処に?」
「ルシェが居ないから、かなぁ」
「居ない……まだ、行方は知れませんか」

娘にすら行き先を知らせず、消えた彼女。
死亡の報せは届いていないが、果たして本当に生きているのかは窺わしい。
己に近しい者から死に、居なくなると言う事実にゼクスは顔を暗くさせた。
大切にした所で指の間を擦り抜ける砂のように彼らは居なくなる。
たった一人の兄ですら、信頼した義姉ですら。

「ゼクス」
「何ですか?」

呼ばれた声に目線を向ければ、笑顔を浮かべず真摯に送られる視線。
やはり蜜のようだと、頭の隅で考える。
甘く、甘い、溶けて消えてしまいそうな色。

「ゼクス、ゼクス」

再度呼ばれ、今度は返事をせずにただ目を見詰める。
まるで泣きそうな子供のように、不安げだと思った。
自分に残された唯一人の家族なのだと悟った。
そうして、それは彼女にも同じ事だった。

「眠りましょうか、タウフェス」

無償に人の体温が恋しく思えて、声を掛ける。
猫のような彼女はくすりと年の割に妖艶な笑みを浮かべ、

「良いよ、一緒に暖まろっかー」
「今夜は冷えますからね。明日の朝は、パンケーキを食べましょうか」
「うん、上手に焼いてねぇ?」

嬉しそうに縋り付いてくる小さな温もりを、愛おしいと思って抱き締めた。
この命だけは、無くしたくないと思って抱き締めた。



――――――――――

ゼクス=マグノリア
21歳 男 プリースト
ルーシェスの義弟
優秀な退魔師として教会に所属しているが、同時に死神として有名
彼とPTを組んだ者、縁のある者がことごとく死んでいく
(ルーシェスは精神的に死んでるも同然)
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