小狐丸が道中に加わってからは雰囲気も柔らかく、鶴丸も大分落ち着きを取り戻したようだった。
相変わらず国永の腕にひっついての行動だが、牽制はすれど話しかけられれば普通に返事をする。
ピリピリとした雰囲気、とくに鶴丸のそれには心労がかさんでいた国永は安堵の息を吐いた。
現在は王都から続く道のりの三分の一を過ぎた森の中だ。
「そろそろ野営の準備に入るぞ。この森はゴブリン種が出るから、見張りは交代な」
「はーい! 俺、さっきの川で水汲んでくる!」
ちょっとした旅行気分を味わえる野営は、鶴丸がことのほかお気に入りらしい。
国永としては見張りや火の始末、調理の手間を考えると面倒な事この上ないのだが、元気に笑顔を見せる弟は癒やしだ。
目下の不安は、暫定貴族である三日月が堪えられるのかどうか。
「ここや、鶴と一緒に行っておくれ。国永よ、カマドはこの場所で良いか?」
「ん、ああ十分だ。……何も言わなくても分かるんだな」
「うん、世話をされるのは好きだぞ? 手際は悪いやも知れぬが、未経験では無い故な」
森の中、ちょうど周囲が見渡せるほどの開けた平坦な場所に石を組み始めた三日月を見て驚きの声を上げる。
確かに旅慣れはしていないと言って居たが、やるべき事を把握しているのはありがたかった。
何より落ち着いた物腰で、こちらの指示を嫌がる事なくこなしてくれるのは高位の貴族ではあり得ない。
ガラガラと組む端から石が崩れているのは、この際目を瞑っておこう。
「三日月、カマドを組むのは俺がやるからきみは寝床造りを頼む。毛布やなんかの荷物は荷車に入ってるから」
「あいわかっ――」
振り向いた三日月と、予想より近い距離に仰け反る前に唇が触れた。
柔らかくて温かな感触が先に、続いて甘い香りが鼻腔をくすぐる。
肩が付くほど近い距離というのもあまり経験が無くて、それ以上に近い顔に頭が真っ白になった。
ぺろ、と唇を湿った何かがなぞる気配がして、肩が跳ねる。
逃げようとする身体は、頭の後ろに回った大きな何かで遮られた。
それがそのまま頭を撫で、耳をくすぐる様な動きをした事で緊張と混乱で固まる身体から力が抜ける。
「ん……ふ……んぅ、ん……」
何かを言おうとして、けれど言葉にならない吐息が漏れた。
一拍置いてそんな声を出しているのが自分だと気付いて、頬に熱が集まる。
三日月は、まだ離れない。
が、
「くににーッ!!」
いつの間に近くまで来ていたのか、絶叫する鶴丸の声を聞いて国永は目の前の身体を押しのけた。
次の瞬間には身体を衝撃が駆け抜け、半泣きの表情でしがみつく鶴丸が居る。
少し離れた場所では柔らかく微笑む三日月が居て。
先程の温もりと行為を思い出した国永は顔中、耳まで熱くなるのを感じた。
「国兄、他に何もされてないよな、大丈夫!?」
「え、お、あ、ああ、大丈夫。平気だ、ちょっと……事故っただけ」
「うむ、そうだぞ。振り向いたら当たってしまったのでな、役得という奴だ」
「ちぃーーかぁーーにーーーぃーーーッ!!」
役得というならむしろ自分の方ではないのかと国永は混乱しながらも、ただただ頷いて返す。
更に鶴丸の絶叫と抱き着く力が強くなり、感情の振れ幅が目に見えるようだ。
顔を真っ赤にして怒る弟の姿に、なんだか可哀想な所が可愛く思える。
そうこうしているうちに国永が落ち着きを取り戻せば、鶴丸は涙目で国永を引っ張り上げた。
「国兄、消毒! ちゅー!」
むんっ、と顎に力を入れて引き絞った鶴丸の唇が国永と触れ合う。
これでは消毒と言うより間接キスになるのではないだろうか、と驚きはしたものの好きにさせておいた。
そういえば、昨日はお預けをさせてしまったのだと思い出し、
「ふ、んむ……ちゅ、ちゅう……」
「ん、ぁ……むぅ……」
ほんのイタズラ心から、鶴丸の柔らかい唇を自身のそれで挟みこみ、舌でなぞり上げてやる。
慣れ親しんだ刺激へ敏感に反応しながらも、応えるように鶴丸が薄く口を開けた。
ついばむように感触を楽しみ、期待しながら及び腰になっている鶴丸の細い腰へ腕を回して引き寄せる。
薄く目を開いて顔を見れば、うっとりと濡れる蜜色の瞳があった。
気分を良くした国永はそのまま口内へと舌を差し入れ、逃げようとする舌の付け根をなぞり上げる。
「ちゅ、ちゅぱ……ぁ、はぁ、んむ……」
「ん……ちゅう、ちゅく……ちゅ、ぢゅ……」
飲み下せずに溢れてくる鶴丸の唾液は甘く、段々と応えるように絡められる舌に感じながら口を話した。
いつの間にか二人共、肩で息をしている。
くったりと力の抜けた身体を預けてくる鶴丸が愛らしく、愛おしい。
自分より僅かに細い身体を両手で抱き留め、背中をゆるく撫でてやれば、
「眼福だな」
横から聞こえた第三者の声に、二人共が同じ動作で肩を跳ねさせた。
そういえば三日月が一緒に居たのだ。
しかも鶴丸が汲みに行った水桶を、代わりに持っていてくれたらしい小狐丸まで居る。
鷹揚に微笑む美丈夫と、しらけた目で見てくるキツネに挟まれた二人は居住まいを正した。
今は何よりも顔を合わせるのが恥ずかしい。
それを知ってか知らずか、三日月はそれ以上追求することはせずに荷車へと荷物を取りに行く。
互いに赤い顔のまま、やはり鶴丸とも顔を合わせることが出来ずに国永は調理を、鶴丸はカマドを作りあげた。
空間鞄から麦、塩漬けの干し肉、薬草を取り出した国永は持ってきた鍋へとあけていく。
途中、小狐丸に水を貰ってそれらを煮浸し、適当な所で更に水を追加すれば簡易食の完成だ。
本来ならもう少し手の込んだ物を作れるのだが、今は恥ずかしさの方が上回っている。
と、そこまで考えた国永は疑問が頭をもたげた。
何故、ここまで恥じらいを覚えてしまうのか。
鶴丸とキスをする事、それ以上の触れ合いも常にとは言わないが盛んな方ではある。
他人に見られるのは可愛い鶴丸が減る気がして嫌だが、特段気になる方では無い。
むしろどうでも良いとすら言ってしまえる程で、幼馴染みに苦情を言われる事の方が多かった。
三日月とのキスは、
「……あれは事故だから、きすじゃない……」
そう、キスじゃ無い。
唇と唇がぶつかっただけ、当たっただけだからセーフだ。
すぐに顔を離さなかったのは、きっとお互いが驚いていたからだ。
頭を撫でられたような気がしたのも、耳に触れられたような気がしたのも、気のせい。
ただあの柔らかさは、
「国兄? ご飯出来た??」
「国永?」
「うわッ!?」
突如左右から声を掛けられ肩に手を置かれ、国永は跳びはねるほど驚いた。
今の今まで何を考えていたのかも真っ白で、すっかり忘れてしまうほど。
つられて驚いた鶴丸も跳ね飛び、三日月はきょとんと目を瞬いている。
「すまない、ぼんやりしてた」
「……う、うん……えと、見張りとかどうする?」
「そうだな、まずは……俺から見張りをしよう。二人は先に休んでくれ、その次は三日月で」
「あいわかった、休むときはここにくっついて寝ると良い。温かいし、あやつは野生故慣れておるからな」
「それは有り難い。今日の所は俺と三日月で回すから、お鶴はしっかり寝ておけよ。俺達より体力無いんだから」
「……むー……」
「明日からは期待してるし、日中は薪拾いや食べられる物の採取を頼むから」
「それなら分かった、俺に任せとけ!」
見張りの代わりに、と物を言いつければ素直に頷いてくれた。
索敵は三人とも手慣れているだろうが、鶴丸は冒険者適正が盗賊である事もあって目が良い。
こういう野営が続く場所では重宝される職業だ。
更に小回りも利くので、資材集めにも向いている。
それぞれに夕食となる椀を渡し、この後の予定を話しながら手早く空にした。
大雑把ながらしっかりと味付けのされた物を食べると腹が満たされ、最後に乾燥させて粉々に砕いた薬草を使った薬湯を振る舞う。
苦みのある独特な味がするが、気力と体力の回復を助ける為に野営向きの物だ。
それも空けてしまえば、後は自由時間となる。
小狐丸の横に三日月がしつらえた毛布の山へ腰を下ろすと、そういえば、と言い置いて三日月が顔を上げた。
改めて何か連絡する事でもあるのだろうかと、毛布を片手に首を傾げる。
「国永と鶴丸は恋仲なのか?」
「なッ――」
「い、今聞くのそれ!?」
鶴丸は本気で驚いたと言わんばかりに、国永は恥じらいから声を無くして絶句した。
空気の読めない男、三日月が微笑みを浮かべて小首を傾げている。
恋仲、という事は恋人という事であり、特別な仲であるという事になるのだ。
確かに国永は鶴丸を特別好いていて、愛おしい、愛していると感じる。
触れていたい、触れて欲しいというのは兄弟には行きすぎた想いだろうとも。
けれども、まさかこのタイミングで聞くのかと頭が真っ白になる。
結果、国永は何を言うことも出来ずに、
「俺は寝る! おやすみ!!」
それだけを言い置いて逃げるように小狐丸を枕に寝入るのだった。
残された鶴丸と三日月がその後何を話していたのかは、ついぞ知る事が無かった。