寒い、そんな感覚を覚えて国永は顔を上げた。
今は蚤の市へ向かう道中、厄介な森を抜けてきたところ。
木々が密集して見通しが悪く、何より出てくる魔物のほとんどが群れを成すので面倒だ。
落ち着いたところでそれぞれ騎乗していた動物から降り、薬草を集めながらの行軍だった。
晴れ渡っていた空は曇り、小雨が降っている。
旅をしているのだから天気が変わるのは仕方ない。
広陵とした荒れ地や昏い洞穴の中、視界が白く染まるほどの吹雪にだって見舞ったことがある。
だのに、そのどれよりも寒いと感じる。
「くにに、雨降ってきたー!」
ふいに腕に温もりを感じ、手が包み込まれる感触がした。
いつの間にか隣に見知った気配がする。
先程見た時は、一緒に連れ立っている三日月よりも集めるのだと離れていった気がするのに。
真っ白な銀髪を肩口にぐりぐりと押し付け、甘えてくる姿が可愛い。
「ん、そうだな。それでもすぐに止むと思うぜ?」
「え、そうなの?」
「蚤の市を開く時は占いで天候を確認してるからな」
それでも濡れるのは体調を崩しやすくなって良くないから、と剥き出しの頭にケープを被せてやる。
まるでてるてる坊主のようになった弟に、小さく笑みが込み上げた。
雨はどうにも、寒くなって仕方が無い。
だからこそ鶴丸もこうやって暖を取ろうとくっついてくるのだが、今はありがたい。
「さむいな」
「ん……くにに、まだ寒い?」
「ああ、少し……けど、お鶴が温かいから」
「おや、そんなにくっついてどうした?」
どうやら鶴丸の代わりに離れた場所を散策していたらしい三日月が、木の向こうから顔を出した。
戻ってみれば押しくら饅頭よろしく、似た顔がくっついて居るのだから驚いたのだろう。
先程まで楽しげだった鶴丸の様子もなりを潜めている。
「雨が降ってきたからか、寒くてな」
肩を竦めてみせれば、それ以上に驚いた顔をされた。
思わず、といった風に伸ばされた手を。
「――触るなッ!!」
鶴丸が吠えて牽制する。
いつになくピリピリと警戒している姿に、息を呑む。
人懐っこく気の優しい弟がここまで嫌悪を表すのは、まず見た事が無い。
それ以上に、まるで自分が傷付いたように泣きそうなそれに見えて困惑した。
何が鶴丸を、ここまで追い詰めるのか。
国永の知らない以前に、三日月と何かあったのは間違いない。
ああ、寒くて仕方が無い。
「……しかしな、そのままでは風邪を引いてしまうぞ。せめて何か雨よけを被らねば、顔色が悪い」
「……そうだな、少し雨宿りをしよう」
鶴丸の肩を抱き締めて大きな木の下に潜り込む。
荷物は汚れないように布で覆っているので、雨に濡れる心配も無い。
だから気に掛けるのは様子の違う鶴丸の事だけに集中出来るのに、どこかぼんやりと気持ちが定まらない。
薄布を一枚隔てたような感覚、とでも言えば良いのか。
現実味が薄い。
微かに震えてしがみつく鶴丸を、見下ろす。
「国永、鶴は……くに?」
三日月の声が近くから聞こえた。
顔を向ければ、目を見開いて驚く朝ぼらけの月と目が合う。
何かを言いかけ、そのまま黙り込む三日月は痛ましそうに眼を細めた。
よく分からない反応に、首を傾げる。
「鶴は、雨が苦手なんだ」
いつからそうだったのかは覚えていないけれど、雨が降ると鶴丸はこうやって抱き着いてくる。
自分が居ないところではどうしているのかは分からないけれど、いつも。
だから国永は、自分の様子には気付かずに鶴丸を心配した。
何かに怯えるように縋り付く鶴丸を、常には無い無表情で。
無表情と言うより、感情が沸かないと言って良いほどに、ごっそりと何かが欠けた顔で。
白い顔に血色は無く、唇も色を無くしている。
まるで極度の緊張状態にあるかのような国永に、怯える鶴丸。
そんな二人の、双子の異常を目にして、三日月は優しく微笑みを浮かべてふうわりとマントで包み込んだ。
「奇遇だな。俺も、雨は少々気落ちしてしまうのだ」
「……みかづきも?」
「ああ。他に、何か感じる事はあるか?」
「……さむい。さむくて……いやな感じがする」
ぼんやりと、小さく呟く国永の言葉に頷き、三日月は二人を正面から抱き締める。
驚いた鶴丸が身体を揺らして抗議するも、珍しく引く気は無いようで。
二人で肩を寄せ合って小さく丸くなっているせいか、すっぽりと腕の中に入ってしまう。
寒いと言ったから、熱を分けてくれようとしているのだろうか。
背中に回った手は、宥めるように擦られている。
「くに、お前は寒いと言ったな」
「……ん」
「それはな、寒いのでは無く……寂しいというのだ」
さみしい。
そう言われて、ぱちんと泡が弾けるように景色が鮮明になった。
国永は瞬きを繰り返す。
そうしてようやく、胸の中に溜まっていた息を細く長く吐き出した。
「くににぃ……」
心細く、泣き出す寸前の声で鶴丸が呟く。
ずっとずっと怯えていたのは、国永も一緒だったのだ。
兄が怯えていたからこそ、鶴丸もそれを感じ取っていたのだろう。
「つる……心配かけて、ごめんな」
「え、あ、ううん……大丈夫! あの、国兄は……平気?」
驚いた様子で見上げてくる愛おしい蜜色の瞳に、国永は微笑んで返した。
「うん、もう平気だよ」
微笑みと共に降る声は、熱を取り戻した温かいものだった。