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椿と夕餉




離れに用意した食事を持っていく。
つい先程、政府の研究所から拉致する形で連れ去ってきた2人の少年。
幼い頃から年に一度面倒を見ていた息子同然なふたりが身も心もボロボロにされ、そんな様子を見ていられなくて拐ってきた。
温かな湯を入れて体を清めさせた後、検査着の様な簡素な服を取り敢えず白い襦袢に着替えさせる。
着替えの時にレイリの体には無数の痣、治癒しかけの開腹の跡や刺し傷があったのに気付いた。
2人は愛らしく美しく成長したのに反して酷く不健康だ。
温かな湯に浸かり、着替えを済ませたふたりは離の一室で身を寄せあってる。
中央に置かれた囲炉裏を覗き込んだり、本棚を眺めたりしている。
レイリはやはり体に強く影響が出ているらしくシュノが支えていないと立ち上がることも出来なかった。
まだ、16歳という年齢にしては幼すぎる思考も仕草や態度も全てが政府の非道な実験に都合がいいからで、シュノはそんなレイリより警戒心が強いだけで。
離の部屋を一通り見て回ると、緋翠が温かな湯気を立てるふたりが見たこともない食事を持ってきた。
昼餉にしては少し豪華な焼き魚と芋の煮ころがしに、ほうれん草の和え物と漬物にツヤツヤとした白米にだしの香る味噌汁が乗っていた。
「これはなぁに?」
首を傾げるレイリはこれが食事だとは理解していない様で、緋翠は驚くのと同時に内心舌打ちした。
「これは食事だよ
うまいから食ってみろ」
レイリとシュノは互いに顔を見合わせて暖かそうな煮ころがしに手を伸ばした。
「2人とも箸を使え、手掴みは行儀が悪い」
「箸?」
食事の仕方が全くわかっていない2人に一体どんな食生活を送ってきたのかと聞けば、パンと牛乳と、何か栄養の詰まった固形の栄養補助食の様なものだけを食べていたと言う。
「箸の使い方から練習だな。
いいか、箸はこうやって持つんだ。
こうして箸を開いて、食べ物を挟んで使う」
「難しいな」
シュノはそう言いながらも何とか芋を掴む事が出来たが、今にも落としそうで見ていて不安になる。
レイリは悪戦苦闘していてバッテンのまま物を掴む事が出来ずに困った様に緋翠を見上げた。
「仕方ないな…」
そう言って緋翠は箸をレイリから取り上げてから、背後から抱き込むようにレイリの手に自分の手を添えた。
「ほら、こうやるんだ」
「ん…難しいよ」
「シュノは出来てるぞ?
ほら、頑張ってみろ」
悪戦苦闘するレイリを眺めていたシュノは掴んだままの芋の煮ころがしを恐る恐る口に運んだ。
柔らかく煮解された芋は中まであましょっぱい味がしっかりしみているが、濃い味付けではなくて、初めて食べるそれにシュノは驚いている。
「どうだ、美味いだろ?」
シュノは無言で頷いた。
芋がまだ口の中に残っている様だ。
それを見たレイリもたどたどしい箸使いで何度も芋を落下させながら、最終的には刺すという荒業を使いようやく芋を食べることが出来た。
「美味しい!」
レイリは初めて口にする料理に目を輝かせた。
「シュノ、おいしいね
こんな美味しいご飯初めて食べた。」
「ああ、凄く美味い…」
「そうか、沢山食えよ」
二人の頭を撫でながら、緋翠は満足そうに笑った。
シュノは綺麗に完食したが、レイリは半分にも満たない量を胃に収めた辺りから嘔吐く様な仕草を見せ、顔色も悪くなり最終的には緋翠が厠へ連れて行ってすべて吐き出してしまった。
精神的なストレスや溜め込まれて行き場を無くした霊力が身体に悪影響を及ぼしていて、消化器官もうまく働いていない状態でいきなり食事をさせた事で体調を崩した様だ。
緋翠は布団を敷いてレイリを寝かせると夕餉には消化しやすい食事を持ってくるといい、2人の食事を片付けて厨当番の燭台切の元を訪れた。
「あ、主お帰り。
どうだった、ちゃんとご飯食べれた?」
「アイツら、酷い食事しか与えられてなかったみたいで、喜んで喰ってたよ。
最初アレが飯だって判らなかったみたいでな、箸の持ち方も知らなかった。
食事は一人は大丈夫だったが、もう1人は食べれはしたんだが消化器官が弱ってるのか全て吐いてしまってな。
悪いが夜は1人分粥を用意してやってくれ」
「まだ小さいのにそんな酷い目にあってたんだね、可哀想に…
判ったよ、なるべく食べやすくしてみるよ。」
昼餉の用意をする時にほんの少し彼等の事情を聞いた光忠は野菜をすりおろし、霙粥に仕立てた。
出汁も薄めのものを使い、胃腸に優しく、かつ舌で食事を味わうということに重点を置くように心を込めて。
かつ栄養を少しでも取れるように工夫をして、仮に吐き出しても少しでも栄養が身体に吸収できるように。


レイリは柔らかい布団に寝かされてすやすやと寝息を立てていた。
シュノもレイリの側で手を握ってる。
襖が開く音がすると、グッスリ寝ていたレイリが目を開き、怯えた様に入口を見た。
「レイリ?どうした?」
「あ、緋翠……」
レイリはカタカタと怯えながらシュノにしがみついた。
緋翠だとは頭で理解してるのに体が勝手に拒絶してしまう。
「や…ごめん、なさい……
違うの、緋翠が怖いとかじゃ…」
「いや、いいんだ。
大丈夫…もう怖いことはしなくていいんだ。今日からここがお前達の家だからな」
レイリをシュノごと抱きしめて、よしよしと頭を撫でる。
「ここに、居てもいいの?」
レイリが驚いた様に緋翠を見上げた。
「そうだ、だから連れてきたんだ。
お前達はもう俺の物だ、あんな政府の言いなりにならなくていいんだ。
明日が来るのを怖がらなくていいんだよ」
シュノがレイリの手を握ったまま、笑いかけた。
「レイリ、俺達はもうあんな所に帰らなくていいんだ
これからはずっと一緒だ」
「っ…緋翠、シュノ……ありがと…ぼく…
怖くて…ずっと、明日が来るのが嫌で…
ずっと、緋翠とシュノと一緒に居れたらって…」
レイリが緋翠に泣き付き、今まで我慢していた分を吐き出すように声を張り上げて泣いた。
「ほら、シュノも泣け。
辛い気持ちを全部吐き出してしまえ。
もう全部終わったんだ」
そう言われて、抱き締められた腕が優しくシュノの頭を撫でる。
レイリの様に泣き叫ぶ事はしなかったが、シュノは解放された喜びに静かに涙を流した。
「レイリを…俺を…助けてくれてありがとう」
シュノだって苦しむレイリを目の前に何も出来ずに苦しんだ筈だ。
緋翠は泣きじゃくる二人をただ抱き締めて、胸の奥にチリっと灯る怒りの炎。
それを収めるように息を深く吐いて気持ちを落ち着け、2人をきつく抱き締めた。
もう離さないように、決してこの手から。
2人は暫く泣き続け、目元を腫らして眠りに就いた。
はて、どうしたものかと困っていると襖が開いて見慣れた色が視界を遮る。
「懐かれておるな」
「三日月、丁度いい手を貸してくれ
この子達を布団に寝かせたい。」
「あいわかった」
三日月はクスクスと笑い、布団を1組敷き、クタリとしたシュノを抱き上げた。
「おお、随分軽い童子だな」
「囲われていた施設で人間以下の扱いをされていたからな
年端もいかぬ頃から飼い殺しにされ、いいように弄ばれて心身ともにすり減らして、それでも二人で支えあって生きてきたんだ」
緋翠がレイリを抱き上げて布団に横たえる。
泣き腫らした赤い目元。
それほど迄に明日が来ることを恐れていた2人。
助けられてよかった。
そして、二人を追い詰めた奴を緋翠は決して許さないと誓った。
「16になる子供が、箸の持ち方も知らず、飯に種類があることも知らなかった。
人間として当たり前の事をこいつらは知らない。
知る必要がなかったんだ」
豪華とは言えないごく普通の食事を、まるで高級な懐石料理の様に喜んで食べる2人を見て、政府の研究機関の非道さに反吐が出そうだった。
「俺はこの子達が可愛い。
贔屓目に見てるし、特別に思ってる。
だが、それを抜いても無垢な子供たちを洗脳して自分たちの都合のいい道具に仕立てあげる機関のやり方は俺は好かん」
シュノを寝かしつけ、黙って聞いていた三日月はその綺麗な月が映る瞳を緩く細めた。
「お主の気持ちは、刀の俺にはちと理解し難い感情だ。
だが先程この童子に触れた時に記憶の一部が流れ込んでしまってな
その童子を大切に思うあまりに己を責め立てる気持ち、今なら少しは理解できる」
三日月はそれだけ言うと立ち上がった。
「そろそろ夕餉の時間だな
その子らに美味いものはまだまだ沢山あると教えてやらねばなるまい?」
泣き疲れて眠る二人を見て、緋翠は立ち上がった。
この本丸に連れてきた以上、この2人には美味しいものを食べさせ、綺麗な着物を着せて、季節の移ろいを愛でながら、生きる術を身につけて言って欲しいと。
それだけが緋翠の願いだった。



夕餉を運んでくる頃には2人とも目を覚まし、本を読んでいた。
天后が2人に本を読み聞かせしていた様で二人共食い入るように本を読んでいた。
「2人とも何を読んでいるんだ?」
夕餉を運んで来た緋翠が笑いかけるとレイリが嬉しそうに振り向いた。
「てぶくろ買いに!」
そう言えば短刀達が顕現した当初は絵本で読み書きを覚えていたなと思いながら夕餉の膳を置いていく。
シュノには昼間の様に一汁三菜といった普通の食事だ。
おかずは肉じゃがに菜の花のおひたしと漬物で汁物も椛型の麸が浮いた吸物に変わっている。
ご飯も白飯ではなく炊き込みご飯できのこや筍、人参などの根菜に刻み海苔がかかって美味しそうな香りがしている。
レイリは茶碗に粥が湯気を立てていた。
シュノから見ればレイリの食事だけ質素に見えるが、昼間の事もあって何も言わない。
こんな美味そうな食事を残す方が勿体ないと思ったからだ。
「レイリ、お前はまだ身体が本調子じゃないから厨番に消化にいいものを作らせた。
吐いてもいいから少しでも多く食べろ」
レイリの背を支えながら、食べやすい様にスプーンを持ってきたのでそれで粥をよそい、ふーと息を吹きかけて冷ましながらレイリの口元に運ぶ。
「熱いから気をつけろよ」
レイリはやはり嘔吐く様な仕草を見せる。
「ゆっくりでいいからな」
緋翠が背中を撫でてやると、レイリは口の中の粥を飲み込む。
シュノは隣でソワソワしながら自分の分の食事をきちんと摂っている。
レイリの傍にいる為に食事が必要な行為だときちんと理解した様だ。
「食べれるか?」
レイリは頷いて自分でスプーンを手に取り口に運んだ。
「美味しい」
ふにゃりと笑をこぼすレイリに、緋翠は安心した様に胸を撫で下ろした。
食事が出来れば体力も付く。
まさか研究所で粗末な食事しかしていないなどと思わなかったが。
食事を楽しむという事を二人が覚えただけで、それだけで今は十分だ。
あとの楽しいことはこれから知っていけばいい。
「緋翠、後は俺がやる」
食事を綺麗に完食したシュノがレイリを支えながら優しく頭を撫でた。
レイリは時間をかけてゆっくりと粥を口に運ぶ。
嚥下障害も出ているのか時折苦しそうに噎せる。
身体に相当負担が掛かっているようで、これも全て非道な実験のせいかと思うと緋翠の腸が煮えくり返る思いだった。
「レイリ、無理しなくていいんだぞ」
「……だって、美味しいから。
研究所に居た時のご飯より、ずっと…」
病人食の様な味気ない粥ですら嬉しそうに食べるレイリに、緋翠は手をギュッと握った。
もっと早く連れ出せばよかった。
そんな思いが駆け巡る。
「緋翠……ここに連れてきてくれて、ありがとう」
ニコリと笑うレイリに、シュノはギュッとレイリを抱きしめて、緋翠はわらって2人を撫でた。
時間をかけて粥を完食したレイリを床に戻し、シュノも一緒に布団に潜る。
2人でぎゅっと抱き合いながら身を寄せ合う。
そんな2人の姿を見ながら、緋翠は決意した。
2人を傷つけた者を許しはしないと。


赤い椿が闇夜に揺れた


Sacrifice




最初に2人に出会ったのは、


雪が降る季節だった。





綺麗な長い金髪の少女がボロボロの着物で冷たく凍る様な川の水で洗濯をしていた。
「おい、なんでこんな寒いところで選択なんてしているんだ」
少女は首をかしげた。
「…何でって……何でかしら?」
キョトンとしながらこちらを見上げて笑った。
少女はまるで異国人の様な金色の髪に宝石の様な澄んだ青い瞳をしていた。
「貴女は旅の方?」
「まぁ、そんなものだ。」
「そう…私はお洗濯をしに来たの。
私は人と違うから、みんなを怖がらせてしまうから。
だからここに居るの、いつもここに居るから良かったら旅の話を聞かせて欲しいな。外の世界はどんな風なの?」
無垢に笑う彼女の手は赤く悴んでいた。
「手が悴んでるじゃないか、赤切れになる。」
「大丈夫、わたし治るのはとても早いの」
そう言って少女は洗濯を続ける。
仕方なしに緋翠は水に手を付けた。
水気を操る事など容易い緋翠は少女の手のつけている水の温度を上げた。
「あら?急に水が暖かくなったみたい…
貴女がやったの?」
少女は驚いた様に緋翠を見上げる。
無垢な少女はどこかレイアの面影があった。
少女には悪いと思ったが、霊の色を見ればレイアと同じ色と波長なのがわかる。
(レイアが生きていて、その娘か、兄弟の方か…
それにしてもよく似ている、生き写しと言ってもいい。
まさか、生まれ変わりか…?)
緋翠が黙ってるのを肯定と取ったのか、少女は目を輝かせながら緋翠に駆け寄ってきた。
「すごい!すごい!
貴方もしかして神様にお仕えする巫女様なの?」
「ちが、そんなんじゃ…」
「あの、お洗濯が終わったら私の家に来て!
シュノにも会わせてあげたいし、お礼がしたいの」
無邪気に腕に絡みつく少女は確かにシュノと言った。
「シュノ…だって?」
その名には聞き覚えがあった。
初めてシュリに会った時、シュリが時渡りの術を使い逃がしたという双子の弟。
シュリはずっと、その弟の身を案じていた。
「あら、シュノの事知っているの?
なら良かった、シュノならもう帰ってきてる筈だから」
そう言って少女は洗い物を済ませて自分が暮らしている山奥にひっそりと、隠れる様に立っているあばら家に案内した。
「ここが私達の家。」
そう言って引き戸を開けると、シュリに瓜二つの青年が傘を編んでいた。
「レイリ、あまり出歩くなといつも言って……」
「シュノ聞いて、さっき旅の巫女様に会ったの!
冷たい水を一瞬で暖かくして下さったのよ、凄いでしょう?
あなたを知っているみたいだったから連れてきたのよ」
レイリと呼ばれた少女はシュノにぎゅっと抱き着いた。
「巫女?」
シュノはいかがわしげにこちらを見てきた。
「俺の名は緋翠。
お前は、シュリの弟か?」
シュリの名を口にすれば驚いた顔でこちらを見る。
「シュリを知ってるのか!?
シュリは、今何処にいるんだ?」
シュノは必死な様子で緋翠に縋ってきた。
歳の頃合はちょうどシュリが死んだ時と同じ頃合だ。
緋翠はシュノをぎゅっと抱き締めた。
「……すまない、シュリは死んだ…
守ってやれなかった…」
「そん…な……」
ガックリ肩を落としたシュノに、レイリが微笑みかける。
「シュノ、大丈夫?
私はずっと一緒に居るからね」
無邪気なレイリの笑顔に、シュノも少し笑顔になる。
レイリの頭を撫でながら緋翠から離れた。
「……すまない、シュリを看取ってくれて感謝する。
見ての通り貧しい暮らしなんで大したもてなしも出来ないがゆっくりして行ってくれ」
「そうね、シュノのお兄様の話を聞かせてほしいな」
レイリは緋翠の手を握りながら笑いかけて来る。
レイアと同じものなのにレイアとは全く真逆。
純新無垢で天真爛漫なその少女に、いつの間にか緋翠も笑顔を浮かべていた。




レイリとシュノは幼い頃からこの山の麓にある村で孤児として育てられた。
レイリは幼い頃より不思議な力があって他人の傷や病を治癒できた事から神の御子として育てられて来た。
シュノは見た事も無い髪色と瞳から最初は恐れられたが、レイリも異国人のような容姿だった為か、すんなり受け入れられた。
しかし2人が息を呑む様な美しい成長を遂げた頃から男達がレイリを見る目を変えた。
閉鎖的な村の中で、2人は人目を引き過ぎた。
若い男が皆レイリの虜になり、女はこぞってシュノに気に入られようと仕事を放り出して金を使い込んで派手に着飾ろうとした。
これは神の神子の皮を被った悪魔だったと村中の人間が掌を返してこぞってふたりを責め立て、レイリを神の生贄にするという騒ぎになった。
それに気付いたシュノは村で乱闘騒ぎを起こし、レイリを連れ去るようにこの山に逃げてきた。
山は昼間でも薄暗く危険な獣や山賊も多い為村人は滅多な事では近寄らなかったからだ。
山での自給自足の生活は苦労も多いが自由で、二人は貧しいながらも幸せに暮らしていた。
緋翠がその話を聞いているとカリカリと戸をひっかく音がした。
二人はそれに気付いているようで、レイリは怯えたようにシュノにしがみつき、シュノがレイリを抱きしめながら扉を睨む。
「そんな事しなくてもいいぞ」
緋翠は立ち上がり、玄関の戸の前に立つと少しだけ霊力を当たりに放つ。
「去れ、二度とこの場所に来るな」
緋翠が吐き捨てる様にいい放つと、音が止み、暫くしてから何かが逃げ出して行く気配がした。
念のため戸を開けて見るが近くに居た妖の気配は全てなくなっていた。
恐らくは2人の上質な霊力に目を付けた下級の妖だろう。
今となっては霊力を持つ人間は貴重な存在だから。
どうやら2人は身を守る術はないが、霊力で無意識に境界を敷いてるらしい。
自らが開けてしまわない限りは大丈夫だろうと踏んだ緋翠は引き戸に懐から取り出した一枚のお札を張り付けた。
「それはなぁに?」
「魔除けの札だ、これでお前達が招き入れない限りはこの家に妖の類は侵入できない。」
「緋翠は何でもできるのね」
レイリは嬉しそうに近寄ってきてまじまじと御札を眺めていた。
「シュノがあれはとても怖いものだと教えてくれたけど、毎日の様にああして扉を引っ掻いていくの。
私怖くて夜になるのが怖かったけど緋翠のおかげで怖くなくなったわ、ありがとう」
レイリは並の人間より霊力の質が良く何か不思議な力を秘めている。
それをシュノが守って共生しているんだなと緋翠は感じた。
「シュノ、この札をお前にやる。
年に一度は札を張り替えろ。
あとレイリには戸を開けないように、返事をしないように厳しく言っておけ」
シュノは札を受け取り、まじまじと眺めた。
「あんたは何者だ?」
「おれはただのしがない陰陽師のはしくれさ」
そう言って頭を撫でれば、少しだけ安心した様にシュノが笑った。
「緋翠がずっとここに居てくれたらいいのに
シュノはいつも私を置いてどこかに行ってしまうの」
レイリは緋翠の隣に座り何処か寂しげに緋翠を見た。
「レイリ、緋翠を困らせるな。」
「そうね、ごめんなさい。」
食い下がる様子もなく、レイリは緋翠の隣でニコニコしている。
シュノの言う事には従順に従う様だ。
「別に俺は構わないぞ。
ずっと一緒というわけには行かないが、お前達が身を守るすべを覚えるくらいまでならな」
すると途端にレイリが花のように笑い、緋翠にぎゅっと抱き着いてくる。
心も体もまだ幼いレイリがここに1人で居るのはやはり心配で、シュリの時の様な後悔をしたくないと、抱き着いてきたレイリの頭を撫でた。
こんな子供が二人、妖や賊がうろつく山の中でひっそりと暮らすなど不用心にも程があった。
それだけ、この2人は酷い仕打ちを受けてきたのだろう。
「シュノもいいでしょ?」
「……ああ、俺は別に…
あんたがいいなら…」
シュノは複雑な様だったが、シュノ自身も初対面のはずなのに何処か懐かしいと感じている事に戸惑いを感じていた。
「緋翠と居ると安心するの。」
ぱちぱちと燃える火を眺めながらレイリは緋翠にもたれ掛かる。
「シュノとは違う安心。
へんよね、初めてあったのに…ふふっ、へんなの」
「俺は……お前に良く似た奴を知ってる。
シュリの番だった奴だ。
レイリの様な可愛らしい性格のやつじゃなかったがな、一度言い出したら聞かない我侭なやつで、シュリを誰より愛してた」
「つがい?」
「夫婦みたいなものだな、互いに深く愛し合っていた。」
「愛……
なら、私とシュノも番になれる?」
レイリは珍しく真剣な目で緋翠を見た。
「お前達は番ではなく夫婦って言うんだよ。
愛し合ってるならなれるだろ、自分の命をかけて愛する覚悟があるならな」
レイリは首をかしげて緋翠を見た後にシュノを見た。
「私は出来てるけど、シュノは?」
「そんなの言うまでもない。レイリは誰にも渡さない」
まるで立場が逆転したなと思いながら笑みを浮かべてレイリの頭を撫でる。
「なら、お前達は今日から夫婦だ。
俺が保証してやろう」
緋翠の言葉に嬉しそうに目を輝かせるレイリは小さな子供のようにはしゃいでいた。
「今日は嬉しいことばかりだわ
幸せすぎて死んでしまいそう!」
「おいおい、夫婦の誓を交わした後に死ぬ花嫁なんぞ聞いたことないぞ。」
そんな無邪気に笑いあった日々が、なくしてしまった日々と重なる。
辛いとか、寂しいとかは思わなかった。
ただ、そういう普通の幸せをあの二人にも与えてやりたかったと思うだけだった。


それから半年ほど一緒に暮らしながら生きる知恵を教え込んだ。
外敵から身を守るすべも、薬の作り方も教え、それを売って路銀を稼ぎ、レイリに花嫁衣裳がわりの綺麗な赤い着物をシュノが買ってきてレイリが嬉しくて泣き出したり、幸せな日々を過ごしている二人を見てるだけで緋翠は満たされていた。幸せだと、そう思っていた。
生活が安定すると、緋翠は出稼ぎに行くと言って半年ほど帰らなくなった。
地方を渡り歩き、薬をうっては2人に土産を買ってくる緋翠が、三度目の帰省をした頃だった。
「おかえりなさい、緋翠」
昼間から布団に横になるレイリに、何か病にでも掛かったのかと思って慌てて駆け寄ると、大きく膨れた腹を大事そうに撫でながらレイリが笑った。
「貴女に伝えたいことがあるの。
私、シュノの子供を授かったの。
もうすぐ産まれると思う…」
「子供…?そうか、お前も母親になるのか…
早いものだな、とにかくおめでとう。
元気で健康な子供が生まれるまじないをしてやろう」
するとレイリは緋翠の手を掴んで首を振った。
「それより、貴女にお願いがあるの。
私達の子供を取り上げてくれない?」
レイリはそっと緋翠の手を自分の腹に触れさせた。
命が脈打つ気配がわかる。
シュノとレイリの子供。
「俺は助産の経験なんて無いぞ?」
「あら、私だって出産の経験はないのよ
お互い初めてで一緒ね」
レイリはいつも花のように笑うだけ。
「お願い、無理を承知で頼んでるの。
私達、こんなだからお医者様にもかかれないし。
初めての出産で何をすれば良いかも判らないけど、産まれてくる子はどうしても貴女に取り上げて欲しいの。
これはシュノの願いでもあるのよ
お願いできないかしら…」
いつもふわふわとした綿毛の様な少女だったレイリは今母親になろうとしてる。
仮初とはいえ息子2人を育てていた緋翠はレイリには頼もしく見えているのだ。
「判った、お前達の子は俺が取り上げる。
だからお前は何も考えずに安静にしてろ。
臨月は母体にも負荷がかかりやすいからな。
元気な子を産んでくれ」
レイリを布団に横たえた頃にちょうどシュノが帰ってきた。
大量の椿の花を抱えて。
「緋翠、帰ってたのか。おかえり」
「ただいま、父親になるんだな。おめでとう」
緋翠が素直に賛辞を述べれば、シュノは照れたように目線を外す。
「父親なんて、俺には向いてない
でも、レイリがどうしても子供が欲しいって…」
「生まれてくる子のね、名前はもう決めてあるの」
レイリがまるで聞いてほしいと言わんばかりに緋翠を見るので、緋翠は笑ってレイリの頭を撫でた。
「聞かせてくれ」
「翠花、私達の大切な人から一文字貰って、翠花よ。
ねぇ緋翠…その人は、勝手に名前を使われて怒るかしら?」
急に不安そうな顔でレイリは緋翠を見上げる。
「そうだな…きっとこう言うだろうな。
男だったらどうするんだ?って」
するとシュノとレイリは顔を見合わせて笑った。
「大丈夫よ、きっと女のコだから
でもそうね…男の子だったら貴女が名付け親になってくれないかしら?」
「俺が?」
「お願いばかりだな、レイリ」
シュノが沢山抱えた椿の花をレイリに差し出した。
「そうね、ならお礼はこれでどうかしら?」
レイリは緋翠の髪に椿の花を1輪挿した。
「私が育てた椿なのよ
香りが強くていい油が取れるの」
緋翠は笑みを浮かべながらレイリから花を受け取った。
「ああ、十分だ。
ありがとう、大事にするよ」
嬉しそうに花を受け取った緋翠を見てシュノはレイリの肩を抱いて、レイリがそれにもたれかかるように身体を預けた。
「レイリ、大丈夫か?」
「うん、平気。
シュノは心配しすぎよ」
身重のレイリを心配するシュノを、レイリがおかしそうに笑う。
ようやく、幸せを掴んだと思った矢崎だった。



突然三人の家に幕府の役人を名乗る男が数人訪ねて来た。
異国人が隠れ住んでいると聞いてやって来たのだと。
2人は容姿こそ変わっているが日本人だと説明しても聞く耳を持たない。
挙句、レイリが身篭っている事に気が付くと、レイリを引き渡すように言ってきた。
「シュノ、レイリを連れて逃げろ
ここは俺が何とかするから」
緋翠は2人を背後に庇い、男達を睨みつけた。
もしこれが手練の武士ならその殺気が人のそれと違うことに気付いたかもしれない。
然しながらゴロツキのようなその男達は何も気付かずに緋翠に切り掛る。
緋翠はそれをひらりと交わして男に組み付いた。
「走れ!」
入口の男達を蹴散らした緋翠は叫び、シュノが反射的にレイリの手を引き走り出す。
レイリは心配そうに緋翠を見た後にシュノに手を引かれて走り出した。
せめてどこかに身を隠してくれと願いながら、目の前の誰一人逃がさないように組み付いた男の首を折り、刀を手にした。
「あの子達に触れさせ等しない」
逃げた2人を数人が追って行った。
そして緋翠の目の前には三人の男が立ちはだかったが、いずれも図体ばかりの鈍らで緋翠は醜く命乞いするそれを斬り捨てた。
あとは二人を追った奴らを排除しなければとシュノとレイリの霊力の残滓を辿っていると、どこからともなくレイリの絶叫が聞こえた。
「レイリ!?」
鬱蒼と茂る草木をかき分けながら必死になって辿っていくと、血濡れのシュノがグッタリとして倒れていた。
だいぶ深手を負っているようだが、一命は取り留めていた。
「シュノ!」
「ひ、す……レイリが……つれて……
たのむ、俺はいいから……レイリを…」
「お前を置いていけるか!」
そう言って緋翠は着物を裂いて止血し、応急手当を施すとシュノを背負ってレイリの霊力を辿っていく。
レイリは山の奥に進んでいったのかどんどん薄暗くて嫌な気配が漂う場所を進んでいた。
「くそ、霧が出てきた。」
当たりに白い霧が立ち込め、視界が悪くなる。
シュノは苦しげに息を吐く。
霧で体が冷えてるのかもしれない。
早くシュノも安全なところで手当しないといけないと早る気持ちを抑え、山道をひたすらに歩いていくと、血染めになった赤い着物が落ちていた。
「緋翠、それ、レイリの…」
朧気な意識でシュノが指を指す。
拾い上げれば微かに椿の香りがする。
「お前が持ってろ、急ぐぞ」
緋翠はシュノを抱え直し、辺りに目を凝らした。
着物が落ちていたあたりからは血のあとがつづいており、しばらく歩いた先に打ち捨てるようにレイリが横たわっていた。
「レイリ!」
シュノが背中でジタバタするので、レイリに近寄ってからシュノを下ろす。
シュノがフラフラしながらレイリを抱き起こす。
「しゅ……の」
レイリはもう虫の息で、肩や手足等に刀を突き刺されたであろう跡が残っていた。
「ひ、すい……赤ちゃんは…わたしの、あか、ちゃん……」
レイリはもう気が付くことは出来ないのだろう。
自分の腹が裂かれ、胎盤なら臍の緒が繋がれた赤子が人の形をしていない事に。
「レイリ!レイリ…」
シュノが泣きながら怜悧を抱きしめて、自分の体で赤子が見えないようにしていた。
「緋翠、赤ちゃん……たすけて
おね、がい……あの子は、私達の……宝物、だから…」
緋翠に縋るように手を伸ばし、涙を零した。
こんな悲しそうなレイリを緋翠は見た事がない。
「レイリ、お前の…お前の子は……」
ぎゅっとレイリの手を握り、シュノを見ると、蒼白になりながらも首を降る。
「……可愛い、女の子だ……」
レイリは、それを聞くと満足そうに微笑んで目を閉じた。
「レイリ…嘘だろ、目を開けろよ…
俺を、一人にしないでくれ…レイリ!
お前も翠花も亡くして、俺はどうすればいいんだよ、レイリ!レイリ!」
シュノがレイリを抱きしめながら悲痛な声で泣き叫んだ。

「ああ、また俺は守れなかった」

レイリは優しい子だから、きっと俺を許すだろうけど、俺は自分を許せそうにないよ…
緋翠はぐちゃぐちゃになった赤子を抱き上げた。
かろうじて、女の子だったのが判るくらいで、殆ど肉塊と言ってよかった。
「シュノ、帰ろう。
お前の傷に障るし、こんな寒いところにいつまでもレイリを置いておくのは可愛そうだ」
シュノは頷いて怜悧を抱き上げた。
中身が出てしまったレイリの体は軽かった。



レイリと産まれることが出来なかった翠花は火葬して緋翠が綺麗な箱に遺骨をいれてくれた。
シュノはそれを大事に抱えながら緋翠と宛の無い旅に出たが、1年後に病で息を引き取った。
緋翠はシュノ達が住んでいた家に戻ってきた。
家は焼き払われたのか焼け跡だけが残っていた。
あたりを歩いているとレイリが育てていたと言っていた椿が群生していた。
レイリが居なくなっても、椿は美しく咲いていた。
緋翠は遺骨を椿の花の根本に埋めた。

「レイリ、シュノ、これでずっと一緒だな。
向こうで家族仲良く暮らしてくれ、さようなら」


if〜眞紅の蝶




シュノ…シュノ……
君を見つけてから君が欲しくて堪らない。
目の色以外はあの子と同じ。
だから、欲しい
あの子は僕のそばに居るべきなんだ。
「ああ、はやく僕の所においで
大丈夫、今度は大切に可愛がってあげるから」
愛しくて堪らないたいせつなあの子の忘れ形見。
あの子を迎えに行くまで、僕がちゃんと可愛がってあげるから。




「シュノ、どうかした?
なんだか最近ぼんやりしてるね?」
レイリが心配そうにこちらを覗き込む。
審神者になったレイリはあの頃とは見違える位強くなった。
色々な事を乗り越えて精神的にも少し成長したのだが、如何せん二人で居る時は幼いレイリのままだ。
それが愛しいと思う。
「ああ、悪い。
少しぼーっとしてただけだ」
「疲れてる?少し休む?」
そう言って文机から少し離れ、頭が入りそうなスペースを確保すると太股を叩いた。
膝枕してくれるらしい。
レイリの体は男の身体とは思えない程軟らかいから寝心地もいい。
膝枕をして髪を撫でられながら擽ったくレイリを見上げればにこりと微笑むレイリと目が合う。
幸せだと思う。
俺はレイリを深く愛してるしレイリと一緒に生きていられるだけで幸せだ。
レイリはもう明日が来ることに怯える夜を過ごさなくていいし俺もレイリが怯えておかしくなっていくところを見なくていい。
「シュノ、そんなにじろじろ見られたら恥ずかしいよ」
「お前の可愛い顔をじっくり見たくて」
そう言うとレイリはぐっと顔を近づけた。
「なら僕もシュノの綺麗な顔じっくり見たい」
そう言って頬に触れるだけのキスを落とす。
目が合って、笑う。
幸せだった。




悪夢が迫ってくる
呼ばれる、とても優しく、とても強く
「シュノ」
その声についていくとどうなるんだろうか
レイリとは、二度と会えなくなるのだろうか
そう思いながらも、歩みを止めることが出来ない。
「レイリ」
「レイリじゃないよ、ぼくは、レイアだ」
声が目の前でしたと思った瞬間、今自分が何をしているのか判らなくなった。
これは、夢だから…
夢から覚めるには、レイリを殺さないと……
幾度も首を絞めてもがき苦しむレイリを殺してきた。
白い首筋に刻まれた締め跡が蝶々みたいで頭にこびりつく。
「あ……が、なん、で……しゅ、の…」
潰れた声で苦しげにレイリは俺の手を引っ掻く。
「何で、今日は抵抗するんだ?
いつもは簡単に死ぬだろ?」
「なに、いって……かは…」
ジタバタとレイリが暴れる。
そして泣きながら俺を呼ぶ。
「うぐ…しゅ、の……」
レイリはもがきながら何かに必死に手を伸ばす。
おかしい、今日の夢は随分長い。
嫌な感覚にはやく済まそうとレイリの首に力を込めると、突然襖が大きな音を立てて倒れ、巨大な黒猫が俺の体に体当りしてきた。
黒猫はよろけた俺からレイリの身体を口にくわえると庭に飛び出して行った。
そして、大声で鳴きながら何かを知らせているようで、山姥切と三日月が最初に駆けつけた。
山姥切はレイリをリンから受け取り、呼びかけている。
なんなんだ、今日は随分登場人物が多いな
レイリはまだ微かに意識があるのか、グッタリしながら何かを言っている。
「シュノが?どうして…」
「どけ、切国。それは殺さなきゃいけない
それを殺さないといつまでも夢から冷めないんだ」
「…なん、だと?」
「お主、魅入られておるな。
どうしてそうなったか判らぬがお主にとって主はその程度の存在なのか?」
訳が分からない、これは夢だ。
夢から覚めるにはレイリを殺さないといけないんだ。
俺だってこんなことしたくない、だけど、これは、夢だから…
俺の手には何故か一振りの刀が握られていた。
その刀からはなにか強い力を感じる。
決して良くない力だ。
『レイリを殺せ、じゃないとお前は夢から覚めれない』
「レイリを、殺す?
レイリを…レイリ……」
頭に響く声に逆らうことが出来ない。
声が、刀が、レイリを殺せと激しくまくし立てる。
うるさくて、うるさくて、あたまがおかしくなりそうだ
殺せ殺せとまくし立てる声に負け、俺は刀を振り上げた。


そして、鼓膜を裂くようなレイリの絶叫を聴いた。


それから何が起きたのかよく覚えてない。
ただ、目の前にいた山姥切がレイリを抱き締めるように俺の邪魔をするから、首が落ちてしまった。
お前を殺す気なんてなかったんだ、ごめんな。
でもこれは夢だから、大丈夫。
山姥切は真っ黒に染まり、炭のような焦げた匂いを発しながら粉々に砕け、レイリが狂った様に泣き叫んでる。
今日のレイリは本当にレイリみたいだ。
「怜悧、動くな」
吐き捨てる様に言えばレイリは急に金縛りにあったように動かなくなった。
涙を浮かべ、蒼白な顔で、俺を見上げる。
「やめろ、そんな風に、俺を見るな!!!」
一閃の銀がレイリの身体を裂いた。
首筋カラ腹にかけて真っ赤な花が咲いたように鮮血が飛び散り、レイリの中から霊力が無数の真っ赤な蝶々になって勢いよく飛び出して行く。
「あ……-がは…」
レイリは目を見開いたまま、倒れた。
ひゅーひゅーとか細い息をしながらレイリは必死に手を伸ばす。
「……しゅ……か……いで……」
肺がやられているのか、口から漏れる息の合間に微かに何か音が混ざる。
ああ、可哀想に。
苦しいだろう、もういいから
苦しそうなお前を見るのは俺も辛いから
早く死んでくれ
そうしたら俺は、夢から覚めて、お前を抱きしめて、それで、それで………


「なんで、さめないんだよ……」


真っ赤に染まったレイリはもうその目に光を宿していなかった。
レイリが放出した霊力で本丸の結界が敗れた。
本丸の中では刀剣たちがぐったりと意識を失っている。
「れい、り……まさか…お前、レイリ、なのか?」
レイリは俺の言葉に何も反応を示さない。

「ああ、やっとここに来れた」

ふわりと抱きしめられて、耳元で優しく褒める様な声がした。
「シュノ…ようやく会えた。」
目には眼帯をした、いつも夢でみるレイリがそこにいた。
「あー、だいぶ放出しちゃったね。
でもまぁ暫くすればどうせ元に戻るでしょう」
それは意識のないレイリを足で転がした。
「シュノ!会いたかった、ずっとお前を探してたんだ
ようやく見つけた、さあ帰ろう」
無邪気に笑うそのレイリは俺の手をぎゅっと握る。
「……おれ、は…れいり……を」
「ふふ、必要ないから自分で斬り捨てたんだろ?
僕がそばに居てやるから、こんな代用品もう要らないよね?
ああ、でもこれは僕の餌だから一緒に連れていってあげるよ」
よしよしと頭を撫でられ、きつく抱きしめられる。
「おまえは、れいりじゃない、おれは、おれは…レイリは…」
「……レイリレイリ煩いね。
レイリはお前が殺したんだろ、その手に持ってるのは何さ?」
そう言って俺の手に握られた血濡れの刀を指さした。
「……おれ、が……れいりを?
だってあれはゆめでゆめはれいりをころさないとさめないからだからおれはれいりをころしてしかたなくおれだってこんなことしたくないのにおれはれいりをああいしてるのにあいして、あいして……あい、して……あい……あ…い」
わからないもうわからない
何が本当で何が嘘かわからない
「シュノ、大丈夫。
僕がお前を守るから、僕と一緒においで?」
差し出されたその手を取る以外、俺には選択肢は残されていなかった。
「いい子だね、僕が大切に可愛がってあげるよ…シュリ」
そう言われて意識が保てなくてもたれ掛かるように倒れ込んだ。
「おかえり」
眠りに落ちる前に聞こえたのは真っ赤な瞳のレイリの嬉しそうな声だった。




やっと手に入れたシュノは僕の腕の中で眠っている。
シュリにそっくりで可愛いけど、やっぱりシュリの代わりにはならない。
でもシュリが心配しないように、ちゃんと大切に愛してあげる。
だからもう何も心配しなくていいよ。
「お前は僕が守るよ
シュリを殺したヤツらから、絶対に。
だからシュリが還ってくるまで、いい子にしてるんだよ?」
腕の中のシュノは小さな子供のように僕にしがみついたまま、闇に身を任せていた。
「新しい玩具に構うのもいいですが、あれはどうしますか?」
ルーシェスがシュノが大事にしてた壊れた玩具を投げてよこした。
「取り敢えず死なない様に何かに繋いどいて
逃げ出す様なら手足は要らないから切ってもいいよ。
頭さえついてれば動くでしょ」
血塗れで小汚いその玩具は濁った目で何処かを朧気に見つめてる。
壊す手間が省けて良かったけど、こんなに簡単に壊れるならシュノを壊す前にこっちから壊せばよかった。
「足枷はこれでなくなっただろ?
あとは母さんだけだね。
みんなでシュリを取り戻すんだからね」
真っ赤な月を眺めながら、久し振りに気分が良くなった。

「早く会いたいよ…シュリ」



僕はずっと君だけを待ってるんだから




永久花






大人達が小さな身体を検査用の椅子に座らせて固定する。
長年の投薬実験でレイリの霊力は膨れ上がり、身体にも影響を及ぼしていた。
レイリは最早自力で立ち上がることも出来ず、研究員に抱き上げられてあっさり連れて行かれた。
そんなレイリは裸に剥かれ椅子に固定されると脳波や心電図を調べるための装置を次々とレイリの身体に付けていく。
霊力の計測器は何度やっても壊してしまう為か諦めたらしいが、機械に繋がれたレイリの体は不健康な程に痩せ細り、ふっくらとした頬は痩けていた。
準備が完了すると運ばれてきたローチェストにトレーが置かれ、数種類の薬と注射器が置かれている。
それを一つずつレイリに投薬し、人体に影響がないかを確認する。
その度にレイリは身体を痙攣させ、吐瀉物を撒き散らす。
それでもレイリは死ななかった。
体内の異物は霊力で浄化してしまう為、レイリはただ苦しんで、暫くしたらまた投薬される。
全て投薬される頃にはレイリは色んな汚物に塗れてグッタリしている。
そんなレイリの小さな身体に研究員はバケツで水を掛けて汚物を流し、さっと拭いて検査着を着せると12歳にしては軽すぎる身体を抱いてベットに横たえた。
「レイリ!」
シュノがぎゅっとレイリを抱き締める。
折れてしまいそうなレイリを抱いて頭を優しく撫でる。
「あ…う…」
焦点の合わない目で見上げるレイリはシュノを見つけると涙を零した。
「しに、たい……もういや。
シュノ、ころして、おねがい、らくに…」
掠れたレイリの声がうわごとの様にそれを繰り返す。
「しにたい、しにたい、しにたい」
レイリの枯れ木みたいな細い腕がそっとシュノの頬に触れた。
「シュノ…」
その手を握り、シュノはレイリを横たえてそっと首元に手を当てた。
毎日毎日酷い実験の被検体にされて、部屋に戻っても幻覚を見て悲鳴をあげたり、ずっと吐き続けたり、高熱を出して魘されたり。
そんなレイリが可愛そうで、死ぬことで苦痛が無くなるのならそれもいいかと思っていた。
だがいざ手に力を込めると、頭をチラつく嫌な記憶。
悪夢に魘され、レイリを何度殺した事か。
それを思い出すと怖くて堪らなくなった。
そしてレイリの居ない世界でどうやって一人で生きればいいのか。
「できない、レイリごめん、俺には、無理だ」
レイリは虚ろな目でシュノを見上げ、にこりと笑った。
「しゅの、ごめんね…いまのは、わすれて」
レイリはそのまま死んだ様に眠った。
微かに上下する薄い胸がまだ生きているとシュノを安心させた。


レイリの悲鳴で目を覚ました。
真夜中の薄暗い部屋でレイリは怯えた様に人形を抱き締めている。
「大丈夫かレイリ?」
「シュノ…」
蒼白な顔でレイリはシュノに抱きついてきた。
もう、限界だと思った。
シュノはレイリを抱きしめたまま横になると、優しく頭を撫でた。
「明日は緋翠が来る日だろ?
明日は何もされないから」
レイリは最早虚ろな表情のまま、シュノにしがみつくだけしか出来なかった。
朝方、レイリは高熱を出した。
苦しそうに息をしながらシュノの手を離すまいと弱々しく握り返すレイリは虚ろな目で、あきっぱなしの口の端から唾液が零れている。
シュノはもう手遅れかもしれないと考えたくなる様な状態のレイリを前に扉が開くのを今かと待っていた。
「レイリ、シュノ、久方振りだな」
いつもの様に緋翠が部屋に入ってきてすぐに異常に気が付いた。
「…どうした、何かあったか?」
ベットに腰掛け、今にも泣きそうなシュノを抱き寄せ、死人のようなレイリの頭を撫でた。
「っ、レイリが…レイリが死にたいって…
変な薬の実験台にされて、レイリが苦しそうで…オレは、レイリを楽にしてやれないから…
レイリを助けて…頼むから…」
泣いてすがるシュノも目を腫らし、隈がくっきり浮き出ている。
だいぶ我慢していたのだろうと緋翠はすぐに理解出来た。
「緋翠…」
レイリが虚ろな目を動かして緋翠を探している様だった。
「レイリ、俺はここに居る」
レイリの骨ばった身体を抱き起こして、腕の中に閉じ込める。
レイリはか細く呼吸しながらすがりつく様に腕を伸ばした。
幼子の様にしっかりと抱きついて、しきりに死にたい怖い死なせてと呟くレイリを緋翠は抱き締めたまま背中を撫でる。
「お前が死ぬ必要は無い、大丈夫だ俺に全部任せておけ。
明日からそんなことはしなくていい」
「……ほんと?」
レイリが、緋翠を見上げる。
「ああ、ほんとだ。約束する。
俺が約束破ったことあったか?」
「……ない」
「ならお前は寝てろ。
ああ、可哀想に身体に毒素が溜まっているんだな…
苦しかっただろ…」
そう言って緋翠がそっとレイリの腹部を撫でる様に触れた。
(浄化の力が最低限しか作用して無い。
レイリの状態を見るに霊力を無意識に生命維持に使っているのか…
それにしても酷い…身体中に毒素が溜まってる
こんな小さな子供に…)
「緋翠…」
シュノが不安そうに緋翠の着物を引いた。
「レイリは…死ぬのか?」
「死なせるものか、何があってもお前達は二人一緒じゃなきゃいけないんだ」
何度も出会った。
何度も失敗した。
何度も死なせた。
だから今度は、今度こそは何があっても守ると決めたのだから。
緋翠はレイリの頭を撫でた。
「レイリ、大丈夫だからな。
お前は何も心配しなくていい、明日になれば飯も食えるようになる。
だから今は体力を回復させるんだ、シュノは手を握ってやれ、霊力を散らしてやらないと行けないからな」
そう言って緋翠は立ち上がった。
「もう帰るのか?」
シュノが不安そうに声を上げた。
「大丈夫、水をとってくるだけだ。
レイリに飲ませないといけないからな。
すぐに戻る」
緋翠は出ていった後に小さな粉薬をコップの中に混ぜ込んだ。
無味無臭で水に混ぜても何もわからない。
これを飲めばレイリの体内に残る毒素はゆっくり解毒される。
あとはレイリの浄化能力が毒素を消してしまうだろう。
「レイリ、水飲めるか?
少しでいいから飲んでみろ、楽になる」
グッタリしたレイリの首の後ろに腕を差し込み、体を少し起こしてからコップを口元に持っていく。
「ん…」
レイリはこくこくと水を飲み干した。
多少口の端から零れたが、水を飲みきったことにシュノは驚いていた。
「もう何日も水なんて飲めなかったのに…」
レイリはずっと点滴だけで命を繋いでいた。
それでも夜中に吐き出すものなんて何も無いのに、堪えきれずに嘔吐を繰り返す。
その度にシュノはレイリを抱き上げてトイレに連れて行って収まるまで背中を摩っていた。
「レイリに溜まっていた悪いものがレイリの霊力の循環を妨げていたんだ。
それでうまく浄化の力が働かなくて体力を奪ってたんだよ。
今は悪いものを取り除いたから少しずつ身体が楽になって行くはずだ」
「レイリ、良かったな…
苦しくないか?」
レイリはちゃんと聞こえてる様で、頷いた。
今までは何を言っても反応しなかったのに。
「レイリ、もう少し水飲むか?
水は清めの力があるから悪いものを溜め込んだ時は水を沢山飲むといいぞ。
ああ、無理に飲むのも良くないから無理はしないでいいからな?」
「のむ…喉、かわいた…」
緋翠はレイリを寝かせて水を汲みに行った。
緋翠の霊力を少しだけ交ぜた冷たい水を水差しに入れて持っていく。
「シュノ、この水を飲めるだけレイリに飲ませろ。
一気にじゃなくていい、何回かに分けてなるべく多く飲ませてやるんだ
この水は温くならない」
「わかった」
「俺はちょっと用事が出来たから今日は帰る」
「ひすい…いっちゃうの…?」
レイリが不安げに声を上げた。
「大丈夫、また明日様子を見に来るから。
シュノの言うこと聞いていい子にしてろよ?
シュノも少し寝ろ、酷い顔だ。
折角の美人が台無しだぞ」
「…レイリが良くなったら寝る」
「それでいい、一緒に寝てろ。
寝て起きたら全部終わってるからな」
そう言って二人の頭を優しく撫でる。
「ひすい…」
掠れた声でレイリが緋翠を呼ぶ。
「どうした?」
そっと伸ばされた小さく細い手をギュッと握る。
ほんの少し加減を間違えれば簡単に折れてしまいそうな細い手を握り、頬を撫でてやる。
「ごめんなさい…」
そう呟くレイリが過去の姿と重なった。
「お前は何も悪くない、むしろ被害者だ。
だから、謝らなくていいんだよ」
「…ぼくは、しゅのに……ひどいことを……じぶんが、らくに……なりたくて…」
「レイリ、良いんだ。
俺は気にしてない、レイリが生きててくれればそれだけでいいんだ」
「そうだな、シュノを置いてくなんてレイリは悪い子だな。」
緋翠はレイリを撫でながら優しく宥めるように言った。
「でも、そう思ってしまう程くるしかったんだろ?辛かったんだろ?
それを我慢して偉かったな、2人ともお互いの為にこんなに頑張ったんだ。
もう大丈夫だから安心していいぞ。
全部俺がなんとかしてやるからな、絶対だ。」
そう言って緋翠はレイリの小指に自分の指を絡める。
「指切りだ。
ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのます。指切った」
そう言うとレイリはにこりと笑った。
「シュノ、レイリを頼むな。
食事もすぐにできるようになるから少しずつ食べさせてやってくれ。
飯が食えるようになればすぐにもとにもどるから」
「緋翠!」
緋翠が出ていこうとすると今度はシュノが腰のあたりにぎゅっとしがみついてきた。
「レイリを助けてくれて……ありがと」
顔を埋めながら小さな声でお礼を言うシュノの頭を撫でる。
「お前達は俺の子だ、何かあればすぐに言え、お前達のためなら俺の全を賭して必ず何とかしてやるから」
シュノは頷いてレイリの元に戻っていった。
レイリはすやすやと寝息を立てて眠っている。
いつもの様な死人の様ではなく、生きている感じがした。
「レイリ、ずっといっしょだ」
シュノはベットに潜ってレイリの身体を抱き締めた。
「シュノ…ずっと…いっしょ…」
レイリが寝言を呟くと、シュノは眠るレイリの額に口付けを落として目を閉じた。


悪夢の先




誰かが呼ぶ声がする。


「シュノ…」


聞きなれない、でもどこか懐かしい声。


「いいか、お前だけでも逃げろ、幸せになるんだ」
「やだ、―――もいっしょじゃなきゃ!」
「……シュノ、大好きだ。ごめんな」


優しく頭を撫でられて意識がぐにゃりと歪んだ。
目の前に居る誰かに必死に手を伸ばす。
なのに、目の前の人物は顔が見えなくて、でも悲しそうに涙を流しているのと、誰かの背後から複数の人が誰かを捕らえようとしているのが見える。
「1人だけか?」
「双子だったはず、もう一人はどこに」
「まさか、術を使ったのか?
早く追え、逃がすな、絶対にだ!」



はっとして目が覚め、ベットから飛び起きる。
全身グッショリ汗をかいて居て、息が切れている。
子供には広めに作られた大人用のダブルベッドの隣は空だった。
壁ピッタリに設置されたベットの壁にはレイリがお気に入りの、緋翠のお手製の黒猫の人形が立て掛けてあった。
「……レイリ?」
そして、隣で眠っていたはずのレイリが居ないことに気付いて止まったはずの冷や汗が出る。
今はまだ夜中でドアは閉まっている。
ベットから抜け出した痕跡はあるがレイリが抜け出したのは大分前の様だ。
暗いのを怖がるレイリの為に付けられたベットサイドの小さな灯がほのかに部屋を照らす。
「レイリ!レイリどこだ!」
すると、トイレからかたんと小さな音がする。
「レイリ!?」
トイレの扉を開けるとグッタリとしたレイリがトイレに頭を突っ込んでいた。
「レイリ!」
レイリの顔は真っ青で、相当吐いたような形跡があった。
「しゅの…」
レイリは弱々しくシュノの検査着を掴んだ。
「ごめん、きもちわるくて…
しゅの、ねてたから…」
「ばか、おこしていい
だいじょうぶか?」
レイリは微かに微笑んだ。
緋翠が来る様になってから、そういってもまだ3度しか会ってないが、レイリはこうして笑うようになった。
レイリは小さくて臆病だから俺が守らないと!とシュノはレイリが初めて笑った日に決めた。
緋翠はそんなシュノを笑って褒め、レイリと自分の身を守る手段を教えてくれた。
そして一番大切なのは、レイリを残して死なない事だと。
こんな小さなレイリを残して死ぬなんて出来るわけがなかった。
投薬実験のせいでレイリは食事もまともに喉を通らず、食べても吐き出してしまう。
死なない様に注射を打たれたり点滴をされたりとレイリの精神を削っていく。
「しゅ、の…」
トイレから出て、レイリを支える様にベットまで歩いて行き、ベットに登る。
レイリは自分の隣にぬいぐるみを寝かせ、シュノにしがみついた。
「こわいよ…」
「レイリ、だいじょうぶだ
あしたはひすいがくるひだろ?」
ぎゅっと抱き締める。
「ん、しゅの…」
レイリが愚図るようにシュノの胸に顔を埋めた。
小さな身体をきつく離さないように抱き締めながら、目を閉じた。



とぷん、と落ちていく。
深く、深く、身体が沈んでいく。
真っ暗な闇の中。
沈む身体が抗う気持ちすらも飲み込んでいく。
不思議と苦しさは無い。
どこまでも落ちていく。
「シュノ…」
耳の奥底に残るレイリが自分を呼ぶ声。
泣いてるのか?
どうした、何か、怖いことをされたのか…
行かなきゃ、レイリが泣いてる。
「俺が、レイリを守らないと…」
シュノが守らなければ、誰もレイリを守ってくれない。
小さな身体でレイリは傷付いていく。


『でも、お前は誰が助けるの?』


ふと、耳の奥でまた声がした。
レイリの声に似てるけど、レイリよりも冷たい声。
「俺はいいんだ、レイリが居ればそれでいい」
『嘘つき、お前は幸せになれって言われただろ』
「そんな、こと…だれにも、言われて無い」
『可哀想、可哀想な―――。
お前の幸せを願ってお前を逃がしたのに。』
「えっ…?」
『―――、大丈夫、僕がシュノを見つけたよ
―――の代わりに守るから』
優しい声が響くと当たりは真っ白な部屋に変わる。
そこには真っ赤な着物を着たレイリがニコニコ笑っていた。
ただ、レイリと違うのは片方の瞳を隠す様に眼帯をしていた。
『シュノ…』
レイリに近寄ってぎゅっと抱き締める。
いつもと何も変わらない、レイリだ。
レイリはシュノの首に腕回してしっかり抱きつくと耳元に顔を寄せてきた。

『 ひ と ご ろ し 』

レイリはハッキリとした声でそう囁いた。
シュノが引き剥がそうとすると狂った様にけたけたと笑いながらしがみついてくる。
必死に抵抗してレイリを引き剥がそうともがくうちにシュノは体制を崩してレイリを巻き込んで転んだ。
その際にレイリを下敷きにしてしまった。
グッタリするレイリは狂った様に声を上げて笑っていた。
「やめろ、やめろ!!」
その声を聞きたくなくて、レイリの細い首に力を込めた。
ぎりぎりとレイリの細い首が締まる。
でもレイリは壊れた人形みたいに笑い続ける。
それが煩くて、気持悪くて、レイリの首を力を込めて絞める。
「うるさい!だまれ!だまれっ!」
レイリは唇の端から唾液が零し、ぐるんと白目を剥いて静かになった。
「あっ……れい、り…?」
蒼白になったシュノがレイリを抱き起こす。
なんども揺さぶりながらレイリを呼ぶと、急に腕の中のレイリが笑い始めた。
「あーあ、いっかいしんじゃった」
するとレイリの身体が急に起き上がる。
「レイリ?」
レイリはゴキっと首を戻してシュノに向き直った。
「お前はぼくのものだ、いいね?」
「おまえはだれだ?レイリじゃない!」
「レイリじゃない?じゃあレイリってなんだ!お前が知っているレイリは本当にレイリか?」
レイリは耳まで裂けたような口を歪ませてにんまりと笑う。
「レイリは、レイリだ!
おれの、たいせつな…そう、たいせつ…」
そう思いながらも、目の前のレイリがレイリでないかは判らない。
「シュノ、僕がお前を愛してあげる。
だからお前も僕だけを見るんだよ」
そう言うとシュノをぎゅっと抱き締めた。
「お前を逃がさない」


はっと目を覚ますと緋翠とレイリが自分を覗き込んでいた。
そのレイリが先ほどの眼帯をしたレイリと重なった。
「やめろぉぉぉぉぉ!くるな、くるなぁぁぁ!」
怖くなって、頭がグルグルして、訳も分からず布団の中に潜り込んだ。
「ひとごろし にがさない」
頭の奥でその単語が響いてグルグルする。
布団を被ってずっと震えていた。
あのレイリはレイリじゃない何かだ。
「シュノ、俺だ…判るか、緋翠だ
ここに怖いものはいない、俺とレイリしかいない。
何かいるなら俺がやっつけてやるから」
緋翠の声に混乱していた頭がスッキリし始める。
暫く啜り泣いた後に、恐怖と混乱でグチャグチャになったシュノは目の前にいた緋翠の胸に飛び込んだ。
暖かな温もりと緋翠の匂いがシュノを安心させる様にぎゅっと抱きしめられた。
「よしよし、もう大丈夫だぞ
もう何も怖くないからな、俺が守ってやる」
頭を撫でられて、不安から泣きじゃくる事を止められなかった。
どんなに気丈に振舞ってもまだたったの10歳。
我慢できる範囲などとうに超えていた。
レイリは心配そうに二人を見ているだけで、でも先程の様な嫌な感じはしないし、眼帯も付けてない。
だからうまく仲直りして、レイリを一生守ると誓った。
緋翠にはひた隠しにしているレイリの身体に残る虐待の跡。
レイリはここではモルモット。
人間でもない、化物でもない、中途半端なレイリは最高の実験器具。
「レイリは、おれがまもるから」
手を離したあの人。
守りたかったし、大切だった忘れてしまった人。
シュノはレイリを抱きしめながら小さな身体を優しく撫でた。
幸せになって…と悲しそうに言った声。
シュノは知っていた。
幸せになるためにレイリが必要だということに。
「レイリ…」

抱き締めたレイリの体は、どこか冷たかった

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