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おめがばーす?

あつく、あつい、体内でうごめく熱が身を焦がし、焼け付く息が呻きとなって漏れて出る。
突然の不調に気付いたのは作戦開始の直前。
部隊長のリンドウと極秘任務でウロボロスの討伐に来ていた。
地面を這うように動くその巨体を目にした瞬間、時が止まった気がする。
指示があるより先に飛び出して神機を構え、その巨体を支える脚のような触手を噛み千切った。
その瞬間に感じた昂揚は、捕食者としての本能で。
神機に請われるままに脚を、巨体をむさぼり食う。
邪魔者を排除しようと振り払われる触手を飛び退って回避し、続けざまの残撃も身を捻って寸でで避けた。
頭にあったのはもっと満たされたいという欲求と、猛烈な飢餓感。
喰わなければバラバラに引き裂かれてしまいそうな意思をかき集め、ひたすらに神機を身体を奮い続け。

「国永ッ!そこまでだ、もう良い!!」

リンドウの声に、あれだけ煩かったウロボロスの暴声が止んでいることが不思議だった。
我に返った瞬間に気付いたのは、カラカラに渇いた喉と肩でする呼吸。
そして、手に持った神機が貪る残骸が目に入った。

「……リ、ンドウ? これ、は……」
「お前……覚えて? いや、今は良い。とにかく、コアは奪取した。お疲れさん」

労うように頭を叩かれ、肌が触れ合った際の熱に意識が飛びそうな程の激痛を感じる。
思わず振り払って頭を押さえれば、常にはない国永の様子にリンドウが困惑した。
肩を掴むために伸ばされた手を避け、首を振って大事ないことを伝える。
そうでなければ、今すぐに彼を引き裂いてしまいたい衝動に駆られたからだ。
本来は任務が終了次第格納しなければならない神機に縋るように身体を預ける。
他のゴッドイーターと違い、国永は特殊なケースなのだと医師からは言われていた。
国永の弟、鶴丸もまた違ったケースであり、二人はカウンセリングが必要だった。
けれど鶴丸はそれを異常に恐がり、国永が治療を受ける事にも好い顔はしない。
不思議な事に、国永は神機との同調率がずば抜けて高いのだと言う。
実際、神機を持っている時の国永は感覚も優れ身体能力も跳ね上がる。
だから少しの不調は隠してきたのだけれど、今回ばかりは神機に縋っても良くなる見通しは付かなかった。

「は、はぁ……」

少しでも身体の熱を吐き出そうと、震える喉で何度も呼吸を繰り返した。
けれど、熱のせいか本能のせいか、上手く回らない頭で思うのは一つだけ。
欲しい、欲しい、熱が、身体が、心がただそれだけで埋め尽くされる。
くらり、と回る視界の中で他人事のように倒れるな、と思った。
ふいに目の前に差し出されたのは小さな手。

「ここでたおれたら、きえてしまう」
「……?」
「きみはまだ、きえたくないんだろう?」

霞む目線を上げた先にいたのは、真っ白な子供の姿。
見覚えがあるそれに、どうしてここにいるのかと不思議に思うより心を占めたのは、ただ、会いたかったという安堵で。

「きみのこころ、わけてもらうぜ。なに、ほんのひとかけら。きみがわすれてしまったこころだけさ」

何を言っているのかは分からなかったけれど、涙が出るほど安心する。
琥珀色の瞳が細く笑みを描いて、おやすみ、と形を取ったところで意識は黒く塗りつぶされた。



眠っていたはずの意識を覚醒させたのは、小さな悲鳴と甘い花の香りだった。
周囲を見回せば覚えのある部屋で、最後の記憶が戦場だった事を鑑みるにリンドウが連れて帰ってくれたようだ。
ベッドの上で熱い身体を持て余し、甘い香りの出所を目で探す。
不意に、襟足だけを長く伸ばした白い跳ねっ毛の頭が見え、

「つる……?」
「くににぃ!? 起きたのか!?」

ぼんやりと鈍い頭のまま、彼の名前を思い浮かべれば反応があった。
振り返った瞳は潤んでいて、もしかしたら泣いていたのかも知れない。
鶴丸は優しいから。
目を瞬きながら様子を見ていたら、照れ隠しのように微笑みを浮かべて皮を剥いた果物を小皿に近寄ってくる。

「くにに、熱があるんだって。……無茶、したんだろ?」

悲しそうに目を伏せる鶴丸の様子に、何かを言わなければいけないと思うのに。
紅い筋の入った白い指先から、うっとりする程の甘い好い香りが漂ってきて。
何も言わない俺に鶴丸が眉を潜めて顔を近付けるけれど、細くて白いその指にそっと手を絡めて口を寄せた。
ああ、やっぱり。
これだけ甘くて好い匂いがするのだから、きっと美味しいと思った通りの蜜の味。
ちゅ、ちゅく……ちゅぷ、指を口に含んで紅い痕に舌を絡める。
可哀想に、きっと果物の皮を剥いている時に誤って手を切ってしまったんだろう。
傷口にバイ菌が入ったら困るから、消毒を、早く血を止めるため。
なんて、頭の片隅で言い訳をするけれど。

「ぁ、んっ……くにに、それ、だめ……」

ちゅうちゅう、ぺろぺろと舌先で舐める度に鶴丸が頬を赤らめて肩を跳ねさせた。
俺はと言うと、そんな鶴丸の様子にも気付かずに指の形に添うように舌を動かして甘さに酔いしれる。
くらくらする甘さは渇いた身体に心地よくて、もっともっと味わいたいと欲が出た。
口の端から唾液が出るのも構わずにちゅうう、と指に吸い付き、唇で挟みこんで転がす。
くすぐったいのか身体が跳ねる度に指も動き、上顎を擦って甘い痺れが背筋を這う。

「んっ、ん、は、はぁ……ちゅ、ぷ……ぁ、む、ちゅ……はぁ……」
「く、にに……なんか、へん……?」
「んぅ……ふぁ……ちゅ、ん……つ、る……おいひ……もっと……」

口から指を引き抜こうと動かす度に唇に、舌に擦れてびくびくと身体が跳ねた。
はぁ、と熱い吐息が漏れて、とろりと蕩けた瞳で鶴丸を見る。
ごくり、と赤い顔で唾を飲み込む様子が見え、ちゅぽん、と俺の口から唾液を絡めた指が引き抜かれた。
急に咥えるモノが無くなった口寂しさに、目尻が熱くなってじわりと涙が浮かぶ気配がする。
赤かった顔を青くさせて驚いた顔をする鶴丸に、けれど上手く言葉が出てこなくて頬を両手で挟み込んだ。
俺の熱が少しでも伝われば良いのに、と思って。
欲しくて欲しくて、熱が欲しくて、目の前の鶴丸が欲しくて仕方ない切羽詰まった俺の心が伝われば、と。
いつもは惜しまない言葉が少しも出てこない辛さに、再び目尻が熱くなって視界が歪む。

「つる、つるまる……つる、つる……」

バカみたいに一つ覚えに弟の名前を口に、両手で挟んだ頬を引き寄せて顔を近付けた。
最初は一瞬、触れ合うだけ。
唇と唇が触れ合った感触が、微かに伝わる熱がもどかしいほどに気持ち良くて。
舌を伸ばして鶴丸の唇を舐める。
触れた瞬間、びくりと大袈裟なほど身体全体を跳ねさせた鶴丸が目を見開いた。
舌で舐めて濡らして、唇で唇を食んで挟み込む。
ちゅぷ、ちゅ、と、先程指先を舐めていたより控えめな濡れた音が間近で響く。
されるがままだった鶴丸も、次第に遠慮がちに唇を押し付けて熱を与えてくれる。
気持ち好い。
誰かと触れ合う事がいつからか痛みを、苦痛を伴うようになってからは、そんなこと思ってもみなかった。
もっと触れ合いたくて、熱を感じたくて唇を食んで舌を絡め合う。
うっとりと目を蕩けさせる鶴丸の目には、信じられないほど蕩けて甘い顔をする俺が映っていた。

「ん、ちゅ……ちゅぷ、ふ……ぁ……くに、に……」
「ふぁ、ん、ちゅ……ちゅう、ちゅく、れろ……んむ……」

鶴丸が何かを言おうと口を開いたけれど、その間すら惜しくて唇を追う。
一心不乱に舌を絡めようとする俺の手を鶴丸が引き離した。
それが酷く恐ろしい事に思えて、離したくないと手を握りこんで指を絡める。
繋がった指が手の甲を優しく撫でて宥めてくるのに安心して、微笑みが漏れた。

「くにに……その、良いの……?」

おずおずと確認するように口にした言葉に、意味が分からなくて首を傾げる。
何が良いんだろうか、と。
好いというなら、気持ちが好い。
けれど渇いた身体を満たすにはまだ足りなくて、もっともっと、奥まで満たして欲しいと思う。
だから熱に促されるままに、

「つる……も、ほしい……つる、つる……! ほしい、ちょうだい、もっと、ちょうだい」

意味も理解せずに口にした。
一瞬、泣きそうに酷く顔を歪めた鶴丸はそれでも微笑んで。

「良いよ、俺は国兄の花だから……。いっぱい召し上がれ?」
「つる……つる、つるっ!つる……」

バカみたいに一つ覚えに俺は鶴丸の名前だけを口にして安堵と嬉しさに笑った。
他の誰でも無い、唯一の人に受け入れて貰えた事が嬉しくて。
頭を撫でられて、安心感にうっとりと眼を細めると同時に肩が跳ねる。
ほう、と漏れ出た吐息と共に肩から余計な力が抜けるのが感じられた。
二度、三度と俺の顔色を窺いながらなぞられる手に、むずがゆさを感じてぴくぴくと身体が動く。
もっと明確に触って欲しくて鶴丸の顔を覗き見れば、緊張にか硬い顔をしていた。
いわゆる恋人繋ぎという結び方をした手を握り返し、頬に唇を寄せてキスをする。
再び合わさった唇から舌が歯列をなぞり、上顎をくすぐるように口内を犯す。
ちゅ、ちゅぷ、ちゅく、と室内に響く淫らな音に脳内まで犯されるような気分になり、酷く興奮した。
口の端から飲み下せなかった唾液が垂れる事すら快感で、むずがゆい感覚が背筋を走る。

「……くにに、えっちぃ……」

唇を離した合間に囁かれ、耳朶を震わせる吐息に背を震わせた。
ぎゅうっと鶴丸の服をシワが刻まれるほど握り締めて衝動を押し殺す。
お腹の奥がきゅうきゅうと疼く感覚に、目を白黒とさせて驚いた。
いつもより感覚が鋭いとは思っていたけれど、吐息にすら感じる身体を持て余す。
目尻に浮かんだ涙がぱたり、と一筋垂れた。
篭もった熱がぐるぐると身体を駆け巡るのに、行き場を無くして解消出来ない事が辛い。
鶴丸の胸に頭を押し付けてぐりぐりと擦り付ければ、頭を撫でていた優しい手が離された。
ぼんやりとその手の行方を目で追っていたら、はだけた服の間からツンと立って主張する胸の突起へと伸ばされて、

「――あッ!!?あ、はぁ、あん、つ、るぅ……!!」

きゅ、と遠慮気味に指で挟まれただけなのに、腰が浮くほどの刺激を感じ取る。
かりかりと先端を引っ掻かれ、潰されてびくびくと身体が跳ねた。
鼻に掛かったような変な声が出るのを、歯を食いしばって声を殺そうとするのに、鶴丸がその度に刺激を送ってくる。
悶える身体を、楽になりたい一心でよじるけれど、胸を反る形になってもっと触ってと言わんばかり。
背筋に甘い痺れが走る度、腰もがくがくと震えて鶴丸の腰に擦りつけるように動いてしまう。
はだけた服を引き千切るように鶴丸が脱がせ、弄る乳首とは反対側に顔を近付けた。

「は――ッ!! ぁ、ひぃいっ!?い、ぃいいっんん、は、あぁ……!?」
「ちゅ、ちゅぶ……ん、む、ちゅ……はぁ……ぁむ……」

もはや声を殺すことも出来ずに舌で乳首を転がされ、歯で軽く咬まれて訳が分からなくなってくる。
ただ確実なのは気持ちが好いという事だけで、下半身がずしりと重くなっていて欲を吐き出したい一心で鶴丸の身体に擦りつけた。
more...!

ショクヨウ。

ずっとずっと憧れだった。
優しくて明るくて、人の中心に居る事が多いけれど、決して俺を置いて行かない俺だけの大切な兄。
両親と引き替えに手に入れた宝物。
その兄を守りたくて、必死だった。
いつだって国兄は俺の前を歩いていて、俺が傷付くことがないようにしてくれる。
けど、その影で国兄が傷付いている事くらい、どれだけ本人が隠しても知っていた。
だから今度は俺が守るんだって、後を追って軍警に入った。
そこで手に入れたものはほんの少しの自信と、コネ。
軍のエリートでもある三条宗近さんは、俺でも分かるほど国兄に興味を持っていて。
取らないで欲しい。
けれど、国兄が安全なところへ行けるなら、連れて行って欲しい。
相反する思いを口にする事は無かったけれど、後悔した。
国兄を地獄に突き落としたのは、紛れもなく俺だから。


ゴッドイーターの適性試験を受けたあの日。
俺は先に試験を受けて合格を言い渡された。
残る検査の待ち時間を、後に控えている兄の試験を見せて貰える事になったのだ。
今にして思えば、きっと彼らは俺を人目に付かない場所で待機させたかったんだと思う。
けれど何も知らなかった俺は、腕輪を付ける時の痛みに耐えれば良い簡単なものだと分かって安心していた。
試験を実地する訓練場を上から見渡せる個室に案内されて、部屋へ入ってきた国兄に呑気に手を振って。
アナウンスに従って国兄が台座に着いたところで、急ぎ足で白衣の人がやって来た。
俺を見て、

「見付けたぞ、ショクヨウだ!」
「では、やはり彼が?」
「はい、シックザール支部長。間違いありません、血液検査や遺伝子検査、どちらも陽性となりました」

興奮気味に話す彼が、その熱が怖かった。
腕を掴まれてどこかへ連れて行かれそうになって、思わず窓の外に向けた目は、確かに蜜色の瞳を捉える。
すぐに腕を引かれて、

「逆らうな、こちらへ来い!」

強く言われた言葉に、行きたくないのに足が動く。
どうして、なんでと思う間もなくどこかへ連れて行かれそうになって、ダガンッと鈍い音と煙が出た。
強い衝撃に吹き飛ばされて見たものは、窓の外にへばりつくアラガミ。
目の前には、赤い果実が砕けたように変わり果てた人の死骸。
それを目にした時、脳裏に過ぎったのはクローゼットから見た光景。
うるさい警報。
人の叫び声。
父さんが怖い顔でコートを俺に掛けた。
母さんが何かを言いながらクローゼットに俺を押し込む。
何かを壊す音。
地面が揺れる。
微かに開いた隙間。
父さんと母さんを、引き裂いた爪。
真っ赤に染まった視界。
その中でも分かる、赤い、光り。
鉄臭い匂い。
それと、微かに甘い香り。
赤い海。
母さんだったものの首。
父さんだったものの手首。
ごりごりと何かを噛む音。
ぐるぐると何かの唸り声。
全部全部、混ざって砕けて震えて広がって息が、息が出来なくなって。
俺は、震える身体を小さく丸めて父さんのコートの隙間から見てた。

「いやあああああああああッ!!!!」

気が付けば喉が震えて叫んでいた。
頭を抱えて、目がアラガミに釘付けになっていて。
怖いはずのそれは、優しい目をしていた。
それと同時に、優しい声を思い出す。

『おれ、たぶん……くになが。きみの……にいちゃん、だ』

どうして今、それを思い出したのか。
多分、そのアラガミが蜜色の目をしていたから。
俺を手荒く掴んでどこかへ連れて行こうとした人から、解放してくれたから。
そうして――

「……くににぃ?」

ほとんど無意識の問いかけに、それは答えた。
バサッと黒い羽根が抜け落ちるように剥がれ落ちて、その中に居た人の姿を現す。
窓にへばり着いていたのは、多分剥がれ落ちた何かのお陰。
高い高い場所から、受け身も取れずに地に落ちる。
慌てた声で何かを指示する人間の声を聞きながら、俺は床にぺたりと座り込んでしまった。
だって、あれは国兄だった。
大丈夫だよって、笑って言う時と同じ優しい目で俺を見てた。
そこからはショック状態でよく覚えていない。
けれど、検査の為と言われて一杯色んな薬を使われた。
そして決まって皆が言うのだ。

「ショクヨウは家畜」
「人と同列に生きようと思うな」
「お前は我々に飼育されるのだ」
「貴重な検体だから殺しはしない」
「お前が居るから」
「お前のせいで」
「家畜風情が」
「ショクヨウはアラガミを引き寄せる」
「疫病神」

「ごめん、なさい……おれ、が……いたから……」

どんなに辛くても、自傷行為を禁止されればそれに従わざるを得ない。
どんなに嫌でも、『検査』を拒む事は許されない。
どれだけ嫌ったとしても、『人間の命令』には逆らえない。
それは、自分がショクヨウという人の形をした家畜だと思い知らせるには、十分だった。
国兄のような人になりたいと憧れた。
実際は、人とは言えないナニカだった。
嫌がっても拒否しても、最終的には逆らえない。
それでも最大の譲歩として、国兄と一緒に居ることは許可が出た。
普段は同じゴッドイーターとしての働きを求められる。
代わりに、国兄が『治療』のためにしている事は『国兄に必要な行為』だとして黙秘を誓わされた。
適合率の高さ故にアラガミ化が懸念される国兄を、人為的に管理・監督するのだと。
薬を使い、催眠を使い、白痴状態の国兄に行われる刷り込み。
人に逆らわず、人を襲わず、人に従うようにするプログラム。
いつの頃からか、その中に他人に抱かれる事が含まれるようになった。
俺はショクヨウの蜜を搾取する為。
国兄は人の遺伝子を効率的に取り込む為。
そんな名目で行われるようになったそれは、俺への仕置きの意味も含まれていた。

「あん、ぃいっ!んんッ、は、あ、ぁあ、ひぃッ!」

普段はストイックで、むしろ中性的な所の多い国兄が見知らぬ研究員に抱かれて喘ぐ。
気持ち好いとかよく分からない、そう言っていた口で気持ち好い、もっととねだり笑みを浮かべる。
そんな国兄を見たくないと思うのに、刷り込みの為だと使われたのは俺の声。
俺と国兄の、誓いの言葉。
汚された事が悲しいと思うのに、涙も涸れ果てて出てこない。
俺が、家族を欲しがったことが間違いだった。
俺が、あの人を欲しがったことが誤りだった。
それでも離れる事を何よりも恐怖する限り、地獄は終わらない。
あの人を地獄に突き落とし続けるのは、俺だから。

適正。

ピッ ピッ ピッ ピッ



耳障りな音が聞こえる。
一定のリズムで鳴らされるそれは嫌に耳について離れず、不安を煽った。
止めて欲しくて手で払おうにも、指先の感覚が鈍くて怪しい。
何故、そんな事になっているのか。
目で見て確認しようにも、目蓋が重くて開かない。
どこかで小さな子供の泣き声が聞こえた気がして、泣かないで欲しいと言いたいのに口すら自由に開けない。
いや、あれは、聞き覚えのある泣き声だ。
ずっと隣で聞いていた、笑顔を見せて欲しいと願っていた。
あれは、この声は――



「国兄ってば!」
「え? ああ、鶴か……どうしたんだい?」

汚れた年代物の黒コートを肩に羽織った弟の呼び声に、首を傾げて振り返った。
不揃いの白い髪をところどころ跳ねさせてふくれっ面をする所は、小さな頃から変わっていない。
鶴丸という古風な名前は、大昔日本に居た鳥の名前が由来らしい。
生き字引と言われる爺さんの話しに聞いただけだが、白い鳥だと聞いてぴったりだと思った。

「軍警に入るって聞いた……何で俺に内緒で決めちゃうんだよ」
「だって、君に言ったら止めただろう?」
「当たり前だ! そんな危ない事……国兄にして欲しくない」

落ち込んで肩を落とす鶴丸に、苦笑を浮かべながら頭を撫でる。
危ない事と言われたが、自分たちが世話になっている孤児院はそもそも軍人を育成する為のもの。
ならば軍警、軍部警察に着くのが当然とも言えた。
もっとも、志願してなる者などそう多くは無いのも本当だ。

「鶴……このご時世だ、職があるだけマシってもんさ。それに、寮へ入る事は辞退したんだぜ」
「……けど、やっぱり相談くらいして欲しかった」
「相談、ねぇ。……確かに、君に言わなかったのは悪かった。訓練の成績が良いって先生に聞いたから、ほんの出来心だったんだ」
「うそ。国兄……俺、国兄がずっと努力してたの知ってる。軍警に入ったら、身内贔屓が出来るって先生言ってたから……」

口の軽い先生、孤児院の世話役に対して内心舌打ちが零れる。
確かに国永は努力をしていて、それは軍警に入るためだった。
軍警に入ろうと思ったのも、配給や避難誘導の際に身内贔屓が聞くと聞いたからだ。
国永に両親の記憶は無い。
小さな頃、孤児院へ入る事になったアラガミ襲撃で酷い手傷を負って記憶を無くしていたから。
そんな中で弟の鶴丸と二人、手を離さずに居られたのは奇跡としか言いようが無い。
今では明るい笑顔と人懐こい様子を見せる鶴丸だが、救助された後は数年を塞いで過ごしていたのだ。
夜には魘されて飛び起き、疲れ果てて意識を失うまで泣き叫んでいた。
日中も終始怯えた様子で父の遺品である黒コートに布団を被って人目を避け続ける。
記憶を無くした方がよほど良かった、と国永ですら思ったのだ。
国永にとって世界は鶴丸が中心であり、それで全てだった。

「国兄、そうやって俺の事ばっかり。俺、国兄の負担になってる?」
「負担だなんて、まさか! なあ鶴、俺が前向きに生きようと思えるのは君が居るからだ。君の為だと思うから、俺は生きて居られるんだ」
分かって欲しいとは言わない。
けれど、譲れない事があるのだと知って欲しかった。
涙目で肩に羽織った黒コートを握り締め、鶴丸が視線を落とす。
唇が震えて小さな言葉を漏らすのを、首を捻って聞き返した。

「俺だって! くににぃの為に生きたい、くににぃと一緒に、生きたい……」
「鶴……ごめんな? 俺のワガママを許して欲しい」
「……じゃあ、俺のワガママも許してくれる?」
上目遣いに様子を見てくる視線は、思いの外強い光りを帯びている。
その様子に首を傾げてどういう意味かと聞いたけれど、鶴丸は首を振って答えてはくれなかった。
兵役年齢に達した鶴丸が、俺の後を追うように軍警へやって来たのは数年後のことだった。



ピッ ピッ ピッ ピッ



初めにその姿を見たのは、軍部の中でもエリートと言える彼が極東支部へ来日した事がきっかけだった。
ある程度の階級を持つ者、実戦経験のある者、年頃の近い者、そんな雑多な分類で呼び出されたお出迎えの式の中。
演壇に登る彼に見向きもせずに欠伸を噛み殺していた。
随分と整った美貌とよく通る優しげな声音に、とんだ優男がやって来たものだと早々に興味を無くしたからだ。
むしろ同じように並ぶ列の中、隣に立つ鶴丸の頭を横目に見ていた。

「三条宗近氏の身辺警護の為、お前達の中から……」
「なあ、くににぃ……。あの人、そんなに凄いのか?」
「さあなぁ……」

こそ、と隣から聞こえてくる囁き声に意識を集中させて上官殿の有り難いご高説とやらを聞き流す。
実際どれだけ凄い人間だろうと、一皮剥けばただの人。
軍部は昨今増えつつあるテロの鎮圧や市街地の見回りなどでてんてこ舞いだ。
アラガミを倒せる特殊な得物を持つ軍人、ゴッドイーターの補佐などで人員は常に不足している。
夜勤の見回り明けに退屈な話しなど、眠気の誘発剤でしかない。
あまり深い睡眠が得意ではない分、こうやって時間のある時に少しでも疲労を回復する事にした。
軍帽を目深に被り直し、目を閉じて話しを聞いているフリをしながら立ち寝を決め込む。
と、

「くににぃ! くににぃっ!」
「……んぁ?」
「椿国永! どうした、前へ出てこい!」

上官の怒鳴り声よりも小さな弟の声に反応し、落としていた意識を浮上させる。
顔を上げれば苛々とした様子で早く来いとジェスチャーを決めていて、何かトチったろうかと不思議に思いながら群衆の前へ出た。

「失礼しました、椿国永であります!」
「並びに椿鶴丸、前へ!」
「ハッ! ……椿鶴丸であります!」
「三条様、こちらの者達で宜しいでしょうか?」
「うむ、ご苦労」

改まった上官の様子に内心首を傾げながら顔を上げれば、遠目にも分かった美丈夫が笑んだ。
その優しそうな微笑みとは裏腹に強く射貫くような眼差しに、息を呑む。
藍色の瞳に、月が浮かんでいた。
じわり、と背筋を言いようのない感覚が走る。
ともすれば何かを叫びたいような、走り出したいような衝動に駆られて違和感に眉を潜めた。

「お前達、その髪は自前のものか?」
「……は? 失礼、意味が計りかねます」
「地毛か、と聞いている」
「……そう、です」

ちらり、とこちらを一度横目に見てから肯定する鶴丸の言葉に、美丈夫は顎に手を置いて何かを考え始める。
それと呼ばれた事と、何の意味があるのかと不思議に思い首を捻った。
むしろこれだけ人の多い場所で呼び出されては、格好の餌食になってしまう。
自分だけならまだしも鶴丸も一緒、という状況に腹立たしい物を感じ、自然美丈夫を見る目付きがきつくなった。

「……これよりお前達は俺直属の護衛官に回って貰う。お前は確か……国永、と言ったな?」
「はい、椿国永であります」
「うむ。見分けが付くよう髪を染色しろ。色はこちらで用意する」
「……それは、命令でしょうか」
「そうだな。命令だ」

口に浮かぶ笑みとは裏腹に冷たく見下す瞳を見て、腹の中まで真っ黒な奴なのだろうと密かに嘲たものだ。
もっとも、向こうも同じ意見だろうとにらみ返したのだが。



ピッ ピッ ピッ ピッ



いつの間にか落ちていた意識が浮かび上がり、視界に白い光りが見える。
眩しいと思うと同時に目の奥に痛みが走り、あまり長いことそれを見る事は出来なかった。
耳の奥ではもうずっと聞き慣れて頭痛を催す音が相変わらず続いていて、それが眠りに落ちようとするのを妨げる。
声をあげようとして喉がカラカラに渇いている事に気付いた。
そもそも、ここはどこで今は一体いつなのか。
さっきまでいやに懐かしい夢を見ていた気がする。
いや、今が夢かも知れない。
まとまらない思考は乱雑にとりとめも無い事ばかり。
さっきまで宗近や鶴丸の事を考えていたような気がする。
そうだ、鶴丸は今どこに。
思い出そうと目を閉じれば、次第に身体の感覚すらも曖昧になっていき。



ピッ ピッ ピッ ピッ



「国永? どうした、どこか痛むのか?」

呼びかけられてはっと意識を取り戻すと、目の前には瓦礫を背に俺を庇う三条宗近の顔が間近にあった。
心配そうに顔を覗き込まれ、むしろそれをするのは俺の役目だろうと表情を険しくする。

「宗近、何故俺を庇ったんだ。君は自分の役職を何だと――」
「しっ……。残党がまだ居るようだ。……お鶴に車を捕りに行かせたのは正解だったな」

もっとも、あちらも襲われている危険はあるが、と小さく呟かれて背中を冷たいものが流れた。
そうだ、事前告知していたとはいえ、こうやって軍の重役にある宗近が襲われたのだ。
ならば逃げ道を潰すために公会堂から出てくる軍人を見逃す筈も無い。
テロリスト共の浅はかな矜持とやらの為に、弟が傷付くのだけは見過ごせない。
音を出さないよう慎重に顔を巡らせれば、踏み込もうと突入の指示を出すテロリストの声と近場に転がる小銃に気付く。
今は己が庇うはずの重役、宗近が身体全体を覆うように瓦礫の下に挟まってくれたお陰で僅かな隙間から抜け出せそうだ。
俺の目線に気付いた宗近は厳しい表情で首を振る。

「それはいかん。俺は、お鶴にお前を帰すと約束した」
「……人を勝手に犠牲にしないでくれないか? 君の為に命を使うには、勿体ないんでね」

俺の命は弟の、鶴丸の為に。
ずっと昔から決めていた事。
だからこんな所で使う訳にはいかないんだ、そういう意味を込めて笑って見せる。
目を見開き、息を呑むのを気配で感じながらタイミングを計って隙間から飛び出した。
猫のようにスルリ、と音も無く抜け出して小銃を手に取る。
構えるよりも先に出入り口の扉に銃口を向けながら引き金を引いた。
トタタ、トタタ、と軽い音で人の命を奪うそれに、怖じ気づく後続達。
中へ入ってきていた数人が俺を狙うも、その時には教壇の影に回り込む。
腿に括り付けていたバトルナイフを片手に握りながら上着を脱いで、小銃を脇に抱えて固定する。
上着を放ると同時に反対側に回って飛び出した。
囮に釣られた奴らの銃口が上着へ向かっている間、姿勢を低く公会堂の椅子の影を伝って侵入者へ肉薄する。
床すれすれまで姿勢を落としてしまえば、その分速度は遅くなるが狙うのは困難。
小銃で近い奴の足を撃ち抜き、通り過ぎ様にナイフで首を掻ききっていった。

「宗近、もう良いぜ!」

声を掛けながら扉の横について威嚇射撃を加えれば、瓦礫の下から顔を覗かせた宗近が近くへやってくる。
相手の人数や武装は定かではないが、浮き足だった雑魚を狩るのは造作も無い。

「手慣れているな」
「いいや、これが初めてさ」

実際に人の命を獲るのは初めてだった。
けれど、そこに思ったような衝撃も恐れも、迷いも無い。
彼らと自分の一体何が違ったのか、考えるのもバカらしい。
思想や覚悟は彼らの方が上手だったのだろうが、結局は物欲の違いだろう。
鶴の為にしか死ねない、それしか俺にはなかったのだから。

「……強いな、お前は」
「なに、そうでなくっちゃ君の護衛は務まらん」
「そうか。……では、我々は秘密の抜け穴から逃げ出そう」
「抜け穴?」
「うむ。こういう事もあろうかと、この公会堂は教壇の下に抜け道があるのだ」

しれっとした顔でこっちだ、と案内する宗近の涼しい声に、そういう事は早く言えと怒りたい気持ちで一杯だった。
鶴丸は上手く車まで行けたが、そこから抜け道の出口まで移動するよう言われていたらしい。
最初から、宗近はテロリストの動きを読んで行動をしていたのだ。
俺が思ったより戦えたのはむしろ僥倖だった、と後に語られた。
その時に一発殴ってしまったが、俺は悪くないと言っておく。



ピッ ピッ ピッ ピッ



いい加減、耳障りなこの音に我慢がならなくなってきた。
意識を揺さぶり、たたき起こしては眠りに誘うように一定のリズム、一定の音で続くそれ。
どうしてこんな音を聞くような状況になったのか、うっすらと開くようになった目蓋に力を込め、視線を巡らせる。
そうして、自分の腕に見慣れない腕輪がある事に気付いた。
気付いて、全てを思い出した――。
ぺらり、と送られてきた書式に目を通す。
ゴッドイーターの適性値 合格 ひいては○○日に極東支部にて適性試験が行われます。
それだけを書いた紙に、ふーん、とそれだけの反応をする。
同じ書式を見ていた鶴丸は嬉しそうに微笑み、

「国兄、やった! 俺、ゴッドイーターになれるって!」
「試験に合格すれば、だろう? けど、良かったな、おめでとう!」

嬉しい、嬉しい、と抱き着いてくる鶴丸に抱き締め返す。
ふわふわの跳ね毛に襟足の長い白い髪。
その襟足に指を絡めて頭を撫でる。
繊毛に顔を付けて息を吸うと、ふわりと甘い匂いが鼻先を掠めた。
いつ頃からか気付いた弟の独特の香りに酔いしれる。
この子の笑顔を守る為ならば、命すら容易に差し出せる。
そう。
だから、適性試験の会場だと連れて行かれた先。
フェンリルのアナグラで傷だらけの訓練場と思わしき部屋で、こちらを見下ろしてくる支部長と研究者、その隣に鶴丸の姿を見た時に。
嫌がるあの子の手を引いて何かを強要しようとするあの研究者。
怯えた様子で、俺に縋るような目を一瞬向けた鶴丸の姿が。
研究者が何かを口にした瞬間、驚いたように身体を強張らせた鶴丸が抗いきれずに連れて行かれそうになり。
我知らず、握り締めた神機との接続を認識した瞬間に。
視界が弾けて白く塗りつぶされた。
ソレと同時、どこまでも広がる感覚に万能感を覚えて。
異様な興奮感と気の赴くまま、気が付けば訓練場の壁に鉤爪で張り付いて神機を強化ガラス越しに叩き付けていた。
運悪く、その神機の先に居たのは鶴丸を連れ去ろうとした研究者で。
真っ赤な花を散らして潰れた果肉を見せるそいつに、笑みがこぼれた。
神機を手放したせいで元に戻った手先では、壁に張り付くことすら出来ず。
かなりの距離を下に向かって落ちていく。
その時に絡んだ支部長の視線は、熱を孕んだ禍々しい光りを称えていた。
気付けば白いベッドの上。
横には心拍数でも計っているのか、一定のリズムをたたき出す騒音装置。
手足はベッドに拘束されていて、動けないのも頷けた。
今の時間は時計も外部の光りもない状態では知る事も出来ず。
随分長い間眠っていた気がする。
利き腕には見慣れない、けれどよく知る腕輪が付けられていた。
ゴッドイーターと呼ばれる彼らは、神機を使う為に腕輪の装着が義務づけられている。
えらく頑丈そうな作りのそれは、適性検査の合格を意味していた。

「くににぃッ!!」

ぼんやりとしていたら扉の入り口から愛しい子供の声が聞こえる。
動かない身体で目線を向ければ、いつもは笑顔の咲き誇る顔をしわくちゃに涙で赤く腫れさせた鶴丸が。

「つる……ど、して、泣いて、?」
「ばかばかばかッ、くににぃのばか!あ、あんな無茶……どうして……」

渇いて喉に張り付く声は届かなかったようで、錯乱気味の鶴丸がベッドに突っ込んでくる所だった。
どうして、と言われても。

「だって……つる、いやがってた……ろ?」

理由なんてそれだけで十分だ。
ああけれど、怖がらせてしまったかも知れない。
先に試験を受けていた鶴丸も、見れば腕輪を付けていて合格したのだと知れた。
なら、掛ける言葉は決まっている。

「つる……ご、かく……おめで、と……」
「っ……く、にに……」

余計に泣かれてしまって、今の状態では抱き締めてやる事も出来ずに困ってしまった。
と、更に扉の開く音が聞こえて白衣の男性が入ってくるのが見える。
俺の目が開いている事と鶴丸が居る事に驚いてから、すぐに拘束具を外してくれた。
ようやく自由になった力の入らない手で、鶴丸の頭を撫でてやる。
感極まった鶴丸は、今度は安堵のせいで更に泣いてしまって、苦笑が漏れた。

「君達は本当に仲の良い兄弟だな。私は、オオグルマダイゴ。君の主治医だ」
「……しゅ、じ?」
「おめでとう、適正試験は無事合格だ。だが試験中の"事故"により負傷した為、今暫くの療養が必要となる」
「……じこ」

あれを、事故と呼んで良いのか。
いや、お偉方が事故と片付けたのなら、あれはそういう事なのだろう。
頭を抱えるように鶴丸が抱き着いてきて、いつも通りの甘い香りに安堵の息が出た。
少し緊張していたのかも知れない。

「今はゆっくり身体を休めなさい」

そう言われ、頷く代わりに目を閉じた。
今度の眠りは、それまでの息苦しいものと違って穏やかだった。

ネガイゴトひとつだけ

 


きっと、俺は永遠に


逃れることはできないけれど

この手を断ち切れば

大切な、最愛の兄だけは救えるはずなのに

それでも、どうしても、この手を離すことができない





夜遅く、任務で遅くなった俺が部屋に戻ると国兄がベットでうたたねをしていた。
俺を待っていてくれている間に眠くなったらしい。
普段は俺の事を気使っていろいろと手回しをしてくれていることは何となく知っていた。
疲れているんだろう。そう思っても、心配になってしまって兄の寝顔を覗き込む。
すうすうと小さな寝息を立ててベットに散りばめられた桜色の髪に指先で触れてみる。
「ただいま、国兄」
眠った国兄をなるべく起こさない様に布団をかけようとすると、国兄の瞳がゆっくりと開かれる。
「ん…つる?おかえり。ごめん、寝てたみたいだ」
俺の姿を確認すると、寝転がったまま手だけを伸ばして抱きしめられた。
「今日は怪我はないかい?任務はどうだった?」
「怪我はしてないよ、任務は…」
そう聞かれて、どう返答したらいいか少しだけ戸惑った。




「つる、わざわざ来てもらって済まぬな」
任務帰りにそのままちか兄に呼び出しを食らい、護衛任務を引き受けた。
「ううん、大丈夫だぜ。ちゃんと国兄の許可ももらってるし。
っていうかちか兄も大変だな」
ちか兄は軍の偉い人。
小さい頃に好きだった相手に似てるらしく俺達兄弟を何かと目にかけて指名をしてくれるのはありがたかった。
ただ、俺はこの人が少し苦手だった。
嫌いではない、好きじゃないわけでもない。
ただ、この人の国兄を見る優しいまなざしと、欲にまみれたまなざしがまじりあった何とも言えない視線が耐えられない。

俺の罪を見透かされている様で、怖い。

この人も、俺から国兄を奪っていくのだろうか。
あの人たちの様に…。
俺の意思を奪って、国兄の意思を奪って…

「つる?どうかしたか?」
考え事をしていたら突然ちか兄の顔が目の前にあった。
「え!?ご、ごめん、ちょっとぼーっとしてた…」
神機をきつく握り、指定されたオウガテイルの集団を駆除していく。
数は多いが一人でさばけない数でもなし、当然すぐに討伐任務は完了した。
「ご苦労だったな、けがはないか?」
「…ないよ、大丈夫。
小さな擦り傷を隠すように背後に回し、ヴァリアントサイズをどさりと置いた。
「やはり、どこか怪我をしているのか?先ほどから様子がおかしいが…」
「何でもないって!ほんと、大丈夫!」
「我慢をするな、見せてみろ」
ちか兄は珍しくとがめるような強い口調で俺に言った。
「ひっ!」
びくっと体が震えて、嫌なのに、逆らえない。
隠していた傷からはじくじくと血があふれ出てきている。
「やはり怪我をしておったか。
命じる様な言い方をして悪かった、驚かせたか?
だが、国永に鶴を借り受けるときは怪我一つさせないようにと言われていてな」
ちか兄が俺の手を取ってそっと唇を傷口に近付けてぺろりと舐める。
「ヒッ、あ!」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
ちか兄の手を思わず振り払ってしまい、呼吸が速くなる。
いやだ、もういやだ、これ以上俺を、国兄を苦しめないでほしいのに。
「…すまなかった、驚かせたか?」
ちか兄は少し困ったように微笑んで頭を撫でてくれた。
「…ご、ごめん、その…突然だからびっくりして…」
「そうだな、国永にも俺の偶像を鶴に重ねるなと怒られたばかりだった。すまなかった、忘れてくれ。もうしない」
「……国兄が…?ちか兄にそんな事…?」
俺達が護衛任務に当たる間、かしこまらなくてもいいと言われてはいたが、そんなに簡単にちか兄に意見を言うような関係だったのだろうか…。
「ちか兄は……その…国兄と…」
知りたい気持ちと知りたくない気持ち、両方がせめぎあい言葉にならない。
「うん?」
「え、と……国兄と仲いいよなって…」
「仲がいいかどうかは判らんが、鶴は大切な存在だから傷一つ付けずに返すように言われていてな」
「そんな、これはちか兄が悪いんじゃなくて俺が…」
そう言いかけて、俺はふと、この人の方が自分より国兄を幸せにしてくれるんじゃないかと思えた。
軍のお偉いさんらしいから、あの地獄の様な世界から国兄を救い出してくれるんじゃないだろうか。
そう考えると、一気に恐ろしくなってきた。
この人は、国兄を連れて行ってしまう気がして。
「ち、かに…あの…」
国兄を頼む、国兄を連れて行かないで…
どちらの言葉も出てこなくて、ぽろぽろと涙があふれてきた。
国兄は俺のたった一人の家族で、大切な心のよりどころ。
でも、俺が居るせいで国兄がどんな酷い地獄に居るのかを、俺は知っている。
当の本人でさえ知らない、淫蕩と欲望の世界に身を置いているということを。
「くにには、おれの、たった一人の家族で…
俺は、くににが居ないと、息が、できなくて、怖くて…」
ああ、俺はどこまで卑怯な人間なんだろう。
自分をか弱く見せれば、相手が同乗してくれるのではないかと…
そんな淡い期待を寄せてしまう。
「お願いだから、おれから、国兄を取らないで…」
もう、耐えられない。
これ以上は耐えられない。
大好きな兄が、俺の為にすべてを捧げてくれた兄が、汚い欲に咽び泣く姿を見るのは、気が狂いそうだった。
俺が国兄と本当の、血のつながった兄弟だったら、こんなことを悩む必要のなかったんだろうか?
ちか兄は静かに俺を見据えた。
「…悪いが、それを決めるのは国永出会って俺ではない。
そればかりは、俺も気軽に返答することはできぬ」
そして、ちか兄から発せられた言葉は俺の思惑とは全く違った言葉だった。
「国永を地位や権力で手に入れようとなどは考えておらぬ。
だが、国永に思いを寄せる権利は誰にでもある。
それはお鶴、お前にも咎める権利はない。
そしてそれがかなうかどうかも、国永の心次第ということだ」


頭が、グラグラした。
体が宙に浮いているような浮遊感と共に、耳の奥がキーンとうるさい。
心臓が早鐘の様にドクドクドクドクと音をたてる。
冷や汗が止まらない。
蛇に睨まれた蛙とはまさしく今の俺の事だろう。
圧倒的強者を目の前にした家畜は所詮淘汰される存在。


「ところでお鶴よ…お前、先ほどから何やら甘いにおいがするが…
菓子でも隠し持っているのか?」


ビクリと体がはねた。
冷や汗と共に涙がこぼれて、俺はちか兄を見上げることすらできなかった。
圧倒的強者。人間。
それだけで俺は、俺の身体は…
「あはは、え、っと…ちょこ?さっきもらったのが入ってて…
それの匂いかな?」
「そうか、それなら良いが…。
ああ、目的地にたどり着いたようだ。
護衛任務ご苦労だった。報酬はいつもの通りに手配してある」
「……え?あ、ああ…。
その、変なこと言ってごめんな?ちょっと、最近仲良くしていたGEが亡くなって…ちょっと凹んでたっていうか…。
任務に支障きたすなんてまだまだだな!じゃあ俺はこのまま帰るから」
これ以上この空間に居られなかった。
だから逃げようとして愛想笑いを浮かべてちか兄に背を向けた。
「また何かあったら声かけてくれ、じゃあ!」
逃げる様にその場を後にした俺は本部に任務終了の報告をしてからシャワー室で血も汗も涙も、全部洗い流した。
ごしごしと体中をこすって、甘い匂いが消える様に、皮膚がはがれるかと思う程強くこすった。
「いや、いやだ…もういや。」
あふれ出る涙は止まることを知らない。
両親も、国兄も、俺にかかわったせいで命を落としたり、もてあそばれたりしている。


「それでも、国兄がすき…大好き…どうしようもない位あいしてる」


国兄は俺のたった一人の家族で、憧れで、希望だから。
希望に縋らないと生きていけない。
綺麗なお月さまに、太陽を隠されてしまわない様に、”願う事”しかできない。
差し出せと言われたら、差し出すしかなくて、国兄はそれを俺が口にすれば自分がどんなに嫌な事でも受け入れてしまうから。






「国兄が心配するようなことは何もなかったよ?
それより俺疲れちゃった。ぎゅーってして?」
国兄を心配させない様に笑顔で国兄に抱き着いて、すりすりと頬を寄せれば国兄は眠そうな瞳を細めて優しく、あやすように俺を抱きしめた。
「ああ、俺も鶴が居なくて寂しかったよ」
そういってぎゅっと抱きしめられて、優しく頭を撫でられる。
ごめんなさい、心の中でそう謝りながら俺は瞳を閉じて、考えるのをやめて意識も閉じた。
今はただ、つかの間の小さな幸せを噛み締めて居たかった。


ヒトではない俺を、弟と言ってくれた貴方が幸せになるなら、すべてを差し出せるよ言えるような強さが欲しいと願って。


でも。本当は知っている。
願いをかなえてくれる神様はどこにも存在しないんだと。

 

 

罪と罰

 


この心を捧げるのは
神様がくれた貴方だけ。

でもこの声は
貴方を縛り付けるだけの鎖にしかならないのなら…

いっそ、いっそのこと…全部…

 

「つる、どうしたんだい?」
軽く揺さぶられて目を覚ますとそこは真っ暗な部屋に窓から月明かりが漏れていた。
その月明りを受け、誰かが自分の顔を覗き込んでいる。
恐怖に、身体がすくんで声が出せなかった。
「つーる?大丈夫、怖くないよ」
「…ぁ、に…ぃ…」
かすれるような音が喉の奥から漏れていく。
時々、あの時の夢を見る。
両親が悲鳴を上げながら肉塊へと変わっていく光景。
耳をふさぎたいのに、眼をふさぎたいのに。
身動きすることもできず、吐き出す吐息と心音に気が付かれないか必死に祈ったあの時の事。
そして、払った代償の代わりに得たのは、何も知らないこの少年を「家族」にすること。
彼にも家族は居るはずなのに、その家族から彼を奪ってしまった。
それでも、まだ幼かった自分にはこの人がどうしても必要だった。
「ゆっくり深呼吸して?すーはーって、できる?」
国兄はいつも真夜中になって「発作」を起こす俺を宥める為にこうして眠りに就くまでそばに居て手を握ってくれる。
「ぁ、う…は、はぁっ、はあ…すぅ……はぁ…」
途切れ途切れに吐息を漏らせば、ぎゅっと抱きしめられて頭を優しくなでられる。
「そう、いいこいいこ。
ゆっくり、少しづつ長く繰り返して?
大丈夫、兄ちゃんがここに居るからな、ずっと鶴のそばに居る」
俺の一番大事な、命よりも大切な、生きる為の希望。
この人が居れば、俺は生きていける。


この人を縛り付けてでも、俺はこの人と一緒に生きて居たかった。

 

――――何も知らないで、生きるのは本当に幸福と言える?

 

やめて、だって仕方がなかった…

 

――――他人の未来を奪っておいて、自分は生にしがみ付くの?


いや、いや、聞きたくない!


――――両親を殺して、次はその子を殺すの?

 

「違うッ!!!違う違う違う!!!あああ、ああああ――――ッ!!!!」

突然に狂ったように叫び声をあげてベットをのたうち回る。
国兄が驚いた表情をして、必死に俺を抑えようとする。
やがて騒ぎを聞きつけた大人が駆けつけて、暫くして注射器を誰かが持ってきた。
「いや、いやッ!!!助けて!おとうさん、おかあさん!!!」
暴れる俺を大人が二人係で抑え込んで、隣で必死に国兄が俺の手を握って、大丈夫だよって声をかけていて…
ちくっと何処かが痛んだと思うと視界がぐるんと反転して……

「ごめんなさい…おにいちゃん…」

そのまま意識が途切れた。
次に目を覚ましたのは穏やかな朝で、国兄が心配そうに顔を覗き込んでいて…
孤児院の人も俺の境遇を知っているので酷く叱られることは無かった。


俺は人の死の上に生きている。
そんな俺を本当に心の底から弟だと思い込んで、大切に接してくれる。
俺の、たった一つの宝物。

「つる、どうした?」

いつも、迷惑ばかりかけているのに国兄は笑って俺を心配したり慰めたりしてくれる。
俺が明るく居られないならその分自分が明るくして鶴を元気にさせてやるって、そんな気遣いができる兄が自慢で、憧れだった。
孤児院から、軍の組織に入ってゴットイーターに成る為の適性試験を受けさせられた時も、国兄はずっと俺と一緒に居てくれた。
「俺は鶴を置いていかないし、鶴を独りぼっちにもさせない」
そういってぎゅっと抱きしめられて、この人を守りたい、幸せにしたいと強く思った。
俺が人生を狂わせてしまったから、だからせめて俺の手で、この人だけは幸せにしないといけないと…。
この何もかもが荒んだ世界の中で、ただ一つ見つけた小さな幸せ。
それを誰にも汚させないと誓った。

それなのに…


「ひッ…あ、ああんっ!!」
いやだ、いやだ、こんなことしたくない、だれか、だれかたすけて
「ああっ、や、め…ひぃぃっ!」
見たくない、聞きたくない、嫌なのに、何で、こんなこと…。
目の前で大好きな兄が男達に足を開いて咽び泣いている。
普段は絶対にそんな表情を見せない兄が、恍惚としながら男たちの欲望を一身に受けて悦んでいる。
正気じゃない、もちろん正気じゃなかった。
だって、そうさせたのは俺だから。

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

涙を流す権利もない。
俺は国兄からすべてを奪った。
全てを奪って、奪い尽くして…
それでも俺は逆らえない。
大切なのに、かくしておきたいのに、それを暴かれる。
暴かれて、奪われて…

「お前のせいで、国永は不幸になる」

ああ、そうだ。
俺のせいで国兄はこんなことになっている。
俺が、おれが……


俺がヒトじゃないせいで…


「おねが、いします…いうこと、ちゃんと、ききます。
だから、だから、国兄に、これ以上、酷いことしないで…」
卑怯者の俺は涙を流す。
そうしてこれ以上差し出せるものがないのだと、それを示すために。
「お前は家畜だ。人と同列に生きようなどと考えるな。
お前は我々に飼育されている。
貴重な検体だから飼育してやっているということを忘れるなよ」
「…はい、忘れません」
首に嵌められた黒い真鍮製の首輪から伸びる鎖を引かれ、俺はバランスを崩して倒れこむ。
男たちが兄を開放して去っていくと、国兄が可愛そうなほど精液まみれにされてその場に崩れ落ちた。
「国兄ッ!!」
国兄は虚ろな表情で俺を見上げるとにこりと微笑んでから気を失った。
目が覚めれば、今の出来事は何一つ覚えていない。
「ごめんなさい…ごめんなさい国兄…」
意識のない国兄を抱き上げて、俺は涙を流す事しかできない。
大切な、誰にも渡したくない唯一の人。
でも、俺はその隣に並ぶ資格すらない。
なぜなら、この関係すらも既に偽りの物だから…。
全てを知った国兄が、俺の元から離れるのが怖くてずっと言えなかったこと。
俺を利用して、国兄を操って好き勝手していること。
全部俺は知っていて国兄は何一つ知らない事。

ああ、かみさま。
どうしてあの時、俺のこの人を与えたんですか。
俺という鎖に縛られなければ、この人にはもっと違う幸せな人生があったはずなのに。

「ごめんなさい…」
謝罪の言葉を口にするのは、自分の罪悪感を少しでも薄める為。
何も知らない兄は、明日になればいつも通り優しい笑顔で俺を抱きしめてくれる。
たまに甘えた声で俺をねだってくれる。


堕落した家畜を、弟と呼んでくれるこの兄だけは
俺の全てを賭しても、必ず救い出して見せるから…

 

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