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二人で創作・版権小説を書き綴ってます。
それはいつも突然に来る。
「おやおやー? 今日は随分とご機嫌では無いか、息災じゃのうお前様」
カカカッと哄笑を上げて、歯を剥いた笑みを浮かべて、魔女は言った。
長くたおやかなドレスは魔女の歩みに沿って末広がり、ふわりと緩んで花を咲かせる。
肩から掛けられた白衣だけが異様な存在感を示しているのに、それが魔女らしくもあった。
「のうエヴァちゃん、魔憑きとは何かを知って居るか? 否、魔憑きは災厄でありそもそれ自体が悪というのは共通の認識なのじゃがな。共通の事実と言っても良いのじゃが。
そもそも魔憑きがどうやって生まれるのか、知って居るかお前様?」
獣の嗤いを浮かべる魔女は首を捻り、吊られるように傾げている。
目の前の少女にその姿が見えないと知っていて、魔女はしかし変わらずに嗤い掛けた。
相手が見ていようと見ていまいと、そんな事に意味はないのだろう。
少女は相も変わらず、魔女と会う為に個室の真ん中に設えた豪奢な椅子に座らされ、首には枷を付けられていた。
「……私が知るわけ無いだろう」
「そうじゃなそうじゃな。じゃからこそ浅学非才なエヴァちゃんに、無学悲惨なお前様に学を教えねばと思いやって来た訳じゃ。
何せ生まれた時に親からここへ寄越されたエヴァちゃんは、ここでの生活しか知らんからの。
育ての親と言える儂がお前様に教えねば、育児放棄と言われてしまうわ。ネグレクトと言われてしまうわ」
「戯れ言を……」
「ほう、その言葉はどこで覚えたのじゃ? なかなかに良い使い所じゃな。
しかし儂はなお前様、お前様に魔憑きが何なのかを教えに来たというのは本気じゃよ。
本気も本気、マジというやつじゃよ」
今時じゃろう?とクフクフ含み嗤いをする魔女に、エヴァンジルはどう反応して良いのか判らない。
そもそも、今時というものを少女は知らないのだから。
ただ気に障る嗤いをしてくる魔女を布越しに見る事さえ厭うて、少女は顔を背けた。
「おやおやー? 随分ご機嫌な反応じゃのう。まあ良いわ。
魔憑きとはの、人には有らざる能力を持つモノの事じゃ。異能持ちというやつじゃの。
お前様の洗脳の魔眼のように、別のモノは魅了する声、怪力を誇る異形の手、などが居る。
人間が生きうる上で必要の無い筈の有害を身に宿し、生きながら害悪を振りまく者。それが魔憑きじゃ」
魔女がケヒケヒと嗤う。
小首を傾げ、身体を傾げ。
ふわりと揺れるドレスの余韻は穏和な女性らしさを醸し出すのに、獣の様に嗤う魔女にそれらしさは認められない。
まともな神経の持ち主ならば目を逸らすであろう不躾さも、けれど少女は普通を知らない故に忌避する気持ちがどこから来るものなのかが判らない。
それが魔女の言う所の、異能さからくる気持ちなのかが判らない。
「普通の人間では発狂してしまう様な状態すら何喰わぬ顔で過ごし、卓越した身体能力を見せ。
極めつけは回復力とでも言うべきかの。自己修復能力に富んで居る。事故修復能力すら兼ね備えて居る」
「……フツウはそうじゃないとでも言うのか」
「そうじゃよ。親に捨てられたと聞けば泣き、このような暗い場所に拘束されれば怯え、許しを請う。
逃げも隠れもせぬ様な、挑み掛かるような精神はしておらなんだ。死という甘美な誘惑からは逃れ得ぬものじゃ。
だのに、エヴァちゃんは。お前様は母が死んでも平穏無事に生まれ出で、ここにこうして今も在る。
お前様等は逃げず媚びず、自由を望む。平穏を望む。そこにあるのは不変じゃ」
酷くつまらなそうな声で、残念がるような声音で魔女は嗤う。
ニヤニヤと獣の様な笑みを浮かべて。
上から見下げて魔女は嗤った。
「母殺しの汚名を負ってまで生きて居る。じゃから儂は、お前様はバケモノだと言うのじゃよ」
ふわりふわりと身体を揺らしスカートの裾を翻し、踊るように魔女は嗤った。
ある時、ノエルは一人の少年を知り合いから預かった。
知り合いが言うには少年は将来きっとこの世界を救う柱になる、というもの。
それをノエルは鼻で笑った。
この世界を救うには、こいつの肩は細すぎるし身体は小さすぎるのだと。
そうして暗い眼をする少年を、ノエルは引き取ったのだ。
それが彼と少年の最初の出会いだった。
冬、少年は白い息を両手に吐きかけて温めながら、横目で己が支持する大人を横目で見た。
彼は背の長い椅子に腰掛けて不機嫌そうに紫煙を薫らせている。
「……レイリ」
「は、はい!」
「寒いなら火ぃ付けろ。あとポットに湯だ。紅茶が飲みてぇ」
つまりそれは、レイリに茶汲みをしろという合図で、レイリは一瞬戸惑いながらもその言葉に従った。
本当ならばレイリが彼に対して茶汲みを要求しても良い立場なのだが、育ての親という事もありレイリは遠慮気味だ。
ましてや少年には、今の肩書きに対する自信がない。
「先生、お茶です」
「ああ」
要求した割りにはカップに手を伸ばす様子もなく、眼鏡の奧の鋭い瞳は書類の文字を追っている。
本当はレイリが処理すべき仕事であった。
けれど少年にはまだ経験が少なく、どのように采配したものかが分からない。
結果、先達の意見を聞こうとノエルの執務室へと訪れ、仕事量の多い彼の手が空くのを待っていた。
ペンを走らせる音だけが響く中、溜め息を零す事さえ憚られる。
「レイリ」
「はい」
低く呼ばれる己の名に、彼の不機嫌を感じ取った少年は静かに応えた。
そんな少年に一度だけ視線を寄越した彼は、すぐに目を逸らし口元に手をやって何事かを考える。
「この世界は残酷だ」
低いが決して聞こえは悪くない声が響くのを、レイリは首を傾げて受け止めた。
ノエルは痛みを堪えるように眉間に皺を寄せ、掴んでいたペンを放り投げて背もたれに身体を預ける。
これでレイリとノエルは向き合う形となった。
視線の強さに居心地を悪くしたレイリは一瞬戸惑い、
「この世界は残酷だ。けれど、とても美しい」
「……先生?」
ノエルらしくない言葉にきょとんと目を瞬いた。
訳が分からない、と彼を見ている愛弟子の様子を鼻で笑い、ノエルは目を瞑る。
「昔、知り合いがそう言っていた。確かにクソッタレな世界だが、悪くない」
彼が何を言おうとしているのか、それが分からないレイリは困惑した顔でノエルを見た。
ノエルは不機嫌そうに鼻で笑い、レイリを見る。
その目は、少しだけ悲しそうに色を深めていた。
「お前を騎兵隊の隊長にしたのはな、容姿の為でも能力でもねぇ。まあ俺様が面倒だからってのはあるが」
「先生……。僕は、自分に能力が無いのは知ってます。なのに、何で?」
「俺様はな、これでも沢山のクソガキ共を養ってきた。その中で死にそうな顔をしてるヤツには、死なれたら目覚めが悪いんで責任を押し付ける事にしている」
そうすりゃあ簡単に死ねなくなるだろ?とニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてレイリを見る。
何を言わんとしているのか、何となく分かってレイリは眉を跳ね上げた。
つまり少年を死にそうなヤツだと判断して、単にこの重い立場にのし上げたのだろうかと。
口を開こうとするレイリは、それより早く口を動かしたノエルの動きを呼んで固まった。
「この世界は残酷だ、死ねば終わりって訳じゃねぇ。世界は戦いを求めていて、闘う事を強いてくる。ここはそういう箱庭だ」
ノエルの言葉の意味は分からない。
確かに魔物が居て策略が渦巻く世界は生きづらい。
簡単に人は犠牲になってしまうし、人を犠牲にする事も出来る。
死は何者にも降りかかる、平等に全てを終わらせてくるものだと思っていた。
「輪廻という言葉がある。死んでも次の一生があるってヤツだ。
更に永劫回帰という言葉がある。次の一生も今まで送ってきたモノと変わらねぇってヤツだ」
「次の一生……」
「そうだ。そこではテメェが今まで過ごした生活を送る次のテメェが居て、同じ死の輪廻を迎える。
だが、テメェはそれで良いのか? もし仮に運命ってヤツがあるとしたら、そいつに会うまで粘ってみるのも悪くはねぇよ」
「……先生、まるで僕の運命を知ってるような言い方ですね」
くすくすと小さく笑う少年に、ノエルは鼻で笑って返す。
かつての友を思い出させる面影に、少しだけ哀愁というのを感じながら。
「テメェの運命なんざ知らねぇよ」
ましてや、後を頼むと全てを任されるのも御免だと、ノエルは微笑んだ。
クソガキだと口にしていても、ノエルにとっては生意気で愛しい養い子なのだ。
エヴァンジルは毎日が憂鬱だった。
隣から聞こえてくる声が少女の名を呼び、少女に語りかけ、一人では無いという事を証明してくれる。
それが嫌で、けれど振り払えない程寂しくて、縋ってしまう自分が嫌だった。
「ねえ知ってる? エヴァンジルって古い言葉で天使って言うのよ。ふふ、素敵な名前ね」
貴方に似合ってるわ、と声は夢見がちに響き渡る。
ふわふわとした咽せるほどの甘さだけを含んだそれに、首を振ってはね除けようとした。
「カカカッ! エヴァちゃんどうしたのじゃ? せっかくこやつが話しかけていると言うのに。
こやつがお前様に語りかけているというのに、返事すらしてやらんのか? 酷いのう酷いのう」
「エヴァンジル、貴方はイイ子だわ。とてもイイ子。ねえ、顔を見せて?」
虚ろな目をした彼女は言う。
彼女を構わずに魔女は嗤う。
この舞台を整えたのは魔女だ。
魔女はエヴァンジルが他の魔憑きのように直ぐに壊れてしまわないよう、声の魔憑きを側に付けた。
常に一緒に居るわけではないが、少女が寂しい時、誰かに甘えたい時、魔女は的確に彼女を寄越す。
そうしてその声に酔わされて、エヴァンジルは一人ではないと、悲しいだけの存在ではないと救われてしまうのだ。
「ねえエヴァンジル、私は貴方に会えて嬉しいわ。こんな場所だけれど、貴方が居なければ私は生きていけなかった」
それは私も同じだと、少女は喉をついて出掛けた声を必死の思いで飲み込む。
彼女が笑えばエヴァンジルは嬉しい。
彼女が壊れてしまえばエヴァンジルは悲しい。
それは彼女も同じであり、そうしてエヴァンジルを正気で居させる為に彼女を用意する。
「勘違いしないで欲しいのお、確かにお前様の為に用意しては居る。
が、別にお前様でなければいけないという事は無いのじゃよ。ただ都合良く効率の良い関係性を保って居るのは、なかなか面白いがなぁ」
「……お前は、データが取れればそれで良いとでも言うのか!」
「当然じゃ。モルモットとはそういうものじゃよ?
ふむ、使いすぎれば自信に繋がるか。自意識が無くては困るが、些か面倒じゃのお……。
じゃが、自信が無ければ生きようとする意思も生まれぬか」
全くもって愉快じゃな、と魔女は嗤う。
その間も彼女は魔女の声など聞こえぬかのように、エヴァンジルへと語り続けた。
魔女の声が遠く聞こえて、彼女の声に集中してしまう。
目の前の敵など、どうでも良くなってしまう。
彼女の声はそういう薬のようなモノだと、麻薬のようなものだと魔女は言った。
人の心の隙間というモノに染み渡り、感覚を鈍らせて寄生するのだと。
「人の心とは枠に入れられる積み木のような物。隙間というのは埋められぬ。
それを利用し人の心に土足で踏み込むなど、不愉快じゃのお」
儂の心には響かぬが、と魔女は嗤う。
人の心が積み木だとすれば、魔女の心など不要な部分を削って当てはめるパズルのような物なのだとエヴァンジルは考えた。
そうやって必要最低限のピースだけを集めていったのが、人の成れの果ての魔女なのだと思う。
けれどそれは口にしない、出来ない事だ。
もし言ってしまえば、少女の糧である彼女が壊されてしまうのだ。
そうして壊れた彼女を、これは少女のせいだと嗤いながら魔女は少女に治させる。
魔の眼を使えば、壊れてしまったモノすらも簡単に治せるのだと、人と同じでは無いのだと思い知らされた。
もう何度、地獄のような繰り返しを演じさせられたのだろう。
その度に傷ついた心を彼女に癒させ、エヴァンジルは摩耗する事も許されない。
ここにあるのはただの地獄で、己はただの囚人なのだと考えさせられるのだ。