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花祝詞



「また来たのか。」


溜め息をつきながら、本を閉じたノエルは後列の端にちょこんと座る深くフードを被った青年に声をかけた。

「…ダメですか?」

特に悪びれる様子もなく首をかしげるレイリに、ノエルは相手をするのも面倒なのかそのまま放っておくことに決めた。
これからミサがある。
つまりは仕事の準備があるわけで、レイリに構っている暇はないのだった。

「温室のバラが綺麗に咲いたので、飾っていただこうと思って。」

レイリは、立ち上がり、両手一杯の花束を抱えてノエルにそれを押し付けた。

「俺様が花なんて活けると思うか?
飾って欲しいならテメーでやれ。」

ノエルは押し付けられた花を押し返した。

「じゃあ勝手にさせてもらいます。」

そう言ってレイリは空いている花瓶に水を汲みにいった。
椅子の上に置かれたのは見事な大輪の黄色いバラ。
レイリの温室には色とりどりのバラや花が咲いているが、ひとつだけ、無い色がある。
レイリの髪色に良く似た明るいレモンイエローの薔薇の花はレイリ自身の様に甘ったるい香りがした。
その香りをかきけすように、ノエルはタバコに火をつけた。

「いい香りでしょう?」
「どこがだ、甘ったるくて胸焼けしそうだ。」
「そうですか。」

それでも、レイリは花瓶に薔薇を綺麗に活けて教壇の近くにおいた。

「本当は、神聖な白がいいんでしょうけど…。
生憎白い花は育ててないので。」

レイリは愛しそうに黄色いバラを撫でた。

「別に、花なんて何色でも変わらねぇだろうが。」
「聖職者とは思えないお言葉ですね。」
「それを言うなら、呑気にお庭弄りしてる隊長殿はどうなんだよ、騎兵隊ってのはそんなに暇なのか?」
「まさか、暇じゃないですよ。
今だって現に…」
「またサボりか、お前いい加減サボりのためにあの地下通路使うのやめろ。
その為にお前に教えた訳じゃねぇ。」
「でも、堂々と来たらシュノに捕まるので。」

シュノはこの教会には決して近付こうとしない。
それ故、レイリは自分の許容範囲を越えたときこの教会に人知れず紛れ込む。
教会に来る一般市民はレイリが騎兵隊隊長だとは知らずに気さくに挨拶してくる。
いくら騎兵隊が市民寄りの存在でも、レイリの名が広まっていても、顔までは知れていないと言うことで、それは逆にレイリにとって好都合だった。

「そんな無下にしなくても良いじゃないですか。
先生に会いたくて来たのに。」
「俺はそんなこと頼んでねぇ。
仕事の邪魔するなら帰れ。」
「はいはい、言われなくても帰りますよー。
折角先生に喜んでもらえると思って花持ってきたのになぁ。」

つまらなさそうにレイリはノエルを見上げた。
でも、その表情は恨めしいものではなくて、楽しげに口許を緩めていた。

「俺は花なんて嬉しくねぇよ。
俺を喜ばせたいなら煙草の1つでも持ってこい。」
「……身体に悪いですよ?」
「お子様には判らねぇだろうな。」
「判りたくありません。
それに僕は子供のままでいいんです。」

レイリはゆっくり立ち上がると不適に笑った。


「子供のままの方が、皆扱いやすいって思うでしょう?」


にんまりと、笑ったレイリは子供が見せるあどけない笑顔などではなかった。

「あら、レイリじゃない。」

ふわっと柔らかな声にレイリが振り向くと、にこにこと手を降る人影を発見して嬉しそうにレイリが駆け寄る。
まるで尻尾をぶんぶん振ってる犬のように。

「ローゼス!!久し振りだね!!」
「暫く顔見なかったけど、元気にしてた?」

レイリの頭を撫でながら、ローゼスがにこりと微笑んだ。

「うん、元気だったよ。
今日は花を届けに来たんだ。」

ローゼスは子犬をあやすようにレイリをあしらいながら、教壇に置かれた見事な薔薇をみて、ノエルの方に視線を投げ掛けた。

「レイリが育ててるって言ってたバラ?
凄い立派だね。」
「本当?そう言ってもらえたら嬉しいな。
先生ったら折角持ってきたのに全然興味持ってくれないんだよ。」
「アホか、俺様がお花なんて高尚な御趣味を持ってると思うか?」
「……思いませんけど!!
でも……」
「素直じゃないな、ノエルは。」
「るせ…だまれ。」

ノエルはめんどくさそうに溜め息をついた。

「黄色いバラの花言葉は献身。
レイリらしい花だね。」

レイリはローゼスを見上げて首をかしげた。

「気に入ってくれたならローゼスにも持ってくるよ、沢山咲いたから。」
「うーん…折角だけど、俺はこれでいいよ。」

そう言ってローゼスは花瓶から一輪薔薇を抜いた。

「部屋に一輪挿しの花瓶しかないからね。
それに、これだけ見事なバラなら一輪でも見ごたえがある。」

ふんわりと香る薔薇の甘い香りを纏わせながら、ローゼスはにこりと笑った。

「お前はレイリを甘やかしすぎだ。」
「そう?レイリは弟みたいなものだから、そう見えるのかもね。」
「僕もローゼスが兄様だったら嬉しいな。」
「俺様には飼い主と犬にしか見えねぇけどな…。」

ノエルが煙草をふかして、レイリを見た。

「レイリ、そろそろ帰れ。」
「あぁ、そうだった。
騎兵隊から可愛いお迎えが来ていたよ。
イェラに見付かる前に早く戻った方が…」
「ああああー!!見つけましたよ!!」
「うわっ!?」

教会に響く声に、レイリがビクッと反応した。

「さぁ、一緒に来てもらいますよ天使様!!」
「ちょ、怖い怖い、顔怖いから!!」

がっしりと腕を捕まれ、レイリは強引に引きずられていく。

「はは、まるで嵐だな。」
「なに呑気に笑ってんだよ。」

呆れたようにノエルはローゼスを見た。

「本当はノエルだって可愛いくせに。
良く言うだろ、手のかかる子供ほど可愛いって。」
「……別に、可愛くなんざねぇよ。
あんなクソガキどもはな。」


そう言って紫煙を吹き出したノエルの表情は柔らかかった。





「痛いよ、イェラ。
逃げないからもう少し力を緩くしてよ。」
「そう言って何度逃げ出したとおもってやがんですか。
今日は絶対離しません!!」
「信用無いなぁ。」
「あると思っていたんですか!?」

逆に驚かれて、レイリは夜来香をキョトンとしてみた。

「ないの?」
「ないだろ、です。」

肩をすぼめて降参のポーズを見せると、夜来香の手を解いた。
その流麗な仕草に目を奪われてると、教会の扉が開いて眩しい日差しが射し込んできてレイリの姿を眩ませた。
目を細めて、夜来香は口許だけ緩く弧を描いた。


「戻りますよ、隊長。」
「可愛いお迎えって聞いたから誰かと思えば、君だったの。
通りでイェラの機嫌が悪いはずだ。」

レイリは不機嫌そうな銀色に声を掛けた。

「お前は、俺がここに来るの好きじゃねぇの知ってて来てんだろ。」
「だって、他の場所ならすぐ見つかっちゃうじゃないか。
それに、今日は本当に教会に用事があったんだよ。」

教会に紛れ込んだという過激派の残党。
心配はしていないから騎兵隊が表だって動くこともない。
教会内で、内々に処理されるだろう。
それでもやはり育ての親という特別な存在はやはり気になるもので…

「先生も、気付いてるとは思うけど。」

綺麗な薔薇にはトゲがあるもので、もちろんレイリの薔薇も例外ではない。

「保険の意味だったけど、必要はないかもね。」

甘い香りを漂わせながら、レイリはにこりと笑った。

「用が済んだなら帰るぞ。
今日という今日は寝かせないからな。」
「やだ、シュノ。まだ昼間なのに大胆だね?」
「仕事が、終わるまで寝れると思うなよ?」
シュノが笑みを浮かべながらレイリの両頬をぎゅーっと左右に引いた。
「いひゃい、いひゃい!!」
「おー、愉快な顔だな。」
「千切れるだろ、ばか!!」
「ならさっさと帰るぞ。
山積みの仕事がお前の帰りを嬉々として待ってるぞ。」
「……シュノ。」
「手伝わねぇからな、今日という今日は。
俺は先に寝る。」
「違うよ、手…繋ご?」

レイリが手を差し出すと、重ね合わせてギュッと握る。
恋人繋ぎの状態で、嬉しそうに笑うレイリに、シュノは何も言わずに歩き出した、ゆっくりと。

暗き闇の声



「入るぞ。」


そう言って部屋の主の返答を待たず、ドアを開ける。

「……あっ…」

小さな声で驚いた声の主は、濁った碧い瞳の少年だ。
つい先日、知り合いから半ば押し付けられるように引き取らされたこの少年…レイリ・クラインは、真っ暗な部屋の中であからさまに身体を震わせた。
真冬だと言うのに冷えきった部屋。
簡易なベットは使った形跡もなく綺麗なままで、あとは小さなチェストに机と椅子があるだけの、まるで生活感の無い部屋だった。
レイリは床に身体を横たえ、腕を投げ出したまま、虚ろに俺を見上げてきた。
そして、レイリの様子に俺は顔をしかめる。

「おい、クソガキ。
テメェは何をしてるんだ。」

レイリの両腕には無数の切り傷、それも古いものから新しいものまで。
石畳の床を、深紅の血がじわじわと染み広がっていく。
レイリの左手には血の着いたナイフが握られていた。

「何をしてんだって、聞いてんだよ。」

ズカズカと歩み寄り、びしゃりと血溜まりを踏みつければ、レイリの顔が血で汚れる。
そうして、ようやくレイリに変化があった。
濁った碧の瞳が、急に見開かれ、呼吸が荒れる。
引き付けを起こしたように、ビクビクと痙攣を繰り返し、狂ったように悲鳴をあげる。

「……はぁ、めんどくせー。
アイツ、ぜってー判ってて俺様に押し付けやがったな。」

仕方無しに、悶えるレイリの身体を背後から押さえ付け、ナイフを遠くに投げた。
ガクガクと震える小さな身体は、抱き締めれば折れそうな程に細く華奢だった。
こんなモヤシみてぇなガキが、世界を救う鍵になるとは、世も末だ。
暫くそのままでいると、レイリの呼吸が落ち着いてきて、震えも収まる。

「レイリ、よく聞け。
俺様がこうしてお前に手を貸してやるのはこれが最後だ。
あとは自分で何とかしろ、死にたけりゃ俺様の知らないところで死ね。
だが、死ぬ気がないなら二度とこんなことはやめろ。」

レイリの細い両腕を掴み、きつく握るとレイリが両腕に目を落とす。
「……ごめんなさい…。」
消えそうな声で、ようやくレイリが言葉を発した。
「死にたかった…訳じゃ無いんです。
僕はただ…」
レイリはそのまま黙り込んだ。
「心配してほしくて、か?
甘ったれるのも大概にしろ。」
「……はい…ごめんなさい…」
レイリは何も言わずに静かに涙をこぼした。
「テメェはガキだ。
ガキはガキらしく我慢なんてしねぇで吐き出しちまえよ。」
きつく抱き締めた腕に、小さな手が触れる。
声を張り上げたりはしない…。
レイリはただ、静かに涙をこぼしていた。


泣いたまま、眠ってしまったレイリをベットに運んでやる。
一度も使われた形跡がないベットに深く身体を沈めて、レイリは何かに耐えるように泣く。
頬を伝う涙を拭っても、止まらない涙に、レイリの心を映しているみたいだと思った。
育ちのいいレイリは聞き分けも良く、素直で従順。頭の回転も悪くない。
ただ、厄介なのは誰も…自分すらも信じていない絶望した瞳。
そして、世界を救うと言われた子供すら絶望させてしまう程の何がレイリの身に起きたのかは判らない。


「……待ってる…」


レイリが譫言のように小さく呟いた。
時々レイリは本人も訳の判らないことを言う。

「…ずっと、まってる……貴方に、会えるのを…」

涙を溢しながら、レイリは誰を待っているのだろうか。
本人も判らないその誰かは、絶望に染まった暗い瞳に光を灯すことが出来るのか。
「お前を救ってやるのが俺様じゃねえなら、そいつに会うまで死ぬんじゃねぇぞ。」


部屋を出るとき、レイリが、せんせい…と舌足らずな発音で俺を呼んだ。
振り返ると、レイリの涙は止まっていた。


「ったく、世話焼かせやがって、このクソガキが。」

オーガ<魔憑き>。

それはいつも突然に来る。 

「おやおやー? 今日は随分とご機嫌では無いか、息災じゃのうお前様」

カカカッと哄笑を上げて、歯を剥いた笑みを浮かべて、魔女は言った。
長くたおやかなドレスは魔女の歩みに沿って末広がり、ふわりと緩んで花を咲かせる。
肩から掛けられた白衣だけが異様な存在感を示しているのに、それが魔女らしくもあった。

「のうエヴァちゃん、魔憑きとは何かを知って居るか? 否、魔憑きは災厄でありそもそれ自体が悪というのは共通の認識なのじゃがな。共通の事実と言っても良いのじゃが。
そもそも魔憑きがどうやって生まれるのか、知って居るかお前様?」

獣の嗤いを浮かべる魔女は首を捻り、吊られるように傾げている。
目の前の少女にその姿が見えないと知っていて、魔女はしかし変わらずに嗤い掛けた。
相手が見ていようと見ていまいと、そんな事に意味はないのだろう。
少女は相も変わらず、魔女と会う為に個室の真ん中に設えた豪奢な椅子に座らされ、首には枷を付けられていた。

「……私が知るわけ無いだろう」
「そうじゃなそうじゃな。じゃからこそ浅学非才なエヴァちゃんに、無学悲惨なお前様に学を教えねばと思いやって来た訳じゃ。
何せ生まれた時に親からここへ寄越されたエヴァちゃんは、ここでの生活しか知らんからの。
育ての親と言える儂がお前様に教えねば、育児放棄と言われてしまうわ。ネグレクトと言われてしまうわ」
「戯れ言を……」
「ほう、その言葉はどこで覚えたのじゃ? なかなかに良い使い所じゃな。
しかし儂はなお前様、お前様に魔憑きが何なのかを教えに来たというのは本気じゃよ。
本気も本気、マジというやつじゃよ」

今時じゃろう?とクフクフ含み嗤いをする魔女に、エヴァンジルはどう反応して良いのか判らない。
そもそも、今時というものを少女は知らないのだから。
ただ気に障る嗤いをしてくる魔女を布越しに見る事さえ厭うて、少女は顔を背けた。

「おやおやー? 随分ご機嫌な反応じゃのう。まあ良いわ。
魔憑きとはの、人には有らざる能力を持つモノの事じゃ。異能持ちというやつじゃの。
お前様の洗脳の魔眼のように、別のモノは魅了する声、怪力を誇る異形の手、などが居る。
人間が生きうる上で必要の無い筈の有害を身に宿し、生きながら害悪を振りまく者。それが魔憑きじゃ」

魔女がケヒケヒと嗤う。
小首を傾げ、身体を傾げ。
ふわりと揺れるドレスの余韻は穏和な女性らしさを醸し出すのに、獣の様に嗤う魔女にそれらしさは認められない。
まともな神経の持ち主ならば目を逸らすであろう不躾さも、けれど少女は普通を知らない故に忌避する気持ちがどこから来るものなのかが判らない。
それが魔女の言う所の、異能さからくる気持ちなのかが判らない。

「普通の人間では発狂してしまう様な状態すら何喰わぬ顔で過ごし、卓越した身体能力を見せ。
極めつけは回復力とでも言うべきかの。自己修復能力に富んで居る。事故修復能力すら兼ね備えて居る」
「……フツウはそうじゃないとでも言うのか」
「そうじゃよ。親に捨てられたと聞けば泣き、このような暗い場所に拘束されれば怯え、許しを請う。
逃げも隠れもせぬ様な、挑み掛かるような精神はしておらなんだ。死という甘美な誘惑からは逃れ得ぬものじゃ。
だのに、エヴァちゃんは。お前様は母が死んでも平穏無事に生まれ出で、ここにこうして今も在る。
お前様等は逃げず媚びず、自由を望む。平穏を望む。そこにあるのは不変じゃ」

酷くつまらなそうな声で、残念がるような声音で魔女は嗤う。
ニヤニヤと獣の様な笑みを浮かべて。
上から見下げて魔女は嗤った。

「母殺しの汚名を負ってまで生きて居る。じゃから儂は、お前様はバケモノだと言うのじゃよ」

ふわりふわりと身体を揺らしスカートの裾を翻し、踊るように魔女は嗤った。

終わらない箱庭<ヴァルハラ>。

ある時、ノエルは一人の少年を知り合いから預かった。
知り合いが言うには少年は将来きっとこの世界を救う柱になる、というもの。
それをノエルは鼻で笑った。
この世界を救うには、こいつの肩は細すぎるし身体は小さすぎるのだと。
そうして暗い眼をする少年を、ノエルは引き取ったのだ。
それが彼と少年の最初の出会いだった。



冬、少年は白い息を両手に吐きかけて温めながら、横目で己が支持する大人を横目で見た。
彼は背の長い椅子に腰掛けて不機嫌そうに紫煙を薫らせている。

「……レイリ」
「は、はい!」
「寒いなら火ぃ付けろ。あとポットに湯だ。紅茶が飲みてぇ」

つまりそれは、レイリに茶汲みをしろという合図で、レイリは一瞬戸惑いながらもその言葉に従った。
本当ならばレイリが彼に対して茶汲みを要求しても良い立場なのだが、育ての親という事もありレイリは遠慮気味だ。
ましてや少年には、今の肩書きに対する自信がない。

「先生、お茶です」
「ああ」

要求した割りにはカップに手を伸ばす様子もなく、眼鏡の奧の鋭い瞳は書類の文字を追っている。
本当はレイリが処理すべき仕事であった。
けれど少年にはまだ経験が少なく、どのように采配したものかが分からない。
結果、先達の意見を聞こうとノエルの執務室へと訪れ、仕事量の多い彼の手が空くのを待っていた。
ペンを走らせる音だけが響く中、溜め息を零す事さえ憚られる。

「レイリ」
「はい」

低く呼ばれる己の名に、彼の不機嫌を感じ取った少年は静かに応えた。
そんな少年に一度だけ視線を寄越した彼は、すぐに目を逸らし口元に手をやって何事かを考える。

「この世界は残酷だ」

低いが決して聞こえは悪くない声が響くのを、レイリは首を傾げて受け止めた。
ノエルは痛みを堪えるように眉間に皺を寄せ、掴んでいたペンを放り投げて背もたれに身体を預ける。
これでレイリとノエルは向き合う形となった。
視線の強さに居心地を悪くしたレイリは一瞬戸惑い、

「この世界は残酷だ。けれど、とても美しい」
「……先生?」

ノエルらしくない言葉にきょとんと目を瞬いた。
訳が分からない、と彼を見ている愛弟子の様子を鼻で笑い、ノエルは目を瞑る。

「昔、知り合いがそう言っていた。確かにクソッタレな世界だが、悪くない」

彼が何を言おうとしているのか、それが分からないレイリは困惑した顔でノエルを見た。
ノエルは不機嫌そうに鼻で笑い、レイリを見る。
その目は、少しだけ悲しそうに色を深めていた。

「お前を騎兵隊の隊長にしたのはな、容姿の為でも能力でもねぇ。まあ俺様が面倒だからってのはあるが」
「先生……。僕は、自分に能力が無いのは知ってます。なのに、何で?」
「俺様はな、これでも沢山のクソガキ共を養ってきた。その中で死にそうな顔をしてるヤツには、死なれたら目覚めが悪いんで責任を押し付ける事にしている」

そうすりゃあ簡単に死ねなくなるだろ?とニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてレイリを見る。
何を言わんとしているのか、何となく分かってレイリは眉を跳ね上げた。
つまり少年を死にそうなヤツだと判断して、単にこの重い立場にのし上げたのだろうかと。
口を開こうとするレイリは、それより早く口を動かしたノエルの動きを呼んで固まった。

「この世界は残酷だ、死ねば終わりって訳じゃねぇ。世界は戦いを求めていて、闘う事を強いてくる。ここはそういう箱庭だ」

ノエルの言葉の意味は分からない。
確かに魔物が居て策略が渦巻く世界は生きづらい。
簡単に人は犠牲になってしまうし、人を犠牲にする事も出来る。
死は何者にも降りかかる、平等に全てを終わらせてくるものだと思っていた。

「輪廻という言葉がある。死んでも次の一生があるってヤツだ。
更に永劫回帰という言葉がある。次の一生も今まで送ってきたモノと変わらねぇってヤツだ」
「次の一生……」
「そうだ。そこではテメェが今まで過ごした生活を送る次のテメェが居て、同じ死の輪廻を迎える。
だが、テメェはそれで良いのか? もし仮に運命ってヤツがあるとしたら、そいつに会うまで粘ってみるのも悪くはねぇよ」
「……先生、まるで僕の運命を知ってるような言い方ですね」

くすくすと小さく笑う少年に、ノエルは鼻で笑って返す。
かつての友を思い出させる面影に、少しだけ哀愁というのを感じながら。

「テメェの運命なんざ知らねぇよ」

ましてや、後を頼むと全てを任されるのも御免だと、ノエルは微笑んだ。
クソガキだと口にしていても、ノエルにとっては生意気で愛しい養い子なのだ。

青色の日々。

エヴァンジルは毎日が憂鬱だった。
隣から聞こえてくる声が少女の名を呼び、少女に語りかけ、一人では無いという事を証明してくれる。
それが嫌で、けれど振り払えない程寂しくて、縋ってしまう自分が嫌だった。

「ねえ知ってる? エヴァンジルって古い言葉で天使って言うのよ。ふふ、素敵な名前ね」

貴方に似合ってるわ、と声は夢見がちに響き渡る。
ふわふわとした咽せるほどの甘さだけを含んだそれに、首を振ってはね除けようとした。

「カカカッ! エヴァちゃんどうしたのじゃ? せっかくこやつが話しかけていると言うのに。
こやつがお前様に語りかけているというのに、返事すらしてやらんのか? 酷いのう酷いのう」
「エヴァンジル、貴方はイイ子だわ。とてもイイ子。ねえ、顔を見せて?」

虚ろな目をした彼女は言う。
彼女を構わずに魔女は嗤う。
この舞台を整えたのは魔女だ。
魔女はエヴァンジルが他の魔憑きのように直ぐに壊れてしまわないよう、声の魔憑きを側に付けた。
常に一緒に居るわけではないが、少女が寂しい時、誰かに甘えたい時、魔女は的確に彼女を寄越す。
そうしてその声に酔わされて、エヴァンジルは一人ではないと、悲しいだけの存在ではないと救われてしまうのだ。

「ねえエヴァンジル、私は貴方に会えて嬉しいわ。こんな場所だけれど、貴方が居なければ私は生きていけなかった」

それは私も同じだと、少女は喉をついて出掛けた声を必死の思いで飲み込む。
彼女が笑えばエヴァンジルは嬉しい。
彼女が壊れてしまえばエヴァンジルは悲しい。
それは彼女も同じであり、そうしてエヴァンジルを正気で居させる為に彼女を用意する。

「勘違いしないで欲しいのお、確かにお前様の為に用意しては居る。
が、別にお前様でなければいけないという事は無いのじゃよ。ただ都合良く効率の良い関係性を保って居るのは、なかなか面白いがなぁ」
「……お前は、データが取れればそれで良いとでも言うのか!」
「当然じゃ。モルモットとはそういうものじゃよ?
ふむ、使いすぎれば自信に繋がるか。自意識が無くては困るが、些か面倒じゃのお……。
じゃが、自信が無ければ生きようとする意思も生まれぬか」

全くもって愉快じゃな、と魔女は嗤う。
その間も彼女は魔女の声など聞こえぬかのように、エヴァンジルへと語り続けた。
魔女の声が遠く聞こえて、彼女の声に集中してしまう。
目の前の敵など、どうでも良くなってしまう。
彼女の声はそういう薬のようなモノだと、麻薬のようなものだと魔女は言った。
人の心の隙間というモノに染み渡り、感覚を鈍らせて寄生するのだと。

「人の心とは枠に入れられる積み木のような物。隙間というのは埋められぬ。
それを利用し人の心に土足で踏み込むなど、不愉快じゃのお」

儂の心には響かぬが、と魔女は嗤う。
人の心が積み木だとすれば、魔女の心など不要な部分を削って当てはめるパズルのような物なのだとエヴァンジルは考えた。
そうやって必要最低限のピースだけを集めていったのが、人の成れの果ての魔女なのだと思う。
けれどそれは口にしない、出来ない事だ。
もし言ってしまえば、少女の糧である彼女が壊されてしまうのだ。
そうして壊れた彼女を、これは少女のせいだと嗤いながら魔女は少女に治させる。
魔の眼を使えば、壊れてしまったモノすらも簡単に治せるのだと、人と同じでは無いのだと思い知らされた。
もう何度、地獄のような繰り返しを演じさせられたのだろう。
その度に傷ついた心を彼女に癒させ、エヴァンジルは摩耗する事も許されない。
ここにあるのはただの地獄で、己はただの囚人なのだと考えさせられるのだ。

 

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