ふわりと柔らかな金の髪を風に吹かれた少年は、胸元に抱いた古本をぎゅっと抱き締めて辺りを見回した。
そうする事少し、とくに何も変わらない町の様子を後目に、短い足でとてとてと小走りに進み出す。
目指す場所は町長邸の家主の元。
丁度玄関先で手紙を手に取っていた家主、三条緋翠の緋色の長い髪が見えた。
「かあさまー!」
呼ばれ、振り向いて少年を把握した彼女は、吊り目気味の三白眼を柔らかく和ませる。
柔らかな微笑みを浮かべ、手を差し出して少年を迎え入れた。
「ふふ、おはよう怜悧。今日も元気なようで何よりだ」
「うん、僕は元気だよ!あのね、朱乃がこれ見付けたから、渡しておけって」
胸元に隠すように抱いていた古本を差し出せば、驚いた顔をした後破顔して受け取られる。
怜悧には見覚えのない本は、かろうじてページが読める程度でくたくたになっていた。
彼女、緋翠は町長夫人で、紛失図書の扱い窓口をしている。
どういった経由か、この町に関する本はどんな場所へ渡っても様々な旅路を経て、必ずここへ帰ってくるのだという。
森の中で見付けたり、浜辺に流れてやって来たり。
そんな図書の修繕をし、元の読めるような状態に戻してやるのを得意としているんだとか。
「これはまた、暇つぶしに丁度好さそうな……スターデューバレーの成り立ち、か。」
一度本を閉じ、部屋の中へと招き入れた緋翠は少年、怜悧にクッキーとココアを差し出した。
怜悧は母親とはぐれて恋人、朱乃と二人、魔術師の塔に住んでいる。
自然界で暮らしていた彼らが今人間界に居る事は、割愛するとして。
「今日、新しい人来る?」
「ああ、手紙で町に戻ってくると言っていたな。日付は……今日か!」
しまったな、と渋い顔でカレンダーを覗き込む緋翠。
怜悧は首を傾げ、さっき吹いた風の中に知らない人の匂いが混じってたのは、その人だったのかも、と内心で納得した。
どんな人かは分からないけど、嫌な感じはしなかったので一目見に行くのも良いかも知れない、と計画立てる。
「丁度、一昨日の地震で岩崩れが起こった場所だな……」
「うぇ? それって」
「え、町までの道が岩崩れのせいで通れ、ない?」
「お前さんに手紙を送ろうとも思ったんだが、着けばどのみち分かるかと思ってなぁ」
「なに、それ……」
無人駅から降りて旅館へ顔を出してから町へ、幼馴染みの所へ顔を出しに行こうと思っていた長義は、出鼻から挫かれてやる気を無くしていた。
入り口のカウンターにぐったりともたれかかり、全身で残念だと語りかけている。
そんな長義に宿泊名簿を作り、部屋を割り当てながら話し相手を務めているのは血の繋がらない伯父であり、旅館の主である長船大般若だ。
話しを聞くに、長義が出発した日の午前中に発生した地震で岩が崩れ落ちてきたのだとか。
しかもその岩は大きく頑丈で、それなりの採掘用の爆弾を用意しない限りはどかせそうもないのだとか。
運が悪い事に、それは旅館と町を繋ぐ一本道を塞いでしまった。
更には町と鉱山、ひいては冒険者ギルドへと繋ぐ道も断たれており、外部との繋がりがある旅館側の処理は後手に回される事に。
「まあそう落ち込むな。パティシエの学校を卒業して直ぐこっちに来たんだろう? ゆっくりすると良いさ」
「……弟達に会えるし、暫くは側に居てやれるって事だから……別に、落ち込んでは……」
単なる強がりの嘘だった。
確かに年の幼い双子の弟を大般若に預けていた為、長期休暇でもない限り会うことも叶わず楽しみではあった。
けれど、新しい手紙が来る度、就寝前にそれらを読み返す度に思っていたのは初恋の彼の事。
想いが叶うとは思っていないが、会える事を楽しみにしていたのだ。
どんな話をしようか、どんな事をしようか、お菓子は好きだろうか、毎日好きなときに顔を合わせられるのは、成長した彼に会えるのはどれだけ幸せだろう。
そんな詮無いことを思い付く度、苦笑が漏れた。
ようやく、会えると思ったのに。
「双子はー、そろそろ洗濯も終わって戻ってくるだろう」
「あの子達にそんな事させてるの?」
「手伝いたいって言い出したのはあの子等の方だぜ? お兄ちゃんに褒められたいのさ」
ニヤニヤと、カウンターに片肘を突いて嫌な笑いを浮かべながら大般若が長義の顔を覗き込む。
両親は双子が5歳になった頃に事故で亡くなり、その後は親類の縁でここへ預けられていた。
まだ幼い内に離れてしまったので、兄らしい事をした覚えは少ない。
そんな双子ももう、9歳になっただろうか。
ガタガタと騒がしい物音が近付いてくる気配を感じ、身体を起こせば正面の扉が開く。
「きわめ? くにひろ?」
双子が戻ったのだろうかと声を掛けると、そこに居たのは艶やかな黒髪に琥珀の目を持つ小柄な青年だった。
一瞬の呆けた表情の後に、ふわりと花が開くような微笑みを浮かべる。
開け放たれた扉はそのままに、長義へと向かって小走りに近寄り、
「ちょーぎ!!」
鈴のなるような声音は低いながらも甘やかで、腕の中へ飛び込んでくるのをそのまま受け止めた。
見た目よりよほど軽い衝撃の後に、涼しげな花のような香りが際立つ。
知らない青年の筈なのに、長義にはそれが幼い頃に可愛がった少女のような幼馴染みの姿に重なって見えた。
「……もしかして、たず?」
「ん、たず、くろたず! ちょーぎ、うれしい」
震えそうになる腕で抱き返せば、腕の中の小さな頭が大きく縦に振られる気配がする。
どうしてここに、と聞きたいのにそれ以上に嬉しさが際立つ。
「ああ、五条のとこも今泊まりに来てるんだ。言い忘れてたな」
「五条の……って、鶴丸さんも? 二人は町に住んでるんだよね?」
「何でも屋……探偵、だったか? 依頼って事で色々町の事を手伝って貰ってるんだ。今回は隣町に出掛けたんだが、珍しく坊が行きたがってなぁ」
お前さんに会えるって分かってたのかね?と快活に楽しげに笑う大般若。
そんな馬鹿なと思うけれど、昔から黒鶴は人より勘が鋭い事があった。
普段はふわふわと少女のように、子供のように無邪気なのだが、そうした時の黒鶴はまた頑固でもあった。
視線はもう長義と同じくらいには育っているのに、相変わらず抱き締めた肩は薄く腰も細く、ともすれば頼りなさげで。
昔は女の子のような可愛らしさが目立ったけれど、顔を見合わせると中性的、くらいには男らしくもなったような気がする。
大きな琥珀の瞳は柔らかく細められて輝き、整った顔立ちは美人になった。
「たず、大きくなったねぇ」
「ん、ん! ちょーぎ、おひさまみたい、いいにおい! ママみたい」
肩口にぐりぐりと額を擦りつけられ、くすぐったいと笑い声を上げる。
イタズラが成功した子供の様に顔を上げてにんまりと笑う姿は男の子のそれだ。
ふいに、開いたままの正面の扉に影が差す。
「あー、たず! まずは双子と長義を会わせてやろうって言っただろ!?」
「え、長義? 長義がもういるのか?」
「鶴丸、声がおおきい……長義、おかえり」
賑やかな声の主は全身が白く、黒鶴と同じ琥珀色の瞳が特徴的な男性。
その後ろから腰くらいの身長の、小さな頭が二つ。
一人は金髪に碧眼でパーカーを袖まくりしていて、もう一人は黒髪に碧眼でパーカーを目深に被っている。
色合いは違うけれどそっくりの顔は、小さい頃の長義とも瓜二つ。
年の離れた愛らしい双子の少年を見て、長義は手招きをしながら笑い掛けた。
「ただいま、極、国広。久しぶり、大きくなったね」
空になった大きな洗濯籠をそれぞれ脇に置いて、極は黒鶴とは反対側の長義の腕の中へ。
国広は恥ずかしげに、それでも様子を窺いながら直ぐ側へやってきて長義の服の袖を握り込んだ。
離れた当時は国広と同様に人見知りで恥ずかしがりやだったのに、極はすっかりふてぶてしくなったらしい。
手紙や電話以外での久々のやり取りに、少しの間は寂しさも紛れる気がして嬉しくなったのだった。