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裏本丸 黒鶴編

桜の舞う中、光りが収束して一つの形を織りなした。
それは真白の衣に身を包んだ白磁の肌や髪を持つ青年であり、意思を表すようにゆっくりと蜜色の瞳が開かれる。

「やあ、驚きの世界へようこそ。雛鳥殿」

青年が声の出所に目を探らせれば、そこには同じく真白の衣に白磁の色を持つ青年が居た。
似ている、というにはあまりにも似通った顔立ち。
唯一の違いは青年が紅い瞳を持つことか。
その隣には緋色の髪を持つ翠の瞳の女性が。
二人を見た青年は首を捻る。

「……全く、お前の引きの強さには呆れる」
「そうは言うが、君も合意の上……だろう?なに、賭けには強いのさ」

青年達の言葉に首を傾げ、見知らぬ顔を眺め続けた。
その常にはない鍛刀上がりの刀剣男子の様子に、二人は視線を交わし合う。

「君、口上も無しかい?」
「……待て国永。……お前、名は。名乗れるか?」
「……つるまる、くになが」

首を小さく傾げながら舌っ足らずにも、女性の言葉に応じる。
ふわふわと夢を見ているような目付きに、隣の国永と呼ばれた青年は訝しい目をした。
強い視線に射貫かれ、蜜色の瞳に怯えを写す。

「おいおい、やっと来ておいて鍛刀不具合、ってやつかい?」
「ふむ……霊気に乱れは無い。暫くは様子見と、原因究明だな。お前のお役御免には、まだ早いようだ」
「……へいへい。刀剣使いの荒い主様だこと。……君、鶴丸で良いな?まずは本丸を案内しよう」
「……?ある、じ……」
「嗚呼。俺はここ、備前国椿本丸の主、緋翠という。よろしくな、鶴丸」

鶴丸、そう呼ばれて不思議そうな顔をする青年は、それでも頷いて見せた。
刀帳番号130番、鶴丸国永。
一振り目の顕現において遡行軍特有の闇夜に光る紅い瞳、更には個体値を上回る性能を見出した事により亜種と認められた。
しかしそれにより神気が不安定な事。
更には主との契約が一方的な忠心に頼らざるを得ないという状況の為に、政府は早急な代替を要求した。
つまり、正常な二振り目の顕現を認め次第、連結または政府への提出を要請をされたのだ。
古参刀として実力を示し、本丸の運営の一端を担っていた刀剣男子への処遇に、本丸の主は激高した。
だが、自身の不安定さを誰よりも理解していた一振り目の進言により、これは推し薦められる。
自分の近侍中に新たな鶴丸国永が鍛刀された場合、これを一振り目として扱え、と。
通常は二振り目などの特異性を持って呼ばれる名、国永を名乗り。
新たな鶴丸国永には鶴丸の号を名乗らせる。
そうして国永は賭けに勝った。

だが、それと共に問題はまた一つ浮き彫りとなった。

鶴丸には刀剣男子としての実力はあれど、逸話や来歴に関する記憶、どころか個性という人間性すらも失われていた。
人の心から生まれた付喪神としてはあまりにも不完全な顕現。
人として受肉し、契約を交わした後に読み取った術式に不備は無かった。
緋翠はそれを、相性の問題としていた。
とはいえ、これを政府に突かれると面倒な事には違いない、と嘆息する。
鶴丸国永は鶴丸と国永の二振りを受肉したまま、現状を維持する事となった。



地に落としていた視線を上げ、鶴丸は緑の海を眺める。
自身が顕現した本丸では内番というものを割り振られた刀剣は、中心となって手伝いの者などを率いてその日一日を費やすようで。
受肉してから一週間ほどになったが、本丸を案内した国永と同調をする事で人としての知識を取り入れてから不具合は感じていない。
だが、鶴丸と会う刀剣達は一様に驚いた顔をするので、やはり個体としては不足しているのだろう。
部屋は伊達由来の刀達が居る相部屋となった。
燭台切光忠、大倶利伽羅は鶴丸をよく気に掛けてくれる。
国永も同室になるのかと思っていたが、こちらは古参の折りに割り振られた部屋があるようで別だった。
三条棟、と呼ばれる離れの一角がそうだと教わった。

「鶴さん、そろそろお昼にしようか!」
「おお、光忠!今日の弁当は何だい?」

厨から出てきてお重を片手に声を掛けてくる光忠を振り返り、数日の内に上達した愛想笑いで迎える。
こうするとソレらしく見えるようで、目に見えて表情を変えることはされなくなった。
無表情で居ると見た目の迫力も相まってか、引かれる態度を取られるのだ。
同調した国永の記憶では心が躍る瞬間、揺れる場合などに表情というものが動くようだった。
けれど、顕現してから一度もそれらしいものを鶴丸が感じた事は無い。
空虚。
されど、それを悲しいとか惜しいと思う感情すらもない。
ただ国永や周囲には、鶴丸国永らしくある事を求められているようだからそれに即しているだけ。
今も、天気が良いからご飯が美味しいと話しながら敷き布を拡げる光忠を前にしても何も感じない。

「……鶴丸、忘れ物だ」
「大倶利伽羅?何だい、忘れ物って」
「あ、鶴さんの麦わら帽子!また取っちゃったの?」
「……嗚呼、邪魔だったから」
「もう、鶴さん色が白いんだからちゃんと被らないと。今は夏ほど日差しが強くないから良いけど、倒れたら大変だよ」

鶴丸用だと言われた麦わら帽子を頭に被せてくる大倶利伽羅に礼を言い、敷き布に腰を下ろして首を傾げる。
夏の日差しが強い、という意味と倒れる、という意味が分からなかったからだ。

「俺達は人じゃないんだろう?」
「そうだけど……今は人の器だからね。風邪を引いたり疲労したり、色々あるんだよ」
「お前も初日、倒れただろう」
「たおれた……俺が?」

そうだっただろうか、とそう多くない記憶を掠ってみるが思い当たる所はない。
だが、大倶利伽羅が倒れたと言うのならそうなのだろう、と頷く。
甲斐甲斐しく弁当を装う光忠に礼を言い、取り皿に盛られた食事を口に運んだ。
物を食べる、という作業は鶴丸にとって苦手な行為だった。
味がしない訳ではないのだが、美味しいや不味いといった感覚がよく分からなくて噛む事に疲れる。
呑み込むことまで苦手でなくて良かったと思うのだが、適当に食べると食が細くなりがちだった。

「鶴さん、どう?今日のは自信作なんだけど……」
「うん?ああ、光忠の飯は美味いな」
「……少し塩辛い。味付け間違えたんじゃ無いのか」
「働いた後だし、今日は暑いから汗を掻いたろうと思って」

テンポ良く会話を続ける大倶利伽羅と光忠の様子に、目を向けるともなしに鶴丸は素食し続ける。
少なくとも、取り皿に盛られた分だけは消化しきらないと光忠に食が細いと怒られるからだ。
働いた後、暑くて汗を掻くと味の濃い物が良いのか、と記憶する。
美味いという鶴丸の感想に、光忠が少しだけ困ったように眉を潜めたのを見ていた。
多分、今のは間違った回答だったんだろう。
けれど何が正解なのか、鶴丸にはやはりよく分からない。
よく分からないのなら、選択は一つしか無い。
被せられた麦わら帽子がチクチクごわごわと頭を覆う感触に、やはり邪魔だなと思った。

「――鶴さん、聞いてた?」
「うん?」
「……あんた、国永に呼ばれたぞ」
「ああ、そうだったのか。……よっ、と。光忠、ご馳走さん」

気が抜けていたうちに呼ばれていたらしく、両脇から顔を覗き込まれて笑いながら返す。
礼を言いながら完食しきった取り皿を光忠に戻し、立ち上がって尻を払った。
こうしないと白い装束は汚れが目立ち、それを他の刀剣が良く思わないようだったから。
more...!

ショクヨウ。

ずっとずっと憧れだった。
優しくて明るくて、人の中心に居る事が多いけれど、決して俺を置いて行かない俺だけの大切な兄。
両親と引き替えに手に入れた宝物。
その兄を守りたくて、必死だった。
いつだって国兄は俺の前を歩いていて、俺が傷付くことがないようにしてくれる。
けど、その影で国兄が傷付いている事くらい、どれだけ本人が隠しても知っていた。
だから今度は俺が守るんだって、後を追って軍警に入った。
そこで手に入れたものはほんの少しの自信と、コネ。
軍のエリートでもある三条宗近さんは、俺でも分かるほど国兄に興味を持っていて。
取らないで欲しい。
けれど、国兄が安全なところへ行けるなら、連れて行って欲しい。
相反する思いを口にする事は無かったけれど、後悔した。
国兄を地獄に突き落としたのは、紛れもなく俺だから。


ゴッドイーターの適性試験を受けたあの日。
俺は先に試験を受けて合格を言い渡された。
残る検査の待ち時間を、後に控えている兄の試験を見せて貰える事になったのだ。
今にして思えば、きっと彼らは俺を人目に付かない場所で待機させたかったんだと思う。
けれど何も知らなかった俺は、腕輪を付ける時の痛みに耐えれば良い簡単なものだと分かって安心していた。
試験を実地する訓練場を上から見渡せる個室に案内されて、部屋へ入ってきた国兄に呑気に手を振って。
アナウンスに従って国兄が台座に着いたところで、急ぎ足で白衣の人がやって来た。
俺を見て、

「見付けたぞ、ショクヨウだ!」
「では、やはり彼が?」
「はい、シックザール支部長。間違いありません、血液検査や遺伝子検査、どちらも陽性となりました」

興奮気味に話す彼が、その熱が怖かった。
腕を掴まれてどこかへ連れて行かれそうになって、思わず窓の外に向けた目は、確かに蜜色の瞳を捉える。
すぐに腕を引かれて、

「逆らうな、こちらへ来い!」

強く言われた言葉に、行きたくないのに足が動く。
どうして、なんでと思う間もなくどこかへ連れて行かれそうになって、ダガンッと鈍い音と煙が出た。
強い衝撃に吹き飛ばされて見たものは、窓の外にへばりつくアラガミ。
目の前には、赤い果実が砕けたように変わり果てた人の死骸。
それを目にした時、脳裏に過ぎったのはクローゼットから見た光景。
うるさい警報。
人の叫び声。
父さんが怖い顔でコートを俺に掛けた。
母さんが何かを言いながらクローゼットに俺を押し込む。
何かを壊す音。
地面が揺れる。
微かに開いた隙間。
父さんと母さんを、引き裂いた爪。
真っ赤に染まった視界。
その中でも分かる、赤い、光り。
鉄臭い匂い。
それと、微かに甘い香り。
赤い海。
母さんだったものの首。
父さんだったものの手首。
ごりごりと何かを噛む音。
ぐるぐると何かの唸り声。
全部全部、混ざって砕けて震えて広がって息が、息が出来なくなって。
俺は、震える身体を小さく丸めて父さんのコートの隙間から見てた。

「いやあああああああああッ!!!!」

気が付けば喉が震えて叫んでいた。
頭を抱えて、目がアラガミに釘付けになっていて。
怖いはずのそれは、優しい目をしていた。
それと同時に、優しい声を思い出す。

『おれ、たぶん……くになが。きみの……にいちゃん、だ』

どうして今、それを思い出したのか。
多分、そのアラガミが蜜色の目をしていたから。
俺を手荒く掴んでどこかへ連れて行こうとした人から、解放してくれたから。
そうして――

「……くににぃ?」

ほとんど無意識の問いかけに、それは答えた。
バサッと黒い羽根が抜け落ちるように剥がれ落ちて、その中に居た人の姿を現す。
窓にへばり着いていたのは、多分剥がれ落ちた何かのお陰。
高い高い場所から、受け身も取れずに地に落ちる。
慌てた声で何かを指示する人間の声を聞きながら、俺は床にぺたりと座り込んでしまった。
だって、あれは国兄だった。
大丈夫だよって、笑って言う時と同じ優しい目で俺を見てた。
そこからはショック状態でよく覚えていない。
けれど、検査の為と言われて一杯色んな薬を使われた。
そして決まって皆が言うのだ。

「ショクヨウは家畜」
「人と同列に生きようと思うな」
「お前は我々に飼育されるのだ」
「貴重な検体だから殺しはしない」
「お前が居るから」
「お前のせいで」
「家畜風情が」
「ショクヨウはアラガミを引き寄せる」
「疫病神」

「ごめん、なさい……おれ、が……いたから……」

どんなに辛くても、自傷行為を禁止されればそれに従わざるを得ない。
どんなに嫌でも、『検査』を拒む事は許されない。
どれだけ嫌ったとしても、『人間の命令』には逆らえない。
それは、自分がショクヨウという人の形をした家畜だと思い知らせるには、十分だった。
国兄のような人になりたいと憧れた。
実際は、人とは言えないナニカだった。
嫌がっても拒否しても、最終的には逆らえない。
それでも最大の譲歩として、国兄と一緒に居ることは許可が出た。
普段は同じゴッドイーターとしての働きを求められる。
代わりに、国兄が『治療』のためにしている事は『国兄に必要な行為』だとして黙秘を誓わされた。
適合率の高さ故にアラガミ化が懸念される国兄を、人為的に管理・監督するのだと。
薬を使い、催眠を使い、白痴状態の国兄に行われる刷り込み。
人に逆らわず、人を襲わず、人に従うようにするプログラム。
いつの頃からか、その中に他人に抱かれる事が含まれるようになった。
俺はショクヨウの蜜を搾取する為。
国兄は人の遺伝子を効率的に取り込む為。
そんな名目で行われるようになったそれは、俺への仕置きの意味も含まれていた。

「あん、ぃいっ!んんッ、は、あ、ぁあ、ひぃッ!」

普段はストイックで、むしろ中性的な所の多い国兄が見知らぬ研究員に抱かれて喘ぐ。
気持ち好いとかよく分からない、そう言っていた口で気持ち好い、もっととねだり笑みを浮かべる。
そんな国兄を見たくないと思うのに、刷り込みの為だと使われたのは俺の声。
俺と国兄の、誓いの言葉。
汚された事が悲しいと思うのに、涙も涸れ果てて出てこない。
俺が、家族を欲しがったことが間違いだった。
俺が、あの人を欲しがったことが誤りだった。
それでも離れる事を何よりも恐怖する限り、地獄は終わらない。
あの人を地獄に突き落とし続けるのは、俺だから。

適正。

ピッ ピッ ピッ ピッ



耳障りな音が聞こえる。
一定のリズムで鳴らされるそれは嫌に耳について離れず、不安を煽った。
止めて欲しくて手で払おうにも、指先の感覚が鈍くて怪しい。
何故、そんな事になっているのか。
目で見て確認しようにも、目蓋が重くて開かない。
どこかで小さな子供の泣き声が聞こえた気がして、泣かないで欲しいと言いたいのに口すら自由に開けない。
いや、あれは、聞き覚えのある泣き声だ。
ずっと隣で聞いていた、笑顔を見せて欲しいと願っていた。
あれは、この声は――



「国兄ってば!」
「え? ああ、鶴か……どうしたんだい?」

汚れた年代物の黒コートを肩に羽織った弟の呼び声に、首を傾げて振り返った。
不揃いの白い髪をところどころ跳ねさせてふくれっ面をする所は、小さな頃から変わっていない。
鶴丸という古風な名前は、大昔日本に居た鳥の名前が由来らしい。
生き字引と言われる爺さんの話しに聞いただけだが、白い鳥だと聞いてぴったりだと思った。

「軍警に入るって聞いた……何で俺に内緒で決めちゃうんだよ」
「だって、君に言ったら止めただろう?」
「当たり前だ! そんな危ない事……国兄にして欲しくない」

落ち込んで肩を落とす鶴丸に、苦笑を浮かべながら頭を撫でる。
危ない事と言われたが、自分たちが世話になっている孤児院はそもそも軍人を育成する為のもの。
ならば軍警、軍部警察に着くのが当然とも言えた。
もっとも、志願してなる者などそう多くは無いのも本当だ。

「鶴……このご時世だ、職があるだけマシってもんさ。それに、寮へ入る事は辞退したんだぜ」
「……けど、やっぱり相談くらいして欲しかった」
「相談、ねぇ。……確かに、君に言わなかったのは悪かった。訓練の成績が良いって先生に聞いたから、ほんの出来心だったんだ」
「うそ。国兄……俺、国兄がずっと努力してたの知ってる。軍警に入ったら、身内贔屓が出来るって先生言ってたから……」

口の軽い先生、孤児院の世話役に対して内心舌打ちが零れる。
確かに国永は努力をしていて、それは軍警に入るためだった。
軍警に入ろうと思ったのも、配給や避難誘導の際に身内贔屓が聞くと聞いたからだ。
国永に両親の記憶は無い。
小さな頃、孤児院へ入る事になったアラガミ襲撃で酷い手傷を負って記憶を無くしていたから。
そんな中で弟の鶴丸と二人、手を離さずに居られたのは奇跡としか言いようが無い。
今では明るい笑顔と人懐こい様子を見せる鶴丸だが、救助された後は数年を塞いで過ごしていたのだ。
夜には魘されて飛び起き、疲れ果てて意識を失うまで泣き叫んでいた。
日中も終始怯えた様子で父の遺品である黒コートに布団を被って人目を避け続ける。
記憶を無くした方がよほど良かった、と国永ですら思ったのだ。
国永にとって世界は鶴丸が中心であり、それで全てだった。

「国兄、そうやって俺の事ばっかり。俺、国兄の負担になってる?」
「負担だなんて、まさか! なあ鶴、俺が前向きに生きようと思えるのは君が居るからだ。君の為だと思うから、俺は生きて居られるんだ」
分かって欲しいとは言わない。
けれど、譲れない事があるのだと知って欲しかった。
涙目で肩に羽織った黒コートを握り締め、鶴丸が視線を落とす。
唇が震えて小さな言葉を漏らすのを、首を捻って聞き返した。

「俺だって! くににぃの為に生きたい、くににぃと一緒に、生きたい……」
「鶴……ごめんな? 俺のワガママを許して欲しい」
「……じゃあ、俺のワガママも許してくれる?」
上目遣いに様子を見てくる視線は、思いの外強い光りを帯びている。
その様子に首を傾げてどういう意味かと聞いたけれど、鶴丸は首を振って答えてはくれなかった。
兵役年齢に達した鶴丸が、俺の後を追うように軍警へやって来たのは数年後のことだった。



ピッ ピッ ピッ ピッ



初めにその姿を見たのは、軍部の中でもエリートと言える彼が極東支部へ来日した事がきっかけだった。
ある程度の階級を持つ者、実戦経験のある者、年頃の近い者、そんな雑多な分類で呼び出されたお出迎えの式の中。
演壇に登る彼に見向きもせずに欠伸を噛み殺していた。
随分と整った美貌とよく通る優しげな声音に、とんだ優男がやって来たものだと早々に興味を無くしたからだ。
むしろ同じように並ぶ列の中、隣に立つ鶴丸の頭を横目に見ていた。

「三条宗近氏の身辺警護の為、お前達の中から……」
「なあ、くににぃ……。あの人、そんなに凄いのか?」
「さあなぁ……」

こそ、と隣から聞こえてくる囁き声に意識を集中させて上官殿の有り難いご高説とやらを聞き流す。
実際どれだけ凄い人間だろうと、一皮剥けばただの人。
軍部は昨今増えつつあるテロの鎮圧や市街地の見回りなどでてんてこ舞いだ。
アラガミを倒せる特殊な得物を持つ軍人、ゴッドイーターの補佐などで人員は常に不足している。
夜勤の見回り明けに退屈な話しなど、眠気の誘発剤でしかない。
あまり深い睡眠が得意ではない分、こうやって時間のある時に少しでも疲労を回復する事にした。
軍帽を目深に被り直し、目を閉じて話しを聞いているフリをしながら立ち寝を決め込む。
と、

「くににぃ! くににぃっ!」
「……んぁ?」
「椿国永! どうした、前へ出てこい!」

上官の怒鳴り声よりも小さな弟の声に反応し、落としていた意識を浮上させる。
顔を上げれば苛々とした様子で早く来いとジェスチャーを決めていて、何かトチったろうかと不思議に思いながら群衆の前へ出た。

「失礼しました、椿国永であります!」
「並びに椿鶴丸、前へ!」
「ハッ! ……椿鶴丸であります!」
「三条様、こちらの者達で宜しいでしょうか?」
「うむ、ご苦労」

改まった上官の様子に内心首を傾げながら顔を上げれば、遠目にも分かった美丈夫が笑んだ。
その優しそうな微笑みとは裏腹に強く射貫くような眼差しに、息を呑む。
藍色の瞳に、月が浮かんでいた。
じわり、と背筋を言いようのない感覚が走る。
ともすれば何かを叫びたいような、走り出したいような衝動に駆られて違和感に眉を潜めた。

「お前達、その髪は自前のものか?」
「……は? 失礼、意味が計りかねます」
「地毛か、と聞いている」
「……そう、です」

ちらり、とこちらを一度横目に見てから肯定する鶴丸の言葉に、美丈夫は顎に手を置いて何かを考え始める。
それと呼ばれた事と、何の意味があるのかと不思議に思い首を捻った。
むしろこれだけ人の多い場所で呼び出されては、格好の餌食になってしまう。
自分だけならまだしも鶴丸も一緒、という状況に腹立たしい物を感じ、自然美丈夫を見る目付きがきつくなった。

「……これよりお前達は俺直属の護衛官に回って貰う。お前は確か……国永、と言ったな?」
「はい、椿国永であります」
「うむ。見分けが付くよう髪を染色しろ。色はこちらで用意する」
「……それは、命令でしょうか」
「そうだな。命令だ」

口に浮かぶ笑みとは裏腹に冷たく見下す瞳を見て、腹の中まで真っ黒な奴なのだろうと密かに嘲たものだ。
もっとも、向こうも同じ意見だろうとにらみ返したのだが。



ピッ ピッ ピッ ピッ



いつの間にか落ちていた意識が浮かび上がり、視界に白い光りが見える。
眩しいと思うと同時に目の奥に痛みが走り、あまり長いことそれを見る事は出来なかった。
耳の奥ではもうずっと聞き慣れて頭痛を催す音が相変わらず続いていて、それが眠りに落ちようとするのを妨げる。
声をあげようとして喉がカラカラに渇いている事に気付いた。
そもそも、ここはどこで今は一体いつなのか。
さっきまでいやに懐かしい夢を見ていた気がする。
いや、今が夢かも知れない。
まとまらない思考は乱雑にとりとめも無い事ばかり。
さっきまで宗近や鶴丸の事を考えていたような気がする。
そうだ、鶴丸は今どこに。
思い出そうと目を閉じれば、次第に身体の感覚すらも曖昧になっていき。



ピッ ピッ ピッ ピッ



「国永? どうした、どこか痛むのか?」

呼びかけられてはっと意識を取り戻すと、目の前には瓦礫を背に俺を庇う三条宗近の顔が間近にあった。
心配そうに顔を覗き込まれ、むしろそれをするのは俺の役目だろうと表情を険しくする。

「宗近、何故俺を庇ったんだ。君は自分の役職を何だと――」
「しっ……。残党がまだ居るようだ。……お鶴に車を捕りに行かせたのは正解だったな」

もっとも、あちらも襲われている危険はあるが、と小さく呟かれて背中を冷たいものが流れた。
そうだ、事前告知していたとはいえ、こうやって軍の重役にある宗近が襲われたのだ。
ならば逃げ道を潰すために公会堂から出てくる軍人を見逃す筈も無い。
テロリスト共の浅はかな矜持とやらの為に、弟が傷付くのだけは見過ごせない。
音を出さないよう慎重に顔を巡らせれば、踏み込もうと突入の指示を出すテロリストの声と近場に転がる小銃に気付く。
今は己が庇うはずの重役、宗近が身体全体を覆うように瓦礫の下に挟まってくれたお陰で僅かな隙間から抜け出せそうだ。
俺の目線に気付いた宗近は厳しい表情で首を振る。

「それはいかん。俺は、お鶴にお前を帰すと約束した」
「……人を勝手に犠牲にしないでくれないか? 君の為に命を使うには、勿体ないんでね」

俺の命は弟の、鶴丸の為に。
ずっと昔から決めていた事。
だからこんな所で使う訳にはいかないんだ、そういう意味を込めて笑って見せる。
目を見開き、息を呑むのを気配で感じながらタイミングを計って隙間から飛び出した。
猫のようにスルリ、と音も無く抜け出して小銃を手に取る。
構えるよりも先に出入り口の扉に銃口を向けながら引き金を引いた。
トタタ、トタタ、と軽い音で人の命を奪うそれに、怖じ気づく後続達。
中へ入ってきていた数人が俺を狙うも、その時には教壇の影に回り込む。
腿に括り付けていたバトルナイフを片手に握りながら上着を脱いで、小銃を脇に抱えて固定する。
上着を放ると同時に反対側に回って飛び出した。
囮に釣られた奴らの銃口が上着へ向かっている間、姿勢を低く公会堂の椅子の影を伝って侵入者へ肉薄する。
床すれすれまで姿勢を落としてしまえば、その分速度は遅くなるが狙うのは困難。
小銃で近い奴の足を撃ち抜き、通り過ぎ様にナイフで首を掻ききっていった。

「宗近、もう良いぜ!」

声を掛けながら扉の横について威嚇射撃を加えれば、瓦礫の下から顔を覗かせた宗近が近くへやってくる。
相手の人数や武装は定かではないが、浮き足だった雑魚を狩るのは造作も無い。

「手慣れているな」
「いいや、これが初めてさ」

実際に人の命を獲るのは初めてだった。
けれど、そこに思ったような衝撃も恐れも、迷いも無い。
彼らと自分の一体何が違ったのか、考えるのもバカらしい。
思想や覚悟は彼らの方が上手だったのだろうが、結局は物欲の違いだろう。
鶴の為にしか死ねない、それしか俺にはなかったのだから。

「……強いな、お前は」
「なに、そうでなくっちゃ君の護衛は務まらん」
「そうか。……では、我々は秘密の抜け穴から逃げ出そう」
「抜け穴?」
「うむ。こういう事もあろうかと、この公会堂は教壇の下に抜け道があるのだ」

しれっとした顔でこっちだ、と案内する宗近の涼しい声に、そういう事は早く言えと怒りたい気持ちで一杯だった。
鶴丸は上手く車まで行けたが、そこから抜け道の出口まで移動するよう言われていたらしい。
最初から、宗近はテロリストの動きを読んで行動をしていたのだ。
俺が思ったより戦えたのはむしろ僥倖だった、と後に語られた。
その時に一発殴ってしまったが、俺は悪くないと言っておく。



ピッ ピッ ピッ ピッ



いい加減、耳障りなこの音に我慢がならなくなってきた。
意識を揺さぶり、たたき起こしては眠りに誘うように一定のリズム、一定の音で続くそれ。
どうしてこんな音を聞くような状況になったのか、うっすらと開くようになった目蓋に力を込め、視線を巡らせる。
そうして、自分の腕に見慣れない腕輪がある事に気付いた。
気付いて、全てを思い出した――。
ぺらり、と送られてきた書式に目を通す。
ゴッドイーターの適性値 合格 ひいては○○日に極東支部にて適性試験が行われます。
それだけを書いた紙に、ふーん、とそれだけの反応をする。
同じ書式を見ていた鶴丸は嬉しそうに微笑み、

「国兄、やった! 俺、ゴッドイーターになれるって!」
「試験に合格すれば、だろう? けど、良かったな、おめでとう!」

嬉しい、嬉しい、と抱き着いてくる鶴丸に抱き締め返す。
ふわふわの跳ね毛に襟足の長い白い髪。
その襟足に指を絡めて頭を撫でる。
繊毛に顔を付けて息を吸うと、ふわりと甘い匂いが鼻先を掠めた。
いつ頃からか気付いた弟の独特の香りに酔いしれる。
この子の笑顔を守る為ならば、命すら容易に差し出せる。
そう。
だから、適性試験の会場だと連れて行かれた先。
フェンリルのアナグラで傷だらけの訓練場と思わしき部屋で、こちらを見下ろしてくる支部長と研究者、その隣に鶴丸の姿を見た時に。
嫌がるあの子の手を引いて何かを強要しようとするあの研究者。
怯えた様子で、俺に縋るような目を一瞬向けた鶴丸の姿が。
研究者が何かを口にした瞬間、驚いたように身体を強張らせた鶴丸が抗いきれずに連れて行かれそうになり。
我知らず、握り締めた神機との接続を認識した瞬間に。
視界が弾けて白く塗りつぶされた。
ソレと同時、どこまでも広がる感覚に万能感を覚えて。
異様な興奮感と気の赴くまま、気が付けば訓練場の壁に鉤爪で張り付いて神機を強化ガラス越しに叩き付けていた。
運悪く、その神機の先に居たのは鶴丸を連れ去ろうとした研究者で。
真っ赤な花を散らして潰れた果肉を見せるそいつに、笑みがこぼれた。
神機を手放したせいで元に戻った手先では、壁に張り付くことすら出来ず。
かなりの距離を下に向かって落ちていく。
その時に絡んだ支部長の視線は、熱を孕んだ禍々しい光りを称えていた。
気付けば白いベッドの上。
横には心拍数でも計っているのか、一定のリズムをたたき出す騒音装置。
手足はベッドに拘束されていて、動けないのも頷けた。
今の時間は時計も外部の光りもない状態では知る事も出来ず。
随分長い間眠っていた気がする。
利き腕には見慣れない、けれどよく知る腕輪が付けられていた。
ゴッドイーターと呼ばれる彼らは、神機を使う為に腕輪の装着が義務づけられている。
えらく頑丈そうな作りのそれは、適性検査の合格を意味していた。

「くににぃッ!!」

ぼんやりとしていたら扉の入り口から愛しい子供の声が聞こえる。
動かない身体で目線を向ければ、いつもは笑顔の咲き誇る顔をしわくちゃに涙で赤く腫れさせた鶴丸が。

「つる……ど、して、泣いて、?」
「ばかばかばかッ、くににぃのばか!あ、あんな無茶……どうして……」

渇いて喉に張り付く声は届かなかったようで、錯乱気味の鶴丸がベッドに突っ込んでくる所だった。
どうして、と言われても。

「だって……つる、いやがってた……ろ?」

理由なんてそれだけで十分だ。
ああけれど、怖がらせてしまったかも知れない。
先に試験を受けていた鶴丸も、見れば腕輪を付けていて合格したのだと知れた。
なら、掛ける言葉は決まっている。

「つる……ご、かく……おめで、と……」
「っ……く、にに……」

余計に泣かれてしまって、今の状態では抱き締めてやる事も出来ずに困ってしまった。
と、更に扉の開く音が聞こえて白衣の男性が入ってくるのが見える。
俺の目が開いている事と鶴丸が居る事に驚いてから、すぐに拘束具を外してくれた。
ようやく自由になった力の入らない手で、鶴丸の頭を撫でてやる。
感極まった鶴丸は、今度は安堵のせいで更に泣いてしまって、苦笑が漏れた。

「君達は本当に仲の良い兄弟だな。私は、オオグルマダイゴ。君の主治医だ」
「……しゅ、じ?」
「おめでとう、適正試験は無事合格だ。だが試験中の"事故"により負傷した為、今暫くの療養が必要となる」
「……じこ」

あれを、事故と呼んで良いのか。
いや、お偉方が事故と片付けたのなら、あれはそういう事なのだろう。
頭を抱えるように鶴丸が抱き着いてきて、いつも通りの甘い香りに安堵の息が出た。
少し緊張していたのかも知れない。

「今はゆっくり身体を休めなさい」

そう言われ、頷く代わりに目を閉じた。
今度の眠りは、それまでの息苦しいものと違って穏やかだった。
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