俺が小さな子供達を引き取ったのは二十歳の誕生日を迎えて数ヶ月経った頃だった。
初めは小さな頃に居た施設からの電話。
呼び出しの内容は預けられた子供を一人、引き取ってくれないかという物だった。
久しぶりに訪れた施設は、随分と古くなってはいたけれど記憶の中のままだった。
「先生、お久しぶりです」
「まあ……緋翠、ちゃん? 綺麗な女性になったわねぇ」
「ありがとうございます」
会ったばかりの人物を直ぐにそれと判断した事に驚く。
けれど久しぶり、という挨拶と近々訪れるとは言って居たから、消去法の判断だろうと思い直した。
先生に案内されて入ったのはかつての院長室。
「院長は?」
「……亡くなったのよ。それで、ここも閉める事になってしまって」
子供の引き取り手を探していたのはそういう訳だと説明されて頷いた。
そうでなければ、引き取り手の居ない子供が居なければ連絡など寄越さないだろう。
それこそ何十年と前に世話になっていただけなのだから。
話を聞けばある程度は決まっているとの事だった。
ただ数人残った少年のうち、一人だけ気になる子が居ると。
「彼は春告朱乃くんって言うんだけど、他の子を先に選べば良い、俺はどうとでもなるって……」
「普通なら自分が、と言うのに面白い子ですね」
「面白くなんか……いえ、そういう所は貴方に似てるわね。実際彼の引き取り手にという人は何人か居るの」
「稚児趣味ですか?」
「……貴方にお願いしたいのはその子よ」
言葉を返さない先生に内心で笑って出されたコーヒーを飲む。
先生は彼を連れてくる、と言って部屋を出て行った。
さて、いきなり引き合わされた所で彼は大人しく従うだろうか。
自分はどうだったか、手を繋いで一緒に帰った爺さん。
ただ彼が寂しそうに見えたから、まあ自分が居てそうならないなら良いかと思った気がする。
ガチャリと聞こえた音に振り向けば、先生が小さな男の子を連れていた。
紫銀の髪に藤色の瞳のいやに綺麗な少年。
なるほど、稚児趣味に狙われそうな外見をして居る。
「朱乃くん、お姉さんに挨拶してね」
「……春告朱乃、9才だ」
「椿緋翠、二十歳だ。今回お前を引き取る話でここに来てる」
「引き取る? あんたが? ……他の奴は」
「さてね、今先生が抱えているのはお前の引き取り手の事だけだ。それが片付けば他のも当たるだろうさ」
「緋翠ちゃん! 貴方は本当に昔から変わらないのね!」
何故か怒られ、説教が始まった。
そもそも誰とも仲良くしようとしない、言葉をもう少し選んで、他人に関心を抱け、等々。
昔は毎日のように聞いていたそれを久しぶりに聞き、肩を竦めてコーヒーに口を付ける。
と、横から小さな笑い声が聞こえて視線を向ければ朱乃と言った少年が笑って居た。
「大人なのに変なの。分かった、俺はあんたの世話になる。いつから行けば良い?」
妙に素直に納得した所で、先生は口を開いて固まった。
俺は大学の講義の予定やバイトの事を少し考えて、
「今日から来るか?」
「ああ、それでいい」
「だそうだ、先生。固まってないで書類作り頼むよ、家に郵送してくれ。コーヒーご馳走様」
そう言って朱乃に手を差し出せば、小さな手の平が握り返してきた。
他人の温度なんて気持ち悪いと思う事が多いのに、それは平気だった。
先生は泣きそうな顔をしながら頷いて、施設外の門前まで見送ってくれる。
「緋翠ちゃん、朱乃くん、元気でね。無理しちゃだめよ」
背に掛けられた声に振り返ろうかと思ったが、やめた。
朱乃が振り返って居ないし、記憶の中の自分も振り返っていなかったから。
途中でタクシーを拾って自宅へ向かいながら、脳裏をしめるのは爺さんの事だ。
爺さんは着流しで散歩でもしているのかっていう様子で来た。
けど本当は、自分を引き取るように院長からお願いされたんだろうか。
だとしたら自分は、だとしても結果はきっと変わらない。
「なあ」
「うん?」
「あんたのこと、何て呼べばいいんだ?」
「うーん、20と9じゃなぁ……姉と呼ぶには離れすぎてるか」
「じゃあ……かあさんて呼んでいいか?」
「へぇ、かあさんか。じゃあお前は息子だな、朱乃」
「ああ、俺はあんたの息子でいい。……名字、かえなきゃだめか?」
「いや、そのままで良いだろ。春告なんて良い名じゃないか、大切にしろ」
「うん」
そういうやり取りで俺達の家族の形は決まった。
母親っていうのはよく知らなかったけど、ようは家族を守れば良いんだと思った。
タクシーが自宅について中を案内していた時、電話が鳴り。
自分の遠縁だと名乗る妙齢の女性からの電話だった。
事故で残った子供を引き取ったけれど、どうしてもその子と一緒に居られなくなってしまった事。
その子供が他に行き場のない事も告げられ、
「あの子は、怜悧は良い子なんです。身体が弱くてご迷惑をお掛けするかも知れませんが、お願いします」
「落ち着いて下さい。怜悧くんという子なんですね?」
「そうです。怜悧は、怜悧は……笑顔の明るい、優しい子で……お願いします、このままじゃ……」
「……その話、お受けします。ですから気を落とさないで下さい。部屋の用意もありますから、一週間お時間を頂きます」
「ありがとう、ありがとう御座います……お願いします……」
そう言って切れた電話を見て、やれやれとため息をついた。
そして不安そうに見つめる朱乃に笑い、頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
「もう一人家族が増える。何歳だか聞くのは忘れたが……下ならお前の弟、上なら兄貴だ」
「男の子がくるのか?」
「ああ、多分。まあ細かい話は良い、それより部屋を用意しないと……来い、二階だ」
そう言って朱乃を二階に案内し、爺さん共々書斎として使っていた部屋に案内する。
洋式作りの部屋は荷物が少ない方だったので、近くにあった段ボール箱にと仕舞い入れる。
朱乃も見よう見まねで手伝ってくれるのを二人で片付け、昼ご飯を食べた。
面倒だったので素麺を食べ、朱乃の好みを聞いて夜はシチューを作る事にする。
そうして今度は本棚の本を取り出して縛り、取り出して縛りを繰り返す。
一週間、大学の講義が終わり次第、家に帰って朱乃の好みや話を聞いて片付けをした。
お陰で大分早く二人分の部屋が空いた。
「お疲れだな、朱乃」
「かあさんもな」
「約束の時間があるから出るが、お前は家で留守番してろよ」
約束した場所は病院で、場に現れたのは品の良い老女だった。
お互いに一礼してその場に座り、色々な事を聞いた。
怜悧はどんな子だとか、誕生日に遊びに行った帰りに事故で両親を失っただとか。
引き取る事を決めて後日病院の診察を受けたら末期癌だった事が見つかっただとか。
「あの子と一緒に居たいという願いも、笑って欲しいという願いも叶いそうにありません。ですが、あの子が落ち着ける家、家族を探してやりたいと思ったんです」
「9歳ですか……彼のご両親の事、お悔やみ申し上げます。俺、いえ、私は大学生ではありますがバイトもしています。生活費などはご心配なさらないで下さい」
「申し訳ありません、見ず知らずの人にとんだお願いを……」
「いえ、赤の他人では無いですから。奇遇な事です、昨日同い年の少年を引き取りました。きっと兄弟として仲良くやってくれます」
「……すみません、ありがとうございます……ありがとう…!!」
「彼を引き取ると決めた時、私は彼の母親になりました。息子の幸せを願うのは当然です。貴方の分も見守ります」
泣き崩れる老女を抱き締め、暫くの間背を擦って一緒に居た。
彼が親として認めるかはともかく、自分は彼を息子だと思って接する。
それが家族を知らない自分に出来る最大。
出来る事なら、爺さんが自分を育ててくれたように彼の傍にありたい。
老女が落ち着いて引き合わされた病室には、一人の少年が不安そうにこちらを見ていた。
金色の髪に不安そうに歪められた碧眼。
「おねえさん、だれ?」
見知らぬ人間に会った時の、普通の子供の反応。
老女が前に出て抱き締め、目線を合わせるようにしゃがむ。
「怜悧、よく聞いてね。この人はお婆ちゃんの従兄のお孫さんなの。お前と一緒に暮らしてくれるって…」
「椿緋翠だ、今日からお前は俺の子だ」
自己紹介を兼ねて真っ直ぐに見下ろして言えば、少年はむずがるように老女の後ろに隠れようとする。
愛おしい子を見る老女の優しい目線。
それを受けて素直に反応する少年。
どうにも自分には扱いに困ると思い、老女が説得する声を聞いて考える。
普通の子供の反応はどういうものだったか、その内面はどうだったか。
答えは全く把握出来ない、というものだった。
友人達なら何となくどういう反応をする、とかは考えられるがそれよりもその場に合わせて自分が動く方が多い。
内面、というのも反応を見て言葉を聞いて、自分なりに考える事しか出来ず。
「いつでも会いにおいで」
そう別れを告げる老女が泣き崩れる前に、怜悧の手を引いて立ち去る事しか出来なかった。
怪我の癒えた少年の表情は暗い。
それもそうだ、信頼していた老女と急に離され、得体の知れない人間と歩いているのだから。
とぼとぼと歩く怜悧の歩みは遅々として進まないが、急ぐように強要するでもなく好きにさせる。
病院を出て近くの公園を通りかかった時、移動クレープ屋が見えた。
「怜悧、クレープ食うか?」
「……たべる」
小さく頷くのを見て、二人で移動クレープ屋の前に移動する。
メニューが見えない怜悧を抱き上げて好きな物を選ぶように進めた。
「いちごちょこなまくりーむ! ……おねえさんは?」
「いや、俺は……あー、アーモンドチョコ」
元気よく注文し、次いで困ったように見られて食べるのは苦手なのに注文してしまった。
持ったまま帰り、朱乃にやれば良いかと切り替える。
怜悧はクレープ生地が焼かれ、その上にチョコレートスプレーとアーモンドが散らばるのを真剣に見ている。
続いて冷えた生地の上に生クリームと苺、チョコレートソースが掛けられて丸められた。
クレープが完成して渡されると、怜悧が目を輝かせて両手で受け取る。
なるほど、子供らしく甘い物が好きらしい。
抱いていたのを下ろし、料金を払って怜悧の片手からクレープを取り背中を押して近くのベンチへと座る。
自分のクレープを大事そうに両手で抱えた怜悧がちょこん、と座ったまま
「いただきます!」
何とも行儀良く育てられたらしい。
一生懸命頬張って食べる姿は愛らしく、庇護欲が出てくる気がする。
さて、初めての子育ては上手くいくのかなと空を眺めた。