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夜明の流星群


俺は雪が嫌いだ。


あの日、俺が計画したスキー旅行で親友を失った。
一緒に来た椿も瀕死の重傷で、まだ幼い怜悧だけは何とか守り抜いたが、あの子が心におった傷は深く簡単に癒えることはないだろう。
全ては俺があんな旅行を計画したせいで。
「鶴丸殿、私が居なくて本当に大丈夫ですか?」
「やだ、と言ったら君は行くのを辞めてくれるのか?」
いちは少し考えてから俺を抱きしめた。
「やはり行くのは辞めます」
「ダメだ、どうしても断れないって言ったじゃないか。
沢田さんの顔に泥を塗る気か?」
「ですが…」
「悪かった、冗談だよ。
お前の気持ちを少し試しただけだ。
行ってこい、ちゃんといい子にしてるから、俺はお前の写真の一番のファンなんだからな?」
あやす様に頭を撫でればしぶしぶ納得したようだ。
年明けから一期は大きな仕事の為に長期で海外に行く。
椿の後継人の沢田さんがぜひ一期にと推してくれた。
「俺なら大丈夫だから、行ってこい。
俺はお前が俺のためにこの仕事を断ると言うならお前と別れる」
「……判りました、だけど無理は…」
「しないよ、約束する。
何かあったら電話するから。
それに椿に三条も居る、何かあったら頼るから」
「はい」
一期は不安そうだけど納得したのか、きつく抱きしめてきた。
「いち、どうした?」
「……貴方まで居なくなったら、私は…」
「居なくならないよ。」
安心させる様に抱き締め返せばそのまま乱暴に唇を奪われた。
「んっ、あ……んむっ」
そのままもつれこむ様にベットに倒れ込む
「こら、いち。がっつくな。
逃げたりしないから」
いちは子供みたいに俺を貪る。
体を繋げて、奥底まで深くいちの愛で包まれる。
愛しくて、大切にしなきゃいけないと思う。


一期が仕事に行って、俺は仕事を再開した。
毎日依頼が来るわけじゃない探偵業の静かな事務所で1人、俺は降りしきる雪を眺めながらコーヒーをいれる。
インスタントでお湯を注ぐだけなのに、あいつと同じ味にならない。
「お前は蒸らしが足りないんだ、茶もコーヒーも蒸らす時間がうまさを引き出す秘訣だ」
前に鶯がそう言ってたのを思い出した。
「俺が待てないのを知ってるだろ?」
そう言って溜息をつくと笑っていたあいつはもう居ない。
ずっと隣にいると思っていた、錯覚していた。
居心地が良すぎて。
「あのぅ……すみません」
その時若い女性が事務所を尋ねてきた。
「あ、はい。依頼ですか?」
「はい、人探しを…」
疾走した恋人を探して欲しいとのことで、詳しい話を聞いて、写真を預かる。
「鶯、書類持ってきてくれ」
乱雑に書きとったメモを見ながらいつものように声をかけた。
暫くしても鶯が戻ないのを不審に思い振り向いて悟る。もう居ないんだと。
「あの…」
依頼人が心配そうにこちらを見た。
「あ、はは…すいません
最近バイトが急に辞めたもので。
すぐにお持ちします」
そう言って引き出しから依頼書と見積書を持ってくる。
「それでは、お願いします」
「はい、何かありましたらこちらにお電話ください」
「ありがとうございます」
女性を見送り、事務所を締める。
カーテンを閉め、薄暗い事務所で不意に涙が溢れてきた。
あれから椿は時々鶯の幻覚を見て、また失うのではないかと恐れてる。
怜悧の側も離れたがらずに視界に入る所に怜悧を置きたがる。
あの雪山で椿は変わってしまった。
みんな、みんなメチャクチャにしてしまった。
俺が、あの時、鶯の側を離れなければ…
俺が、見ず知らずの他人まで助けようとしなければ。
俺が、あいつを死なせた。
鶯を死に追いやった、俺が鶯を殺した。
だから、俺は守らないといけない。
鶯が命懸けで守ったもの、俺達の命を、今度は俺が守るんだ。


そして、俺は失踪人を探すために情報を集め、刑事の友人である髭切に頼んで協力してもらった。
失踪者の男性は雪山に登山に向かい、見つからない。
警察にも届け、山を捜索してもらったが彼が居た痕跡だけが残る山小屋を見つけたくらいで後は何も見つからなかったと言われた。
「……また雪山か、ほんとなんの因果だか」
麓に車を停め、髭切から貰ったから入山許可証を見張りの刑事に見せ、入山する。
一面の銀世界。
あのときはただ無邪気にスキーを楽しんでいた。
人混みは好まない椿も楽しそうに怜悧とボードを巧みに操ってゲレンデを滑り降りた。
俺達は二人乗りの赤いソリで子供みたいにはしゃいだな。
そんな思い出を胸に、ストックを頼りに歩き出す。
俺はその時何かに手を引かれた気がして、何処に辿り着くか判らないのにその手に引かれるままに歩いていった。
恐怖は不思議となかった。
辿り着いたのはあの時と似た様な崖だ。
鶯が次郎子の死体を連れ去った、椿が死にかけた、あの崖に似ている。
上から下を覗けばグッタリとした男が横たわっていた。
「おーい、大丈夫かー
助けに来たぞー」
返事はない、ピクリとも動かない。
念のため持ってきたロープを固定し、崖下に降りるが、タイミング悪く滑ってしまい崖下に転落した。
「っ!?」
足を強くぶつけて、避けたんじゃないかと思うほどの衝撃を受けた。
「くそ、これじゃ登れない。
携帯も繋がらないよなぁ…」
一応確認したがやはり圏外だった。
崖下に居た男は生きているか確認する。
男は目をこちらに向けて見開いたまま凍死していた。
「いま、家に返してやる。
彼女が心配していたぞ」
男の目を閉じさせ、崖上にどうやって上がるか考えるが、足が使えない以上どうしようもない。
「おまえさんも、こんな景色を見ながら逝ってしまったのかい?」
ぼんやりとあたりを見回し、岩の窪みに身体を押し込めて少しでも寒さを凌ごうとする。
崖下に死体と一緒にいると言うのに恐ろしくもない。
自分の恐怖という感情はあの日の雪山で凍りついてしまったのかもしれない。
雪山は夜になると容赦なく体温を奪う。
ただ、夜景だけは綺麗に澄んでいて、星が沢山落ちてくる。
そういえば、テレビで流星群が来るとか言っていたのを思い出した。
「もうすぐお前のところに行けるかな…」
流れる星を見ながら呟いた言葉は独り言のはずだった。
「それは困るな、まだ早いだろう?」
確かに、背後から声がした。
振り向こうとしたら、体が動かなかった。
「賢明だ、そのままこちらは向かない方がいい」
懐かしい声に、俺はきつく自分の手を握る。
「こんな危ないところに一人で来るなんて無茶をする。
お前に何かあれば泣くやつがいるだろう?」
「それ、そっくりそのままお前に返すぞ」
「はは、そうだな。
だが死んだものは蘇らない。
いつまでも死にしがみついていたら本当に大切なものをなくすぞ」
「無くさないさ、お前が繋いでくれた命だ。
俺が守る、お前の代わりにな。」
「そうか。頼んだぞ」
そっと、勇気付ける様に重なる手は暖かかった。
過ぎ去った過去を胸に抱いて俺は生きていく。
サヨナラの代わりになる言葉をずっと探してた。
いつかまた会えるか?とは言わなかった。
俺は前を向いて生きていくから。
振り向かずに、行けるように。

明け方の空にたくさんの星が落ちてきた。
「ああ、もう行かないと…」
そう告げる声に、俺はそうかとだけ呟いた。
「達者でな」
あいつが微かに微笑んだ気がして


降り出した流星群に願いを込めて放つ
どんなに離れてたって、奇跡を起こせる絆が確かにあるから。
俺はもっと強くなれる。

「お前はひとりじゃない」

繋がった手をそっと離した
宵明けの空の下で



気がつくと俺は病院に居た。
隣にはいちが目を腫らして眠っていた。
「いち…」
「う…ん……鶴丸殿?」
ぼんやりとしたいちが覚醒して俺に抱き付く。
「鶴丸殿!鶴丸殿鶴丸殿鶴丸殿!!」
「いち、俺は…」
「雪山で崖から落ちて気を失っていたんです」
「そうか…おれは依頼人から探してほしいと言われたヤツを探して…」
「警察に電話が無ければ死んでいたかもしれないのですぞ!」
「警察に電話?」
「はい、匿名で電話があって…
あなたが行った雪山で相方が崖下に転落した、足が折れて引き上げられないから救助してくれと。
正確な場所を告げてくれたのであなたは助かったんです。
あと一歩遅かったら凍死していたんでよ?」
そう言われて、鶯に会ったような気がしたのを思い出した。
「そうか」
「なんで嬉しそうなんです?」
「いい夢を、見てたからかな」
そう言っていちの頭を撫でる。
「いち。ただいま」
抱きしめて離さないようにきつく力を込めた。
大丈夫、離さないから。
俺がいちを守るから。

幸福の裏側


五条先輩に手を引かれる。
出口まで、逃げなくちゃ…
でも、いつも手は離される。
僕は茨に捕まって身体を引きちぎられる。
先輩が、何かを叫びながら手を伸ばしたけど、それを確認する頃には僕の頭は胴体から離れている。

そして僕は茨の部屋で新たな魔女になる。
アリアさんが虚ろに茨に囚われた僕を見上げ、茨の海に飲み込まれていく。
いつもそこで目が覚める。
汗をびっしょりかいて、気持ち悪い。
真夜中だけどシャワーを浴びて、キッチンで水を飲もうとコップに水を注いだ時だ。
「怜悧…」
戸口に母さんが立っていた。
母さんは暗い顔でこちらを見ている。
「起こしちゃった?」
「怜悧、どこにも行くな…」
「行かないよ、母さんのそばに居る」
ギュッと母さんを抱き締める。
だけど本当は僕がそうしたいだけ。
朱乃が居ないから、不安定な母さんを利用して自分の恐怖を和らげてる。
最低の息子だ。
母さんの方が大変なのに。
「母さん、母さん…」
子供みたいに泣きじゃくれば母さんは優しく抱きしめてくれる。
「怜悧…生きてる、どこにも行かない?」
「行かないよ、生きてるよ」
僕を撫でながら母さんは生きているのを確かめようと僕の心臓に触れる。
鼓動が伝われば母さんはほっとしたように僕から離れた。
「お前が、いなくなる夢を見た…
鶴でよく見えなかったけど、あの時お前が引き裂かれる音が耳にこびりついて離れないんだ」
「…ごめん、もう危ないことはしないから…」
母さんを落ち着かせて寝かせて、暫く手を繋いでいる。
母さんが眠ったのを確認してそっと手を離す。
自分の部屋に戻ると、真っ暗な部屋であの時のことを思い出す。
ベットに突っ伏してそのまま目を閉じる。
「もうやだよぉ…朱乃…助けてよ…
どうしてそばに居てくれないの…」
母さんの前でも、朱乃の前でも言えない事を涙と一緒に流してしまう。
怖かった、もう二度と会えないんだと思うと。
鶯さんみたく。
そうなったら朱乃は、母さんはどうなるんだろう。
あの時茨に殺された僕の手を繋いでいた五条先輩は…
不安な時、励ましてくれた台霧さんは…
僕1人の死がどれほど影響するかわからないけど、せめてそれが安らかやものであって欲しい。
忘れて欲しくない気持ちと、忘れてほしい気持ちが押し寄せた。
それの何よりも強く頭をよぎったのは朱乃だった。
朱乃は僕がいなくなった後ちゃんと前を向いていられるかな…なんて。
景色がゆっくり過ぎていくみたいに、ほんの一瞬に色んなことを考えた。
頭が、身体が引きちぎられる感覚…
「あ…ああっ…いや、いや、いやだ、いやだいやだいやだ、まだ死にたくない、まだ、まだっ…」
体をぎゅっと丸めて布団を頭からかぶる。
「やだ、助けて、朱乃…しゅのぉ…」
毎晩こうして誰にも届かない声を上げる。



「怜悧、なんか無理してないか?顔色悪い」
「………別に、なんともない」
涼が心配そうにこちらを見る。
でもうまく笑えないし説明もできない。
なんて言えばいいかわからなかった。
僕は死んだんだって…。
「なんとも無い顔してないから聞いてるんだ」
「………放っておいて、今は誰とも話したくない」
涼に八つ当たりして、最低だと思う。
でも止まらなかった。
「今日、早退する。」
「そうしろ、代返はしといてやる」
そう言った涼と別れ、帰り道をトボトボ歩いた。
母さんは五条先輩の家に預けてる。
このまま家に帰れば今は一人。
僕は大学の講義が終わる時間まで部屋でカッターを手首に当てた。
すーっと赤い筋の内側から這い出でるように溢れ出る。
不思議と痛みはない。
もう1度、やはり痛みは感じない。
「やっぱり、死んでるの?」
手首から溢れる真っ赤な血も、何もかもが気持ち悪い。
僕の体に灯る青い炎がまだ僕を好き勝手している気がして。
「や、だ…助けて、誰か…朱乃…」
何度呼んでも朱乃は助けに来てくれない。
でも、自分からこの状態を話す気は無い。
もうこれ以上朱乃に心配はかけたくない。
だから、僕は1人で耐える。
いつも通り笑って、いつも通りに振る舞う。
ただ、それだけ。
僕は死者、心も体も一度死んだ。
あの時僕はやはり生き返るべきではなかった。
失ったものは戻らない、その摂理を歪めるべきではなかった。
「だめだね、僕は…」
母さんが、朱乃が、恋しくて堪らなかった。
僕が居なくなっても、母さんは、朱乃は、鶯さんのように哀しんでくれた?
疑問が次々に湧き出て欝になる。
僕は朱乃の番号をコールした。
講義中なのか朱乃は電話に出なかった。
「朱乃………」
留守電に繋がったけど何を言えばいいか判らなくて電話を切った。
こんな状態で会えば心配させてしまうから。
手首の傷跡は日に日に増えていく。
そろそろ半袖の時期だから自重しないといけないけど、出来そうにない。
もう全てがどうでも良くなって、僕はそのまま眠ってしまった。


意識の外で携帯が鳴ってる。
とらなきゃ…と思うのに体が言うことを聞いてくれない。
体が重たいし、寒気がする。
出血し過ぎて体温が下がったのかとも思ったが、深くは切ったが血は少なかった。
「風邪かな…」
そういえば昨日シャワーを浴びて髪も乾かさずそのまま眠ってしまったからかもしれない。
気だるい身体を起こし、スマホを見る。
着信表示のランプが点滅していた。
朱乃から不在着信が20件程と大量のLINEが来ていた。
全てが大丈夫か?何かあったか?いまどこだ?等僕を心配するような内容ばかり。
そして五条先輩からもLINEが入ってた。
気が付けば8時を過ぎていて、帰りが遅い僕を母さんが心配してるという内容だった。
「迎えに行かなきゃ…かあさん…もう心配かけたくない…」
そう思うも体が重い。
とりあえず朱乃に電話する。
『怜悧!?どうした?何かあったのか?
今外泊許可貰ったから帰るとこだ』
「ごめん……具合、悪くて…早退して寝てたらこんな時間に……母さん、迎えに行かないと…」
『いい、俺が行く。
お前は寝てろ、薬は飲んだか?飯は?』
「たべ、てない…」
『判った、全部俺に任せろ
大丈夫、すぐ帰るからな…』
電話はそれで切れた。
僕の意識もそこで途切れた。


虫の這いずる感触、嫌に響く羽音。
もう見なれた、夢の繰り返し。
「いや、いやぁぁぁ…
死にたくない、助けて!かあさん!朱乃!」
じたばた暴れても茨がくい込んで体を傷つけるだけで、体がミシミシと締め上げられる。
「い、たい、いたいいたいいたい!」
だれもなにも届かない場所でひとりで死んでいく。
視界がぐらつき、骨が砕ける音がした。
「や、だ………かあ、さん……」



母さんを迎えに行き、薬局で薬を買う。
真っ暗で明かりも点けていない家の戸は鍵もかかっていなかった。
「不用心だな…」
中に入り、電気をつける。
乱雑に散らばった救急箱から消毒液、ガーゼ、脱脂綿、包帯がなくなってる。
「怜悧、怪我してるのか?」
母さんには黙っていた方がいいと思い、救急箱を片付ける。
「朱乃、怜悧は…?」
「ああ、今見てくる」
夕飯は時間も時間だから適当に買ってきた。
怜悧のお粥を温めておくように頼み、2階へ上がる。
「怜悧?」
怜悧は死んだように眠ってた。
うつ伏せになり、投げたされた手がベットから垂れて、包帯が巻かれていた。
「怜悧、帰ったぞ」
怜悧の体を抱き起こして仰向けにしてやる。
死人みたいに青ざめた怜悧にギョッとした。
慌てて死んでないか確かめるために額を合わせるといやに熱い。
体温計を差し込めば高熱が表示された。
「……ぅ、あ…やだ、しに、たくな……」
うわ言を繰り返す怜悧。
やだやだと、弱々しく漏らす声にきつく怜悧を抱きしめた。
「怜悧、起きろ」
「あ、ああっ………しゅ、の……?」
目を開いた怜悧が、虚ろな目で俺を見た。
「朱乃!朱乃!」
怜悧が必死にしがみついてくる。
何があったか、俺にはわからない。
ただ、怯える怜悧を安心させたかった。
「大丈夫だ、俺はここにいる」
「ぼく、は?僕はここに居る?生きてる?」
「ああ、怜悧は俺の腕の中でちゃんと生きてる」
怜悧はほっとした様子で暫く俺から離れようとしなかった。
母さんが様子を見に来たけど、何か知っているようだったが何も教えてはくれなかった。
俺はまた、肝心な時に側に居れない。

緋色の寝子

「翠よ、今度パーティーがあるのだが、パートナーを務めてくれぬか?」
「何で俺? というか人気オカルト作家の三日月宗近先生にパートナーが居るのは編集や担当が止めるんじゃ?」
「……駄目か?」
「いや、行くのは構わないけど」

ちゃんと連絡しておけよ、と言ったのは数日前。
そしてパートナーとして連れ歩くのは御法度だが、その後に会場のホテルが取れたと言われ。
今目の前には招待客として用意されたドレスと招待状、更にはスタイリストまで居る。
ここまで手はずが整って居れば逃げ出すわけにも行かない。
モデルとして沢田が賞を取った際には付き添っていたから、華やかな場には慣れている。
が、まさか宗近が賞を取っていたとは知らなかった。
スタイリストに聞かされて始めて知るとは、迂闊だった。

「それにしても椿さん、綺麗な肌してるわねー。流石先生のお墨付き」
「はあ……」

化粧を施していきながら口を回すスタイリストに気のない返事しか返せない。
というか口の回転数と手の作業効率が同じなんじゃないだろうか、この人。
薄く施される化粧に頬を桜色に染められ、唇を淡い朱色で飾られる。
そうして衣裳を着付けるという段階で、

「あら」
「どうかしましたか?」
「いえいえ、ただねぇ……先生ってば大胆ねー」

何て言われれば嫌な予感がする物で。
着てみれば首元の隠された背中の空いているデザインだった。
しかも首元から背中へと流れているので肩や背中が晒し放題。
どちらかと言うと尻まで少し見えているかも知れない。
持たされたショールをゆったりと羽織れば少しは緩和されるだろうか。

「げ、スリットまで空いてる」
「あら先生ってば。でもこれだけ綺麗だったら見せびらかしたいの分かるわー」

足と背中の話よ?等と言われても真意は分かっている。
スリットが入っていればいざという時も蹴りやすいだろう?だ、まず間違いなく。
足下に関しては人魚裾になっているので仕方ないと諦めよう。
ただこれでは歩き方が顕著に分かってしまう為、モデル歩きをしないといけないようだ。

(面倒くさい)

やっぱり断れば良かった、と思う頃には会場に付いて壁の花を決め込んでいた。
入り口で貰った細長いグラスに入ったシャンパンを飲む気にはなれない。
一度だけ宗近と目が合ったが、挨拶回りの最中だった為お互いに微笑むだけだった。
黒いドレスな為、そこまで目を引かない事が唯一の救いか。
壁に背を預けて足を組めば、少しは楽になった気がする。

「おや、こんな所に一人きりで壁の花ですか。パートナーをお探しですか?」
「……花には花の理由があるんですよ、Mr.」

微笑みながら言外にNoと言えば、物わかりの良い彼は去って行った。
宗近を視線で探せば今度は女性に捕まっている。
彼のファンかスポンサーか。
何にせよ、まだまだ時間が掛かりそうである。
ため息をついて暇つぶしになる物を探すが、生憎立食の物しか見当たらない。
元々食べるのが苦手な為に興味も引かれず、シャンパンを少しだけ飲む。

「失礼。お名前をお聞かせ願ってよろしいですか?貴方も招待されて?」
「宗近先生でしたらあちらですよ」
「ええ、先程ご挨拶してきました。失礼、私は彼と同じオカルト作家で――……」

微笑んで交わそうとしたら食いついてきた。
オカルト作家だと名乗る彼の作品はしかし聞いた事も無い。
読書家という訳でも無かったので特に興味もわかない。

「申し訳ありませんMr. 私文盲なんです。難しいお話はよく分からなくて」

笑顔を浮かべてそう言えば、相手の男は固まった。
それに関心を無くしてシャンパンを飲めば、次に話しかけてきそうな男を見付けて回避の為に移動する。
移動した先には宗近先生へ、と書かれた花籠が。
無造作にそこから一輪取り出すと、それは白い花だった。
当てつけに白い百合に変えようかと思ったが止めて、手に取った白い花を耳に掛ける。
そうして男性の居なくなった壁に戻ろうとして、行く手を阻まれた。

「は、花が好きなんですか!?」
「……ええ、タンポポが」
「たん、ぽぽ?」
「はい、そうです」

微笑みながらそう返す事の何と無駄な作業か。
それでも続けるのは、せっかくの祝いの席に水を差したくないからだ。
が、遠くで宗近の退場と立食パーティーをお楽しみ下さいというアナウンスが聞こえて目を向ける。
こちらを見ていた宗近と目があって、もう良いのかと理解した。
瞬間こちらの手を掴もうとした男から距離を取って振り返り、

「ご機嫌よう」

自分なりの極上の笑顔で会釈をして宗近の下に歩いて行く。
クスクスと口元に手を当てて楽しそうに笑う宗近の脇腹を小突いた。
それだけで彼は背に手を回して抱き締め、自分もそれを許して歩く。
向かう先はここのホテルの展望バーだと言われて頷いた。
二人でカウンターに座り、薄暗くなっている店内を見回す。

「随分と洒落た場所だな?」
「実は担当がな」
「なるほど、通りで。お前、お洒落は苦手だもんな」

クスクスと二人で顔を近付けていればバーテンダーが注文を取りに来る。
既存の物で無くても作ってくれると聞いて、どうしようか逡巡し口にした。

「三日月宗近先生の最新作で」
「おや、では俺は代表作にしよう」

畏まりましたと言ってシェイカーを振るバーテンダーの手元を見ながら話す。
代表作はどんな物が来るだろうか、先程は随分女性にモテている様子だったとか。
後は俺の方に来た男の話なんかも出た。

「熱心に見ていたから妬いたかと思ったぞ」
「まさか、お前がそういう意味で好きなのは俺だろ。相手はファンかスポンサー? 大切にしておけ」
「ふむ……お主のそういう所は好ましいがな、些か面白くない」
「そうは言われてもこっちは告白されて、目下考え中なんでな。そういう意味で、だけど」
「やれやれ、つれない花だな」
「自分を安売りするつもりは無いさ」

お互いに笑って冗談めかしながらだが、こういうやり取りは面白い。
宗近の事は親友だったが、肌を合わせても悪くない、むしろ安心出来る相手だろうとは思って居る。
が、それを好きや愛してるという意味なのかと問われると難しいのだ。
自分には縁がない感情だと思って居た分余計に。
それに怜悧や朱乃と言った息子達の気持ちもあるし、母親である以上あの子達の父親としても考えて欲しい。
要は一筋縄ではいかないのだ。
そうやっているうちにバーテンダーは苺を刻んで串に刺した赤いカクテルを、宗近には藍に沈む黄色の実のカクテルを出してきた。

「最新作、緋色の寝子と代表作の望月です。……望月は私が好きな作品、という事ではありますが」
「お見事、綺麗なもんだな」
「ほう望月か……懐かしいな」

そう言う宗近の目は優しい。
彼特有の遺伝の関係とやらで藍の瞳に浮かんだ三日月を見るのが好きだ。
顔が良いとよく言われる彼の一番好きなのが感情の分かりやすいこの独特な瞳だ。

「それにしても緋色の寝子なんて俺見てない、今回は献本無かったのか?」
「いや……実は、アレはお主をモデルに書いていてな。気恥ずかしかったのだ」
「へ? そうなのか。……あ、寝子って猫の事か?」
「うむ」

恥ずかしそうに笑う珍しい姿を見つつ苺を見る。
なるほど、猫耳に見えなくも無い。
それを宗近の口元に持って行けばパクり、と食べてくれる。
ちょっと笑ってカクテルに口を付ければ、爽やかな酸味と口当たりの良い甘い味。
バーテンダーに同じ物を苺抜きで頼む。

「猫だと思ったら実は獅子の子だったりしてな? どんな話なんだ?」
「うむ、緋色の髪の女がな、夢の中で様々な怪異に会うのだが……」

いつになく饒舌な宗近の話を聞きながらカクテルを飲んでいれば、思ったより度のキツい物だったらしい。
肩に頭を預け、背に回された腕が心地良い。
物語を語る宗近の唇が、舌が、艶めかしく見えた。

「翠、どうした? 眠くなったか?」
「……ちか、ちゅーしたい」
「……お主、飲み過ぎたな」

唇が魅力的な宗近が悪い、と思った頃には会計の算段は付けていたらしい。
椅子に座った格好から横抱きをされ、首に腕を回して大人しくしておいた。
スーツの襟から見える首筋が綺麗だとか、喉仏のはっきりしている所はやっぱり男性なんだな、と。
抱き締められても気持ち悪いと思わない、安心する力強い腕とか。
何より落ち着く宗近の匂いが好きだ。

「ちか、ちか、まだだめ?」
「……俺は人前でお主を抱き潰すつもりはないぞ」

少し怖い目で見下ろされて、思わず泣きそうになって顔を埋める。
嫌われたら嫌だ、ちかと離れるのは嫌だと考えたら涙が出てきた。
せめて声だけでも押し殺そうと抱き締める腕に力を込める。
そうしたらバタン、と何かが閉まる音がして足が自由になった。
突き放されるのかと思って力を込めた腕は、それよりも強い力で抱き締められる。
驚いて顔を上げたところで、頭を固定するように手が回った。
ちゅ、ちゅ、と音を立てて涙の跡を吸われ、口に吸い付いてくる。

「ん、ちか……ふぁ、ん、ちゅ……ふあ、あう、んぁ」
「……翠はキスが好きだなぁ。それとも舌を噛まれる方が良いか?」

ぴちゃぴちゃと粘液質な音が響いて、それと同時に舌と舌が合わさり、噛まれ、背中をぞくぞくとした快感が走る。
抱き締めていた筈の手はもう宗近の服を掴む事で精一杯で、足に込めた力も抜けそうになった。
耳元で囁かれる低めの声にもぞくぞくとして、お腹の辺りが切なくなる。

「ちかのキス好き……、もっと」

もっと一杯頂戴と強請れば、彼は先程よりも深く舌を合わせ、噛み、露出した背中を撫でてきた。
精一杯合わせようと舌を伸ばし、足に力を入れたけれども。

「んちゅ、ちゅ、ん……ん……ふ、あ、ひやぁんッ!」

口内を弄られた後に舌を噛まれ、背中の弱いところを指でぐりぐりとされて足から力が抜けてしまった。
肩で息をして、必死に震える身体を堪える。
宗近が同じ目線になるようしゃがむのを視界の端で捉えて、意識を手放した。

「翠? 翠よ、大事ないか?」

くたりと身体を投げ出して眠る緋翠は、濡れた唇と上気した頬が先程の余韻を残している。
目下検討中、と言われた割に蕩けた瞳でキスを強請り、あどけない寝顔を晒す無防備さに、三条宗近は深くため息をついた。

椿緋翠の心的外傷

心療内科患者 椿緋翠 Hisui Tubaki
12/25 友人の死亡により精神的疾患、通院
・偏執狂
友人及び家族への偏執的なまでの執着
・自己の喪失感
一時は命を危ぶまれる程の重体、仮死
・それらを総合した精神的不安定
自己の正気と狂気の昏迷


白い、白い雪が降り積もってくる。
何もかもを覆い尽くして見えなくさせるそれは、いつかの自分が感じた事。
友人の姿をしていた物を感情に任せて蹴り掛かって、逆に押さえ付けられた時に見えた景色。
真っ白な景色の中で友人の姿をした化け物に頭突きをした。
次の瞬間には本当の姿を現した化け物に、おぞましさよりも友人を殺された怒りが勝った。
そうして食いつかれた喉の痛みと、胸に突き刺さった化け物の爪。
その瞬間、死んだと自覚した。
椿緋翠が終わったと。

「なのに何でまだ、居るんだろうな」

白い息と一緒に吐かれた言葉に答えは無い。
或いは自分はあの時にやはり死んでいて、今は夢の続きなんだろうか。
思い出せば痛みは走るのに、傷跡も無くなっている。

「そういえば、鶯……」

二回殺してしまった。
一度目は知らない間に。
二度目は面影を手に掛け。
そうして化け物も自分で手に掛けた。
けれど、それよりも前の記憶が蘇る。
人の姿を借りて100年以上生きたという魔術師、あれも自分は手に掛けた。
結果的に異形な存在だっただけで、もし人間だったならどうしただろうか。

「母君よ、白い景色が好きか」
「……怜悧が、俺の診察時間はカフェに居るんだ」
「ふむ。双方共に息抜きという訳か」

見下ろしてくる担当医に身体を起こして振り返る。
白衣だけではこの中庭は寒いだろうに、彼は何ともない顔で立っていた。
待たれている事を自覚して立ち上がり、彼と診察室へ行く。



7/20 耳鳴り及び中傷の為
・喉元を強く締め付けられた事による喉の損傷
極力声を出さないよう注意、コルセット着用
・偏執狂
周囲の友人が居なくなる事への強い不安感
・接触恐怖症
特に手と手を繋ぐ事への接触恐怖
・拘束具への恐怖、および暗闇への不安感
酷い時には人に抱き締められる等の拘束でも恐怖を示す
・他人への無関心
友人や家族が関わっていない他人への無関心、時には呼びかけが聞こえていない事も

備考
何かトラウマ的な体験をした可能性有り
潜在的サイコパスの疑い有り


窓に手を掛けて外を見ていた。
夏特有の濃い緑をしている。

「耳鳴りはともかく、身体がよほど強い力で痛めつけられたようでな。暫く入院だ」

もう耳鳴りが聞こえていない事を知っている癖に、と口の端だけで笑う。
まさか短期間のうちに二度、世話になるとは。
首から外されたコルセットがベッドの上に転がっているのを、黒月は何も言わない。
分かっていて外して居る。
今回の事で十分分かった事があった。
親友と息子達が平穏無事に生きて居るのなら、他はどうでも良いという事。

『あんたもお仲間やね』

来羽明石はそう言った。
確かに仲間、というより近いものはある。
大切な人の為なら他人の事はどうでも良いというその一点。
明石は己の手では殺せなかった、それだけが違う。
自分は、殺せる側の人間だ。
倫理観や貞操観念、法律、社会のルール、そういったもの全てが意味を成さない。
守る者がある時、自分は他を殺せる。
或いは友人だった者でも、結果的に人間ではなかった者も。
等しく手に掛ける事が出来る。

「母君、何を考えている?」

振り返ってみれば黒月が胡乱な顔でこちらを見ていて、首を振りながら笑って見せた。
少しだけ考える素振りをした黒月もそれで納得したらしく、注意事項だけを話して病室を出て行く。
再び窓の外を見る。
あの日見た光景よりは低い街並みが広がっていた。
自分の立ち位置が死んでいる側だろうと生きて居る側だろうとどうでも良い。
重要なのは、世界の、ルールの外側から手をこまねいている存在に気付く事。
それらが怜悧を、朱乃を、親友達を巻き込み手に掛けると言うなら、全力で阻止する。
阻止し、回避し、忌避し、対抗する。
狂人の見る世界がアイツ等の存在する世界なら、それで良い。
常人のフリでぎこちなく生きながら、他を排斥して生きる。
それが見付けた答えだ、そう窓の向こうをにらみ据えた。

怜悧+朱乃 引き取る

俺が小さな子供達を引き取ったのは二十歳の誕生日を迎えて数ヶ月経った頃だった。
初めは小さな頃に居た施設からの電話。
呼び出しの内容は預けられた子供を一人、引き取ってくれないかという物だった。
久しぶりに訪れた施設は、随分と古くなってはいたけれど記憶の中のままだった。

「先生、お久しぶりです」
「まあ……緋翠、ちゃん? 綺麗な女性になったわねぇ」
「ありがとうございます」

会ったばかりの人物を直ぐにそれと判断した事に驚く。
けれど久しぶり、という挨拶と近々訪れるとは言って居たから、消去法の判断だろうと思い直した。
先生に案内されて入ったのはかつての院長室。

「院長は?」
「……亡くなったのよ。それで、ここも閉める事になってしまって」

子供の引き取り手を探していたのはそういう訳だと説明されて頷いた。
そうでなければ、引き取り手の居ない子供が居なければ連絡など寄越さないだろう。
それこそ何十年と前に世話になっていただけなのだから。
話を聞けばある程度は決まっているとの事だった。
ただ数人残った少年のうち、一人だけ気になる子が居ると。

「彼は春告朱乃くんって言うんだけど、他の子を先に選べば良い、俺はどうとでもなるって……」
「普通なら自分が、と言うのに面白い子ですね」
「面白くなんか……いえ、そういう所は貴方に似てるわね。実際彼の引き取り手にという人は何人か居るの」
「稚児趣味ですか?」
「……貴方にお願いしたいのはその子よ」

言葉を返さない先生に内心で笑って出されたコーヒーを飲む。
先生は彼を連れてくる、と言って部屋を出て行った。
さて、いきなり引き合わされた所で彼は大人しく従うだろうか。
自分はどうだったか、手を繋いで一緒に帰った爺さん。
ただ彼が寂しそうに見えたから、まあ自分が居てそうならないなら良いかと思った気がする。
ガチャリと聞こえた音に振り向けば、先生が小さな男の子を連れていた。
紫銀の髪に藤色の瞳のいやに綺麗な少年。
なるほど、稚児趣味に狙われそうな外見をして居る。

「朱乃くん、お姉さんに挨拶してね」
「……春告朱乃、9才だ」
「椿緋翠、二十歳だ。今回お前を引き取る話でここに来てる」
「引き取る? あんたが? ……他の奴は」
「さてね、今先生が抱えているのはお前の引き取り手の事だけだ。それが片付けば他のも当たるだろうさ」
「緋翠ちゃん! 貴方は本当に昔から変わらないのね!」

何故か怒られ、説教が始まった。
そもそも誰とも仲良くしようとしない、言葉をもう少し選んで、他人に関心を抱け、等々。
昔は毎日のように聞いていたそれを久しぶりに聞き、肩を竦めてコーヒーに口を付ける。
と、横から小さな笑い声が聞こえて視線を向ければ朱乃と言った少年が笑って居た。

「大人なのに変なの。分かった、俺はあんたの世話になる。いつから行けば良い?」

妙に素直に納得した所で、先生は口を開いて固まった。
俺は大学の講義の予定やバイトの事を少し考えて、

「今日から来るか?」
「ああ、それでいい」
「だそうだ、先生。固まってないで書類作り頼むよ、家に郵送してくれ。コーヒーご馳走様」

そう言って朱乃に手を差し出せば、小さな手の平が握り返してきた。
他人の温度なんて気持ち悪いと思う事が多いのに、それは平気だった。
先生は泣きそうな顔をしながら頷いて、施設外の門前まで見送ってくれる。

「緋翠ちゃん、朱乃くん、元気でね。無理しちゃだめよ」

背に掛けられた声に振り返ろうかと思ったが、やめた。
朱乃が振り返って居ないし、記憶の中の自分も振り返っていなかったから。
途中でタクシーを拾って自宅へ向かいながら、脳裏をしめるのは爺さんの事だ。
爺さんは着流しで散歩でもしているのかっていう様子で来た。
けど本当は、自分を引き取るように院長からお願いされたんだろうか。
だとしたら自分は、だとしても結果はきっと変わらない。

「なあ」
「うん?」
「あんたのこと、何て呼べばいいんだ?」
「うーん、20と9じゃなぁ……姉と呼ぶには離れすぎてるか」
「じゃあ……かあさんて呼んでいいか?」
「へぇ、かあさんか。じゃあお前は息子だな、朱乃」
「ああ、俺はあんたの息子でいい。……名字、かえなきゃだめか?」
「いや、そのままで良いだろ。春告なんて良い名じゃないか、大切にしろ」
「うん」

そういうやり取りで俺達の家族の形は決まった。
母親っていうのはよく知らなかったけど、ようは家族を守れば良いんだと思った。
タクシーが自宅について中を案内していた時、電話が鳴り。
自分の遠縁だと名乗る妙齢の女性からの電話だった。
事故で残った子供を引き取ったけれど、どうしてもその子と一緒に居られなくなってしまった事。
その子供が他に行き場のない事も告げられ、

「あの子は、怜悧は良い子なんです。身体が弱くてご迷惑をお掛けするかも知れませんが、お願いします」
「落ち着いて下さい。怜悧くんという子なんですね?」
「そうです。怜悧は、怜悧は……笑顔の明るい、優しい子で……お願いします、このままじゃ……」
「……その話、お受けします。ですから気を落とさないで下さい。部屋の用意もありますから、一週間お時間を頂きます」
「ありがとう、ありがとう御座います……お願いします……」

そう言って切れた電話を見て、やれやれとため息をついた。
そして不安そうに見つめる朱乃に笑い、頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。

「もう一人家族が増える。何歳だか聞くのは忘れたが……下ならお前の弟、上なら兄貴だ」
「男の子がくるのか?」
「ああ、多分。まあ細かい話は良い、それより部屋を用意しないと……来い、二階だ」

そう言って朱乃を二階に案内し、爺さん共々書斎として使っていた部屋に案内する。
洋式作りの部屋は荷物が少ない方だったので、近くにあった段ボール箱にと仕舞い入れる。
朱乃も見よう見まねで手伝ってくれるのを二人で片付け、昼ご飯を食べた。
面倒だったので素麺を食べ、朱乃の好みを聞いて夜はシチューを作る事にする。
そうして今度は本棚の本を取り出して縛り、取り出して縛りを繰り返す。
一週間、大学の講義が終わり次第、家に帰って朱乃の好みや話を聞いて片付けをした。
お陰で大分早く二人分の部屋が空いた。

「お疲れだな、朱乃」
「かあさんもな」
「約束の時間があるから出るが、お前は家で留守番してろよ」

約束した場所は病院で、場に現れたのは品の良い老女だった。
お互いに一礼してその場に座り、色々な事を聞いた。
怜悧はどんな子だとか、誕生日に遊びに行った帰りに事故で両親を失っただとか。
引き取る事を決めて後日病院の診察を受けたら末期癌だった事が見つかっただとか。

「あの子と一緒に居たいという願いも、笑って欲しいという願いも叶いそうにありません。ですが、あの子が落ち着ける家、家族を探してやりたいと思ったんです」
「9歳ですか……彼のご両親の事、お悔やみ申し上げます。俺、いえ、私は大学生ではありますがバイトもしています。生活費などはご心配なさらないで下さい」
「申し訳ありません、見ず知らずの人にとんだお願いを……」
「いえ、赤の他人では無いですから。奇遇な事です、昨日同い年の少年を引き取りました。きっと兄弟として仲良くやってくれます」
「……すみません、ありがとうございます……ありがとう…!!」
「彼を引き取ると決めた時、私は彼の母親になりました。息子の幸せを願うのは当然です。貴方の分も見守ります」

泣き崩れる老女を抱き締め、暫くの間背を擦って一緒に居た。
彼が親として認めるかはともかく、自分は彼を息子だと思って接する。
それが家族を知らない自分に出来る最大。
出来る事なら、爺さんが自分を育ててくれたように彼の傍にありたい。
老女が落ち着いて引き合わされた病室には、一人の少年が不安そうにこちらを見ていた。
金色の髪に不安そうに歪められた碧眼。

「おねえさん、だれ?」

見知らぬ人間に会った時の、普通の子供の反応。
老女が前に出て抱き締め、目線を合わせるようにしゃがむ。

「怜悧、よく聞いてね。この人はお婆ちゃんの従兄のお孫さんなの。お前と一緒に暮らしてくれるって…」
「椿緋翠だ、今日からお前は俺の子だ」

自己紹介を兼ねて真っ直ぐに見下ろして言えば、少年はむずがるように老女の後ろに隠れようとする。
愛おしい子を見る老女の優しい目線。
それを受けて素直に反応する少年。
どうにも自分には扱いに困ると思い、老女が説得する声を聞いて考える。
普通の子供の反応はどういうものだったか、その内面はどうだったか。
答えは全く把握出来ない、というものだった。
友人達なら何となくどういう反応をする、とかは考えられるがそれよりもその場に合わせて自分が動く方が多い。
内面、というのも反応を見て言葉を聞いて、自分なりに考える事しか出来ず。

「いつでも会いにおいで」

そう別れを告げる老女が泣き崩れる前に、怜悧の手を引いて立ち去る事しか出来なかった。
怪我の癒えた少年の表情は暗い。
それもそうだ、信頼していた老女と急に離され、得体の知れない人間と歩いているのだから。
とぼとぼと歩く怜悧の歩みは遅々として進まないが、急ぐように強要するでもなく好きにさせる。
病院を出て近くの公園を通りかかった時、移動クレープ屋が見えた。

「怜悧、クレープ食うか?」
「……たべる」

小さく頷くのを見て、二人で移動クレープ屋の前に移動する。
メニューが見えない怜悧を抱き上げて好きな物を選ぶように進めた。

「いちごちょこなまくりーむ! ……おねえさんは?」
「いや、俺は……あー、アーモンドチョコ」

元気よく注文し、次いで困ったように見られて食べるのは苦手なのに注文してしまった。
持ったまま帰り、朱乃にやれば良いかと切り替える。
怜悧はクレープ生地が焼かれ、その上にチョコレートスプレーとアーモンドが散らばるのを真剣に見ている。
続いて冷えた生地の上に生クリームと苺、チョコレートソースが掛けられて丸められた。
クレープが完成して渡されると、怜悧が目を輝かせて両手で受け取る。
なるほど、子供らしく甘い物が好きらしい。
抱いていたのを下ろし、料金を払って怜悧の片手からクレープを取り背中を押して近くのベンチへと座る。
自分のクレープを大事そうに両手で抱えた怜悧がちょこん、と座ったまま

「いただきます!」

何とも行儀良く育てられたらしい。
一生懸命頬張って食べる姿は愛らしく、庇護欲が出てくる気がする。
さて、初めての子育ては上手くいくのかなと空を眺めた。
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