「レシュオム、明日リクと出掛けるんだって?」
書類の合間に隊長のお茶を変えにいくと、にこにこしながら隊長がこちらを見ていた。
「はい…というか、誰から聞いたんです?」
「ゼクス。それでね、レシュオムには普段からお世話になってるからこれをあげようと思って。」
隊長がデスクから取り出したのは手のひらサイズのチューブタイプのリップ。
綺麗な蜂蜜色の。
「リップですか?」
「だと思うでしょ?ちょっと塗って唇をなめてみて」
隊長の言われるがままに唇にリップを塗り込んでペロリと舐めてみる。
「……あまいです」
「それ、水飴なんだ。面白いでしょ?」
隊長はご機嫌で子供みたく笑っていた。
朝からシュノさんの機嫌が悪かったのはこれで悪戯でもしたんだろうと勝手に思って、それを受け取った。
確かに、リクならビックリするかもしれない。
ちょっと驚くリクが見たいかも。
そんな悪戯心からリップを眺めていたら隊長が嬉しそうに笑いかけてきた。
「レシュオムは真面目だけど、たまには悪戯仕掛けてみると相手の意外な一面が見れるよ」
「そういうものでしょうか…?」
「うん、経験談。
リクみたいな真面目なタイプは普段と違う顔を見せられると結構コロッと騙されるよ。」
リクは、喜ぶだろうかと考えて迷ってる間に隊長は淹れてきた紅茶に口をつけて楽しそうにしてる。
「普段とは違う服で、髪で、化粧一つで女性は何倍も綺麗になれるだろう?
レシュオム見たいな美人ならリクも鼻が高いだろうね」
「褒めてもなにもでませんよー?」
褒められることに慣れてない私をからかうように、楽しんでおいでと隊長は笑った。
「とはいったものの…さすがに着なれない服は緊張するな…」
以前、タウからレシュオムは可愛いんだから可愛い服を着なきゃダメ!と、贈られた白地に黒のリボンやフリルのついたワンピース。
タウが着たら可愛いのになっておもったら、何だか着るのがためらわれてタンスの肥やしになっていた服。
勇気を出して袖を通し、鏡の前でくるっとまわってみる。
女の子らしい甘いワンピースは抵抗がない訳ではないが、着てみたいという気持ちが無いわけでもなく、そのままコートを羽織った。
「リク!」
リクはいつもの制服じゃなく私服に学校指定のコートを着ていた。
普段から大人びた印象のリクが更に大人びて見える。
「レシュオム、遅かったな」
怒ってるわけでも咎めるわけでもなく、笑いながら頭を撫でられた。
「ごめん、服選びに時間かかっちゃって」
「そう言えば珍しい服着ているな、可愛いよ」
「ありがと、タウからもらったの。
変じゃないかな?」
リクはまじまじと私を眺めながら頷いている。
「うん、俺は結構好きだな。
いつもと違う雰囲気も新鮮だな」
リクは自然に私の手を取って、ぎゅっとにぎった。
手の先から伝わる暖かさに、リクを見上げる。
リクは恥ずかしそうに顔を背けながらポケットに手を突っ込んだ。
私も少し恥ずかしかったけど、リクと一緒にいる時間を大切にしたいのと、耳が赤くなってるリクが可愛くて黙っていた。
今日は寒いね、とだけいえばリクはそうだなって返してくれる。
こうして隣にリクが居てくれて、何気ない会話をすることが私の一番の幸せ。
「あ、ここのクレープ美味しいんだよ」
「そうなのか?」
「この前お使いでエヴァと一緒に来たの。
エヴァったら、クレープ初めて食べたらしくて口のまわりにクリーム一杯つけてね…」
「隊長と来たんじゃないのか」
どこか安心したようなリクが、面白かった。
「ふふ、リクったらやきもち?
残念ながら隊長が外出するときはシュノさんかシアンがついてくんだよ」
「別に、焼きもちじゃない」
照れ隠しなのか、ぎゅっと握る手が強くなる。
「素直に言えばいいのに」
リクに聞こえないように小さく呟いて、握られた手を握り返した。
「リク、リクはどうなの?
学校は楽しい?友達と遊びに行ったりしないの?」
「大体騎兵隊の手伝いしてるのに聞くか?
まぁ、こないだシアンとソラと買い出しに行ったくらいかな」
「へぇ…」
リクはソラ達と仲が良いからたまに騎兵隊の買い出しに行ってるみたいで、たまに買い出しの時に買ったお土産をくれたりする。
それがちょっとした楽しみになっているのは内緒。
「レシュオム、ちょっとこっち」
不意に、リクが私の手を強く引いた。
その反動に転びそうになるのをこらえて、私はリクの後をついていく。
リクに連れられた先は露店商の並ぶ繁華街。
そこに見慣れた行商人の姿を見つけた。
「ヒスイさん?」
「おう、久しぶり。
頼まれたもん取りに来たのか?」
私に軽く挨拶してリクに声をかけるのは騎兵隊に出入りしている行商人のヒスイさんだった。
露店商もしているとは聞いていたけど、その様子を見るのは初めてだったから何だかとても不思議な感じだ。
「出来上がってますか?」
「ああ、できてるよ。ほら」
ヒスイさんが革袋に入ったなにかをリクに投げて寄越した。
「ありがとうございます」
「中を確認しなくていいのか?」
「あなたの腕を信用してるので。」
リクは嬉しそうにそれを鞄にしまった。
「それはどうも」
ヒスイさんはなにか知ってるのか楽しそうに口許を緩めていた。
「こちらにいるうちは騎兵隊にも顔を見せてくださいね。
エルスが会いたがってました」
「あぁ、まぁ気が向いたらな」
ヒスイさんはひらひらと手を降りながら目元を作業中の装飾に戻した。
私もリクにつれられてその場を離れると、近くの茶店に立ち寄った。
「そうだ、お茶の葉買ってもいいかな?」
馴染みの茶屋の紅茶の葉を見ながらリクに訪ねると、少し拗ねたみたいに顔を背けて頷いた。
これはまたやきもちを焼いてる感じみたい。
そんな所も可愛いなって思うと、自然に笑みがこぼれる。
「拗ねないの、これは自分用だよ?
隊舎で使うものはエヴァと買い出しに行ったときに買ってるの。」
「だから、拗ねてないって言ってるだろ
レシュオムは騎兵隊では重要な役割を担ってるし、隊長の側付きだから色々気を使うこともあるだろ?」
「まぁ…それなりにはね。
でも私は自分のやりたいことをしてるだけ。
隊長のお茶汲みも私が勝手にしてるだけなの」
私は私のやりたいことをやりたいようにしているだけ。
それが周りには自己犠牲にとられがちだけど私はなにも辛くないし、むしろ楽しんでいるくらい。
「そうだな、お前はそういう奴だよな」
リクが笑いながら頭を撫でる。
「うん、そうだよ」
私はリクと居るときだけ、普通の女の子で居られる。
普通の、笑ったり泣いたり恋をしたりする普通の女の子。
茶屋でお茶の葉を買った後、宿舎の近くまで送ってくれた。
夕暮れが近付いて、二人の影が長くなる。
もう帰らなきゃいけないのは少し寂しい。
「なぁ、レシュオム」
「うん、なぁに?」
隣にいるリクがよく見えない。
顔をあげて見上げると、不意にちゅっと唇が重なった。
「ん、」
「甘い…」
リクが驚いて唇を離した。
それが何だか切なくて、寂しかった。
「ビックリした?
隊長から貰ったの、リップ見たいな飴なんだって」
ポケットから貰った飴を取り出すと、リクは私をぎゅっと抱き締めてもう一度キスをしてきた。
唇を舐めながら啄む様なキスに思考がぼんやりする。
「ん、は…んぅ」
優しく頬を撫でられ、離さないように抱き竦めれば、抵抗は出来ない。
そんなこと、する気もないけれども…
もう少し、この夢心地を味わっていたかった。
「レシュオム、俺は必ずお前に釣り合うようになって見せる」
「リクは真面目だね、私はそんな大それた人間じゃないよ?」
「俺にとっては大それた人間なんだよ」
リクはさっきしまった革袋を差し出して手に握らせた。
「これは?」
「ヒスイさんに頼んで作って貰った。
レシュオムは俺のだって周りに示したくて」
リクがこんな子供っぽいことをするのは意外だった。
リクはいつも大人びてるから、こういうのは嫉妬心剥き出しのシアンがよくやる事だと思ってた。
「レシュオム?」
「あ、ごめん…うん、すごく嬉しいよ
ただちょっと意外だなって…
リクってこういうのは子供っぽいって笑うかと思ってた」
「レシュオムの前ではカッコつけたかったんだけど、俺もまだまだお子様だったってことかな」
「でも嬉しいのはほんと、開けても?」
リクが照れたように頷くのを見て、私は革袋をそっと開けた。
そこには見事な装飾を施されたブレスレット。
はめ込められた石は魔力を持った宝石で、何らかの施しがされている。
「綺麗…大切にするね」
「ずっとつけておけよ」
「うん、そうする」
早速手首に嵌めてみる。
金色の鎖に散りばめられた色とりどりの宝石やパワーストーンは豪華ではなくて、シンプルながらも細かい細工や色のバランスは目を見張る物だった。
ヒスイさんの腕もさることながら、リクの気遣いも嬉しくて、ぎゅっと腕に抱きついて、頬に触れるだけのキスをした。
幸せで、満たされた休日の一日。
「じゃあ…またね」
離れるのは名残惜しい。
「ああ、またな」
もう一度キスをして、名残惜しそうに唇が離れていく。
ああ、もう帰る時間だ。
繋いだ手が離れて、リクが遠く小さくなる。
その背中を見送っていると胸がきゅっとなる。
でも、そんなときに私はリクからもらったブレスレットを見る。
私はリクから貰ってばかりだな。
今度は私から何かをプレゼントしよう。
驚いて照れるリクを想像しながら、私は宿舎のドアを開けた。