「う…ん…」
あまりの寒さに目を覚ましたレイリは辺りを見回した。
そこは何処かの地下らしく、岩をくりぬかれた牢屋で、冷たい鉄格子には魔方陣が描かれている。
「なにこれ…」
鉄格子に触れようとすると、バチッと弾かれてしまい、血が滴る。
「結界…?」
「お目覚めになられましたかな」
不意に声が響き、レイリはビクッと身を縮ませた。
「貴方はだれ…?」
目の前には身なりの良い初老の男が椅子に座ってこちらを見ていた。
「私はこの街を預かるものです。
貴方をずっと探しておりました。」
「僕を…?」
嫌な予感しかしないレイリは、初老の男から離れようと、牢屋の奥に身を潜めた。
「昔、ここがまだ小さな村だったころ、一人の天使様がこの地に舞い降りました。
その天使様のお陰で村は瞬く間に成長し、今やこんなに大きな街に発展しました。」
レイリはなるべく身を小さくさせて男をじっと見ていた。
「しかしある時、塔に住む吸血鬼が天使様をたぶらかし、その力を奪ってしまった。
吸血鬼は天使様との間に一人の子を儲けました。
そしてその子供に天使様の力を封じ込めて、天使様を塔に封印してしまったのです。」
「だから、何ですか。
それと僕と何の関係が…」
「貴方が件の子供だからです。
天使様と瓜二つの容姿、白と黒の翼は混血の証。
貴方を天使様に還せば天使様はきっと力を取り戻せる。
貴方の心臓を、天使様に捧げるんです。
天使様を我々が取り戻すまで、貴方にはここで大人しくしていて貰いますよ。」
「そんなことしてもレイアは戻ってこない!
レイアはシュリさんを…吸血鬼を深く愛しているんだから!」
「バカなことを…
吸血鬼にたぶらかされたか。
まさか教会から派遣された悪魔払いが天使様の落とし子だとは思わなかったが…
所詮は吸血鬼の血が混じった穢れた子なのだな」
レイリは男を睨みながら警戒をあからさまにした。
「どうせお前は逃げられんよ」
男が去ったあとに冷たい牢屋の中で身体を横たえた。
シュノと契約している以上、レイリは絶対に死ぬことはない。
どんなに痛め付けられようとも。
そしてただの人間にレイアを救い出すことも不可能だ。
シュノでさえ解けなかったレイアの結界を解くことは出来ない。
「…シュノ…ごめん…」
なるべく体力を消耗しないように、冷たい牢屋の中で眠りに就く。
一応死なないように食事は出されたが、手をつける気にもなれなかった。
最初は監視の男も何も言わずに下げていたが、三日を過ぎた頃には強引に粥の様なものを一気に流し込まされた。
それでも暫く抵抗していたレイリも次第にそんな体力も無くなってきたのか、1週間が経つ頃には少しだけ口にするようになった。
もはや自分はこの牢屋で飼い殺しにされるのかと、ぼんやり頭の片隅をよぎった。
「変態に売り飛ばされるよりはマシだろ」
「……イリア、何とかしてここから出れないかな…」
イリアは少しだけ黙ると、レイリの意識を交代させた。
「困った時だけ俺頼みか?
暫く身体返さねぇぞ?」
「……もう、構わない…
シュノに…会いたい…」
「ならお前は寝てろ、邪魔だ。」
そのまはまイリアはレイリの意識を眠らせた。
「さて、と。
逃走経路は見つけてんのか?」
イリアがなにもない空間に声をかけると、そこからシスター服の少女が顔を覗かせた。
「見張りはそれなりに居ましたが処理してきましたよ
さっさと帰りたいんで」
「そいつはありがたいな、珍しく気が利くじゃねぇか」
「アホ天使様にぐずられると面倒ですから」
そう言うと少女は小さな鍵を鍵穴に差し込んで牢をあけた。
「なら、見つからねーうちにとっとと逃げるか」
少女は頷いて先頭を歩き出した。
どうやらそこは街の教会の地下だったらしく、礼拝堂に繋がっていた。
「教会にあんな場所作るかね、普通」
「どう考えても鬼畜天使を閉じ込めておくための牢屋でしょうね」
「レイアがあんなとこに大人しく捕まってる柄かよ」
「堕天したとは言え仮にも上級天使ですから、無理だと思いますけど」
教会から出ると、辺りは薄暗く黄昏時。
夕闇に紛れて二人は王都に戻る馬車に潜り込んだ。
さすがにレイリを捕まえた事で教会の地下に居た見張りは気が立っていた様だが、街の外はいつもの様子に見えた。
「一応これ被ってください、今度見つかればもう見捨てます」
「レイリじゃあるまいし」
イリアはフードのついたコートを着ると、人気の無い道を歩いていく。
「教会の馬車を待たせてあるのか」
「街の馬車は信用できないですから」
そう言って馬車に乗り込むと、そのまま王都をめざして馬車はゆっくり走り出した。
「レイリは見つかったか?」
「いえ…まだ…」
レイリの気配は屋敷の敷地内からは感じられなく、街の方まで降りてみたがレイリの手がかりは掴めない。
「シュノさん、街で少し妙な噂が…」
レシュオムの背後からクロシェードが顔を出した。
「噂?」
「事実かどうか、定かではないんですが…
麓の街に天使が現れたとか…」
「天使…」
レイリが混血の天使だと言うことは全員が承知している。
街に現れた天使はおそらくレイリの可能性が高い。
「街に行ってくる」
「シュノさん、まずは私が行きますよ」
「レイリはきっと俺を待ってる。
迎えにいってやらないと」
シュノは刀を掴むと麓の街に向かった。
街では幽霊塔に住む吸血鬼は紫銀の髪に菫色の瞳を持つ美しい男だと伝えられている。
13年前にレイアを奪還しようとした街の住人が最初に見たのがシュノだからだ。
容易に街にいけば騒ぎになるのは判っていたが、それを逆に利用すればレイリを連れ戻せるはずだった。
「素性がバレてるんだから見つかれば殺されるんじゃ…」
「レイリを連れ帰るのが最優先だ。
あいつの方こそ殺される可能性があるだろ」
一般には混血の天使の血はどんな万病にも効く万能薬、肉は不老不死の霊薬として認知されている。
捕まればレイリは血を抜かれ肉を喰われても死ぬことができない。
「それに麓の街は未だ天使信仰が根付いている。
レイアの子供だと判れば奴等はまたレイアを取り返しにくるに決まってる」
「そうですね…」
レシュオムが俯いて顔をそらした。
「せめて、素性は隠すべきだと思いますが…」
クロシェードがそっとフードつきのコートを差し出した。
「ああ、判ってる。」
シュノはそれを受けとると、街へ急いだ。
天使を捕まえたとなれば街は賑わいを見せていた。
レイアが封印されてから続く日照りの影響でだんだん作物も育たなくなってきていたせいもあってか、皆が天使を求めていた。
屋敷から出ることはない主のにはあまり興味のない話だが、コートを着込んで賑わいの中に紛れた。
「すいません…人を探しているんですが…
この辺で金髪碧眼の16歳くらいの男の子見ませんでしたか?」
シュノは取り合えず手近な露店商に声をかけた。
「もしかして、天使様のことかい?」
「天使様…?
その天使様って言うのは…?」
「あんたの言った特徴によくにているよ。
なんでも王都の教会から吸血鬼退治に派遣された神父様らしいけど。
吸血鬼にやられて手負いで帰ってきたところを人拐いに拐われたとかで…」
「人拐い?」
「ああ、そこにひとつ空き店があるだろ?
彼処にもこの前までは露店商が居たんだけれどね、どうやら天使様を拐った人拐いと仲間だったみたいでね、役人に殺されてしまったんだよ。」
ポツンと場所だけが広がった露店スペースには、どこか物悲しい雰囲気が漂っていた。
「それで、天使様はどうなったんですか?」
「ああ、それがどうやら教会で保護しているらしいんだよ。」
「教会で…?」
「悪いことは言わない、天使様に手を出そうなんて考えちゃいかんよ。
兄ちゃんの探し人が天使様だとは限らないだろうが、街の連中はイカれてる。
天使様に酷く執着心を持っているようだからね」
シュノは頷いてフードを深く被った。
「ありがとう、そうします。」
露店商に礼を言ってその場を離れると、辺りにいた露店商や御者にも聞き込んでみるが、同じようなことばかりが返ってくる。
そして、どうやらレイリは白昼堂々天使だと町中にバラされたようで、町中は天使が戻ったという話題で持ちきりだった。
民衆がこれだけ騒いでるとなれば、レイリは殺さずに何処かに監禁されている可能性が高い。
「待ってろ、必ず助けるから」
シュノは夜になるのを待って教会の近くで身体を休めた。
教会は吸血鬼であるシュノにとって近寄りたくないエネルギーで満ちている。
辺りには見張りも多くいるだろうと思っていたが、意外にも見張りは居なかった。
怪しんで教会の中にはいると、礼拝堂の経壇が少しずれていてそこから地下への道に続いている。
そこにはレイリの羽が一枚落ちていた。
「この奥か…?」
辺りを警戒しながらもシュノは奥に進んでいき、最奥にある岩牢にたどり着いた。
頑丈に封印指してあったであろう入り口は何者かによって破られている。
その岩牢の中にはレイリが居た気配が微かに残っていた。
「誰かに連れ出された…?」
そこにはレイリの姿はない。
結界が外側から破られているのを見ると、結界を壊したのは聖職者。
ただの人間に結界は弄れない。
この牢で争った形跡が無いことからレイリは自らの意思で着いていったと考えるのが妥当。
そうなればレイリの行き先はひとつしかない。
「……王都か…」
恐らくレイリは何らかの理由で屋敷を抜け出して王都の教会に帰る予定だったのだろう。
その途中で人拐いと揉み合っているうちに天使だとバレて街の教会に捕まっていたが、誰かに連れ出されたと。
頭のなかで繋がった事でシュノは急いで王都に向かおうと教会を出た。
辺りでは確かにレイリを探しているのだろう、街の役人たちが右往左往していた。
「すいません、王都までお願いできますか」
シュノは急いで手近な馬車に乗り込み、御者に銀貨を握らせた。
「少し急いでいるので…」
そう言うと御者は馬を王都に向けて走らせた。
街の明かりがどんどん離れていくのを眺めながら、レイリの無事な姿を見て、抱き締めたくて手をぎゅっと握った。