眠る人、哀が気持ち良く寝られるにはどうすれば良いか。
起きたときに何が出来るのか。
最近の私の興味はずっとこれで、けれど答えはなかなかでない。
私が知ってる事は少なくて、ここへ来て初めての方が多いくらい。
部屋の中をぐるぐる歩いて考えたいし答えを探したいけど、それも出来なくて。
そんな時だった、あの子が来たのは。

「ティッキ、シープって安直ー。センスないよねぇ」

にこにこ、よりはニヤニヤと笑いながら跳ね髪の女の子が言う。
シャワーで離れて居た少しの間で、寝床と天蓋のベッド以外何も無かった部屋にテーブルと椅子が増えてた。
テーブルの上にはかわいい飾りの置物とティーカップがあって、女の子は置物を口にする。

「うるせぇ、急だったから仕方ねぇだろ」
「だからってさぁ、女の子だよー? もっと可愛いのあったじゃーん」

ぽんぽんと会話を続ける二人に、戸惑いながら寝床へと足を向けた。
けど、それに気付いたらしい女の子がぴょんと跳ねて先回りをする。

「きみはこっちー」
「え、え?」

私より少しだけ高い位置にある腕を絡められ、部屋の隅からテーブルへと引っ張られた。
さっき女の子が座っていた隣、ティキっていう男の人の向かい側に座らされる。
ティキには少し低くて、女の子には丁度良さそうな高さに見えたのに、私には少し高い。
もしかして、私は小さいんだろうか。

「何か人形みたいだねぇ、かわいいじゃん」
「余計ぬいぐるみ感が増してんぞ……」

にやにや満足そうに笑う女の子と、小さく息を吐くティキ。
何か気に入らなかったのか気になって、どうしていいのか分からなくて身体に力が入る。

「あれ、この子良い匂いがする。さっぱりした甘い匂いー」
「ああ、千年公もそれが気に入ってるんだとさ」
「なんだっけ、これ……覚えのある匂いなんだけどなぁ」

うーん、と首を傾げる女の子に、けれど答えられる事は無い。
甘い匂いなんて初めて言われて、シャワーの匂いかなって思った。
ここへ来るまではすえた匂いとか、思わず顔をくしゃってするようなものが多かったから。
周りの子供達も同じだったし、場所もそうだった。
変な匂いじゃないと良いんだけど、と顔の横にあたる髪の毛を掴んで鼻に当ててもよく分からない。
そんな時だった。

「……スミレ」

小さくて、静かな、掠れ気味の声。
聞き逃してもおかしくないのに、はっきりと耳に入ってきた。
ティキでも、女の子の声でもない、別の人。
それがレースの向こうから聞こえてきて、少し遅れてから眠る人の声だって分かった。
驚いた顔ですぐに反応したのはティキで、ベッドの側に歩み寄って顔を寄せる。
私はその高すぎなくて、涼しげな声に胸がドキドキした。
びっくりするくらい綺麗な声で、もう一度聞きたいと思う。
けれどティキはすぐに戻ってきて、その顔は悲しそうなものだった。

「またすぐ寝ちまった」
「そっかぁ……でも良いね、シープよりずっと可愛いじゃん、スミレ」
「"ヴィオレ"?」
「哀はヴィオレが良いってー。今からきみはヴィオレ・シープだねぇ?」

愛称はヴィーかなぁ、なんてころころ笑いながら口にする女の子。
ヴィオレ・シープ、それが私の名前。
嬉しくて、泣きたくて、変な顔で笑っちゃった。
下手に笑う私の顔を見て、女の子はにっこり可愛らしい顔で笑う。

「あは、やっぱり可愛いー! そうだ、今度哀とお揃いの服着なよ、持ってきてあげる」
「おま……そいつは良いけど哀までオモチャにすんなよ?」
「えー、オモチャじゃないよ、可愛がってるのー。何も持ってこないティキより良いじゃん」
「ばっ、ちげぇよ! 花なんて持ってきても見ねぇだろ」
「……花?なんでお花??」

焦るティキの言葉に、思わず口が滑った。
慌てて口を両手で塞ぐけど、ティキも女の子も私が声を出しても何も言わない。
むしろ当然みたいな態度で、女の子は頷く。

「あ? 見舞いには花だろ?」
「えー、そんなのよりお菓子の方が良いじゃん。ヴィーだって、お菓子の方が好きだよねぇ?」

ねー、と声を上げながら女の子はテーブルの置物を手に取って私の口に当てた。
ぺちょりと白い泡のような柔らかい何かが口に入って、驚く。
目の前が明るくなるような、ふんわりと軽くなるような、頬がとけるような味がした。
驚きときらめきに、動きが固まる。
女の子はけらけら笑って、やっぱり甘い物好きだよねぇって言う。
甘い、これが、甘いっていうこと?
こんなものが世界にはあるんだって、不思議になった。

「ヴィー、それ食べて良いよぉ」
「ん、ん……」

許しが出て、両手で受け取ってからこの甘い"お菓子"っていうモノを食べる。
ゆっくり、ゆっくり、一口ずつ味わう。
無くなってからも暫く、ふわふわ、ほわほわと気持ちが揺れる。

「ていうかティッキ、花ってその辺の雑草じゃないよねぇ」
「は? それ以外どこで手に入るんだよ」
「お店で買えば良いじゃーん。愛しの哀の為でしょ? だめティッキー」

私がふわふわしてる間に、二人の話はさっきの事になってた。
不思議に思って首を傾げてると、女の子が顔を覗き込んでくる。

「ヴィー、どうしたのー?」
「……あの、どうしてお花?」
「……見舞いには、花だろ?」
「えー、だからお菓子の方が良いって。ていうかティキ、もっとマシな花にしなよ」

おみまいには、お花かお菓子が普通らしい。
けど私にはお花もお菓子も用意出来ない。
そもそも、おみまいって何だろう。
知らない事が多くて、だから知りたくて、女の子が少しずつ聞いてくれるからそれを口に出していく。
そうしたら、本っていうのを持ってきてくれることになった。
私は字っていうのも知らなくて、ティキとお揃いらしい。
ティキは私よりマシらしいけど、学がないんだって。
色々話して、教えて貰って。
私は、眠る人の為にお花を用意したいなって思って。

「寝てても、お花の匂い、分かるから」

起きたらすぐにお花を渡せるようにしたい。
そんなことを言ったら、お花は育てて増やせるって女の子が言う。
部屋の前に庭があるから、そこを使えば良いらしい。
教わって初めて、お外に繋がる窓の先は囲まれたお庭あるって分かった。
ちょっとの木と、茂みと、草と、小さな白い花。
好きに弄って良いって言われて、嬉しくなる。
何でもして良いって許されて、怒られない場所があると、そこに居て良いって言われてるみたいで。
嬉しいがどんどん増えて、怖くなる。
だからいっぱいいっぱい、べんきょうをしようと思った。



それから少しずつ変わった所が多くなった。
ひとつは、限界まで我慢してから倒れるんじゃなくて、朝と夜にあわせて行動すること。
お庭に作って貰った花壇いっぱいに、女の子がくれた種を埋めて育て始めた。
何のお花かは、咲いてからのおたのしみって、教えて貰えなかったけど。
ひとつは、えほんを貰って読み書きの練習を始めたこと。
読むのはむずかしくて、すぐ詰まっちゃう。
けれど書くのはゆっくり、ひとつずつで良いから私でも出来る。
ひとつは、私の生まれた年の出来事が書いてあるシンブンを持ってきて貰ったこと。
難しい字ばかりでまだ読めないけど、見てるだけでわくわくする。
そして一番変わったことが、

「ヴィオレ、おいで」
「哀! おはよう」

数週間に一度、ほんの少しの間だけ眠る人、哀が起きる様になったこと。
哀をずっと女の子だと思ってたんだけど、男の子だったみたい。
起きてる内に色んな事をお話しして、フタゴっていう同じ顔のキョウダイが居る事を教えて貰った。
今は一緒には暮らせないらしくて、哀は悲しそうに笑って言うの。

「ヴィオレには、兄弟は居た?」
「んん、いない。私と同じ、白い子も居なくて、リョーシンとも違ってて、だからひとり」

リョーシンは親っていう意味だよね、この前絵本で読んだの。
孤児院には同じように集められた子供は居たけど、同じ子供は居なかったから、兄弟でもない。
何より、あそこでは話す事なんてしないで、自分一人が生きるだけで精一杯だったから。
私も、他の子供達の事を見てる時間は無かった。
それを少しずつ、少ない言葉でひとつひとつ説明をしていく。
そのうち哀が寝ちゃって、私はまた一人の時間に戻る。
今度は子守歌だけじゃなくて、絵本を読み上げるように練習も重ねていた。
出来れば楽しくて、ふわふわとしたお話が良いから、それを読んだ。

「ちぃたた、ちぃたた とんとん とん」

最近よく読むのはネズミの服屋さんのお話。
色んなお客さんが来て、その人達にあったお洋服を作っていくの。
その時の作ってる音がなんだか可愛くて、音にするのが楽しくて。

「ちぃたた、ちぃたた とんとん とん」

いつの間にか笑顔で読んで、楽しくなっていた。
そう、私、たのしいが分かるようになったの。
胸がうきうき、飛び出したくなるような、はずむような気持ち。
誰かが笑ってるときは、こんな気持ちになってるんだね。
哀が起きてる時には哀が絵本を読んでくれて、そんな時は必ずベッドの横に上げてくれるの。
まだ起き上がれないから、って。
哀と一緒に横になって、時々頭を撫でられて、ふんわり柔らかい声と香りにすごく安心する。
それからちょっと泣きそうになって、本当に泣いちゃって。

「何か嫌だった? 悲しい?」

顔を覗き込んでくる哀の方が悲しそうに眉を潜めてる。
私は首を振って、すごく胸がぽかぽかするのに泣いちゃったって伝えた。
哀は驚いた顔をした後、ふにゃりと柔らかく笑って頭を撫でてくれる。

「それはきっとね、安心とか、嬉しいからでた涙だよ」
「? なみだ、悲しいと出るじゃないの?」
「そっちの方が、多いだけ。嬉しくても、幸せでも涙は出るんだよ。僕はそっちの涙は好きだな」

言いながら、目尻をちゅって哀が吸った。
涙を拭いてくれるんだって分かったから大人しくしていたら、哀が小さくくすくすと笑う。

「ヴィオレは甘い匂いがするけど、涙も甘いんだね。砂糖菓子みたい」

砂糖菓子、女の子ことロードが持ってきてくれるふわふわと可愛い食べ物。
それのなかに、スミレの花の砂糖菓子もあるって哀が教えてくれた。
私の涙はそれの味がするよって。

「哀は、お菓子好き?」
「うん、好きだな。ヴィオレは?」
「ロードの持ってきてくれる、全部好き! 哀がお菓子好きで良かった、嬉しい」
「うん? どうしてヴィオレが嬉しいの?」

柔らかい笑顔で首を傾げる哀。
けれど、私はそう聞かれて、ひゅっと息を呑んで青ざめた。
分不相応な望みを抱いた事に気付いて、それを知られてしまった事に絶望して。
元から色素の白い肌が、病人の哀よりも白く青くなっていく。
どう、すれば良いのか分からなくて、次第に目の前がぐるぐると揺れ始めた。
そんな私に、

「ヴィオレ、ヴィオレ? どうしたの?」

哀が顔を覗き込みながら、肩を抱いてくれて気持ちを聞いてくれる。
今までは望みを持つことは出来なくて、願う事も禁じられて、ただひたすら苦しいのに慣れて耐えるしか無かった。
こうやって心配してくれる温かい手も、眼差しも、何も無くて。

「あの、あの……私が、砂糖菓子……みたい、お菓子になれたら、哀が……好き、なって、くれるかな、って……」

そんな事起こるはずないのに、高望みの希望が胸に痛くて涙が出る。
愛されたい、必要とされたい、側に居て欲しい。
ずっとずっと欲しくて仕方なくて、だからこそ見ないようにしていたのに。
哀が柔らかいから、やさしいから、もしかしたらを望んでしまう。
こんな私と一緒に居て、必要として、愛してくれる人なんて居ないのに。

「ヴィオレ……僕は、ヴィオレが好きだよ。優しくて、可愛い、妹みたいに思ってる」

哀の優しい声が胸に響く。
けれど、でも、それが私の欲しいそれじゃないのは知ってる。
せんねんこーも、ティキも、ロードも、哀も、構ってくれるけど受け入れてはくれてない。
同じモノにはなれないから、同じモノの中には入れない。
それが悲しくて、どうしようもなくて。
それでも、側に居ると言ってくれる哀の言葉が嬉しい。

「哀が、捨てるまで、いらないする、まで……一緒、側に、おいて……?」
「僕が捨てるなんてあり得ないよ。いらないなんてしない。でも……、ヴィオレを誰かに取り上げられるかも知れない。僕ではそれを止めれないんだ……ごめんね」

私を抱き締めたまま、哀は俯いて寂しそうな声で話す。
多分、きっと、一度あった事。
大切な何かを取り上げられて、捨てられて、それで哀は今ここに居るんだって。
泣いても良いのに、哀は泣かないで唇を咬む。
私はその分ぽろぽろと涙が出てきて、止まらなくなった。
まるで哀が泣かない分まで泣こうとするみたいに。
小さく、困った顔で笑った哀は私の頭を撫でて口を開く。

「それでも良ければ、側に居て? 僕の妹になって、お兄ちゃんって呼んで欲しいな」

まるで、ごめんねって言うみたいに哀が口にしたから、私は言いたい事が全部どこかに飛んでいったまま口を開いた。

「あ、哀……おに、お兄ちゃ、お兄ちゃんっ!」
「なぁに、ヴィー」

涙をぼろぼろ零したままの私に、両頬に手を添えてくれた哀が笑う。
ほっぺたを赤くして嬉しいっていう気持ちをそのまま表してくれて、そんな哀の笑顔を見てたら私まで嬉しくなって。
直ぐに眠くなってしまった哀と一緒に、この日は初めてベッドで一緒に横になって眠ってしまった。