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弱虫もんぶらん



ありったけの想いはいつも誰の耳にも届かない。
それだけのことなの。


その日、騎兵隊隊長からの呼び出しを受けてしぶしぶ騎兵隊の隊舎にむかった。
「隊長、エヴァンジルです」
こんこんとドアをノックすると中からどうぞ、と声がする。
「失礼します」
ドアを開けるといつもの執務机に座ったままにこにこと笑顔を浮かべている隊長の横に赤い髪の男が立っていた。
「よく来てくれたね。
今日は大切な話が合ってきてもらったんだけど…。
まずは彼を紹介しうておこうかな」
隊長は赤い髪の男の方を向いた。
「彼はアクセル。今日から君のバディとして行動を共にしてもらう」
「アクセルだ、記憶したか?」
「…は?ちょっと待ってください。
私に拒否権は?」
「ないよ」
笑顔で意見を棄却して来る隊長に殺意を覚える。
「まぁそう怒らないで。
僕なりに君たちの…魔憑きの未来を何とか変えたいと思っているんだ。先行実装としてまずは君と公爵令嬢に特例として魔憑き監督者とバディを組んでもらう事になったから。
魔憑き研究は騎兵隊に顕現が一任されているからこれは隊長命令として受け取ってくれてかまわない。
君は今日からプライベートな時間以外の全てをアクセルと行動を共にすることを義務付ける。反論、拒否権は認めない。いいね?」
一見穏やかそうな笑顔を浮かべているが、その口調は拒否を許さないもので、私は何も言えずに目の前の天使の様な悪魔をにらみつけるしかできなかった。


そんなこんなで私はこの男、アクセルと行動を共にすることになった。
隊長は今の魔憑きの在り方を良しとしない。
魔憑きが人間らしく生きられる世界に変革を起こしたいらしい。
そんなこと、きっと不可能なのに。
魔憑きは人ではない。
そう割り切った方がどんなに苦しくても辛くても人間じゃないから仕方ないと諦められるのに。
今更人の様に扱われても、私はそちらの方が恐ろしい。
こんな私を愛してくれる人なんているわけがない。
そう、愛されるわけない。
心のない化け物の私に、愛なんてあるわけがないのだから。


「お嬢、今日の予定は?」
それなのにこの男は毎日毎日飽きもせず私に構ってくる。
アクセルとバディを組んでからというもの、私に割り振られる騎兵隊の任務は少なくなり、自由時間が増えた。
任務の内容も街へ赴くことが多くなり、今まで隔離される様に閉じ込められていた騎兵隊の隊舎を頻繁に空けるようになった。
「今日の予定は……特にないな。休暇だ」
「ふーん、それでお嬢はどうするんだ?」
「…いきなり休暇と言われても……何をしていいかわからない」
何時もなら前もって休暇の日に何をするかを決めておく。
たまにタウが予定外に訪ねて来て一日中街中を引きずり回されるが、それはそれで楽しいから気にはならない。
「今日は休暇だ、無理に私に付き合う必要はない。お前もどこかに行きたいとかあるだろう?」
「…それが別にないんだよな。
というか、俺はお嬢の護衛兼監督役だぜ?記憶してないのか?」
笑いながら頭をくしゃっと撫でられる。
ああそうだ、忘れかけていたのかもしれない。
副隊長程ではないが私もそこそこの災害級の化け物だということを。
この男の妙な距離感のせいで私の今まで築き上げたものが崩れていく。
「それなら今日は部屋でゆっくりしてたらどうだ?
何処かに行くときは俺に声をかけてくれればいいからさ」
屈託なく笑うアクセルに、何か反論する余地もなく、それすらばからしくなってしまう。
「そうだな、そうさせてもらう」
趣味の一つでもあれば、急に休みを貰えても喜ばしい事なのだろうが、人ではない私に趣味など持てるはずもなく…。
「……ああ、そういえば」
一つだけ、趣味と言えるようなものがあった。
ドレスの裾に隠れて見えないが、太もものバンドにいつも差し込まれているフルート。
力を籠めればその音色を攻撃手段にも使えるが単純に楽器として奏でる分にももちろん問題はない。
何もすることがないのなら思う存分フルートを奏でるのも良いかもしれない。
そう思ってフルートに手をかけると
「…それ、吹くのか?」
「悪いか?これは私の唯一の武器だ。
いざ戦闘になって使えませんじゃすまないだろう。
それなりに調律が必要になる。
こういう時にやっておかないと…」
幼い頃に『幽閉』されていたからある程度制御は効くと言え、完全に支配権があるわけではない。
ちょっとした感情の変化ですぐに暴走させてしまう。
だから私はここに居るし、何かあればいつでも副隊長が私を殺せるように。
「なぁ、それ俺にも聞かせてくれないか?」
「え?」
てっきり部屋に引き返すものだと思っていたアクセルから思いもよらぬ提案に驚きの声が漏れる。
「いや、お嬢のフルートって聞いたことないから聞いてみたいと思ったんだが、ダメか?」
「……別に、好きにすればいい。
ただ、聞いて楽しい物ではないと思うがな」
それを許したのは気まぐれだった。
私に幻滅すれば優しくするのをやめると思った。
アクセルとの距離が近くなるほど胸が苦しくなる。
私とは違う、生きている人間。
生命力の溢れる命の輝き。
それが、闇に生きる私には眩し過ぎて目がくらむ。
魔憑きの研究所から騎兵隊の隊舎に移されて、光の挿す部屋というものを知った。
「お嬢の部屋は質素だな」
アクセルがいつもそうやって苦笑する、生活感のない部屋も私にとっては光が溢れる暖かな場所だ。
日当りのいい窓に腰かけるアクセルを横目に、フルートの手入れを手早く済ませる。
手入れをしてピカピカになったフルートをそっと口につけて息を吹き込む。
澄んだ高音が部屋の中に響いて私は目を閉じた。
左目が少しざわつくのを抑える為に。
何度も何度も、繰り返し奏でる音楽。
小さい頃からこの時だけは、普通の人で居られた。
何もない私が、たった一つだけ許されたこと。
人になりたかった。
どんなに自分は化け物だと言い聞かせても、求めてしまう。
ただの、一人のエヴァンジルとして生きてみたい。
この左目を抉りだすことでそれがかなうなら、こんなものいらない。
「泣くなよ、エヴァ」
不意に指で目元を撫でられる。
「泣いてなどっ…」
そう、泣いてない、私は泣いてなどいない。
だって私に心などないから、化け物だから。
泣けるはずなんてないのに…
この溢れるものはなに?
ぎゅっと抱きしめられて、じんわりとアクセルの黒いコートに染みができる。
「エヴァは我慢しなくていいんだ。
力を恐れるな、お前が暴走しても俺が居るだろ?
お前の望みは俺がかなえてやる、お前が誰かに害をなすなら俺が止める、それでもだめなら…」
ぎゅっと抱きしめられる腕に力がこもる。
「一緒に死んでやるから、もう泣くな」
何を言っているのか理解できない。
どうしてこの男は、こんな化け物にそんなことが言えるのか?
「私は、化け物なんだぞっ…」
「エヴァは化け物なんかじゃない、ただの人間の、ただのエヴァだ。
そうだろ?」
どうして、どうして、どうして?
あったばかりの、こんな男が…
今まで私が欲してやまない言葉をくれるんだ。
「俺には親友が居た。
ガキの頃からずっと一緒に居たから兄弟みたいなもんだと思ってた。
だけどアイツはずっと何かに悩んでいて、俺はちゃんとそれを聞いてやれなかった。
それに気が付いて、助けようとしたけどあいつは俺の前から消えてしまった。
今のエヴァはその時のアイツと同じ顔をしてる。
俺はもう、目の前で誰かが苦しんだままいなくなるのは嫌だ」
「私は…そいつの代りか?」
「違う。お前はお前だって言っただろ?
隊長から話があって、エヴァのバディに俺をって言われたときに俺だって大分悩んだんだぜ?
一番の親友すら救えなかった俺に名家のお嬢様の相棒になれって言われてもな」
「…名家の令嬢などではない…私は、わたしは…
母を殺し、家族を捨てられて、人でもない化け物に成り下がった」
「あのな、そうやって自分を卑下するな。
お前は俺が想像してたよりずっと人間らしくて、普通の女の子だぜ」

築き上げてきた防壁が、音を立てて崩れた気がした、

「なぁエヴァ、本当の気持ちを教えてくれないか?
俺はお前の相棒で、これからもお前の傍にずっといる」
私が魔憑きでも、望んでいいというのか?
誰もそんなこと言ってくれなかった。
誰もそんなことを許してくれなかった。
「わたし、ひと、で…いても…いいのか?
こんな、ばけものでも、ひかりのなかに…いても……」
ぼろぼろと目から温かい何かが溢れてくる。
怖い、私が私でなくなってしまいそうだ。
「いっしょに、ひとりに…しない、でっ」
アクセルの隣は居心地がいい。
ずっとずっと、初めて会った日からずっとそう思っていた。
認めてしまうのが怖かっただけ。
認めたらもう、戻れなくなる。
今まで築いていた脆く小さな虚勢が崩れ去ってしまったら、どうしていいかわからないから。
「だから、ずっと一緒に居るって言ってるだろ、記憶したか?」
笑って、頭を撫でて、涙を拭って。
この陽だまりの中で私は、暖かな眠りに就いた。



「俺の親友のロクサスだ!」
目の前で起こっている事象に頭がついていかない。
「は?」
「お嬢友達少ないだろうから、まずは俺の親友で慣れてもらおうかと思って連れてきた。
こいつも騎兵隊所属だから気にすんな」
「ちょっとまて、お前親友は消えたって…」
「ああ、突然いなくなって、突然帰ってきたんだ。
しかもいなくなった間に何があったのか教えてくれねーし、なんか本人は吹っ切れてるし、なら無理に聞く必要もないだろ?」
「なんか誤解させた?ごめんな、アクセルってたまにバカだから。
俺はロクサス、よろしくねエヴァ」
開いた口がふさがらない、とはきっとこのことを言うのだろうと身をもって知った私は、腹いせにアクセルの腹に思いっきりフルートを突き刺した。
「いってぇぇ!!!」
「自業自得だ、貴様が誤解を招く言い方をするからだろ!!
あと10回死んで来い!!」
地面でのたうち回ってるアクセルを無視してロクサスに向き直った。
「エヴァンジルだ、よろしく頼む」
ロクサスはにっこりと微笑んで手を握った。

休日デート



「レシュオム、明日リクと出掛けるんだって?」
書類の合間に隊長のお茶を変えにいくと、にこにこしながら隊長がこちらを見ていた。
「はい…というか、誰から聞いたんです?」
「ゼクス。それでね、レシュオムには普段からお世話になってるからこれをあげようと思って。」
隊長がデスクから取り出したのは手のひらサイズのチューブタイプのリップ。
綺麗な蜂蜜色の。
「リップですか?」
「だと思うでしょ?ちょっと塗って唇をなめてみて」
隊長の言われるがままに唇にリップを塗り込んでペロリと舐めてみる。
「……あまいです」
「それ、水飴なんだ。面白いでしょ?」
隊長はご機嫌で子供みたく笑っていた。
朝からシュノさんの機嫌が悪かったのはこれで悪戯でもしたんだろうと勝手に思って、それを受け取った。
確かに、リクならビックリするかもしれない。
ちょっと驚くリクが見たいかも。
そんな悪戯心からリップを眺めていたら隊長が嬉しそうに笑いかけてきた。
「レシュオムは真面目だけど、たまには悪戯仕掛けてみると相手の意外な一面が見れるよ」
「そういうものでしょうか…?」
「うん、経験談。
リクみたいな真面目なタイプは普段と違う顔を見せられると結構コロッと騙されるよ。」
リクは、喜ぶだろうかと考えて迷ってる間に隊長は淹れてきた紅茶に口をつけて楽しそうにしてる。
「普段とは違う服で、髪で、化粧一つで女性は何倍も綺麗になれるだろう?
レシュオム見たいな美人ならリクも鼻が高いだろうね」
「褒めてもなにもでませんよー?」
褒められることに慣れてない私をからかうように、楽しんでおいでと隊長は笑った。



「とはいったものの…さすがに着なれない服は緊張するな…」
以前、タウからレシュオムは可愛いんだから可愛い服を着なきゃダメ!と、贈られた白地に黒のリボンやフリルのついたワンピース。
タウが着たら可愛いのになっておもったら、何だか着るのがためらわれてタンスの肥やしになっていた服。
勇気を出して袖を通し、鏡の前でくるっとまわってみる。
女の子らしい甘いワンピースは抵抗がない訳ではないが、着てみたいという気持ちが無いわけでもなく、そのままコートを羽織った。


「リク!」
リクはいつもの制服じゃなく私服に学校指定のコートを着ていた。
普段から大人びた印象のリクが更に大人びて見える。
「レシュオム、遅かったな」
怒ってるわけでも咎めるわけでもなく、笑いながら頭を撫でられた。
「ごめん、服選びに時間かかっちゃって」
「そう言えば珍しい服着ているな、可愛いよ」
「ありがと、タウからもらったの。
変じゃないかな?」
リクはまじまじと私を眺めながら頷いている。
「うん、俺は結構好きだな。
いつもと違う雰囲気も新鮮だな」
リクは自然に私の手を取って、ぎゅっとにぎった。
手の先から伝わる暖かさに、リクを見上げる。
リクは恥ずかしそうに顔を背けながらポケットに手を突っ込んだ。
私も少し恥ずかしかったけど、リクと一緒にいる時間を大切にしたいのと、耳が赤くなってるリクが可愛くて黙っていた。
今日は寒いね、とだけいえばリクはそうだなって返してくれる。
こうして隣にリクが居てくれて、何気ない会話をすることが私の一番の幸せ。
「あ、ここのクレープ美味しいんだよ」
「そうなのか?」
「この前お使いでエヴァと一緒に来たの。
エヴァったら、クレープ初めて食べたらしくて口のまわりにクリーム一杯つけてね…」
「隊長と来たんじゃないのか」
どこか安心したようなリクが、面白かった。
「ふふ、リクったらやきもち?
残念ながら隊長が外出するときはシュノさんかシアンがついてくんだよ」
「別に、焼きもちじゃない」
照れ隠しなのか、ぎゅっと握る手が強くなる。
「素直に言えばいいのに」
リクに聞こえないように小さく呟いて、握られた手を握り返した。
「リク、リクはどうなの?
学校は楽しい?友達と遊びに行ったりしないの?」
「大体騎兵隊の手伝いしてるのに聞くか?
まぁ、こないだシアンとソラと買い出しに行ったくらいかな」
「へぇ…」
リクはソラ達と仲が良いからたまに騎兵隊の買い出しに行ってるみたいで、たまに買い出しの時に買ったお土産をくれたりする。
それがちょっとした楽しみになっているのは内緒。
「レシュオム、ちょっとこっち」
不意に、リクが私の手を強く引いた。
その反動に転びそうになるのをこらえて、私はリクの後をついていく。
リクに連れられた先は露店商の並ぶ繁華街。
そこに見慣れた行商人の姿を見つけた。
「ヒスイさん?」
「おう、久しぶり。
頼まれたもん取りに来たのか?」
私に軽く挨拶してリクに声をかけるのは騎兵隊に出入りしている行商人のヒスイさんだった。
露店商もしているとは聞いていたけど、その様子を見るのは初めてだったから何だかとても不思議な感じだ。
「出来上がってますか?」
「ああ、できてるよ。ほら」
ヒスイさんが革袋に入ったなにかをリクに投げて寄越した。
「ありがとうございます」
「中を確認しなくていいのか?」
「あなたの腕を信用してるので。」
リクは嬉しそうにそれを鞄にしまった。
「それはどうも」
ヒスイさんはなにか知ってるのか楽しそうに口許を緩めていた。
「こちらにいるうちは騎兵隊にも顔を見せてくださいね。
エルスが会いたがってました」
「あぁ、まぁ気が向いたらな」
ヒスイさんはひらひらと手を降りながら目元を作業中の装飾に戻した。
私もリクにつれられてその場を離れると、近くの茶店に立ち寄った。
「そうだ、お茶の葉買ってもいいかな?」
馴染みの茶屋の紅茶の葉を見ながらリクに訪ねると、少し拗ねたみたいに顔を背けて頷いた。
これはまたやきもちを焼いてる感じみたい。
そんな所も可愛いなって思うと、自然に笑みがこぼれる。
「拗ねないの、これは自分用だよ?
隊舎で使うものはエヴァと買い出しに行ったときに買ってるの。」
「だから、拗ねてないって言ってるだろ
レシュオムは騎兵隊では重要な役割を担ってるし、隊長の側付きだから色々気を使うこともあるだろ?」
「まぁ…それなりにはね。
でも私は自分のやりたいことをしてるだけ。
隊長のお茶汲みも私が勝手にしてるだけなの」
私は私のやりたいことをやりたいようにしているだけ。
それが周りには自己犠牲にとられがちだけど私はなにも辛くないし、むしろ楽しんでいるくらい。
「そうだな、お前はそういう奴だよな」
リクが笑いながら頭を撫でる。
「うん、そうだよ」
私はリクと居るときだけ、普通の女の子で居られる。
普通の、笑ったり泣いたり恋をしたりする普通の女の子。
茶屋でお茶の葉を買った後、宿舎の近くまで送ってくれた。
夕暮れが近付いて、二人の影が長くなる。
もう帰らなきゃいけないのは少し寂しい。
「なぁ、レシュオム」
「うん、なぁに?」
隣にいるリクがよく見えない。
顔をあげて見上げると、不意にちゅっと唇が重なった。
「ん、」
「甘い…」
リクが驚いて唇を離した。
それが何だか切なくて、寂しかった。
「ビックリした?
隊長から貰ったの、リップ見たいな飴なんだって」
ポケットから貰った飴を取り出すと、リクは私をぎゅっと抱き締めてもう一度キスをしてきた。
唇を舐めながら啄む様なキスに思考がぼんやりする。
「ん、は…んぅ」
優しく頬を撫でられ、離さないように抱き竦めれば、抵抗は出来ない。
そんなこと、する気もないけれども…
もう少し、この夢心地を味わっていたかった。
「レシュオム、俺は必ずお前に釣り合うようになって見せる」
「リクは真面目だね、私はそんな大それた人間じゃないよ?」
「俺にとっては大それた人間なんだよ」
リクはさっきしまった革袋を差し出して手に握らせた。
「これは?」
「ヒスイさんに頼んで作って貰った。
レシュオムは俺のだって周りに示したくて」
リクがこんな子供っぽいことをするのは意外だった。
リクはいつも大人びてるから、こういうのは嫉妬心剥き出しのシアンがよくやる事だと思ってた。
「レシュオム?」
「あ、ごめん…うん、すごく嬉しいよ
ただちょっと意外だなって…
リクってこういうのは子供っぽいって笑うかと思ってた」
「レシュオムの前ではカッコつけたかったんだけど、俺もまだまだお子様だったってことかな」
「でも嬉しいのはほんと、開けても?」
リクが照れたように頷くのを見て、私は革袋をそっと開けた。
そこには見事な装飾を施されたブレスレット。
はめ込められた石は魔力を持った宝石で、何らかの施しがされている。
「綺麗…大切にするね」
「ずっとつけておけよ」
「うん、そうする」
早速手首に嵌めてみる。
金色の鎖に散りばめられた色とりどりの宝石やパワーストーンは豪華ではなくて、シンプルながらも細かい細工や色のバランスは目を見張る物だった。
ヒスイさんの腕もさることながら、リクの気遣いも嬉しくて、ぎゅっと腕に抱きついて、頬に触れるだけのキスをした。
幸せで、満たされた休日の一日。
「じゃあ…またね」
離れるのは名残惜しい。
「ああ、またな」
もう一度キスをして、名残惜しそうに唇が離れていく。
ああ、もう帰る時間だ。
繋いだ手が離れて、リクが遠く小さくなる。
その背中を見送っていると胸がきゅっとなる。
でも、そんなときに私はリクからもらったブレスレットを見る。
私はリクから貰ってばかりだな。
今度は私から何かをプレゼントしよう。
驚いて照れるリクを想像しながら、私は宿舎のドアを開けた。


血濡れの珊瑚礁



目の前が、真っ赤に染まる。
その光景は今となっては日常的なもので特にこれといった感情がざわめいたりはしない。
わたしは所詮道具なのだから。
あの人のお役に立てればそれでいい、それでなければ壊れるだけ。
「ふう…。」
魔物の急所に奥深くまで突き刺さった、短刀をゆっくり引き抜いた。
ぴしゃっと、肉と血が地面に打ち付けられる。
一見しただけでもかなりの業物とわかるその繊細な作りと美しい刃は、柄まで魔物の血で汚れていて、幼い娘の手を血濡れにしていた。
黒い装束を纏った幼い娘はため息一つ吐いて夜の闇に姿を消した。


「副隊長、おわったわ。」
「そう、ご苦労だったね。」
騎兵隊の駐屯地に戻ると、顔を覆っていた頭巾とマフラーを外して素顔を晒した娘は、赤と銀の長い髪をふわり風になびかせた。
「偵察に行くほどでもなかったわ、二、三匹気づかれた分は処理しておいた。
あと、人の匂いがしたわ…そうね…まるで狸か狐のよう。」
その娘の容姿からは想像もできないような大人びた口調に、目の前の男は驚きもしない。
彼女はそういう人種なのだから。
「ありがとう、コーラル。
その狸か狐はどうした?」
「もちろん、監視をつけておいたわ。
処理するにも別に後でもいいでしょう?」
「ああ、そうだな。どうせ黒幕がいるだろうし。」
「疲れたからもう寝るわ、貴方も早く休むことね。
年寄りの言うことは聞いておくものよ」
「年寄り扱いされたら怒るくせによく言うな」
「あら、レディーに対して年齢の話をするのはタブーじゃない。
そんなこともわからないなんてまだまだ青いわね。
隊長ばかり愛でるのもいいけど、そういう気遣いを学んだほうがいいと思うわ」
コーラルは物怖じもせず、表情も変えずにシュノに言い放った。
「…大きなお世話だババア」
「浅学がにじみ出ているわよクソガキ。
とにかく、偵察に放った子達が戻るまでババアは休ませてもらうわ」
そういうとコーラルは張ってあるテントの奥に消えた。
「ゼクス、あのババアを黙らせる薬ってないか?」
「無理ですね。」
「…だよなぁ」
珍しくシュノの心が折れているのを目の当たりにしたゼクスは目をまるくした。
この手の人種は苦手なのか、深い溜息を吐くシュノを物珍しげに観察していた。
「クソ…レイリがたりねぇ。」
ぽつりと無意識に呟いた独り言に、ゼクスは何も言わないでだまってその場を去った。
コーラルは幼い身なりをしているが、魔族で実際の年齢はシュノ達よりもはるかに上だ。


コーラルはこの世界に突然現れて帰り道が判らなくて困り果てていた時に偶然騎兵隊に拾われた。
元の世界ではこの長寿の種族の出らしく、幼女の様な外見をしているが実質年齢は3桁になる。
そんな彼女の知識は豊富であり、また物事を客観的に見れる冷静な所も有って隊長からの信頼もあつい幹部の一人だ。
隠密活動を非常に得意とし、暗殺や諜報に特化している。
なので、レイリの命を狙う連中やレイリを貶めようとする連中に牽制としてシュノがコーラルに手をくださせることが多い。
幼い彼女では相手も油断しやすいのか、簡単に懐に潜り込み本人も気がつかないうちに殺してしまい、その痕跡を一切残さない相当の手練だ。
それ故に、彼女はいつでも黒い衣装をまとっていることが多い。
闇に紛れて相手の気がつかないうちに息を止める。
それが彼女の戦法だった。


「偵察隊が戻ってきたわ。」
次の日の夕刻、魔物の残党を狩りから戻ったシュノに、コーラルが知らせた。
「黒よ」
「そうか。」
今回の魔物の襲撃を受けた村から周囲をざっと調べたが、討伐対象となっていた魔物の生息区域を遥かに北上し、この村の近くに巣を作っていたことがわかっていた。
そして、その魔物が生息区域を出てまでこの村にきたのは、何者かが故意に魔物の嫌う臭いや植物を植えて追いやったからだ。
つまり、その場所に何か魔物がいられたら都合の悪いことがあるのだろう。
そして、最近貴族間で実しやかに囁かれている不老不死の薬があるという噂。
おそらくそれが関係しているのだろうと思っていたが、コーラルが調べさせて黒だというなら間違いないのだろう。
「この件に関しては、わたしたち騎兵隊が出ることじゃないわ。
大人しく騎士団に引き渡したほうがいいと思うけど」
「…そうだな、だがちょうどいいことに俺はその顔に見覚えが有る。」
コーラルが書かせた今回の事件の元凶の人物の肖像画をみて、シュノが美しい顔を歪ませた。
「こいつは前にレイリに散々言い寄った挙句に脈なしと判った途端にありもない噂話をでっち上げてレイリを貶めようとした奴だ。」
「…感情的ね、あなたの頭の中にはレイリしかないわけ?」
「どうとでも言え、俺はどんな方法だろうがレイリを傷つける奴が許せないだけだ。」
細く小さな肩を震わせながら、声を殺して啜り泣くあの後ろ姿を、その時のシュノは抱きしめてやることもできなかった。
「まぁ、わたしのボスを馬鹿にされるのはわたしも馬鹿にされているようで癪に障るわ。」
「珍しいな、お前がそんなこと言うなんて。」
「わたしだって一応は人の形をしているんですもの、感情くらいあるわ。
たとえおつむが果てしなく緩くて一年中お花が咲いているような砂糖の塊でも、わたしには従うべきボスなのよ。
いやいやしたがっている訳じゃないんだから、その編は言わなくても察しなさいよ。
ほんと、これだから青いボウヤは…」
「御託はいいからさっさと行ってこい」
コーラルは無表情のまま、それでもどこか楽しそうな様子で頭巾をかぶった。

「ひっ、ひぃぃぃ!」
汚らしく悲鳴をあげながら逃げ回る肉の塊に、コーラルは冷たい瞳でそれを見つめていた。
もはや屠殺する豚と変わらない。狸や狐などと侮りすぎたか。
「だめね、こんなんじゃパパに叱られてしまうわ。」
お仕置きも、嫌いじゃないけどやっぱり褒められる方がいい。
コーラルは男の喉元を切り裂き、声を失わせるとそのでっぷりと膨れ上がった腹に何度も何度も躊躇なく短刀を突き刺した。
その度、びくびくと汚らしく泡を吹きながら震える身体がやがて動きを鈍らせて、完全に停止した。
「汚らしい豚。」
コーラルは冷たく無慈悲な瞳で肉塊を見下ろすと、そっと闇の中に姿を消した。
暗殺者なのに、一撃で殺さなかったのは彼が相当な恨みをかっているということ。
物取りの犯行に見せかけるよりは、恨みをもった誰かの犯行を見せかける方がいい。
そのほうが士気が上がる。恨みを持つ人間たちの復讐心を煽り、それは次第に別の憎しみを生み出す。
そのとめどない負の連鎖にコーラルはゾクゾクとしながら恍惚の表情を浮かべた。
「人間は愚かね、だから…面白いのだけれども」
そう言って血に濡れた黒い珊瑚礁は静かに笑った。

籠の中の鳥は翡翠の夢を見るか



鳥のさえずりさえ聞こえない薄暗い地下の部屋で、エルスは目を覚ました。
あてがわれた部屋は地下のため窓もなく、明け方でもランプを灯さないとあたりが見えない。
枕元に置いたランプに火を灯して、はぁっと手に息を吹きかける。
手先がだいぶ冷えてしまっているようだ。
ギシッとベットがちいさく鳴り、薄い寝巻きにストールを羽織ると水差しと明かりの灯ったランプを持って部屋の外に出た。
「おはよ〜…はやいんだねぇ」
部屋からでてすぐに、眠たそうに目を擦るオルティシアと目があった。
「ティアさん、おはようございます。
また徹夜ですか?」
「うん、まぁね。
昨日読んだ本に面白い記述があってつい。あとで試してみたいから起きたら声かけるよ。
今日は一日ここにいるのかい?」
「そうですね…特に用事は言いつかってませんが…。」
「そう、じゃあ悪いけどぼくはちょっと仮眠を取るよ、おやすみー」
大きなあくびをしたオルティシアを、背後から白玉が押して自分の部屋まであるかせる。
この二人はいつも一緒で羨ましいと思っていた。
エルスは物心付いた時から一人ぼっちで、それが当たり前だと思っていたからさみしいと思ったことはなかった。
自分は他人と違う、すぐ壊れてしまう脆い存在。
だから、エルスは監禁されて閉鎖的な空間で閉鎖的な知識しか得られずに育った。
騎兵隊に来て、初めて人と触れ合うということを知ってよくやく一人がさみしい事なんだと理解したほどだ。
「…そうだ、今日はきみにいい知らせがあるよ。」
オルティシアは、唐突に何かを思い出したようににやりと笑ってこちらを振り返った。
エルスはきょとんとして首をかしげてオルティシアをじっと見つめた。
「今日は天氣雨が来るらしいよ」
「ヒスイさんが?」
それがなぜ、自分にとっていい知らせなのかわからず首をかしげていると、オルティシアは楽しそうに笑った。
「おやおや、気がついていなかったのか。」
そう言うと白玉を引き連れてさっさと自室に引き返してしまい、残されたエルスは訳も分からずただ首をかしげるしかできなかった。
それでも、ヒスイはこんな厄介な体質のエルスと物怖じせずに対等に接してくれる数少ない知人で、エルスは自分でも知らないうちに自然に笑みがこぼれているのにすら気がつかないほど浮かれていた。
それだけ、エルスの中でヒスイの存在は大きく心を占めた。
浮かれたように水差しに冷たい水を汲むと、コップで一杯飲み干してから自室のベットに戻った。
まだぬくもりの失われていないベットに潜りながら、今日はどんな外の世界の話をしてくれるのか、楽しみにしながら再び微睡みの中に意識を落としていった。



「エルス、今日の実験だけど中止にするから天氣雨のところにでも行ってきなよ。」
昼食がおわり、後片付けをしていると、急にオルティシアが声をかけてきた。
「え…いいんですか?」
「ちょっとねー…王立研究所の方に急に呼び出しがかかって。
ぼくじゃなくてもいいんだけど、どうしてもって聞かなくて」
オルティシアはどこかげんなりしな様に見受けられ、気だるそうに肩を落としてエルスに手を振った。
「じゃあ、よろしく言っておいてよ」
「あ、はい…お疲れ様です。」
そのまま小さくなる背中を見送り、通りかかったゼクスに薬品の整理を頼まれてリスト通りに薬品を棚に戻していく。
「よぉ」
ふと、最後の瓶を棚に戻した時に背後から声がかけられた。
「こんにちわ」
にこっと笑いながら振り返ると、そこには無意識に待ち焦がれていた人物が壁に寄りかかって立っていた。
「ここだって聞いて、今日は非番か?」
「急に非番になりました。」
「そっか」
立ち話もなんですから、どうぞと奥にある椅子を持ってきて勧めるとティーセットを取り出してお湯を沸かす。
その後ろ姿をヒスイはじっと眺めていた。
ヒスイとのこの何とも言えない距離感は気に入っていた。
向こうはどう思っているかは分からないが、人と接することを苦手とするエルスにとってはこの独特の間合いや距離のとり方は安心できるものだった。
踏み込ませず、踏み込まない。
自由奔放に生きている様でしっかりとした自分を確立している彼の生き様のようで、エルスはちいさく微笑んだ。
カチャ…と静かな部屋にティーセットの音だけが響いてヒスイの前に暖かな紅茶が差し出される。
「外は寒かったでしょう?」
「まぁな、今朝は雪が降ってたしな」
「そうですか、雪、降ってたんですね。」
通りで寒いと思ったとエルスが笑えば、ヒスイは可笑しそうに聞き返した。
「外、出なかったのか?」
「…特に用事もなかったので。
必要以外あまり外出するなと言われてますし」
「ふぅん、大変だな」
出された紅茶に口をつけながら、ヒスイは思い出したようにごそごそとカバンを漁った。
「これ、土産だ」
「みやげ?」
ポンと何かをエルスに向かって投げる。
エルスはそれを反射的に受け取り、まじまじと手の中の包を見つめた。
「みやげ、って…なに?」
首をかしげるエルスに、ヒスイは目をぱちくりさせた。
「土産もしらねぇの?まぁ、要するにプレゼントの一種だな。お前にやるよって事」
「プレゼント…」
手の中の包をぎゅっと抱きしめ、微かに頬を紅く染めた。
「あ、ありがとう。その、すごく嬉しい。
俺、贈り物なんてされたの初めてだから…」
小さな包み一つでこんなに歓喜されると思っていなかったヒスイは、逆に驚いてから満足そうに笑った。
「そうか、お前軟禁されてたんだっけ?」
「俺の力は身に余るものですから。
誰かを傷つけてしまわないなら、それに越したことはないでしょう?」
「そうかもな、でもお前はそれでいいのか?
俺が見る限りではそうは思えないんだけど…」
「…そう…かもしれない。
前は何も考えなかった、ただ与えられた部屋でおとなしくしているだけで、生きている…というよりただそこにあるというだけだった気がする。」
ヒスイは黙ってエルスを見つめながら聞いていた。
「でも俺は、ここに来て少しは変われたんじゃないかと思ってる。
ここの皆は俺を腫れ物みたいに扱わないし、ここにいていいんだって思えるし。」
小さい頃から、どうしてお前は生きているんだと何度も何度も問いただされてきた。
生きているだけで禍をもたらしているというのに殺すこともできないエルスは、生きる意味も見いだせずにただ死を待つだけだった。
どうして自分は生きてはならないのか、なぜ自分はそんなにも疎まれなければならないのか…
そう考えはしたものの、誰かを恨むという選択はエルスの中には最初からなかった。
だからこそ、ただ毎日を死ぬためだけに生きるという日々から抜け出せた彼は、以前をよりも人間らしく生き生きとしている。
残念なことに、それを比較できる人間が居ない為か、エルスはまだまだ内向的で常識が欠落している部類には入る。
「だからこうして、ヒスイさんにあえて外の世界の話を聞けてるだけで楽しいんです」
なんて無欲な奴…と、ヒスイは心の中で呟いた。
いや、無欲だからこそその魂は純真無垢であり、呪いの最も好む依代になってしまったんだと納得した。
エルスはただ、無垢で穢れない魂を持って生まれただけなのに。
「まぁ、俺でよけりゃ話し相手くらいにはなってやるよ。」
「本当に?嬉しいなぁ」
ぶっきらぼうに返事をして、旅の話を始め、エルスは子供のように目を輝かせながらその話をおとなしく聞き入ってた。
エルスにせがまれて話を聞かせているうちに、すっかり長居してしまったヒスイはそろそろ帰ろうかと立ち上がった。
「今日はお話聞けて楽しかったです。」
「大した話じゃないが、まぁ楽しんでもらえたら良かったよ」
ヒスイの背中を見送りながら、エルスは急に胸が締め付けられるような感覚に陥り、息ができなかった。
その症状の名前を知らないエルスは、こらえるように胸をぎゅっと抑えた。
「エルス…どうかしたか?」
「…いや、なんでも…ないです…」
ヒスイは首をかしげながら、エルスの身体を支えるように肩を貸した。
「ひっ!!」
その突然の行動に驚いたエルスは思わずヒスイを突き飛ばしたが、それをうまく避けたヒスイはエルスに付き添ってエルスの部屋まで運んでベットに座らせた。
「触らないで…俺、あなたを壊してしまいたくない…」
「…はぁ、ひとつ言わせてもらうけど。」
怯えるようにヒスイを見上げるエルスに、ため息を吐きながらそう断りを入れた。
「お前の目に映る俺は、どこか溶けて腐っているか?」
「いや…」
「だったらいちいちビクビクすんな。」
「無理っ、お願いだから…俺に触れないで…」
すすり泣くような小さな声に、正直反応に困ったヒスイはため息を吐いた。
「じゃあお守り」
そう言ってエルスの首に綺麗な宝石のついた皮のチョーカーをつけた。
「声には力が宿る、言霊ってやつだ。
その声を発する場所には特別な力がある。」
ヒスイの言いたいことが今ひとつ理解できないエルスは首をかしげた。
「自分の気持ちを、思っていることを声にだすって事は結構重要なことなんだよ。
呪いは解けない、呪いは人を傷つける、そんな言葉ばかりを口にすればそういう風に傾く。」
「それは…前に言ってたまじゅつの事?」
「まぁ、魔術にも多少なりとも関係はあるが…
これは本来人が持っている先天的な能力だ、誰もが皆同じように持っている特別で平等な力だな」
「ことだま…特別で平等な力…」
「そう、病は気からってよく言うだろ?
呪いだって同じだ、そいつの解釈次第でうまく付き合っていくことだできるケースだってある。
まぁ、お前の場合は特殊だからこんなんで呪いが溶けるなんて無責任なことは言わないが…」
そう言って、見下ろす綺麗な双眼にエルスは目を奪われた。
「そんなに卑下に考えることもないと思うぞ」
「…こんな俺でも…願うことくらいなら…許されるの…?」
「言うだけタダって言葉があるくらいだし、いいんじゃないか?」
エルスはそのヒスイの言葉に嬉しそうにうなづいた。
「外の…世界を見てみたい…。
できれば、ヒスイさんと一緒にお宝探しに行ったり、露店をしたり…
誰にも怯えないで、拒まないで…」
ぽつりと、消え入りそうな声で吐露したそれはエルスの心からの願いなのだろう。
ヒスイは何か特別なことをしたわけでもない。
エルスにつけされた装飾品ですら、呪いの効果をほんの少し抑制してくれるだけど補助装飾でしかない。
それでも、自分自身に何も望まないエルスがほんの少し、ちいさな希望の欠片を口にしたのは大きな一歩だと思った。
「いつか、お前が本当にそれを叶えたいと思ったなら、連れてってやってもいいけど。
ただし、足手纏はごめんだからな。それまでに強くなっておけよ」
ヒスイはようやくエルスに背を向けて、部屋の扉から颯爽と出て行ってしまった。
「…俺、望んでもいいのかな…?
貴方の隣で、外の世界に触れることを…」
自分の手のひらを見つめながら、エルスは嬉しそうに微笑んでベットに横になった。

今日はきっと、幸せな夢が見られるはずだから。


出会いのはなし



「シュノ、ちょっといい?」
にこにこと笑みを浮かべたレイリに、嫌な予感がしたシュノは顔をしかめた。
「なんだ?」
「先生の所にね、ちょっとね…
あの…ね…問題のある子が居てね…」
「またか…」
「でもね、聞いて?
凄い大変なんだよ?」
レイリは後ろに居た青年を連れてきた。
「あの…初めまして…
エルス・アールハイドです」
ぺこりと頭を下げるエルスにシュノはじっと見定めるようにエルスをみた。
「エルはね、ちょっと厄介な呪いがかけられてるんだ。
だからこうして…」
レイリはエルの腕を掴むと、そこには細い腕に似つかわしくない黒く重そうな腕輪が嵌められていた。
「隊長…あの…手…」
エルスが怯えるようにレイリを見、逃れようと身体を引いた。
「大丈夫、怖くないよ。
僕も特異体質でね、大抵の怪我はなおるから」
「でもっ…お願いですから…」
「レイリ、どういう亊だ?」
「エルは腐蝕の呪いがかけられてるんだ。
触れるものすべてを腐らせてしまう呪い」
エルスが顔を俯かせた。
「僕は彼をゼクスの隊に入れようと思う。」
「確かに、彼を野放しにしておく方が問題ありそうだし、騎兵隊預かりにするのは妥当だと思いますが…
アレに看せる気ですか?」
シュノは怯えるエルスの手を離させた。
「ティアとゼクスなら、もしかしたらどうにかできるかもしれないじゃない」
「無理です、今まで誰にもどうにもできなかったんだ…
今更どうにかできるなんて思えません」
「それは、君の周りにきちんとした知識を持っているひとが居ないからじゃないかな?」
「どんな聖職者にも、俺の呪いを解けなかった。
手枷をつけて、力を抑えるしか…できなかったんです。」
「うーん…どうやら随分拗らせた考え方になっちゃってるみたいだね。
じゃあ直接会わせた方がいいかな」
レイリはエルスの手を握ると、そのまま地下にある研究所に向かった。
シュノも何も言わずについてくる。
エルスにはそれが恐ろしくて堪らなかった。
レイリはエルスの正体を知ってなお、エルスを引き取ると言ってくれた恩人で、感謝している。
ただ、触れられるのだけは我慢できなかった。
壊してしまったら、エルスは自分を保てなくなってしまう。
「ゼクスー、いるー?」
研究所のドアを開けると、ちょうどティアと白玉蘭が沢山の本を抱えていた。
「隊長、どうかしたんですか?」
「あ、丁度良かった。
ティアにお願いがあってきたんだ」
ティアは本をその辺の床に置くと、黙って近寄ってきた。
「彼はエルス・アールハイド。
生まれつきとても強力な腐蝕の呪いにかかっているんだ」
「腐蝕の呪い…」
「どうかな、興味ある?」
レイリはティアの顔色を伺うようにのぞきこんだ。
「ある!」
ティアは目をらんらんと輝かせながらエルスに近寄った。
「初めまして、ぼくはオルティシア・ジキル。
ぼくは君に非常に興味がある。
まぁ、仲良くしよう。」
ぐいぐいと近寄るティアから逃れるようにエルスは後ろに下がった。
「よ…よろしくお願いします、ジキル博士」
「そんな堅苦しく呼ぶのはよさないか?
騎兵隊の皆はティアって呼ぶからそれでいいよ」
見た目はただの少女だが、オルティシア・ジキルといえばエルスも噂は聞いていた。
王立生物研究所に最年少で所長になったとかで、戦場で死体を漁っては持ち帰って検体にしたり、人形のように操って戦う死霊使い。
噂に聞いていたよりも随分普通の少女で驚きを隠せない。
「あ、きみもぼくの亊変なやつだと思ってるくちだね?
まぁ、否定はしないけどぼくはきみには危害を加えたりなんてしないよ、だって…」
ティアがにっこり笑うと、エルスの背後が急に冷えた気がした。
「大事なサンプルだからねぇ…」
その獲物を目の前にした様なティアに、恐怖心が溢れてきた。
「マスター、あまり巫山戯るのはどうでしょうか…
その方、完全にマスターを誤解してらっしゃるようですよ?」
「おっと、それは失礼。
いやぁ、楽しみが増えるつてついつい顔が緩んでね?
別に他意はないんだ、許してね。よく笑顔が不気味だって言われるんだ」
「じゃあ、任せていいかな?」
黙って成り行きを見守っていたレイリの手が密かに剣の鞘を掴んでいたことに気が付いたエルスは、不安気にレイリを見た。
ただ、彼が剣を抜かなかったのは信用していいと言うことだろうか…と、エルスは目の前で笑う黒いフードの少女を見た。
「大丈夫、ティアはちょっと突拍子もないだけで信用できるから。」
「頭の方は信用してくれていいですよ」
ティアが不適な笑みを浮かべる。
すると、研究所のドアが開いてゼクスが戻ってきた。
「ゼクス、お帰り」
「珍しいですね、隊長がこちらにいらっしゃるなんて」
「うん、君とティアにこの子をお願いしたくてね」
レイリは事情を説明すると、ゼクスはそれを承諾した。
「ゼクス・マグノリアです。
ここで魔憑きの研究をしながら副隊長の補佐をしてます。
非人道的な亊はしませんから安心していいですよ」
「…はい…あの…お願いします」
エルスは完全に恐縮してしまっていて、埒が明かないと判断したゼクスは、今日は休ませることにした。
エルスの強い希望で自室はあまり人が来ない所が良いとの亊だったので、研究室に併設した隔離部屋に案内された。
小綺麗に清掃された清潔感のある部屋に少ない荷物を下ろして一息つく。
きちんと施錠もきく部屋で、ゼクスがマスターキーを持っているが施錠することも許された。
腫れ物扱いされていた自分がまるで見せ物の様に人が寄ってきて疲れてしまったエルスは、ベットに横になった。
地下のため、窓もない薄暗い部屋で、エルスは天井を見上げながら手を伸ばした。
重い腕輪が鈍く光る。
「期待なんて…しない。
どうせ、どうにもならないんだから。
でも…」
臆さずに自分に触れる人との出合いが、確実にエルスの中にある何かを変えつつあることに、まだ彼自身は気がついていなかった。


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