愛していた。
たった一人の可愛い可愛い僕の弟。
ずっと、一緒に居られると思っていた。
僕の命の鼓動が止まる、その瞬間まで



「ゲホッ、ゲホッ」
激しい咳と一緒に肺の酸素が奪われて、息ができない。
止まらない咳に意識が混濁してくる。
「おにいちゃん!」
どこからかパタパタと走ってくる足音と同時に布団のそばに誰かが蹲って泣いている。
「楓、どうしたの?何かあった?
お兄ちゃんにはなしてごらん?」
苦しい咳を堪えながら体を起こして楓を抱きしめる。
双子の弟とは姿形瓜二つなのに、どうしてこんなに違うのかな。
こんな家に産まれなければ、楓は皆から愛される存在だったのに。
可愛い楓。僕の可愛い弟。
「ひっく、おとうさまがっ、どうしてこんなこともできないんだって…
ぼく、いっしょうけんめいしてるのに」
「うん、楓はこんなに頑張って偉いね。
お父様の言う事は厳しいけど、楓が大きくなって困らない様に言ってくださってるんだよ?
だからお父様の代わりに僕が一杯楓を褒めてあげる」
ぎゅっと抱きしめた弟の頭を撫でる。
「可愛い可愛い僕の楓。
ごめんね、僕がこんな体じゃなかったら君にこんな想いはさせなかったのに」
「ちがう、あいのせいじゃ……」
「僕が家を継げないから、君がこんなに辛い思いをしてるんだ…ごめん、楓。
僕を憎んでいいから、悲しまないで」
「いやっ!おにいちゃんだけがぼくにやさしくしてくれる。
あいがいなきゃ、ぼくなんて……」
「ふふ。ごめんね。
もう言わないよ、楓の為に僕も頑張って病気治さないとね?」
すると楓は花が咲いたように笑った。
「あい、びょーきなおる!?」
「分からないけど、頑張るよ。
良くなったら、楓が見つけた大きな木がある丘に連れていってくれる?」
「うん!やくそくだよ!」
約束は、きっと守れない。
それは分かってたけど、僕が生きてる間は楓に悲しい思いをさせたくなかった。




それからというもの、楓は父や母に辛く当られたら僕の所に逃げてくるようになった。
可愛い楓に頼られるのは何より嬉しかった。
身体が弱くて長く生きられない僕が唯一、大切な可愛い弟にしてあげられること。
「可愛い楓。僕の大切な弟。
僕が君を傷付ける全てから守ってあげる」
「あい、だいすき。
ぼくもあいをまもってあげるね!」
とても可愛い僕の楓。
楓さえいれば他に何もいらないと、この時は思っていた。


「ゲホッ、ゲホッ!」
咳が止まらなくて、布団の上で蹲っているとおかしなことに気がついた。
血が黒い…
吐き出した血が、墨のように真っ黒で、ズキズキと頭が痛んだ。
それが何日か続いて、額におかしな十字の傷が浮かび上がってきた時から妙な夢を見るようになった。

僕には沢山の家族がいて、僕は車椅子に乗っていた。
僕は綺麗な女の子で、目の前に男の人がたっている。
逆光で顔は見えない。
けど、怖くはなくて、家族だから笑いかけて聞いたんだ。

『どうしたの?ーー?』

誰かの名前を呼んだと思う。
僕には聞き取れなくて、名前かもわからなかった。
でも目の前の男が笑ったから安心したその時ーーー


「はっ!!」
目が覚めた。
嫌な汗が全身を這うように流れ、呼吸が荒い。
「何今の……僕は…ぼく、は……?」
がくがくと震える体を抱きしめて庭に目をやると不思議な人がたっていた。
耳が長くて、大きな口に大きな体。
見るからに不審人物なのに全然怖くなかった。
「あなたは……?」
「キミを迎えに来ましタ♪」
そう言ってその人は僕の目の前にやってきた。
「聖痕の影響が出始めていますネ。
キミはもっと良い環境で療養しながら覚醒を待たないといけまセン」
言われてる内容は突拍子もないのに、何故かそうするのが正しんだと理解出来た。
「あの……弟も一緒に連れて行って貰えませんか?
離れ離れになるのは嫌なんです」
「弟ですか……まぁいいでショウ。
ただし、殺されないよう気をつけるんですヨ?」
「ありがとう、じゃあ楓を探して……
ううん、まずはこの家を……壊して。
楓に酷いことして縛り付ける家が無くなれば、楓は僕の所に来るしか無くなる」
「わかりました、デハ皆殺しましょう!」
その人はアクマと言われる兵器を呼び出してそれに家を襲わせた。
アクマの弾丸には人間を殺すウィルスが入っていて喰らえば即死らしい。
僕はそれが効かない人間で、先程の人、千年伯爵の家族らしい。
新しい家族に、僕は不安もなく、安心していた。
楓と一緒ならどこでもいい。
楓はこの時間はいつもの丘に居るはずだから大丈夫だと思っていた。
けれど、崩れた屋敷の揺れでバランスを崩して布団に叩き付けられると、悲鳴の様な声がした。
「あいっ!」
必死に僕を助けようと炎に飛び込もうとする楓が居た。
なんで、なんで!
そんな所にいるの!?
危ないから来ちゃダメ、今迎えに行くからって言いたいのに、咳で声にならない。
助けて欲しくて、助けたくて、必死に楓に手を伸ばすと、目の前で崩れた柱が楓を押し潰した。

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

狂った様に叫んだ僕を千年伯爵が抱き締める。
「いきましょウ、ここは身体に障りまス」
突然空間ができて、そこをくぐると見知らぬ場所に出た。
「ここ、どこ?楓は?」
「おちつきなさイ。ここは我輩たちの家デス。
楓くんは…恐らくお亡くなりになったかと 」
「そんな、楓っ!!」
僕は千年伯爵に抱きついたまま泣きじゃくった。
千年伯爵は僕にノアの一族やアクマの事、イノセンスやエクソシストのことを教えてくれた。
「哀くんには我輩達家族がいマス。
今は気持ちの整理が必要でしょう?
風通しのいい部屋を用意しまシタ」
千年伯爵は僕を支えながら立たせてくれた。
「ありがとう、千年伯爵」
僕は千年伯爵にギュッと抱きついた。
千年伯爵は優しく僕の頭を撫でた。
「さぁ、キミの部屋に案内します。」
可愛らしい部屋に通され、ベットに横たえられる。
風がとても気持ちいい。
「哀くんは哀しみのメモリーを受け継ぐノア。
覚醒までに辛い記憶を継承していくでしょう…デモ忘れては行けまセン。
キミには家族がついていますカラ」
「はい、ありがとう。千年伯爵」



暫くその部屋で過ごした。
毎日毎日哀しい記憶ばかりが溢れ、頭が痛い。
黒い血が額から流れ、聖痕というのが浮き出てくる頃には僕の精神は疲弊しきっていた。
そんな時、ティキと出会った。
ティキは千年公が連れて来てくれた。
話し相手にって事だけど、子供の僕から見れば青年のティキは凄く大人に見えて何を話せばいいかわからなかった。
それでもティキは色んな話をしてくれた。
仕事柄?あちこち行くらしく、色んな話を知っていて、珍しい本をくれたりした。
「哀は可愛いから笑った方がいいぜ」
そんな風に頭を撫でてくれる優しい手が好きで、気がつけばティキの事ばかり考える様になってた。
僕がノアとして覚醒した日も、ずっとそばに居てくれた。
嬉しくて嬉しくて、ティキにずっと一緒に居たいって言ったらティキも僕とずっと一緒に居たいって思ってくれていた事が嬉しくて幸せだった。

でも、神様って言うのは残酷で僕が幸せになるのを決して許しはしなかった。


千年公から楓が生きてた事を教えてもらった。
その時は嬉しくて涙が溢れるほど嬉しかったのに、楓がイノセンスの適合者だと言うのを聞かされた。
「そんな、なんで……
楓が敵になるなんて……」
哀しくて哀しくて哀しくて……
僕はティキにしがみついたままわんわんと泣きじゃくった。
ぎゅっと抱き締めてくれるティキの体温に安堵しながら、暗く寒い絶望の中に意識を落としていくことしか出来なかった。


ごめんね、楓。
こんなお兄ちゃんで、ごめんね。
キミを壊すことしか出来ない僕を憎んでいいから…
君は誰にも殺させない。
もし、その時が来たら……

キミだけは、僕の手で……