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贈る約束。

姉を自称する流民の女性に番うことを勧められ、国永は数週間悩み抜いた。
考えに考えた、その日の夜。

「お鶴、今日は屋根で星見をしないか?」

一つの答えを胸に、最愛の弟へ声を掛けた。
心の内を見せぬよう微笑みを浮かべ、柔らかな髪の感触を楽しむように丸い頭を撫でる。
愛らしい弟は首を傾げる事もせず、喜色の笑みで大きく頷いた。
二人が暮らしているのは女性、ヒスイの薬屋である。
屋根は居住部に瓦の敷かれた三角の部分と、薬草栽培に使っている部屋の一部崩落した平たい部分とがあった。
その平たい部分に二人で上がり、灯りの少ない夜の空を楽しむ。

「えへへ、なんかこうやって二人で見るの久々だな?」
「そうだな……何だかんだで人も多くなってきたし、忙しかったもんな」

ぴたり、と肩にひっつく温かな身体に腕を回し、抱き寄せる。
風が強いわけでもないが、そうしなければ見失いそうな闇が国永は嫌いだった。
幼い頃から、どういう訳か闇には何か得体の知れない者が住み着いている気がする。
そして何より、弟の鶴丸が暗闇を怖がった事も起因した。
毎晩余分な火を焚くことは難しく、二人で身を寄せ合って眠りにつくことがほとんど。
だからという訳ではないだろうけれど、夜の闇が深いときは肩を寄せる温もりに安心した。
国永はαだが、鶴丸はΩだ。
発情期はまだ迎えていないが、鶴丸自身のもの以外に甘い花のような香をさせる事があるのを知っている。
いつか、この温もりが離れていくことを思うと胸が潰れそうな程の痛みを覚えた。
本人が望むのなら、誰かいい人を見付けた方が良いのだと頭では考える。
同時に、それを認めるくらいなら自分しか知らぬよう囲ってしまいたいと思った。
この感情に名前を付ける事を恐れ、けれど見ないよう目を塞ぐことも出来ず。

「……くににい、あのな」

静かな、囁くほどの小さな声が隣から聞こえた。
視線を向ければ、空を見る蜜色の瞳が潤んでいるのが分かった。

「俺……、番って、まだ分かんないけど……」
「うん」
「……一緒に居るのは、くににいが良いって、思うんだ」

強がりで笑みを浮かべ、不安に瞳を揺らして本人を見る事も出来ず。
それでも鶴丸は、精一杯の告白をする。
兄だから好きなのか、一緒に居てくれるから好きなのか、その境は鶴丸には分からない。
分からないなりに一杯考えた答え。
その思いが嬉しくて、国永は自然に笑みを浮かべながら細い肩を抱き寄せた。
こつん、と横並びになる頭に頭を乗せ。

「ありがとうな、お鶴。……本当なら、俺から言わなきゃいけなかったんだけど……」
「そんなこと、ない! だって俺、くににいが良いから!」
「お鶴、鶴丸。可愛い俺の弟。……約束する、病める時も、健やかなる時も……きみと一緒に」
「――……じゃあ」
「けど、今はまだ番わない。俺が、胸を張ってきみを愛してると言えるまで……待ってくれるか?」

ひどい約束だと、独りよがりな答えだと国永は思った。
鶴丸がこれをどう思うか、裏切りだと感じるかも知れない。
罵られても仕方ない。
けれど手放すことも出来ないのだ。
そんな国永の答えを、約束を、鶴丸は喜色の笑顔で迎え入れた。

「うん、待ってる。ずっと、ずっと待ってる!」
「……ありがとう」

涙を流してとろける笑顔を浮かべてくれる鶴丸を、確かに感じる嬉しいという温かな気持ちのままに抱き締める。
そのまま頬に手を添え、少し上向いた顔に口付けを落とした。
唇を触れ合わせるだけの、稚拙なそれを。
頬を熱く色付かせながら、うっとりと夢見心地の瞳で鶴丸は受け入れた。
その顔が可愛くて、幸せという温かさを噛みしめながら鶴丸の左手を掲げる。
何をするのだろうと首を傾げる鶴丸が見守る中、小指に白いレースの指輪を通した。
左手の小指、そこにする指輪は番が居ると言う証だ。

「くにに、これ……」
「ごめんな、これしか用意出来なくて。……ちゃんと番うまでは、不安にさせるかも知れない」

鶴丸の左手を握り締め、反対の手で頬をなぞって首へと手を下ろす。
指先で項を擦れば、Ωの本能からか身を竦めて小さく震えたことが分かった。
発情期に項を噛むことで成立する番は、逆に言うならそうしなければ成立しないという事だ。
本人の心など置き去りに、本能に身体が引き摺られてしまう恐怖。
それを知っているけれど、知っているからこそ、心の趣を大切にしたい。

「もしきみが、望まぬ番を結んだら……殺してでも奪い返す」
「……ん、うん、その時は……おれを殺して? くににい以外、いらない。くににいが良い」
「……ありがとう、大好きだよ、お鶴」
「おれも、くににいが好き!」

花の咲くような笑顔を浮かべ、鶴丸は左手の指輪を手でなぞってふにゃりと表情を緩める。
可愛くて、ずっと傍に置いておきたい、愛しい子。
国永は愛を信じない。
両親が愛し合った証である自分たちを、彼らは捨てたのだ。
そう言った子は少なくないし、身体を繋げることだって心が伴わなくとも出来てしまう。
だから、国永は愛を信じない。
けれど、この胸が高鳴る心地が愛なら良いと思った。

こうふくの定義。

先日の黒鶴誘拐未遂以降、長義には気になっている事があった。
あまりに黒鶴と似通った顔立ちの、見知らぬ真白の青年。
瞳の色も片や蜜色、片や紅と異なっていたけれど、だからこそ一つの可能性が浮上した。
そこにどんな意味が含められているのか、果たして探って良い物か。

「長義ー、白月はー?」

キッチンで包丁を片手に物思いに耽っていた長義を見た瞬間、やってきた黒鶴はぎょっと目を剥いた。
慌てて近寄り沸騰する鍋を止め、包丁を持つ腕に手を重ねて下ろしてやる。
そこでようやく、長義は調理中に手を止めていたことに気付いた。

「ちょーぎ、あぶない……」
「あ、ごめんね。ちょっと考え事してて……お腹減った?」

誤魔化すように笑みを浮かべる長義を黒鶴は微妙な顔で見、ため息を吐いて首を振る。
四人の中で一番神経質なのはと聞かれれば、一見黒鶴のようでいて細やかな気質を持つのは長義だ。
その分気苦労も多く、けれど矜持の高さからなかなか口を割らないことも知っている。
とくに、守るべき対象と見ている黒鶴には。

「白月は?」
「ああ、それなら教会だよ。いつもの"謁見"」
「えっ、また一人でLeiaに会いに行ったのかい!?」

聞いた途端、頬を膨らませて不機嫌を露わにする黒鶴に微笑ましく笑みを浮かべた。
中枢システムが疑似人格を表すそれは、コロニーの創設者と瓜二つ。
人間的な感情こそ備わっていないが、性格などは当人を模していると言われている。
教会の技術職にある者は術を学ぶため、或いは異常な箇所の確認などで定期的に彼を訪れる事が義務づけられていた。
そうして、黒鶴はLeiaによく懐いている。

「たずは本当にLeiaが好きだね」
「ん、大好き! だって優しい」
「そう? 僕はあまり会ったことはないけど……とうてい、人間味のあるモノだとは思えないな」

人を小馬鹿にする笑み、圧倒的なまでの正しさ。
一個人の感情など素知らぬ所と言わんばかりに、当然を口にする。
そういったモノである事を理解していても、目の前に晒されるのはあまり気分の良いモノではない。
どこか不気味な聖遺物。
けれど黒鶴は不思議そうに目を瞬いて首を捻る。

「Leiaはただ公平なだけだろ。αもΩも関係ない、人間は弱いってこと。それって、凄く平等だ」
「たずは……平等なのが好き?」

身体が弱く、寝込むことも多い病弱な幼馴染み。
庇護される対象であるΩ。
守る事が前提とは言え、一緒に居て彼を平等に扱っているつもりだったのにと少しだけ拗ねる気持ちがあった。

「んー、長義が子供扱いするのは好き」

そうして、少しイタズラ気に笑う黒鶴に、支えられているのは自分の方かも知れないと思う。
だからこそ、不足の事態に陥らないよう、出来うる限り手を打ちたいのだと。
黒鶴が機嫌を直すよう、長義の背中に頬を擦り寄せて抱き着いてくる。
触れ合う事が大好きな幼馴染みが、気を許した相手にしかしないスキンシップ。
背中越しの温もりが優しい。

「ふふ、たずは可愛い末っ子だからね。今日の夕食はたずの好きなシチューだよ」
「やった! ママ、ありがとー!」

ぐりぐりと頭を擦りつけられる気配に笑い、黒鶴が大人しく離れるのを待つ。
そうしてひとしきり甘えた彼は足を地下室へと向け、

「練習するから、白月が帰って来たら俺は拗ねてるって言っておいて!」
「ははっ、分かったよ」

"賛美歌"の練習場、兼寝室と化しているそこへと階段を軽やかに降りていった。
四人が住んでいるのは教区にある白いコテージで、外からは二階建てのこじんまりとした館だ。
けれど中に入れば広い地下室があり、そこは酒蔵として使われていたよう。
気温管理と空調の行き届いていて、ある程度の密閉性は"賛美歌"の練習に丁度良かった。
そこに四面の壁と天上を液晶ディスプレイで囲い、魚が泳ぐ様を移している。
海に憧れる黒鶴が、少しでも魚の気分を味わえるようにと幼馴染み三人で整えたのが懐かしい。

「長義ー、パス通ったぞー」

黒鶴と入れ違いに顔を出したのは、二階に篭もっていた南泉だ。
彼にだけは、調査の手段というのもあって簡単な説明をしていた。

「お疲れ、調べてくれた?」
「ん、少なくとも教会には"おつる"って奴の認識はねぇにゃ」
「そう……」
「一体にゃに気にしてんだ?」

長義が神経質になる意味が分からないと猫の目を細め、眉間に皺を寄せる。
肩を竦め、調理を再開して告げる意思がないことを表した。
けれど、それで納得をする南泉でもないのだ。
白月や黒鶴には言えない事が多い分、何のしがらみもない自分には言っておけ。
ある意味で一蓮托生の二人はそうする事で守ろうと決めた。
だからこそ秘密は無しだと、言葉にはせずに目が告げる。

「……ちょっと、ね。僕達は親を知らないけれど、基になった人って言うのは必ず居る」
「だろうにゃ。クローン体だろうと培養体だろうと、必要だにゃ」
「意図的に有用な遺伝子を残す為の、酒瓶なのかな、って……」
「白月の事言ってんのか?」
「……ん、それも、ある」

気になってから調べて見れば、白月と同じ顔は直ぐに見つかった。
あまりにも有名であるのに気付かなかった事に、むしろ信じられない思いだった。
三条三日月と、その息子の宗近。
年頃も同じくらいな息子の方は、色味が同じであれば双子かと疑うほど。
否、本当は双子なのではないだろうかとすら思った。
けれど公式にも教会にも、他に兄弟があるとは言われていない。
宗近に至っては末の子であるとされていた。
その関係性を秘匿とされているのは、いざという時替え玉にするためではないか。
そうなれば、今の生活が続く保証もない。
長義が望むのは彼らの幸せで、笑顔だ。

「らしくねぇにゃあ……」

ぽん、と頭に手を置かれ、それを辿れば南泉が困ったように眼を細めて笑うのが見えた。
もう一度、今度は髪に指を絡めるようにゆったりと撫でられる。
存外心地良いその感触に、竦めていた首を伸ばしてもっとと強請るように擦り寄った。

「僕は思慮深いだけだよ」
「それは知ってるけどよ、うちの子は渡さねぇって気張るのもお前。だろ?」

白金の髪をふわりと揺らし、愉快そうに肩を竦めて南泉が笑う。
添えられた手が頭を、そして頬を撫でた。

「うん……そうだ。そうだったね」
「だろ。んで、人ん家の子に迷惑かけんにゃ!って追い払うのが俺」
「……ふ、ふふ、呂律が回ってないよ、猫殺しくん」
「にゃ!? そ、れはお前……言わねぇ約束だろ。つーか、誰に似てるとか大したことねぇって」

あいつらはあいつら、だろ?と囁くように、優しい微笑みと共に言われて長義もようやく心から頷くことが出来た。
そうだ、彼らは彼ら。
ちょっと抜けてて放っておけない、困ったところのある大好きな幼馴染み達。
彼らが笑ってくれる事が、自分の幸せ。
迷うことがあったとしても、隣で彼が支えてくれるのなら。
それはとても、幸福な事なのだと長義は笑った。

再会と、暮らし。

ヒスイが本格的に店支度をするようになって幾日。
青年団は伊達男達の集まりという意味で伊達組に名前を変え、拠点を店近くの修繕した家へと拠点を移した。
国永と鶴丸はそこから少し離れた所にある、うち捨てられたアパートの二階に居を構え。
最初は何も無い部屋に不安を覚えた鶴丸だったが、引越祝いにと様々な家具が運ばれれば直ぐに気にならなくなった。
何よりも嬉しかったのは、人目を気にせず国永に甘えられる事。
国永を慕う人は本人が自覚するより多く、二人きりになりたくても必ず他人の気配があった。
けれど今は与えられた仕事をこなして帰れば夜は二人きり。
寂しくないかと聞かれたけれど、それ以上に嬉しいのだと鶴丸はご満悦で。
そんな暮らしが形を為してきたところで、懐かしい再会もあった。
調剤用、と育てていた生薬を教わったとおりに収穫していた時、来客を報せるベルが鳴る。
扉に仕掛けた簡素なそれは涼やかに響いた。
鶴丸に与えられた仕事は畑の世話と接客。
とくにヒスイが調剤中の間は目が離せないため、人手が必要となる。
あまり多くはない客にウキウキと逸る心を押さえ、急いでカゴを置いて店内に続く扉を潜った。

「いらっしゃい!」
「ああ、店主か。すまないが……――つるまる?」

突然呼ばれた名前に相手を見れば、目に優しい若葉の色合いを持つ瞳が片方覗いている。
見慣れたよりは精悍に、大人のそれとなった顔立ちは懐かしい。
孤児院で特に親しくしていた内の一人、うぐいすだった。
萌葱の髪がふわりと揺れる。

「生きて居るのは知っていたが、久しいな」
「ああ、手紙と食料ありがとな! うぐはどうしてここに?」
「今日は使いとして、だな。店主は居るか?」
「そこで俺だと思わない辺り、うぐだよな……。ちょっと待ってて」

言外にそこまで賢くないだろう、というからかいを含んだ言葉に頬を膨らませながら鶴丸は奥へと歩みを進めた。
調剤中は危険もあるから、と口を酸っぱく言われたので、扉の前でノックをして返事を待つ。
暫くしてから扉が顔半分ほど開き、ヒスイが翠の目を向けてきた。
来客だと告げれば奥で待て、と言われ手が離せないことを知る。

「今取り込んでるから、こっち来てくれ」
「ああ、分かった。ついでに茶があると嬉しいんだが」
「君、相変わらずだな。ちょっと待ってろ」

マイペースに微笑みを浮かべ、勝手知ったる我が家と言わんばかりにリラックスするうぐいすにお客様用の香茶を煎れる。
まさか本当に茶が出るのか、と不思議そうな顔をする彼に、少し良い気分になった。

「ここの店主、ヒスイって言うんだけどな、相談事も受けるからって用意してあるんだ」
「ほう、それはありがたい。しかし……見ない間に鶴は国永に似てきたな」
「本当!? へへ、嬉しい!」
「……そういう所は昔のままだな。口調は似せているのか?」
「ぅ……」

くすくすと殺しきれない笑みを屈託無く浮かべるうぐいすに、恥じらいから頬を赤らめる。
自覚して似せている訳ではなかったのだが、鶴丸の思い浮かべる大人の手本が兄だったからだろう。
そういった心の機微まで見透かされたような気がして、尚更羞恥を感じたのだ。
えほん、と空咳をしてから澄まし顔でうぐいすを見る。

「それで、用件は?」
「出来れば店主本人に告げたいのだが……」
「俺は店番を任されてるの! ちゃんと聞いておかないと、後で叱られるんだ」

叱られるのが嫌なのではなく、店番も出来ないと思われるのが嫌だと言外に告げた。
すると、勝手知ったる仲と言わんばかりにうぐいすはしたり顔で頷く。
メモとペンを用意し、聞く体勢を整えたところで茶を飲んだうぐいすは口を開いた。

「今回俺が来たのは孤児院の、というよりは院長先生の別の用向きでな。俺は孤児院を卒院してから先生に弟子入り、のようなものをして世話になっている」
「え、卒院なんてあるのかい?」
「本来ならば15を迎えた時点で仕事を斡旋、ないし街に出るようになっている」
「そうだったのか……」

ならば検査を受けてから数年で鶴丸も街に出ることとなったのだろうか。
国永は鶴丸を連れ出した時点で15歳、仕事の斡旋をされていたのかも知れない。
自分が居たから国永に自由はなかったのだろうか、と考えると気分が沈んでくる。
きっと、鶴丸が聞いても兄として当然だと答えてはくれないだろう。
番となり、一緒に居られることは嬉しいけれど、国永は一個人としてというより兄として振る舞おうとする所があった。
それが寂しいと思うのは、今が幸福だからだろうか。

「鶴丸、続けるぞ」
「あ、うん」

思考の渦にはまり込んでいた鶴丸を引き上げたのは、親友の声だった。
鶴丸が目に見えて落ち込んだことには気付いているだろうに、あえて告げないという優しさが心地良い。

「薬師というのは、本来なら教会が認可をして初めて名乗ることが出来る。今のままだと、ここはモグリという事になる」
「え、そんな決まりがあったのか?」
「調剤には知識が必要だ。医療は教会の区分だからな」
「……そういえば、そうだったかも」
「なので評判の良い、けれど教会に登録のないこの調剤所にスカウトに来たわけだ。……という訳で、ヒスイと言ったか? お前にはこの書類に目を通して貰いたい」

不意に、うぐいすが抱えていたファイルを横へと差し出した。
それを取る赤い腕があり、鶴丸はヒスイが来ていたことを知る。
紙タバコに火を点し、煙を吐き出しながら鶴丸の隣へと腰を下ろしてファイルを開く。
険しい顔をしているのは、先まで神経を使う調剤をしていたからか、情報不足だった事についてか。
後で別の理由から叱られるかも、と不安になりながら様子を見る。
うぐいすはのんびりと茶に口を付け、鶴丸を見た。

「そういえば、院長が代替わりをした。院長先生直々の指名でな、黒葉になったぞ」
「ええ!? 先生って、まだ若いよな? それに黒兄って、何で?」
「教会に呼び戻されたからな。本来、次の院長は別口で派遣される筈だったのだが……あそこは特別。それに、黒葉は優秀だ」
「特別? 孤児院て、全部教会の口だろ?」
「表向きは、な。……ふむ、まあお前ならば良いか。あそこは上層の人間が絡んでいるそうだ」
「じょう、そう……え、上の? 何で?」
「何でが多い」

それは決して、聞いてくれるなという意味では無く。
単に本人の性格上、説明が面倒だという事に起因する。
そういえばこいつはそうだった、と鶴丸も顔を顰めた。
という所で、今まで書類に目を通していたヒスイが顔を上げる。

「この治験への協力義務というのは絶対か? それに、調剤の固定化というのも」
「まあ、そうだな。薬にはランク付けがあり、あくまで教会指定の物を卸して貰う事になる」
「えっと……ヒスイ、それって何か困るのか?」
「……治験というのはな、効果の保証されない薬を試すことを言う」
「おや、保証されないとは心外だな。ある程度の効果が期待される物、と言ってくれ」
「……つまり、実験動物だよ。上の人間が安全に使う為の、な」

眉を跳ね上げて嘲笑を浮かべるヒスイに、鶴丸は言葉をなくした。
まさか友人がそんな非情な真似に荷担していると思いたくなかったのと、何と言って良いか純粋に分からなかったからだ。
上の人達、というのを普段の生活で鶴丸は意識したことはない。
雲の上の存在、居ると言われるもの。
その程度で、自分たちの生活とどう関わってくるのかを理解していなかった。
急に自分たちに押し迫る大きな影の存在を意識し、息が苦しくなる。

「見返りは教会の許しと材料の提供? 勝手に病気を治療されたくはない、教会のありがたさが減るとでも?」

尚も侮蔑の言葉を述べるヒスイは、明らかに憤っていた。
どうしてこの人はここまで下層の、弱者の為に怒ってくれるのか。
どうして親友がこんな酷い事を言っているのか。
分からない事が多く、頭が痛くなるのを感じる。
よく考えろ、と兄は常に言っていた。
大事な時に頭を働かせたいなら、常からそういう力を付けておけ、と。

「さて、俺は教会の人間ではないから知らんな。まあ、細かい事は気にするな」
「ん? 教会の人間じゃ、ない?」
「え? でも、さっき先生の弟子って……」

持ってきた書類も教会の正式なものだろうに、あっけらかんとした風にうぐいすは言う。
むしろ無責任じゃないか、と鶴丸は目を見開いた。
うぐいすはヒスイの持っていた書類を奪い、目の前で真っ二つに割いてみせる。
用済みの物は処分するに限る、とでも言いたげだ。
更にヒスイの使っていた灰皿に細かく割いた紙片を載せ、ヒスイの口から紙タバコを奪って火を付けてみせる。

「これで証拠は隠滅だな」
「……ぷ、ははは! お前、最初からこのつもりだったな?」

満足げに微笑んで灰になる様を見、全てが消え失せたところでうぐいすは頷いた。
様子を見ていたヒスイは一本取られた、と言いたげに快活に笑っている。
先の獰猛な様子は微塵もなかった。
付いていけないのは自分だけ、と鶴丸は何だか拗ねた気分になってしまう。

「結局、どういう事だ?」
「秘密裏にしてくれるって事さ。勝手にやれ、とよ」
「むしろ個人的な伝手として、生薬の取引を申し込みに来たのが本命だ。先生が教会の事で忙しくなると、調剤用の植物が無駄になる。そして、要事に孤児院に卸す薬が不足する」
「なるほど、孤児院に優先的に回す代わりに不足の材料の用意もしてくれる、と。願ってもないな」
「ちなみに先の取引、受ければ抑制剤の卸しも出来たが……まあ今となっては余分な話しだな」

さらりと重要事項を口にするうぐいすに、思わずヒスイを見た。
が、彼女は次の紙タバコに火を付けると肩を竦めて視線を外してみせる。
その線は無し、という事だ。
自分の流儀に合わない事にはとことんまで頑固になる、それがヒスイだった。
何度かそれで国永と衝突し、一週間以上口を利かないという大喧嘩もしてみせる。
結局は光忠達年少組に泣きつかれた鶴丸が間に入った事で互いに折り合い箇所を見いだし、以降は触れずにおく、という事もあった。
そんなヒスイが無しと決めたのなら、今後も覆す有用性がない限り無いだろう。

「そういえば、鶴丸もΩだろう。抑制剤はどうしている?」
「も? 他にも誰か居るのか?」
「俺と黒葉がそうだな。孤児院を通して俺達は抑制剤を受け取っている。だが、鶴丸はそうもいかない」

黒葉も、と言われて驚きに鶴丸は目を見開いた。
身体能力は高いとは言えず、けれど劣っているとも思えなかった。
というのも鶴丸は決められた運動の時間でしか黒葉が動いている所を見ていないから。
自由な時間はたいがい院長室で本を読んでいたし、喧嘩をするのも口だけだった。
鶴丸より小柄な身体は華奢で、体力は無さそうだったような。
Ωと言われれば納得出来るけれど、そんな彼が今は院長をしているという。
弱者として働く事自体が難しいという印象があっただけに、目から鱗が落ちる気分だ。

「それな……目下確認中だ。安易に手に入るのは粗悪品が多くてな」
「それでも手に入れてたのか……」

苦い顔をするヒスイに、知らなかったと鶴丸は呟く。
鶴丸に危ない事をさせたがらないから、報せなかったのか。
やっぱり自分は足手まといなのかと心根が萎れかける。
と、

「そりゃあ、俺の所に置いてくれってバカも居るからな。サンプルとして取り上げてはみたが、使えたもんじゃない」
「あ、そういう? ……そっか、そうだよな、薬屋さんだもんな」

危ない事云々より、そういった事情で手に入れてたのかと安堵した。
仲間はずれにされるような、自分だけ安全な所に留め置かれているのは悲しい。
無茶や無謀な、危険な事をしたいとは思わない。
けれど、鶴丸を理由に大好きな人達が傷付くかも知れないのは嫌だった。
だからヒスイの言葉は、鶴丸を安心させた。

「黒葉に言えば孤児院への来訪自体は容易になるだろう。国永も無事なら三人分、話しを付けておこう。客分として証明書を発行する」
「ふむ、薬を卸すなら容態を見る必要もあるからな、助かる。……ところでお前、うぐいす……だっけ?」
「ああ、うぐいす・ホケキヨと言う。調剤の行儀見習いのような事をしている」
「俺はヒスイ、見ての通りこの薬屋の店主。で、だ。お前、何か仕事してるか?」
「さて……仕事、と言える物は無いな。畑の世話、孤児院の手伝い、その程度だ」
「そうか。なら、鶴丸と仕事をしないか? なに、そんなに難しい事でも無い。お使いの延長のようなものだ」
「ほう? 面白そうだな、引き受けよう」
「え!? そんな簡単に……しかも俺と仕事って、何させる気だ??」

ヒスイが難しい事では無いというならそうなのだろうと思うが、初耳な上に自分に話しを通されていないうちに決まった事に鶴丸は驚く。
頼まれたなら断るつもりはないが、少々の強引さに頬を膨らませた。
そんな鶴丸を見てヒスイは喉を鳴らして笑い、口元に人差し指を立ててみせる。

「なぁに、簡単さ。街の連中と話をして、お願いを叶えて回ってくるだけ。何でも屋って奴さ」
「なんでも、や??」
「ほう、便利屋か」

頷き、ヒスイは腕を組んで椅子に深く座り直した。
そうして改めて考えれば、薬屋に顔を出す客の多くがちょっとした相談を持ち込んでいたのを思い出す。
いわく、片付けを手伝って欲しいや、荷運びの手伝い、壁の修繕、配管の点検。
大概が伊達組の誰かを派遣する事で解決していたが、その度にヒスイは調剤の手を止める羽目になり。

「鶴丸も要領は分かってるだろうけど、ここを受付に使って良い。報酬は仕事次第だろうが、頼まれてくれれば俺は確実に薬を用意出来るだろうな」
「そう言われては受けざるを得んな。なに、退屈しのぎには丁度良いだろう。承った」

こうして仕事がないときは各々手伝いを優先、発情期も除外とし。
色々簡単な取り決めをした上で、鶴丸とうぐいすの何でも屋が発足となった。
主な仕事筋が孤児院のものとなり、うぐいすの手伝いの延長のようなものとなるのだが、これはこれで立派な仕事として用立ち。
時には嬉しい臨時報酬も期待できるものとなり、下層で暮らしていく楽しみが増えたのだった。

mother



「かあさま、あのね…」
「うん?どうした?」
「おれ、かあさまみたいになるね。
みんなたいせつにして、いい子いい子してあげるの、かあさまみたいに。
……できるかな?」
「ああ、できるさ。
お前ならきっと良い母になる。私が保証しよう」
「えへへ、うれしい」


腕の中で笑う銀髪の青年は凍り付いたような笑みを浮かべたまま、愛しそうに女の腕の中で微睡んでいた。



「ん……」
目を覚ましたのは日が昇って少し経った頃。
起きなくては。
広めの寝台の隣は今日も綺麗に整っている。
「早く帰ってきなよ……寂しいだろ」
温もりのない反対側にもふっと倒れ込み薄くなった恋刀の匂いを少しでも拾い上げる。
「っ……なんせんっ…」
アイスブルーの瞳が蕩けた様に揺れ、ぐりぐりと頭を押し付けて胸いっぱいに匂いを溜め込むとようやくベットから起き上がる。
雪のような白い肌に良く似合うシルクのナイトドレス。
透け感のある上質の絹のドレスに長義の瞳を模した青い糸で見事な刺繍が施されている。
夜着ではあるが、滅多に出陣することが無い長義は、この格好で日々を過ごしていることが多い。
朝の寒さから体を冷やさないためストールを羽織ると静かに部屋から出て厨に向かう。
大きな業務用冷蔵庫には食材がびっちり詰まっている。
それを取りだし、愛しい子供達の食事を用意する。
こうして食事を用意しておけば動けるものは自分で食べに来る。
長義の朝の仕事はこれに限らない。
動けぬ子達に食事を運び、食べさせる。
今は特に大事な時期だから栄養がたくさん必要になるが、腹いっぱい食べてしまうと後が辛くなる。
本丸内の闇が濃い奥座敷。
そこに力なく横たわるのは美しい三羽の小鳥達。
「おはよう、気分はどうかな?」
声をかけると1番小柄な雛鳥が目を覚ましてむくりと起き上がった。
「まま…?まま、おはよう。
だっこ……」
両手を広げてふにゃりと笑い幼い雛鳥に微笑みかけ、テーブルに食事を置くと小さな体を抱きしめた。
「ひな、体はどう?
痛みとか、気持ちが悪いとかはない?」
腕の中に収めた雛鳥、小烏丸の頭を撫でながら入念に体に触れて不調がないか探す。
「ん、お腹がごろごろして、ちょっと苦しいが…へいき。
獅子王が、いっぱい子種をくれたから、いつもより大きいのが産めそうだ」
ぽこっと歪に膨らんだ下腹部に愛しそうに触れると、長義は安心させるように体を密着させたままゆっくり腹を撫でる。
「うん、いいね。順調に大きくなってる。
でも、これだけ大きいと産むのは大変だけどひななら出来るよ、一緒に頑張ろうね?」
少しだけ、ほんのわずかだけ、長義の表情が曇ったが、小烏丸がそれに気がつく前にいつもの蕩けた笑みでぎゅぅっと抱きしめられる。
「可愛い俺の子、大丈夫だよ。
君達が安心して卵を産める巣は俺がちゃんと守るからね。
ひなは何も考えずにお腹の卵のことだけを気にしているといい。
獅子王もきっと喜ぶ」
「獅子王は、嬉しいか? 我が卵を産めば喜ぶか?
ままは?ままも嬉しいか?」
刀剣の父としてはあまりに幼く、あまりにも無垢。
それ故に簡単に染ってしまう。

「ああ、勿論。
獅子王も俺もとっても嬉しいよ。
君にしか出来ない事だからね」

求める言葉を与えたら、簡単に闇にも染ってしまう。
その言葉に小烏丸は嬉しそうに瞳をとろませて微笑んだ。
「ほら、卵を産むのに君が倒れたら元も子もないよ。
しっかりご飯食べて、獅子王が帰ってきたらいっぱい可愛がって貰わないとね?
ひなはいい子だから出来るよね?みんなの父だもんね」
「うむ、出来るぞ!
獅子王が居ないのは寂しいが、我にはままが居る」
親を刷り込まれた雛鳥が甘えるなら長義はそれを受け止め、安息を与える。
「いい子だね、他の子達を起こすからひなは先に食べてて?
無理に全部食べるんじゃなく、必要な栄養を摂るのが目的だから残さず食べなくてもいいからね」
優しく頭を撫でれば、小烏丸は嬉しそうに頷いて、テーブルの前にちょこんと座る。
大好物のふわふわのパンケーキにはアイスや果物、蜂蜜がたっぷりとかかっていて宝石箱の様だった。
食べるのがもったいない位だが、美味しくて病みつきになってしまう長義のパンケーキに小烏丸はごくりと喉を鳴らしてフォークを刺した。
それを確認してから長義は隣にいた鶯を起こす。
「鶯、朝だよ。
おきて一緒にご飯を食べよう?」
しばらく揺さぶるとゆっくりと闇に濁った瞳を開く。
「長義……いちごは…」
「今朝は畑番だから今は畑にいるんじゃないかな?」
「喉の奥が…苦しい……」
気分が優れないのか、弱々しく長義にすがり付いてくる。
喉奥が苦しい、と鶯は訴えてきた。
頬が赤く呼吸も荒い。
「後ろが疼くかな?」
「んっ、ん」
話すのも辛くなってきたのか、目じりに涙を貯めながらぎゅっと長義の服を握る手は微かに震えていた。
「産卵しそうなんだね、分かった。
立てそうかい?」
鶯はふるふると首を振る。
「よしよし、大丈夫だよ。
全部俺に任せておいで、鶯は一期さんの事だけ考えているといい」
ひょいと軽々しく鶯を抱き上げて長義は笑いかけた。
鳥である鶯は一般的な鶯丸より軽く、長義でも難なく移動できる。
産卵はいわば交尾の延長だ。
昼間に番がいない間預かる鳥部屋とは別の一期と鶯丸の寝室に運ぶ。
布団に優しく横たえ、畑仕事をしているはずの一期の元に走って向かう。
「一期さん!」
「長義殿?そんなに慌ててどうかなさいましたか?」
収穫した夏野菜を洗っていた一期が顔を上げると、長義は一期の頭を包み込むように抱きしめた。
「鶯が産卵しそうだよ、早くいってあげて?
食事が出来そうな後で俺に教えてくれるかな」
「分かりました、ありがとうございます」
一期はぎゅっと長義を抱きしめて甘える様に擦り寄ると鶯の待つ部屋に走っていく。
「全く、朝から大忙しだな」
そう言って2人の寝室に急ぐ。
「あ゛あ゛っ!」
鶯がぎゅっとシーツをつかみ腰を高く上げたまま呻き声をあげる。
後ろには一期の昂りを受け入れて上から押しつぶされるように息を吐き出す。
「鶯、いい子だね。
頑張って、一期も声をかけてあげて。
何度産んでも不安と恐怖は消えないからね?」
「はいっ、うぐ、うぐっ!愛してます、私の卵、産んでください」
「あぐぅ、う、おぇっ」
苦しそうに嗚咽を漏らす鶯の頭を太ももに乗せてゆっくり頭を撫でる。
「大丈夫、鶯。怖くないよ。
一期がずっとそばに居るから、吐き出してごらん」
苦しそうにむせ返りながら顔中を涙でぐしゃぐしゃにしながら口から卵をころんと吐き出した。
暖かくて小さな卵。
小さな卵をバスケットに収めると、2人の頭を撫でてぎゅっと抱き締めた。
「偉かったよ二人とも。
頑張った、いい子だね」
頑張ったご褒美に鶯と一期をいっぱい褒めちぎってあやす。
長義には出来ない事。
花である長義に卵は産めない。
だから苦痛が分からない。
それでもつらそうにする子達を見ていると胸が締め付けられて辛い。
肉体的痛みは分かち合えないから、精神的な痛みを分け合いたかった。
「ぁ、あ、ちぃ……ま、ま」
「うん。ここに居るよ。 よく頑張ったよ、いい子だね。」
「鶯、鶯、大丈夫ですか?
痛みとかは?ママ…鶯は大丈夫ですよね」
ゆっくり引き抜いて身嗜みを整えると不安そうに長義を見上げる。
「大丈夫だよ。
産卵は体力を使うし、鶯は口から産卵するから呼吸が難しいんだよ。
君が後ろからしっかりサポート出来ていたから、負担は少ないはずだよ」
ぐったりしながら呼吸を荒らげる鶯の頭を撫でる。
「いいこ。今は疲れただろうからおやすみ。
起きたらなにか軽くつまめるものでも持ってくるよ。
一期、産後は体力も無くて不自由だからちゃんと……って、初めてじゃないから大丈夫だね?何かあったらどんな些細なことでもいいから俺に言うんだよ?
俺の可愛い子供達」
長義は言い聞かせるように何度も何度子供達と刷り込む。
そうしないと不安で仕方ない。
母と慕ってくれていても自分が産んだ訳じゃない。
母様のような圧倒的存在を前に霞んでしまうのが怖い。
鶯を一期に任せで可愛い小鳥達の部屋に向かう途中、悲鳴が聞こえた。
「ぴゃー!!ママァ!ママァァァ!」
泣き声を聞き付けて慌てて部屋に駆け込む。
「たず、ひな!」
「ふぇ……ままぁ…」
目を覚ました黒鶴、たずが泣きじゃくりながら抱きついてきた。
「どこいってたんだよ、起きたらうぐは居ないし、ひなはなんか食べてるし!
寂しかった!!」
ぐりぐりと胸元に頭を押し付けて甘えてくる可愛い俺の小鳥。
「ごめんね、寂しかったのかな?
鶯の産卵に立ち会ってたんだ。
でも可愛いたずに寂しい思いさせてたならごめんね、朝ご飯は一緒に食べようね」
「うん……」
たずは少し不服そうに頭を長義の胸に埋めたまま、暫くそのまま甘えるように長義に、しがみついていた。
「ふふ、困った甘えん坊だね。
ひな、テーブルをこちらに寄せてもらえるかな?」
「うむ、よいぞ!」
小烏丸は小さな体でテーブルを寄せる。
「ほら、たず。機嫌直してくれないか?
今日はたずの好物を用意したよ」
「ままのオムレツ?」
「うん、ふわふわのオムレツだよ。
ほら、あーんして?」
片腕にたずを抱いたまま支えて、もう片方の手でスプーンでオムレツをすくって口元に運ぶ。
その様子を小烏丸が覗き込むようにして顔を近づけてくる。
まるで幼い弟の世話を焼きたい兄の様だと長義は微笑んだ。
「あむっ……んむ、むぐ…
んー、美味しい」
ニコリと笑うたずに微笑み掛けながらゆっくりと口元にオムレツを運んでいく。
「まま、今度我にもおむれつの作り方を教えてくれぬか?」
「うん、構わないよ。
獅子王に作ってあげたいのかな?」
「ん……ままのおむれつは獅子王も美味しいと言っていた…から、その……」
「あ、俺も!白月に作りたい」
「わかったわかった、可愛い子供達の頼みなら叶えてあげるよ。
でも、たずがご飯を食べないと俺は心配で心配で倒れてしまうかもしれないな」
くすくすと微笑んでからかうように言うとたずと小烏丸が真っ青になって長義に抱きついた。
「しんぱい……ままにしんぱいさせるのダメってしろ言ってた…
俺、悪い子?ままに心配掛けたわるい子なの?
もう、ままと一緒に居たらだめなの?」
「まま、我からも頼む、たずを悪い子にしないでくれ、罰なら一緒に受けるからっ」
必死にすがりついてくる愛しい小鳥達に長義は歪んだ愛で満たされた笑顔を浮かべた。
「そんな事ない、心配というのは悪い事じゃないよ。
俺がたずを、ひなを、みんなを心から愛して大切に思ってるから心配するんだ。
ずっと、ずぅっと……一緒にいるためにね?
だから俺は君達から離れていったりしない、ずっとそばにいるよ」
泣きそうな二人を抱きしめて頭を撫でると、ぐすぐすと泣きそうにしていた二人は長義を見上げた。
「ほんと?ずっと一緒?」
「もちろん。獅子王も白月も、この本丸にいる子達はみんな俺の可愛い子供。
俺達はずっと一緒にこの本丸で幸せに暮らすんだよ」
泣きそうだった二人は先程の涙は嘘のような笑顔で長義にぎゅっと抱きついて甘える様に擦り寄ってきた。
「ふふ、可愛い子達。
俺がずっと大切に愛して守ってあげる」
南泉に懸想をしている時のようにうっとりと頬を染めた長義は、小鳥達を抱き締めて、添い寝をしながら寝かしつけると、溢れそうな思いを抱えたまま心の安寧を求めてある部屋に向かった。


「母様……」
「おや、長義か?どうした、母が恋しくなったか?」
この本丸の主であり、長義が母と呼ぶ人物。
長義は彼女になんの許しもなく歩み寄ると、ぎゅっと抱き着いてひたすらに甘えてくるのを九尾の審神者は黙って受け入れて抱き締める。
「長義、愛しいわが子よ…何かあったか?」
「鶯丸が卵を……」
「そうか、お前が見守ってやったのだろう?ならその卵はお前にやろう、好きにするといい」
「ん、ありがと」
腕の中で長義は顔を伏せたまま上げようとしない。
「子供が欲しい、俺の子が欲しい。
写とか偽物じゃない……
どうして、俺は花なの?
どうして、南泉の子を孕めないの?
中に出されたものが身体に馴染むことも無く流れ出していくのが…」
「ああ、そうだな。
でもお前なら出来るよ」
「本当?
可愛くて仕方ない小鳥達がたまに酷く憎らしくなってしまう……
愛してるのに、大事な俺の可愛い小鳥達なのに…」
「ああ……辛いなぁ。
母と呼んでくれても、血の繋がりがあってもなくても、子等はいつも腕の中からこぼれおちてしまうからな」
「……母様も?」
「ああ、私もそうだ。
現に可愛い長義の望みすら叶えてやれない。
だがな、寄り添ってやることは出来る。
お前が母親に疲れた時、小鳥達の世話に苦しくなった時、それを南泉に見せたくない時、母の腕にいつでも飛び込んでおいで。
お前は私の愛しい子、崩れ掛けの身体ではあるがお前を抱きしめることはまだできるぞ?」
ふふっと細められた狐目に、長義は心から安堵した笑みを浮かべた。
「卵、本当に貰っていいの?」
「ああ、いい。
いつもの様に良い子を産んでおくれ」
「……ん、わかった」
籠に敷かれたクッションに鶯が産んだ卵が乗っている。
それを恍惚の表情で優しく撫で、頷いた。
「南泉が帰ってくる前に準備しないと…
ふふ、今度は新しい子が欲しいな」
長義はカゴを掴むと嬉しそうに立ち上がって駆け出していった。
愛しい愛しい子猫が帰ってくる前に、種付けの準備をしなければ。


「早く君を産み落としたいなぁ…?
君は、一体どんな子なんだろうね」

中層、出会い。

時は来た。
故に館の女主人は起ち上がり、号を放つ。

「国永、賭けは俺の勝ちだ」

それはいつも通り突然で、朝食の席でのことだった。
相変わらずの性急さに国永は呆れ顔を、鶴丸は首を傾げる。

「国兄、賭けって……ポーカー?チェス?」
「いや、ヒスイとやった覚えはないな。何せこいつ、口八丁手八丁でやらせも勝負のうち、と言いやがる」
「当然だろう、賭けは勝つためにするものだ。それに、お前に言われたくはないぞ」

つまりお互いの手の内を知りすぎていて勝負にならないのだ。
けれどここでいう賭けというのは一年前に遡る。
生き残るために自警団というリスクを負うべきか、否か。
国永ならばどこであっても、誰と会っても上手くやるだろう、ここ一年の働きがそれを示している。
それならば、搦め手で彼を取り込んで有益に使いたい。
ヒスイの目的は、生きる事とは別にある。
目的を達成するために生きなければならない。
その為ならば、情とて利用しよう。

「ちび共の拠点を別に用意した住居に移す。製薬には場所と清潔さが必要だからな」
「……ああ、賭けって、そういう」
「なになに? 国兄とヒスイ、俺に内緒でポーカー?」

ずるいずるいと幼く拗ねてみせる。
賭けはまだ早い、大人になってからと言いつけてあるからだ。
そんな鶴丸の頭を交互に撫で、落ち着かせて朝食を勧めた。

「確かに周辺住民に君の有用性は理解されただろう。けれど……」
「なに、雛鳥の身は俺が安全を保証しよう。お鶴、お前に仕事を与えよう」
「え、俺……Ωだけど、良いの? お仕事、出来る?」
「ああ、分かって居るさ。その上で、俺の手伝いがお前の仕事だ。給金も勿論支払おう。手伝ってくれるな?」
「……うん! 俺、働きたい!」

目の前で予定調和のように決まっていくそれを、国永は顔を顰めながらも快諾した。
笑顔で喜ぶ鶴丸に水を差すような真似が出来なかったから。
それと同時に、その枷がどれだけの安堵をもたらすか。
ヒスイが保証したのなら、鶴丸の安全は予期せぬ事態以外では確固たるものだ。
彼女のもたらす知識、知見、力量、そういった物を利用すれば鶴丸を守るに足る。
だから国永は家族、という淡いのような繋がりよりも本気でヒスイが鶴丸に情を抱くのを待った。
何某かの利用価値があるのだと、思わせたかった。
例えそれが、国永を動かす為の駒であったとしても。

「なら、決まりだな。チビ共に示しを付ける為、俺達も近いうちには出て行こう」
「そうだな、抑制剤が手に入らない以上……発情期に接触出来る人間は限られている方が良い」

抑制剤は作れない。
手に入れる為には下層で高価取引されているそれしかない。
国永は鶴丸を噛み、二人は番になった。
発情期を何度か迎えてはいたが、その度に二人を隔離部屋で拘束している。
Ωのフェロモンはこの時点で伴侶である国永にのみ指向性が確認されていたが、万一の恐れもあったから。
二人で住むのに向いた住居は、既にアテがあった。
そうして、朝食を終えた後に鶴丸の居なくなった部屋でヒスイは国永に交渉をする。

「日当でな、割の良い仕事を紹介してくれるという雇用主が居る。受けるかどうかは任せる。それと……お前には別に仕事を頼みたい」
「へぇ……、何をしたいんだ?」
「情報収集。この一年で下層の成り立ちは理解したが、コロニーを理解したとは言いがたい。まずは中層に潜り込んで欲しい」
「……中層、上に?」
「いずれは上層にも潜り込みたい所だが、流石に手段がな」
「それにしたって、中層も随分と無謀だと思うんだが……」
「人一人、それもαの身体能力を駆使すれば不可能ではない。同時に、上層進出も可能だと思われる」
「なあ、それ……上手く潜り込めれば、」
「そう、抑制剤の入手も見込める。バックアップは任せろ」

そういう事となった。



ヒスイの予想通り、中層へ潜り込むのは国永の身体能力を駆使すれば簡単とは言えないが難は無かった。
張り巡らされた下水道のうち、中層に近い位置にある地下道に密接している物があった。
溝があろうと壁があろうと、繋がっているのなら通れないわけはない。
そんな無茶無謀を押し通し、国永は現在中層の大通りに居た。

「……まさか、本当にやってのけるとは……」
『良いか、お前がすべきはひとまず街を見て、聞く事だ。録画装置を持たせるが、お前自身の感想も重要だ』
「とは、簡単に言ってくれたが……」

服装を確保するため、ひとまず路地裏に居る住人を気絶させ強奪した。
粗悪な下層のそれとは違い、肌触りも滑らかに感じる。
大通りに居てもおかしくない装丁を為したところで、待ち合わせでもする風を装って人に溶け込んだ。
何度かやってくる事を想定し、場合によっては簡単な仕事を請け負う事も考える。
買い物をしている様子も見たが、下層では手に入らないような果実や精肉が売られている事に驚いた。
野菜も傷んだ物では無く新鮮な物、しかもたたき売りと言っても良い安値での販売も見る。
周囲を見ても瓦礫がなく、そもそも崩壊しかけのまま放置されている建物もない。
大通りは中心を四角い箱が通っていて、左右に人の歩めるスペースが設けられている。
よく見れば、四角い箱も下層に来る給水車より小型の人を運ぶための物のよう。
車、といったそれが道を縦横無尽に走っていて。
何もかもが下層とは違った。
本当に同じ世界の壁を越えただけの場所なのか?と内心では戸惑いを隠せない。
これが生活水準の違い、という奴か。
ヒスイは上があえてやっている事だから、怒るなよと言っていた。
鶴丸ならば憤ったかも知れないが、国永はそれをバカらしいと考えること自体を拒否。
自分が住む世界が下層ならば、これはむしろ利用した方が良いと切り替える。
そうして周囲を見回していて、今度は目を見開くほど驚いた。
前方を歩く黒髪の青年が振り返り琥珀の瞳を和ませて誰かに笑う。

「――お鶴ッ!!」

思わずその黒髪の鶴丸の腰に手を掛け、足を抱き寄せ、姫抱きの要領で彼らから引き離していた。
彼らが驚いて反応するより早く、αの身体能力を駆使してテナントの上へとパイプを伝って登り切る。
と、その瞬間、横顔を蹴り殴る一撃が頬掠めるのを感じる。
お鶴は俺を蹴らない。
と、なればこの掠って来てしまった人物は……

「たず、平気!?」
「何すんだよ、この人さらいっ!」

放り投げた体勢から着地をし、瞬時に起ち上がって指を向けてくる。
どこからどう見ても鶴丸なのに、俺を、知らない?

「――あ、ちょっと、待ってくれ! すまない、君は……お鶴、じゃ……ないのか?」
「俺は黒鶴、だけど……」
「ちょ、どういう事だよ。たずと似てる、なんてもんじゃないぜ?」

後からやって来た二人組がが困惑した表情で国永と少年を見た。
身体の大きさと髪、瞳の色を除けば瓜二つ。
国永にしてみれば、普段から見慣れている最愛の弟だ。
どうしてこんなにも似ているのかと混乱する国永をよそに、二人組が黒鶴と名乗った青年を保護する。
そこでようやく気付いたのだが、彼らは色味の違う似た服装をしていた。
記憶をかすめるそれを、どこかで見た覚えがあるのだが。

「全く、白昼堂々神父を誘拐だなんて……褒められた事では無いね」
「教会に真っ向から喧嘩売る奴、初めて見たにゃ……」
「……しんぷ」
「神父服着てんだから、そりゃあ神父だろ……」

先程から語尾が気になる白金の青年を見、記憶のありかを思い出した。
確かに国永は日常的にその服装を見ていたのだ、幼い子供達が集められたそこで。
彼はその服装を着て、子供達を慈しんでいた。
教会というものが馴染みない下層でも、確かに神父、シスターは居たのだ。

「せんせい……」

国永の呟きは小さく、三人には届かなかったよう。
様子の変わった彼を訝しみ、距離を置きながらも顔色を窺うように様子を見た。

「オーバードロップしてる風でもないし、正気のようだね……」
「さっき、おつる、って言ってたから誰かと間違えたのかも」
「それにしても、いきなり拉致るかぁ?」
「とりあえず、敵意はないって。話ししてみりゃ良いじゃん」

弟似の彼がはきはきと意見を述べ、遠慮無しに方向性を決めていく。
顔はそのものなのに随分と違うのだな、と国永は呆然としていた。
それよりも、有り難くもはた迷惑な事に話し合い、というのが始まりそうな雰囲気で。
まさか下層に居る筈の弟と見間違えた、とは言えない事に頭を痛めた。

「事と次第によっては拘束させて貰うよ。それで、たずを掠った理由は?」
「……すまない、弟かと、思ったんだ」
「いくら似てても、あんな掠い方するかぁ?」
「それは……そうだな……」

土地勘もなければ、そもそも数で攻められれば国永には為す術もない。
どうやって逃げ切ろうか、との算段を頭の隅で考えながら言葉を探す。
この場合、あえて黙るよりは言える範囲で本当の事を言うしかないか、と腹を決め。

「弟とは、幼い頃に別れたんだ」
「幼い? それって、……養子に出したって事?」
「そう、俺がαだって分かったから」
「ああ、養子に出たのは君。そう……だとしても、この子は人違いだよ。生まれた時から一緒に育ってるんだ」
「そう、か。いや、そうだろうな。弟は、きみより白い銀髪だった」

人違いなのも分かって居る。
けれど、これだけ似通った人を見ると思い付く事というのはあった。
孤児院に預けられた自分たち。
父は、母は、自分たちを捨てて別の家庭を持ったのだろうか。
黒鶴が二人に何事かを説明し、それで納得してくれたようで三人は離れていった。
ただの様子見の筈が問題を起こしてしまった事を、後でヒスイに絞られるだろうと思うと国永の気分は暗くなるのだった。
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