名前、考えたの?
まだ。っていうかお前も少しは考えろよ。
えー…めんどくさい…犬っぽいしポチでいいんじゃない?
……
冗談だって。だからそのゴミを見るみたいな目はやめろ。
あんたが言うと冗談に聞こえない。もういい、俺が決める。
ほんとに冗談なのになー。
あんたと、俺の名前を合わせて…レイリ。
随分ご大層な名前だな、ポチのくせに。
……ガキに妬くなよ。
聞いたことのある声に耳を澄ましていた。
すると唐突に自分の名前を呼ばれて驚いた。
自分の名前を呼ぶのは誰だろうと、ゆっくり目を開く。
すると、そこには心配そうに顔を覗き込むシュノと目があった。
「……しゅの…?」
「レイリ?良かった…目が覚めたんだな…」
優しく頬を撫でられて、その心地よさに目を閉じて甘えるように擦り寄った。
ひんやりと心地のいい手が、レイリのをふにふにと親指で弄って、ちいさく笑う。
それを見て、レイリもふにゃっと緩んだ笑みを浮かべてシュノの首に腕を回した。
レイリの背中にそっと手を添えて、半身だけ抱き起こすと、ぎゅっとレイリが抱きついてきた。
「レイリ、身体はどうだ?
どこか痛くないか?気分はどうだ?」
ぎゅっと腕の中に閉じ込めたレイリの背中を撫でながら、ちゅっと額にキスを落としてから心配そうにシュノがレイリの顔を覗き込む。
「ん…と…」
身体を動かそうとして、唐突に体に電流が走ったように痛みが全身に襲ってきた。
頭がくらくらとして、あちこちに鈍い痛みが走る。
「あ…痛い…体中が痛い…シュノ…」
唐突のことに驚いたレイリは涙をこぼしながらシュノにしがみついた。
「大丈夫か、とりあえず横になれ。」
そっとレイリの身体をベットに横たえ、頭を撫でる。
「お前、何があったか覚えているか?」
「…えっと…薔薇園で…僕は…」
薔薇園で、シュノと二人で話をしていた。
塔の吸血鬼と花嫁の話を少し聞いて、温室の管理を任されて…
「だれかに、呼ばれた気がして…
優しい声で…名前を…僕はあの声を知って…」
何かを考えようとすると、霞がかかったように何も思い出せなくなって…
とても大事なことだった気がするのに、曖昧なそれは記憶の彼方に追いやられてしまう。
「レイア…と、お前は言っていた。
そして、教えたはずのない塔への道を迷わずに進んでいった。」
「レイア…?」
「お前は、レイアを見たんじゃないのか?」
レイリは目を丸くして驚いた。
「そんな…事、だって僕は、レイアを覚えていないんだ…
どんな容姿か、どんな声か、どんな人なのか…全く知らない。
レイア本人にあっても、僕にはレイアかどうかわからないんだ。」
それに至ってはシュノも同意見だった。
教会で育ったレイリにレイアと接触する機会は幼少の、まだ物心がつかないほんの少しの間だけだったはずだ。
そして、シュノには見えていなかったレイアの姿。
「レイリ…今は何も考えなくていいから、身体をゆっくり休めるんだ。
お前が倒れてから、もう3日もたってる。レシュオム達も心配していたぞ?」
「え…?倒れ…?」
レイリは全く記憶になかったのか、きょとんとしている。
「ああ、実は塔には結界が張ってあるんだ。
そして、その結界は13年間だれも破ることができなかった…俺でも。」
「それを、僕が?」
シュノはだまってうなづいた。
「なん…で…?」
「…それは…」
シュノが口ごもり、レイリは聞いてしまっていいのか不安な気持ちになっていたが、どうしても気になってシュノの着物の裾をそっと握った。
それに気付いたシュノはレイリの手に自分の手を重ねて、ぎゅっと握った。
「そうだな…お前には、話しておかないといけないな。」
「シュノ…」
「塔にいる吸血鬼とその花嫁の事。」
長くなるから、まずはレシュオム達にレイリが目覚めたことを知らせてくるといって、シュノは部屋からでていった。
ぽつんと一人ぼっちにされたレイリは、窓から見える塔を眺めていた。
なぜ、誰にも解けなかった結界を自分の様な半端者が溶けたのか…疑問を感じざるを得なかった。
傍から見てもシュノが力のある吸血鬼だというのはひと目で理解できる。
そんなシュノが解けなかったという強固な結界。
それを自分が壊し、意識を3日も失っていた。
何が何だか、レイリには全く理解できず、ただぼんやりとベットに横になるしかできなかった。
シュノが戻ってきたのは数十分後、食事と薬の乗ったプレートを持っていて、そういえばお腹がすいていたことを急に思い出した。
「みんなお前を心配していたぞ。
まずは飯食って薬飲め。話は食べながらしてやるから。」
そう言ってレイリの身体を起こすと、背中に大きめのクッションを当てて楽な姿勢をとらせてから、プレートを膝の上に置いた。
ほかほかのオムライスが美味しそうな香りを漂わせていた。
「うん…いただきます。」
スプーンを持って、少しづつオムライスを口に運ぶ姿を見て、シュノもベットに腰掛けてレイリの髪に触れた。
「レイリ…お前は天使と悪魔の混血だって言ってたよな?」
「…うん、そう、だけど…」
「それ、誰に聞いたんだ?」
「…先生、僕の育ての親。先生とレイアは古くからの腐れ縁で、その伝手で…」
シュノはぼんやりと窓の外を眺めながら、静かに言った。
「塔に居る吸血鬼の花嫁は…レイアだ。」
言葉が、でなかった。
スプーンがからんと音を立ててプレートの上に落ち、それをシュノがだまって拾った。
「シュリは長年誰とも契約を交わさなかった。
なぜかは俺も知らない。俺がこの屋敷に来た時にはすでにレイアと契約していたからな。」
「シュノは元からここに住んでたんじゃないの?」
「ああ、ここにいる吸血鬼はみんな親を人間に殺されて孤児になった奴ばっかだ。
突然一人ぼっちにされたのをシュリとレイアに拾われた。」
吸血鬼がどのように生まれてくるのか知らなかったレイリは、吸血鬼は人を噛むことによって増えるのだと思っていた。
吸血鬼、と区別されているだけで、彼らも人間と変わらないのだと知り、少しシュノとの距離が近くなった気がした。
「16年前の夜…この街に住んでいる貴族の家に一人の赤ん坊が生まれた。
だが、赤ん坊は既に息絶えていた、死産だった。
レイアは契約を超えてシュリを束縛したいと考えていて、その子供を自分の子供として育ててシュリを自分のそばから離れられないようにしようと思った。
そしてレイアは赤子の死体をその貴族の家から引き取った。」
「…その…子供って…僕?」
「そうだ、吸血鬼ってのは人間の様に出産したりしない。
人の形をした器に自らの魂の欠片と血を与えて造るんだ。
そして、シュリとレイア…吸血鬼と天使の血を引いているのがお前だ。」
突拍子のない話にレイリはただ首をかしげるしかできなかった。
「どうゆう…こと?」
「魂というのは肉体に宿るもの。
魂が変われば肉体の質も変わる、お前の器は人間が作ったものだが、その魂は消滅して人間としての生を終えた。
そして新たに吹き込まれた魂によって肉体が新たに構築された、ってわけだ。」
「…なんだか…突拍子もない話だね。」
「悪魔が人の子をさらう…っていうのはよく聞く話だろ?
それは悪魔が自分の子供を作るために器を欲しているってことなんだ。」
「…そんな理由があったんだ。」
「ああ、自分の子供欲しさに生きている子供をさらう奴も希にいるけど、殆どは死んだ子供の死体を使う。
この辺は子供の間引きも多かったからな。」
なんだか食欲が失せる話に、レイリのスプーンが一向にすすまない。
「…とにかく、そうやってお前は生まれた。
お前の体にはたしかにレイアとシュリの血が流れてる。
結界はそのお前の中に流れるレイアの血に反応したんだ。」
「僕の、血?」
「ああ、あの結界を作ったのはレイアだ。
レイアは自分の血で結界を作り、自分ごと塔を封印してしまった。」
「ちょ、ちょっとまって!どうしてそうなったの?」
シュノは急に黙り込んだ。
「…13年前、お前はレイアと暮らしていただろう?」
びくっと、あからさまにレイリの身体が反応した。
「お前が生まれてから、レイアは何故かお前を連れて屋敷をでていった。
…俺は幼いお前を連れてレイアが出て行ったことが気になって仕方なかった。
なんで、この屋敷で育てないのか、俺たちと同じように。」
レイリは、もう何も言えなかった。
覚えている、古い記憶。
燃える家、飛び散る血。人々の怒声。
手を引かれて、逃げるように家から飛び出して…
「あ…ああ…ぼくは…」
「レイリ?」
「急に、家に人が…レイアが悪魔に騙されているって…僕達を殺しに…」
急に、つぎつぎと何かが蘇ってくる。
「吸血鬼を殺せって、誰かが言った。
吸血鬼こそが全ての悪、吸血鬼を殺せば僕もレイアも死ぬって…」
「…そう…だったのか…」
「レイアがどうせたどり着けないっていって、僕を教会に預けて行った。
だけど…急にレイアが苦しそうにして…」
『お前が…そうだな、一人前になったら…
また会えるから。それまでいい子にしてろよ?』
そう言い残して、幼いレイリを教会に預けてどこかに行ってしまった。
まだ幼かったレイリはその事を記憶に封印して、教会で神父見習いとして育てられた。
「…シュリさんに、何かあったんだね?」
シュノは珍しく俯いたまま黙ってしまった。
どう、伝えていいか悩んでいるようだった。
「シュリは…俺を庇って怪我を負った。
大勢の人間が屋敷に攻めてきて…俺は一人でその人間を追い返そうとしたんだ。
だが、花嫁が居ない俺は力が足りなくて、結局屋敷まで攻め込まれてしまったんだ。
結局俺のせいでシュリは神官の封印で力を封じられてしまって重傷を…
その反動がおそらくレイアにも行ったんだろう。
あいつはここに戻ってくるなりシュリを連れて塔に登って行った。
入口を血の結界で封印して、自らもシュリごとあの塔の最上階で封印した。」
「なんで、どうしてそんな必要が?」
「シュリの魂が傷つけられたんだ。それにはお前の中にある魂の欠片が必要になる。」
レイリは、目を見開いてシュノを見た。
「それって…死ぬって、こと?」
「いいや、そうじゃない。いいか、魂には力があるんだ。
魂の質量に応じて溜め込まれる命の力。それをほんの少しシュリに分け与えて、シュリの命の力を正常に作動させる、ブースターみたいなものだ。
そして、俺はお前をずっと探していた。」
シュノが、レイリの身体をぎゅっと抱きしめた。
「初めて会った時、花嫁になれって言ってたよね?
君は僕がレイアの子だって知っていたの?」
首をかしげ、シュノを見上げた。
「いや、そうじゃない。
俺は13年前に負傷した時の傷を治すために力が欲しかった。
だから手近な人間から血を貰おうと思ったんだが…お前があまりに美味しそうな匂いだったから、最初は傷を治すために暫くそばに置いておこうと思ったんだ。
お前には言わなかったけど、契約は花嫁には解除できないが俺の方から解除することはできる。」
「シュノ…怪我してたの?」
「ああ、だけどもう大丈夫だ。お前のおかげで。」
心配そうに見上げたレイリの頭を撫でた。
「血を舐めて、混血なのは直ぐにわかった。結界で傷ついた傷が癒えていたのを見て、天使と悪魔の混血だって知ったとき、もしかしたらって思った。」
「…じゃあ契約したのって…」
「レイアの子だって分かって、これでようやく二人を開放できると思った。
そしてその封印を解除するために大量に血が必要なことも知っていた。
だから、契約してお前の血が全身からなくなるような事になっても死なないように保険をかけた。」
レイリは、瞳に涙を溜めてシュノの胸に顔を埋めた。
「守るって…言ったのに…」
「…最初は、封印を解除してもらえたらそれだけで良かった。
だけど、たった1週間そばにいただけでお前の存在が俺の心を占めていった。」
抱きしめる腕に力がこもる。
「塔の前で封印を解除した時に、血まみれのお前を見てようやく気がついた。
お前が好きだ。」
「…しゅの…」
そっと頬に手を添えて、顔を近づける。
「俺がお前を守ってやるから、お前は俺のそばに居て…笑ってればいい。」
「僕、頑張って封印を解くからね。」
にこっと笑って、背中にゆっくり手を回す。
「無理するな、俺はお前に苦しんで欲しくない。
こんな…お前がこんなになるなんて思わなかったんだ。」
お互いに抱きしめる力が強くなる。
「あいしてる。」
そのまま、ベットにレイリの身体を横たえて、そっと唇を重ねた。
「寂しかったんだ、僕。
愛してくれる人なんて、いないと思っていた。
だから、シュノに会えてよかった…シュノのためならなんでもしたい。
どんな辛いことも、苦しいことも我慢できるから。」
にこっと笑ったレイリに、シュノの凍てついた心がとかされていった。