その日、怜悧は怪我をした足が原因で熱が出るかも知れないと、処置のために近くの病院へ入院する事となった。
馴染みの医者が居るその病院、部屋は救急のため二人部屋だと案内される。
そして、
「え?国お兄ちゃん?」
「……ん?」
たまたま検査の為に二、三日入院する事となった黒鶴と出会いを果たした。
長い睫はけぶるように飴色の瞳を縁取り、跳ねる艶やかな黒髪はうなじを隠すように伸ばされている。
人嫌い故か独特の雰囲気を醸し出す黒鶴は、中性的な面立ちも相まって知り合いの兄と慕う人物によく似ていたのだ。
首を傾げる動作をし、けれど固まる怜悧を胡乱げに見詰めただけですぐに目を背けて音楽機器の操作を始める。
視線を外されてようやく、怜悧は自分の不躾さに気付いて顔を赤くした。
怪我をした足をかばいながら松葉杖で窓側のベッドに腰掛け、一息を着く。
チラリと後ろを見れば開けられたカーテンの隙間から、退廃的な様子で携帯を操作する彼が見えた。
五条黒鶴。
確かそんな名前だったと思う。
名字を見て知り合いを思い出した怜悧が改めて彼を観察すれば、面立ちが似ていなくも無い。
最初に思い付いた人物は壊滅的に機械操作が苦手だった事を考えると、後者の親戚だろうか。
直接的な知り合いでもないのだから、と気後れして結局話しかける勇気が出ず。
怜悧は布団にぽすりと埋まるように眠り込んでしまった。
――ふと、賑やかな雰囲気に目を覚ます。
いつの間にか寝入っていたのかと怜悧が起き上がると、
「だから、黒鶴が入院中なんて知らなかったんだって!」
「……鶴丸、うるさい。検査入院でいちいち説明するかよ」
「怒られてしまったな。しかし伽藍堂の店主殿が居るとなると、店は暫く?」
「まあ……どうせそこの鳥頭と同じ道楽だからな。クソ不味いコーヒーを出して良いなら店番は頼んでるけど」
――がらんどう?
確か義父である作家の宗近がよく執筆の合間に抜け出す店の名前だ、と思いながら周囲を見回せば、案の定義父の姿と見慣れた先輩の姿があった。
どちらも仕事中のはずで、何故ここに居るのかと首を傾げる。
「あ、怜悧起きたのか!怪我したって?大丈夫か?」
「む?おや、起こしてしまったか。よく眠っていたのに、すまんなぁ」
申し訳なさそうな顔をする絶世の美丈夫と、その隣に心配ですと顔一杯に書いてある落ち着きの無い年齢不詳な青年を見、怜悧はくすくすと笑みを零した。
二人共、早速見舞いに来てくれたんだと思うと申し訳ないと思うより先に嬉しくなる。
「僕なら大丈夫。ちょっと足切っちゃって、縫うために来たようなものだから」
「足、切る!?ぬ、ぬぬぬうって、大怪我じゃ無いか!何でそんな危ない事――」
「鶴丸、うるさい。ここ、病室。静かに出来ないなら帰れ」
ぴしゃり、と隣のベッドから飛んで来た絶対零度の冷たい声に、鶴丸が慌てて両手で口をむぐうと押さえた。
てっきり怒鳴られると思っていた怜悧は、常に無いその様子に驚いて目を白黒する。
こそ、と耳元に近寄ってきた義父の言葉によれば、怜悧が起きる前にも一悶着あったらしい。
どうやら隣の彼は予想通り五条鶴丸の従兄弟であり、面識があったらしい。
店以外で久々の再会がまさかの病院となり、病弱な彼を心配して声を上げたところ怒られたのだとか。
「くにのような見目をしているが、中身は苛烈でなぁ。実直さは翠のようだ」
「母さん?……そういえば、母さんは……」
「うむ、鶴丸が居るのなら邪魔になるだろうと。夜には着替えを持って顔を出すと言っておったよ」
「う……じゃあお説教もその時かなぁ……」
へにゃり、と辟易して項垂れる怜悧の頭を撫で、ほけほけと嬉しそうに義父は微笑む。
最近は学校が忙しくて顔を合わせてもろくに会話が出来なかったので、怜悧としても触れ合えるのは嬉しい。
しかし、その理由が自分の不始末なのでやはり申し訳なさが浮かんできた。
口を開こうとした怜悧を、けれど義父は静かに頷いて微笑む事で制してくる。
「こうしてお前を心配出来るのは、父として役得だな。存分に甘えると良い」
父として、と言われてしまえば怜悧には後を続ける言葉は浮かばず。
嬉しさと恥ずかしさで頬を紅潮させて頷くしか無かった。
と、隣で従兄弟と話していた鶴丸が椅子を持って中間に座り込んでくる。
「国兄からプリン貰ってきたんだ!大部屋だって言ったら結構くれたから、黒鶴も食えよ」
「プリン」
嬉しそうに弾む声が聞こえ、黒髪の彼が飴色の瞳を輝かせているのを見た。
こうして素直に感情の発露を覗かせているとやはり鶴丸に似ている所があり、怜悧はそっと安堵の息を吐く。
第一印象では冷たい、どちらかと言うと己の想い人のような他人と一線を置きたがる方なのかと思ったのだ。
作り物めいた表情の無さが無関心さの表れだとしたら、怜悧としては少し居心地が悪い。
なのでこうやって鶴丸が間に入ってくれる事も、知り合いの知り合いという事も、一方的な安堵感が生まれた。
「……色々ある。これ、何だい?」
「お、それはマンゴーだな。果肉入りだから美味いってさー、黒兄の一口メモに書いてある」
「マンゴーは嫌いだ。もっと普通のが良い」
「お前、また食わず嫌いだろ!国兄のプリンは全部美味いんだぞ!?」
「……鶴丸うるさい。あ、これコーヒーか?良い匂い……これにする」
「無視するな!」
賑やかなやりとりに、意外と子供っぽい所もあるのだと怜悧はくすくすと笑みが溢れてしまう。
そうして黒鶴が避けたマンゴープリンを受け取り、宗近は抹茶、鶴丸はイチゴを手に取った。
頂きますのかけ声と共に食べ始め、直ぐに黒鶴が目を瞬かせてスプーンを止める。
「――……美味い。これ、既製品じゃないんだよな?個人でここまで作れるの、長義くらいだと思ってた」
独り言のように呟く内容に、ちょうぎ?と首を傾げた。
知り合いの名前なのかも知れないが、どこかで聞いたような気が、と考え始める。
と、不意に通路の向こうから賑やかな人の気配が伝わってきた。
コンコン、と遠慮がちに扉をノックする音と複数の人達がやって来たのは同時で。
「あれ、鶴が馴染んでるなんて珍しい」
「本当にゃ?ってにゃんだ、従兄弟じゃん」
銀髪の涼しげな目元の青年と、金髪の猫の様な印象の青年、その後ろに鶴丸に負けず劣らずの白髪をした美丈夫が立っていた。
見掛けない人達と、たず、という言葉に隣の彼の知り合いかな、と首を捻る。
案の定そうだったようで、けれど予想外の反応は怜悧の真隣から上がった。
「白月、か?久しいな、息災だったか」
「…………」
「うん?どうした、お前も見舞いに来たのだろう?まずは座ると良い」
完全に固まって無表情のまま、義父の宗近を凝視する青年。
瓜二つと言って良いほど似ているのに、真逆の色彩を彼は持っていた。
片や青白く憂い顔で、片や頬を紅潮とさせた微笑みを浮かべている。
白い髪もあいまった彼の顔の白さは際立ち、見ていて気の毒な程であった。
不意に座っていた筈の黒髪の青年が起ち上がり、白い彼の前まで行く。
「白月?どうした、君……何かあったのか?」
「……ぁ、ああ……いや……すまん、少しぼうっとしていた。……まさか貴方と、ここで相見えるとは……」
「うむ、偶然とは時に恐ろしいなぁ。聞けばここに居る五条鶴丸の従兄弟殿だとか。こっちに居るのは怜悧と言ってな、俺の最愛の息子だ」
甘く蕩けた微笑みで頭を撫でられ、怜悧は頬が紅潮するのを感じた。
母と睦み合っている時によく見る表情だが、友人だった頃と違って堂々と名乗れるのが嬉しいのか愛おしくて仕方ないというのが伝わってくる。
いわゆるデレデレ顔を、他人が見ても美しいと思わせる迫力のあるのが義父の美点であり欠点だ。
怜悧が頭に宗近の手を載せたまま会釈をすれば、わずかに顔色を取り戻した彼が苦笑する。
「そうであったか、俺は三條白月。ここな五条黒鶴の友人でな。この者等も皆、幼馴染みなのだ」
さんじょう、名字も同じなんだ、と怜悧は頷きながら白い彼を見る。
よく見れば透き通る白髪は彼によく馴染んでいて、地毛なのだろうという事がうかがえた。
先程先に入室していた彼らも頭を下げて挨拶とし、怜悧はもう一度会釈をする。
「僕、父さんの親戚の人に会うの初めて」
「うん?そういえば……そうだったか?はっはっは、年のせいかなぁ」
「俺達でも聞いてないし、そんなに付き合いはない方なんじゃないか?」
こそり、と鶴丸が声を潜めて口にした。
が、潜めている割に普通の声量になっていたため、相手方にも伝わったらしい。
白月、と名乗った青年に向かって、幼馴染み達が声を掛けている。
「白月、君……まさかあの、三条家の宗近さんと知り合いな訳じゃないよね?」
「……いや、彼はあの、三条家の宗近殿だ。知り合い、と呼べるかは……どうなのだろう」
「は?お前にしては珍しく煮え切らにゃい態度だにゃ?」
「うむ、まあ。現況を連絡しあう程度の間柄、というか……」
「――つまり、何?白月、俺に隠し事か?」
漏れ聞こえる会話から、一瞬不穏な空気を読み取った怜悧は思わず、
「あの!」
「……何だよ、チビ」
「ち、チビ??いえ、ちびですけど……あの、父さんが、さっき久しぶりって言ってたので、実際に会ったのは今日が久々って事なんだと。その……きっと、隠し事ではないんじゃないかな、って……」
見ず知らずの青年にいきなりこんな、白い彼を庇うような事を言われる筋合いは無い。
そう言われるだろうと思って身を固くしていた怜悧は、
「……ぁ、そう、か……そうだよな。悪い、えーと、怜悧だよな。止めてくれて助かった。白月、ごめん。君だって驚いてるのに、俺も驚いて、つい……」
「いや、良いのだ。元はと言えば宗近殿が悪い」
「おや、俺か?ふむ……ならば、遠縁の……はとこ、とでも言っておけ」
「宗近殿を、はとこ、と?冗談が過ぎるぞ」
「何、あながち間違いでも無かろう。どこぞで繋がっては居るのだからな?はっはっはっ!」
鷹揚に笑いを浮かべて押し切る宗近と、終始苦い顔を浮かべてため息を吐く白月。
義父の、最愛以外に関する適当加減をよく知る鶴丸はまたか、と放置を決め込み。
怜悧は話しについていけず、周りの彼らに目を向けた。
銀髪の青年は目が合った事で笑顔になり、手を振ってくれる。
その姿を、大学の特別講義で見て覚えていた怜悧は嬉しくて足が痛むのも構わず突進していった。
「あの!大学病院付属大学の特別講義に来て下さった、長船長義さんですよね?」
「うん、そうだよ。こんな所に居るって事は、怪我でもしたのかな?」
「はい、そうなんです……。って、あの!先生の話、食が生活を整える、ひいては生きる力になるって、凄く感動しました!」
「ああ、栄養学の事を話したあれか……人の受け売りだから」
「受け売り?」
「あの子。たず、って僕らが呼んでる子。昔は病弱でね、今は克服したからこそ、彼が言っていたんだ」
鶴丸と話しをしながら白月の様子をチラチラと見ている黒髪の彼を見る。
病に冒された者特有の気配というか、雰囲気というか。
そういったものを一切見せずに居る今は、少し線が細すぎる華奢な青年にしか見えない。
感動した言葉が彼の言葉だったとしても、やはり怜悧は長義に対して胸が熱くなるものがあった。
「それでも、先生の栄養学の教え方はとても面白くて引き込まれました」
「……あの大学、って事は……君も医者になろうと頑張ってるんだね?」
「あ、はい……僕なんかが、おこがましいって、思うんですけど……」
「成長したね。嬉しいよ」
真正面から微笑まれ、頭に手を置いて撫でられ、不思議に嫌な感じはしなかった。
むしろもっと前にも似たような光景があったような?
と考えたけど、その手がすぐに去って行ってしまった。
憧れの先生に出会えた嬉しさで思わず飛び出してしまったが、一息吐けば今度は恥ずかしくてベッドに戻る。
待っていた鶴丸がさっきのは?と口にするのを大学の特別講義の先生、と答えた。
それで納得したらしい鶴丸は口を挟まず、宗近と白月の様子を見る。
「なるほど、喫茶店の店番とは白月の事であったか。俺も結構通っていたのだが……会わなかったなぁ」
「特に必要もなかろうと思ってな……。しかし、……宗近殿は随分と変わられた」
まるで人間のようだ、と感慨深げに呟かれた内容に首を傾げた。
人間のようだもなにも、宗近は会った時から何も変わっていない。
いや、夫婦となってから母に対して何の遠慮もなく愛を囁くようになっただろうか。
しかし怜悧にとっては憧れの父のような存在だった事に変わりは無い。
白月はしげしげと宗近を見、何度か頷いてからようやく微笑んだ。
「今の貴方ならば、何の問題もなかろう」
「おや、それではまるで俺から逃げていたようではないか?」
「あなや!逃げていたつもりは無いぞ?だが、鶴とあまり会って欲しくなかったのは事実だ。鶴は気にしていないようだがな」
「ふふ、何やら訳ありのようだ。どうだ、今度酒でも汲み交わさぬか?俺の惚気話しを聞いてくれるなら、お前の相談に乗ってやろう」
「はっはっは、それは良い考えだ。では、その様にお願いしよう」
似た口調、似た顔で和やかに会話が繰り広げられ、完全に置いてきぼりになった一同は首を捻った。
とりあえず、父に友達が増えたと言う事で良いのだろうか、と怜悧は嬉しくてほくほくと笑う。
唯一我関せずでプリンを食べていた黒鶴は、長義にこのプリン作ってと早速強請っていた。
レシピを知らないから、と長義が言うと、今度は鶴丸にレシピを寄越せと話しかけている。
「国兄秘蔵のレシピだぞ!?そう簡単に渡せるか!」
「ちっ、ケツの穴の小せぇ男だな。普段格好付けなんだから、こういう時は男らしく即決しろよ」
中性的とは言え、むしろ小綺麗な顔をしている黒鶴が口汚く罵るのを聞いて怜悧は驚いた。
見た目と口調のギャップがありすぎる、と。
不遜な態度は慣れている相手にしかしないのか、怜悧が見詰めていると眉を潜めて視線を外してしまった。
少し見過ぎたかな、と反省する。
目の前では携帯を操作して連絡先の交換を終えた宗近と白月が顔を上げた。
「では、我々はそろそろお暇するとしよう。くにのレシピは後日、白月に渡せば良いか?」
「うむ、頼む。栄養価が高いもので鶴が気に入るのは珍しいのでな」
ほくほくと満足そうに笑う白月に宗近がひっそりとイタズラげに笑う。
あ、何か良くない事を思い付いた顔だ、と怜悧は思った。
怜悧の想い人である朱乃がなかなか一緒に風呂に入ってくれないと嘆いていた時、同じ顔を怜悧は見た。
こっそりと白月の耳元で何事かを呟いた宗近は、ぎょっと目を剥いた彼の反応を見て満足そうに頷く。
どこか嫌そうな、真剣な顔をしてから数秒。
「……宗近の兄様、よろしく頼むぞ」
「はっはっは、あい任された!」
「げっ、宗近が舎弟を増やした……!!」
まさかの兄様呼びに、そういえば宗近は家族というものに対して憧れを持っていたなぁと怜悧はのんびりと事態を把握した。
宗近が近親者にこういったワガママを言うのも、家族の枠に入れるのも珍しい。
嬉しくなった怜悧は後で母さんに報告しなきゃ、と携帯を持ち出した。