「今日新しい英霊を召喚したから、お兄ちゃんと黒葉お兄ちゃんで様子を見て貰っても良いかな?」
マスターである怜悧が幼い表情で不安そうに首を傾げてくるのは、もう何度目かの行事になっていた。
元々心理学者とカウンセラーを担っていたアサシン夫婦と呼ばれる二人には、こういった新人研修のような物を頼まれる位にはDr.ロマンや怜悧からの信用は厚い。
ロマンは話の行程から、怜悧は幼い故の鋭利な直感から。
「ああ分かった、任されよう。子が増えるのは頼もしい事だ」
「君は誰でも自分の子にしてしまうな。問題ないぜ」
新しい面子というとそれだけで心強く、そして相性や性格などでちょっぴり問題が出てくる。
今度のサーヴァントはどんなタイプが来るやら、と国永は苦笑した。
「……おいお鶴、お前国兄と喧嘩したか?」
「は?」
怜悧と一緒にやってきた朝の食堂。
この間霊基再臨を向かえた事で少女の姿になった緋翠に見上げられながらの第一声。
全く覚えが無かった五条鶴丸は首を傾げる。
「いや、良い。どうせお前に聞いても分かるまいと思って居た。とにかく早く仲直りしろよ」
袖で口元を覆い隠しながらも重いため息を吐かれた事が分かる。
こういう動作が平安生まれの風靡という物なのだろうが、生憎と現代人である鶴丸には理解が無い。
だが、幼い親友の姿にそんな表情をされると心に来る物がある。
色々考えても思い当たる節は無いのだが。
「最近怜悧に構ってたから拗ねた? いや、黒兄が居る状況に限ってまさか。悪戯だってしてないし……」
「母さんはもうご飯終わったの?」
「ん? まあ……お前が食うのを待っても良いぞ」
小さいながらも頭をよしよしと撫でようと手を伸ばしてくる緋翠に、嬉しそうに微笑んだ怜悧が膝を折って撫でられにいく。
ほんわかと和む一時だが、それにしても先程の言葉が気になった。
怜悧を構う緋翠を小脇に抱き上げてカウンターへと近付く。
キッチンの中にエミヤは居なく、桜色の髪を後ろで結んでエプロンを付けた青年が一人。
「あれ、朝なのにエミヤが居ないのって珍しいね?」
「おはよう二人共。ああ、キャスニキが今日は寝坊させるって、昨日まで修練場に出ずっぱりだっただろう?」
「あの子は直ぐに無茶をするからな。良い判断だ」
「それで、二人は何を食べるんだい?」
首を傾げて微笑みを浮かべる、いつも通りの国永の様子に鶴丸は集中する。
何か変な術に掛けられた様子も他人に何かされた様子も無い、全くの平常さ。
けれど緋翠が言った一言が気になった。
自分が国兄と喧嘩をしたのでは、と疑うほどの変化がある。
それが何なのか、何故そんな事になっているのか思い当たる節は無い。
「なあ国兄、熱でも出た? 黒兄は?」
「は? 君は朝から何を言い出すんだ。熱は無いし異常も無い、黒葉は部屋で寝てるぞ」
朝はいつもそうだろう、と言われてしまえば確かにキッチンに入っている間はそうだった気がする。
むしろ鶴丸の言葉に不信感を持った国永が心配そうな顔で覗き込んできた。
「調子が悪いなら寝てくるかDr.に相談しろよ?」
「あ、お兄ちゃん! 僕ね、バジルパスタが食べたい!」
「ああ、いや……俺は大丈夫。ラーメン食べたいな」
「はいよ、じゃあちゃちゃっと作るから待っててなー」
背中を向けて調理にとりかかる様はご機嫌ですらある。
カルデアに来て鶴丸が気付いた事の一つに、国兄はかなりの料理好きだというのがあった。
前から上手な事は知っていたし何でも作れるとは思って居たが、エミヤと料理の話で楽しそうにしている所を目撃した。
他にもカルデアの図書室でレシピ本を読んでいる所も、試作料理を作っている所も見た。
仕事らしい仕事がないと、案外そうやって趣味を深めているらしい。
背中を観察しながらそんなとりとめも無い事を考えて居ると、目の前に料理が差し出された。
「ほい、兄ちゃん特製ラーメンとパスタな」
「……怜悧、気を付けて食えよ」
そう声を掛ける緋翠の言葉を聞きながら麺をすすり、
思い切り噴き出した。
噴き出されたソレは国兄の、国永の用意していた銀盆で跳ね飛ぶ事はなかったが渋い目で見られた。
いや、だって普通熱いけど美味いラーメンの味を予想して食べた時に違う味がしたら同じ反応をするだろう。
そう、ラーメンの見た目をしているならラーメンの味がする筈なのだ。
けれど目の前にあるそれは非情に甘く、何というか、非常だ。
「おいお鶴、食べ物を粗末にするな」
「いやだってこれ、ちょ、国兄俺何かした!? 罰ゲーム!?」
「え?? 鶴お兄ちゃんどうかし……あま!? お兄ちゃんこれ甘いよ!?」
驚いて目の前のパスタを凝視する怜悧にやっぱりかと落ち着いて肘をつく緋翠。
鶴丸の前には嫌悪、ともすれば怒りの表情を顕わにする国永が居て困惑した。
「見れば分かるだろう? 俺の料理が食べたくないならまだしも吐き出すのは頂けないな」
「いやいや国兄、そういう問題じゃ無いって! やっぱり熱ある? 調子が悪い? 誰かに何かされたのか? なあ国兄、本当の事言ってくれ」
肩に乗っているリツキにも鶴丸の緊張が伝わったのか、威嚇の唸り声を上げ始める。
それに対して国永がした事と言えばため息を吐いて銀盆を盾に、反対の手で数種のナイフを指に挟んで投擲の構えをし、
「大人しく座るのと座らせられるの、どちらが好みだい?」
薄らと微笑んで両者でにらみ合い。
入り口からスパンッと発せられる音で全員の注意が扉に向いた。
瞬間、鶴丸は魂が抜けるかと思うほど呆然とした。
そこには桜色の髪の毛に紅い瞳の目の前に居るのと同一人物が居たからだ。
更にその隣には黒髪に少し低い身長の少年とも取れる程顔の整った和風美人が居る。
すぱんと小気味良い音を鳴らせた正体は桜色の髪をした人物が手に持つ袋に空気を入れて潰したからのようだ。
黒髪の人物は耳を押さえて顔をしかめている。
「よ、お鶴おはよーさん。そいつは新入りのアサシンで無頼漢、もしくは新アサって呼んでやれ。仲良くな?」
「第一印象は最悪であろう。しかしこの所業、お前がよく許した物だな」
「え、ラーメンプリンとモンブランパスタは俺の渡したレシピノートに書いてたから。サプライズでエミヤが居ない日を狙ってたのも確かだし……というか本当に俺の考える事ばかりだな、そっちに驚いた」
「え、このお兄ちゃん新アサなの?」
「「ああ、そうだぜ」」
同じタイミング、同じ表情で頷く二人にもはやどちらが本物か分からなくなりそうだ。
黒葉は鶴丸の隣に座ると遠慮無くラーメンプリンを食べ始め、国永がキッチンに入り今度こそ本物のラーメンを作り始める。
のを手伝う国永(?)、という構図である。
「流石、本人になりきるというだけあって料理の腕前も味も国永そのものだな」
「へえ、じゃあたまに俺の代わりにキッチンに入って貰うか?」
「けどそれだとお鶴が混乱して可哀想だろう」
「もう混乱しているから止めてやれ。それと新アサ、お前の姿で自己紹介してくれ」
言外にお鶴を刺激するな、と含めて言ってやれば包丁を持っていた国永が振り返って笑った。
次の瞬間にはするりと影が落ちるような自然さで持って黒髪を後ろで束に縛った青年が笑っている。
にこやかな面はしかし、表情を読ませない独特さがあった。
誰でも受け入れるようでいて、誰も踏み込ませない雰囲気というのは国永によく似ている。
「俺は新宿のアサシン、真名は秘密だから無頼漢でも新アサでも好きに呼んでくれて良いぜえ」
「無頼漢、中国でいう粗忽者の事、だったか」
「ああ。特技は変装、というより他人に成りきる事だな。ただそのせいで自分をたまに忘れちまう」
「所謂ミラー現象って奴に近いかもな。まずここに居る奴等の事を知りたいって言うから俺の姿を貸してたんだ。適役だろうと」
「サプライズに関してはちょっとした挨拶って奴だな」
ケラケラと盛大に笑って席に着く新アサはもう国永らしさなどどこにもない、気さくな青年といった感じだ。
やれやれと緋翠は肩を竦め、怜悧は今度は美味しそうにモンブランパスタを食べ始める。
自分の分と鶴丸の分のラーメンを作り直した国永は俯く鶴丸に手を伸ばして頭を撫で。
「坊やにはちと刺激が強すぎたかい?」
「…………金輪際、国兄と黒兄の真似はすんな。あと怜悧の真似もだ」
「それはマスターに聞かないとな? まあ国永と黒葉については善処するさ」
自己紹介、というには些か乱暴な触れ合いだったが、怜悧にとっては良い思い出になったのだった。