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05.月と狐とおほしさま



子供達を迎えて、ひと月が経とうした頃。
体調も大分回復したのか、朱乃は日中眠ることも少なくなり、緋翠から与えられた絵本を三日月に読み聞かせてもらいながら文字の読み書きを勉強していた。
怜悧はすり減った精神と拷問に等しい実験から極度の緊張状態が続き、ようやくそれが解れてきて、国永と宗近がそばに居ても怯えなくなった程度だ。
仲良くなれた、とは言い難い関係にさすがの三日月も苦笑を隠せなかった。
それでも、初めて会った時には三日月と国永の一挙一動に怯え、身体をこわばらせていた怜悧が今は自分から膝の上に座ってくるのは大分進歩したと言える。
緋翠特製の薬湯も、僅かながらちゃんと毎食後飲んでいる為、ゆっくりだが体力も戻りつつある様だった。
怜悧はお昼寝の時間はまだ必要だが、それでも日中は少し体を起こして、縁側から庭をぼんやり眺めていることが多くなった。
まだ雪の積もる庭先を薄着でぼんやりと眺めている為、国永が半纏をもってきて怜悧に着せて座布団とひざ掛けをかけさせて火鉢を近くに置いた。
「これは熱いから触ったらダメだぞ?
でも、これでいいものを焼いてやろう」
そういって取り出したのは網と白い固形の何か。
初めて見るそれに怜悧はきょとんと首をかしげる。
「これは餅っていってな、すごくよく伸びるから食べるのにちょっと苦労するかもしれんが、美味いぞ。
朱乃と三日月もこっち来い!」
最近は簡単な絵本を卒業して少し難しい児童文学を勉強していた朱乃と三日月が同じように防寒をして縁側に集まってくる。
雪景色を眺めながらぱちぱちと燃える火鉢の上で白い餅が四つ、炙られて表面に塗られた醤油が香ばしい香りを漂わせていた。
「熱いから気を付けろよ?」
なるべく小さめにきった餅を皿にのせて二人に差し出した。
不思議な顔をして手を伸ばして皿を受け取る。
二人は顔を合わせて不思議そうな顔をしている。
「こうやって食べるんだ」
国永が目の前で食べて実践してみる。
びろーんともちを伸ばして食べて見せる。
三日月も同じように豪快に餅をのばして食べているのを見て、怜悧は尻尾を振って餅をじっと見た。
鼻先に皿を近づけてくんくんと匂いを嗅いでいる。
朱乃は渡された箸で餅をつついてから、すこしのばして口に含んだ。
「ん、む…んぐ…」
初めて食べる餅に朱乃が悪戦苦闘していると、怜悧が興味津々と言った表情で見上げている。
「はふ、はふ、んっ、んん…美味しい。
けど、食べるの難しいな。怜悧には難しいかもしれない」
朱乃は自分の餅を小さく切って怜悧の口元に運んだ。
嬉しそうに怜悧が尻尾を振って口を開ける。
「熱いから気を付けろよ?あと凄い伸びる。
すぐには噛み切れない」
そういって前置きして怜悧の口に餅を運んだ。
「ん!ん…あむ…んむ…」
怜悧は暫くもごもごしていた。
「どうだ?美味いか?」
三日月が怜悧に微笑みかけると、怜悧は珍しく嬉しそうに微笑んでこくこくと頷いた。
「よしよし、いっぱい食べろよ。
食べれる様になったらいろんなとっぴんぐをしても美味いんだぜ?
海苔を巻いて磯部餅とか、納豆餅、みるく餅、しるこ、きなこ餅…
俺のおすすめはずんだ餅だな!」
「国永は伊達の刀でな、元の主が収めていた地方の特産物が枝豆でな。
それをすりつぶしたものを餅にあえて食べるずんだ餅は、これがまた美味でな」
「えだまめ?ずんだ?」
「怜悧は甘い味が好きみたいだからしることかみるく餅なんていいかもな。
朱乃は甘いのは苦手なんだったか?
だったら俺特製のずんだ餅を作ってやろう。
怜悧が飯を吐き出さなくなったら作ってやるからな」
「ずんだもち?」
「しるこ?みるくもち?あまいの?」
甘いと聞いて怜悧がパタパタと尻尾を振る。
国永と三日月は二人の嬉しそうな様子に顔を見合わせて笑みを浮かべた。
怜悧はもちが気に入ったらしく、朱乃に餌付けされたながら嬉しそうに口をもちゃもちゃさせている。
二人で切餅一個分を食べ終えた頃に、珍しくお腹いっぱいになったのか怜悧は眠そうに目をこすった。
「眠いのか?怜悧」
隣に居た朱乃が怜悧を支える。
「お腹いっぱいになったら眠くなるもんな?
よし、じゃあ寝物語に絵本でも読んでやろうか?」
「ん、てぶくろかいにがいい」
自分と同じ、小さな子狐が町へ手袋を買いに行く絵本が怜悧の一番のお気に入りだった。
朱乃と二人、敷きっぱなしになっている布団に潜り込むと、国永が怜悧の隣に添い寝する形で横になり、絵本を開いて見せる。
「寒い冬が北方から狐の親子の棲んでいる森へもやってきました―――」
心地よいテンポに、あたたかな布団も相まって、数ページ絵本をめくれば怜悧は眠りに落ちて行った。
すうすうと小さな寝息を立てて眠る怜悧に安堵したかのように、朱乃も重そうに瞼を持ち上げながら、怜悧の小さな手を握り、絵本の中盤で眠りに落ちてしまった。
「最近寝つきが良くなってきたな」
三日月が茶を啜りながら国永に声をかける。
「そうだな、少しは安心してもらえているのか?
こうして眠っているときに触っても跳ね起きて泣き叫ぶことは無くなったな」
国永の手が優しく怜悧の頭を撫でる。
気持ちよさそうに狐耳がぴくぴくと揺れた。
「朱乃も怜悧が寝てからじゃないと寝ないけど、電池が切れた人形みたいに突然倒れる事も無くちゃんと休息できているみたいだしな!」
怜悧を撫でた手で朱乃の髪を少しなでてやる。
余り触れられるのに慣れていないのか、朱乃は怜悧程触れ合いを好んだりはしない。
最初は避けられたり振り払われたりしていた手も、今ではしぶしぶと言った様子だが大人しく撫でさせてくれるようになった。
朱乃と怜悧はさほど歳が変わらないと聞いていたが、怜悧の方が見た目も中身もずいぶん幼く見える。
これは緋翠の憶測だが、怜悧は幼い内に精神的、肉体的苦痛から強いトラウマを植え付けられたことによるストレスで体の成長が止まってしまい、生命維持に当てられたのではないかと言っていた。
精神性が幼いのはその方が都合がいい研究所の意向で情操教育という物を怠ってきたからだろう。
恐怖で支配するには余計な事を知らない無垢で純粋な子供の方が楽だから。
朱乃が反発するのは予想外だっただろうが、怜悧の側に朱乃を置いておくことで怜悧に対して情が生まれ、御しやすくしてしまったと言っていた緋翠の悔しそうな声を今でも国永は覚えていた。
しかしながら、怜悧の風船爆弾の様な不安定な霊力をどうにかする為にはそれしか方法が無かったのも事実。
「…何て言うか、子育てって難しいな。
正直、子供ってもっとやんちゃで手のかかるものだと思ってたんだが…
何というか…大人し過ぎる」
「そういってやるな。
主も言っておったが、この子達は非道な実験で心身共に深く傷ついておる。
そう簡単に治るものではない」
「あ、いや…それは判っているんだ。
ただ、この子達を普通の“子供”に戻してやるには何をすればいいかがわからん。
怖い思いをした分、楽しい事を一杯教えてやりたいんだが、飯も薬もごくわずかで、起きてる時間が少ないとなると…一体どんな酷い事をされればここまで子供を弱らせることができるんだ?」
「聞いた話では、毒物や新薬の投薬実験、怜悧に至っては過度な虐待、拷問……慰み者にもされていたようだな。
こんな小さな子供の精神が耐えられるわけがない。
それを目の前で何もできずに見せつけられていた朱乃の精神もな」
初めて会った時、朱乃が怜悧を庇う様に立ちはだかっていたのはそのせいかと合点がいった。
無垢な顔をして眠る小さな子狐と、しっかりと手を繋いで離さない鬼子の頭を撫でながら、国永は胸が張り裂けそうな想いで一杯になり、宗近に凭れ掛かった。
「俺達に出来る事は沢山ある、実験に費やして負った傷も時も戻らぬが、二人とも懸命に恐怖に立ち向かっている。
俺達もそれを見守り、支えてやろうではないか…」
きちんとした療養生活を送ってはいる為、二人の体もそれなりに回復はしているはずで、もう少し食欲が出てきてほしいところだが、今は興味だけでも持ってもらえたところで御の字だろうと、国永は眠る子供達を眺めて微笑んだ。

それから数日。
国永と宗近は二人の子供をただ眺める日々が続いた。
身体の回復のためとはいえ、こうも寝てばかりだと体力も落ちて心配になる。
とはいえ無理に外遊びをさせるわけにもいかない。
朱乃が日中読み書きの練習をしている間、怜悧は暇そうに縁側で足をプラプラさせながら庭を見ている。
「暇かい、怜悧」
「え?暇っていうか…何していいかわからない。
やってもいい事がいっぱいあって、何をしていいかわからなくて…」
自由を許されていないからこそ、いざ自由になると何をしていいかわからなくなるのだろう。
「そうだよな、いきなり何してもいいって言われても困るよな。
じゃあ俺がいくつか提案するから、やってみたいことを選んでみよう。
俺がちゃんとそばで教えるから心配しなくていいぞ」
そういって国永は緋翠から預かっていた子供用の教材セットの中から怜悧が使えそうなものをいくつか選んで持ってきた。
「まずはこれは塗り絵だ。絵が描いてあるからそれを好きな色で塗るんだ。
次はおはじきだ。この平たいガラス玉をぶつけて遊ぶんだ。綺麗だろ?
そしてこれはお手玉だな。なかに小豆が入った布袋をこうやってぽんぽんと投げて回す。最初は2個で右から左、慣れてきたらほら、こんなこともできるぞ」
国永は手の中で7つのお手玉を器用に回して見せた。
「…す、すごーい!」
今まで遊びに関してはいまいちピンと来ていないのか、あまり興味を示してこなかった怜悧がまじまじと国永のお手玉を見つめている。
「僕もできるようになる?」
「いっぱい練習すればなるな。
でもまずは2個で上手く回せるようになってからだな」
よしよしと頭を撫でれば、照れながらも微笑んで国永を見上げてくる。
「仲良くしてる様だな」
不意に聞こえた声に、はじかれた様に怜悧が顔をあげた。
「あ、かあさま!」
とててっ、と緋翠の姿を見つけるなり駆け寄ってぎゅっと抱き着けば、緋翠が愛しそうに頭を撫でる。
「よしよし、昼間もちゃんと二人の言うこと聞いていい子にしているみたいだな?」
「うん、二人ともすごくよくしてくれたの。
あのね、この前はおもち食べたんだよ。
びろーんってのびてすごく美味しかった!」
「そうか、餅を喰えるようになったか。
うんうん、良い事だ。沢山美味しいものを持ってくるからいっぱい食べれるようになるんだぞ。
そうなったら薬は飲まなくてよくなるからな」
「ん、ん!あのね、二人とも僕達にすごい優しくしてくれるの。
夢見てるみたい…いつか覚めちゃわないか不安になるくらい…」
ぎゅっと顔をうずめ乍らすりすりと甘える怜悧は、まだ研究所に引き戻される恐怖におびえているのだろう。
「目が覚めても、俺達は怜悧のそばに居るぞ」
「そうだな、かように愛らしい子達の面倒を見れるというのならそれもまた悪くない。
「はは、そうだろう?
お前達にも親になる気持ちが理解できたか」
緋翠が快活に笑えば、三日月と国永もつられて微笑んだ。
その様子を見て、怜悧はどこか遠い記憶の欠片を見た気がした。

ちいさな古びた家でいろりを囲みながら、赤子の自分を抱いた女のひとと、それに寄り添う見知らぬ男の人。
狐耳が生えていることから怜悧の両親の記憶であろうが、それを今の怜悧は理解できない。
ふとよぎった感覚に、自分の近しい人物を当てはめてしまう。
赤子の自分を抱いて微笑む緋翠と、傍らでそれを見守る三日月と国永。
そして二人の膝には幼い朱乃が抱かれている光景。
それはきっと、怜悧が望んだ理想の家族像。
「とうさまみたい」
ぽつりと怜悧が放った言葉は、静まり返った室内に響き渡った。
「驚いたな、君からそう言って貰えるとは思ってもみなかった」
「ああ。少し面映ゆいものがあるが、良いものだな。
怜悧と朱乃がそう思ってくれているなら、是非にも父と呼んでもらいたいものだ。
主を母と呼ぶならそれもよかろう?」
「え、俺もか?」
当然の様に数に含まれていた朱乃は驚いて声をあげたが、怜悧が呼ぶなら当然呼ばれると信じて疑っていない三日月とキラキラとした目で見てくる怜悧に負けて特に異を唱えたりはしなかった。
「ちか父様と……えと……」
怜悧が恥ずかしそうに三日月を父と呼ぶ。
そして国永を見ながら戸惑ったように首をかしげる。
「くにかあさま?」
「え?いやいやいや、そこはくに父様じゃないのか!?」
「ぴえっ!?」
驚きに声をあげた国永に驚いて、怜悧がびくっとして緋翠にしがみ付く。
「ああ、すまん怜悧。びっくりさせるつもりはなかったんだ。
ただ、その…できれば俺も父様と呼んでほしいなと」
「かあさまじゃないの?」
「かあさんじゃないのか?」
怜悧と朱乃がきょとんとして国永を見上げる。
「お前は俺の番、女房役だ。つまりはこの子達の母であると言っても過言ではないな。
つまりはこの子達の母であるということだな」
「え、あ…ああ?そうか?」
怜悧が珍しく尻尾をぶんぶんと振って嬉しそうにしているから一瞬流されそうになって、国永はハッとした。
「いや、母親というの女人に与えられる役職だ。
俺は是非とも父様と呼んでくれ。な?」
「…ん、と、くに、とうさま?」
「ああ、くに父様だ!ふふ、これは確かに面映ゆいものがあるが心地よい物だな」
国永が笑ったらそれにつられて怜悧と朱乃も嬉しそうに笑った。
「僕、父様の事全然覚えてないから父様が二人もできてうれしい!」
「俺も、親…家族の事はほとんど何も覚えていないから。
母さんと怜悧と…父さんたちが俺の家族だ」
「まったく、嬉しい事を言ってくれる」
緋翠は怜悧の手を引いて、朱乃が座る座卓に歩み寄ると、ぎゅっと二人を抱きしめた」
新しい家族が出来た日、椿本丸に来てから二度目の記念日になった。
more...!

お正月であそぼう



緋翠に引き取られて初めて迎える正月に、朱乃と怜悧は朝から晴れ着を着せられて大人しくちょこんと座っていた。
辺りが慌ただしくしていた昨晩の大晦日と違い、今日は朝から静かだった。
初めて着る着物に落ち着きない様子の怜悧は可愛らしい花柄の着物をまじまじと見ていた。
ほぼ部屋着と貸している夜着にしている寝巻きの着物とは違い、袖が長く、帯という物で胸と腹回りを締めている。
少し窮屈ではあるが、可愛らしい装飾で飾られ、髪も綺麗に整えられたら別人になった気分だった。
宗近や国永が着付けの最中ずっと可愛いと褒めてくれたこともあって怜悧は少しだけ今日はいつもと違う特別感を感じていた。
朱乃も着物だが、怜悧とは違い装飾が少なく、色も白と紫のグラデーションが綺麗な落ち着いた着物で、下の方に少しだけ花や蝶の柄が織り込まれていた。
普段とは違う装いになんだか気恥ずかしくなった怜悧は朱乃をチラチラ見ては両手で顔を覆ったりしていた。
「何ひとりで百面相してるんだ?」
不思議そうに朱乃が怜悧に微笑みかければ、狐耳がピクピクと震えた。
「朱乃、なんかいつもと違うから……」
「怜悧だっていつもより可愛い」
朱乃に面と向かって可愛いと言われたら妙に胸がザワザワして落ち着かなくなる怜悧はどうしていいか分からず途方に暮れた。
着付けをして、ここで待つように言った宗近と国永はどこかへ行ったまま戻ってこない。
「ちか父様とくに父様どこ行ったのかな?」
「そういえば遅いな」
会話が中々続かない。
普段ならそんな静かな時間も気にならないのだが、今日の怜悧は何故かその沈黙が苦しくて仕方なかった。
「なにかして遊ぶか?
ここから出歩かなければそれくらいはいいだろ?」
手持ち無沙汰になった事で怜悧が暇を持て余していると勘違いしたのか、朱乃はふたりが普段使っている遊具が入った木箱を持ってきた。
折り紙やあやとりの紐、花札にカルタ、トランプが綺麗に整頓されて収納されたそれを広げる。
「うん!朱乃と遊ぶ!」
にこりと微笑んだ怜悧は小さな手で花札を掴む。
「花札にするか?」
「…ん、えと……やく、判らないから…」
そう言ってもやりたそうに花札を離さない。
いつもは国永か宗近が怜悧に取れる札を教えてくれた。
「全部じゃないけど覚えてるのなら俺が教えてやるから」
「え、朱乃覚えてるの?」
「何個かな、全部は分からない。
あと点数もわからないから絵合わせするだけだな。それでもいいか?」
「うん!」
怜悧が嬉しそうにしっぽを振りながら朱乃の腕に抱きついた。
朱乃は微笑んで怜悧の頭を撫でると、手前に手札を並べ、場に札を並べてから山を置く。
「……ええと、確かこれとこれで……花見酒、これとこれで青タン、これは赤タン」
「あ、これ知ってる!おつきさま!
いっぱい集めたら凄いやつ!」
「五光だな」
「朱乃すごーい!」
嬉しそうに微笑む怜悧が手をぎゅっと握ってきた。
仲良く花札で絵合わせをしていると庵の戸が開き、お盆に何かを乗せた宗近と国永が入ってきた。
「お、仲良く花札で遊んでたのかい?
正月料理を分けてもらってきたからこっちで一緒に食べようぜ」
「くに父様!ちか父様!」
放って置かれて不安だったのか、怜悧はとととっと二人に駆け寄り腰の辺りにぎゅっと抱き着いた。
「おや、寂しかったか?
すまんな、着付けに思ったより手間取ってしまった」
「そういえば二人とも今日は見た事ない着物だな」
「正月だからな、新年はちょっと特別な格好で迎えるのさ」
「新年?祝う?なんでだ?」
朱乃と怜悧はキョトンとして首をかしげる。
研究所でモルモットとして扱われていた二人はこういった行事の知識も全くない。
だから緋翠は椿の本丸にいる間には子供達の為に行事をたくさん体験させたいと国永と宗近に話していた。
緋翠は形式上の初期審神者と政府の新年の懇親会に出かけていた。
挨拶程度なのですぐ戻るから子供達を頼むと言われた国永と宗近は御節と正月遊びの道具を持って戻ってきた。
「新年を祝うのはな、新しいの最初の日に楽しく過ごし、これからの一年も明るく楽しく過ごせるようにという願掛けの一種だな」
「一年の計は元旦にありと言ってな、元旦にした行いが一年の行動の基準となる。
楽しく過ごせば楽しい一年、悲しく過ごせば悲しい一年になると言われてな。
だから皆正月は美味いものを食い、綺麗に着飾り、楽しく遊び、笑って過ごすんだ」
朱乃は言いたいことは大体理解出来たが、怜悧は全くわからずポカンとしたまま国永を見上げていた。
怜悧は難しい話より美味しい匂いのする御節が気になるようだ。
「だからまずは美味い飯だ」
見た事ないお重一杯に詰められた豪華で華やかな御節を食卓に広げる。
怜悧は鼻先でくんくんと匂いを嗅いでいた。
「雑煮は種類が多すぎてな、怜悧には甘い汁粉を用意したぞ。
朱乃にはすまし仕立ての雑煮だな。
味が濃すぎなくて食べやすい」
宗近が持っていた盆から椀をひとつずつ置いて、蓋を開ける。
甘いものが好きな怜悧には餡子がたっぷり入った椀に小さく食べやすいサイズの餅がいくつか入っていた。
甘いものが苦手な朱乃にはすまし汁に焼き目を付けた餅がひとつ。
見た目も綺麗で華やかだ。
「美味しそう!」
一般的な子供に比べたらまだ少食な二人だが、吐き出さずに食事を楽しむ余裕が出来たのは国永と宗近にとっても喜ばしい事だ。
「怜悧、朱乃、食べてみたい御節はあるか?
ひとつをたべきれないなら父様達と半分こしよう」
広げた御節を眺めている二人に宗近が微笑みかけた。
「えと、えと……この赤いのと…くるくるしたヤツと……あとハンバーグとたまごの!」
「海老と伊達巻とミニハンバーグとオムレツだな」
怜悧の小さな小皿に一口大のミニハンバーグとオムレツ、伊達巻と殻を剥いた海老が取り分けられた。
「朱乃は何か欲しいものはあるか?」
「良く、分からないから…父さんのおすすめを幾つか頼む」
「そうか、なら料理番が二人のために作ったはんばぁぐとおむれつとやらは入れるとして…この煮物は美味いぞ、あと紅白なますはどうだ?
程よい酸味が大人の味わいだぞ」
「おいおい初めて御節を食べる子供になますを勧めるのかよ。
好き嫌い分かれるだろそれ」
「むむ……なら数の子はどうだ?
プチプチした食感が病みつきになるぞ」
「わからないからとりあえず食ってみる」
食に興味が出てきてるのか、朱乃は取り分けられた御節に恐る恐る箸を向けた。
怜悧もそれに倣って箸をハンバーグに突き刺した。
「怜悧、それだとケチャップが零れるから…ほら、あーんだ」
「あーん」
突き刺したハンバーグを垂直に持ち上げようとしたのを国永が制して、小さく切り分けて怜悧の口に運ぶと、嬉しそうにシッポを揺らしながらモグモグと口を動かした。
「んー、美味しいー」
「怜悧はこっちのふぉーくを使おうな。
俺が小さく切ってやるから」
「くに父様ありがとう」
にこっと可愛らしく微笑んだ怜悧を見たらつい甘やかしてしまうのは宗近仕込みの手管のせいだろう。
朱乃も怜悧の様子を見ながら未知の御節に挑戦している。
「何だこれ、すっぱ…」
「ほら見ろ、朱乃、苦手なら無理して食べなくていい」
「あなや、朱乃にはまだ早かったか?
はんばぁぐのような脂身の強いものや味の濃いものの後に食うとさっぱりするのだがな」
「それを先に教えてくれ……ん、確かにハンバーグの後に食べるとそこまで嫌な酸っぱさじゃない」
「すっぱいの?」
「ああ、怜悧は苦手だと思う酸っぱさだ。
レモンよりは甘いけど、独特の酸っぱさがある」
レモンと聞いて、一度レモンを生で食べた時の苦酸っぱい感覚を思い出した怜悧が渋い顔をする。
「レモン苦手……」
「はは、じゃあこんどあまーい蜂蜜にタップリ漬けたレモンを食わせてやろう。
ビックリするほど甘くて美味いぞ」
「ホント?甘いレモン食べてみたい!」
くしゃ顔した怜悧が笑顔になると、皆安堵の笑みをこぼした。
「この数の子ってのは食感が楽しい。
怜悧も食べてみるか?」
「食べたい」
食感が楽しいと聞いて瞳をキラキラ輝かせて朱乃を見上げる。
一口大に切った数の子を怜悧の口に運ぶ。
パクっと数の子を口に含めば、プチプチ食感に驚いた様に朱乃を見上げてからシッポを振ってもぐもぐしている。
プチプチ食感が気に入ったらしくおかわりを強請る眼差しに、朱乃は小さく切った数の子を怜悧の口に運んでやった。
「お、怜悧は数の子が気に入ったか?」
「プチプチしてておもしろい!
味はちょっとしょっぱいけど」
味の無い食事しか知らず、体力回復の為に薄味の粥ばかり食べていたせいか、最近覚えた食事は二人にはまだ味が濃く感じてしまうらしい。
「じゃあ今度は薄味に煮たのを作るからな」
怜悧が合わせるのではなく、怜悧に合わせた味付けに変えてくれる国永の気遣い嬉しさのあまりにギュッと抱きついて甘える怜悧に国永もにこりと微笑みかけた。
「ほら、くに父様特製しるこもちょうど食べ頃だぞ?」
ホカホカ暖かな湯気を立てていたしるこは丁度いい温度になっていた。
箸が苦手は怜悧に餅は難しかろうと予め用意したスプーンを持たせると、お椀に口を寄せてスプーンで口に押し出しながら甘い餡子に包まれた柔らかな餅を堪能していた。
「邪魔するぞー」
ガラッと引き戸が開かれて正月らしく派手な着物に身を包んだ緋翠が食卓を囲む子ども達に歩み寄ってきて、ぎゅっと抱きしめた。
「母さん、どこか行ってたんじゃ無いのか?」
「挨拶だけ済ませたらとっとと帰ってきたさ。
生憎政府の役人のおべっかに付き合う暇があるなら綺麗に着飾った我が子を沢山抱きしめてやりたいからな。
父さん達と御節食ってたのか?
食べれるものはあったか?」
「数の子!プチプチ楽しかった!」
甘えながら怜悧は無邪気に笑う。
「そうか、良かったな怜悧。
沢山あるからいっぱい食べていいぞ」
緋翠は餡子で汚れた怜悧の口の端をハンカチで拭ってやった。
「朱乃はどうだ?」
「ああ、色々食べてみたけどどれも美味かった。
怜悧が楽しそうだから俺も楽しい」
「正月を楽しめているようで何よりだ。
じゃあいい子のお前達にはこれをやろう」
そう言って差し出したのは小さな白い袋に可愛らしいうさぎの絵が書いてあって、おとしだまと書いてある。
「なんだこれ?」
「これはおとしだまと言っていい子にした子供だけがお正月に貰えるものだ。
普通中にはお金が入っていて、それで好きな物を買うんだが、お前達は金の使い方なんでまだわからんし外にも出せないからな。
俺の力を込めたお守りを入れておいた」
お年玉の袋から出てきたのかお揃いの緋翠手製の御守りだった。
「怖い事があればこれを握って強く俺を呼べ。
どんな場所だろうと必ず駆け付ける」
「母様の御守り…暖かい力を感じる。
大事にする!」
「主に先をこされてしまったか…」
「チビ共におとしだまを用意してたのは君だけじゃないんだぜ」
国永と宗近が差し出したのはラッピングされた箱におとしだまと書かれた紙がはられたものと、可愛らしい絵が描かれた袋。
「俺達は話し合って二人に必要なものを用意したんだ。
2回目のくりすますだな。
来年は小判を入れてやるから買い物を覚えような」
国永が怜悧の頭を撫でながら袋を差し出した。
宗近は朱乃にラッピングされた箱を差し出した。
「怜悧には一緒にいる友達だ!
抱っこして持ち歩けるように小さいものにしたぜ」
「きつねだー!母様、朱乃みて!きつねのぬいぐるみ!可愛いー」
小さなキツネを抱き締めて嬉しそうにシッポを振る。
「良かったな怜悧。
可愛い同族の友達ができて良かったな?」
「うん!」
嬉しそうな怜悧の隣で朱乃が包みを開く。
「これは?」
「朱乃は読み書きの練習を始めてるだろう?
だから鉛筆と帳面を用意した。
字を書く練習をするのに使ってくれ」
「あ、ありがとう…
……その、次は父さん達と母さんの名前の字を覚えたい」
「へぇ、朱乃はもう読み書きを始めてるのか?」
緋翠が朱乃の頭を撫でながら笑いかければ恥ずかしそうに頷いた。
「まだ全部は判らない。
俺と怜悧の名前の字だけ読み書きできる」
「ぼくの名前の字、朱乃に教えてもらったの!」
二人ともお年玉にかこつけたプレゼントを大層気に入った様だ。
怜悧は珍しく小皿に取り分けられた料理を完食してお汁粉も食べ、お腹いっぱいになったのか、狐を抱きしめて緋翠の膝枕で夢現だ。
一人前には満たない量だが、普段に比べたら上出来といえる。
朱乃は、早速絵本から宗近に字を習っていて国永は後片付けを始める。
緋翠は母親の顔で、眠る怜悧の髪を優しく撫でていた。




出会い、紅色。10 side国永

鶴丸が破壊され、泛塵を含めて話しを聞いてから暫くの間が空いた。
その間していたことと言えば、出陣後の処理に件の敵の索敵とやれることは多い。
同時に、国永が常に考えていたのは鶴丸と宗近のことだった。
泛塵は覚悟を決めて欲しいと言った。
恐らく、鶴丸が望んだように、いつか笑えるようになるために。
ただ犠牲になったわけではなく、必要なことだったと言えるように。
刀や人の生を無常と、ただ流れゆくものとする泛塵らしくもない言葉だ。
鶴丸が与えた影響は大きい。

「俺だって、あの子を弟のように思ってたさ……」

単なる同位体よりも近しく、けれど情がわかないよう厳しくも接していた。
初めは自我すらあやうく、人の子供よりつたなかったのが徐々に安定して自意識を持つようになり。
だからこそ、自分が居なくなった後も本丸を支えて宗近と良好な関係を築いてくれると思えたのだ。
このまま自分が折れた後も、鶴丸が宗近を支えてくれれば気持ちは移り変わると。
宗近には好意を伝えられたが、それ以後は何もなかったから。
側仕えを鶴丸にしていれば、自分が折れれば、その為に居なくなって良い準備を進めたつもりだった。

「けれど、泛塵には……いや、彼だけじゃないか。事情を知ってる奴には、逃げているように見えたのか」

口にして、冷静に思い返してみれば確かに逃げていたのかも知れないと自認する。
宗近の心を理解しようとするでもなく、考えないよう、見ないようにしていた。
けれど、それを最初に許したのは宗近だ。

「大体あいつが勝手すぎるんだ」

曖昧な言葉で国永を掻き乱したのも、身体を暴いたのだって宗近の勝手だ。
好きだと言うなら初めから、国永の在り方を話して欲しかった。
宗近に相応しいのは無垢な白さを持つ鶴丸国永だと決めつける国永の勝手を、叱り付けて欲しかった。
中途半端な優しさで距離を置かず、真っ向から向き合って欲しかった。

「……そうか、泛塵の言う覚悟は、俺だけじゃなく」
「隣に座っても良いか?」

花弁の舞う縁側でいつの間にか思案に耽っていた国永に声を掛けたのは、今まで考えていた件の人物だった。
困ったように目尻を下げ、けれど口元はいつもと同じ鷹揚な笑みを象る月の化身。
手に持つ盆には湯飲みが二つと茶菓子の載った器が盛られている。
こうやって顔を合わすのも話し合い以降、久方ぶり。
一時期は頻繁だった夜の逢瀬すらご無沙汰だった。

「……ああ。丁度、俺一人で花見をしているのも飽いたところさ」
「ほう、そうかそうか! ならば丁度良い頃合いだったのだな」
「茶請けは何だい?」
「かすてら殿だ。燭台切がな、お前はこれが好きだと渡してくれたのだ」

頬を桜色に染め上げながら、では早速と隣に座る。
何が嬉しいのか極上の笑みまで浮かべていた。
思えば、こうして二人だけで落ち着いて話すのもまた久しぶりだ。
近侍とその補佐として戦術を討論することはあれど、腰を据えてゆっくりとした時間を過ごすのはしたことが無かったかも知れない。
それこそ、宗近に好意を告げられて鶴丸がやってきてからは皆無だ。
そうなると何を話すべきかと思考は空回りをし、いつもは飛び出す軽口も出てこない。
結局渡された湯飲みを両手に持ち、視線を空に投げ出して押し黙る。
宗近がぽつりと、独り言のように呟いたのはその時だった。

「すまなかった」

謝罪の意味が分からず、目線だけをそちらに向ける。
宗近は、今度は笑みを浮かべて居らず、視線を地面に向けていた。

「泛塵に覚悟を、と言われ……考えておった」
「なにを?」

何を、考えているのか。
ずっと疑問だった。
けれど理解出来ることはないと、気にしないようにしていた。
向き合うことも、想いを押し付けることもしないのなら、何を望んでいるのか。

「初めに鶴丸国永を望んだのは、俺の勝手だ。主の手勢が多くなるにつれ、仲間達が力を付けるにつれ、補佐を付けた方が良いという話しと相成った」
「ああ、それは聞いている」
「それを好機と、逢いたい者に逢えるやも知れぬと俺の力を呼び水に使った」
「……それで俺は混じり者となったのか」

自身の成り立ちを聞き、宗近の神気が必要だったことに納得がいった。
途中から、他の者のそれでは駄目なのだろうと感じては居た。
どうして宗近だけに反応をしたのかは、これで分かった。
会いたい、と、目眩とも焦燥とも付かぬほどに国永を強く突き動かしていた想いも。
やはりこれは、宗近の感情だったのだ。

「お前には酷なことをしていると、分かっておった。無闇に肌を晒す事になったのも、全ては俺の責任だ」
「そうだな」

確かにその成り立ちから宗近が関わって居るのなら、彼のせいだと言える。
頷いてみせれば一瞬だけ傷付いたように、悲しげに顔を歪めたのが分かった。

「俺に何も、相談もしなかったのは……俺のためかい?」
「矜持を傷付けているという自覚はあった。だが、お前が在るために俺が必要なのだと思うと……悦ばしくも感じて居った」
「悪趣味だな」

本当に、悪趣味だと思う。
こちらは在ってはいけないものだと、負担になってはいけないと思っていたのに。
同時に酷く安心してしまい、全てを宗近のせいにしてしまいたくなる。

「想いを告げたが、受け入れられまいと諦めても居てな。お前が自由であるなら、一時触れるだけで良いと……思い込もうとした」

不用意に触れようとしなかったのは、いやに義務的だと思ったのはそれが原因かと思い当たる。
人間が言う恋情のようなものを感じなかったのは、宗近曰く我慢をしていたらしい。
色々と考えて胸を痛めていたのが馬鹿みたいだ。
本当に、馬鹿みたいだ。
悩んだ挙げ句に周りを巻き込んで傷付けて、犠牲まで出してしまった。

「よく見られようと、格好良くあろうとしておったがな? 俺の内面は、下にも浅ましきものよ」

どこか恥ずかしそうに苦笑する宗近の顔が、段々とぼやけて見えなくなる。
ずっと何を考えているのか分からなかった。
好いていると言われて嬉しいと感じ、それ以上に悲しかった。
誰よりも凜として真っ直ぐ立ち続ける姿に、自分では寄り添う資格はないと思っていた。

「俺はな、国永。お前の色は恋のそれだと思ったのだ。その色が深まる度、俺への想いが宿っておれば良いと夢想した」

笑えるだろう、と茶目っ気を含んだ優しい声が掛けられる。
頬に何か掠めるものがあり、涙の跡を優しく拭われた。

「泣くな。国永、泣くでない」
「俺は、きみと、あっても良いのだろうか……? 鶴丸を犠牲にして、自分だけおめおめと……」

目の奥が熱く、涙が止めどなく流れてくる。
胸が痛くて、それだけで折れてしまうんじゃないかと不安になった。
頬だけではなく触れるものがあって、温もりに誘われるまま宗近の肩に頭を預ける形になる。
抱き締められて、ようやくと思う気持ちがあった。
そしてそれを認める度、自責の念が強くなる。

「あの子は、笑って欲しいと言って居っただろう?」
「それは、きみの話しだ!」
「俺が笑うには、お前も笑ってくれねばなぁ」

優しく甘やかな声が耳朶をくすぐって、頭を振って避けようとした。
くすぐったい、と言われてから、まるで甘えて擦り寄ったようにも感じられると気付いて耳が熱くなる。

「鶴丸に酷な真似をさせたのは、お前だけの責ではない。俺とて同罪……いや、そもそもが俺の責よ」
「きみに責任なんて、」
「俺が早くに覚悟を決めて話して居れば、想いを伝えようと行動を起こして居れば、あの子は今も側に居ったやも知れぬ」

肩に押さえ付ける手に力が加わり、顔を上げることが出来なくなった。
多分それは、宗近自身が顔を見られたくないからだろう。
涙が彼の着物を濡らしてしまうけれど、国永にも止められない。
どれだけ悔やんでも、散ってしまった命は帰らない。

「せめてあの子が安心して笑えるように……。国永、俺にはお前が必要なのだ。出来れば側に居て欲しいと思うが……強要はせぬ。生きておくれ」

切なさを含んだ声で目頭に口付けられて、国永は己の気持ちを伝えていなかった事に気付いた。
宗近の想いは、十分受け取った。
ならば今度は、国永が語る番だろう。

「……もう二度と、同じ真似はしない」
「そうか、うむ。よきかなよきかな」
「俺は、きみが……あんたが触れる度、悲しかった」
「む……それは、すまんなぁ」

悲しげに囁き、離れようとする身体を自分からも抱き締める事で引き留めた。
どう言えば想いが伝わるか、本当に受け入れて貰えるか怖くなる。
宗近が逃げ腰になってしまった気持ちが分かった。
それでも国永は宗近の告白を聞いたからこそ、勇気が出た。

「身体を暴く理由を自分の勝手だと言われて、最低限……義務的に触られて、心が無いと言われてるようで」
「それは、あまり触ると酷だろうと……何より、俺の理性がな」
「りせい?」
「俺とて男だ、好いている者に触れたいという欲はある。そも、俺は好いていると言ったでは無いか」

悲しい、というよりはふて腐れているような声音に、小さな笑いが込み上げてくる。
止まらないと思った涙はいつの間にか止まっていて、けれど触れる温もりが心地よくて離れられそうもない。

「好いていると言われてからも同じ触れ方だったから、疑わしかったんだ。俺の勘違いかと」
「それは……すまなかった」
「ああ。けれど、それがあったから……俺も、きみを想っていると分かったんだ」

背中をあやすように撫でていた手が止まり、息を呑む音が聞こえてきた。
抑える手がなくなってようやく、顔を上げる。
先程まで泣き濡れていた顔を見せるのは羞恥があったが、それよりも驚く月の瞳が見たいと思ったから。
正面から、口を空けて固まる宗近を見る。
ここまで気の抜けた顔を見たのは自分が初めてではないかと思うと、笑いが込み上げた。

「宗近、きみが好きだ。俺のこの色がきみへの恋の色なら、嬉しく思う」

宗近の頬に手を添えて、見開いた朝ぼらけの瞳を覗き込む。
月がこんなにも身近に、綺麗に見える。

「くになが」

思わず、といった具合に呼ばれる名前に、微笑みで返す。
口が微かに震えて、それが緊張か困惑からくるものだろうかと頭の片隅で考える。

「国永」

もう一度、今度ははっきりと呼ばれて、首を傾げることで返した。
頬に触れた手に、宗近の手が重なる。
その温もりも、信じられないと言いたげな瞳も、くすぐったく感じた。

「国永……」
「なんだい?」
「お前を、そなたを、好いて居る」
「ああ、俺もきみが好きだ。想っている」

あの日の告白をやり直し、自分に正直に心を打ち明ける。
すれ違い、遠回りをしたけれど、ようやく想いを伝え合うことが出来た。
こんなにも嬉しくて奇跡のように尊くて、大切なものに出会うことが出来るだなんて。
鶴丸を思うと、後悔と切なさが胸を締め付けるけれど。
あの子が諦めないでくれたから出会えた今を、忘れずに抱えていこう。

出会い、紅色。9 side緋翠・泛塵

戦況に関して、審神者に送られてくる情報というのは端的な結果のみが伝えられる。
進む方向と事前に知らされるルートを元に、どの道から遡行軍の瘴気が濃いかを占い、それを指し示す。
そして敵との遭遇があればどのように倒し、どれだけの損害を受けたのかが簡素な数値で知らされた。
実際には刀装から具現化した兵を率いての乱戦になるのだが、ほとんどの審神者はそれを知らずに過ごしている。
だからこそ、緋翠は男士からの直接の報告と、場合によっては男士の目を通して記憶を垣間見ることを重視していた。
此度の現世への出陣は稀なことであり、そして思う限り最低の結果となった。
隊長を任じた五虎退は縮こまり、涙を零し、けれどその緊急性から手入れ部屋へ入る前にと緋翠へ報告を上げた。
同時に、隣り合う本丸から隊長を任じた一期一振も同様に場に列び、深く頭を垂れて消沈する。
そんな二人から記憶を見取り、直ぐさま手入れ部屋に放り込んで、今。
蝶の模様が描かれた煙管筒に口をつけ、紫煙を吐き出す。
片足を立て、そこに肘を置いて渋い顔をしている姿は雌雄のどちらとも言いがたい。
乱雑に、殺気立ち、緑の目を細めてぎらつかせ、まるで獣のような様相だ。
室内の畳が血で濡れて渇いていないこともまた、彼女をけだものに見せている。

「主、邪魔をするぞ」
「ああ……、来たか」
「三日月宗近、鶴丸国永、泛塵、お呼びにより参上仕る」

往時の気取らぬ態度のまま宗近が、跪座に頭を垂れた姿で国永と泛塵が襖の向こうに。
それらの姿を確認し、緋翠は再度煙管に口をつけ、紫煙を薫らせてから口を開いた。

「許す。ここへ」

普段の気安さはなりを潜めた、本丸を与る主としての気迫。
顔を上げた国永は一瞬眉を潜め、しかしすぐに笑みを象り平素と変わらぬ様子で血糊の上へ座り直す。
その後に泛塵も従い、宗近も鷹揚な笑みを浮かべて御前に跪座をした。

「部屋を整えてからでも良かったんだぜ?」
「ん? ああ……そうだな」

言外に汚れを厭う国永の言葉に空返事をしながら、緋翠は深く考え込む。
先の出陣で負った犠牲は、彼らにも既に通達されている。
鶴丸の違反行為に対しても、だ。
そもそも出陣を予定していた国永が見付かった時点でそれは知れていた。
帰還をさせなかったのは、囮がどちらの鶴丸国永でも構わないと審神者として判断したから。

「まずは、だ。鶴丸は隠行の術で国永になりすまし、此度の戦場へ無断で出陣した。近侍への報告や相談もなしに成されたそれは、俺への叛逆行為にも等しい」
「……っ」

叛逆、という生々しい言葉に泛塵が歯を食いしばる。
握り締めた手が白くなるほど力が込められているのを見たが、緋翠はひとまず彼を横目で一寸見るに留めておいた。
次いで近侍である宗近へ視線を送れば、一つ頷いて返される。

「この陣が内通者をあぶり出すための囮であることは、宗近と国永には伝えておいたな」
「ああ。だからこそ、俺が行くべきだと進言した」
「そちらは、俺は聞いておらぬがな。理解はしていた」

ぎりり、と歯ぎしりの音が静かに響く。
それを聞いて、緋翠はため息を一つ吐いてから煙管をくゆらせた。

「囮とは言っても、御守りを配備させた上で生き残るだろう布陣だったんだが。まあ、それは良い。混合部隊だったお陰で隊長格は帰還出来た。が……」
「向こう方の薬研藤四郎とこちらの鶴丸は破壊、だろう。やはり術式阻害のすべを持っているようだな」
「ああ。……俺が居れば、あるいは拾ってやれたんだが」
「あの時の加州のように、か? けれど、きみが戦場に顔を出すのは――」
「分かってるさ。今回に限っては、それでは意味が無い」

油断を誘い、二つの本丸に分けて配備した刀剣男士だからこそ、次の機会はないと行動することを予想した。
緋翠が居れば、契約をしるべに男士の魂を身の内に抱えて回収し、新たな刀へと移す事が出来る。
連結、習合といったものに似ているが、感覚としては式神を使うのに近い。
長く生き、陰陽師として技を磨いたから出来る禁忌に近い荒技だ。

「何にせよ、あちらの目的と思われた玉藻様の身はこちらが保護した」
「保護というと、政府に居るのかい?」
「いいや。玉藻の前は他の審神者、竜胆殿の親元。お山におわす」

首を傾げる国永に、宗近が首を振って返す。
相手は大昔の大妖怪、それも神に匹敵すると言われる力を持つ。
今の勢力バランスを簡単に覆すことが出来る御仁なだけに、扱いもまた繊細だ。
ひとまずは闇に生きる者の現まとめ役である山に任せるのが良いだろう。
そこまでを話したところで、緋翠は口を閉じて一同を見渡した。
本題は、ここから話す事にある。

「西の方の知識だが、ろぼっと三原則というのを知っているか?」

西洋の知識というのは、日ノ本の国で生まれ育った緋翠にも刀剣男士にも不慣れな分野であった。
けれど、この時代に存在しているのなら大なり小なり耳にはしているであろう、それ。
第1条:ロボットは人間に危害を与えてはならない。また、その危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第1条に反する場合はこの限りでない。
第3条:ロボットは前掲第1条及び第2条に反する恐れがない限り、自己を守らなければならない。
50年以上前に定説されたものであるそれを、何故に今、改めて緋翠が口にするのか。

「これらに酷似した則が、お前達を励起する際に刻まれている」
「不用意な力は新たな火種になり得るからなぁ。対策として理解は出来よう」
「まあ、俺達はヒトの器を使っているとは言え、結局のところ道具であり兵器だからな」

完全な自由を謳ってしまえば、新たな弊害になりかねない。
審神者と刀剣男士の間にどれだけの信頼があろうと、どのように契約を交わしていようと、必要な措置と言える。
それと同時に、刀剣男士は付喪神であり人より上位の存在だ。
則があろうと全てを縛る事は出来ない。

「けどな、唯一の例外が居た」
「……それが鶴丸、か」

今まで頑なに口を閉ざしていた泛塵が、小さく声を漏らす。
俯いた顔は表情が読めず、何を思っているのか分からない。
緋翠は小さく頷いて返し、宗近は僅かに目線を下げ、国永は、

「ぇ……いや、待ってくれ! それなら俺も同じだろう!?」

理解出来ない、というよりはしたくないと言わんばかりに、困惑に顔を崩す。
まるで今にも泣きそうなそれに、宗近が手を伸ばそうとして、静かに拳を握り込むのが緋翠からは見えた。

「お前の場合はな、まあ緩く考えると第2条に該当するんだ。自分が存在することで主に及ぶ危険を回避するための行動、とな」
「そんな……いや、確かにそうなんだが……」
「それに、口では刀解を望むことは出来るしそんな奴はいくらでも居る。けれど、主の許可が無くば不測の事態でもない限り、自ら望んで折れることは出来ない」
「この本丸ではそうだろうが、全てがそうであるとは言えぬだろう」
「まあな、そこは審神者の力量次第。ひょんなことから枷が外れて……なんてこともあり得る」

国永を横目に見ながらの宗近の言葉に、緋翠は軽く頷いて見せる。
そもそも、こちらがそのようにお願いしている立場なのだ。
何事にも絶対は存在しない。

「けれど、何事にもきっかけというのは存在する。……狂うには、それなりに理由があるんだよ」

苦々しく、緋翠は言い切る。
己の子供のように思っていた相手を失ってなお、狂うことも出来なかった故に。
己の子供のように思っていた相手が最愛を失い、狂気に身を堕とした故に。
どれだけ強かろうと、弱かろうと関係無しに。
ともすれば歩む道を踏み外すのにも似て突然に、そうなるのだ。

「あの子の有り様は、今思えばお前達よりも俺に似ているのかもな」
「主に……?」
「己が良しと判断さえすれば、誰に何を言われても、どんなモノを犠牲にしても構わない。……それこそ、我が身さえ」
「鶴丸の献身は、自己満足の自己犠牲だと?」

消沈する泛塵と国永を後目に、宗近のそれに肩を竦めてみせる。
機械的というには感情的で、感情よりも本能的なまでの愚直。

「あの子が何を考えていたかは、泛塵が知ってるんじゃないか?」

鶴丸とその時間を、最も多く共に過ごしていた"兄弟刀"へと視線を向ける。
そして本丸内で国永を落とし穴にハメ、時間を稼ぐなどをした協力者でもあった。
けれどそれを理由に泛塵を咎めるつもりはない。
だが、"自分"がどれだけの影響を与えていたのか、そして与えられた事柄に、納得するための場だ。
前へ進むも、後ろへ退くも、理解ではなく納得しなければならない。
少なくとも緋翠はそうやって生きてきたし、それが与える影響を知っている。
だからこそ、今目の前に居る三人にはそれが必要だと思ったのだ。

「泛塵はそいつらに、鶴丸のことを話しとけ。俺は少し休んでくる。……それが終わったら解散な」

言うだけ言うと、あとは我知らずとばかりに緋翠は部屋を後にした。
しばらく沈黙が場を支配したが、やがて泛塵が小さな声で語り始める。

「鶴丸は、僕を……この塵を、何度でも拾いに、会いに行くと、言ってくれた」
「それは、そなたの来歴か?」
「泛塵は確か、真田の……持ち主の死後に暫くしてから山から売りに出された、とか」
「そうだ。あの時代、人の命は儚く、明日をも知れぬものだったが……それは僕らとて同じ。使わないのであれば、ごみと同じ。あとは塵になるだけ」

明日をも知れぬ、それは宗近と国永にはよく理解出来た。
奇しくも千年の時を生きながらえたが、その都度持ち主を変えている。
刀の中には所在の分からなくなった者や、破壊された者が居た。
泛塵もまた、真田信繁という武将に重用されたがその後は高野山に捨て置かれ、売りに出されて後は消息不明だとされている。

「悲しいとも、良かれとも思わない。ただ、そういう物だと」
「そうだな。どのような者に使われようと、どれだけ褒め称えられようと、形ある物はいつか壊れる」

泛塵の言葉に宗近も微笑みと共に頷いた。
国永も同様の思いを持ちながら、けれどそれを宗近が口にすることだけが気に入らない。
彼にとって三日月宗近は師が憧れ、己に課せられた目標であり、生き方は違えど自分の前からある不変の者だった。
己の前にというなら三条の者全てに言えることであり、他の刀も居たが、国永がとくに意識をするのは宗近だけ。
そんな彼がいつかくる終わりを微笑みで口にするのは、胸がざわついて面白くない。

「全ては玉響だ。……けれど鶴丸は、」

目を閉じ、泛塵は鶴丸と二人で話した時のことを思い起こす。
いつかの内番で、畑を見ていた合間に休憩で木陰に腰を下ろした時のことだ。
口数のそう多くない泛塵は、鶴丸の話を聞くことが多かった。
白く輝く銀の髪を風に遊ばせながら、彼は笑っていた。
鶴丸はあまり多くのことは知らないという声を聞いて、泛塵が自分の来歴を話したのだ。

『たまゆら、って何だい?』
『刹那、瞬く間だ』
『ふーん? ……よく分からないけど、それなら俺が拾いに行くよ』
『拾い、に? だが、主がそれを拒めば……』
『そっか、本丸に連れてこれないな。じゃあ会いに行く!』
『何故、僕にそこまで……。主に逆らうつもりか? "兄弟"のよしみとでも言うつもりか』
『ん? 逆らってないって。それに泛塵は俺の弟だけど、そうじゃない泛塵も居るだろ?』
『っ……この塵めの全てを、集めるつもりか? 何故、そこまで固執する?』
『だって、泛塵は良いやつだ。少しの間っていうなら、笑ってた方が良い!』

柔らかく、そして幼さの残る満面の笑みだった。
一人よりいっぱいの方が良いだろうと、名案だと蜜色の瞳を輝かせて語っていた。
もし本当に、あの頃の自分の元に鶴丸が来てくれたなら……きっと、嬉しい、と思う。
そう思えることが今あることに、泛塵は胸が温かくなるのを知った。
嗚呼、これはきっと、感情だ。
とても温かくて、優しい、今まで知らなかったけれど、不快ではない。
鶴丸はいつだって優しくて、どこか幼くて、そして体中、心底楽しいのだと伝わってくる生き方をしていた。
そして、国永の指令のままに宗近の為にあろうと熟考し、宗近が笑顔で居るためには国永が必要だと考えは帰結し。
泛塵は鶴丸の頼みに、手を貸した。

「鶴丸は、宗近様には笑っていて欲しいと言っていた。それが自分の意味だと」
「……そんなことをさせる為に、俺はあの子を呼びだしたんじゃない」

悔しさの滲む声で、国永が言葉を絞り出す。
鶴丸には自分の後継を頼むつもりだった。
宗近が鶴丸国永を望むというなら、完璧なそれを。
そのつもりで鶴丸には宗近の為に在れと言い置いていた。
分霊が己の分身を作る代償として、国永の魂を苗床に鶴丸に魂が宿るようになっている。
国永の全てを踏み台に、鶴丸は完全な存在となるようになっていた。

「あの刀は、その始まりから犠牲となることを受け入れていたのだと思う。覚悟を決めていた訳では無く、当たり前のことと受け止めていた」

息をし、朝起きて夜に眠るのと同じように、折れることを当たり前とする。
それは刀としてはあまりにつたなく、人と言うには歪過ぎた。
歯止めとなるはずの理性も、刀としての則も利かなかったゆえに自滅を選んだ。
誰がそれを望んだわけではなく、道具としては致命的な欠陥だ。

「貴方達の間に何があるのか、僕は知らない」

鶴丸が何を知り、どう感じ取ったのか、側で見ては居たけれど泛塵には理解が及ばない。
本丸に居る全ての者が笑えるから、これで良いのだと鶴丸は言っていた。
その中に彼自身が含まれて居なかったことを、泛塵は哀れだと思う。

「けれどどうか、鶴丸……鶴丸の兄上が望んだよう、笑って頂きたい。今は辛くとも……」
「あに……そう、だな。あの子は、きみの兄で……俺の、弟、だった……」

尻すぼみになる言葉と、俯く顔が国永の乱れる心情を表していた。
後悔、沈痛、それらの感情がない交ぜとなっているのだろう。

「鶴丸の兄上は、恐らくだが……貴方にこそ、笑ってほしかったのだと思う。国永の兄上」

鶴丸に倣い、国永様と呼んでいた呼び方を改めた。
本当は鶴丸が一番、国永を兄と呼びたかった想いを汲んで。
宗近と国永に向き合うように正座で座り直し、三つ指ついて頭を垂れる。

「不敬を承知で申し上げる。鶴丸兄上を憐れと思うなら、覚悟を持って決着を付けて頂きたく」

それ以上の言葉を募ることもせず、泛塵はただ頭を下げ続けた。
一度目を閉じた宗近は笑みを無くしてただ沈黙し。
国永はない交ぜの感情に混乱をしていて声を掛けるどころではないが、覚悟を、という言葉にビクリと肩を跳ねさせて俯いた。
泛塵と国永、二人の様子を見ていた宗近は、緩く微笑みを浮かべ直してから胡座のまま泛塵に頭を下げる。
それ以上は誰も何も口にすることなく、場を解散するに至ったのだった。

出会い、紅色。8 side鶴丸

胸に込み上げる熱いものに、息をすることが出来なくなって崩れるように膝をつく。
目の前には黒い固まりと、無表情の獅子王が居て。
俺は、

「は、ははっ! おどろいたか!」

してやったりと笑ったあと、口から大量の紅い液体を吐き出した。
急速に冷えていく身体と、ぼやけていく視界に。
近くで倒れ伏す五虎退の身体が淡い光と桜の花弁に包まれて徐々に消えていくのを見て、満足感を覚える。

「ししおう、これで良いか?」

後ろから舌足らずな声が聞こえてきて、胸から生えた刃がずるりと引き抜かれる気持ち悪さに再度液体を吐き出す。
後ろから姿を現したのは白い足に爪先だけでとつとつと歩く、赤い人。
いや、黒い人って言うべきなのかな。
出会ってからずっと、どっちなんだろうって、思っていて、

「ああ、雛はよくやった。けどまさか……国永じゃなかったとはな」
「うむ、さっきまで髪は花の色をしていたぞ」

少し前にやってきたこの二振りが、遡行軍側の刀だってことは知っていた。
今回の任務で、国永様が囮になって討ち取ろうとしてたことも。
国永様が、本当は折れるつもりでいたことも、知っていた。
だから変化の術で成りすまして、国永様には出陣時刻で嘘を教えて、入れ替わって。
ここまでの重傷を負ったことはなかったから、折れることがこんなにも寒くて寂しいんだとは知らなかった。
でも、嬉しくて胸を押さえながら笑う。
ずっとずっと大切にしてくれた国永様を、たいせつに出来たから。
俺はここまでだから、あとは、任せても良いよな、宗近様。

「くに、つ、鶴丸さん! 手を……――」

臆病で引っ込み思案な五虎退が、帰還術で消えゆく中で名前を呼んでくれる。
涙を両目にいっぱい浮かべているんだろう、涙声で。
でもごめんな、間に合わないから、あとは託すよ。
目の前の黒い影が何かを振りかぶって、きらりと光るそれが三日月に見えた。



その日は、一生懸命考えごとをしながら宗近様の部屋にお酒を運んだ。
俺が来てから気付けばずっと、宗近様の晩酌に付き合うようになっていた。
お盆に全てを用意した国永様が、これを運んでくれって頼むから。

「おお、鶴や。今宵も良い月夜だなぁ」
「うん」
「この時期は寒かろう」
「うん」
「明日には雪が降るやもなぁ」
「うん」

話しかけられるのに返事をしながら、お盆を見つめてずっと同じことを考える。
と、目の前に急に現れた宗近様が盆を取り上げて縁側に置き、座るよう言った。
いつの間に居たんだろうって不思議に思ったけれど、言われた通りに座ったら宗近様も隣に座った。

「鶴や、何を考えておる? 爺に話してみんか」
「……国永様が」
「国永? あやつがどうかしたか?」
「俺は月のためにあるって。だから、俺は自分を大切にしろ。って……難しくて」

国永様が何を言いたかったのか分からない。
生まれたときから、俺が俺になったときから、伝わってくる思い。
それを知ってはいたけど、改めて言われるとよく分からない。
困った顔で宗近様を見上げたら、宗近様は、

「……そうか」

って、吐息みたいな声で吐き出すように口にした。
顔は笑っていたけど、泣いてるみたいに寂しそうで。

「宗近様は、国永様の言ってること、分かる?」
「ああ」
「どうしてあんな、突き放すようなこと……」

らしくない、とは言えなかった。
ずっとずっと、顔を合わせた時から感じていたから。
何かを諦めようと、考えないようにしようと、自分を無くそうとしていることを。
鶴丸は国永様が好きだ、兄様みたいだと思っている。
国永様が笑うのも、仕方ないと言いながら頭を撫でてくれるのも、知らないことを教えてくれるのも、戦う姿も好きだ。
鶴丸は宗近様が好きだ、とと様のように思っている。
けれど、それ以上に国永様が宗近様を好きだから、そうなのだと知っている。

「あやつには、抱えるものが多く……重いのだ」
「おもい?」
「鶴は、国永の見目をどう思う」
「?? 同じだなーって思う」
「それ以外は?」
「えっと、花の色! 成長したときや、俺達が生まれた時にふわっと現れる花弁みたいで綺麗だ!」
「ああ、俺も桜のようだと思う。瞳はどうだ?」
「赤くてかっこいい! けど、きらきら光ったり、お星様みたいだって思う」
「ほう、星か! それはそれは、さぞ美しいだろうなぁ」
「宗近様にはどう見える??」
「俺、か? そうさなぁ……俺にはあの髪も、瞳も、恋の色に見える」
「こい」

言葉は知ってるけど、それそのものは知らない言葉に、鶴丸は瞬きを繰り返す。
恋とは、特定の相手を愛おしく思う、あれだろう。
なら、誰が、誰に?
国永様が、宗近様に?
宗近様が、国永様に?
分からない、けれど、

「俺、二人が一緒に居るところが見たい」
「居るとも。同じ部隊に居る故な。何より国永は近侍の補佐だ」
「んー、そうだけど、そうじゃなくて……俺と泛塵みたいに、お仕事なしに!」

くすくすと笑いながら、笑っているのに、宗近様はずっと寂しそう。
鶴丸は国永様の思いを知っている。
国永様がどれだけ目の前の人を慕っているか、けれどそれを押し殺していることも知っている。
どうしてそうなのかは知らないけれど、国永様がそう望むなら良いと思ってた。
一緒には居なくて、話しもしなくて、でも時々宗近様を見ていることを知っていた。
悲しそうに、泣きそうに、寂しそうに。
それを、宗近様も知っている。
知っていて、声を掛けず、側に行かず。
国永様が見てないときに、同じように国永様を見ていることを知った。
相手に気付かれないよう、見ているだけ。
泛塵に聞いて見たけど、泛塵も国永様と似た色合いの瞳を伏せて困っていた。

『切ないな』
『せつない?』
『僕は、切ないと思った。多分、鶴丸もそう思っている』

泛塵の方が態度は頑ななのに、泛塵の方が鶴丸より心の機微や言葉が堪能だ。
鶴丸は、知っているだけ、覚えているだけ。
鶴丸国永としての来歴や記録を、国永の記憶を、知っている。
だから国永様がどれだけ自分のことを悩んでいるのか、どうしてそこまで悩むのかを知っている。
けれど、感情はよく分からない。
簡単なもの、楽しいや、悲しい、嬉しい、怒りは分かる。
それ以上のものは分からないから、こうして泛塵に話すことで分かるようになればいいと思った。

「宗近様が国永様と一緒に居ないのは、俺が原因?」
「何を言う。これは俺達の問題で、鶴は関係ない。ただ……少し、すれ違ってしまっただけよ」
「すれ違う……」

お互いがお互いを、見てるのに見てない。
それは凄く分かりやすい言葉だった。
すれ違って居るだけなら、ちゃんと見合えば良いのに。

「国永様、執務室で……主と任務の話ししてた」
「うん? 鶴や、また屋根裏で遊んでいたのか?」
「ん、イタズラしようと思って。けど……げんだいで、遡行軍の残党を見掛けたから、追跡任務って」
「鶴……主が執務室で話すものは、他言無用だ。聞いてはならぬし、口外してもならぬ」
「でも、だって!」
「鶴や、お前は敏い子だ。俺の言うことが分かるな?」
「…………国永様、折れるって言ったんだ」
「なに?」



光の差す部屋で、上から見下ろしているために国永と緋翠の頭頂部を視界に入れながら、鶴丸は息を殺していた。
最初はイタズラで、天井から飛び出して驚かすつもりだった。
けれど、二人が小さな声で話しをしていたと思ったら、空気や肌がピリピリとし始め。
それが目下の二人から放たれる殺気であることは明白。
どうしてそんな雰囲気になっているのだろう。

「次の任務、俺が囮になろう。夏の方からも人員を割いて二部対合同にするんだろう?」
「……ああ、残党が見付かったのが殺生石のある辺りだからな。恐らく怜鴉が絡んでるだろう」
「ついでに、怪しい動きを見せるとしたら例の瘴気に呑まれた町から回収された小烏丸と獅子王の可能性が高い、と。竜胆って審神者は信用出来るのか?」
「獅子身中の虫、か。ああ、あれは占術においては俺より上だ。アレがその二振りと殺生石への異変を予言したなら、何かある」
「殺生石には、主の力を使ってるんだったか」
「俺のアヤカシとしての力、師匠のヒトの力、そして九尾玉藻の前の身体。三位一体で結界が成されてる」
「玉藻を復活させて引き入れるつもりか……何にせよ、現場で二振りは処分した方が良いだろうな。俺がやる」
「何故、許すと思う?」
「俺が適任だからだ。鶴丸国永には予備があり、育成もほぼ順調。仮に"何か"あっても、俺なら対処出来る」
「ふー……意思は変わらんか。せめて、宗近には報告しろ」
「ああ、承知した」

明確に言葉にしていないにしても、優しく主を見つめて頭を下げる国永を見ていれば、何かの覚悟は見て取れた。
それと、部屋から国永が去った後に、深く息を吐く主の、

「馬鹿野郎」

という小さな勢いのない罵声に、鶴丸は息を殺して屋根裏から出た。
そして、鶴丸は国永様がいつか折れるつもりであることを知っていた。
だからこの会話を聞いて、次の任務でそのつもりなのだと思った。



「主は止めなかった。宗近様は、聞いてないんだろう?」

頬を膨らませて、子供らしい不機嫌さをあらわにする鶴丸に、宗近は言葉を失った。
多分、国永様は宗近様には知らせずに行くと思ったから、鶴丸は今、告げたのだ。
そうでもなければ、駄目と言われたことには素直に従う。
従えないのは、宗近様に関わることだったから。
『月のために』、宗近様のために、従わなかった。
本丸の掟、ルール、そんなもの、鶴丸には何の意味も無い。
鶴丸は月のためにあるべきだと言われたから、それこそが全てだ。

「くになが、が……折れる? そんな……何故……」
「んーと……ずっと前から、決めてたことなんだ。国永様は、刀解が望めないなら、いつか折れようって。俺はそれを知ってて……」
「国永が折れて、そして鶴丸と番えというのか、あれは……」

顔を伏せて床を睨み付ける宗近の顔は、鶴丸からは窺い知れない。
けれど、その声が震えていたことと、握り締める手が白くなるほどの強さは。
怒り、なんだろうか。
国永様が宗近様に告白をされたことがあるのも、鶴丸は知っている。
けれどその後に自分は生まれてしまったから、その後の二人は知らない。
国永様の行動しか、考えしか、知らない。

「宗近様は、どうするの?」
「どう、とは……」
「止める?それとも、何もしない?」
「……止めたい、止めて、側に置いて、抱き締めたい。だが……あれが望むならば……」
「うん、分かった」

苦悩で混乱する表情を見せる宗近様に向かい、鶴丸は笑って見せた。
月のために存在する、そんな鶴丸に出来ることは、宗近様のために動くこと。
国永様の意地も、主の意思も、鶴丸にとっては全て意味も無いに等しい。
宗近様のために居ると言うのなら、鶴丸は宗近様に笑って欲しい。
だから、鶴丸は――



現代任務
時代 2000年 地域 栃木は那須湯本付近

混合第一部隊:春
隊長 五虎退 重傷 帰還
副隊長 鶴丸国永 破壊
隊員 小烏丸 失踪
混合第一部隊:夏
隊長 一期一振り 重傷 帰還
副隊長 薬研藤四郎 破壊
隊員 獅子王 失踪

戦線中、刀剣男士の裏切りにより二振り破壊。
隊長格の報告により、小烏丸と獅子王は遡行軍として指名手配。
また、先の瘴気事件で保護し、審神者の手に委ねた刀の一斉検査実施を確定。
尚、この時代に割られる予定の無かった殺生石の割れにより結界が無効化。
玉藻の前は現在、妖怪大主の元にて保護されている。
なお、結界に使用していた力をこめし呪物は確認されず。
敵方が奪取したと思われる。
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