「おきろ、マスター・オルティシア。」
光が差し込まない暗がりの部屋に死んだように眠る少女は気だるそうに視線を声の方に投げやった。
「おはよう白玉くん、今日はいい天気だね、おやすみなさい。」
「寝るな、それに外は曇りだ。」
もぞもぞと布団に潜り込んだ少女―オルティシア・ジキルはそのまま眠りに就いた。
最早起こすのを諦めた白玉が日課の鉢植えに水をやることにした。
研究室の奥、円柱形の培養機に浸けられているのはまだ幼い少女の死体だ。
オルティシアはこの死体に再び命を吹き込む研究をしていた。
もちろん、魔術による一時的なものでなく、魂を肉体に定着させるものだ。
培養液に浮かぶ少女は、ぐったりと頭を垂れていた。
死体とはいえ、人間をあれこれ弄くるのは快く思わないものが多く、オルティシアには敵が多い。
しかしながら、死霊使いとあだなすオルティシアの近寄りがたい不気味さを、人々は恐れた。
そんなオルティシアの世話を任されているはずが、今や綺麗な花を咲かせようとしている鉢植えの手入れをするのが白玉の日課だった。
オルティシアが漸く起きてきたのは最早昼を過ぎていた。
「綺麗に育ったね。」
背後からの声に、振り返らずにもくもくと花の世話を続ける白玉。
背後の声はそんな白玉の腕を掴んで駆け出した。
「何をする、マスター・オルティシア。」
「ぼくはね、もっとやりたいことがあるんだ。
それにあれはもう完成するから、そうしたらぼくはやりたいことをやる。」
「何をするんだ?」
「それを、今から直談判しにいくんだよ。」
オルティシアはいたずらっ子の様に笑うと、白玉の手を引いて騎兵隊の隊舎に向かった。
「ぼくは王立生体研究所所長オルティシア・ジキルだ。
騎兵隊隊長レイリ・クライン殿に拝謁願いたい。」
受付に立っていたのはオルティシアと歳も変わらなさそうな金髪の女性がにっこりと笑って約束はありますか?と尋ねてきた。
物腰は柔らかいが、警戒はしてるようだ。
「思い立ったらすぐ行動するのがぼくの心情でね。」
「判りました、では予定を確認してきますから、どうぞごゆっくりなさってください、ジキル博士。」
そう言うと少女は奥の扉に姿を消した。
「騎兵隊で何をするんだ?」
「まぁ、すぐわかるさ。」
オルティシアはまた、いたずらっ子の様に笑った。
白玉はそれだけ聞くと興味なさげに視線をそらした。
「お待たせしました。
隊長がお会いになるそうですから、こちらへどうぞ。」
先程の女性が奥に案内してくれるようなので黙ってついていく。
奥の階段を昇ると直ぐに執務室と書かれた部屋に突き当たった。
「隊長、失礼します。
ジキル博士をお連れしました。」
女性は部屋のドアを開けると、部屋の手前にセットされたソファーをオルティシアに勧めてきた。
「お初に御目にかかります。
僕が騎兵隊隊長レイリ・クラインです。」
奥から金髪の青年がにっこりと笑いながらオルティシアの向かいのソファーに座った。
彼の背後には紫銀の髪の青年が愛想笑いを浮かべている。
どうやら彼はオルティシアを歓迎する気は毛頭ないようだが、取り合えず隊長の手前外聞だけは取り繕っているのだろうと、あたりをつけた。
彼の隣にはもう一人銀髪の青年が黙ってこちらを見ていた。
表情からは特になにも読み取れないが、思った以上に面白い展開になったと、オルティシアは内心ほくそ笑んだ。
「さて、ご用件をお伺いします。」
「まどろっこしいのは嫌いなので単刀直入に言うと、ぼくは魔憑きに興味があり魔憑きの研究をしたいと長年考えていました。
ですが生憎良い素体に巡り会えなくて…」
魔憑き、と言った瞬間にレイリの表情から笑みが消えた。
「王立研究所からの依頼された仕事が片がつきそうなので、後は助手に任せてぼくは騎兵隊で魔憑きの研究をさせていただきたい。
今日はそのお願いに来ました。」
オルティシアは全く物怖じせずに、常人なら萎縮してしまう中、自分の希望を述べた。
「騎兵隊にとっても悪い話では無いと思いますが。
ぼくの実績は王立研究所が保証してくれます、頭の方は信頼していただいて構わないですよ。」
「貴女の噂は色々耳にしています。
良いものも、悪いものも。」
「そのどちらもぼくに違いないですよ。
人間が進化を遂げる過程では犠牲はつきものですから。」
「…否定はしないんだな。」
今まで口をつぐんでいた副隊長がオルティシアを睨みながら言葉を発した。
その視線は今まで感じたことがないほど冷たく鋭くて、心臓に氷の刃をじかに突き立てられている様だ。
「否定して、取り繕ってもあなた方ならすぐ調べがつくでしょう?
それにぼくはぼくのやり方が間違っているとは思っていない。
研究さえさせてくれるならぼくは騎兵隊に忠実に従うし、心配なら監視でも何でもつけてくれて構わない。」
「随分と強気ですね、僕がそれを了承すると?」
レイリが珍しく強い口調でオルティシアを真っ直ぐ見詰めて言葉を零すと、オルティシアは逆に驚いてみせた。
「ぼくは魔憑きと言うものが何なのか知りたい。
今ぼくたちは魔憑きに関して無知すぎる。
魔憑きを正しく理解して、彼らがどういう原理で魔憑きになり、能力を得るのか…
それが判れば或いは魔憑きとして生まれた者を人に戻すことも、その逆も思いのままだと思わないですか?」
魔憑きとして産まれただけで普通に生活をすることも叶わなかった人間を、レイリ達は沢山見てきた。
彼らは一様にして、普通であることだけを望んだ。
騎兵隊にもまた、それを望む者が居ることも。
「……判った、君の入隊を許可します。」
「おい、レイリ」
「シュノは黙って。これはもう決定事項だ。反論は許さないよ。」
なにか言いたそうなシュノを遮り、レイリはゼクスに振り返った。
「ゼクス、彼女は君の部下として魔憑きの研究に当たってもらうことにするよ。」
「承知しました。」
ゼクスはただ感情が隠らない瞳でオルティシアを見ていた。
「…一応目附役としてエヴァンジル、監視は……彼女にお願いするよ。」
オルティシアに届かない小さな声で、レイリがゼクスに耳打ちすると、ゼクスは小さくうなずいた。
「ジキル博士。」
「ティアでいいですよ。親しい人はみんなそうよんでいましたから。
あと、ぼくはもうあなたがたの部下ですから、かしこまらないで下さい。」
「ではティア。
君には王立学校に入学してもらおうと思う。
勿論在学中も研究を進めて貰って構わない。
それが僕が掲示する最低条件です。」
騎兵隊は仲間の絆が強い組織。
チームワークが重要な鍵となるわけで…
それが明らかに欠落しているオルティシアにチームワークを学ばせるのが研究に必要な条件だとレイリは言う。
オルティシアは一瞬してやられた顔をして、ため息をついた。
「判りました。
ただ一つ、お願いがあるんですが。」
オルティシアは立ち上がると、背後で立ち尽くしていた白玉の手を引いた。
「これはぼくの世話役の白玉蘭といいます。
これもぼくと一緒に行動させて貰いたい。」
白玉蘭はぺこりと形式的に頭を下げたが、その表情は人形そのもので、部屋に入ったときから全く表情を変えなかった。
「それは構わないけれど…」
「ただ、この子は師が残したホムンクルスで生体が安定しません。
なので、他の人にこの事が知れれば色々と面倒なので便宜を図っていただきたい。」
「判った、それは手配しておきます。」
レイリはティアと白玉蘭が同室になれるよう手配すると約束した。
「マスター・オルティシア。」
「何かね、白玉くん?」
オルティシアは上機嫌で白玉に振り返った。
「ガッコウ何て今更行く必要性を感じない。
誰にも従わないあんたが何故あっさり条件を飲む?」
「ぼくだって行きたくて行く訳じゃない。
ただ、あのレイリ・クラインという男は侮れない。」
人畜無害そうな笑顔を浮かべておきながら、オルティシアが魔憑きの話をし出すと一変冷酷な一面を垣間見せた。
「それに折角最高の被検体が居るんだ、そのくらいの条件なら呑むさ。」
オルティシアは子供のように笑って、白玉の頭に手を伸ばした。
「ぼくはね、お前と玉蘭さえ居てくれたらどんな場所でも構わないと思っているよ。
お前達は、信じないかもしれないけどね。」
オルティシアは白玉の頭を撫でて、そのまま何事もなかったかのように歩きだした。
いつもの気まぐれなのか、隠された本心なのか判らずに白玉は黙って後を追った。
夕暮れに染まった王都の道をゆっくりと二つの影が寄り添っているように見えた。
「今回ばかりは俺はお前の意見に反対だ。」
「まぁ、落ち着いてください。
隊長にも何か考えがあるんでしょう?」
不機嫌なシュノを制するように言葉を重ねたゼクスは椅子に体を預けたまま難しい顔をしているレイリに視線を投げ掛けた。
その視線に気がついたレイリはため息をついて目線だけを二人に向けた。
「あの手のタイプは放っておいても自分で何とかしてしまうだろ?
だったら目の届く範囲で監視しながらでも協力を得た方がいい。
彼女の頭に関しては、申し分無いからね。」
疲れきったように脱力したレイリの前に、レシュオムが温かい紅茶を差し出した。
「ありがとう、レシュオム。」
「お疲れ様です。今日はもう休まれてはいかがですか?」
レイリは紅茶を飲みながら、そうだね…と溢しながら目線だけでシュノを見た。
「では、私はティアとの件を二人に伝えてきます。」
ゼクスはそのまま部屋から出ていき、レシュオムも後に続いた。
「シュノ、こっち。」
自分の方に手招きするレイリに、不機嫌そうなオーラを崩さずに黙って近寄る。
「僕はエヴァやノーツ嬢には普通の女の子として生きて欲しいんだよ。
能力に怯えて他人から距離を置くんじゃなく、普通に笑ったり怒ったり恋をしたり…」
「俺は普通に笑ったり怒ったり恋をしてる。」
ぎゅっとレイリを抱き締めて、温もりを感じる。
「勿論それが出来れば一番いい。
ただ、魔憑きな事を気にしない相手と巡り会うのも、周囲の魔憑きの間違った認識も、変えられるならそれに越したことはない。
彼女の立場はそれを証明するのに有利だ。」
レイリは困ったように笑いながらシュノの背中に手を回した。
「でもね、僕は彼女はきっとここを気に入るよ。
何にも変えがたい場所になるはずだよ、だから…大丈夫。僕を信じて。」
こつんと額をあわせて、レイリがにこっと笑いかければ、先程までの不機嫌な態度は一変、優しい表情を浮かべてキスを落とした。
「判ったよ。」
「ありがとう。」
「部屋、戻るぞ。」
ぎゅっと手を繋いで立ち上がると、そのまま執務室を後にした…。