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言祝ぎ、錯綜。

水無月の頃になった。
行方不明となった緋翠の手掛かりもないまま、季節は春から夏へと差し掛かろうとしている。
長かった梅雨も明け、水の主とも言える緋翠の恩恵から火の勢いを受けた怜鴉を首座においた本丸は、初夏にはまだ早い季節だと言うのに熱い。
それは精神の在り方が本丸の時季に影響を与える故か。
暑さにバテ気味の朱璃を見ながら、怜鴉は忙しい日々を過ごしていた。

「全く……厄介な事してくれたよね。無作為発動型の時差式罠だなんて」
「そうは言いますけど、自身が常に万全とは限りませんからこの位の策は当たり前ですよ。けれど、さすがに多すぎましたかね……情報だけを流して運用可能にしておいたのもまずかった」

今居るのは審神者執務室であり、文机を挟んで怜鴉と大裳であるルーシェスが向かえあっている。
二人が並んで見る巻物は覚えうる限りの遡行軍の情報だ。
郷に入っては郷に従えとばかりにルーシェスは情報の和文化を図った。
その成果の一つが目の前の巻物であり、机と言わず床の上にも散乱している幾つものそれだ。
内容は勿論のこと、暗号化されている中身を見て理解出来る者は少ない。
必然、手は足りなくなってくる。

「本当に、なんでこんな事したわけ」
「徹底的な戦力の壊滅を貴方が望んだからでしょう。私は命令された事を推敲し、遂行しただけ。とは言っても……我ながら手際の良さに感服します」
「はいはい、あちら側の愚か者にも分かりやすいようにするっていう無駄な有能さね。自分がこっち側に来るとは思わなかったわけ?」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ、主上」

いつもの如く悪態を吐きながら、片手間に暗号を照らし合わせて情報を精査していった。
こんのすけに指示を出す傍ら、脇に置いた端末を操作して政府の管理官へと情報を横流しする。
遡行軍から怜鴉が抜けてここ数ヶ月、戦闘は過激化の一途を辿っていた。
良くも悪くもあちらの主軸の一人として戦陣を担っていた節がある怜鴉。
彼に遠慮して、または警戒して穏健派に回っていた派閥が動き出したのだ。
敵の動きを助長したのはルーシェスが流布していた戦略や薬、罠も起因する。
つまりは二人共が後先考えずに復讐を誓って動き回った結果、有能さに拍車を掛けて今首を絞めてきているという事。
怜鴉の正式な辞令や就任式を後回しにしてまで本丸維持の為に奔走する羽目になった。
遠征に次ぐ遠征に出陣に次ぐ出陣、常に人が動き回る本丸にあって、息つく暇なく式神達も総動員となる。
唯一手の空いている者は朱璃だけとなり、その朱璃ですら怜鴉を癒すために構われ続けて疲れを見せていた。
その折、ようやく好い日取りを決めて就任へとこぎ着けたのがこの水無月は朔日のこと。

「ここいらで一区切り付けませんと、客人を迎えるのでしょう?」
「……ああ、母さんの縁者ね。向こうも先陣切ってるだろうに、わざわざご苦労な事だよ。山吹とか言ったっけ。天后は会った事ある?」
「はい。頼もしいお人柄で、気の良い方ですよ」

読み終わった巻物を片端からまとめて積み上げていきながら、白金の髪に翠色の瞳が緩やかに笑う。
天后は茘枝、と名付けられた彼女は緋翠の頃から仕える式神であり、怜鴉が幼き頃に世話を受けた者だ。
片付けを終えた後は傍らに用意しておいた冷茶を出し、目元を赤らめて息を吐く朱璃に風を送る。
昨晩は声が嗄れてもなお啼かされたようで、紗の天蓋にありながらぐったりと身体を預けてきっていた。
人の領分を越えるほど見目麗しいだけではなく、気だるげな色気も相まって存在の儚さが拍車をかけ一種の芸術品めいている。

「朱璃、疲れた?」
「……ん、くぁ……」

あくびをする様は幼く、うとうとと眠そうに目を擦った。
その手を止め、怜鴉は舌で朱璃の睫に浮く涙を舐め取る。
されるがままにしながら曖昧な反応しかしないが、それでも怜鴉を相手にするからこその話し。
怜鴉が関わる事でのみ人間性を垣間見せるのは相変わらずだが、格段に良くなっていると言える。
そんな朱璃を望んでいた人物が欠けている事実が悲しい。

「朱璃様は元気な子です、少し休んだらお着替えをして主上とお客様を迎えましょうね?」
「良いよ朱璃は、見せたくない。茘枝も一緒に休んでなよ」
「いけません! 主上が正式に本丸の主であるという証の場に番の者が居ないのは反目が御座います。まして式の一人に過ぎない私が居ないとなれば、主上が侮られます」
「別に、侮ったところで返り討ちにしてやれば良い」
「主上……朱璃様を大切に思うなら、無用な争いの種は蒔きませぬ様、お願い申し上げます。慣用には意味が、それを守る事に意義が御座います。賢明なご裁可を」
「……分かったよ。あの人ならこんなつまらない事、気にしないと思うけどね」
「あら、御台様はああ見えて律に厳しく礼儀正しき姫でしたよ?何より祭り好きでしたから」
「つまり、何事も楽しめって事ね。仕方ない、けど朱璃は御簾を下ろした中で良いでしょう?」
「ええ、構いません。参加している、という事が重要なのですから」

主に天上人としての在り方を説きながら、天后は良く出来ましたと子を褒める親のように微笑む。
ある意味でもう一人の母と呼べる相手の気さくさに満足な笑みを零し、怜鴉は朱璃の頬を撫でた。
うっとりと目を細めて自らも手に頬を擦り寄せる朱璃。
そんな二人を見ながら天后と大裳は頭を垂らし、御前を離れるのだった。



花魁風の華美な繕いをした着物に身を包み、その人物はやってきた。
長い髪は複雑な編み込み方をして頭の上方を包み込むハーフアップにされ、残る部分は何もせずに背に流れていく。
だが、どうみてもアフロか鳥の巣を乗せているようにしか見えないそれに、怜鴉は開いた本殿の扉を一度閉めた。

「ちょっと、客を締め出すなんて良い度胸してるじゃない!?さすがあの女の息子ね!!?」
「うわー、うわー、山吹様やばいですって!だからその壊滅的なセンス控えましょうって言ったのに!何であたしまで駆り出してんですかこのクソ巨人!!」
「あらやだ、竜胆ちゃんが新しい椿審神者を見たいって言ったんじゃない」
「あれは言葉の綾、情報屋の性ですよ!一瞬見ただけですけどやばい圧力でしたよ!?これだから完成された存在って嫌、見た目からして圧力半端ねぇ」
「あんたの美形嫌いは根が深いわよねぇ……何と言ってもあたしに通用しない辺り、業が深いわ」

本丸の主を放って繰り広げられる会話に頭を痛め、業が深いのはお互い様だろうと苦虫を噛み潰す。
朱璃を置いて先に来て良かったと思い、いや良くないと思い直した。
一体誰と誰が知り合いか問いただしたくなるような、存在自体が暴力的と言わざるを得ない者を見た。

「全く認めたくないけど……あれを縁者に認めるって、どれだけ懐が広いの……」

どういう基準で選んだのかが気になる所だが、問い正したい本人は不在である。
連れ戻したらこの分の借りもきっちり返そうと決め、一呼吸置いて改めて観音扉に手を掛けた。
先程と同じ視界の暴力を目線に捉え、その巨体の影に隠れるようにある存在に気付く。
黒色の髪をハーフアップに、頭の横で二つに縛り上げていた。
金褐色の瞳は猫の様に釣り上がっていて、気の強さを表した眉の上で前髪が揃えられている。
人柄を表す上で、それはよく似合っていると言えた。

「で、どっちが山吹?」
「今、あたしの事はしょった?何よこの親子、どっちも厚顔不遜!面の皮が分厚いにも程があるわよ!」
「うるさい。こっちにはこっちの事情があるって分からないわけ?相手をするのも面倒な程忙しいんだよこっちは」
「はいはい、親好を深めるのはそのくらいになさい!それと、今日は言祝ぎに来てるんだからあんたはあたし達の相手をするのよ。こういうのを疎かにすると、世話役が文句付けられるのよ」
「……何だ、見た目の割には常識人なんだ」
「さっきからあんた達、あたしに文句あるっての?ヤルなら受けて立つわよ」

あぁん?と化粧で整えられた顔面を歪めながら巨体が吠える。
前情報といい今の反応と良い、恐らくはこちらが山吹で間違いないだろう。
確認するべき事はもう無いと、怜鴉は顎をしゃくって中へ入るように促した。
意外にも二人共、礼儀正しく一礼をして敷居をまたぐ。
中へ入ると本殿の廊下の左右に天后を筆頭に控えの者達が頭を垂れて待っていた。

「本日は遠方よりわざわざのお越し、有り難く存じます。ここより先は主人に代わりまして、私たちが」
「へえ……流石は椿の審神者、良い式神持ってるわね。品も良いし、これは意外だわ」
「天后、これは火葬場に運んでおいて」
「主上は冗談がお好きなのです。お褒めに頂き、有り難く存じます。竜胆の審神者、しかし私共は主上のお人柄あってのもの。努々お忘れ無きようお願い致します」
「ふふ、さっすが天后ちゃんね。椿の、この子を大事にしたいならそれなりの場では礼節を弁えるのよ?」
「言われなくても」

肩を竦めて山吹の小言を受け止める。
そのまま天后に案内は任せ、怜鴉は正装に着替えて朱璃と共に控えの間へ行く。
連れた後は上座の定位置へと座らせ、御簾を下ろした。
怜鴉はあえて客座の正面に座し、段差が無い事で身分に違いがない事を表す。
それぞれの紹介は天后が中継ぎをし、準備を整えた。

「備前国は山吹の審神者より。椿の審神者就任、お祝い申し上げるわ」
「越中国は竜胆の審神者より。椿の審神者就任、おめでとう御座います」
「先達よりの言祝ぎ、謹んでお受け致します。これよりは椿の審神者として、先代と代わらぬご厚意を承れるよう精進する所存」
「つきましては、本来でしたら酒席を用意する所。ですが……椿の本丸は先代審神者、御台について主上よりお願いが御座います」
「あらやだ、本題に入るの早すぎじゃ無い?」
「って言いますけど、あたしを連れ出したのはそれが目的でしょう?さっさと用件終わらせて帰りたいんですけど」
「無粋な子ねえ……普段は礼節だの儀礼だの形を重んじる割には及び腰なんだから」
「あたしは!貴方と違って頭を使う役職なんです!前線で槍振ってりゃ良い脳みそ筋肉とは違うんですよ」
「は?誰が筋肉ですって?」
「ちょっと、そういう茶番はいらないから。あんたらの持ってる情報あるだけよこして。か……緋翠が居なくなった理由とか、そういうの」

苛々と苦虫を噛みつぶした顔で怜鴉は言う。
元より仲良く、など意識はしていない。
そんな馴れ合いは、無遠慮に踏み込んできたあの人と最愛を除いては求めて居ないからだ。
気にした風もなく山吹は肩を竦め、竜胆は背を伸ばす。
前者は慣れから、後者は怜鴉の威圧が自然とそうさせるからだ。
臣下ではないのに自然と部を弁えてしまう。
それは生まれながらの長者の特権であり、業であり、性だ。
表向きは渋々と、大人しく竜胆は口を開く。

「今のところ政府は遡行軍の対応に追われていて、御台の不明について混乱は起こってないわ。管理者が有能だから、情報規制も上手く機能してる」
「最古参のお歴々も同じく、ね。一部愉しそうにはしゃいでるけど……元々横の繋がりなんて無いに等しいのよ。あたしは例外ね」
「使えない……その位の情報なら僕だって握ってる。他には?」
「……なら、まだどこにも出回ってないとっておき。神無月の朔日、時の政府は審神者の上位に神を戴くつもりよ」
「は?何よそれ、聞いてないわ」

竜胆の言葉に山吹が初めて焦りの色を見せた。
怜鴉も掴んでいなかった情報なだけに、信憑性が窺われる。

「報せは直に。問題は、審神者の上位として戴くって事。これまで治外法権も良いとこだった本丸に、政府とは別に監査が入るようなものだから」
「それは……可能な訳?」
「審神者が納得するかどうかって意味なら、聞かないで。出雲からわざわざのお越しってなったら、迎えざるを得ないわね」
「今の本丸は三千世界に広がってるから、政府だけでは手が足りないのが現状。審神者と付喪神の癒着から神隠し、独断で刀剣男子の差別化、問題は山とあるわ」
「今は水無月だから……神無月までは4ヶ月。情報を集めるには短すぎるわね」
「情報の精査や関連付けについては厭わない。とにかく耳と手が足りないんだ。御台に関してはあんたらも借りがあるはず、協力してくれるよね」

疑問ではなく断定で、怜鴉は言った。
二人からの否やは無い。
それぞれが得意の分野で動きを開始する事に決め、三人は頷きあった。

「あたし、あの人の粗野で粗暴で暴力的で独断的で傲慢な所は嫌いだけど、調停力に関しては評価してるの。今居なくなられたら、お山のアヤカシが荒れるわ」
「アヤカシ……妖怪って本当に居るわけ?」
「あやかしい者、って意味ならYES。純粋な者は少ないけど、それなりの血筋は結構残ってるものよ。衆目力と純粋に力を持つという責任感があの人にはあった。力があるという事はね、それだけ影響力があるという事だわ」
「つまり緋翠は、相変わらずのお人好しでその辺りを上手く収めちゃった訳だ」
「そういう事」
「望もうと望まざるとに関わらず、あの人はそれなりの仕事はしていた」

人を愛する、そういう人柄だから。
光を見守るという事は影も見守るという事。
それを意識的にか無意識的にかは定かでは無いが、出来ていたという事実が肝要だ。
人の道筋を守る為、敵と見なした者には容赦はしないが淘汰もしない。
勧善懲悪でありながら、悪をもまた愛していた。
そういう人だから、怜鴉をありのまま受け入れ、身内にすえて愛する事を決めた。
愚かしく、純粋な、どこまでも人らしい半端者。

「なら、あたしは神仙の世界について情報収集をするわね。あっちにもそれなりに法とか律とかあるから。ついでに、分かる範囲で貴方にレクチャーしてあげる」
「……良いけど、あんたの趣味についてはいらないから」
「ちょっと、あたしのセンスのどこが悪いってのよ!」
「……悪いって訳じゃないけど、奇抜なんですよ……」

疲れた様子の竜胆の言葉を受け、この場は互いに情報交換を中心とする事にして祝いの場は酒席へと代わっていった。
これ以降、山吹は出撃の合間をぬって月に一度とそれなりの頻度で椿本丸を訪れるようになる。
更に合間に出雲へ出向いては神の意向とやらの探りを入れるため、かなり破格の対応と言えた。
その分負担は大きいだろうが、むしろ本人は生き生きとして来る度に何かしらの土産物を持参する。
竜胆はあれから本人が訪れる事は一度もなく、通信だけは頻繁に交わすようになった。
大概は大裳、ルーシェスが対応を引き継いでいるのだが、本人が自負するだけあり情報の収集力に関して一目を置いて居る。
しかし多岐に渡る内容の割には的外れな事も多い、とルーシェスは嘆いていた。
怜鴉に限っては知識として完成されている物が乏しいと苦言を注する程。

「蠱毒の影響でしょうけど。術を識っているからと言って、成り立ちや使い時を知っていないと正しい方法を理解してるとは言えません」

こういう理由からルーシェスは怜鴉に術を使わせる事を厭う。
図書館に寄贈された本の内容を、司書が全て知っているとは限らないのと同じ。
検索して方法が分かるだけでは正しい知識とは言えないと稀代の錬金術師は語る。
知識オタク、と内心毒づきながらも怜鴉は多忙な身故、今のところは方針に従っていた。
それぞれが奔走する中、ようやくの糸口を掴んだのは長月の事。
神を戴くという神無月まで、あと半月もない頃だった。

収束する事態。

「ふふ……ぐふふふ……」
男は大層機嫌が良かった。
自身の根城に定めた城、術を定めし拠点に居て、子供のようにはしゃいでいた。
ここまで機嫌が良いのは珍しく、男を知る人間は誰もが同一人物かと怪しむほどに驚くだろう。
それだけ、我を見失うほど、様変わりするほどの出来事があったのだ。
男の悲願はまもなく達成される。
それも望みうる最上の形で。

「ああ、もうすぐ……もうすぐですよ、私の運命。輝ける人……我が娘にして我が妻よ」

何者にも介入されぬ空間で、男は氷柱を見て不気味に嗤う。
世界を呪いながら世界を愛し、世界に拒絶されながら。
氷柱の中には物言わぬ屍のように、眠れる女がただ居るのみ。



本丸の前主が姿を消してから幾日、新しく主となった青年は絶不調の機嫌を隠す事なく眼前の人物に向ける。
最愛を隣に侍らせ、近侍に据え置いている三日月宗近と鶴丸国永を傍に置いていた。
その四者に向けられる視線を一人は超然と、もう一人は気まずげに受け止める。
源氏の重宝、髭切と膝丸だ。
二人からも前主、水祈緋翠という源氏に携わる泉水の巫女に関する話しを聞き終わり。
式神達からは陰陽師、緋翠の話しを。
近侍の太刀二人からは椿本丸の審神者としての話しを聞いた。
つまり、居なくなった人物の歴史を総て紐解いていたのだ。
そこに、失踪の鍵があると信じて。

「今代の主におかれてはどれだけの不信と存ずるが……兄者が先代、御台様の失踪に関わって居る訳が無かろう!」
「僕が先代に拘ったのは、源氏縁の者である事とこの子の気配を感じたからだしね」

片割れと共にある為に、その理由はこの場の誰もが理解しうるものだった。
今代の主と言われた怜鴉ですら、生存理由は片割れと共にある為。
否やは無い。
だが、それだけだ。

「御台様におかれては、そちらの太刀の方が詳しく知っているのでは無いか?」
「確かに俺達は御台……緋翠の番となった。あれは神嫁となり、魂の伴侶となった」
「だが、今はその魂の繋がりも解かれて微塵も気配を感じられない……」

宗近は淡々と事実を、国永や悔しげに現状を口にする。
苛つきが最高潮に達した怜鴉は瞬きの合間に空気を妬こうとし、

「……ん……」

隣の最愛が漏らした熱を孕んだ吐息に、冷静さを思い出した。
青銀の彼は未だ人らしい部分を取り戻してはいなかったが、それでも愛おしい事に変わりは無い。
冷静さを取り戻すと同時に自身の根源から発生する熱気を抑え、涼しい風を送り込んだ。
風が当たる反射から紅玉の目を細め、朱璃は怜鴉の甲斐甲斐しい世話を一身に受ける。

「そもそも自分の嫁なら手放すなって話しだよね。情けない」
「……そうは言うが、君も似たようなものだろう?かつては彼を奪われた」
「不可抗力だよ。……とはいえ、事実であるだけに腹立たしいけど」
「我々もまた不可抗力だ。あれは死なずの者だが……死んだとして、魂が輪廻に入ろうと我らの物である事に変わりは無い」
「ああ、その筈だ。それが影も形も、痕跡すら無くというのがどだい不可思議な話しでな」
「……僕は魂の在り方については知識が無いけど、そんな事が可能なの?」
「発言を許して貰えるなら、可能だと口添えしておくよ。その場合、片方はまず無事ではないけどね」
「兄者ッ!!」

しれっと空気を読まずに頷き、膝丸から非難の声が上がった。
先代の、それも信を置き近しいとも言えた間柄に対しての言葉としては、あまりにも非情だ。
肩を竦めて弟の言葉を受けた兄刀は、けれど、と言い置く。

「それだけの不吉が起こった、という事は事実だ。それは変えようがないのだから、次は対処を考えるべき。でしょう?」
「髭切の言うとおりだ。源氏について自身を取り戻した折からアレは魂を消耗していたが……急な消滅の引き金になるような事は無かった」
「唯一気がかりなのは怜鴉坊の事変だが……それでも一時的ないし、その時に変化が無かったのはおかしい。現に、霊力の消耗は快復に向かっていた」
「審神者であれば土地との結びつきが強く、今なお変化が分かったかも知れんが……」

唸る国永に、事実を一つずつ確認していく宗近。
それを改めて聞く度に苛つく気持ちが沸いてくるが、朱璃が怜鴉を見詰めるので冷静でいられる。
何かを感じ取っている訳では無いだろう、けれど大丈夫なのだと考えを持ち直せた。
今緋翠の姿がないのは自身のせい。
それは誰に言われるでも無く、理解している。

「政府は何て?」
「今代の主にはご機嫌麗しく……つまり、先代がどうなろうと僕が今の主なら問題ないだろうって」
「なんだソレは……かつては奴らの為にと尽力していた主だぞ!?」
「人間のそういうクソな加減は、お前も知ってると思ったけどね」

かつての主を思い出すからか、強い悔恨から非難の言葉をあげる膝丸に、怜鴉は笑みを浮かべた。
人間がどれだけ愚かで自分本位な生き物か。
身を持って知っているだろうと、外れ者故に嘲笑する。
そうは言ってもこれ以上は進展も無く、手付かずにしている仕事は山とあった。
先だって必要なのは、緋翠が行っていたもう一人の息子である審神者の他本丸へ仕掛けられた結界の更新と書き換えだ。
同時に母の不在を知らせなければいけないという事実に、頭が重くなる。

「あれについては放置しても碌な事がない……。仕方ないけど、本当に面倒だけど僕が動くしかないか……詳しい調整は宗近、あんたに任せるよ」
「あい、分かった。俺ならば結界の仕切り直しも経験がある、適任だな」
「その間の怜悧坊のお守りは任せてくれ」

言外に極力怜悧に近付くな、との含みを持つ国永に、怜鴉は小さく鼻を鳴らして同意した。
言われなくとも、不快な存在にこちらから率先して近付くつもりはない。
あれが食って掛かってくるのだ。
敵わないと知りながら、無知故に強大な者に対する恐怖や力量の差を理解出来ない。
大事に大切に、鳥籠に囲われて育ったせいだろう。
怜鴉はそれが気にくわない、許容しない。
だからあれの世話は、それをしたい者がすれば良いと黙認する。

「そういえば……緋翠が居なくなって頓挫していたが、他の審神者への返事はどうするんだ?主に審神者就任の言祝ぎを、と言われていたろう」
「うむ、腰の重いあれが珍しく親しくしている縁者だったな。確か、竜胆と山吹、と言ったか」
「……このクソ忙しい時に……。他の審神者なら無視する所だけど、何か知ってるかも知れない」
「では良い日取りをこちらで調整し、報せておこう。結界の件は早めに行った方が好いから、その後だな」

苦汁に顔を顰める怜鴉を見ながら、宗近がさらりと予定を詰めていく。
この辺り、近侍として緋翠に仕えていた手際の良さがうかがえた。
平安然としたのんびりと構える鷹揚さが嘘のような有能さだ。
護衛というより、現代で言う秘書としての能力が高い。
成り行きで審神者にならざるを得ず、朱璃に関する事以外には腰の重い怜鴉には程良い人選だ。
本丸という安住の地を維持する最低限の仕事しかする気のない怜鴉ではあるが、実力はあれど知らない事を一から覚えていくのは重労働だ。

「それじゃああれの所に先触れを……そうだな、国永に頼むよ」
「おいおい、俺は文鳥じゃないんだぜ?」
「機嫌伺いは得意だろう? それに、あれはともかく朱乃に緋翠の不在は隠せないよ。状況の説明をしておいて」
「そういう事なら拝命しよう」
「では下準備に俺も共に参ろう。近侍の引き継ぎは、加州で良いか?」

加州、と言われて思い付いたのは緋翠の式であり初期刀である加州清光だった。
十二の式神の譲渡をした際、その権限は白紙に戻されている。
改めて誓約を、と好い日を伺っていた際に突然の失踪となり、ここの所浮き足立っている様子が見えた。
責任を与えてやれば冷静さを取り戻すだろうという人選である辺り、周囲をよく見ている。
審神者の補佐としても申し分のない能力を持ち、彼ならば他本丸とのやり取りも上手く出来よう。

「そうだね、任命するから呼んできて。で、あんたらは早く出て行って」

源氏の兄弟刀を睨み付けて用は無い事を改めれば、二人は嫌な顔一つせずに退出をした。
怜鴉の気難しさは一冬の間に本丸中に知れるところとなっており、元々緋翠が実力重視の放任主義であった事から大体の者が慣れている。
突然の襲名であったが、皆が怜鴉の実力を敵であった間に痛い程に理解しているのだ。
人柄の難しさはそもそも所持する主が変わるという経歴である刀故、問題にもならない。

「では俺達も御前を離れるとしよう」
「頼んだよ」

宗近と国永にも興味を無くした怜鴉は政府が下した任務を確認するため、朱璃の膝枕に頭を置いて執務に集中するのだった。



突然の緋翠の訃報に一番影響を受けたのは彼だったと言っても過言では無い。
幼き頃、研究所で無為に続けられた被検体としての日々を終わらせてくれたのは緋翠だった。
息子と呼び、愛情をかけて人柄を育て、慈しんでくれたのも。
精神的に早熟であった自分はそれほどの人を失ってもまだ、自失はしていない。
けれど番であり、無垢な小鳥のように素直な性質のこの本丸の審神者、彼女の愛した息子の一人でもある怜悧は、そうはいかなかった。

「朱乃、朱乃……しゅのもいつか、居なくなっちゃうの?……母様、ずっと一緒だって言ってくれたのに、強いから平気だって……なのに……」
「怜悧、大丈夫だ。俺は居なくならない。例えそうなるとしても、お前も一緒だ」
「嘘……ウソだ!だって母様は、居ないじゃない!違う、居なくなったんじゃ……なんで、僕、捨てられたの……?」

先達として、母として愛し守護をしてくれていた彼女の気配がなくなった事を感じ取った怜悧は揺れた。
揺れて、心を壊す事はなかったけれど、部屋に引き籠もり審神者として機能しなくなる程に荒れる。
怜悧の霊力で成り立っている本丸は、そのまま怜悧の心と言っても過言では無い。
厚い冬に閉ざされ、春を待つ自然は枯れてしまった。
荒れ果てる、という程では無い。
だが、冬に終わりを迎えようとしている。
止まない雪は、病んだ怜悧の心の嘆きだ。
管理者としての仕事を投げ捨てて怜悧の傍に侍っても、明ける事は無い。
怜悧の愛した家族、刀剣男子達は、主の深い嘆きに身の置き所を無くして身を寄せ合っている。

「まだ御台が本当に身罷ったのか、主の感覚だけで情報は来てないんだろう?なら、何かの勘違いかも知れないじゃ無いか」
「……そうです、まだ何も探って居ないのですから、ね?」

怜悧と近しい精神の繋がりを持つと自負する鶴丸国永と、その番の一期一振が襖越しに声を掛けてきた。
連日見られる光景で、部屋へ招く事が出来ない事実が痛い。
朱乃が傍を離れようとするだけで恐慌状態になる怜悧は、部屋へ誰かが入ろうとするだけで同じ状態になった。
まるで、白い部屋に閉じ込められていた時を思い出す。
緋翠という第三者が連れ出してくれなければ、あの状況が続いたのだと思い知らされる。
否、今でも怜悧にとっては続いているのだろう。
だからこそ恐れ、怯え、暖かな手を待っている。
こうしていればあの時と同じように、彼女が来てくれると信じて、再現を待っている。

「ちょっと待っていて下さい、今……――主、国永さんです!宗近さんも、御台様の所の、いらっしゃいましたよ!」
「よっ、来るのが遅れてすまないな……怜悧坊、朱乃坊、息災か?」
「おや、怜悧と朱乃は中に居るのか?」

ざわざわと落ち着きのなくなった外の音に怜悧が怯えて縋ってくるのを抱き締めて宥め、見守った。
そうしている内に焦った一期一振の声が聞こえ、あっさりと。
そう、どれだけの人が望んだかも分からない程にあっさりと、襖に手を掛けた三日月宗近がすらりと戸を開けた。
何の術も掛けていないそれは、単なる紙の戸でしかなく。
いつもの鷹揚な微笑みを浮かべ、

「こんなに暗い部屋では寂しかろう、迎えに来たぞ」

近う寄れ、一度言ってみたかった言葉だなと快活な笑い声とともに、怜悧の閉ざした心に踏み込んできた。
驚く事に、あれだけ怯え縋っていた怜悧は緋翠の宗近を見た瞬間、幼い心根のままに飛び出して飛び付き、泣きすがった。
全幅の信頼を置いている父に、子供がそうするように自然に。
うわあああと大声を上げて泣く怜悧を抱き上げ、背中をさすり、宗近は怜悧を宥める。
途方もなくやるせない気持ちになった俺の肩を、国永がとんとん、と軽く叩いた。

「朱乃坊、お疲れだな。よく一人で怜悧を支えた、偉いぞ」
「……くに、なが……」

それは、まるで父に認められたような心地だった。
いや、確かにこの二人は父だった。
緋翠に、母さんに迎え入れられた時からずっと、温かい視線で成長を見守ってくれる。
怜悧を守るのは、支えるのは俺の、番の役目だとこごっていた心がほどけていく。
自然と力の入っていた肩を落として、頷いた。
狭まっていた視界が開けたような、肩の荷が下りたような、止まっていた呼吸にすら気付かなかった、そんな感じだ。

「話しは熱い茶を飲みながらにしよう。……長く、なるからな」
「ああ……教えてくれ、母さんの事。あいつ、怜鴉を迎え入れた時に挨拶があってから、何があったんだ?」
「うむ、それについては未だ分からん事が多くてな……お前達の意見も聞かせて欲しいところだ。力を貸してくれ」

確固たる自信を持って、宗近と国永が頷いた。
俺と怜悧は不安を全て押し流すように、彼らの話に耳を傾けた。
more...!

四郎の物語。

窓の外、ちらちらと降り積もる真白の雪を見る。
大きく開ききったそこからは身を引き絞る寒さが吹き込んできた。
その空気を胸一杯に吸い込み、吐き出す。
もう一度深呼吸をする前に煙管盆へと手を伸ばし、吸いかけだった中身を捨てて新しく草を入れて火を付けた。
吸い口に唇を添え、深呼吸をする。
口から吐き出された煙が風に流されて空気に融けて消えるのを見、部屋の主である緋翠は先程終えた通信の内容を反芻した。

「新しい審神者候補の教育ねぇ……」

先の秋の終わり頃、緋翠は一つの役目を終えた。
鬼に堕ちた息子を救い出し、自身がついた役目に据える事で人に戻した。
今の緋翠は元審神者であり、今身を置いている本丸では先代の主として相談役を請け負うに留めている。
つまりは審神者の力を持つ者達において、唯一の暇人であった。
弟子は取らないと公言してはばからないその在り方は、他の審神者達にも伝わっている。
今回の騒動で知った事だが緋翠は内外において大変な支持力を誇っていた。
安倍晴明由来の陰陽師である事、最古参の審神者として戦果を出している事、知識人として様々な人脈がある事。
存在の圧倒的な衆目力も含め。
妖狐としての格も高い緋翠は、当人の意識に関わらず整った見目も人の意識を浚っていった。
そんな緋翠の手が空いたとなれば、これまでは戦時であった事を理由に退けていた案件が飛び込むというもの。

「鍛刀に成功しているのに刀剣男子が呪われた姿をして顕現、か……」

実を言うと、緋翠は自身を研究者として認識していた。
教育などというまどろっこしい真似をしているなら、世界の在り方について解き明かしたい。
そういう意味では此度の案件、緋翠好みのものと言えた。
件の候補者を担当する管理者が自身のそれと同一だった事も相まって、情報の信用性や人となりについては信頼を置いている。
自身も管狐を使う家系にあった彼が、是非緋翠にと推したのだ。
相当に厄介な呪いであり、複雑な事情があるのだろう。
弟子入りとなれば同居する息子二人の同意も必要になるだろうが、様子を見るくらいなら良いか。
一体どんな呪いに掛かっているのかと、知らず笑みを浮かべながら緋翠は相談をせずに勝手に決めてしまったのだった。


家は古くから伝わる小鍛治は三条宗近の血を汲むものらしい。
らしい、というのは誇張した表現、実際にそう伝わる文献もなく、親の話を聞きかじった程度のものだからだ。
佐々木四郎。
どこかの剣豪さんにも似た中途半端な名前が俺の名前だった。
学校の成績も平均的、運動は好きだが暴力は苦手。
好きな奴には優しくするし、嫌いな奴には深く関わらない程度に馴れ合う。
どこにでも居る普通の、平均的な、中途半端な人間だ。
父一人、母一人、兄が一人、妹が一人。
兄は成人して何故か神道系に進んでいた。
家族仲が良くて将来の話しも聞いていたのに、知らされたのは出家した後だった。
なんでさ。
お陰で俺は、父親の真似事で金物鍛冶を好んでいたから、家を継ごうと決心を決めて。
なのに今居るのは、時の政府だかが持つビルの中にある応接室。
正面には身元引受人で俺担当の管理者と名乗った、スーツ姿にメガネの渋い男性が居た。
隣に居るのは桃色の髪の小さな少年で、物珍しげに周囲を見回している。

「貴方が審神者の候補者として優れた能力を有している事は分かりました。本来であればご両親にご説明の上、こちらで用意した土地の本丸に籍を移して頂く手筈なのですが……」
「はあ……それってつまり、人さらい的な?」
「いえ、どちらかと言うと……赤札ですね。一般市民には伏せている情報ですが、今我々は戦時下にあります」
「そこうぐん、でしたっけ……過去を改変しようとする人達」
「ご理解頂けて何より。貴方にはその尖兵となる刀剣男子を率いる神職に就いて頂き、彼らを率いて頂きたいのです」
「……里帰りとかは、認められてますか?」
「本丸は時の干渉を受けない特殊な空間となっております。人の行き来も当然、必要最低限に」
「つまり、親兄弟との縁を切って世界平和の為に戦え、と……馬鹿げてる」
「そうですね、馬鹿な話しです。しかし我々政府は必要な犠牲、と捉えております」
「そんな、なんでさっ!」
「大事の前の小事。時の改変を受ければ今こうして過ごす事すら叶わなくなるかも知れません。……と、昔の私なら言ったのでしょうが……」
「――は?」

緊張感丸出しで威圧感が半端なかった眼力を緩ませ、目の前の男は笑う。
人好きのする笑顔を浮かべた姿は、優しそうな紳士にしか見えない。

「福利厚生、有給はつきます。御身の安全も最低限ですが保証しましょう。里帰りも然るべき理由があれば認められるようになっております。形式上は単身赴任の会社員として出向とご家族には説明せざるを得ませんが、研修期間も設けております」
「え?え??」
「何より貴方の研修につきますのは、当代きっての名うての元審神者。美人な女性がマンツーマンでお教えしますよ、残念ながら既婚者ですが」
「既婚者って、何?何の話し?」
「試すにはあまりに影響力のある選択でしょうが……守りたいものがあるのなら、お力添えを頂けませんか?」
「……はい」

気付けば管理者の言葉に頷いて、その気になってる自分が居た。
父のような鍛冶屋になる程の腕は無いって、分かりきっていたからかも知れない。
兄のような自分の考えをしっかりと持った人間にはなれないと、燻っていたからかも。
守りたいものがあるなら、そう言われて真っ先に思い付いたのは家族の笑顔で。
俺が頑張ればそれが守れるなら、そう思って頑張れるなら、良いんじゃ無いかと思ったから。

「沢田、話しはまとまったか?」
「椿様!わざわざのお越し、ありがとうございます」

こんこん、と軽い音を立てて開かれた扉からやってきたのは、ちょっと見た事も無いような美人だった。
人外じみた綺麗さに、言葉を無くして集中する。
染め抜いたような赤い髪は彼女によく馴染んでいて、軽く釣り上がった翠の猫目が意思の強さを物語っていた。
外人のわりには顔立ちは日系のそれで、言葉も流暢な日本語だ。
何故か男物の着物を羽織って居るけれど、間違いなく目が覚めるほどの美人だ。
沢田、と管理者を軽く呼ぶ様子は命令慣れしている人の威圧感を感じる。

「ふむ……お前がわざわざ頼むから期待してたんだが……ぱっと見は凡百だな」
「……凡……悪かったな、平凡で……」
「いや、悪くは無い。ただ、そうだな。驚くほど何も無いな」

美人な女性に何もない、とあっさり言い切られる悲しさよ。
いや、確かにこれと言った特徴は何も無いんだけど。
見た目も性格も犬みたい、と言われる事はあれど格好良いと言われた事は無い。
良くて雰囲気イケメンを目指せるか、他に人が居れば埋没するほど平均的、と言われた事はある。
悲しいかな、それに反論するだけの弁も論もない。
ただそうですか、と友人の言葉に頷き、お前は格好良いよと言い捨てた。

「椿様、隣の少年をご覧下さい」
「ん?……お前……――秋田藤四郎か!」
「は、はい!あの、秋田藤四郎です。主君にお仕えします、よろしくお願いします!」

ぺこり、と頭を下げる少年は空色の目をぱちくりと瞬かせて純粋さが見て取れる。
主君というのは俺の事で、試しにさせられた鍛刀から生まれてきた刀剣男子だ。
唯一他と違うのは、目深に被っている帽子の下。

「秋田くん、帽子を取って貰えますか?」
「えっと……はい」

ぴこ、と音がなりそうな程に元気よく、帽子の下からは髪と同じ色の桃色の耳が生えていた。
そう、耳だ。
人としての耳もあるのに、帽子の下からは獣の耳。
それも猫耳と言えるやつだ。
短パンの下からも愛らしい鍵尻尾が見えていて、そちらも同色に毛先が白い。
猫耳男子なんて二次元の中だけの話しだと思ったけど、純粋無垢な子供のそれはいたたまれなさと絶妙な愛らしさが同居していて言葉を失う。
正直言うと、似合っている。

「ほう……これは見事な。動いているところを見ると、神経も繋がっているようだな。魂も……うん、変質してる」
「あの、秋田は病気なんですか?」
「病気、か……そうだなぁ……厳密に言うと違う。が、理解の上ではそう取って構わない。秋田は呪いという、魂の病気を患っている」
「魂……呪い……」

兄貴が神道系でなければ、俺はきっと理解を放棄していたと思う。
さっきの遡行軍の事もそうだが、それだけ突拍子も無い話しだった。
呪われていると言われて、はいそうですかと言えるのは物語の主人公くらいなものだと思ってる。
俺は主人公じゃなくて、どっちかというと村人だ。
周りに影響力のある人間では決して無いと思ってた。
だから、

「これはお前に由来する呪いだ。心当たりは?」

そう言われて、返す言葉なんて何も無い。
秋田藤四郎は首を傾げて、不安そうに俺を見上げてくる。
やめて欲しい。
俺は主君なんて言われるほど、純粋な少年の信頼の目を真っ向から見返せるほど、すごい人間なんかじゃない。
呪われてるだなんて言われて不安にならないほど、卓越した人間でも無い。
単なる、親の職業を夢に見ただけの、鋼を打つ事すら半人前の、何てことの無い一般人だ。

「四郎、と言ったな。古今東西、呪われるのは人だけだ。そういう意味では安心して良い、お前は単なる凡弱な人間だ」
「椿様……」
「けれど面白いな、この呪い……お前に害を成すものではない。そういう意味では呪いと言うのもおかしな話しだ。強制力、と言い換えても良い」
「強制力……?何さそれ……」
「うん、何というかな……お前の好きなものを想像した時、その方向性を勝手に決めてしまう力だ。秋田は猫の気があるな」
「……つまり?」
「察しが悪いな。頭を使え、頭を。刀剣男子は刀を媒介に、審神者が彼らの形を創造する必要がある。個体差が出るのはその、創造の段階に影響が出るからさ。お前は審神者に向いてるよ」

審神者に、向いてる。
それは、その想像して創造する力とやらがあるからか。
けれど影響が出てるというのなら、向いてるというのはおかしいんじゃないだろうか。

「付喪神という固定化された魂を、理という理屈を越えて馴染ませる。よほどの創造力がなければ顕現出来ん筈だ。四郎、お前は面白い」
「……褒め言葉として、受け取っておきます」
「失礼な奴だな、褒めてるんだ。沢田、良いぞ。これは俺が預かろう。弟子にするかは分からんが……呪いについては専門だ、任せておけ」
「お力添え、ありがとうございます。ひいては彼の処遇についてですが……」
「ああ、そういえばそうだな。ふむ、近くに在った方が分かりやすい。あれの説得は任されよう」
「では、椿の本丸に?」
「そうだな、只人ならばあれも全力で嫌がるだろうが……おい四郎、お前、私の息子になれ」
「――なんでさ」

え、息子って、子供って意味だよな?
何でそんなに簡単に、部下になれって軽さで勧誘してるんだ。
美人だと浮き世離れしすぎて頭がおかしくなるんだろうか。
あ、失礼な事を考えた瞬間に睨まれた。
考えが分かるわけじゃないと思うけど、タイミング的にばっちりだ。

「お前、考えてる事が顔に出るんだよ。両親は健在だな?それは良い、今から挨拶に行こう。息子さんを俺に下さい、という奴だ」
「……普通、逆じゃ無くて?」
「いいや? ああ、恋愛の情なら無いぞ。俺には愛しい旦那様が居る。そして他にも息子が四人居てな。どれも愛らしい我が子だ、仲良くな」
「いや、待って、待ってくれ。全く意味が分からない」
「ふむ、理解の遅いやつだな……。今のところ弟子ではない、審神者と確定した訳でもないし俺は降りてるから後輩でも無い。しかしお前の身を預かる立場になる、となればまあ、息子のようなものだろう」
「何その謎理論」
「ようは、その位で無いと納得しない人物を説得する訳だ。お前の初めての大仕事だな?問題ないと思うが、拒絶されてもへこたれずに励むようにな」
「えー……」
「あ、拒絶なら大丈夫ですよ。既に一人、四郎君を拒絶している存在が居ますから」

さらり、と痛いところを沢田さんが平然と口にする。
何だそれ、と口の中で呟いた椿さんは、ふと思い当たる事があったのか視線を辺りに向けて首を傾げた。
そう、俺は鍛刀まで済ませている。
という事は、本来ならば居るはずなのだ。
審神者になる者が認められる為に、初めての顕現力を試す相手が。

「初期刀はどうした。選んでないのか?」
「……いや…………」
「蜂須賀虎徹を選びました。しかし彼は、その矜持故に自身の変質を認めないと言い張り……現在は顕現を解いて引き籠もり中です。恐らくですが、その変化は虎かと」
「虎。これはまた期待通りの変化だな。あいつなら、真作である自分が呪いを解く事も出来ないなんて認められる筈が無い、といった所か?」
「ええ、お言葉の通りです。ほぼ同文を口にしてストライキしております。今は刀を預かっておりますが、本丸へ降りる際には四郎君にお渡ししますね」
「はあ……」

手ひどく拒絶された相手を、そんな勝手に身柄の決定して良いんだろうか。
その辺りに物として、戦力としてしかみられていない居心地の悪さを感じるのは、現代人だからか。
椿さんは面白いと言わんばかりににんまりと笑っていて、その顔が狐に見える。
そういえば古い話に出てくる美人で狐が化けたっていうのがあったな。
動物の出てくる話は特に好きで、家にある掛け軸の鳥獣戯画も昔から飽きずに見ていた。
古い物と言ったらそれと壺、あとは家くらいなものだけど。
家、と関連して思い出されるのは家族の事。
挨拶、来るのか。
母は面食いだから、椿さんが来たらきっと喜ぶ。
兄も喜んで還俗してくるかも知れない。
父は一途だし堅い人だから想像出来ないけど……妹も喜ぶだろうなあ。
今から先が思いやられて気が重くなる。

「前途多難だな、少年。まあその位の方が人生は面白いのさ」
「……はあ、まあ、そうですね」

半ば以上一方的に決まった、押し切られた事だけど。
未だに納得出来る事ではないけれど、悪い事でもないだろう。
そうやって諦め半分に、自分に言い聞かせた。
まさかこれが人生最大の強敵とも言える義理の兄を向かえ、長年欲しかった弟との出会いになろうとは。
何だかんだ厄介な事は多いけど、それでも俺はもう一つの最高の家族を得るのだった。
なんて事になれば、良いんだけど。

コドク



産まれた時から、コドクだった。

皇家に縁のある公家の一族。
その嫡男として生を受けた怜鴉は、次期当主となるはずだった。
しかしながら、生まれ落ちた瞬間から既に怜鴉は人とは大きく外れていた。
深紅と蒼色の色違いの瞳。金色の髪。そして他の赤子よりも早い成長は圧巻で、一歳になる前には普通の会話ができるほどだった。
教えることはスポンジのように吸収する。
文武両道でまさに神の子と称えられ、称賛される反面、気味悪がられていた。
怜鴉は5歳になる前に家庭教師を務めていた各方面の専門家から教えることは無いと言わしめ、武芸も稽古を着けた師を軽く超えてしまった。
怜鴉の驚くべき才覚と異様な容姿に恐れを抱いた両親は、怜鴉には狐が憑いているといい、有名な陰陽師や霊媒師を呼び寄せたが、両親が望む効果はなかった。


「ねぇ、どうしてぼくはおそとにでちゃいけないの?」
一度疑問に思ったから興味本位で聞いたことがあった。
世話係はそれを聞くと茶器を、音して畳にシミを作った。
「あ、あ…も、申し訳ございませ…」
「べつにいいよ、それよりしつもんこたえて」
「怜鴉坊っちゃまは生まれつき不治の病に犯されていますゆえ、坊っちゃまをお守りするためですよ」
「ふーん」
興味無さそうな返事をしてから、世話役の女を見上げる。
「ねぇ……ちちうえとははうえは、ぼくのことがきらいなの?」
「そんな事は…ありませんよ?
旦那様も奥方様も坊っちゃまを愛しておられるからこそ必死に治療法を探しているので……」
「じゃあおまえは?」
「え?」
世話役の顔がひきつる。
「おまえはぼくのこと、あいしてくれる?」
怜鴉はまだ10にも満たない幼子で、生まれてずっと孤独だった。
別に恋愛感情があった訳でもない、まだそれを理解するほどには幼過ぎた。
ただ、寂しかった。
一人季節の移ろいをこの窓から眺めるだけなのが寂しかった。
窓の外では生まれたばかりの弟が母に抱かれて庭で花を眺めていた。
幼い頃の記憶はないが、多分あんな風に抱かれてはいなかっただろう。
母の自分を見る目が全てを物語っていた。
自分の息子と認めたくない、化け物でも見るような目。
正室で、跡取りとなる息子を授かったのにそれがまさか化け物だったなんてとでも言いたげで。
怜鴉は知ってる。
霊媒師や陰陽師がこぞって怜鴉を神の子と言う度に母はヒステリックな悲鳴をあげているのを怜鴉は知っていた。
認めたくなかっただけ。
自分が頑張れば、もっと頑張れば、いつかは認めて愛してくれると。
しかし戸惑った様子の女を見て怜鴉はまた窓の外を眺めると背を向けたまま女に言った。
「いまのはわすれて、もうさがっていいよ」
「は、はいっ、失礼します」
そそくさとと女が出ていく。
怜鴉は小さな窓から色付いた世界を眺めていた。


ただ、愛して欲しかっただけなのに。


それは、唐突に訪れた。
いつものように道場で剣の稽古をしていた時に、怜鴉は打ち合いの合間に誤って師である剣豪の腕を木刀で切り落としてしまった。
それが悪かったのか、激昂した剣豪が怜鴉に襲いかかって来るのを怜鴉は呆然と見ていた。
「化け物!」
そう言われて怜鴉は初めて冷水を浴びたような気持ちになった。
「そっか」
怜鴉はそれ以上何も言わず、反対の手も切り落として道場を出た。
血塗れの怜鴉の姿を見て女中が悲鳴を上げ、道場に何人かが駆け込む。
わかっていた、自分が他人と違うこと。
必要とされてないこと、愛されてなどいないこと。
不思議と涙は出なかった。
愛して欲しかったけれど、望み薄なのは最初から理解していた。
だからショックだけど、泣く程じゃなかった。
やっぱりな、って。
少し寂しかっただけだ。
それからしばらくして怜鴉の前にひとりの女が現れた。
見た目は幼いながらにも綺麗だと思った。
しかしその見た目に反し女は通る様な声で男のような言葉遣いをする。
何より臆した様子が無く、逆に鼻先で笑われた。
失礼な奴だと思ったけど怒りよりも興味が湧いた。
怜鴉に接する者はいつも恐怖を宿し、機嫌を伺ってきたのに。
この女は自分に媚びる様子もなく、傲慢に言った。

「怜鴉、外を知りたいか?」

手を差し出されたのは初めてだった。
誰も触れようとしなかったから。
家族でも触れる事さえしなかった自分に初めて触れた人。
この人はきっと自分を連れ出すように頼まれたんだろう。
いくら積まれたのか、色々詮索したけど驚く事に報酬は受け取っていなかった。
「公家の嫡男を弟子に貰い受けるんだ、それ以上はなにもいらん。
一生帰ることは無いから大切なものだけ持っていけ」
「ふふ、何を言ってるの。
ここに僕の大切なものがあると思う?
早く、連れ出してよ。僕はあんたのものなんでしょう?」
真っ暗な牢獄から、極彩色の世の中を僕にみせて。
知らないものを沢山見せて



生まれて初めて流した涙は、ちょっぴり温かくて、しょっぱかった

親子の絆。

その日、その時、その出来事がなければ、確定はしなかった。
けれど、椿の本丸の審神者であり、刀剣男子達の主であり、緋翠という千年を生きる妖狐であった事。
根底にあったのは、水祈緋翠というヒトの為の只人であった事を思い出した時。
原因となったのは源氏の刀による魂の混入であったけれど。
人として、誰かを愛する心を思い出したから。
水祈緋翠は、人になった。
人として、女性として、母として、今を生きたいと思ったから。



――身体を巡る甘い痛みに昨晩まで愛しい刀達と愛し合った事を思い出しながら、ゆっくりと目を覚ました。
隣では寝顔を覗き込んでいたらしい藍色の愛しい月の人と、反対側に身体を抱き込んで未だ眠りについている真白の愛しい花の人。
声もなく、口の中で名前を呼ぶ。
むねちか、と。
それを覗き込んでいた月は慈愛に篭もった瞳を細め、首を傾げる。

「起きたか? 身体に痛みは……」
「ある。けれど、良い」
「……良い、か」

嬉しいな、と頬を上気させながら微笑む様は最上の美であり、昨晩その顔が雄の顔もするのだと知ってしまった。
これは存外、恥ずかしいと緋翠は心がむずがゆくなる面映ゆい気持ちになり、身じろぐ。
ふと、それで起こしてしまったらしく隣の真白の持つ睫が細かに震えて紅玉が顔を覗かせた。

「ん……ひすい……? むねちか、おはよう……?」

ぼんやりと、再び閉じてしまいそうなまろい瞳を何度も瞬く。
その瞼に口付けを落とし、抱き込む腕に手を重ねた。

「おはよう、国永。もう朝だぞ」
「ん……」
「はっはっは、国永は相変わらず眠りに弱いな。それに、昨晩はちと励みすぎたか」
「ん……はげみ……あ……――」

ほけほけと笑いながらしっかりと余韻を楽しもうとする宗近。
その言葉に、抱かれた側の緋翠よりも恥ずかしそうに耳や首までを一瞬で国永が赤く染め上げた。
生娘よりも生娘らしいとは、これもまた愛されてきた美しさの一つか、と納得してしまう。
そして何よりも、それを愛おしいと思うのだ。
とはいえ、国永の雄の顔も知ってしまった今となっては反応に困ってしまう。

「ずるいぞ、国永。先にそうされてしまっては俺の立つ瀬が無い」
「いや、その……すまん。昨日は、良かった」
「ふ、ふふ……お前達、二人共同じ事を言って居るぞ」

似たもの同士だな、とは二人を一身で抱く側に回った勝者の言葉だ。
一妻多夫。
人間と妖狐の血がさせたのか、その身の陰陽がさせたのか。
緋翠は三日月宗近と鶴丸国永を人として愛し、伴侶に求めた。
二人も刀として、刀剣男子として愛し、付喪神として伴侶に求めた。
魂にその真名を刻み、永劫を審神者という神嫁として共にある事を誓った。
何と嬉しく、愛おしいのか。
だからこそ、残る憂いが心を占める。
この時間が愛おしく美しい、幸せなものであればあるほど、哀しみが緋翠を襲う。

「どうした」
「……迎えに、行くんだろう?」

正しく哀しみを汲み取った宗近は頬に口吻を落として宥め、覚悟を汲み取った国永は後押しをする。
二人共、止める事はしないのだ。
緋翠の望みであれば、二人は率先して従ってくれる、尊重してくれる。
それが、嬉しい。

「ああ。俺達のもう一人の息子を、返して貰いに行こう」

痛みの引かない、快復のしない身体にわずかな違和感を感じながらも緋翠はその為に動こうと決めた。
人として生きると決めたから、諦める事をやめたのだ。
我関せずではなく、我が事だから動こうと決めた。
すでにそれだけの情報は手の中にあり、果たしても良いのか迷っていたけれど。
諦観をやめる覚悟を決めた。

「行き先は時の政府、カミシロ研究所だ。行こう」
「任せてくれ」
「ああ、出陣だな」

そこに、始まりの鍵が眠っている。



――研究所自体は怜悧と朱乃に関する特務で何度も足を運ぶ馴染みの場所だった。
問題は中身だが、それは自分の管理官であり監査官である政府の役人を通して知れている。
目的地は怜悧と朱乃を閉じ込めていた特別棟の更に奥、地下深くに在る独房だ。
カミシロ、名の通り神の依り代と言われるほど特殊な事情を持つ者達を封印する為の場所。
それぞれを封印する事情が違うため、利用者は少ない。
警護ではなく内の者を閉じ込める為の警護体勢である以上、外からの襲撃には弱い。
一人一人の実力はさながら、しかし最前線で斬り込み部隊として活躍していた本丸の刀剣達には敵ではなく。

奥深く、地下深く、寒々しく広大な空間の中央に、ソレは居た。

中空から垂れ下がる鎖に磔にされるような格好で。
流れる銀糸は白濁と汚れですっかり灰色に変わってしまい、長さもバラつきが目立っていた。
力なく開かれる紅玉の球体は濁りきり、元の芯の強さも失われて周りを映す事すら無くなっている。
一糸もまとわぬ格好で放置され、鎖を食い込まれた肌は赤褐色すら同化してしまっていたが。
病的な白さと骨の浮いた身体でなお、人としての形を、命を、保っていた。

「――……しゅり……」

暁の子が見付けた、たった一つの至宝。
鬼の子と呼ばれ恐れられた紫銀の子の魂の片割れ。
緋翠が500年前に迎え入れた、二番目の息子。

「朱璃、すまない……遅くなった。お前の事を知った時、真っ先に来るべきだったのに……迷って、諦めた」

言葉を掛けても反応はない。
当然だ。
一体どれだけの時を、モノとして過ごしたのか。
見た目は他の息子達と大差ないほど育っている。
けれど、彼と別れたのは彼が十にも満たない頃。
彼と過ごしたのは一年か、二年ほど。
それでも大事な息子である事には変わりなかったのに、怜鴉の事を思うならいの一番に来るべきだったのに。
見守るだけの時間が怠惰に、守るべきモノが多くなって臆病になった。
諦める事が最善だと、いつの間にか見誤っていた。

「何が良いとか、悪いとか……そんな事は、どうでも良かったんだ。俺は……私は、お前も、怜鴉も、手放したくない。それだけだったんだ」

物言わぬ朱璃に話しかけ、刀を一閃して鎖を断ち切る。
重力に従って腕の中に飛び込んできた身体の、あまりの軽さに涙が出た。
どれだけの時間、モノとして、独りにしてしまったのか。
朱璃の人として異常なまでの軽さは、反面、怜鴉の痛みの深さだ。
比喩ではない羽根のような軽さになってしまった身体を宗近と国永に預け、先行させる。
無事に本丸に届ける為には研究所を出て奥の院にある、管理者が使う鳥居から転移をしなければならない。
審神者ならば簡略化した転移門を作る事も出来るが、それで通れるのは自身と、同じ霊力から顕現する刀だけ。
だから、陽動が必要になってくる。

「あい、引き受けよう。主、先に帰って居るぞ」
「先鋒は任せてくれ、きっちり送り届けよう。……待っている」

最愛の二人の言葉を受け、緋翠はいつものように不敵な笑みで返した。
それは母として、一国一城を預かる主としてのもの。
常ならば頼もしいけれど、事が事であるだけに不安が残った。
だが実力と、何よりも緋翠の人となりを知っているからこそ止める事をしない。

「ああ、必ず帰る。もう一人の可愛い息子を、叱らなければいけないから」
「そこは俺達を紹介するからって言ってくれても良いんだぜ?」
「おお、そうだな!主の子ならば俺達の息子も同然。俺もな、父と呼んで貰いたいと思っていたのだ」
「それは良い考えだ、小烏丸だけの特権じゃなくなるな?怜悧達にも改めて話さないと、やる事が一杯だな」
「ああ……先がある。楽しみがあるというのは、良い」
「言ったろう? 人生には驚きが必要なのさ。なあ宗近?」
「そうだな、国永の言うとおりだ。これから息子達、何より自身の為に、忙しくなるぞ」

互いに不敵な笑みを交わしあい、宗近が朱璃を抱き上げて国永が先陣を切っていった。
残る気配は短刀の薬研藤四郎、打刀の加州清光、同じく打刀の大和守安定、脇差の堀川国広。
初期刀であり、最古参の精鋭だ。
太刀二人が去って行った事を察して索敵から主の元へと駆けつけてくる。

「システムは未だ山吹と情報屋が押さえてくれてるようだな。……さて、我々の目的は陽動だ。派手に暴れるのは得意だろう?」
「むしろ僕は結構邪道な方だから、そういうのは兼さん向きなんですけどね」
「まーた出たよ、堀川の兼さん癖。今居ない奴の事言われても、ね」
「良いじゃん、ようはいつも通りって事でしょ? 正念場に連れてきてくれて、俺が主に愛されてるって証拠じゃん」
「ああ、いつも通りで良いってこった。お嬢が待ってるんだ、きっちり柄まで通してみせるぜ」

お嬢、と薬研が慕わしげに呼ぶ言葉を聞いて緋翠は薄く笑みを深める。
式神であり友と呼べるほど慕わしく、長くを共にしてきた仙女。
薬研と彼女が結ばれたのも、緋翠の考えを変える良いきっかけになったのだ。
愛しいと思う心、それ自体に何の隔たりもいらないのだと。
刀だろうと仙女だろうと、かわした情が確かならば何の障害にもならない。
それを、思い出したのだ。

「では諸君、索敵後……各個撃破と洒落込もう。敵は時の政府、カミシロ研究所職員。遠慮はいらん、持てる限りを出し尽くせッ!!」

大将の号にそれぞれの言葉で応じながらの陽動戦が始まった。
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