「ん…」
レイリが目を覚ましたのはもう店が始まっている時間。
レイリはいつの間にか夜着に着替えさせられ、シュノが使っている暖かな布団で眠っていた。
「シュノ…どこ…」
目が覚めて真っ暗な部屋に一人でいるのが途端に寂しくなり、シュノを探しに部屋から出た。
シュノは仕事があると言っていた。
もう客を取っているかもしれない。
そう考えると寂しさがとめどなく溢れて来て、一目シュノの姿を確認しようと出入りを禁止されてる店舗に繋がる引き戸をこっそりと開けた。
居続けの客の部屋は離になっていて、そこでシュノが客をとっている筈だった。
レイリはそっと近付いて襖を少しだけ開けた。
シュノは着物を肌蹴させて、客に腰を掴まれ揺さぶられていた。
湿った水音と、肉のぶつかる音が響き、シュノが甘い声で喘いでいた。
「んんんッ…んぁぁぁ!
あんっあっあぁッんっやめっ…
ひァッあっぁああんっ…」
客は初老の男で、夢中になってシュノの身体を貪る様に犯していた。
「どうしたシュノ?もうこんなに中をグチャグチャにして。
そんなにわしが恋しかったか?」
耳元で卑猥な言葉を浴びせられシュノはそっと男の腰に脚を寄せる。
「あんたこそこんなに大きくして、俺が恋しかったのか?」
「当たり前だ、お前が身請けの話を受けてくれるなら今すぐにでも連れ帰って毎晩抱いてやるというのに。」
「俺は誰のものにもならない
そんな野暮な話は止めにして今は俺だけを見てろよ」
男の背に腕を回すと、男はまるで野獣の様にシュノに腰を打ち付けた。


レイリは息が止まるようだった。
心臓が早鐘みたいに打ち付けて止まらない。
理解していたはずなのに、いざその場を見てしまうと頭がおかしくなりそうだった。
自室に戻り、自分の布団を押し入れからだしてシュノの布団を綺麗に畳んでしまうと、明かりを消した暗い部屋でレイリは涙を零した。
シュノに身請けの話が沢山あるのは知っていた。
それを、目の前で聞いてしまいどうしていいか分からなくなって頭の中がグルグルしていた。
「やだ、やだよ…シュノ…」
胸のうちに湧き上がるもやもやした気持ち。
「いや、助けて…母様…」
レイリはふらふらと部屋を出た。
一人でいると頭がおかしくなってしまうから。
しかしながら今は営業時間。
皆客を相手にしてるか見世にでて客待ちをしてる。
「……レイア、いる?」
レイリは楼主であるレイアの部屋をおとずれた。
「何だよ、僕は今忙しいんだけど」
「……あの、シュリさんのところ、行ってもいい?」
入口の襖を少し開けて、レイリが小さな声で呟いた。
「お前、あんまり調子に乗るなよ。
シュリは僕のものだ、お前にはシュノが居るだろ。」
「……ごめんなさい…」
レイリは俯いたまま襖を閉めて、誰も居ない暗い廊下をひたひたと歩いていく。
一人でいると頭がおかしくなる。
「いやだ…シュノ…」
部屋の隅で膝を抱えて、涙を零した。
ここは遊廓。仮初の夢を売る場所。
シュノはこれまでもこれからも、その美しい容姿と培った手練手管で客を誘惑し続けるのが仕事。
愛してると言われても、遊里で紡がれる愛は遊女の手管の一つでしかない。
泣き疲れ、その場に蹲ったまま体を小さく縮こめて意識を手放した。


次の日、なかなか起きてこないレイリを心配してローゼスがシュノの部屋を覗いてみると、部屋の隅で身体を小さくしたまま眠っているレイリを見つけた。
相当泣き腫らしたのか目は赤く腫れていた。
「レイリ、こんな所で寝てたら風邪ひくよ」
声を掛けると、薄目を開けたレイリがぎゅっと抱き着いてきた。
「いや…行かないで…」
嗚咽混じりの声はしゃがれて、ローゼスにしがみつく。
「なら、俺の部屋においで。
少し寝た方がいい、酷い顔してるよ」
レイリが黙って頷いて手を引かれて付いて行く。
綺麗に整えられた部屋で柔らかな布団を敷いて、そこに寝る様に言われる。
「ほら、寝てな。
一緒にいてあげるから」
布団にレイリが入ったのを確認すると、そばで優しく頭を撫でる。
「寂しかったの?
シュノの居ない夜は初めてじゃないだろう?」
「……起きたら、シュノが居なくて…何だか急に寂しくて、ダメって言われてる離まで行ったらシュノが…お客さんと身請けの話をしてたの。
ねぇ、シュノ…いなくなっちゃうの?
母様みたいに、僕を置いて…」
レイリは泣きながら、小さな声でモゴモゴと話すので、ローゼスは聞き取るのに苦労したが大半の内容は理解出来た。
「居なくなるわけないよ。
シュノはレイリが居なきゃ生きていけないのに自分からレイリと離れる訳ないよ。
その話、ちゃんと聞いた?
客が無理矢理シュノに迫って、シュノがあしらってたんじゃない?」
ローゼスの言葉にレイリはしばし考え込んでから小さく頷いた。
「なら大丈夫。
シュノは頭が良いからちゃんと上手くやるよ、レイリは何も心配しないで」
優しく撫でられる手に安心したのか、レイリはそのまま眠ってしまった。
「可哀想に、こんなに目を腫らして…
余程不安だったんだね」
レイリがどれほどの不安と恐怖に怯えていたかローゼスには判らない。
ただ、想像するには容易い。
レイリが起きたのは昼過ぎだった。
面倒見の良いローゼスは、レイリの着物から髪まで綺麗に整えると、昨日買ったばかりの肩掛けを羽織らせ、レイリの手を引いて店から出ていく。
レイリの足元の赤いポックリが雪を踏みしめていく。
「姐さん、久し振り」
「おや、ローゼスじゃないか。
最近めっきり顔見せなかったけど元気そうだね」
甘味屋の暖簾を潜ると明るい声が返ってきた。
「あら、後ろの子はこの前の…」
レイリはローゼスの後ろに隠れながらぺこりと一礼した。
「シュノが面倒見てる子なんだよ、可愛いでしょ?」
「レイリ…です。」
「そうかい、あのシュノがねぇ。」
甘味屋の女将は二人を席に座らせるとお茶を差し出した。
「あの気紛れなシュノが、こんな可愛い子の面倒を見る様になったのかい」
女将はレイリに笑いかける。
「アタシは幽離籠の2軒先にある遊月楼って所で太夫をしてたユキノってんだよ。
今は勤めを終えて此処で旦那と甘味屋してるけどね、何かあったらアタシに言いなよ?」
姐御肌のユキノはレイリの頭を優しく撫でると、サービスだよって奥からレイリの好きなカステラを二切れ持ってきた。
「俺もシュノもユキノ姐さんにはお世話になったから、レイリも安心して頼るといいよ。」
「……うん」
「うん、レイリちゃんは笑った方が可愛いよ。
折角可愛い顔してるんだから、勿体無い」
レイリは首を傾げる。
自分の顔が可愛いと言われても理解できないからだった。
「1人前になりたいなら、自分の身体は資本だからね。
自分がどういう人間か、把握しないと始まらないよ。」
自分がどういう人間かなんて今まで考えたこともない。
その必要もなく、言われた通り生きてきた。
けど、これからは違う。
「シュノは…一人前になったら、喜んでくれる?」
「…レイリ、レイリはそんな事しなくて良いんだよ。
ほら、甘いものでも食べて、ね?」
それ以上言わせないローゼスの気迫に負けてレイリは白玉クリームぜんざいを注文した。
甘いものを食べているレイリは少しだけ表情が明るくなる。
ユキノもそれに気付いたのか、嬉しそうに頭を撫でた。
ローゼスはお茶を飲みながらユキノと談笑していて、それを聞くのも楽しかった。
暫くして、店の引き戸が開く音がして初老の男に寄り添うシュノが店に訪れた。
「あらあら、ロウゲツ様。
いらっしゃいませ」
ユキノが客の男に深く礼をして席に勧める。
「久しぶりにユキノさんのお茶が飲みたくてね。
おや、君も来ていたのか」
ロウゲツはローゼスの姿を見付けて席に近寄る。
シュノがいち早く隣のレイリに気が付き驚いた顔をする。
レイリはシュノからあからさまに目を逸らした。
昨日の光景が頭をよぎってしまうからだ。
「そちらの可愛らしい子は紹介してくれないのかね?」
あざとくレイリに目を付けたロウゲツと呼ばれた初老の男は舐める様にレイリを見た。
レイリはその視線の居心地の悪さに硬直してしまい、下を向いたままローゼスにしがみついている。
「この子はちょっと訳ありなんです。
ごめんなさい、人見知りが激しいから今は人に慣れる練習中なんですよ」
「そうか、将来が楽しみだな。
どれ、もう少し近くで顔を…」
レイリに手を伸ばそうとしたのに気がついた2人はレイリを隠す様に自然とそれを遮る。
「それより最近全然俺を呼んでくれないですね。
宴でも若い子ばかり呼んで、俺もたまには呼んでくださいよ」
「はは、そうだな。今度はお前も呼ぶとしよう。」
「おい、この俺を放ってほかの男と話し込むなんていい度胸だな。
そんなにこいつがいいなら俺は帰るぜ」
今まで黙っていたシュノが男の腕から離れると、慌てて引き寄せられた。
「ただの世間話じゃないか
心配しなくてもこれからまたタップリ可愛がってやるぞ」
そう行って2人はレイリ達の一つ前の席に座る。
男に身体を寄せながら話し込む2人の後ろ姿にレイリは急に吐き気を催した。
口元に手を当てると身体を折り曲げる。
「レイリ?どうしたの?」
ローゼスが小さな声で聞きながら背中を摩った。
「……気持ち悪い…」
「店までもつ?」
レイリは頷いた。
ローゼスはレイリの手を引いて勘定を済ませる。
その間、ロウゲツはレイリの後ろ姿を眺めていて、シュノは舌打ちしたい気持ちを堪えていた。
厄介な客に目を付けられたが、レイリが店に出ることは無いので大丈夫だろうと誰もが安心していた。
この時は。
「もう帰るのかい?
この後シュノの打ち掛けを新調するんだが、君達にも新しい打ち掛けをプレゼントしよう。」
「折角ですが、いきなり外に連れ出して色んな人に会わせたので、具合が良くないみたいなんです。
緊張し疲れた様だから店に帰って休ませないと」
レイリは吐き気を堪えながら、ローゼスの着物にしがみついた。
ローゼスは一礼して外に出ると、レイリの肩を抱き寄せて身体を支える。
「はぁ、タイミング悪かったね…
あの人、結構な好色家で色んな妓に手を出してる人だから気を付けてね
ああやって、居続けでシュノを指名してはあちこち連れ回して自分の権力をひけらかすの。
その分払いも良いから喜ぶ人もいるけどね」
背中をさすられながら店まで戻る道中聞かされた話。
舐める様な視線はレイリを品定めしてた訳だ。
「あの人、僕を抱きたかったの?」
「………たぶんね。」
ねっとりと絡みつく様な気味の悪い視線にも納得できた。
シュノはあんな客に抱かれているんだと思うと胸が痛くて堪らなかった。
「ローゼス、胸が痛いよ…
これは何?あの人がシュノと居るのがすごく嫌だ」
するとローゼスは少し困った様な嬉しそうな複雑な顔でレイリをぎゅっと抱き締めた。
「うん、それは恋だよ。
レイリはシュノに恋してるんだよ」
恋と言われてもピンとこないレイリは首をかしげた。
「大丈夫、ここにいる皆レイリの味方だから安心しな」
「…よく、判らない。それをすればシュノは喜ぶ?」
心も感情も壊してしまったレイリには恋が理解できないのか、不思議そうにしている。
「そうだね、レイリが本物の恋を知ればシュノは喜ぶよ」
シュノが喜ぶと聞いたレイリは嬉しそうに頬を染めた。
「シュノに言われた。
一緒に居たければシュノの心を縛り続けろって。
どうすればいい?どうしたらシュノは僕を見てくれる?」
「そうだな…」
ローゼスは少し考えて、名案が浮かんだ。
「よし、レイリ、ちょっとこっちにおいで」
ローゼスはレイリを隣の広い和室に招いた。
素直にそれに従い、レイリはローゼスとその和室に籠るのだった。