レイリは布団に横になりながらシュノと花札をして遊んでいた。
凍り付いていた感情が徐々に溶けだして漏れる様になったのか、口元を緩めて笑う様になった。
まだ表情は硬いままだが、死んだような状態よりは余程いいとシュノはそれだけで上機嫌だった。
「あがりだ」
シュノが投げ付けた札が場の札をさらって行き、役を完成させた。
「また俺の勝ちだな」
「シュノ強すぎ」
レイリは身体を起こすとシュノの唇に触れる様に口付けた。
レイリが負ける度にシュノはレイリに口付けを強請る。
シュノが負ければレイリと甘味を食べに行くというちょっとした賭け事をしていたが、今の所レイリの13連敗中である。
「…ちょっとお手水」
「一人で行けるか?」
レイリは頷いてふらふらと立ち上がった。
「まて、厠は冷えるからこれ着て行け」
ふわりと暖かな肌掛を羽織らせた。
最近急速に寒くなったせいか、薄い夜着1枚では冷えた廊下は身にしみる寒さだ。
薄暗い廊下を1人で歩いていると窓の外は雪が降り積もり、月光に反射して綺麗に輝いていた。
「レイリさん?」
ふと、背後から声がした。
レイリが振り返るとそこには徳利を載せた盆を持ったロゼットが立っていた。
最近独り立ちしたロゼットは綺麗な茜色の着物を乱しながら首をかしげていた。
「ここで何してるの?」
「……厠にきたら、雪が…」
消えそうな声で呟くレイリにロゼットは窓をのぞき込む。
「結構積もってるね
明日は雪掻きしないと」
「……雪掻き?」
不思議そうに首をかしげたレイリにロゼットは驚いたが、そう言えば良家の嫡子だったと思い出した。
「玄関先に積もるんですよ、雪。
そうなるとその雪を退けないと出入りできなくなるでしょ?
だから雪を掻くんですよ。
その雪が結構重くて…」
「ふわふわなのに、重いの?」
レイリは驚いていたのだが如何せん表情に出にくいため、ロゼットは機嫌を損ねてしまったのかと慌てたが、レイリの次の言葉を聞いて唖然とした。
「僕も、手伝っていい?」
「えっ?」
雪掻きは見習い禿や男衆の仕事で、ましてレイリは楼主の次に権力のあるシュノの恋人だ。
そんな事させていいのだろうかとロゼットには決めかねる事をレイリは暗い表情のまま聞いてくる。
「レイリさんは無理に手伝わなくても…」
「僕がやりたいの…
その、迷惑じゃなかったら…」
客で幽離籠に出入りしてた時も、レイリは何にでも興味を示す好奇心旺盛な所があったなと、思い出して中身はやっぱりレイリなんだと実感した。
シュノが来るまでの待ち時間、レイリの相手をローゼスとしていたロゼットから見て、幽離籠に売られたレイリは廃人だった。中身が無かった。
「良かった、ちゃんとレイリさんだ」
思わず口に出た言葉にレイリは首をかしげた。
「シュノさんが良いって言ったら手伝って下さい。
ただ、かなりの肉体労働ですから無理はしないでくださいね」
「……うん」
口元が少し緩んだのを見たロゼットはここ数日の変化に驚いていた。
「じゃあ、俺はお客様を待たせてるから。
明日は閉店と同時に雪掻きするから」
レイリは頷いて、ロゼットに小さく手を振った。
ぺたぺたと冷たい廊下を裸足で歩くレイリに胸を締め付けられる思いだった。
「足袋くらい履けばいいのに」
レイリの扱いは端女と同じだった。
重く冷たい布団も、禄に与えられない衣類も、粗末な食事も。
ロゼットはレイリの身に何が起きたか知らないし知りたいとも思わなかった。
ただ、良家で何不自由なく育てられた御曹子が遊郭に売り飛ばされることになるなんて哀れだと思っていた。
どうやらそれは間違っている様だ、レイリは感情こそ無くしてしまったが今が一番自由でいられるんだろう。
そう思って、暖かな甘酒の入った徳利を持ったまま今夜一夜を共にする客の元に戻っていく。
嬉しそうに頬を緩めながら。




日差しが眩しく入り込む朝。
レイリは窓の外を眺める。
調度客を送り出した遊女たちが店に戻ってきていた。
まだ眠っているシュノを起こさない様に簡単に着物を着付けると、玄関に向かう。
「あ、ほんとに来たんだ」
気だるそうに雪をスコップで避けているロゼットが玄関まで戻ってきた。
「雪仕事は足元が濡れるから長靴履いて」
玄関にはたくさんのゴム製の長靴が用意されていた。
外には幽離籠で働く女中や遊女の産んだ子供や、奉公に出ている子供たちが雪まみれになりながら楽しそうに雪かきをしていた。
「外套か羽織るものないの?
着ないと結構寒いよ」
レイリはずっと暖かな室内から出ることがなかったから肩掛けくらいしか無かった。
「これしか無い
けど、これ結構温かいから」
毛糸で編まれた肩掛けは冬になった頃にローゼスがレイリに編んでくれたものだった。
長靴をはいて外に出ると、ぎゅっ、と雪が音を立てた。
皆暖かそうな外套を纏いながら雪を投げあっている。
自分より少し幼いだろう少女の投げた雪玉が、ぼんやりと立ち尽くしていたレイリに当たって、バランスを崩したレイリは雪の上に尻餅をついてしまう。
「あっ、ごめんなさいです!」
少女が心配するように駆け寄ると、ニコッと笑って雪を払って手を伸ばしてくれた。
「……大丈夫」
小さくつぶやく声も彼女には届いたのか、嬉しそうに笑った。
「君も一緒に遊ぶです?」
「リアン、まずは雪掻きが先!」
ロゼットに叱られ、リアンと呼ばれた少女は手にした小さめのスコップで雪を店脇の邪魔にならないところに運んでいた。
「レイリさんはこれ使って」
ロゼットからスコップを受け取る。
さく、と雪の中にスコップを入れて持ち上げようとするとなかなか持ち上がらない。
「……ん、っ」
暫く悪戦苦闘しているとさっきの少女が戻ってきた。
「体重をしたにかけるといいがです」
そう言ってリアンはレイリと同じ位の量の雪をひょいと持ち上げた。
レイリは自分の非力さが急に恥しくなった。
「レイリさん、そんな量最初から持てるわけないよ。
まずは半分くらいから」
ロゼットが雪の量を減らすと、軽く持ち上がる。
「それをこっちの邪魔にならないところに運んで」
運んだ先にはレイリより大分幼い子供たちが運んだ雪で雪像を作っていた。
「あ、ロゼくん
こんな所にいたんだ、旦那様が起きたみたいでロゼくんを呼んでるよ」
ちょうど玄関からレシュオムが声をかけた。
「え、ほんと?
まだ寝てていいのに…すぐ行くよ」
ロゼットは慌ただしく道具を片して客間に向かった。
「レシュ…ロゼはお客さん?」
「ええ、ロゼくんの旦那様が何泊かなさっていくみたいで、ロゼくんすごく嬉しそうでしたよ」
居続けと言う、何日単位て娼妓を買う制度でロゼットが贔屓にしてる客がロゼットを買ってくれたらしい。
レシュオムはそのまま朝餉の支度があるからと言って厨に向かった。
「お兄ちゃん、こっちだよ」
鋼色の髪の幼い少女がレイリの着物を引っ張る。
「この頭のところにのっけて欲しいの」
丸い球体がポツンと置かれていて、頭と言われてもどこかわからない。
レイリが困っていると少女は首をかしげた。
「お兄ちゃん、ここだよ。
だるまさんの頭」
少女が指さしたところに雪を被せていくと数人の子供がぺたぺたと固めて行く。
子供たちが笑うとレイリも楽しくなってくる。
レイリの雪かきはいつの間にか雪遊びに変わっていた。




目を覚ますとまたレイリが居ない。
昨日は割と激しく抱いてしまったから起きれないだろうと思っていたが、まだ年若いせいか体力の回復は早いらしくて、シュノは煙管に火をつけて窓を開けた。
「お兄ちゃん、こっちこっち!」
外から子供たちの元気な声が聞こえて、自室から見える玄関先に目を落とす。
すると、吹き出した煙を飲み込みそうなほど驚いた。
「レイリ?」
子供たちに混じってレイリが玄関前で雪遊びをしている。
足元は長靴を履いてるようだが上着は肩掛けを羽織っただけで薄着もいいところだ。
今日は一段と冷える。
シュノは自分の暖かい羽織を掴んで玄関に向かった。
「レイリ」
玄関からレイリを呼び付けると、あからさまにビクッと身体を震わせたレイリがこちらを向いた。
ほかの子供たちもシュノの前では大人しくしてる。
「外で遊ぶなら暖かくしてから遊べ
風邪ひいたらどうするんだ」
レイリがおずおずと近寄ってくると、その体を抱き寄せて羽織を羽織らせた。
「着物もビシャビシャじゃねぇか。
お前、今日の雪遊びは終わりだ」
シュノはそのままレイリを抱き上げる。
「やっ…」
「文句は聞かねぇからな。」
シュノはそのままレイリを部屋に連れ戻すと、雪で濡れた着衣を全て脱がして新しい着物を着付け直した。
「冷たい身体だ」
ぎゅっと腕の中に閉じ込めた愛しい温もりをきつく抱締める。
「後で冬用の羽織を買いに行くか。
外で遊ぶ用にな」
「……そんな子供じゃない」
レイリは不満そうに、それでも心地よさそうに微笑んでシュノの胸に顔を埋めた。
「雪遊びは楽しかったか?」
「……うん」
優しく背中を撫でて、額にちゅっと口付ける。
「俺は今夜から居続けの仕事だから今のうちに外着買いに行くぞ」
居続けと聞いて、レイリはあからさまにしゅんと肩を落とした。
「どの位?」
「うちは最大で1週間て規則で決まってるが、俺はそんなに相手するのも面倒だから3日以上は受けてない。
暫くは寂しいかもしれないが昼間はローゼスに頼んであるからいい子にしてろよ」
1晩でも高額なシュノを3日も買うなんて想像すらできない金額なのだろう。
他人がそれほどまでの価値があるとしているシュノの心はレイリに独占されている。
3日も離れるのは不安で仕方なかったがそう考えると、レイリは自分が彼等から見たらいかに羨ましい存在なのだと理解出来た。
「うん、大丈夫だよ。
いい子にしてるから心配しないで」
腕の中に抱きしめたレイリが甘える様に擦り寄ってくる。


シュノに手を引かれ、吉原の中で遊女御用達の呉服屋の暖簾をくぐる。
「いらっしゃ……し、シュノ様じゃないかい!
今日は旦那様はご一緒じゃないんですか?」
「生憎な、今日は個人的な買い物だ。
こいつに似合う冬用の外着と着物を見立ててもらいたい」
シュノの背後に隠れていたレイリは唐突に見知らぬ人の前に引っ張り出されて狼狽えている。
「これは愛らしい。
早速ご用意させてもらいましょう」
店主は奥へ行ってしまい、暫くして綺麗な反物を沢山持ってきた。
「こちらの生地に絹と暖かな綿を織り込んだ素材でして、お色もこの様な…」
「レイリ、ちょっとここに座れ」
レイリは店に置かれた座布団の上にちょこんと正座した。
そうして大人しくしてると次々と反物を被せられていく。
シュノが悩んだ末、着物3着、帯が2本に簪と帯紐、花の髪飾りに髪紐、黄色の花柄の巾着、外着に白い兎の毛を使った肩掛けを購入した。
着物は後日仕立てたものを届けてくれるというので、採寸だけをして帰る頃にはレイリはぐったりしていた。
慣れない人にアレコレ進められ気疲れしたのだろう。
店に戻るなり今朝の疲れのせいか、うとうとし始めたレイリを大事そうに抱き締めた。
布団は片されていたため、シュノは自分にもたれ掛かって眠るレイリに羽織を被せた。
抱き留める形になり、身動きが取れなかったが、幸せな重みを感じていた。
「もうお前を一人にはさせない
愛してる、レイリ」
抱き締めた小さな身体は何も知らずにすやすやと寝息を立てていた。