目を開いた瞬間、それはまるで自分が生まれ変わったかのような違和感を伴って始まった。
白い建物は病院と言うよりシェルターと言った方が近く、圧迫感を与えるそれにただただ閉塞感を感じる。
目の前に居たのは少年、青年と呼ぶべきか?変わり目の年頃の男子。
隣には不遜な表情の女と困った顔の男。
それに、自分と同じく円陣の中で立ったまま固まっている6人の男女。
目に入ったのは白い髪をした望月の目の子で――。



俺達がここへ来てから数週間が過ぎた。
その間にセラピーやら検査やら説明やらを繰り返されて過ぎていき。
結論から言うと、俺は元の世界から一人だけ召喚されたらしい。
似ている人物は数多くあれど、平行世界や違う世界の人間だと知らされた。
可愛い鶴も、愛しい宗近も居ない。
何の意味も見出せない世界。
「この世界を救うには今、怜悧君の力が必要なんだ。どうか彼を信頼して、共に戦って欲しい」

ロマンと名乗ったドクターはそう口にしていたが、それは無理だ。
俺はバーサーカーというモノに分類され、思考に時々靄が掛かるのを狂化の影響だと言われた。
それ以外に力になる方法も、理由もない。
理不尽にもこの状況で幼い青年にだけ頼る事になってしまったと罪悪感からくる懇願をされても。
君なら力になれるんだという希望を持たれても。
それらが当たり前に存在して誰しもが考える願いである限り、果たされる事はないと知っている。

一人だけの部屋はそれこそ苦痛の種でしかない。
人の声が遮蔽されると、死んでいる様に思える。
誰にも"俺を"必要とされないのなら、既に死んで居るような物だ。
平行世界の椿国永は精神的にも発達していて頼られる事に自身を持ち誇りすら感じている。
性能が似通っていると思うが、彼にはなれない俺は単なる失敗作、むしろ影のような物だ。
俺のでは無い名前を語れる訳もない。
自身を肯定して愛してくれていた人達が居ない時点で、自分に価値を見出せない。

けれど、この中に彼等が居なくて良かったと安堵もしている。
様変わりした昏い目をする鶴の模倣品を見せられて、拒絶する姿も。
或いは何かが違えばこうなれただろうかと愛を知る自分を拒絶する姿も。
ただ神を呪う言葉を吐き出すしかない惨めな姿を、知られる事もない。

寂しい、哀しい、恋しい、愛しい、逢いたい、会いたくない、嬉しい、触れたい、愛されたい。

様々な感情が渦巻く中、それでも消える事は出来ないと言われて思考放棄を決め込む。
決め込むのに、上手く染まった桜色の髪が視界の端に映るのを煩わしく感じた。
何故か長くなっている髪は、根元から染まっているようで本来の白さは無い。
髪を切っても束の間、それは何事もなかったように元の長さに戻る。
何度切っても、腕や腹を切っても、何事もなかったように戻る。
治っているという過程を感じない、ただ最善の状態に巻き戻る。
鶴が怯えるから死が怖いと思ったのに、強制される生の方が恐ろしい。
こんなにも矯正的な世界の中に居ると、それこそ本当に狂ってしまいそうで。

今は表情を隠す仮面がありがたく感じた。



小烏国永、小烏黒葉、五条鶴丸。
同じ世界から来たと言っていた、違う俺とその番、息子の様に親しくしている友人。
マスターはこちらの国永に懐いているらしく、国兄と呼んで五条とは兄弟のように接している。
行きすぎた接触が見られるが、俺には関係の無い、むしろ関わりたくない奴等に分類する。

和風の服に身を包む緋翠と名乗った女と鶴丸国永と名乗った男はどちらかと言うと傍観者。
女は友人に似通った外見をしていたが、友人は生憎と男の様な素振りをしていた。
鶴丸国永は刀剣、つまり刀のカミサマだとかで白い髪と白い和装に身を包んでいる。
鶴と似通っているのは鶴丸も同じだったが、成長をして落ち着きを身に付けたらこうなるのだろう、と思えて好ましい。
話して嫌、という事も無くむしろ話しやすい方に分類する。

そして残るは完全な異世界からやってきたという男が二人。
一人はレイリ、マスターと同じ名前でけれどこちらの方が青年だ。気の優しい性格なのか温和な表情が多い。
もう一人はヒスイ、商人だという彼は事なかれ主義だが己に利のある方を優先すると言って憚らない自由主義。
きっと関わる事は無いだろう、とそう思っていた。

「おい、そこの名無し――」
「?」

呼ばれた事に振り向けば、ヒスイだった。
呼ばれる用事などは無いし会話をした覚えも無い。
それでも自分の事だと分かったのは、俺が一貫して名前を明かさないからだ。

「そそ、お前だよお前。少し話をしたいんだが、良いか?」
「……構わない」

今日はDr.ロマンの診察もダ・ヴィンチの検査もナイチンゲールの訪問も予定はない。
予定を考えてみても何も浮かばなかったので、何の障害もない。
が、果たして何の話なのか。
身の上話をするには世界が違う、名前も出身も明かしていない、国永との関係性は一切否認。
加えて、バーサーカーというものは脈絡もなく暴走するらしい。
ヒスイはランサーというクラスだったから撃退は容易いのだろう。
戦術の事を聞かれても、戦闘中の俺はハイになっているらしいから特にそれらしい物は無い。
本当に何を聞かれるのかと考えて居ると、彼が向かったのは誰かの部屋の前。

「入るぞ、俺達が入ったらロックしろ」
「え、もう連れてきたの!?ちょっと、まだお茶の準備が……あ、いらっしゃい!どうぞ座って待っててね」
「いきなり来て良かったのかい?」

レイリというルーラーだったか、青年は温和な微笑みを浮かべて頷く。
そのままドアの横でパネル、だろうか?を操作して本当にお茶の準備を始めた。
立ったままなのもおかしな話だろうと、近場の椅子に座って足を組めば意外そうにヒスイが横から笑い声を上げる。

「いや、悪い悪い。ツルが言ってたから人の話を聞かない方なのかと思ってたんだ。素直で意外だった」
「……話をしたいと言われたんだ、なら会話をする態度というものがあるだろう。その位の良識はあるさ」
「お待たせ!何が良いか分からなかったから、アールグレイにしたよ。後、お茶請けにマドレーヌ」
「ああ、ありがとう。……マドレーヌは、君が?」
「うん、改めて自己紹介するね。僕はレイリ・クライン、ちょっとした団体でリーダーをしていて……その息抜きに」
「レイリは甘い物に目が無くてな。俺はヒスイ、単なるヒスイだ。よろしくな」
「ああ、よろしく頼む」

笑みを浮かべた方が良いだろうか、と考えて仮面越しならそれも伝わらないかと頷くだけに留めた。
二人は顔を見合わせた後に落胆した表情をしていたが、よろしくと言われたので了承をしたのが悪かったのだろうか?

「お前、自己紹介なら名前を名乗らないか?」
「それとも、名前を知らない?記憶喪失とか……言いたくないなら、仮名でも」
「あ、あー……それか。忘れていたな、名前か……。言いたくないのが半分、自分でも信じられないのが半分かな」
「なるほど、ロマン野郎が落ち込む訳だ。それでも仮名を決めなくちゃ、存在出来なくなるぜ?」
「え!?そうなの!?」
「名とは存在を支える根源だからな。偽るのも良くないんだが……改めて世界と命約を結ぶなら必要だ」
「……そんな風に考えた事は無かったな。自分の根本……なら、俺は尚更名乗る訳には行かない」
「どうして?その、自分が消えるかも知れないのに、そう言い切れるのは何故?」
「……自分の成功品みたいな奴が目の前に居て、それと同じ名を名乗る勇気が無いだけさ。自信が無い、自身が失い」
「同じ名……、なるほどな。しかし、それで消えるっていうのは責任を放棄しすぎじゃないか?」
「君の名と同じ友人を知ってるが、君達は面白いほど同じ事を言うんだな」

僅かばかり不機嫌そうに眉を跳ねさせる様子に、仮面の下で笑ってしまった。
そうして心配そうな顔で沈黙を守るレイリに、お茶請けを食べて良いかと聞く。
眉を下げてどうぞ、と勧めてくれるレイリにリーダーには適していないだろうと憶測を抱いて、マドレーヌを口にした。
他人の手作りだと言われても、悪い気はしない。
彼が単純に物を考える方ならきっと口にしなかった。
話した印象は思慮深く、そして少しだけ臆病な、人心地の良い青年だという事。
リーダーという程己を強く出す勝ち気なタイプではなく、ただ誰かを泣かせたくないという強い保護性で我慢をする。
だからこそ、打算で動かざるを得ないヒスイが利のあるようにお為ごかしをしてまで支えたいのだろう。
マドレーヌを食べた事で口元が顕わになった仮面の下で、微笑んだ。

「そう言うなら、君達が名前をくれないかい? 見た通り、仮面で隠すほど自分が無いんだ。
せめてこの世界に居る理由が欲しい」
「それならロマン野郎が言ってたじゃ無いか。マスター怜悧の力になってくれと」
「ふふ、俺は誰かの願いを代わりに叶えてやる程、優しくはなれないんだ」
「でも……名前を付けるって、呼ばれたい名前は?呼んで欲しい人は居ないの?」

胸を締め付けるほどの悲壮さでレイリはそう呟いた。
愛しい、空しい、会いたい、居ない。
言外に強く望む言葉に、無い筈の胸が打たれた気がした。

「呼ばれたい名前はあった。呼んで欲しい人は居た。でも、良いんだ……ここでは意味が無いから」

二人が息を飲む気配を感じる。
意味は正しく伝わったようだと、小さく微笑む。
俺としては、捨てられた犬に名前を付けてやれないか、と聞いているだけなのだが。
或いは、迷子になっている犬のリードを引いてくれないか、と嘆願しているような。

「理由としては悪くないんじゃ無いか?ただし、いつかお前は自分の口から真名を明かせよ」
「ああ、いつか……俺が俺を受け入れられたら、その時は」
「あの……僕、一つだけ名前を思い付いたんだけど……」
「どんな名前だい?」
「……僕とは全く似ていない、けれど、背中合わせな彼の名前……僕を支えてくれて、近くて遠い人」

『イリヤ』

「……そんな大切な名前を、俺に預けて良いのかい?」
「僕は……多分、貴方だから預けたいと思ったんだと思う。彼に似ている、貴方に」
「はは、随分強気な意見だな……でも、そうだな……そう思われる様になりたいとは思ったよ。ありがとう」
「とりあえず問題事は一つ片づいたな。俺は自己紹介をした時点でお前を友人だと認識した。だからそう扱え」
「あ、ぼ、僕も!貴方を知りたいと思ったから、放って置けなかったから話をしたいと思ったんだ。改めて、よろしくね」

和やかに笑う赤い髪のランサーと、弱った笑顔で笑う金髪のルーラー。
二人共穏やかな目で確かに目の前の俺を見ていて、

「ああ、俺はイリヤ。バーサーカーのイリヤだ。改めてよろしくな、レイリ、ヒスイ」

安心をした俺は確かに笑って、自己紹介をした。
この世界に生きる俺にイリヤという名前を付けて。