朝、気だるげに目を覚ましたレイリはあたりを見回した。
シュノがいない。
遊里は昼夜逆転の生活からか、夜に客を相手する娼妓達は昼まで眠って、夕方近くに身支度を始める。
1晩に何人もの客を取らなければならない事もあるために体を休めている時間のはずだ。
「シュノ…どこ…」
不安に押し潰されそうなレイリは辺りを見回す。
すると大きな姿見がこちらを見ているように置かれていた。
そこには客と一夜を過ごした後の遊女の様な肌蹴た緋襦袢から覗く赤い花がいくつも白い肌に残されているのが見えた。
シュノに愛された証に嬉しくなり、ほんのり口元が緩む。
あの美しく気高い花魁がまさか自分の様な生まれの卑しい妾腹の子に執心してくれるのが心地よくて、何度も足を運んだこの幽離籠。
ため息をついてレイリは身体を起こした。
「レイリ、起きたのか?」
襖が開いた音がして振り返る。
艶やかな着物を纏ったシュノが近寄ってきてレイリを抱き締めた。
寝起きで身体が冷えていたレイリを包み込む様に腕に閉じ込められる。
暖かな体温、安心するシュノの匂いに自然にレイリはシュノに口付けされていた。
「ん、ふ…」
あの日以来、シュノは口付けも抱いてもくれなかった。
夜はレイリを養う為に客を取り、昼間はレイリが不安にならない様にそばに居てくれた。
「久し振りだったから疲れたか?
身体は痛まないか?」
シュノは甲斐甲斐しくレイリの世話を焼こうとする。
「この身体はシュノの物だから、好きにしていいんだよ…」
するとシュノは柔らかな笑を消して、イラついてる様にレイリの腕を掴んだ。
「…いたっ」
「お前、そんな風に言うのやめろ」
幽離籠に来てからすっかり痩せ細ったレイリの細腕が、ギリギリと締められて痛みに顔を歪める。
「…ごめん、なさいっ…ごめんなさい…痛い、シュノ…痛いよ…」
自分でも思わず力が入っていたのか、涙を浮かべ掠れた声で謝罪するレイリの手を離した。
どうしてシュノが怒るのか理解できないレイリは泣きながらシュノから離れた。
握られた所は赤く痣になり、ヒリヒリと傷んだ。
「お前は、お前の意思でここに来た訳じゃないだろうけど、そんな風に自分を卑下するな
俺がお前の身体目当てでお前を買ったとでも思ってるのか?」
ハッとしてシュノを見上げる。
自分は何をしてしまったのだろうと、頭の中がグルグルする。
シュノの言葉一つでレイリはすぐにパニックを起こしてしまう。
「ご、ごめんなさい…」
よく判らないが、自分がシュノを傷つけてしまったのだと理解したレイリはシュノの着物に抱き着いて離れようとしない。
「悪かった、お前が自分を安く見るのが嫌だったんだ。
俺はここで生まれ育った、いい暮らしとは言えないがそれなりに気に入ってる。
だけどお前はこちら側に来るな」
シュノに、どこか拒絶されたみたいで涙が溢れてきた。
シュノはその端麗な顔を困ったように歪ませた。
「ごめ…なさ、シュノ…」
「…お前は娼妓の真似事なんてしなくていいんだ。
それは俺の仕事だ、お前の仕事はこうやって……」
シュノは抱き締めたレイリを更に引き寄せる。
身体が密着して息遣いが近い。
「俺を癒してくれればいいんだ」
「ふぁ…シュノ…」
口付けの合間に漏れるシュノの吐息がレイリの身体を熱く昂らせた。
レイリの身体は角砂糖のようにシュノに翻弄され、熱で溶けていく。
骨の髄までトロトロに溶かされてそのままシュノと一つになる。
柔く甘いその身はシュノの熱でしか溶けられない。
「レイリ、飯まだだろ」
極上の気分から一転、昼過ぎに目覚めたレイリは今更腹の虫が鳴ってることに気がついた。
「うん」
「もう昼餉の時間だ、先に食事だ。
今日こそ客は取らないでそばに居る」
レイリの頭を優しく撫でる。
その手のひらが心地よくて、甘える様にシュノに身を預けた。
レイリはシュノの分の膳を運んでくると、自分の粗末な食事が乗った盆を持って隣に座った。
シュノがいくらほかの者に持ってこさせると言ってもレイリはシュノの身の回りの事は自分がやりたいと言って聞かなかった。
親に見捨てられたレイリを引き取ってくれたレイアにも、買い取ってくれたシュノにも、レイリは何も返せてない。
だからシュノの事だけは全部自分でやりたかった。
ここに売られた時シュノ以外の男に脚を開くのだと思うと怖かった。
シュノが レイリを買い取らなかったらそうなっていた筈だった。
そうならなくて済んだのならせめてできる範囲でシュノの側に居たかった。
「レイリ、お前もっと食え」
シュノが自分の膳に副えられた焼き魚をレイリの粥の中に解して入れていく。
真っ白だった粥は焼き魚の身が混じった事で色付き、美味しそうな香りを放っている。
「肉食えとは言わないからせめて魚や野菜はとれ」
「……うん」
母親が焼死してから、ずっと喉を通らなかった食事も、少しづつ味がわかるようになっている気がした。
程よい塩加減に焼かれた鮭の身を粥に混ぜながら食べるのをシュノは見届けてから自分の食事につく。
小さな椀に装われた粥を食べ切ると、粉薬の包を取り出した。
レイリは目の前で母親が焼け崩れるのを見てしまってから精神を病んでいた。
そんなレイリに気付け薬だとレイアが毎日飲ませているそれは精神安定剤。
この薬がレイリの笑顔を奪い、壊れそうな精神を辛うじて生に留めている。
食事が済むと、レイリは食べおえた膳を下げる為に厨を訪れていた。
「……お願いします」
いつもは指定の場所に置いてすぐに去っていくレイリが厨番に小さく声をかけた事に、そこにいた全員が驚いた。
「はいよ」
女中が豪快に笑いかけて食器を受け取ると、レイリの表情が少し緩んだ。
「あ、丁度いい所に」
厨から出るとちょうど出会い頭に誰かに声を掛けられた。
「レイリ、ちょっとおいで」
柔らかな笑を浮かべながら艶やかな着物を翻したのはローゼスという名の花魁で、店ではシュノの次に人気がある。
全く面識がないわけではなく客の時代にもシュノが来るまで話し相手をしていてくれていた。
「?」
「レイリ、ここに来てから寂しそうにばかりしてたでしょ?
今丁度みんなのいらなくなったもの整理してたら、ほら…」
そういってローゼスは赤地に金の刺繍で蝶が縫われた綺麗な着物を差し出した。
「レイリに似合うんじゃないかと思ってね。
一式貰ってきたよ、シュノに着せてもらいな
この簪は俺のお下がりなんだけど、レイリがしたら可愛いと思うよ」
ローゼスはレイリの瞳によく似た透き通った青色のガラス細工が施された簪を髪に挿した。
「うん、やっぱり可愛い
シュノ、きっと喜ぶから早く行ってあげな。引き止めて悪かったね」
レイリは首を横に振って着物を大事そうに抱き締めて微笑んだ。
「あのっ…ありがと……」
幽離籠に来てから凍りついた様に表情を変えたなかったレイリの小さな変化に、ローゼスは艶やかに笑いレイリに手を振った。



「それ、どうしたんだ?」
「……ローゼスがくれた
皆着なくなった着物だから僕に着なさいって」
ローゼスが抱えてる禿達は大体レイリと同じ位の背格好だった筈だがと思い、着物を受け取る。
それは幼い頃にシュノが着ていて、着なくなったもので、そう言えばローゼスに処分を頼んだものだった。
特別着古したものではないせいか、新品のように綺麗に補修されていて、レイリの身長に合わせて誂えている。
「気に入られたな」
「……?」
首を傾げながらレイリは着物をしまおうと衣装箱を取り出す。
「まて、少し羽織ってみろよ」
シュノはレイリの体を抱き寄せて着物を掴んだ。
豪華な金の刺繍が施された着物におそるおそる袖を通すと、シュノの匂いが鼻先を掠めた。
「…これ、シュノの匂い…」
「ああ、これは俺が15の頃に水揚げされて初めて客に抱かれた日に着ていた着物だ。
俺の水揚げは希望者が多くて随分高額になったからって着物を新調したんだ」
「シュノが初めてお客さんをとった日?」
ぎゅっと胸が締め付けられた。
「そうだな、それはシュリとレイアが俺に贈ってくれた着物だ」
意外な名前に驚いていると、綺麗に着付けられたレイリの身体を抱き締めた。
「似合うな、可愛く着れたじゃねぇか」
「シュノの匂い…シュノに抱かれてるみたい」
頬を染めながら、シュノの胸元に身を預ける。
「お望みなら今すぐにでも抱いてやるぜ」
シュノはレイリの手を取り、甲に唇を寄せた。
「んっ…」
レイリは拒む様子も見せずにそのままシュノを見上げた。
にこりと笑いかけるシュノは唇をぺろりと舐めてレイリを押し倒した。
畳の匂いに混じってシュノの匂いが身体にまとわりつく。
「シュノ、ん…っ」
微かにしか力が入らない手で僅かに押し返すその手を握る。
「どうした?嫌か?」
少し残念そうに見えるシュノに、レイリは目を伏せたまま顔を背けた。
「違う…何か、こうやってシュノに触れるの久しぶりだなって…」
どうしても硬くなってしまう表情で、シュノに伝わっているか不安だがレイリはシュノの頬に手で触れた。
あの日から、全てが変わってしまった、無くなってしまった。
笑い方も、話し方も、触れ方も忘れてしまった。
「シュノは、今の僕は好き?
前の僕に…戻れなくても…好きで居てくれる?」
怖くて聞けなかった事を勇気を出して聞いてみた。
「お母様はずっと僕のそばにいてくれるって言った。
でもお母様は死んじゃった…」
あの家で唯一、僕を愛してくれた人。
「僕にはもう、シュノしかいない…」
シュノは黙ってレイリを撫でてくれた。
「俺にはお前だけだ、なんて使い古された文句なんて俺の心にはなんも響かねぇ。
お前だけだ、お前にだけはこんなに心を乱される」
シュノはレイリの着物をするすると解いていく。
白い肌に昨日の名残が色濃く残り、気恥ずかしくなる。
「何度抱いても足りない、お前が欲しい。お前だけでいい、他に何もいらない」
肌蹴た着物から白い肌に手を這わせる。
「んっ!」
「今なら客の気持ちがわかる気がするな
お前を目の前にしたら、欲しくてたまらない」
何度も抱かれた身体はその欲情的な瞳だけで熱く昂ってしまう。
「昨日は久しぶり過ぎて余裕が無かったからな、今日はじっくりお前に俺を刻み込んでやる」
シュノの手が肌に触れるだけでレイリの身体は浅ましく身体を喜ばせた。
「シュノ…」
長い間触れ合ってなかった肌は昨日の情事のせいかシュノの熱を欲しがって身体の芯を熱くさせる。
「愛してる…シュノ、愛してる。」
レイリはシュノにしがみついて強請る様に口付けを交わした。
「お前を死んでも離さない」
シュノがレイリの耳元で囁くと、レイリは花が綻ぶ様に笑い、頷いた。