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スミレの人 1

白が降る。
俺に、世界に、足下に。
静かに、音も無く。
見上げていたら、何かが顔に触れた。
痛みにも似た感覚で、けれどそれとは違うもの。
少しの時間立っていただけ、周囲から色が抜け始めた。
全ての景色が、白に埋め尽くされていく。
あったはずのものを呑み込んで、全てを無かった事に変えていく。
目の前に倒れ伏す、もう動かない小さな身体すらも。
結局、何と呼べば良いのかすら分からなかった相手。
それを手に持ったもので切り捨てた俺。
何の感情も思い付かない事に、嫌悪を覚えた。

多分、一生、この色を忘れることはないだろう。



シュノが育ったのは、山間にある小さな村だった。
窓のない部屋には常に一人きり。
一日に一度、食事を持ち込む時にだけ母と名乗る人が来た。
それ以外は誰も来ない、灯りもない薄暗い部屋。
母だという人に部屋を出るなと言われたからそうしている。
恐らく、扉にカギなど掛かっていなかっただろう。
出るなと言うわりに、結構な頻度様子を見に来る事も、ずっと居て監視をすることも無かったから。
もしかしたら、出て行って欲しいという気持ちがあったのかも知れない。
今となっては、あの人が何を考えていたのかは分からないし、確認する術もない。
ただ、子供の遊び道具などない部屋の床には、人が書き散らかした絵姿だけ。
どれもが破られていて、無事なものは一つも無い。
それを一つ一つ、眺めるのがシュノの毎日だった。
とくに変化もない風景。
唯一の違いは、人が来た時だけ。

「シュノ、居るの?」

人が呼ぶ声で、自分はシュノという名前なのだと知った。
人との目線の遠さで、自分との違いを知った。
「お母さんね、今日はシチューを作ったの。沢山食べてね」
甘える様な絡みつく声と、様子を窺い鋭く絡みつく視線に違和感を知った。
そして、シュノが身動ぎをする度に跳ねる肩に、恐怖と怯えを知った。

「お父さんはね、騎兵隊の一員だったのよ。とても強いサムライだったの。とても強かったの」
「……」
「シュノはお母さん似だけど、男の子だからきっとお父さんみたいに強くなるわ」
「……どうし――」
「ひぃいぐう!?な、なに!?何なの!?何が言いたいのよッ!!!」

ただ、どうして、と聞きたいだけだった。
けれどシュノが声を出すと、目の前の人は、母は、それまでの表情を一変させて怯えた。
顔中の筋肉を硬直させ、痙攣させ、目をぎらつかせ、異形の何かに変わったのではないかと思うほどだった。

「私に何をする気なの! あの人まで奪って、この人殺し!!」
「……」
「何よ、何とか言いなさいよ、どうせあんただって私を殴って押さえ付けて……殺しなさいよ!
さあさあ、さあ!!殺してみなさいよ、この化け物!!!」
「……」
「殺しなさいよぉ……あの人の所に、行かせてよぉ……」

ひとしきり奇声を上げた後は、大抵泣いていた。
殺せと言われても、その方法を知らなかった。
あの人と言われても、誰の事か分からなかった。
だから、何もせずに見つめていた。
そのうち我に返ったのか、母は恥ずかしそうに笑って顔を逸らした。

「ごめんなさい、駄目ね……お母さんたら。ねえシュノ、シュノ、私の可愛いシュノ、聞いて?」
「……」
「お母さんはね、シュノが可愛くて、大好きで、大切で、愛してるの。愛しているから、さらわれないように閉じ込めてるのよ」
「……」
「嗚呼、シュノ……貴方が生まれた時、本当に嬉しかった。あの人も貴方を抱いて、泣いていて……幸せだったの」

語る母は恍惚とした表情で、もはやシュノの事はどうでも良いのだろうと分かった。
母にとって大切なのは、生まれたばかりの自分と母と誰か。
幸せ、という言葉に夢を見るように、母は部屋を出て行く。
そうして再び一人になった部屋には、静けさだけが残った。
シュノが知っている事は、多くはない。
シュノは男で、母という人は女で、父という人はキヘータイでサムライをしていた。
シュノの世界はこの部屋の中だけで、母はシュノを化け物だという。
外を知った後なら、納得出来る要因になるほどと言える。
けれどこの頃は、あの人が言うならそうなのだろうと、漫然と受け止めていた。
泣きもせず、笑いもせず、怯えもせず、我が侭もせず、ただ存在しているだけの子供。
好い子にしなさいと怒られた訳でも無く、泣かれると困ってしまうと困惑された訳でも無く。
最初からそれらを知らず、そして必要としていなかったから覚えずに。
そんな子供を抱えていたからか、他に要因があったのか。
ある日彼女は、シュノの髪より深い色合いの着物を肩に羽織り、その下に刀を持ってやって来た。

「シュノ……ねえシュノ、シュノはお母さんを置いていったり、しないわよね?」

常とは違い、微笑みながら、常と同じまとわりつくような甘い声だった。
何かがあったのか、無かったのか。
どちらにせよ、限界だったのだろう。
ただ、いつか来るその日が今日だっただけ。
肩に掛けた羽織が腕を上げた拍子に床に落ちて。
上げた腕には、手には短刀が握られていて。
シュノは、驚くでもなく平素と同じようにそれを見上げていた。

「シュノ、愛しているわ」

その微笑みと甘い声は、まるで睦言のようで。
自己陶酔をする母より、絵筆を持つしかしなかった女より、自分の方が"ソレ"を上手く使える。
そう、思った時には手が伸びていて。
初めて自分の中に生まれた欲求が、母を殺めた。
どこを斬るつもりだったのか分からない手から刃物を奪った時には、返す手で母の首を切っていた。
やはり、自分の方が上手く使えたと自覚した時には赤く温かい液体が噴き出してシュノを濡らす。
初めて知った他人の熱は温く、気持ちの良い物では無いと思った。
物言わぬ人となった母を、彼女の着物で液体を拭いながら見る。
悲しいとも、厭わしいとも、ただの物と化したそれに何も感じない。
同時にここに居る理由も失って、シュノは羽織を肩に掛けながら小屋を出た。
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