「翠よ、今度パーティーがあるのだが、パートナーを務めてくれぬか?」
「何で俺? というか人気オカルト作家の三日月宗近先生にパートナーが居るのは編集や担当が止めるんじゃ?」
「……駄目か?」
「いや、行くのは構わないけど」
ちゃんと連絡しておけよ、と言ったのは数日前。
そしてパートナーとして連れ歩くのは御法度だが、その後に会場のホテルが取れたと言われ。
今目の前には招待客として用意されたドレスと招待状、更にはスタイリストまで居る。
ここまで手はずが整って居れば逃げ出すわけにも行かない。
モデルとして沢田が賞を取った際には付き添っていたから、華やかな場には慣れている。
が、まさか宗近が賞を取っていたとは知らなかった。
スタイリストに聞かされて始めて知るとは、迂闊だった。
「それにしても椿さん、綺麗な肌してるわねー。流石先生のお墨付き」
「はあ……」
化粧を施していきながら口を回すスタイリストに気のない返事しか返せない。
というか口の回転数と手の作業効率が同じなんじゃないだろうか、この人。
薄く施される化粧に頬を桜色に染められ、唇を淡い朱色で飾られる。
そうして衣裳を着付けるという段階で、
「あら」
「どうかしましたか?」
「いえいえ、ただねぇ……先生ってば大胆ねー」
何て言われれば嫌な予感がする物で。
着てみれば首元の隠された背中の空いているデザインだった。
しかも首元から背中へと流れているので肩や背中が晒し放題。
どちらかと言うと尻まで少し見えているかも知れない。
持たされたショールをゆったりと羽織れば少しは緩和されるだろうか。
「げ、スリットまで空いてる」
「あら先生ってば。でもこれだけ綺麗だったら見せびらかしたいの分かるわー」
足と背中の話よ?等と言われても真意は分かっている。
スリットが入っていればいざという時も蹴りやすいだろう?だ、まず間違いなく。
足下に関しては人魚裾になっているので仕方ないと諦めよう。
ただこれでは歩き方が顕著に分かってしまう為、モデル歩きをしないといけないようだ。
(面倒くさい)
やっぱり断れば良かった、と思う頃には会場に付いて壁の花を決め込んでいた。
入り口で貰った細長いグラスに入ったシャンパンを飲む気にはなれない。
一度だけ宗近と目が合ったが、挨拶回りの最中だった為お互いに微笑むだけだった。
黒いドレスな為、そこまで目を引かない事が唯一の救いか。
壁に背を預けて足を組めば、少しは楽になった気がする。
「おや、こんな所に一人きりで壁の花ですか。パートナーをお探しですか?」
「……花には花の理由があるんですよ、Mr.」
微笑みながら言外にNoと言えば、物わかりの良い彼は去って行った。
宗近を視線で探せば今度は女性に捕まっている。
彼のファンかスポンサーか。
何にせよ、まだまだ時間が掛かりそうである。
ため息をついて暇つぶしになる物を探すが、生憎立食の物しか見当たらない。
元々食べるのが苦手な為に興味も引かれず、シャンパンを少しだけ飲む。
「失礼。お名前をお聞かせ願ってよろしいですか?貴方も招待されて?」
「宗近先生でしたらあちらですよ」
「ええ、先程ご挨拶してきました。失礼、私は彼と同じオカルト作家で――……」
微笑んで交わそうとしたら食いついてきた。
オカルト作家だと名乗る彼の作品はしかし聞いた事も無い。
読書家という訳でも無かったので特に興味もわかない。
「申し訳ありませんMr. 私文盲なんです。難しいお話はよく分からなくて」
笑顔を浮かべてそう言えば、相手の男は固まった。
それに関心を無くしてシャンパンを飲めば、次に話しかけてきそうな男を見付けて回避の為に移動する。
移動した先には宗近先生へ、と書かれた花籠が。
無造作にそこから一輪取り出すと、それは白い花だった。
当てつけに白い百合に変えようかと思ったが止めて、手に取った白い花を耳に掛ける。
そうして男性の居なくなった壁に戻ろうとして、行く手を阻まれた。
「は、花が好きなんですか!?」
「……ええ、タンポポが」
「たん、ぽぽ?」
「はい、そうです」
微笑みながらそう返す事の何と無駄な作業か。
それでも続けるのは、せっかくの祝いの席に水を差したくないからだ。
が、遠くで宗近の退場と立食パーティーをお楽しみ下さいというアナウンスが聞こえて目を向ける。
こちらを見ていた宗近と目があって、もう良いのかと理解した。
瞬間こちらの手を掴もうとした男から距離を取って振り返り、
「ご機嫌よう」
自分なりの極上の笑顔で会釈をして宗近の下に歩いて行く。
クスクスと口元に手を当てて楽しそうに笑う宗近の脇腹を小突いた。
それだけで彼は背に手を回して抱き締め、自分もそれを許して歩く。
向かう先はここのホテルの展望バーだと言われて頷いた。
二人でカウンターに座り、薄暗くなっている店内を見回す。
「随分と洒落た場所だな?」
「実は担当がな」
「なるほど、通りで。お前、お洒落は苦手だもんな」
クスクスと二人で顔を近付けていればバーテンダーが注文を取りに来る。
既存の物で無くても作ってくれると聞いて、どうしようか逡巡し口にした。
「三日月宗近先生の最新作で」
「おや、では俺は代表作にしよう」
畏まりましたと言ってシェイカーを振るバーテンダーの手元を見ながら話す。
代表作はどんな物が来るだろうか、先程は随分女性にモテている様子だったとか。
後は俺の方に来た男の話なんかも出た。
「熱心に見ていたから妬いたかと思ったぞ」
「まさか、お前がそういう意味で好きなのは俺だろ。相手はファンかスポンサー? 大切にしておけ」
「ふむ……お主のそういう所は好ましいがな、些か面白くない」
「そうは言われてもこっちは告白されて、目下考え中なんでな。そういう意味で、だけど」
「やれやれ、つれない花だな」
「自分を安売りするつもりは無いさ」
お互いに笑って冗談めかしながらだが、こういうやり取りは面白い。
宗近の事は親友だったが、肌を合わせても悪くない、むしろ安心出来る相手だろうとは思って居る。
が、それを好きや愛してるという意味なのかと問われると難しいのだ。
自分には縁がない感情だと思って居た分余計に。
それに怜悧や朱乃と言った息子達の気持ちもあるし、母親である以上あの子達の父親としても考えて欲しい。
要は一筋縄ではいかないのだ。
そうやっているうちにバーテンダーは苺を刻んで串に刺した赤いカクテルを、宗近には藍に沈む黄色の実のカクテルを出してきた。
「最新作、緋色の寝子と代表作の望月です。……望月は私が好きな作品、という事ではありますが」
「お見事、綺麗なもんだな」
「ほう望月か……懐かしいな」
そう言う宗近の目は優しい。
彼特有の遺伝の関係とやらで藍の瞳に浮かんだ三日月を見るのが好きだ。
顔が良いとよく言われる彼の一番好きなのが感情の分かりやすいこの独特な瞳だ。
「それにしても緋色の寝子なんて俺見てない、今回は献本無かったのか?」
「いや……実は、アレはお主をモデルに書いていてな。気恥ずかしかったのだ」
「へ? そうなのか。……あ、寝子って猫の事か?」
「うむ」
恥ずかしそうに笑う珍しい姿を見つつ苺を見る。
なるほど、猫耳に見えなくも無い。
それを宗近の口元に持って行けばパクり、と食べてくれる。
ちょっと笑ってカクテルに口を付ければ、爽やかな酸味と口当たりの良い甘い味。
バーテンダーに同じ物を苺抜きで頼む。
「猫だと思ったら実は獅子の子だったりしてな? どんな話なんだ?」
「うむ、緋色の髪の女がな、夢の中で様々な怪異に会うのだが……」
いつになく饒舌な宗近の話を聞きながらカクテルを飲んでいれば、思ったより度のキツい物だったらしい。
肩に頭を預け、背に回された腕が心地良い。
物語を語る宗近の唇が、舌が、艶めかしく見えた。
「翠、どうした? 眠くなったか?」
「……ちか、ちゅーしたい」
「……お主、飲み過ぎたな」
唇が魅力的な宗近が悪い、と思った頃には会計の算段は付けていたらしい。
椅子に座った格好から横抱きをされ、首に腕を回して大人しくしておいた。
スーツの襟から見える首筋が綺麗だとか、喉仏のはっきりしている所はやっぱり男性なんだな、と。
抱き締められても気持ち悪いと思わない、安心する力強い腕とか。
何より落ち着く宗近の匂いが好きだ。
「ちか、ちか、まだだめ?」
「……俺は人前でお主を抱き潰すつもりはないぞ」
少し怖い目で見下ろされて、思わず泣きそうになって顔を埋める。
嫌われたら嫌だ、ちかと離れるのは嫌だと考えたら涙が出てきた。
せめて声だけでも押し殺そうと抱き締める腕に力を込める。
そうしたらバタン、と何かが閉まる音がして足が自由になった。
突き放されるのかと思って力を込めた腕は、それよりも強い力で抱き締められる。
驚いて顔を上げたところで、頭を固定するように手が回った。
ちゅ、ちゅ、と音を立てて涙の跡を吸われ、口に吸い付いてくる。
「ん、ちか……ふぁ、ん、ちゅ……ふあ、あう、んぁ」
「……翠はキスが好きだなぁ。それとも舌を噛まれる方が良いか?」
ぴちゃぴちゃと粘液質な音が響いて、それと同時に舌と舌が合わさり、噛まれ、背中をぞくぞくとした快感が走る。
抱き締めていた筈の手はもう宗近の服を掴む事で精一杯で、足に込めた力も抜けそうになった。
耳元で囁かれる低めの声にもぞくぞくとして、お腹の辺りが切なくなる。
「ちかのキス好き……、もっと」
もっと一杯頂戴と強請れば、彼は先程よりも深く舌を合わせ、噛み、露出した背中を撫でてきた。
精一杯合わせようと舌を伸ばし、足に力を入れたけれども。
「んちゅ、ちゅ、ん……ん……ふ、あ、ひやぁんッ!」
口内を弄られた後に舌を噛まれ、背中の弱いところを指でぐりぐりとされて足から力が抜けてしまった。
肩で息をして、必死に震える身体を堪える。
宗近が同じ目線になるようしゃがむのを視界の端で捉えて、意識を手放した。
「翠? 翠よ、大事ないか?」
くたりと身体を投げ出して眠る緋翠は、濡れた唇と上気した頬が先程の余韻を残している。
目下検討中、と言われた割に蕩けた瞳でキスを強請り、あどけない寝顔を晒す無防備さに、三条宗近は深くため息をついた。