ぴちゃり、と水滴が溢れる音がする。
「たのむ…もう、やめてくれ…」
悲壮な声が、真っ白いドアの向こうから微かに聞こえる。
その声すら聞こえないように、かき消すように、小さな呻き声が辺りに響く。
「あ、が……ひ、ぎぃ…」
ポタポタと溢れるのは赤く、錆びた匂いのする液体。
白いホールの中央に置かれた革張りの一人がけのソファーの様な椅子に拘束されているのはまだ年端も行かない幼い少年。
そしてその少年は裸で腹部は開腹されており、そこから夥しい量の血液が白い肌を伝い、こぼれ落ちている、
少年は、はくはくと瞳を大きく開きながら息をしている。
目の前には白衣の大人が2人、手元のストップウォッチのようなものをじっと見ている。
腹からはポタポタと血液が溢れているのに、研究者であろうその大人たちはただじっと傷口を見つめている。
「うあ、い…いたい…いたい……」
瞳から涙をこぼす少年がしきりに痛いと涙をこぼす。
それも数分すれば瞳の色を失い、ぐったりと椅子に身体をあずけている。
口の端からは血を流して、肌は血の気が引いたように白く、まるで陶磁器の人形のようだ。
「ん?」
研究者の一人がある変化に気が付く。
開腹されて1分、少年の腹部の急速に霊力が集まってくるのを感知した。
その光を帯びた霊力はレイリの腹部に帯状に絡みつき、ゆっくりとその傷を癒していった。
「おお!素晴らしい!」
おおよそ致命的の手前だった傷は5分ほどで完治してしまい、開腹したであろう後すら残さなかった。
「お前は素晴らしい可能性を持っている、いい子だレイリ。
次はもう少し範囲を広げてみようか」
「……い、や……たすけ…しゅ、の……」
完全に怯えた瞳でガタガタと震えるレイリの声に、シュノが反応して扉をバンバンと叩く。
「やめろ!やめろよ!!レイリが、レイリが嫌がってるだろ!!!」
白い扉に付けられた小さな小窓から実験の様子がうかがえる。
レイリの拘束されている椅子の下には血だまりが出来ていて、相当量出血したはずだ。
「頼むから…もうやめてくれ、レイリが死んじゃうだろ…」
シュノの弱々しい声に、レイリは一瞬窓の方を見た。
シュノと目合うと、口元を僅かにあげて必死に笑おうとしているのがうかがえる。
「主任、本日の所はこれまでにしましょう。
だいぶ出血が多いです、貴重なサンプルに死なれても困ります」
ゆるいウェーブの女研究者が実験データの入ったディスクを取り出しながら言った。
「そうだな、仕方あるまい。」
「では、私はこれを提出してきます。」
そう言って女研究者が出て行く。
白いホールにはレイリと男の研究者だけが残った。
すると男はレイリに近づき、覆いかぶさるように椅子に身体を乗せた。
「お前は本当に愛らしいモルモットだ。
もっと、もっと私たちを楽しませてくれ」
いつからだろう、幼かったレイリが愛らしく成長した頃、非道な実験でレイリを嬲り、痛めつけたあとに己の欲求を満たすためにレイリの身体を辱めるようになったのは。
「いやぁ…や、あ……シュノ、シュノ…」
恐怖に怯えたレイリは舌足らずな幼い子供のようにシュノの名を呼んだ。
男はレイリの柔い身を開き、先刻散々痛めつけた身体を遠慮なしに揺さぶり、突き動かす。
拘束され、身動きが取れないレイリはただ声にならない悲鳴をあげて、解放されるのを待つしかなかった。
男の背しか確認できないシュノも、抱えられたレイリの細く白い足が時折ビクビクと痙攣するのを見て何をされているか理解し、扉をたたく。
その扉も、この真っ白い部屋も、真っ白いホールも全て二人のための特別製。
いくらシュノでも拘束された上に特別製の扉を破ることはできなかった。
どのくらいの時間、そうしていたかはわからない。
男が満足してレイリから離れる頃には、レイリは既に意識を失ってぐったりしていた。
開かれた足の間からは白い液体がこぼれ落ちるのを、シュノは怒りに満ちた目で見つめていた。
その状態で数十分放置されたあと、どこかへ行っていた男が戻ってきた。
目には何かゴーグルのようなものをつけている。
カチャカチャとレイリの体につけている拘束具を外すと、気を失ったレイリをまるで人形のように雑に持ち上げ、カードキーを通す音と共に白い扉が開いた。
シュノはその男を殺してやろうと飛びかかる寸前で体にひどい痛みを感じてうずくまった。
その隙に男はレイリの身体を投げ入れ、扉を閉めた。
乱暴に床に打ち捨てられたレイリの体に近寄り、ぎゅっと抱きしめる。
か細い呼吸を繰り返しながら、冷えた身体を震わせる。
「レイリ、もう大丈夫だ…もう怖くないからな」
真っ白な部屋に置かれた大きめのダブルベット。
その隣には木製の粗末なクローゼットが一つ置いてあり、その中から真っ白な病衣を取り出して着替えさせる。
この二人に与えられた衣服はそれだけだ。
他には大きな丸いテーブルがひとつ。
床は白いタイルで覆われており、座って作業する場所にだけ座布団が二つ用意されている。
何もない部屋、二人だけの部屋。
幼い頃から、気が付けば二人は一緒に育ってきた。
同じ年で、同じ境遇。
少しだけ背が高かったシュノは小さく臆病なレイリを自然と守る形になった。
いつからか、緋色の髪の女性が突如現れて自分たちに様々な事を教えてくれるようになった。
霊力の使い方、知識、立ち振る舞い。
そのどれもが、ここでは教わったことのないことばかりで、そのどこか飄々とした彼女の雰囲気に圧倒されて困惑したこともあった。
それでも、年に一度しか会えない彼女に会うことをレイリがとても楽しみにしているのを見て、シュノはどうしてこんな時にそばにいてくれないんだと涙をこぼした時もあった。
最近研究主任になった男はレイリの容姿が気に入ってるようで、実験が成功するとこうして高ぶった気を抑えるためにレイリを抱くようになった。
前任の研究者はレイリを薬漬けにして、ボロボロになったレイリを見てブチギレたシュノが殺そうとした手前で緋翠がそれを制した。
『お前が手を汚す必要はない、俺に任せろ』
彼女がそう言ってにっこり笑うので、毒気を抜かれたシュノは大人しくレイリをきつく抱きしめて眠った。
翌日、前任者はいなくなっていた。どこか別の場所に移ったと聞いた。
しばらくは主任不在だったこの霊力実験の主任に、最近なったのが今の男だった。
前任者は薬漬けにしてレイリをおかしくしてしまったが、今回の男はとにかく痛めつけるのが好きなようで、最初は体に小さな切り傷を造り、それが癒えるまでの時間を測っていたが、最近では足の骨を折らせたり、熱く煮えたぎった湯をかけ火傷を負わせたりと酷いもので、更にレイリの怯える顔が可愛い、もっと見たいとレイリを痛めつけ、傷つけ、挙句の果てに辱める。
実験の度に響くレイリの悲鳴、嫌だと泣き叫ぶ声。
それがだんだん小さく、くぐもったものに変わっていき、最後は消えそうな声でシュノ…とすすり泣く。
結局、何も変わらなかった。
前任者から救ってくれた緋翠には感謝している。
しかし、レイリの存在は所詮最高の実験材料でしかないのだ。
まして年に一度しか会うことが許されない緋翠がそれを預かり知らないのも無理はなかった。
この小さな存在を守れるのは自分だけだと、そう決意していたシュノは立ちはだかる頑丈な壁に阻まれ、レイリの様子を伺うことしかできなかった。
この部屋に入る前につけたゴーグルはシュノの首に付けられた拘束具に反応していて、一定距離近付くと強力な電流が流れる仕組みのものだ。
彼はレイリを痛めつけることによってシュノが彼に殺意を覚えることを知っている。
まだ子供のシュノではどうしようもできなかった。
圧倒的に知識も経験も足りないのだ。
「緋翠…なんで、いないんだよ」
腕の中で死んだように眠るレイリの額にキスを落として、シュノはレイリをベットに寝かせた。
冷えた身体を温めるようにぎゅっと抱きしめ、泣きはらした瞼に触れるだけのキスをする。
「俺が、守らないと。こいつは俺が、守ってやらないと…」
シュノは殺意に満ちた瞳でじろりと監視カメラの方を見た。
部屋の隅に設置された監視カメラは、ここに連れてこられた時から設置されている。
「お前らなんかに、レイリは渡さない。
俺が、俺が守るんだ…絶対に」
シュノは自分に暗示をかけるかのように何度もその言葉を呟いて、腕に収めた小さな体を抱きしめた。
レイリとシュノ 13歳の冬のことだった。