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椿の隠印

いつの時代も己は無力なものだ。
そういった思考に取り付かれながら、長く白い廊下を歩いて行く。
赤い着物を好むのは生まれがら、こちらの方が馴染むからだ。
色は戦陣にも出るためか、血糊の目立たない事を考えてだが、もしかすると好みだったのかも知れない。
己の事などどうとも考えた事がなかったから、よく分からない。
そうして辿り着いたのは白い廊下によく馴染んだ白い扉。

「久方振りだな、レイリ、シュノ」

毎度、訪れる度に口にする言葉に、中の二人は安心したように表情を緩めた。
幼きあの日と違うのは、少女のような面に華奢な身体の青年へと育ったレイリ。
それと、首や手や足に枷をはめられて鋭さを増した精悍な美丈夫のシュノ。
政府からシュノの枷は霊力を抑えるためだと聞いていたが、欠片も信じてはいない。

「こんにちは、緋翠」
「ああ、今日は霊力の方は落ち着いているらしいな」

ベッドに腰掛け、上半身を起こして声を掛けるレイリに近寄って頭を撫でる。
手を上げた瞬間に身体に走った緊張と、怯えの色を見せる瞳は気にせずにゆっくりと毛艶を整えてやった。
少し寝癖がついている所も手櫛で解いてやる。

「……あんたはいつも変わらないな。初めて会った時から、ずっと」
「そうだな。俺は審神者で、刻の流れから外された本丸に居るからな」

審神者になった者はたとえ本丸に居なくとも、既に人とは言えなくなっているだろうが。
ましてや己の出自を考えれば、年齢を刻む事をやめたのは道理だろう。

「本丸……」
「気になるのか?」
「ああ……いずれはレイリも行ってしまうんだろう?」
「その時はお前も一緒だな」

一緒?と訝しげな声に振り向けば、少し離れた場所で警戒するように立ち尽くしていた。
くすりと笑って手を伸ばせば、数瞬迷ってから繋がれる。
まだ手を繋いでくれるのかと嬉しくなり、更に笑みがこぼれた。
そうして引っ張ってやりながら、二人仲良くベッドに腰掛けるのを見る。

「そうだ。お前はレイリのモノで、レイリはお前のモノだろう? なら一緒なのは当たり前だ」

それに、霊力の関係もあるからな、とは己の内に零した。
先程から揺れていたシュノ霊力はレイリの近くへ来ると安定し始める。
政府の人間にもきつく諫言しておいた、二人は離すなと。
離せば何があるか保証は出来ないと言えば、無言で頷かれた。

「そうさな……今日はお前達に、俺の本丸を見せてやろう」
「それ、本当?」
「は? 何言って――」

嬉しそうなレイリに頷き、シュノの言が終わる前に手を打った。
パン、と乾いた音を立てた瞬間に周囲の景色が風に追いやられるように白一色から色の溢れるモノへと変わる。
そして二人が座っていた筈のベッドは縁側へと。

「これは幻覚だけどな、今は春先から夏にかけての本丸だ」

桜は散ってしまったが他にも花はあるぞ、と言えば素足を砂利の上へと落とし、覚束ない足取りながら歩いて行くレイリ。
しっかりと立って歩いている様子に目を剥いたシュノは緋翠を見返した。

「ああ、今お前達の目や感覚を奪って体験させているだけだから、心配はしなくて良い」
「それは、この部屋の監視カメラは……」
「何、結界を張ったからな。俺達が話をしているか、いつもの霊力の修行をしているようにでも見えるんじゃないか?」

細かい事はどうでも良いと言えばシュノは苦笑する。
日に日にレイリの霊力は大きくなっていって居るのだろうか。
それらを散らしてやれるのもまたシュノにしか出来ない事なのだが。
ちらと横を見れば陰鬱な顔をしている。
そうして彼を取り巻くように、黒い煙のような穢れが滲んでいて、

「どうした、俺に言いたい事か」

闇に彼をくれてやるつもりのない緋翠は、断定しながらも口を開いた。
顔を伏せているシュノが何を考えているのかは読めない。
緋翠が顔を上げれば、敷石を楽しそうに踏み終えたレイリが池を覗き込んでいる。
あそこには錦鯉が数匹放たれていたのだったか。

「俺を責めるか」
「!?」

そういう態度だった、と驚いた雰囲気を感じながらレイリを見て言葉を零す。
たった一年に一度だ。
これで16度目。
腰にも満たない慎重だった幼子が己と同じくらいには成長した。
レイリの怯える様子やシュノの警戒する様子を見れば、何かをされたのだろうと感じ取れる。
否、され続けているのかも知れない。
ましてやレイリは一度薬漬けにされそうになった。
あの時はシュノが助けを乞うてくれたお陰で助かったが、今度はどうだ。

「……れい、りが……」
「ああ」
「研究所で、酷い扱いをされるんだ……傷を付けられて、ももを刺されて、腹を斬り開かれて、血が溢れているんだ」

何度も何度も何度も、壊れたように同じ言葉を繰り返すシュノに、頭を抱え込んで腕の中へと隠す。
謝る事は出来ない、望んでない、と言われているようだった。
ただ、何故気付いてくれないんだと、助けてくれないんだと縋られている事は分かる。
自分の許したモノ、愛したモノへの執着が強いのは知っていた。
だからこそ、許せない。

「そうか……そうか、よく話してくれたな」
「緋翠……」

顔を上げたシュノに出来るだけ優しく微笑み、もう大丈夫だと口にする。
そうしてやる事は一つだけだ。
血の気が引いて凍えるほど、地獄の業火に焼かれるより尚苛烈に、殺してくれと懺悔されるまで、殺し尽くそうと。
面を上げた緋翠の目が一瞬橙色に瞳孔の細い獣のソレと重なり、シュノは息を飲む。
繋がれていた手を引かれ、

「レイリ、こちらへおいで。帰ろうか」
「……もう、お別れ?」

寂しそうな顔をするレイリの頭を撫でて笑む顔は慈愛に満ちていた。
差し出されるままに手を繋いだレイリに、緋翠は口を開く。

「いいや、もうずっと一緒だよ。仮初めじゃなく本物を見に行こう」

そう言って緋翠が喚びだした一人の式神に案内されるまま、戸のあくまま、二人は神隠しに遭ったように居なくなったのだった。

刻の烙印




ぴちゃり、と水滴が溢れる音がする。

「たのむ…もう、やめてくれ…」

悲壮な声が、真っ白いドアの向こうから微かに聞こえる。
その声すら聞こえないように、かき消すように、小さな呻き声が辺りに響く。


「あ、が……ひ、ぎぃ…」

ポタポタと溢れるのは赤く、錆びた匂いのする液体。
白いホールの中央に置かれた革張りの一人がけのソファーの様な椅子に拘束されているのはまだ年端も行かない幼い少年。
そしてその少年は裸で腹部は開腹されており、そこから夥しい量の血液が白い肌を伝い、こぼれ落ちている、
少年は、はくはくと瞳を大きく開きながら息をしている。
目の前には白衣の大人が2人、手元のストップウォッチのようなものをじっと見ている。
腹からはポタポタと血液が溢れているのに、研究者であろうその大人たちはただじっと傷口を見つめている。

「うあ、い…いたい…いたい……」

瞳から涙をこぼす少年がしきりに痛いと涙をこぼす。
それも数分すれば瞳の色を失い、ぐったりと椅子に身体をあずけている。
口の端からは血を流して、肌は血の気が引いたように白く、まるで陶磁器の人形のようだ。
「ん?」
研究者の一人がある変化に気が付く。
開腹されて1分、少年の腹部の急速に霊力が集まってくるのを感知した。
その光を帯びた霊力はレイリの腹部に帯状に絡みつき、ゆっくりとその傷を癒していった。
「おお!素晴らしい!」
おおよそ致命的の手前だった傷は5分ほどで完治してしまい、開腹したであろう後すら残さなかった。
「お前は素晴らしい可能性を持っている、いい子だレイリ。
次はもう少し範囲を広げてみようか」
「……い、や……たすけ…しゅ、の……」
完全に怯えた瞳でガタガタと震えるレイリの声に、シュノが反応して扉をバンバンと叩く。
「やめろ!やめろよ!!レイリが、レイリが嫌がってるだろ!!!」
白い扉に付けられた小さな小窓から実験の様子がうかがえる。
レイリの拘束されている椅子の下には血だまりが出来ていて、相当量出血したはずだ。
「頼むから…もうやめてくれ、レイリが死んじゃうだろ…」
シュノの弱々しい声に、レイリは一瞬窓の方を見た。
シュノと目合うと、口元を僅かにあげて必死に笑おうとしているのがうかがえる。
「主任、本日の所はこれまでにしましょう。
だいぶ出血が多いです、貴重なサンプルに死なれても困ります」
ゆるいウェーブの女研究者が実験データの入ったディスクを取り出しながら言った。
「そうだな、仕方あるまい。」
「では、私はこれを提出してきます。」
そう言って女研究者が出て行く。
白いホールにはレイリと男の研究者だけが残った。
すると男はレイリに近づき、覆いかぶさるように椅子に身体を乗せた。
「お前は本当に愛らしいモルモットだ。
もっと、もっと私たちを楽しませてくれ」
いつからだろう、幼かったレイリが愛らしく成長した頃、非道な実験でレイリを嬲り、痛めつけたあとに己の欲求を満たすためにレイリの身体を辱めるようになったのは。
「いやぁ…や、あ……シュノ、シュノ…」
恐怖に怯えたレイリは舌足らずな幼い子供のようにシュノの名を呼んだ。
男はレイリの柔い身を開き、先刻散々痛めつけた身体を遠慮なしに揺さぶり、突き動かす。
拘束され、身動きが取れないレイリはただ声にならない悲鳴をあげて、解放されるのを待つしかなかった。
男の背しか確認できないシュノも、抱えられたレイリの細く白い足が時折ビクビクと痙攣するのを見て何をされているか理解し、扉をたたく。
その扉も、この真っ白い部屋も、真っ白いホールも全て二人のための特別製。
いくらシュノでも拘束された上に特別製の扉を破ることはできなかった。
どのくらいの時間、そうしていたかはわからない。
男が満足してレイリから離れる頃には、レイリは既に意識を失ってぐったりしていた。
開かれた足の間からは白い液体がこぼれ落ちるのを、シュノは怒りに満ちた目で見つめていた。
その状態で数十分放置されたあと、どこかへ行っていた男が戻ってきた。
目には何かゴーグルのようなものをつけている。
カチャカチャとレイリの体につけている拘束具を外すと、気を失ったレイリをまるで人形のように雑に持ち上げ、カードキーを通す音と共に白い扉が開いた。
シュノはその男を殺してやろうと飛びかかる寸前で体にひどい痛みを感じてうずくまった。
その隙に男はレイリの身体を投げ入れ、扉を閉めた。
乱暴に床に打ち捨てられたレイリの体に近寄り、ぎゅっと抱きしめる。
か細い呼吸を繰り返しながら、冷えた身体を震わせる。
「レイリ、もう大丈夫だ…もう怖くないからな」
真っ白な部屋に置かれた大きめのダブルベット。
その隣には木製の粗末なクローゼットが一つ置いてあり、その中から真っ白な病衣を取り出して着替えさせる。
この二人に与えられた衣服はそれだけだ。
他には大きな丸いテーブルがひとつ。
床は白いタイルで覆われており、座って作業する場所にだけ座布団が二つ用意されている。
何もない部屋、二人だけの部屋。
幼い頃から、気が付けば二人は一緒に育ってきた。
同じ年で、同じ境遇。
少しだけ背が高かったシュノは小さく臆病なレイリを自然と守る形になった。
いつからか、緋色の髪の女性が突如現れて自分たちに様々な事を教えてくれるようになった。
霊力の使い方、知識、立ち振る舞い。
そのどれもが、ここでは教わったことのないことばかりで、そのどこか飄々とした彼女の雰囲気に圧倒されて困惑したこともあった。
それでも、年に一度しか会えない彼女に会うことをレイリがとても楽しみにしているのを見て、シュノはどうしてこんな時にそばにいてくれないんだと涙をこぼした時もあった。
最近研究主任になった男はレイリの容姿が気に入ってるようで、実験が成功するとこうして高ぶった気を抑えるためにレイリを抱くようになった。
前任の研究者はレイリを薬漬けにして、ボロボロになったレイリを見てブチギレたシュノが殺そうとした手前で緋翠がそれを制した。
『お前が手を汚す必要はない、俺に任せろ』
彼女がそう言ってにっこり笑うので、毒気を抜かれたシュノは大人しくレイリをきつく抱きしめて眠った。
翌日、前任者はいなくなっていた。どこか別の場所に移ったと聞いた。
しばらくは主任不在だったこの霊力実験の主任に、最近なったのが今の男だった。
前任者は薬漬けにしてレイリをおかしくしてしまったが、今回の男はとにかく痛めつけるのが好きなようで、最初は体に小さな切り傷を造り、それが癒えるまでの時間を測っていたが、最近では足の骨を折らせたり、熱く煮えたぎった湯をかけ火傷を負わせたりと酷いもので、更にレイリの怯える顔が可愛い、もっと見たいとレイリを痛めつけ、傷つけ、挙句の果てに辱める。
実験の度に響くレイリの悲鳴、嫌だと泣き叫ぶ声。
それがだんだん小さく、くぐもったものに変わっていき、最後は消えそうな声でシュノ…とすすり泣く。
結局、何も変わらなかった。
前任者から救ってくれた緋翠には感謝している。
しかし、レイリの存在は所詮最高の実験材料でしかないのだ。
まして年に一度しか会うことが許されない緋翠がそれを預かり知らないのも無理はなかった。
この小さな存在を守れるのは自分だけだと、そう決意していたシュノは立ちはだかる頑丈な壁に阻まれ、レイリの様子を伺うことしかできなかった。
この部屋に入る前につけたゴーグルはシュノの首に付けられた拘束具に反応していて、一定距離近付くと強力な電流が流れる仕組みのものだ。
彼はレイリを痛めつけることによってシュノが彼に殺意を覚えることを知っている。
まだ子供のシュノではどうしようもできなかった。
圧倒的に知識も経験も足りないのだ。
「緋翠…なんで、いないんだよ」
腕の中で死んだように眠るレイリの額にキスを落として、シュノはレイリをベットに寝かせた。
冷えた身体を温めるようにぎゅっと抱きしめ、泣きはらした瞼に触れるだけのキスをする。
「俺が、守らないと。こいつは俺が、守ってやらないと…」
シュノは殺意に満ちた瞳でじろりと監視カメラの方を見た。
部屋の隅に設置された監視カメラは、ここに連れてこられた時から設置されている。
「お前らなんかに、レイリは渡さない。
俺が、俺が守るんだ…絶対に」
シュノは自分に暗示をかけるかのように何度もその言葉を呟いて、腕に収めた小さな体を抱きしめた。


レイリとシュノ 13歳の冬のことだった。



 
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