神隠し
妖や得体の知れない何かが人間を攫ってしまう事。
神隠しされた人間は二度と見つからないという。
ただし、神様に呼ばれた場合
その者は…
存在自体が無かったことになるらしい。
「はぁ…寒いなぁ…」
夜着に鮮やかな羽織を着た金髪の青年が暖かなハニーミルクの入ったカップを手に持ち、自室に戻る廊下を歩いていた。
すると角から誰かが出てくるのが見えた。
「三日月?」
「おぉ、主も月見か?」
三日月はにっこり笑って月を見上げた。
そして薄く笑ってこちらを振り向く。
その様子が余りにも美しくて、目を奪われる。
「主、今宵は部屋から出ない方が良かろう」
「どうして?」
瞳に三日月を浮かべたその人は主である青年を部屋に押し込めて笑った。
「今宵はなぁ、月が良く見えるだろう?」
そう言って三日月は襖を閉めてしまった。
この本丸の審神者であるレイリはぼんやりと格子窓から見える空を眺めていた。
今日は見事な満月だった。
「そっか、今日は誰も居ないんだっけ」
涼蘭は薬研率いる第2部隊と一緒に池田屋に出陣している。
夜季は資材集めのために黒月と第3部隊を引き連れ遠征に。
長谷部率いる第四部隊も遠征で出払っていた。
シュノは定期報告の為に3日程政府に赴いていて暫くは戻らない。
「三日月もああ言ってたし、今日は早く寝よう」
レイリは行灯の火を消して布団に潜り込んだ。
いつもはシュノが抱き締めてくれるのに、隣にシュノが居ないだけで妙に寂しくなる。
それに先程から妙な違和感 を感じる。
誰かに見られてるような、そんな感じ。
だけど、その正体が判らない。
おそらく三日月が先程言っていた事なのだろうと理解した。
こんな時にレイリは必ずある人物の元を訪れた。
「少しくらい、平気だよね…」
レイリがこの本丸で一番信頼している初期刀の元に。
「切国…まだ、起きてる?」
そっと光の漏れる襖に声を掛けると、すっと襖が空いた。
「アンタはいつになったら独り寝が出来るようになるんだ?」
「違うよ、今日は違うの。
何だかモヤモヤするって言うか、何かに見られてる気配を感じるんだ
僕怖くて…三日月も今日は部屋から出るなって…」
「三日月…?
三日月は長谷部とと遠征に行ってるだろ」
そう言われて初めてレイリは三日月が今朝方遠征に出掛けたのを思い出した。
第四部隊の見送りをして、三日月が遠征に向かうのをしっかり確認したはずだ。
何故、今まで気が付かなかったのか。
部隊編成はすべて自分がやっていたと言うのに。
急に恐ろしくなったレイリは山姥切の夜着をつかんだ。
「どうしよう…僕…話しちゃった」
震えながらレイリは泣きそうな声で山姥切にしがみつく。
妖の類は会話をすることで相手に自分の存在を植え付けて認識させる。
そして真名を奪う。
「真名は?」
「大丈夫、思い出して無い」
レイリは特殊な能力と莫大な霊力を持った極めて異質の審神者で、本来刀剣男士以外戦場には赴けない筈なのにレイリの加護を受けた者なら刀剣男士同様戦場に赴き、必要なら戦うことも可能だ。
そんな特別な審神者は歴史修正主義者は勿論、妖の類からも狙われていた。
だから"隠す"必要があった。
敵の手に落ちない様に、レイリの真名は特殊な方法で封じられていて思い出すことが出来ず、真名を知るのはレイリの監視者であるシュノと、レイリに封印を施した陰陽師の末裔であり、レイリの数少ない友人のヒスイだけだ。
その事は本丸の誰もが知ってる。
「石切丸も太郎太刀も遠征に行ってる
青江の所に行って対策を練ろう」
「うん、切国…僕…」
不安そうに見上げて来るレイリは雨に打たれた子犬のような眼差しで山姥切を見ていた。
頭の緩い主の初期刀であり、この本丸の総隊長を務める山姥切国広は何かを察して自室の外を伺うと、レイリの手を掴んだ。
「切国!?」
「妖は三日月に化けて部屋から出るなと言った
奴らは既に身辺調査を済ませている、あんたが誰の言葉なら疑いもしないのか」
ようやく事態を把握したのかレイリは山姥切の布を掴んだ。
山姥切は薄く灯のつく部屋の前に立つと声を潜めた。
「青江、居るか?」
「やあ、総隊長。どうしたんだい神妙な顔して」
山姥切はレイリを青江の部屋に押し込んだ。
「"侵入者"だ。奴は姿を変えて主に接触してきたらしい
俺は近侍の髭切に報告して遠征に行った石切丸達を呼び戻す」
「ふーん、君は僕を疑ったりしないのかい?」
青江がにんまりと笑うと山姥切は布の間からしっかり青江を見てから言った。
「俺は仲間を見間違ったりしない
写だからと侮るな、主を頼む」
青江はレイリを自分の後ろに隠すように立ちはだかると山姥切の後ろを目を細めて笑いながら頷いた。
「主のことは任せてよ。
君もくれぐれも気をつけてね?」
「切国、あの…」
「あんたは青江の言う事だけ聞け、余計なことはするな」
そう言うと山姥切は部屋の襖を閉めてどこかに行ってしまった。
恐らく遠征部隊を呼び戻すための鳩を使う為に近侍の髭切の所に行ったのだろう。
備品使用の際は近侍の許可が必要になるからだ。
「さて、君は今どんな状況なのかな?」
「さっき三日月に、今日は部屋から出るなって言われた。
だけど、三日月は今朝遠征に行って…」
「うんうん、それで?」
「部屋に居たら妙な視線を感じて、怖くて切国の所に…行って…それから…」
今にも泣きだしそうなレイリを抱きしめて背中を撫でると、青江は本体を握りしめた。
「大丈夫、切国くんの判断は正しい。
石切丸と太郎くんが戻るまでは僕が君を守るからね」
レイリは青江にギュッと抱きついた。
しかしながら青江は自分の部屋の周りに漂う嫌な気配に神経を尖らせた。
先程、青江は切国の背後…中庭の辺りに人影を見た。
それはゆらゆらゆらゆら、ただそこにあるだけだった。
本丸は本来審神者の霊力で結界が張られた異空間。
妖の類が容易に侵入できるものではない。
「全く君は本当にモテるんだねぇ」
「あっ…妖にモテても、嬉しくないよぉ…」
最早半泣き状態で青江にしがみつくレイリをとりあえず布団に横にならせる。
「君は少し休みなよ、僕を信じて」
「青江の事は信じてるよ、でもやっぱり怖い…シュノも居ないし…」
こんな不安定な状態のレイリはやっかいで、ちょっとした事ですぐに取り乱してパニックになってしまう。
「こんな事で泣いてたらまたシュノさんに呆れられちゃうよ?」
「……うん、青江…ここに居る?
どこかいかない?」
幼い子供みたいなレイリににこりと笑いかける。
「うん、行かないよ。
だから君はもう眠るんだ。
そして、もし目が覚めても声を出してはいけないよ。」
レイリは声を出さずに頷くと、布団に潜って目を閉じた。
青江は刀をきつく握り、背後でカリカリと襖を引っ掻く存在に神経を尖らせる。
「残念だけど主は渡さないよ」
「レイリ、開けてくれて、レイリ、レイリ…」
小さな声で、襖の向こうの何者かがレイリを呼ぶ。
レイリは布団の中で怯えていたが、その声に反応して飛び起きた。
「主、だめだ!」
「シュノ…なの?」
最愛の恋人の声にレイリは青江の制止も聞かず襖の向こうに声をかけた。
「ああ、ただいま。
お前が心配で帰ってきたんだ、ここを開けておくれ。
青江が俺を疑って開けてくれないんだ」
シュノの声に安心したのか、レイリは襖に近づくと、それを少し開けた。
「……ひっ!?」
その隙間からは瞳を赤くさせ、耳元まで避けた口元は三日月のように歪んでいる三日月が隙間から爪の伸びた手を差し込んできた。
「主、伏せて!」
青江が襖ごと三日月に切り掛る。
「レイリ、レイリ、こっちにおいで」
三日月はシュノの声で尚もレイリを呼ぶ。
レイリは畳に伏したまま虚ろに二人を見上げている。
「主、しっかりなよ!」
「何の騒ぎだ?」
青江の掛け声に隣の部屋の歌仙が部屋から出てきて、異様な三日月の姿に驚き、刀を抜いた。
「歌仙くん、手伝って!
主が魅入られてるんだ」
「何だって!?」
歌仙は迷わず三日月に切り掛るが禍々しい波動を纏っていて押し返される。
「いけない悪い子は、斬っちゃうよ?」
どこからとも無く声がして、三日月の片腕が飛んだ。
「髭切!助かった」
「妖相手は我ら兄弟が引き受ける。
2人は主を祈祷部屋に運んでくれ」
髭切の背を庇うように膝丸が顔を出し、歌仙と青江はグッタリしたレイリを背負って離れにある祈祷部屋に向かった。
『ニガサナイ、レイリ』
「君の相手は僕等だよ、余所見する暇なんか与えてあげない」
髭切の一撃が三日月の身体を掠めていく。
寸前で避けるが、ソレは確実に三日月のようにダメージを蓄積させている。
月夜に輝く二身一具の宝刀は剣舞でもしている様に確実に追い詰めていく。
『ウゥ…… レイリ…ホシイ……
オレノ、モノダ……』
妖はそう言って姿を消した。
「兄者、辺りに気配はない。
主が心配だ、合流しよう」
「……うん、そうだね」
髭切は妖が消えたあたりをじっと見ていた。
確に強い怨念を持った妖の様だが、果たしてあの妖1人にこの強固な結界が破れただろうかと考えた。
「兄者?どうかされたか?」
「いや、考え過ぎだろう。
行こうか、弟丸」
「俺の名前は膝丸だ」
2人はその場をあとにして祈祷部屋に向かった。
祈祷部屋では石切丸と太郎太刀が祈祷の準備をしていた。
そして後ろには山姥切と今剣と長谷部。
入口には青江と歌仙が立っていた。
「どうだ、石切丸」
「……封印の一部が突破されてる
奴らは主の内側に入り込んで封印をこじ開けようとしている
主の真名に辿り着くのは時間の問題だろう」
祭壇に寝かせられたレイリは虚ろな目をしたままピクリとも動かない。
「あるじさま…」
今剣が心配そうに自分の本体をレイリにきつく握らせた。
「あるじさま…ぼくはあるじさまだけのまもりがたな。
ぼくがあるじさまをかならずおまもりします」
今剣が寄り添うようにレイリの手を握る。
「シュノ様は明日戻られる。
それまで持ち堪えられるか?」
長谷部はまだ明けそうにない夜空を見上げた。
「根本を斬ればいいだろう。
その方が話が早い」
山姥切が壁に持たれながらつぶやいた。
「それはそうですが、それは同時に主を危険に晒すことにもなります。
今の不安定な状態の主を敵の前に晒すのは如何なものかと」
太郎太刀がレイリを見下ろしながら口を開いた。
「だが、そうこうしてるうちにも…」
『レイリ……』
微かな鈴の音と共に消えそうな声が響き、全員が刀に手をかけ、今剣がぎゅっとレイリに抱きつく。
『レイリ、どこだ……レイリ…』
その声に呼応するかのように、レイリがピクリと反応する。
「あ、あるじさま!」
「……はい、ここです」
レイリが一言応えると、急にものすごい衝撃を受けて全員がその場に蹲る。
身体の小さな今剣は必死にしがみついていたが、余りの衝撃に弾かれて石切丸にぶつかった。
片腕を失った三日月が禍々しいオーラを纏いながらふわりとレイリのそばに現れた。
『可哀相に、かようなところに閉じ込められては本来の力も発揮できまい。
これではまるで人柱…
かわいそうに、かわいそうに…』
ふわふわと漂いながら三日月はレイリを腕の中に閉じ込めた。
『俺が連れて行ってやろう
あの方もさぞや喜ぶ事だろう』
「うちの主をどこに連れていくつもりだ」
山姥切が三日月に切り掛る。
三日月は片方しかない手でそれを弾く。
『ジャマヲスルナ…』
三日月の体がぐにゃりと歪んで辺りが瘴気に包まれる。
「払い給え清め給え…」
石切丸がすらりと刀身を一振りすると辺りの瘴気が一瞬で吹き飛ぶ。
「我が一撃は暴風が如し
交わせるものなら交わして見せなさい」
太郎太刀の重撃がもう片方の腕を弾いた。
『グゥ…』
もはや形を無くした黒い靄に姿を変えたそれはレイリの体に尚も纏わり付く。
『タベタイ、タベタイ、オレノ…』
「それはいかんなぁ…」
唐突に白刃が靄を裂いた。
靄は悲鳴をあげて消えていった。
「黒月か、いい所に来た。助かった」
「禍々しい気配を感じて来てみれば。
我らの審神者は禍事に好かれるなぁ…」
刀を鞘に収め、駆け寄った太郎太刀がレイリの体を祭壇に載せて残った禍を払い清める。
レイリは眠っているのか目を覚まさない。
「とりあえず主を休ませよう」
レイリを部屋に運ばせて布団に入る頃にはすっかり夜が明けていた。
石切丸と今剣が付きっきりでレイリのそばについて、髭切と青江が交代で部屋の見張りをする事になった。
「親方様、どうかした?」
夜季が遠征の報告に来た所を青江に問いただした。
「帰ってきたら黒月がどこか行った、
何があった?」
「まぁ、シュノさんが戻るまでは待ってよ」
「兄様?今は総隊長といる」
夜季が首を傾げると丁度山姥切と長谷部がシュノを連れてきた。
「石切丸、レイリの様子は?」
「ああ、もう心配ない。今は眠っているだけだ。
だが封印が一つ破られてしまった、外側だね。」
そうするとシュノは少し考え込んだ。
「ヒスイに何かあったか…
こんのすけ!」
シュノはこんのすけを呼び出し、事情を説明すると政府発行の通行手形でヒスイの本丸を訪れた。
事情を話すとヒスイはこの日物忌で自室に籠っていたらしい。
結界が弱まったのも、封印が剥がされたのもその影響かもしれないと、後日物忌が明けたら治しに行くからそれまでレイリから離れるなと言われて、仕方なく本丸に戻った。
その日から数日、レイリは昏睡したままで、今剣がレイリに付きっきりで離れようとしないため、入口の見張りを本丸にいる全員で交代制で行い、その間の出陣、遠征は一切中止になった。
「悪かったな、まさかコッチの物忌まで調べているとは…」
「敵は事前に下調べを完璧にしていたらしい」
ヒスイは本丸を訪れるなり結界と封印を厳重に修繕していった。
「これで大丈夫、早くレイリを起こしてやれ。
あと、まぁ気休めにしかならんと思うが無いよりマシだろ」
そう言ってお札を何枚かシュノに手渡して帰っていった。
「レイリ、起きろ」
眠ったままのレイリに声をかければ、レイリは暫くして目を開けた。
「……シュノ…と、今剣?」
「あるじさま!よかった、めをさましたんですね!」
今剣がレイリにぎゅっと抱きついた。
「ありがとう、ずっと守ってくれたんだね」
レイリは身体を起こして今剣の頭を撫でた。
「とうぜんです。ぼくは審神者レイリのまもりがたなですから!」
誇らしげに胸を張り、今剣はみんなに知らせてきますと言って部屋を飛び出した。
「修行に出てから変わったね、今剣。」
「そうだな、強くなった。
それに比べてお前は…」
シュノはレイリの肩に半纏をかけて、体を冷やさないように気を遣いながら抱きしめた。
「俺の声、聞き間違うなんてな。
これから二度と間違わない様にお前の耳に焼き付かせてやる」
レイリの体を布団に押し倒して、体の芯まで貫く声をレイリの体に刻みつけた。
「結局失敗したの?」
黒い着物を纏い、鮮やかな赤い打ち掛けを羽織る青年は別段悔しがるわけでもなく上座に座って煙管をふかした。
「そうみたいね」
「ふーん。まぁ無くても困らないけどあっても困るわけじゃない。
タンクは多いに越したことはないからね。あの子に伝えておいて、次は必ず粉々に壊して連れて来いって」
青年は巫女服を着た鋼色の髪の女性にふわりと黒い折鶴を飛ばした。
女性はそれを受け取ると部屋から出て行った
「さぁ、始めようよ
どちらが正しいか、賽は投げられた」
楽しそうに笑いながら青年は1人、人知れず一筋涙を零した。