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留まることをやめた僕らは

2/23 クロカン日本選手権

クロカンをちゃんと見るのは実は初めて。
田村兄や鬼塚、弾馬、西山くん、塩尻など有名な選手がたくさん出てたけど、何より注目は早稲田ルーキー中谷です。
中谷がこのメンバーの中でどれだけ勝負できるのか、楽しみです。

序盤から良い位置取り。
人の顔見ながら走るのは癖なの?
しかも今回も鬼塚の顔見ながら走るし(笑)
自分のペースである程度走ればいいのにとちょっと思う。
田村兄は結構後ろにいて、どこにいるか分からなかったくらい。
序盤から中盤は西山くんが引っ張って途中は塩尻が抜け出した。
やっぱ塩尻は強いな、これは塩尻が行くか?と思いました。

が、これで終わらないのがクロカン、なのか?
塩尻が次第に落ちてって上がってきたのが田村兄。
田村兄ということは田村弟もいるわけで。
弟を気にして、前を走る坂東をなかなか抜きにかからない。
早く来い、ペース上げろと弟を鼓舞するけど、弟の方はもう足がついていかない。
結局そこで体力使って、1位を坂東に譲って兄は2位。弟は3位。

そして4位が中谷。
ちょっと置いてかれそうにもなってたけど、諦めず粘りの走りができた。
終盤に抜けるかどうかが強いかどうか、成長したかどうかだと私は思っていて、中谷は強いなと思いました。
意味のある4位だと思う。
おめでとう。次は優勝狙おう。

ちなみに、田村兄は後に、弟のサポートをするのは最初で最後だと言ってました。おおう。



3/3 東京マラソン

大迫が走ると言うから大分前からカレンダーに○をつけてた笑
大迫以外に、中村匠吾や佐藤、神野、啓太、今井、下田、一色等々。

私は記録より優勝という順位がほしいなと思ってて、その前に東京に慣れてほしいなとも思ってた。
しかし、日本記録出してからマスコミがすごい。私、あまりマスコミに選手が出るの好きじゃないのよね。本人たちは知らんけど。
大迫はマスコミ嫌いな感じがあって、今回あんなに露出してて大丈夫かしらと思ってた。

当日は雨。
昨日までは暖かかったので調整も難しい。
大迫がスタート位置に立ってた時に腕をさすってたのが印象的だった。

序盤はずっと下り坂で、あとは比較的平坦なスピードコース。
最初からペースメーカー飛ばしすぎ。それについてってるのは、大迫、佐藤、中村の3人だけ。この3人はすでにMGCの権利を持ってるので安パイで走ったって意味ない。
先頭グループの後ろを走る大迫。風避けになるし、こっちの方がペース変化にも対応しやすいと分かってるけど怖い。
途中、佐藤が給水取れなかった時に大迫が自分のボトル差し出してた。ここまではまだ余裕あったんだなぁ。
佐久長聖の先輩後輩って紹介されてたけど学年被ってないはず。大迫が一旦入社した日清では被ってた。とファンは地味に思うところ。

29?過ぎ、歩き出してとうとう歩道に。
震えながら歩く大迫は当然ながら初めて見る姿でした。
強気で、クールで、負けず嫌いで、生意気で、実力もあって、あの大迫が震えながらとぼとぼ歩く姿が痛々しくて見てられなかった。
レース後のコメントは、スタート地点から寒くて身体が動かなかったとのこと。
低体温症っぽくなったのかも。

ここで勝ち癖をつけた方が良かったと思うけど、ひとつの経験になったなら良い。
オリンピックに出るのは大迫傑だと信じてるし、彼が勝つと信じてるからチケットも取るよ!
彼は突拍子もない子で、強くて。
今までずっと見てきたからこそ、彼が負けるはずないと思ってます。

「もういいよ」

今年も1年お疲れさまでした。
なんか年を追うごとに1年が早く感じます。


1.仕事…○
まぁまぁです。
上司が家の事情で残業できなくなってどんどん仕事が回ってくるようになってちょっとうんざりだったけども。
2回目の社長賞をもらえて良かった。

2.遊び…○
んー…遊んでない(笑)
でも旅行たくさん行ったなー
台湾、浦和、軽井沢、東北。
どこもすごーーく良いところでまた行きたいです。

3.趣味…○
陸上の初現地観戦が出来たのが一番楽しかった。
野球もいつも通り観れたし。
好きなプロ野球選手がなかなか苦労してた1年だったので、来年はみんな復活できますように。

4.恋愛…△
全然上手くいってないけど、努力はしたと言える。危機感がでてきた(笑)
努力は認めるみたいな。
私にしては頑張った!


来年はW杯も平昌五輪もあって、私にとっては楽しみな年。
趣味を楽しめる年にしたいなー
仕事は3回目の社長賞を。
恋愛は、まあ引き続き頑張ろ。
最後の20代、思いっっっ切り楽しもう。

Stickin' to the plan that says, I can...

半年ほど手掛けていた企画がやっと終わりました。

新入社員の頃から任されていた仕事の集大成というか、たくさんの経験を詰め込んだものになりました。
ベースになってるものは、もちろん先生が指導してくださったこと。基礎の基礎から教えてもらったこと、学んだことを形にすることができました。

先生が卒業前に仰っていたこと。
卒業したら自分の研究テーマすら忘れてしまうかもしれない。でも、卒論を書くにあたって得た経験は絶対活きてくるからちゃんとやりなさい。って。
その時、テーマを忘れるわけない!絶対全部覚えてる!って思ったのを覚えています。テーマももちろん忘れてないけど、何より先生が教えてくださったことを活かせて嬉しかった。


最初は自分で全部作るって話だったので、叩き台を細々作ってこねくりまわしてました。あーでもないしこーでもないしって。社長にこういうのを盛り込んだものにしようと思うって見せた時、「ええやんか」って言ってもらって嬉しかったなー。

途中から、業者さんと一緒にやろうかって仲の良い営業さんにお願いすることになったけども我が儘ばかりで申し訳ない(笑)
結局、私のほぼ作りたいものを作ることができました。

紆余曲折あったけど、いろんな先輩に協力してもらって完成できて良かった。

厳しい営業のトップから、営業先にも持っていきたいと言ってもらえたのは意外だった。
褒められたのは、私の努力ではなく完成品なので尚更良かった。
完成品は結果ですから、先生の指導も褒められたことになると思う。

褒められてたよって先輩から連絡がきたとき、不覚にも泣いた(笑)
褒められて泣いたのは初めてかなぁ。


分からない人に評価されなくても結構ですが…何も考えず感覚や直感で決めたとは思われたくないな。
考えろシミュレーションしろと、先生の言葉通り、こうだからこうかな?こうしたらどう反ってくる?って考えてやった結果ですから。

残念ながら査定にはほぼほぼ考慮してもらえなかったようだけど、仕方ない。
こういう会社なんだと諦めてる。

But nobody's listening

社内研修の講師に選ばれました。

知らない人より知ってる人の方の前で喋る方が緊張するのは私だけでしょうか。

ほんとにやりたくなくて、でもやるしかなくて、せめて失敗しないようにと準備ばかりで、ずっと21時とか22時とかに帰る毎日でした。
休みの日も新幹線の中でプレゼンの練習してたり。

営業さんたちはそんな私を心配して、別の階のフロアにわざわざ様子を見に来てくださって、すごくありがたかった。
アドバイスもくれたり、ほんとに助けてくれました。
前の部署の上司も、話聞いてくれたり手伝うことある?って様子を見に来てくださったり。
みんな優しすぎでした(笑)


副講師の上司は自分の仕事が忙がしくて、私が作ったパワポにちょこっと修正を入れるだけ。
そのわりには、他の講師のパワポがすごかったよーと私に報告してくるのでうんざり(笑)

それでも何度も練習して、しゃちょーにも修正入れられながら、なんとか頑張って作ってきたプレゼンでした。


それなのに、当日は打ち合わせなんか全くしてなかったのに、副講師である上司がことあるごとにプレゼン中に補足事項として口を挟む挟む…。
でも、私台本も見せたよね、何を話して何を話さないか知ってたよね。
なんでそこでアドバイスしないの。
最初は緊張してたのに、緊張が怒りに変わってきた(笑)
プレゼン最中なのに泣き出しそうになった。

口を挟むなら最初から一緒に作ってほしかったし、でも事実全部私が作ったんだから、私にやらせてほしかった。
例えそれが失敗したとしても。

私が作った私のプレゼンなんだよ。
私の成果なんだから。

これで誉められたってなんも嬉しくないし、むしろ悲しい悔しい。
その評価は自分のものじゃないんじゃないのって絶対思う。
なんで横取りするの、なんでいいとこだけかっさらうのって。

プレゼンは相手に伝われば良いんだから、私のこの怒りは自分本位なんだろうけど、全然納得いかなくてあとから号泣した。

まだ納得いってないし、まだ考えると涙出てくる。
ひねくれてると周りの人に言われるけど仕方ない。
100%の自分の評価が(例えそれが70点でも40点でも)50%の評価になって、それが例え100点だとしても私の満点は50点にしかならないことに腹が立つ。

理不尽さをどれだけ耐えられるかが社会人としての優秀さだとしたら、私は社会人として0点なんだろう。
社会人辞めたい。

確かにひとつの時代が終わるのを

生まれて初めて、純粋に、この人には一生涯どう足掻いても藻掻いても逆立ちしたって勝てる日なんて来ないんだろうって思った。
妬みとかも排除して、純粋に劣ってると認めたの。


社内で不幸事があり、異動してからずっと指導していただいていた退職された先輩に連絡をしました。
亡くなったのは、ただのじいちゃんに見えるけど時々核心を突く、子供のように無邪気で、でも怒るとすごく恐くて、私はいつもビビりながら接してた方です。
先輩はおじいちゃんの扱いが上手かったけど、私は下手くそだったから、多分内心比べられてただろうな。
私はなかなか名前すら覚えてもらえなかったです。

ビビりながら接してたおじいちゃんでも会えなくなれば悲しい。
やっと今年、梨杏さんはいきいきと仕事をするねー、と上司に言っていたらしく、入社して何年も経ってからやっと初めて誉め言葉を頂いたなと思った。
やっぱ先輩とは大違い。

参列は難しかったみたいで代わりに先輩が送ってこられた弔電を拝見した。
そうそうおじいちゃんってこういう人だよねっていう、上手いこと書いてある、テンプレートじゃない弔電。
もうすげーとしか言い様がない、あんなの。
繰り返し、もうほんとにすごいヤバいとしか言わない私に、周りはどう思ったのかな。
そりゃそうだろって思われてたかもしれないけど、私はあの時まで経験を積めば並べる日が来るだろうって思ってた。
だけどあんなの見せられたら冒頭のように思うし、なんかもう違うんだなって。
悲しい悔しいより憧憬が勝った瞬間でした。

でも憧憬は現状維持の始まりだと思うから、いい意味の悔しさを持たないとと思います。
いつまでも追い付けないのは、傲る隙さえ与えてくれなくてむしろ幸せなのかも。
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