魔王。
それは魔物の王と呼ばれている最上の存在。
人に神が居るように、魔物にとっての神とも言える。
自然派生であり、衝動と性質を翻弄する瘴気を宿しいる魔でありながら影響を受けず、それらを抑える理性と魂を持った者。
神と殺し合う運命にある者。
魂があるが故に魔王は何度殺されても輪廻転生し、血脈ではなく魂に全ての知識と権能を継ぐ。
神の永遠にして絶対的な敵対者であり、魔をも人をも極めし七つの加害者。

「魔王の適正を持つ者を器と言う。いずれ、その魂を食われて王へと至る者の事よ。その恩寵は既にお前様、その身体にも現れて居る」

ウィッカが語り、シュノが眉をひそめながら首をかしげる。
全身が血に濡れて紫銀の髪が乱れた有様ながら、儚さと清廉さを持つ美しい少年だ。

「まず歴代魔王は美しい。それらは全て性質は違えど、さすがは極めし者と言わんばかりの魔性の存在よ。お前様もまた、美しかろう?」

クツクツと喉で笑いながらからかえば、シュノは不機嫌そうに菫の目を細めた。
中性的、というには未だ少女めいた可憐さが際立つ面立ちをしている。
けれど美しければ全て魔王なのかというとそうでは無い。
人間には遺伝、というものがあるのだ。
突き詰めれば、あるいは品種改良を続けていれば、美しい者は作れる。

「それと並外れた力、魔力を持つ。とにかく強い。まあ神の仇敵じゃからな、然もあらん。肉体的に強靱という者やあらゆる術に精通する者、それらは魔王がどのように魔力を使うかで変わってくるが……気付いて居るかお前様? ここへ来た当初は単なる鉄の枷で済んだ拘束が今は呪術的な要素も含んで居る。いずれは魔紐グレイプニルでも持ちださん事には抑え切れんだろうな」
「ぐれい……何だ? 紐?」
「かつて、この地が分かたれる前……なおも彼方の頃に存在した道具だ。あの時は……主神オーディンも勝手な真似をせず存命であったか。各地で暴れて居った紫銀の魔王フェンリルを抑える為に作り出された呪具よ。まあもはや現存する呪具でもない故、そろそろ拘束する意味も無くなるだろう」
「それは、俺に出歩いてほしくないという事か?」
「そうじゃな。器でありながら、やはり素養の問題なのじゃろうな。お前様が近づくと魔憑き共が騒ぎ出す。恐らくは瘴気を宿した部分が病むようじゃ。そこからの浸食は確認されて居らぬから、ただうるさいというだけじゃがな。魔はどのような状況でも惹かれ、群れたがるのだろうよ。
そしてそれが人には末恐ろしく見える故、臆病者で、異質を嫌い、力を望む、そんな人間たちは排除したがるのだ」
「……瘴気から生まれたのだとしても魔力を持ち、魔を寄せると言うだけでか?」
「お前様、のうお前様、此度の処遇ではわずかながら余裕があったのでは無いか? 以前は一週間、いや一月か、殴られ潰され千切られ食われ、様々に死にかけて居ったろう。今はどうじゃ? 拳を受けても前ほど痛まず、傷もなかろう。それは器の身にある魔力が、肉体の強化に費やされている証拠じゃ。短期間で肉体に付加を付けず、見た目には変わらず、そのような変化を遂げる生物をワシは知らぬ」

呆れ、あるいは疲労をうかがわせる声音のウィッカに、シュノは軽く目を見開いた。
どこまでも自分本位で不遜、良くも悪くも他からの影響を受けない彼女にしては珍しい。
菫の瞳を縁取る長いまつげを伏せて影を落としながら、床を見つめて情報を整理する。
瘴気と魔力は相反するため、混ざり合うことはないと言った。
その唯一の例外が魔王なのだとして、理性や魂を持つという事は人間を襲わない可能性もあるのではないか。
暇つぶしや仕返しに手を出す事もあるだろうが、そこは個体の差だろう。
少なくともシュノは人を殺して楽しむ質でも、力を誇示する質でもない。
むしろ人間だけではなく、全てにおいて興味がないので放っておいて欲しいとは思う。

「放っておくっていう選択肢はないのか」
「いずれ魔王と成る身をか? ないのぅ。ワシ等は生命と営みを愛する故、基本的には手を出さぬ。人間はそも気付かず太刀打ちも出来んから一理あるのだろうが……魔王が静観したとて、神が放っておかぬよ」
「神? 下手に手を出す方が痛手を受けるんじゃ無いのか?」
「まあそうさな、犠牲になるのは大抵人間じゃろうが痛手はあろう。一つは魔王を殺した後の恩恵が理由じゃな。その多大なる魔力は多くの魔物を解き、飛ばし、生命を育む。簡単に言うと土地が豊かになる。器もそれほどではないが似たような作用をもたらす。だが真の目的は、私怨だろうの」
「しえん? ……随分とみみっち、人間くさいな」
「元が人間だからの。全てがそうとは言わぬが、最高神は魔王を許さぬよ。あれはとにかく、己の計画を潰されるのを嫌って居ったからなぁ。己が最上の存在となる事に心血を注ぎ、他の追随を許さず、その可能性がある者を嫌って居った。それこそ器や魔王を何度も屠る程度にはな」
「……知り合いか?」

ウィッカは人間では無いのだから、どこかで会ったことでもあるのかと問うた。
どうにも内情に詳しすぎるように思えたからだ。
けれどとうのウィッカは目を見開き、首をかしげて不思議そうな面持ちをしている。
これは問い方を間違えたのか、本当に思い当たる節が無いのか判断がつかない。
そもそも知識に偏りがありすぎて役に立つとも思えない。

「あんたは俺を殺さないのか」
「器である以上、死なねばならぬと考えて居る。無駄に生き長らえたとて、お前様の行き着く先は食われて無くなるだけ。ワシが手を下さぬのは、お前様はまだ人の範疇にあるからじゃ。人であるなら救わねばならぬ。人は殺せぬ、そういうルールでな。故に追い詰め、何度か死にかければ魔に堕ちると思って居ったが……今までの魔憑きや器はそうであったが、お前様はしぶといの。あと一息、という度に身体は再生し、人へと戻る。いや、その速度はもはや復元じゃな。不死ではないが限りなく近い」

ウィッカが手を下した魔憑きの処遇をシュノに任せるのは、単に面倒なのかと思っていたが違ったらしい。
再生と復元の違いは分からないが、おかげで短期間のうちに強くなった。
だけれどまあ、力も命も惜しくは無い。
そもそもが欲しても居ないのだから、当然だ。
ただ、愛おしいと言いながら、シュノへと刀を向けてきた女を思い出した。
白に沈んだ小さな子供を思い出した。
彼女たちが望んだのも、シュノの死だった。
一つ目を閉じ、深く息を吐く。

「どこに居ても、結局はそれか。お前が駄目なら、他に誰が俺を殺せるんだ?」
「人を殺すのは人、魔物を狩るのはいつの世も英雄よな。そうさの、堕神討伐隊は英雄の血筋ならばあるいは、といったところか」

随分と適当な言い草であるが、何らかの法則に従うウィッカが口にするのならそれが一番妥当だろう。
その血筋が今はどうなっているかなど、引きこもりを続けているらしい彼女が知るはずも無い。
ならば後は外の世界へ紛れる知識を深めた方が良いだろう。
幸い、情報の更新とやらの産物か探せば本の類いはある。
知りたいことは、全て聞き終えた。
こうしてシュノは、死ぬために生きることを決めたのだった。