闇から次々と伸びる手。

それはいつも、僕をつかもうとしていて…

捕まってしまったら、逃げられないと何故か知っていて


だからいつも、僕はそれから逃げていた。



闇の中、一寸先どころか足元すらよく見えない常闇の世界。
次々と延びてくるその手が恐ろしくて必死に逃げる。


「やだっ…来るな…来るなっ!!」


どれ程逃げても、逃げた先から手が伸びてくる。
逃げれば逃げるほど、伸びる手の数は増えていく。

何かが、身体に触れる。
ゾクッと今まで感じたことのない恐怖に慌ててそれを振り払った。
「嫌だっ、触るな、僕に触るな!!」
武器になるものは何もない。
この暗闇から伸びてくる手以外は何もない。
「もぅっ…いや…やだっ…僕が、何をしたって…言うんだ…」
声を震わせて、泣きながら…それでも前に走り続ける。
不意に、地面がぐにゃりと柔らかくなり、視界が反転した。
もともと、視界には闇しかないのだから上下も左右も関係ないが、横から伸びていた手が今度は上から迫る。
身体は既に他の腕が抑えてくる。
「やっ…だ…誰か…たす…けて…」
迫る手は身体を撫で回し、何かを探してるようだ。
「やっ……離せ、離せっ」
泣きながら叫ぶ。そうしないと恐怖で頭がおかしくなりそうだった。

「……ア……イア……」


誰かが、僕を呼ぶ声がした。
その声には聞き覚えがあって、僕は必死に手を宙につきだした。


「助けて、シュリ……」



急激に意識が覚醒して、目が覚めた。
目の前では半身を起こしたまま、心配そうに覗き込むシュリ。
シュリが、助けてくれたのか…
そう思って柔らかな頬に手を添えると、珍しく甘えるように擦り寄ってきた。
「大丈夫か…酷く、魘されてた…。」
「大丈夫なわけあるか…最悪な目覚めだよ。」
最悪な気分を払拭しようと、シュリの身体を抱き寄せてキスをしながら押し倒した。
シュリは物珍しげにこちらを見ただけで、抵抗はしなかった。
寝間着の浴衣をはだけさせてる間にシュリが首に腕を伸ばしてきた。
その瞬間、あの恐怖が蘇ってきた。

「やめろっ!!」

シュリが手を払うと、シュリは驚いて手を引っ込めた。
怖い…伸ばされる手が怖い。
触れられるのも…。
相手はシュリなのに。




どうせ人間はいつも裏切るもの…




「本当に…大丈夫か?
お前、何かおかしいぞ。」
払われた手をどうしようかと迷いながら、レイアを見詰めた。
普段の傍若無人な態度とは全く異なり、何かに怯えたような…
こんな弱々しいレイアは見たことがない。
レイアはいつも凛としていて、我が儘で、強引で、人の気持ちなんて考えもしないけど、弱い自分を絶対にさらけ出さなくて、それが俺には少し寂しくて…
なのに、今何かに怯えるレイアを心の底から愛しいと思えた。
勝手に英雄に祀り上げられて、強くあることを強いられたレイアはきっと、無意識に自分を抑制していたのかもしれない。
もともと欺くことが得意なレイアだ、自分すら欺くことは容易いのだろう。
「……ごめん、悪いけど、ちょっと独りにして。」
そう言って薄い羽織を一枚つかんでレイアは部屋から出ていった。
乱された寝間着を整えてどうしようかと迷っていると、部屋からでてすぐの柵を乗り越えているレイアが目にはいった。

ざわざわと肌が一瞬で粟立つ感じがした。
そのまま、部屋を飛び出してレイアの腕を掴む。
「レイア!!」
レイアは振り返りもせずにそのまま何かに引かれるように闇の中に身体を傾けている。
目は開いてるが、虚ろげで光がない。
まるで夢遊病の様に。
「レイア、おい、しっかりしろ…レイア!!」
何度呼び掛けてもレイアは呆然としたまま、ふらふらと身体を傾けていた。
そして、そのまま呑み込まれるように闇に落ちていった。
レイアが落ちていく瞬間、真っ白な無数の手がレイアの身体に向かって伸びてきていたのを見て、珍しくレイアが怯えていたのはこれだったのかと合点がいった。
「お前らなんかに…レイアは渡さない。」
掴んでいた腕を引いて、レイアをぎゅっと抱き締めると、そのまま闇の中に身を投じた。
幸いなことに廻りには大きな木が生い茂っていたから、それがうまく落下の勢いを殺し、二人とも軽い怪我で済んだ。
レイアはぐったりと意識を失っていたが、大事には至ってない様子に安心した。
「シュリさん、どうかしましたかー
凄い音がしましたけど!!」
どうやら今の音を聞いて何人かは目をさましたらしい。
レイアは青白い死人のような顔でぐったりとしたまま、目覚める気配はない。
「何でもない。」
どう説明すれば良いかわからず、自分も正しく状況を理解した訳じゃなかったので、取り合えずレイアをおぶって部屋に戻ることにした。
首を傾げたレイシーも、それ以上の追求はしなかった。
このまま、もしかしたら目をさまさないかもしれない。
そんな風に考えてしまいそうな自分の思考を停止させた。
それを、一瞬でも考えたら本当にレイアが二度と戻らない気がして。
このまま、レイアが戻らなかったら気が狂いそうになる。
本当に、自分勝手で自由奔放な癖に人の心を掴んで離さない魅力。
それにどっぷり浸かってしまった俺はもう、レイアが居ないと生きられなくなってしまっていたと、今更ながらに気付く。
そっと唇に触れてみる。
求めてほしくて、そっと…唇を重ねた。
軽く触れるだけのつもりだったのに。
「んっ!?」
頭をグッと押さえられて、舌を絡め取られる。
気が付いた瞬間には最早腰に腕が回されていて、逃れられないままもつれ込むようにベットに押し倒された。
「随分魅惑的な起こしかただね。
昨日あんなに可愛がってあげたのに足りなかったの?」
いつも通り、何も変わらないレイアがそこにいた。
射抜く様な赤と青のオッドアイがにんまりとゆがむ。
「お前…覚えてないのか?」
いつも通り過ぎて、逆にこっちが驚いた。
「なにが?」
「……いや、覚えてないなら良い。」
「シュリのやらしい顔なら覚えてるよ?」
「死ね、今すぐ死ね。」
いつものレイアに、少し安心した。
「それで?目の前の可愛いシュリは頂いても良いわけ?」
俺は暫く考えてから、何も言わずに手を伸ばした。
レイアはそのままぎゅっと抱き付いた俺を抱き締めた。
「いいよ、あんたの好きにしろよ。」
にっこりと、レイアが笑った。
それだけで、俺は幸せだった。




「覚えてないなんて、嘘だよ。」
眠ったシュリの髪を撫でながら、ぽつりと呟いた。
呼ばれた、何て言ったらシュリは心配するに決まってる。
自分の意識とは別に強引に。
帰っておいでと、呼ばれた気がして…。
闇に身を投じたときは心地よかった。
懐かしい故郷に戻る感じで。
でも、それと同時にこのままだとシュリと二度と会えないと思ったのも事実。
あそこでシュリが助けてくれなかったら、僕は死んで向こう側に戻されたんだろう。
「そんな運命は、覆してやるよ。
僕は強欲なんだ、一度手に入れたものは絶対手放したりしない。絶対にね。」
誰に向かって言ったわけでもないが、言葉にすれば何者かの気配が緩んだ。
「シュリがどれだけ嫌がって、泣いて懇願しても絶対に逃がしたりしない。
それ以前に、シュリが離れたくならないように僕がしっかり調教するけどね。」
眠ったままのシュリの頬に触れて、キス。
シュリはくすぐったそうに身を捩らせただけで起きたりはしなかった。
「誰が相手でも、僕はシュリを手放さないよ。
例え神でも、殺して見せる。」
そう告げたらモヤモヤとした気配は完全に消えた。
どうやら居なくなったようだか諦めてはいないらしい。
そんな気がした。
「何度来ても無駄だよ、シュリを手放すくらいなら…
こんな世界僕が滅ぼしてやるよ。」

破滅の道でも、二人ならきっと怖くなんて無い。