空が燃えていた。
目の前には崩れた石、少し前まで人の家だったもの。
私をここに連れてきたのは、緑の髪をした人型の何かだった。
ずっとずっと、私達と一緒に居る年を取らない人じゃないもの。
私達も人には似た形をしているけれど、厳密には人じゃ無くて近いだけの耳の尖った者。
魔女と呼ばれて、精霊に近い存在なんだと教わった。
そんな私達は女だけの集まりで、時折外の人と交流をしながら土地を浄化して過ごしていた。
「見なさい、これが我々の犯した業だ」
何か、私達は彼女をキルケーと呼んでいる、が口を開く。
無遠慮に引かれた腕が痛くて、子供の足や体力を気にせず連れてこられた場所は怖かった。
燃える空が、街が怖くて、気持ち悪い。
「これから我は、そなたを捨てる。そなたはここで、惨めで憐れに生きるのだ」
懐に入れてたらしい短剣を、反対の手で持ち上げる。
アゾート剣と呼ばれるそれは大きな魔術を使う時に、他の魔女が使っていた。
鈍色の光りを炎が舐めて、それが振り下ろされる。
痛い、と言った様な気がするし、そうでも無かったような気がする。
魔女特有の尖った耳を断たれて、人と変わらないそれになった。
「せめてそなたが生きやすいよう、呪いをやろう。さようなら、我の可愛い娘」
これが私の、一番古い記憶の一つ。
懐かしい夢を見て起きた。
朝日は既に昇っていて、貧民街の人間ならもうとっくの昔に動き始めてる頃だろう。
前の晩は夜半過ぎまで魔術書を読みふけっていた。
固いベッドで丸くなるように眠っていたせいで硬い身体を、伸びをしてほぐしていく。
外の手押しポンプで水を汲んでから朝食の準備をしようと、バケツを片手に木の床を鳴らして歩く。
今住んでいる場所は誰かの家だった場所で、恐らく戦争に巻き込まれた人達が住んでいた。
恐らく、というのは拝借してから数日経っても誰も戻ってこなかった事からの判断。
被害が一番大きかった貧民街も、数年掛けて少しずつ人が増えるようになってきている。
最初の一年はとにかく家の補修と食料調達に走った。
なにせこちとら年端もいかない魔術師のガキ一人、男だったお陰で貞操の危機はないにしてもとにかく他人から嫌われる。
魔女戦争のお陰で魔術師への偏見が笑えるほど多い。
けどまあ、使い勝手が良いのもまた魔術の特徴で。
大人しく使いっ走りに甘んじていれば周辺の人間からは可愛がられるようになった。
「で、これはどういう了見だ」
家の前。
ポンプで水を汲みに行こうと扉を潜れば、汚いガキが二匹倒れていやがる。
ぼさぼさの髪に血色の悪い肌、千切れた服の切れ端や靴が片方しかない辺り悪ガキ共とやり合った後らしい。
これが冬なら間違いなく野垂れ死んでるな、と思って脇にしゃがみ込めば、まだ息はしている事が分かった。
それなら次は怪我の確認をしようと手を伸ばせば、
「……さわ、るな」
一丁前に連れを守ろうとしたガキが目を覚ます。
あるいは最初から起きて居て、体力の限界か警戒のために倒れたフリをしていたか。
幼さの残る赤い大きな目で精一杯睨み付けてくるのは愛らしいけれど、その割りに殺気は一人前だ。
「ここ、俺ん家」
「? ……うそつくな」
疲れ切っているだろうに、蚊の鳴くようなか細い声で必死に食らい付いてくる。
年は多分、少し下。
同じ顔が転がってる事から双子だろうと予想出来た。
嘘、と言われた事と不審者を見るような目付きから、
「ああ、なんだここの家主か」
目を瞬いて警戒を解けば、今度は相手が拍子抜けのような顔をした。
苦節数年、まさかの主のお帰りともなれば勝手に住み着いてた方が悪いだろう。
うんうん、と頷いて脇に手を入れて抱き起こせば、慌てた相手が微弱な力で暴れ始めた。
「おいおい、運び辛ぇだろ」
「まて、ちがう、おれじゃなくて……おとうとから」
「ん? ああ、そっちからってか。心配しなくても二人共運ぶぜ?」
「いい、いい! いいから」
必死になって暴れ続ける相手に面倒になり、中途半端に浮いた体勢から手を放して地面に衝突させる。
もう一人の方を掴めば、今度は大人しくしているようだった。
とりあえず家の中の床に放置して、威勢の良い方も似たように放り投げる。
水を汲もうとしてる途中だったので、何度か往復して風呂桶に水を溜めた。
ついでに朝食を用意しようとして、疲労している様子からスープの方が良いかと考える。
前の日のあまりである野菜屑のそれよりは滋養に良いかと薬草を何種類か用意して。
魔法薬を作った礼にと貰ったとっておきのチーズを出しておく。
後は食えるようなら固い黒パンでもスープに漬けて食わせれば良いだろう。
準備を終えたら体力回復用の魔法薬を一人分片手にガキ共の所に戻った。
「これ飲め。で、今から風呂沸かすからお前とそっち、洗ってやれ」
「……なんだこれ」
「魔法薬。少し疲れが取れるやつな」
「……あんた、シスターなのか」
ぽかん、と拍子抜けのような顔をする相手に思わず噴き出す。
答えずに笑ったまま浴槽室に行って、桶の水に手を突っ込んだ。
そのまま炎の魔術で水を温め、少し熱いくらいで止めて手を放す。
振り返れば硬い表情をした赤い目のガキがもう一人を抱えて扉の脇に立っていた。
「まじゅつし、だったのか……」
「まあな、嫌いか?」
「……べつに」
微妙な顔をしたまま半身浴が出来る桶の前で服を脱ぎ始める。
もっと過激な反応が来ると思っていた分、こちらの方が拍子抜けだった。
けれどまた暴れられるのも面倒だから丁度良いかと気分を変え、怪我の有無を確認するのも忘れてキッチンへと戻る。
気付いた時には薬草たっぷりの緑色をしたスープが出来上がっていて、上からすり下ろしたチーズを掛けた。
それが溶ければ青臭い匂いも大分マシになり、塩で味を調えれば完成だ。
「わー、良い匂い!」
「……何してるんだ?」
部屋の奥から賑やかな足音と声が聞こえて、顔を上げると真っ白な髪に細い身体の子供が二人。
少し洗っただけで大分綺麗になったな、と眺める。
赤い目の方は表情が少ないながら首を傾げて、もはや警戒心の欠片も無い。
もう一人は蜜色の目だったようで、琥珀みたいだと思う。
ふにゃふにゃと緩んだ笑顔を浮かべて赤い方に話しかけている所を見るに、これは兄貴が苦労しそうだと納得した。
「薬草の匂いを良いなんて言う奴初めてだぞ」
「せんせーが一杯育ててた! あ、えっと……」
「先生、ね。まあ良い、飯にするから座れ」
なるほど汚れ具合の割りには綺麗になったものだと思ったら、どこかから逃げてきたらしい。
貧民街にそういう奴が居ない訳では無いし、紛れ込むには丁度良いだろう。
もしくは、先程家主だと言っていた事から帰宅しただけかも知れないと当たりを付ける。
皿に人数分のスープを盛って戻ってみれば、一人はテーブル代わりの丸太の上に座っていた。
もう一人は座っている方の膝の上に座っている。
「お前等何してんだ……」
「え、座れって言うから。椅子が一個しか無くて」
「物がなくて悪かったな。それはテーブル、床に座れ」
「床……? 行儀悪くないか?」
「どんな暮らししてたんだよ。良いから座れ、椅子は無い」
邪魔だと払い除ければ、おずおずと床に腰を下ろし始めた。
最初は遠慮がちにしていたそれも、テーブルに皿を載せれば気が逸れたようで各々落ち着き始める。
パンを渡せば食欲もあったようで、ひたすら黙って口を動かし始めた。
薬草スープは嫌がるかと思ったけれど、文句も無しに食べている。
ふと顔を上げた蜜色の方と、目が合った。
口の横には食べかすが付いている。
「なあ、なんで俺達拾ってくれたんだ? 年、そんなに変わんないだろ」
純粋に疑問だから、そんな様子で紡がれた言葉に笑みがこぼれた。
家主だから、というのが理由の大半だけれど。
こんな何年も放置されてる家に今更戻ってくる家主が普通の訳は無い。
だからまあ、単純なところほんの少しの好奇心と、
「お前等が惨めで憐れだからさ」
ちょっとした意趣返しという奴だろう。
これが俺、捨てられっ子のヒスイと、拾われっ子の鶴丸、国永との出会いだった。