それは植物が乾きに水を吸うように、生きる為の当然の感覚として国永の中にあった。
意識が戻ってくるのと同時、曖昧な思考は渇きを覚えて救いを求める。
鼻腔を擽るのは甘い香り。
花のように芳しく、堪え難いほどの欲を感じる。
目を開いてその香りの元を辿れば、それはすぐ目の前に存在した。
琥珀色の光り、白銀の花弁を散らすのは自分の為に咲く華。
「……くに、に?国兄!起きたのか?具合、大丈夫?」
華が心配に顔を歪めて覗き込んでくるのをぼんやりとした意識で捉え、手を伸ばした。
頬がしっとりと濡れているのは、泣いていたせいか。
そのまま手触りを楽しむように頬を指でなぞり、
「あの、くにに……?」
瞳を覗き込んでくる華――鶴丸に、唇を寄せて舌を伸ばした。
言葉を返さない兄に不思議そうな顔をしながらも、後ろ頭を引かれて大人しく顔を寄せてくる。
舌で桜色の唇をなぞり、薄く開かれた瞬間に腔内へと躍り込んだ。
ちゅ、ちゅく、鼻に掛かる息遣いと濡れた音だけが室内を満たしていく。
お互いに顔を離した時、二人の間を銀糸の糸が繋いでいた。
「……はぁ……おいし……」
「ん、は……ぁ……くに、にぃ……もっと、ちゅうしてぇ……」
とろんと目を蕩けさせながらの番の言葉に、請われるままに再び口を近付ける。
触れ合った舌が逃げる舌を絡め取り、互いに交わる度に甘い痺れが脳裏を過ぎった。
次第に相手の吐息を奪うように吸い、上顎をなぞって歯列を割り、口内を犯していく。
その甘さに酔いしれるように鶴丸は目を蕩けさせ、獣は蜜を貪った。
口付けを離した後も瞼に吸い付き、耳朶を食み、首筋を舐め。
触れ合った部分の鶴丸の肌が熱を帯び、ちゅ、ちゅ、と国永の口は愛らしい音を立てながら下へ下へと降りていく。
愛撫が通り過ぎた後は肌を赤く染め、鶴丸は熱くなった吐息を吐き出した。
国永が倒れている最中に様子を見に来てくれた義兄たちの言葉では、獣のように貪ると言われていた。
けれど今されているのは、どこまでも優しく融けさせる愛撫だ。
「は、ぁ、くにに、んっ!もっと、さわって、ぇ……!」
優しい温もりに焦れたのは、鶴丸の方が先だった。
その声に反応した訳では無く、熱に溺れる思考はどこまでも曖昧に蜜を求める。
結果、胸を飾る小さな蕾に口を寄せて香りを楽しむ。
指は更に下、そそり立つ茎へと伸びて先走りを絡めながら先端を擦りつけた。
次々と襲い来る快楽に瞼の裏を白く明滅させ、鶴丸は空気を求めて喘いだ。
快楽を与えれば与える程に濃密になる華の香りに、責める手が遠慮を無くして大胆に動く。
唇で蕾を噛み、吸い付き、舌で押し潰しながら手は茎を擦り上げ、後孔の窄まりに埋められる。
「はっ!ひゃ、あ、あぁんっ、ひっ、ぃ、いいっ!?」
「ちゅ、ぷちゅ、ちゅぱ、ちゅむ、ぢゅ……ッ」
「あ、くににっ、も、いっちゃ、いっちゃぁあ、うう――ッ!!」
直接的な快感に背筋を粟立たせながら足で目前の細い腰を挟み込み、足先がシーツを掻いて丸く力を込められていく。
絶頂は、段階を追って訪れた。
握り込まれて与えられる直接的な快感に白濁を吐き出し、それを刷り込むように何度も先端を弄られる。
「く、ひぃいい!?や、も、いったぁああッ!!いった、の、しゃわっちゃ、らめぇッ!!」
射精をしたばかりで更に擦り上げられ、敏感になった性器には強い快感に腰を踊らせた。
卑猥な踊りは逃げる為のものであるが、それを抱き込む手が許さない。
ぎゅうっと足の指を丸め込み、追い詰められた鶴丸は精を放つ事も出来ずに潮を噴き出した。
あまりにも強すぎたそれに脳が処理出来ず、思考を白く染め上げる。
あへぇ、と緩む口の端から涎を垂らし、鶴丸は腰をビクビクと脈打たせた。
弛緩した身体の間に潜り込み、国永は蜜を味わう為にいきり立つ自身を一息に突き立てる。
ぐちゅり、と性急に押し込まれたそれに白磁の背をビクリと、鶴丸は蕩ける身体を跳ねさせた。
「はひゃ――ぁあああ!?」
そのまま腰を強く掴まれ、緩急を付けずに奥へ奥へと突き立てられる熱に身体が踊る。
普段は緩く、愛撫や繋がりを楽しむ事に重点を置かれる行為が獣のような交わりへと化していく。
鶴丸の息が、思考が整わないうちに次々と叩き付けるように与えられる快感はもはや暴力とも言えるもので――。
国永が我を取り戻した時、周囲は惨状と化していた。
二人用のベッドは未だ湿っていて、鶴丸と折り重なるように俯せになっていた身体を起こす。
「――っ!?」
と、腰に走った快感に見れば自身は未だ鶴丸の後孔に入り込んだまま。
ゆっくりと息を吐きながら抜き去ってみれば、ごぷりと音を立てて白濁が漏れ出てくる。
一体どれだけ吐き出したのか、泡を立てながらぷくぷくと吐き出される残滓に目を瞑りたくなった。
白いだけではなく、うっすらと赤みを帯びているのは中が擦り切れたのか。
ぽってりと腫れ上がってしまった鶴丸の後孔に、獣のような交わりが想像出来て申し訳無くなる。
すん、と周囲の匂いを改めて確認すれば青臭い独特の匂いと、それ意外の刺激臭が。
湿るベッドを確認しなくとも、様々な体液で汚れているのは確認出来た。
「つ、る……ごほっ、けほ……」
喘いだのは自身ではない筈なのに、喉が異常なほどの渇きを覚えていた。
渇きというなら、国永は途中にうろ覚えながら酷い渇きに蜜を貪った事を思い出す。
痛む腰は己が受け入れた側ではないのに、自滅する程の過剰な稼働があったという事で。
「はぁ……やってしまった……。ごめんな、つる……」
改めて鶴丸の身体を見て見れば、顔は唾液や涙、あらゆる液体でぐしゅぐしゅに濡れている。
体中、赤い華のようにキスマークや噛み痕が咲き乱れて血が滲んでいた。
腰の辺りに重点的に、人の指型に鬱血している箇所がある。
確認せずとも、それが自分の指の跡と一致する事位分かった。
鶴丸に新しく与える事を決めた抑制剤を、代わりに使った後から意識が混濁している。
恐らくは発情期間近の鶴丸の匂いに当てられて、ヒートを引き起こしたのだ。
なし崩しに受ける側になってしまった鶴丸は、きっと言葉も通じない自分に怯えたに違いない。
番である以上に、大事に大切に愛したいと思い、そう行動してきた自負があるだけに申し訳なさが先に立つ。
とはいえ、まずは鶴丸を休ませてやる事が先決だと痛む身体に鞭を打って立ち上がり、桶に水を汲んでくる事にした。
もしかしたら鶴丸は熱が出てくるかも知れない。
家に用意のある解熱剤だけでは足りないかと考え、知り合いの薬屋に頼む事を思い付く。
ついでによく効く軟膏も貰ってこなければ、と自分のするべき事に意識を集中する事にした。
「――て、事があったんだ……」
「なるほど、それでよく効く軟膏に解熱剤、ね。一つ貸し、だな?」
「ぐっ……分かったよ、スイ姉さん……」
姉さん、と呼ばれた女はうっそりと唇に笑みを刷く。
酷薄なそれは見る者が見れば虜にするような色を含んだモノだった。
しかし口にした人物、国永は上機嫌な女を見て苦い顔をするだけに留める。
女は今来ている薬屋の主人、薬師、ヒスイと言った。
突然に、下層地区へ謎の固まりと一緒に降ってきた。
もう何年も前の事だ。
孤児院での生活の中で、バース検査が行われた。
鶴丸がΩだと分かった時、他のΩの子供と一緒に隔離されそうになった。
国永はαだった為に引き裂かれる事が決定し、実行される前に鶴丸を連れ出してさ迷っていた。
そんな中で出会ったのだ。
兄弟として、姉弟として、師弟として。
国永は兄だと譲らず、ヒスイは自分が上だと譲らなかった。
故に、貸しを作った方が一日下になる。
「やはりお前に姉と呼ばれるのは心地良いな。いっそ本当に弟にならないか?」
「遠慮する。俺は鶴の兄で、君の兄貴分だと自負しているからな」
「……君?」
「……スイ姉さんの、だ」
くすくすと愉しげに笑われ、国永は不機嫌さに拍車が掛かった。
しかし席から立ち上がったヒスイが薬棚へと足を運ぶのを見て気分を持ち直す。
カチャカチャと暫くヒスイが立てる音だけが室内を満たした。
「まずはこれ、軟膏だ。少し緩めに溶いてあるのは馴染みをよくする為と、擦り切れた傷に負担を掛けないため」
「ん」
「次にこれ、湿布。この草を潰した薬を皮膚に塗ってから張ってやれ。匂いはきついが我慢しろ」
「分かった」
「そして解熱剤だな。まあ熱自体は新薬とやらの副作用もあるだろうから、高熱の時にだけ飲ませろ」
「ああ。……その、新薬なんだが」
言葉を切った国永は服の内側から注射器型のそれを取り出して見せる。
宗近から受け取ったそれをヒスイに渡し、ためつすがめつするのを眺めた。
眉を跳ねさせ、興味深そうに翠色の瞳が色を深める。
器の中でひたり、ひたりと形を変えるそれは水蜜のような液体にしか見えず。
「ふむ……調べて見よう。お前もこれを打ったんだったな?」
「ああ。スイ姉さんが以前、俺は抑制剤への耐性があると言っていたろう? 鶴が嫌がったからな、毎度と同じように処置をした」
「……ふむ。それが、今回は違った、と。……お前の検査もしてみよう、血を貰うぞ」
机の上に新薬を臥せると引き出しから新たな空の注射器を取り出し、慣れた手つきで国永の腕へと突き立てた。
少量の血で満たされた瓶を三本ほど取り終えると血止めを施し、新薬を薬匙に落として国永の血と交ぜ始める。
と、同時に他の皿に別の薬や試験管を用意し始めたりと手早く何かを進めていく。
これら全てがヒスイにとっては大事な工程だと知っている国永は、意識を鶴丸の事に切り替えた。
今は部屋に、世話役を一人付けて置いてきてしまったが目は覚めているだろうか。
覚めていたとして、寂しがっていないだろうか。
「それで?」
「……うん?」
「この新薬の取引相手、どうするつもりなんだ? お前の口ぶりだと次もあるんだろう」
「ああ……忘れてた。そう、何度か相手をしろと言われていて……」
「気を付けろ。お前といいお鶴といい、狙われやすい面をしているからな」
横目に見られ、その口ぶりに不思議な感覚を覚えて首を傾げる。
何故、そんな事を言うのか。
弟の鶴丸ならば無邪気で人懐っこくあどけない性格が顔に出ているのだろうけれど。
白磁の肌と光り輝く琥珀色の瞳、それが嬉しくて仕方ないとばかりに緩んで桜色に上気した頬と赤い唇が笑みを彩るのだ。
あの子の太陽のような明るい笑みを手中に収めようと、気を引こうとする者は数知れず。
日々の営みの中で生き残る事が難しい下層地区では、淀まない瞳を持つ者は少ない。
それは、国永やヒスイも例外では無い。
「確かに鶴は下層では珍しく抜ける様な白い肌をしている……好事家は見逃さないだろうな」
「馬鹿、鶴がそうだと言う事はお前もだ。お前達はよく似ている」
「――おれ?いや、鶴はそうだろうが……俺はあり得ない。何せ根っからの下層育ちだし、」
「育ちは関係ない。何せ、人の記憶や生い立ちは簡単に変えてしまえる世の中だ」
「え?」
「……いや、お前には関係ない話しだ」
不思議そうに目を剥いた国永に、ヒスイは酷薄な笑みで濁す。
こういった事はよくある事なので、そうなのかと頷いて流す事にした。
国永にとって一番優先されるのは鶴丸の事で、その次は鶴丸を守る自身の身体だ。
家族といえど、この順番に否やは無い。
ヒスイにも同様で、彼女の事情というものがある。
出会うまで何をしていたのかを詳しく聞いた事はなく、ただその知識は役立つ事が多い。
「さて、簡易検査だが結果が出た。お前のα性に異変はないようだが……どうやら他の奴らとは違う、特殊なもののようだ」
「特殊?」
「ああ。通常、Ωとαは真逆の特性を持つと言って良い。詳しくは更に調査をするが……そうだな、まあ普通のαでは死ぬような事も乗り切れる。とはいえ、あまり無茶はしてくれるなよ」
死ぬような事、と言われて国永はぼんやりと思い返す。
今回の薬は確かに危なかった感じがした。
人より丈夫な身体を持ち、薬の効きにくい体質だからと驕ったのは確かだ。
鶴丸を守る為にも、まずは自身の身体も労らなくてはならないのだとため息を吐く。
全く生きにくい世界だと。
けれどそれが現実であり、国永の知っている全てだ。
「ああ、分かったよ。スイ姉さんの言うとおりにするさ。とりあえず、鶴に土産を買って帰らないと」
「そうか。昨日パンを焼いた所だ、丁度良いから持って行くと良い」
「助かる」
待っていろ、と言って簡単に机の上を片付けるとヒスイは奥の部屋へと引っ込んでいった。
貰った諸々の薬を編みカゴの中に入れ、国永も椅子に座り込んだ。