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Ωバース8

新薬を投与した鶴丸の体調は、かなり安定したものとなっていた。
抱き潰した当初は二.三日起き上がる事も出来ずに熱にうなされていたが、薬がよく効いたのか身体の痣が薄くなる頃には落ち着いた。

「くにに、お仕事行くのか?」
「ああ……ごめんな、もっと一緒に居られなくて」
「う、ううん!仕方ないから……それに、俺ももう大丈夫。今日からまた何でも屋を再開する」

にこにこと、寂しさを紛らわせる笑顔を浮かべる鶴丸に国永は胸が苦しくなる。
下層で共に暮らす為には仕事を辞める訳にはいかず、仕事をする間は共に居られない。
新薬で発情が抑えられているとはいえ、身体的には劣る部分が出てくる。
Ωが通常の人間のように働けないのは、それが理由の一つだ。
男であろうと、発情期中のΩは女人のようにか弱い力しか発揮出来なくなる。
それを知っている者達が優遇し、頼み事を回してくれるようになって何でも屋という仕事"もどき"をする事が鶴丸の日常だった。
仕事を回す中にはヒスイも居り、黒葉が居る孤児院もある。

「なら、今日は孤児院まで送ってくよ。黒葉が様子を見に来てくれたんだろう?礼をしないと」

何気なく口にした国永の言葉に、鶴丸がビクリと肩を大袈裟に弾ませた。
顔を見れば怯えを含んだそれであり、国永は自然と剣の含んだ顔になる。

「つる……黒葉に何かされたのかい?」
「……ぁ、ち、違う!違うよ国兄!!この前の、黒兄とここが来てくれなかったら……て……」

親愛の兄が苦しんで倒れた瞬間、鶴丸は何が起こったのか分からず恐慌状態になった。
何も出来なかった事が悲しくて、苦しかったのだ。
せめてここのように処置の仕方を知っていれば、黒葉のように度胸があれば泣き縋るだけでは無かったのに、と。
落ち込む鶴丸に、泣きそうに顔を歪める弟に、国永は心底から愛おしさに優しい笑みを浮かべる。

「つる、ごめんな?心配掛けて……でも大丈夫だよ、俺は今ここに居るだろう?」
「ぅ……くににぃー!よかっ、よかったぁ!!」
「よしよし」

泣くのを我慢しながら必死に抱き縋ってくる鶴丸を正面から抱き留め、国永は首筋に顔を埋めながら頭を撫でてやった。
ぎゅうぎゅうと力の限りしがみついてくる手は、それでも幼い子供のそれと変わらない。
落ち着くまでそうやって二人、隙間なくくっついているうちに鶴丸の耳が赤く染まっていく。
気付いた国永が顔を覗き込んでやれば、目元を赤く染めた鶴丸が頬を染めて笑った。

「どうした、恥ずかしくなったのかい?」
「ん……へへ。俺、今日から黒兄のお手伝い一杯して、国兄の役に立つように頑張るな!」

幼いながらも精一杯の愛情を表現する鶴丸に、国永は安堵の息を吐く。
そうやって前向きに頑張ろうとする弟に救われてきたのだ、と。
だからこそ、自分も腐らずに生きようと思えるのだ。

「ありがとう、鶴のお陰で救われてるよ。本当さ」

額に唇を落としながら蕩けるような笑顔と紅い瞳に見られ、鶴丸は嬉しさに頬を紅潮させて笑った。



孤児院までの道のりを国永と一緒に歩いた後、帰りも迎えに来るから良い子にしてるんだぞ、と言い置いて頭を撫でた後に桜色の髪を翻して兄は去って行った。
その背を門の外まで見送り、鶴丸は勝手知ったるものと観音扉の内へと入っていく。
腰ほどの背の高さの男女の子供達が走り回り、途中で手を振りながら奥の部屋をノックする。

「入れ」
「黒兄、今良いかー?」

ガチャリ、と古い木の扉を開ければ、中央にいくつかの机と椅子の置かれた部屋。
孤児院の院長が代々使っている、装飾は控えめながら実務的な執務室だ。
側面の壁には様々な書籍が置かれ、真ん中には華奢な身体の黒髪を一つに縛りあげた青年が座っている。
小烏黒葉。
国永と同年代ながらその政治手腕は確かであり、先代の院長直々に後目を任されたほど。

「おや、鶴丸か。身体はもう良いのか?」
「この前はありがとう、黒兄。うん、新薬?ってのが効いてるらしくて、調子は良いよ」
「そうか、ならば良い。今日も手伝いに?」
「ああ!三日も来てなかったから、ゆきの世話が必要だろう?」

ゆき、というのは孤児院で世話をしている動物の幻鳥だ。
幻鳥、幻と名の付く動物は昔から生存する種類の中でも時折現れる不思議な生物だ。
ヒッポグリフという種族のゆきは、人に懐きやすくて馬の足と鳥の身体をしている。
荷物運びをよく手伝ってくれるうえに、体毛の白いゆきは昔から鶴丸の大好きな友達だ。
子供達では体躯の大きなゆきの世話をしきれない、と振り分けて貰っている仕事の一つでもある。

「そうだな。ゆきとここは相性が好くない、お前が見てやれば喜ぶだろう。……そうだ、国永に変わった様子は無いか?」

それがあの日の事を指すのだと思った鶴丸は、同時に手酷く抱かれた事を思い出して顔を一気に赤く染め上げた。
おや、と目を見張る黒葉に咄嗟に言葉を返す事が出来ず、あ、あははと空笑いで返す。

「だ、大丈夫!からだ、も、平気みたい!」
「そうか……ならば良い。そうさな、もし……記憶違いなどが起こるようなら、教えておくれ」
「記憶、違い?なんで??」

身体の調子を言うのなら分かる。
しかし、それと記憶とどう繋がりがあるのだろうか、と首を傾げた。

「いや……そうだな。そろそろお前も知っておいて良い頃だろう。お前は、お前達が何故孤児院へやって来たのか覚えているか?」

孤児院へ来た理由。
鶴丸自身に覚えは無かったが、何度も聞いた事がある。
父が、母が、コロされたのだと。
国永と二人、手を繋いでここへやってきた。
人形の様に何の反応もせず、言葉を発しなくなった兄と二人で。
一番最初の記憶は、孤児院の片隅で人形の様に椅子に座り続ける白いあの人を見上げるもの。
紅い瞳は伏せられ、周囲の景色を移すだけのガラス玉のようだった。
握れば必ず返してくれた温かい手は、雪のように真っ白で冷たい固まりになってしまった。
真っ白な髪の毛が、景色が時折真っ白に染まる時のように儚い印象を強くした。
呼べば目を見詰め返して笑ってくれた顔が、虚無に包まれてなんの色も表さない。
怖かった。
大好きな兄が、大好きな兄の形をした何かに変わった事が。
それでも手を離せなかった。
鶴丸が離してしまえば、二度と元に戻らない気がして。
ただ、幸せに笑って欲しかっただけ。
幸せに、なって欲しかった。

「国永はな、首にチップが埋まっている。……うなじに、黒い線が入っているだろう?あの下だ」
「……ぁ、いっつも首輪、してるのって」
「保護の役目もある。外してはならぬと、先代の院長先生も言って居ったろう?」
「うん、国兄のあれ、外しちゃだめって、聞いた……。けど、ちっぷって、なに?」
「多少の衝撃では問題ないが、な。チップというのは……まあ、首に致命傷を受けてはいけないというものだ。それはな、国永の……過去を封印している」
「か、こ?ふうい?」
「思い出をな、制限しているんだ。あやつは昔、両親の死を見ていたらしい」

両親の死を、見ていた。
言葉にされ、頭の中で反芻した事で実感がわいた。
それはつまり、鶴丸が覚えていない事を国永は体験したという事。
ふ、と、耳の奥に残る音が思い出された。
見ては駄目、見てはいけない、つるは、見ちゃだめ。
いや、やめて、貴方は誰なの、逃げてつる、くに。
女の人の悲鳴が聞こえた、ぐちゃぐちゃとねばつく音に何かの水音、ハサミのような何か金属の音。
幼い子供の声、必死に声を殺して、悲鳴を呑み込んで、見ては駄目だと繰り返していた。
悪寒が走り、背中が粟立って胸が気持ち悪くなる。
嘔吐く喉が呼吸を遮り、目に涙が溜まって全てが曖昧になった。

「つる!しっかりしろ、息を吐け。落ち着いて、ゆっくりだ」
「――ヒッ、く、っひ、は、ぁ……っ」
「そうだ、良いぞ。良い子だ……ゆっくりと」

背中をさすられ、温かい声に段々と落ち着きを取り戻してくる。
呼吸が楽になってきた事で、いつの間にか目の前に回った黒葉が大差ない華奢な身体で抱き締めてくれている事を知った。
小さな頃から鶴丸が落ち込んだり、国永に何かがあった時にはこうやって安心させてくれた。
温かくて大好きな、もう一人の大切な兄。

「……くろ、に……お、れ…………おぼえ……」
「――ッ!そう、か……思い出させて、しまったか。……今のお前でも、辛い事だろう……苦しい事だろう……」
「お、れ……おれ……そうだ、くににぃが……おれ、だきしめ、て」
「……守った、か?」

頷く。
そうだ、確かに覚えている。
国永に抱き締めて貰えた事が嬉しくて、温かくて、安心出来た。
かくれんぼをしよう、と国永に言われたのだ。
両親の様子がおかしくて、その日は計画停電のある日だった。
何があっても声を出しちゃいけないと言われ、お気に入りのぬいぐるみとパーカーを着て自分の口を塞いで。
そんな自分を国永が抱き上げ、抱き締めてくれたのだ。
小さな手の平が鶴丸の耳を塞いで、静かに、見ちゃだめと小さく繰り返していた。

「おれ……なんにも、しらなかった……。くらいの、こわい……と、あけて、て……」
「扉、を?それは……」
「きっと、くにに……みえて、たんだ……。おれが……あけて、いった……から……」
「そうか」

開けられた扉はほんの少しだけだった、室内を照らす細い光りが一筋入るくらいの。
そしてそれは、小さな鶴丸を抱き締める小さな国永の眼前にあった。
鶴丸には安心出来る兄が居た。
兄が見るな、聞くな、忘れろと守ってくれたから鶴丸は見ず、聞かなかった事にして、忘れた。
けれど国永には、そう言ってくれる相手が居なかったから。
両親の死を間近に見てしまったから、壊れた。
壊れて、人形のようになってしまった。

「くにに、は……わすれ、た?だれか、まもっ……」
「ああ、忘れている。そのように、チップで操作した。……辛い事を、思い出させてしまったな」
「……ううん、驚いた、けど……だいじょうぶ。国兄が、守って、くれたから……」

そうだ、昔からずっと一緒に居て、怖い事は何も無いと温めてくれる。
その手があるから、鶴丸は平気だった。
国永が一緒に居てくれるから、怖くとも平気になった。
ずっとずっと、守られていたという事が寂しいけれど。
今度は自分も、守っていきたいから。

「くろに、ありがとう……俺、大丈夫。平気に、なる。だから……思い出せて、良かった」

涙を流しながら、記憶に無い両親の事を少しでも思い出せて良かったと、本心を口にする。
国永が守ってくれた事実を、両親が居たという事実を、思い出せて良かったと。
泣きながら、それでも笑顔を浮かべれば、黒葉は傷ましげに顔を歪めて微笑んだ。
身体を離して頭を撫で、肩に手を置いてくる。

「いつでも、頼っておくれ。我もお前の兄だからな?」
「ありがとう、黒兄」
「ふふ、好い好い。もし変事があれば、直ぐに言うのだぞ?」
「えっと、くににの、ちっぷ?首の?だよね……分かった」
「それだけではない。お前も、だ」

真摯に目を向けて言われる言葉にはっと鶴丸は息を呑み、深く頷いて返した。
先程恐ろしい事を思い出したばかりだというのに、その笑顔はいつもの陽だまりのような温かいものだった。

Ωバース7

それは植物が乾きに水を吸うように、生きる為の当然の感覚として国永の中にあった。
意識が戻ってくるのと同時、曖昧な思考は渇きを覚えて救いを求める。
鼻腔を擽るのは甘い香り。
花のように芳しく、堪え難いほどの欲を感じる。
目を開いてその香りの元を辿れば、それはすぐ目の前に存在した。
琥珀色の光り、白銀の花弁を散らすのは自分の為に咲く華。

「……くに、に?国兄!起きたのか?具合、大丈夫?」

華が心配に顔を歪めて覗き込んでくるのをぼんやりとした意識で捉え、手を伸ばした。
頬がしっとりと濡れているのは、泣いていたせいか。
そのまま手触りを楽しむように頬を指でなぞり、

「あの、くにに……?」

瞳を覗き込んでくる華――鶴丸に、唇を寄せて舌を伸ばした。
言葉を返さない兄に不思議そうな顔をしながらも、後ろ頭を引かれて大人しく顔を寄せてくる。
舌で桜色の唇をなぞり、薄く開かれた瞬間に腔内へと躍り込んだ。
ちゅ、ちゅく、鼻に掛かる息遣いと濡れた音だけが室内を満たしていく。
お互いに顔を離した時、二人の間を銀糸の糸が繋いでいた。

「……はぁ……おいし……」
「ん、は……ぁ……くに、にぃ……もっと、ちゅうしてぇ……」

とろんと目を蕩けさせながらの番の言葉に、請われるままに再び口を近付ける。
触れ合った舌が逃げる舌を絡め取り、互いに交わる度に甘い痺れが脳裏を過ぎった。
次第に相手の吐息を奪うように吸い、上顎をなぞって歯列を割り、口内を犯していく。
その甘さに酔いしれるように鶴丸は目を蕩けさせ、獣は蜜を貪った。
口付けを離した後も瞼に吸い付き、耳朶を食み、首筋を舐め。
触れ合った部分の鶴丸の肌が熱を帯び、ちゅ、ちゅ、と国永の口は愛らしい音を立てながら下へ下へと降りていく。
愛撫が通り過ぎた後は肌を赤く染め、鶴丸は熱くなった吐息を吐き出した。
国永が倒れている最中に様子を見に来てくれた義兄たちの言葉では、獣のように貪ると言われていた。
けれど今されているのは、どこまでも優しく融けさせる愛撫だ。

「は、ぁ、くにに、んっ!もっと、さわって、ぇ……!」

優しい温もりに焦れたのは、鶴丸の方が先だった。
その声に反応した訳では無く、熱に溺れる思考はどこまでも曖昧に蜜を求める。
結果、胸を飾る小さな蕾に口を寄せて香りを楽しむ。
指は更に下、そそり立つ茎へと伸びて先走りを絡めながら先端を擦りつけた。
次々と襲い来る快楽に瞼の裏を白く明滅させ、鶴丸は空気を求めて喘いだ。
快楽を与えれば与える程に濃密になる華の香りに、責める手が遠慮を無くして大胆に動く。
唇で蕾を噛み、吸い付き、舌で押し潰しながら手は茎を擦り上げ、後孔の窄まりに埋められる。

「はっ!ひゃ、あ、あぁんっ、ひっ、ぃ、いいっ!?」
「ちゅ、ぷちゅ、ちゅぱ、ちゅむ、ぢゅ……ッ」
「あ、くににっ、も、いっちゃ、いっちゃぁあ、うう――ッ!!」

直接的な快感に背筋を粟立たせながら足で目前の細い腰を挟み込み、足先がシーツを掻いて丸く力を込められていく。
絶頂は、段階を追って訪れた。
握り込まれて与えられる直接的な快感に白濁を吐き出し、それを刷り込むように何度も先端を弄られる。

「く、ひぃいい!?や、も、いったぁああッ!!いった、の、しゃわっちゃ、らめぇッ!!」

射精をしたばかりで更に擦り上げられ、敏感になった性器には強い快感に腰を踊らせた。
卑猥な踊りは逃げる為のものであるが、それを抱き込む手が許さない。
ぎゅうっと足の指を丸め込み、追い詰められた鶴丸は精を放つ事も出来ずに潮を噴き出した。
あまりにも強すぎたそれに脳が処理出来ず、思考を白く染め上げる。
あへぇ、と緩む口の端から涎を垂らし、鶴丸は腰をビクビクと脈打たせた。
弛緩した身体の間に潜り込み、国永は蜜を味わう為にいきり立つ自身を一息に突き立てる。
ぐちゅり、と性急に押し込まれたそれに白磁の背をビクリと、鶴丸は蕩ける身体を跳ねさせた。

「はひゃ――ぁあああ!?」

そのまま腰を強く掴まれ、緩急を付けずに奥へ奥へと突き立てられる熱に身体が踊る。
普段は緩く、愛撫や繋がりを楽しむ事に重点を置かれる行為が獣のような交わりへと化していく。
鶴丸の息が、思考が整わないうちに次々と叩き付けるように与えられる快感はもはや暴力とも言えるもので――。



国永が我を取り戻した時、周囲は惨状と化していた。
二人用のベッドは未だ湿っていて、鶴丸と折り重なるように俯せになっていた身体を起こす。

「――っ!?」

と、腰に走った快感に見れば自身は未だ鶴丸の後孔に入り込んだまま。
ゆっくりと息を吐きながら抜き去ってみれば、ごぷりと音を立てて白濁が漏れ出てくる。
一体どれだけ吐き出したのか、泡を立てながらぷくぷくと吐き出される残滓に目を瞑りたくなった。
白いだけではなく、うっすらと赤みを帯びているのは中が擦り切れたのか。
ぽってりと腫れ上がってしまった鶴丸の後孔に、獣のような交わりが想像出来て申し訳無くなる。
すん、と周囲の匂いを改めて確認すれば青臭い独特の匂いと、それ意外の刺激臭が。
湿るベッドを確認しなくとも、様々な体液で汚れているのは確認出来た。

「つ、る……ごほっ、けほ……」

喘いだのは自身ではない筈なのに、喉が異常なほどの渇きを覚えていた。
渇きというなら、国永は途中にうろ覚えながら酷い渇きに蜜を貪った事を思い出す。
痛む腰は己が受け入れた側ではないのに、自滅する程の過剰な稼働があったという事で。

「はぁ……やってしまった……。ごめんな、つる……」

改めて鶴丸の身体を見て見れば、顔は唾液や涙、あらゆる液体でぐしゅぐしゅに濡れている。
体中、赤い華のようにキスマークや噛み痕が咲き乱れて血が滲んでいた。
腰の辺りに重点的に、人の指型に鬱血している箇所がある。
確認せずとも、それが自分の指の跡と一致する事位分かった。
鶴丸に新しく与える事を決めた抑制剤を、代わりに使った後から意識が混濁している。
恐らくは発情期間近の鶴丸の匂いに当てられて、ヒートを引き起こしたのだ。
なし崩しに受ける側になってしまった鶴丸は、きっと言葉も通じない自分に怯えたに違いない。
番である以上に、大事に大切に愛したいと思い、そう行動してきた自負があるだけに申し訳なさが先に立つ。
とはいえ、まずは鶴丸を休ませてやる事が先決だと痛む身体に鞭を打って立ち上がり、桶に水を汲んでくる事にした。
もしかしたら鶴丸は熱が出てくるかも知れない。
家に用意のある解熱剤だけでは足りないかと考え、知り合いの薬屋に頼む事を思い付く。
ついでによく効く軟膏も貰ってこなければ、と自分のするべき事に意識を集中する事にした。



「――て、事があったんだ……」
「なるほど、それでよく効く軟膏に解熱剤、ね。一つ貸し、だな?」
「ぐっ……分かったよ、スイ姉さん……」

姉さん、と呼ばれた女はうっそりと唇に笑みを刷く。
酷薄なそれは見る者が見れば虜にするような色を含んだモノだった。
しかし口にした人物、国永は上機嫌な女を見て苦い顔をするだけに留める。
女は今来ている薬屋の主人、薬師、ヒスイと言った。
突然に、下層地区へ謎の固まりと一緒に降ってきた。
もう何年も前の事だ。
孤児院での生活の中で、バース検査が行われた。
鶴丸がΩだと分かった時、他のΩの子供と一緒に隔離されそうになった。
国永はαだった為に引き裂かれる事が決定し、実行される前に鶴丸を連れ出してさ迷っていた。
そんな中で出会ったのだ。
兄弟として、姉弟として、師弟として。
国永は兄だと譲らず、ヒスイは自分が上だと譲らなかった。
故に、貸しを作った方が一日下になる。

「やはりお前に姉と呼ばれるのは心地良いな。いっそ本当に弟にならないか?」
「遠慮する。俺は鶴の兄で、君の兄貴分だと自負しているからな」
「……君?」
「……スイ姉さんの、だ」

くすくすと愉しげに笑われ、国永は不機嫌さに拍車が掛かった。
しかし席から立ち上がったヒスイが薬棚へと足を運ぶのを見て気分を持ち直す。
カチャカチャと暫くヒスイが立てる音だけが室内を満たした。

「まずはこれ、軟膏だ。少し緩めに溶いてあるのは馴染みをよくする為と、擦り切れた傷に負担を掛けないため」
「ん」
「次にこれ、湿布。この草を潰した薬を皮膚に塗ってから張ってやれ。匂いはきついが我慢しろ」
「分かった」
「そして解熱剤だな。まあ熱自体は新薬とやらの副作用もあるだろうから、高熱の時にだけ飲ませろ」
「ああ。……その、新薬なんだが」

言葉を切った国永は服の内側から注射器型のそれを取り出して見せる。
宗近から受け取ったそれをヒスイに渡し、ためつすがめつするのを眺めた。
眉を跳ねさせ、興味深そうに翠色の瞳が色を深める。
器の中でひたり、ひたりと形を変えるそれは水蜜のような液体にしか見えず。

「ふむ……調べて見よう。お前もこれを打ったんだったな?」
「ああ。スイ姉さんが以前、俺は抑制剤への耐性があると言っていたろう? 鶴が嫌がったからな、毎度と同じように処置をした」
「……ふむ。それが、今回は違った、と。……お前の検査もしてみよう、血を貰うぞ」

机の上に新薬を臥せると引き出しから新たな空の注射器を取り出し、慣れた手つきで国永の腕へと突き立てた。
少量の血で満たされた瓶を三本ほど取り終えると血止めを施し、新薬を薬匙に落として国永の血と交ぜ始める。
と、同時に他の皿に別の薬や試験管を用意し始めたりと手早く何かを進めていく。
これら全てがヒスイにとっては大事な工程だと知っている国永は、意識を鶴丸の事に切り替えた。
今は部屋に、世話役を一人付けて置いてきてしまったが目は覚めているだろうか。
覚めていたとして、寂しがっていないだろうか。

「それで?」
「……うん?」
「この新薬の取引相手、どうするつもりなんだ? お前の口ぶりだと次もあるんだろう」
「ああ……忘れてた。そう、何度か相手をしろと言われていて……」
「気を付けろ。お前といいお鶴といい、狙われやすい面をしているからな」

横目に見られ、その口ぶりに不思議な感覚を覚えて首を傾げる。
何故、そんな事を言うのか。
弟の鶴丸ならば無邪気で人懐っこくあどけない性格が顔に出ているのだろうけれど。
白磁の肌と光り輝く琥珀色の瞳、それが嬉しくて仕方ないとばかりに緩んで桜色に上気した頬と赤い唇が笑みを彩るのだ。
あの子の太陽のような明るい笑みを手中に収めようと、気を引こうとする者は数知れず。
日々の営みの中で生き残る事が難しい下層地区では、淀まない瞳を持つ者は少ない。
それは、国永やヒスイも例外では無い。

「確かに鶴は下層では珍しく抜ける様な白い肌をしている……好事家は見逃さないだろうな」
「馬鹿、鶴がそうだと言う事はお前もだ。お前達はよく似ている」
「――おれ?いや、鶴はそうだろうが……俺はあり得ない。何せ根っからの下層育ちだし、」
「育ちは関係ない。何せ、人の記憶や生い立ちは簡単に変えてしまえる世の中だ」
「え?」
「……いや、お前には関係ない話しだ」

不思議そうに目を剥いた国永に、ヒスイは酷薄な笑みで濁す。
こういった事はよくある事なので、そうなのかと頷いて流す事にした。
国永にとって一番優先されるのは鶴丸の事で、その次は鶴丸を守る自身の身体だ。
家族といえど、この順番に否やは無い。
ヒスイにも同様で、彼女の事情というものがある。
出会うまで何をしていたのかを詳しく聞いた事はなく、ただその知識は役立つ事が多い。

「さて、簡易検査だが結果が出た。お前のα性に異変はないようだが……どうやら他の奴らとは違う、特殊なもののようだ」
「特殊?」
「ああ。通常、Ωとαは真逆の特性を持つと言って良い。詳しくは更に調査をするが……そうだな、まあ普通のαでは死ぬような事も乗り切れる。とはいえ、あまり無茶はしてくれるなよ」

死ぬような事、と言われて国永はぼんやりと思い返す。
今回の薬は確かに危なかった感じがした。
人より丈夫な身体を持ち、薬の効きにくい体質だからと驕ったのは確かだ。
鶴丸を守る為にも、まずは自身の身体も労らなくてはならないのだとため息を吐く。
全く生きにくい世界だと。
けれどそれが現実であり、国永の知っている全てだ。

「ああ、分かったよ。スイ姉さんの言うとおりにするさ。とりあえず、鶴に土産を買って帰らないと」
「そうか。昨日パンを焼いた所だ、丁度良いから持って行くと良い」
「助かる」

待っていろ、と言って簡単に机の上を片付けるとヒスイは奥の部屋へと引っ込んでいった。
貰った諸々の薬を編みカゴの中に入れ、国永も椅子に座り込んだ。
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