生まれて初めて、純粋に、この人には一生涯どう足掻いても藻掻いても逆立ちしたって勝てる日なんて来ないんだろうって思った。
妬みとかも排除して、純粋に劣ってると認めたの。


社内で不幸事があり、異動してからずっと指導していただいていた退職された先輩に連絡をしました。
亡くなったのは、ただのじいちゃんに見えるけど時々核心を突く、子供のように無邪気で、でも怒るとすごく恐くて、私はいつもビビりながら接してた方です。
先輩はおじいちゃんの扱いが上手かったけど、私は下手くそだったから、多分内心比べられてただろうな。
私はなかなか名前すら覚えてもらえなかったです。

ビビりながら接してたおじいちゃんでも会えなくなれば悲しい。
やっと今年、梨杏さんはいきいきと仕事をするねー、と上司に言っていたらしく、入社して何年も経ってからやっと初めて誉め言葉を頂いたなと思った。
やっぱ先輩とは大違い。

参列は難しかったみたいで代わりに先輩が送ってこられた弔電を拝見した。
そうそうおじいちゃんってこういう人だよねっていう、上手いこと書いてある、テンプレートじゃない弔電。
もうすげーとしか言い様がない、あんなの。
繰り返し、もうほんとにすごいヤバいとしか言わない私に、周りはどう思ったのかな。
そりゃそうだろって思われてたかもしれないけど、私はあの時まで経験を積めば並べる日が来るだろうって思ってた。
だけどあんなの見せられたら冒頭のように思うし、なんかもう違うんだなって。
悲しい悔しいより憧憬が勝った瞬間でした。

でも憧憬は現状維持の始まりだと思うから、いい意味の悔しさを持たないとと思います。
いつまでも追い付けないのは、傲る隙さえ与えてくれなくてむしろ幸せなのかも。