ある時、ノエルは一人の少年を知り合いから預かった。
知り合いが言うには少年は将来きっとこの世界を救う柱になる、というもの。
それをノエルは鼻で笑った。
この世界を救うには、こいつの肩は細すぎるし身体は小さすぎるのだと。
そうして暗い眼をする少年を、ノエルは引き取ったのだ。
それが彼と少年の最初の出会いだった。



冬、少年は白い息を両手に吐きかけて温めながら、横目で己が支持する大人を横目で見た。
彼は背の長い椅子に腰掛けて不機嫌そうに紫煙を薫らせている。

「……レイリ」
「は、はい!」
「寒いなら火ぃ付けろ。あとポットに湯だ。紅茶が飲みてぇ」

つまりそれは、レイリに茶汲みをしろという合図で、レイリは一瞬戸惑いながらもその言葉に従った。
本当ならばレイリが彼に対して茶汲みを要求しても良い立場なのだが、育ての親という事もありレイリは遠慮気味だ。
ましてや少年には、今の肩書きに対する自信がない。

「先生、お茶です」
「ああ」

要求した割りにはカップに手を伸ばす様子もなく、眼鏡の奧の鋭い瞳は書類の文字を追っている。
本当はレイリが処理すべき仕事であった。
けれど少年にはまだ経験が少なく、どのように采配したものかが分からない。
結果、先達の意見を聞こうとノエルの執務室へと訪れ、仕事量の多い彼の手が空くのを待っていた。
ペンを走らせる音だけが響く中、溜め息を零す事さえ憚られる。

「レイリ」
「はい」

低く呼ばれる己の名に、彼の不機嫌を感じ取った少年は静かに応えた。
そんな少年に一度だけ視線を寄越した彼は、すぐに目を逸らし口元に手をやって何事かを考える。

「この世界は残酷だ」

低いが決して聞こえは悪くない声が響くのを、レイリは首を傾げて受け止めた。
ノエルは痛みを堪えるように眉間に皺を寄せ、掴んでいたペンを放り投げて背もたれに身体を預ける。
これでレイリとノエルは向き合う形となった。
視線の強さに居心地を悪くしたレイリは一瞬戸惑い、

「この世界は残酷だ。けれど、とても美しい」
「……先生?」

ノエルらしくない言葉にきょとんと目を瞬いた。
訳が分からない、と彼を見ている愛弟子の様子を鼻で笑い、ノエルは目を瞑る。

「昔、知り合いがそう言っていた。確かにクソッタレな世界だが、悪くない」

彼が何を言おうとしているのか、それが分からないレイリは困惑した顔でノエルを見た。
ノエルは不機嫌そうに鼻で笑い、レイリを見る。
その目は、少しだけ悲しそうに色を深めていた。

「お前を騎兵隊の隊長にしたのはな、容姿の為でも能力でもねぇ。まあ俺様が面倒だからってのはあるが」
「先生……。僕は、自分に能力が無いのは知ってます。なのに、何で?」
「俺様はな、これでも沢山のクソガキ共を養ってきた。その中で死にそうな顔をしてるヤツには、死なれたら目覚めが悪いんで責任を押し付ける事にしている」

そうすりゃあ簡単に死ねなくなるだろ?とニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてレイリを見る。
何を言わんとしているのか、何となく分かってレイリは眉を跳ね上げた。
つまり少年を死にそうなヤツだと判断して、単にこの重い立場にのし上げたのだろうかと。
口を開こうとするレイリは、それより早く口を動かしたノエルの動きを呼んで固まった。

「この世界は残酷だ、死ねば終わりって訳じゃねぇ。世界は戦いを求めていて、闘う事を強いてくる。ここはそういう箱庭だ」

ノエルの言葉の意味は分からない。
確かに魔物が居て策略が渦巻く世界は生きづらい。
簡単に人は犠牲になってしまうし、人を犠牲にする事も出来る。
死は何者にも降りかかる、平等に全てを終わらせてくるものだと思っていた。

「輪廻という言葉がある。死んでも次の一生があるってヤツだ。
更に永劫回帰という言葉がある。次の一生も今まで送ってきたモノと変わらねぇってヤツだ」
「次の一生……」
「そうだ。そこではテメェが今まで過ごした生活を送る次のテメェが居て、同じ死の輪廻を迎える。
だが、テメェはそれで良いのか? もし仮に運命ってヤツがあるとしたら、そいつに会うまで粘ってみるのも悪くはねぇよ」
「……先生、まるで僕の運命を知ってるような言い方ですね」

くすくすと小さく笑う少年に、ノエルは鼻で笑って返す。
かつての友を思い出させる面影に、少しだけ哀愁というのを感じながら。

「テメェの運命なんざ知らねぇよ」

ましてや、後を頼むと全てを任されるのも御免だと、ノエルは微笑んだ。
クソガキだと口にしていても、ノエルにとっては生意気で愛しい養い子なのだ。