道中にシュノを拉致した女はその後、彼を地下深くの独房へと幽閉した。
壁から伸びる鎖が身じろぎの度にジャラジャラと音を立て。
ただ大人しくしているだけの状況に、早々に飽いたシュノはそれらを取り去ることにした。
まずは適当に、つなぎ目の部分をひねる事で取ろうとする。
そもそもが、人には力だけで鉄をどうする事は出来ないという知識もなかった。
カンテラの明かりだけが照らす室内は朝も夕も分からない。
なので手首を擦れる手枷にかまわず、ひたすらに鎖を引っ張ったり殴ったり知る限りの暴力を働き。

「壊れた」

真っ赤に擦れ、血の滲む手首には多少の痛みはあれど気にもせず。
鎖は途中から分断され、壊れた輪が床に転がっている。
壁から離れることが出来るようになれば、そこは寝床も整っていない上に数歩で扉へ届いてしまう石垣の部屋だと分かった。
扉に窓はなく、鉄枠がはめられている。
それをシュノは、


どこからか響いてきたけたたましい破壊音に、ウィッカは作業を中断して首をかしげる。
はて、今預かっている広大な地下研究所に、これだけ"生き生き"とした音が響いたのはいつぶりか。
助手として使っている使い魔を目だけで探るが見当たらない。
面倒ではあるがウィッカ自身が動くほかなく、目の前の反応をするだけになった肉塊を捨て置き廊下へと出てしばらく歩く。
と、曲がり角にさしあたった辺りでソレを見た。
片手に身体以上の大きさをした獣を引きずり、血の跡の真新しい紫銀の髪をした菫色の瞳の子供を。

「……ふむ、ふむふむ? お前様、お前様は魔を宿して居るがなにゆえ歩き回って、自由気ままに闊歩して居る。下僕はどうした、あれにはお前様のような輩は餌とすべしと申し渡して居るはずじゃが。とするならば、となるならば、お前様はー……」
「寝惚けてんのか? あんたが連れてきたんだろうに」

辛辣な声音すら涼やかで、眉をひそめる顔は極上。
着ている物こそ些末な貫頭衣ではあるが、肩から羽織る着物が顔の作りと相まって少女じみてはいる。
そこでようやくウィッカは片目を竦め、もう片目をまあるく見開いてぎちりと奥歯を噛みしめながら笑った。

「カッカッカ、思い出したぞ! おうおう、あいすまぬ。何せワシは今人間に使われる身、他人にノルマを課せられている身故なぁ、お前様と違って忙しいのだ!」
「……これ、そこら中に居たが良いのか」
「うむうむ、良い。というのもソレは脱獄者を追うように躾けた我が僕。そう、脱獄じゃ! お前様、のうお前様? なにゆえここに居るのかのぅ」

確かコレには出歩かれては面倒だと頑丈な牢に鎖で繋いでおいたはず。
蛇が獲物を狙うように目を眇ながら、隙あらば飲み込もうという悪意を見せながらウィッカはシュノを見る。
と、血に濡れた少年は肩をすくめ、獣を手放すと片手をあげて見せた。
そこには確かに少年を拘束していた枷が、申し訳程度に引っかかっている。

「あそこは飽きた。それにこれは脆すぎる。こいつらを殴ってたらこの有様だ」
「人外じゃなぁ。まあ器をその程度で留められる訳もなし、か。次はちと趣向を凝らさねばならんの」
「それで」
「うん? おお、おお、なんじゃお前様まだ居るのか! ワシにはそも初めから用はない故、疾く牢へと入って貰いたいのじゃが」
「あんたが言ったんだろう、俺のことを教えてやると。それに器ってなんだ。あんたは何だ?」
「やれやれ、せっかちじゃのう。ワシは忙しいと言って居るに……よいよい、適時休憩は必要か。ワシは人間ではないが、人間とはそういうものじゃと知って居る。それに、ちょうど今この瞬間のワシの興味はお前様にある」

こっちじゃ、と声を掛けて背後の様子をうかがうこともせずにウィッカが先ほどの部屋へと戻った。
そこには作業中であった肉塊、人のなれの果てがちぎれ落ち、床を深紅で汚している。
ウィッカの後に部屋に入ったシュノはそれを気にする様子もなく、近くにあった椅子に腰掛けた。
通常の人間が持ち得る神経では考えられない反応に、ウィッカは笑みを深めて下僕を呼び出す。
別の扉から入ってきた五本足の黒い獣が肉塊を食み、床の汚れも舌で舐めて掃除をした。

「それで、」
「ああそうさな、まずはお前様の名を聞こう。無論、ワシも名を明かそう。とは言っても人が勝手に呼ぶアザ名であり、真名はワシの知るところではないのだが。ところでお前様、そうさお前様、名を明け渡す相手は考えた方が良いぞ? 何せ魂の一端を開示するのじゃからなぁ」

胸に手を当て、横柄に、けれど鷹揚に我が物顔で告げるウィッカに、シュノは眉をひそめて口をつぐむ。
魂のなんちゃら、という意味は分からなかったが、相手を考えろというのなら目の前に居る人物ほど信用出来ない相手は居ない。
けれどまあ、知りたいことを教えてくれるというのなら悪い相手でもないのだろうと小さく息をつき、

「シュノだ」
「然様か、ワシの事はウィッカと呼ぶが良い。予言の魔女、あるいは成れ果ての呪い、はたまた最古の魔術、まあ何でも良い。そういう意味であり、そういう者だと思うが良い」

こうしてようやく、彼らは互いを認識するに至ったのだった。