神様に捧げられた
哀れな生贄にされた


双子の兄弟のお話。


「早くしなきゃ……」
小さな子供が一人、寒空の下薄着のままで暗い森の奥に入っていった。
子供の母が病に倒れてひと月。
父は母の薬を買う為に朝早くから夜遅くまで働いている。
子供はそんな父と母の為に、森の奥に生えているという薬草を取りに来た。
薬はお金がかかるけど、薬草を煎じればお金もかからず母も元気になると思ったからだ。
森の奥は恐ろしい神様の棲むお社がある場所で、子供は絶対に入ってはいけないと言われている。
お社に入れるのは一年に一度のお祭りの時、村人全員でお社の前でお祈りをして神様に今年の豊作をお願いする代わりに今年とれた一番最初のお米をお供えする。
このお米を奉納してから三日たたないと村人は米を食べることを許されなかった。
神様が今年最初のお米を食べてからじゃないと食べることを許されなかった。
村の大人が厳しく戒律を守り、子供にもそれを厳しく守らせているのに、村の子供達は疑問であった。
それでも、言われるがままに言いつけを守ってきた子供は今日、初めて言いつけに背いて禁じられている森の奥の神域へと足を踏み入れた。
奥へ奥へと進んでいくとどんどん辺りが昏くなっていく。
まだ昼だと言うのにうっそうと茂った木々が太陽の光をさえぎってしまっていた。
「薬草、薬草を探さなきゃ…」
嘘か本当か判らなくても、恐ろしい神様が居ると言われたらやはり怖い。
それでなくても辺りは鬱蒼として暗くて怖い。
薬草を探しに来た子供はあたりを見回すが、見たことのない草ばかりでどれが薬草なのか全くわからない。
「…どうしよう…どれが薬草かわからない…
母さんが、母さんが死んじゃうよぉ…」
そういって両手で顔を覆い泣き崩れると、不意に誰かの気配を感じた。

「なにしてるの?」

幼い子供の声に目を開けると、目の前に小さな少年がちょこんと座っていた。
真っ白な着物に羽織を羽織っていて、赤い留め紐が花みたいだと思った。
子供より幼い少年は首をかしげながら子供をじっと見上げている。
表情はあまりない、肌も白く、神も薄い金色で大きな瞳が空の様な青い瞳をしていた。
「え、と……母さんが病気で…薬草を探しに…」
「びょーき……やくそう……」
舌足らずな声で返した少年は立ち上がると子供に手を差し出した。
「ぼくしってるよ、こっちだよ」
村の子ではない少年の手を取るのを子供は戸惑った。
それでも、両親の為にぎゅっと子供の手を握る。
その時、少年の手の冷たさに驚いた。
しかしそれを気にした様子もなく、少年は歩き出した。
子供用の小さな赤いポックリが歩くたびにシャンシャンと鈴の音を奏でる。
そういえば、先ほど少年が近付いてきたときにこの鈴の音は聞こえなかった。
薄暗い道をどんどん奥に進んでいく冷たい手の白い少年。
子供はだんだん恐怖を覚えた。
「あ」
少年が小さな声を上げて子供から手を離した。
シャンシャンと小さな音を立てて子供から離れると、木の根元から何かをひっこぬいて子供の元に戻ってくる。
「はい。このきのこはえいようがあるからおかあさんにたべさせてあげて」
表情は無いが、差し出されたのは大きなきのこが二つ。
おかゆに混ぜてあげれば母でも食べれるだろうかと、子供は礼を言って受け取った。
少年はまた手を握って暗い森を歩きだした。
得体のしれない不思議な少年。
この少年は誰なんだろう?でも、きっと知ってはいけないと子供の中の何かが言っている。

この少年の正体を知ってはいけない。
この少年の機嫌を損ねてはいけない。
この少年から一刻も早く逃げなければいけない。

「ついたよ」
連れてこられたのは神様が棲むというお社にあるご神木だった。
「ここ、神様のお家でしょ?
ここのものを勝手に取ったら神様に怒られるって大人の人が言ってた」
「…そうなの?だいじょうぶだよ」
そういって少年はご神木の根元に生えていた草をぶちぶちと引き抜いて戻ってきた。
「これはぼくがきみにあげたものだから、だいじょうぶ」
そういって薬草と思しき草を大量に子供の持っていた籠の中に押し込んだ。
「え、でも…」
「おかあさん、まってるよ。はやくかえってあげなよ」
「……あのっ!君の名前…教えて!俺、ハルっていうんだ。
晴れの日の晴って書いて、ハル」
「……なまえなんてない。すきによんでいいよ」
「……えと…じゃあ真っ白だからシロ!
シロはどこに住んでるんだ?母さんが良くなったらお礼にいくからさ」
「……ここ、ここでいいよ。まいにちここにきておいのりしてるから」
少年は俯いた様子で小さな声で言った。
「あの…やくそう。かならずかんそうさせてからせんじないと、どくになるから、きをつけて」
「わかった!本当にありがとう、シロ!」



子供が駆けて行った後姿が見えなくなったのを確認してから、境内の戸を開いた。
「お前はまたお節介焼いてきたの?
どうせまた裏切られるのに」
境内を開けると、煌びやかな着物をまとった兄の怜鴉がお供え物だろう大福を食べながら寝転がっていた。
もうずっと昔、僕たちはここで死んだ。
生まれつき霊力の高かった僕たちは異形の者が見えていた。
そんな僕たちを両親も村の人たちもみんなが恐れた。
そして、七つになる前に神へを返されるためにここの社に住み着いていた白蛇に捧げられ、何の抵抗もできないまま僕は生きたまま蛇に食い殺された。
瀕死だった怜鴉が何とか白蛇を殺してそれを喰らい新たな神になった。
そして白蛇の死骸を贄に僕を呼び戻して、僕は怜鴉の半神になった。
二人で一人、双子の神様。
神様になったからには祀ってもらわないとただの霊体と変わらない。
だから僕達は村人に加護を与える代わりにこの村から逃げ出すことを許さない呪いをかけた。
僕らが神として機能しなくなり消える時は、ここの村人は誰一人生き残っていない時。
僕たちを誰も愛してくれなくて、畏怖と厄介払いのつもりで捧げた生贄。
怖かった、痛かった、苦しかった、もっと生きて居たかった。
誰かに愛してほしかった。
でも、誰も僕たちを愛してくれないなら……。
「だって、おかあさんがびょーきだって…
あのこには、あいしてくれるおかあさんがいるみたいだから」
僕らが欲しいものは、もう手に入らないもの。
自分たちであの夜に壊してしまったもの。
それでも、まだ僕は求めている。
「諦めなよ、どうせまた裏切られる。
何十年前かと同じ、またここを荒らしに来るよきっと」
「…それでも…」
僕はぎゅっと怜鴉に抱き着いて涙を零す。


それでも、愛されたいと願うのは罪な事なのかな?


怜悧は呼び戻してからずっと、感情を無くしてしまった。
昔はよく泣いて、怯えながら僕の後ろをくっついて歩いてたけど、少しは笑ったりもしていた。
あの日から怜悧は抜け殻の様になってしまった。
生贄に捧げられた社で、大きな白蛇が怜悧を飲み込んでいくのを見てるしかできなかった。
バキバキと骨が折れる音に怜悧の凄まじい悲鳴と流れる血。
小さな怜悧の身体が蛇の口の中に飲み込まれていく恐怖。
ずっとずっと生まれてからずっと一緒にあった弟が肉塊に変わっていく瞬間、凄まじい怒りと恐怖が押し寄せてきた。
僕達は孤立していたから何よりも孤独を恐れていた。
僕だけが怜悧を理解して、怜悧だけが僕を理解してくれた。
お互い共依存して、摩耗した精神を何とか保っていた。
それが断ち切られた瞬間、僕の中の全てが音を立てて壊れた気がした。
どうして怜悧が殺されなきゃいけない?
どうして僕が死ななきゃいけない?


僕たちより無能な奴らがのうのうと生きている世界でどうして?


そのあとはよく覚えてない。
気が付いたら息絶え絶えの白蛇に瀕死の僕。
死にたくないって気持ちから蛇を喰って僕が新たな土地神になった。
怜悧の小さな体は骨が折れてぐにゃぐにゃして蛇みたいだった。
もう光を映すことのない硝子玉の瞳から涙が溢れていて、何のために生まれてきたんだろうって思った。
だから、呪ってやることにした。
この村の奴らを全員ここから逃がさない。
誰一人逃がさないで、ここで僕たちに怯えながらずっとずっと暮らすんだ。
僕は今でも村人を強く憎んでいる。
神様になった以上、奴らが僕の作った規律を守る以上は加護を与えなければいけないけど、そんな言いつけ必ず破る奴は居る。
今回の子供みたいに。
あの子供は怜悧が追い返してしまったからお咎めなしにしておいてやろう。
けれど、きっと怜悧は裏切られる。
そうなったら、また泣かれると面倒だから僕が始末しておいてあげようかな…。
泣き疲れて眠る怜悧の頭を撫でながら、ぼんやりと社の窓から見える空を眺めていた。
僕らは多くを望んだわけじゃない、ただ”普通”を望んだだけだったのに。
それは命を失い、人であることを捨てなければならない程に、身の程知らずな願いだったっていうんだろうか?


「シロ!」
ハルはそれから数週間経った頃にやってきた。
「ハル…?本当に来たの?」
「うん。俺の母さん、シロの教えてくれたキノコ食べて薬飲んだら元気になってさ。
明日から里に奉公に行くんだって。
だから今日は神様にそのお知らせに来たんだ」
村の住人はどうしても生活に困窮した時、里に奉公に出すことがある。
その時は必ずこの社に来て奉公に行ってくる、必ず戻ってきますという旨を伝えに来るようになった。
奉公に出る村人には必ず蛇を忍ばせて、確実に村に戻るつもりが無くなった時、蛇がその村人の喉を食いちぎる。
そうして過去に何人も殺してきた。
そうしてどんどん感情が凍り付いていく。
「ふぅん…そうなんだ」
「全部シロのおかげだよ、本当にありがとう」
「…別に。良かったね、オカーサンが良くなって」
「あ、うん……」
「……風が変わった…。
ねぇ、早く帰った方がいいよ。
あと、ここの事は誰にも言わないでね」
ハルににこりと笑いかければ、ハルはどこか戸惑ったように僕を見ていた。
そして何かを言おうと口を開いたとき。
「ハルー」
遠くで母親の呼ぶ声がした。
「ほら、早くいかないと。
オカーサンが呼んでるよ?」
にこりと笑いかけながら、首をかしげて見せればハルはもう一度礼を言って母親の元に駆けて行った。
「なにしてるの、怜鴉」
背後から重そうな桶に水をたっぷりと入れた怜悧が不思議そうにこちらを見ていた。
「うん?暇つぶし」
「そう…」
怜悧は特に気にした様子もなく、雑にご神木とされる木に水をかけている。
怜悧の足元には低級の妖怪たちがわらわらと集まっていて、桶を運ぶのを手伝っている。
「お前が大事な薬草をあげた子、母親が元気になって奉公に行くんだって」
「…そう」
表情こそあまり変わらないが、少し嬉しそうに口元を緩めた。
「それだけなら、いいけどね」
「…?」
「なんか、きな臭いんだよな。
お前、今日……いや、お前に出来るわけないか」
そういう仕事は僕の役目。
怜悧の霊力は元々癒しや浄化に特化しているらしく、薬草を育てたり、元気のない草木や理不尽に傷つけられた森に棲む獣や妖怪たちを癒していた。
その分僕は何かを壊す方に特化している。
陰陽師という生き方があれば調伏に特化できたかもしれないが、今はしがない土地神だ。
怜悧の力で村人に恩恵を与え、僕の力で村人を殺す。
本当に、双子の神様とはよくいった物だ。
役割分担まできっちり分かれているなんて。
こうなることが運命だったみたいじゃないか。
「怜悧、そういえば今日はお前が面倒見てたあの熊の子供が生まれるよ。
神様として、出産見届けて祝福しておいで。
土地神なんだがら、ちゃんと森に棲む動物や下級妖怪、草木の世話までちゃんとしないとだめなんだからね」
「……それ、ぼくにばっかりやらせてない?
怜鴉、ぜんぜんやらないじゃない」
「神様なのに自分の力を上手く使えない愚弟の力を流してあげているのは僕でしょ?
良いからお前は僕の言うことを聞いていればいいんだよ」
怜悧は少し不満そうだったが、相変わらず表情は変えずにとぼとぼと来た道を引き返していく。
怜悧は僕みたいに霊力で大人の姿を取ったりはしない。
ずっと死んだときの、幼い姿のまま、舌足らずな喋り方で、壊れた人形みたいにそこにある。
ただでさえ感情が欠落している弟の前で、これ以上人間の汚い部分は見せたくない。
怜悧はまだ、何かに縋らないと神としてすら生きていけないんだから。