隊舎内の混乱はひとまず、役職持ちであるレイリ、ノエルを筆頭に会議室で情報収集に務めていた。
王都内では騎士団を筆頭に、街の安全を確保していく。
騎兵隊はその更に外、他の街の情報を伺っていた。

「報告するわ、水の都ブランの上空に未知の土地を確認。周辺の土地が吸い込まれるように上空へ浮かんでいったと証言があるけれど……」
「周辺の土地、が? それって……どういう事?」
「実態を見ねぇと分からんが、大方大魔術の一種だろう」

室内に揃う隊長、副隊長とその護衛に加え、扉から入ってきたのは幼い少女だった。
けれど彼女は見た目とは異なり、主に諜報活動を生業とする部署の統括である。
今も各地に散らばる部下からの情報を整理し、ひとまずの報告に上がってきた所だ。
赤い瞳は年齢に似合わず、冷静な光りを湛えている。

「まじゅつって、そんな事も出来るのか?」

不思議そうに首を傾げながら声を上げたのは、レイリの背後から書類を覗き見る護衛の一人。
白い銀髪に琥珀の瞳、白磁の肌と物珍しい外見をした彼、鶴丸は国永の弟でありレイリの幼馴染みでもある。
早年、冒険者としての腕前を発揮した鶴丸は入隊をしてすぐに隊長付の護衛として配置された。
隊舎外に行く際は当然として、護衛というよりは主に秘書としての動きが強い。

「普通は出来ないから、魔術だろって言ってんだ」
「そうねぇ……魔術の中には岩を動かすモノもあるから、不可能ではない。けれど……」
「気になるのは規模だよね。それだけの事をするなら腕の良い複数犯……狙いは何だろう?」
「狙い、か。……ともあれ、これで犯人グループは割れたようなものだろう。騎兵隊は先の戦争でロッソの長老と協定を結んでいたな」

席に着いた面々に点てた茶を配りながら、うぐいすが確認の目線をレイリに寄越す。
名前の通りの鶯色の瞳を伏せ気味に、萌葱色の髪に隠れていない片目だけ覗かせている。
ロッソとの協定とは、魔女戦争を受けて互いに不可侵を結ぶというもの。
ほぼ一方的に、陣取った地に封殺する代わりに魔術研究には触れずにおく、という内容だった。
よしんば、成果を狙いに冒険者が行った所で、魔女等のオモチャにされるのが関の山。

「向こうは何て?」
「一族を抜けた者が数名、消息は不明。ロッソの総意ではない故、協力は惜しまない、と返ってきたわ」
「魔女に手を借りるなんて……ッ!!」

静かだった室内に殺気の風が書類を飛ばす。
出所は鶴丸であり、彼は歯茎を剥き出しに噛みしめ、手の指も握り締め、力を込めすぎて白くなり微かに震えすらいる。
魔女戦争で両親を亡くし、目の前で国永を殺されかけた事で、鶴丸は魔女嫌いを通り越して憎悪を抱えていた。
そんな彼に、とりあえず落ち着かせようとレイリが席を立って背中を叩く。
コーラルから見れば、オペラ中の間を繋ぐ茶番にもならない。

「いずれにせよ、敵に魔女が居る可能性が高いわね。狙いとしては復讐、と言いたい所だけれど、王都から離れているし無いわね」

優雅にカップの紅茶を飲み、音を立てずにティーソーサーへと戻す。
貴族の淑女めいた所作と目線で、周囲を見た。

「そう……遠征隊から報告は?」
「今のところ無し。けれど、周辺に付けていた影も音信不通ね」
「それって……シュノが、負けたのか……?」

恐慌から一転、白い顔を青ざめたものに変えて鶴丸が落ち込む。
その後ろで、レイリは今にも叫び出しそうな内心を抑え込んでいた。
一瞬で敵に肉薄する事が可能な身体能力に、剣筋を見せぬ間に屠る腕前。
間違いなく強者である彼を倒せる程の実力者が敵に居るという事に、皆は驚きや畏怖を覚え。
レイリの脳裏に過ぎったのは、彼と別れる間際の会話だった。

『お前を見てると、苛々する。弱い癖に高望みで、理想を俺に押し付けんな』

弱いことも、それに見合わない望みを持っている事も、全部分かってる。
何度も悩んで、後悔をして、それでも前を向くしかなくて。
弱くても良いと抱き留めてくれたのは、単なる慰めで、嘘だったんだろうかとやっぱり悩んで。
もう一度話し合いたいと思ったのに、そんな機会すら奪われるなんて思ってもみなかった。
何の根拠もない、明日すら分からない世界なのに、シュノが居なくなるなんて微塵も考えて無くて。
ただひたすらに、どうしてという思いばかりが募っていく。
と、沈黙が降りていた室内に、新たな声が舞い込んだ。

「邪魔するぞー? ……お、皆ここに居たのか」

狐の半面を頭の横に、桜色に染めた跳ねっ毛に赤い瞳を持つ国永だった。
驚きに固まった全員を見回し、不思議そうに微笑みながら首を傾げている。

「どうした? 下も騒がしかったし、何かの演習かい?」
「演習、って……あれだけの事があったんだから、当たり前だろ! 国兄達は大丈夫だったのか?」
「あれだけ、って……何かあったのか? 俺はいつも通り納品に着たんだが」

本気で不審がる様子に、鶴丸が息を呑む。
レイリも同様の薄ら寒さを感じ、鶴丸の手を引いて国永から距離を取った。
コーラルは首を傾げながら冷静に見極めようと両手を空にし。
うぐいすもまた距離を空け、ノエルは席の下でチェインメイスを構える。
そもそもあれだけの騒ぎがあって、ポーションの納品に来られるわけがないからだ。
縦や横に揺れた世界は軒並みガラスの類いを破壊していった。
混乱する人々は道に飛び出したために人で溢れかえり、馬車が通れる空き間もない。

「ねえ国永……ヒスイは?」
「ヒスイ? あいつなら調剤室に……待て、なんでそんなに距離取るんだ?」

本心から不思議で仕方がないと言わんばかりの国永に、対応を迷う。
国永が敵な訳が無い事は、騎兵隊の誰しもが分かる事。
レイリやうぐいすは同じ孤児院で育った上に、鶴丸に至っては肉親ですらある。
そもそも彼は両親を魔女に殺されていて、憎む相手ではあれど決して手を組む相手ではない。
仮に敵に回るとしても、鶴丸を人質に取られでもしない限りあり得ない。
国永にとって鶴丸は、双子の兄弟であるとともに絶対に守りたい相手でもある。
12歳の少年が、離ればなれにされるからという理由だけで大人の庇護から抜け出す程に。

「国永。ヒスイは、どこ?」

まさか、そんなという疑いと、信じたい思いからレイリは質問を重ね。
国永は、

「ヒスイ、は……」

考え込む素振りをして俯いた瞬間、地面からぞわりと黒い霧が立ち上り国永を呑み込んだ。
それは茨の蔓のように国永の身体を這い昇り、頬にまでそれが差し掛かった時、国永の瞳は黒く濁っていた。

「魔術ッ!」
「国兄ッ!?」

鶴丸とコーラルの声は同時、行動としてはコーラルの方が早かった。
躊躇いも無く魔術で炎の鞭を出現させ、国永へと向けて射出する。
それを、

「アイスランス」

国永が冷静に無詠唱の魔術ではじき返した。
そのまま、腰に下げていた剣を抜き放ち、手近に居た鶴丸へと斬りかかる。
斬りかかられた鶴丸は驚きと悲哀に動きを止めたままになり、レイリがすかさず腰に刷いていたレイピアを抜いて掛かった。

「――ッ、鶴丸!!」
「うそ、くにに、なんで……」
「チッ」

距離を取るか、せめて防御をして欲しいというレイリの声に気付く様子もなく、呆然と立ちすくむ鶴丸。
それを、舌打ちと共にチェインメイスを振るったノエルが強引に鎖に絡めて部屋奥へと放り投げる。
狭い室内では剣を振るいにくいだろうに、国永はものともしない。
剣を振るう合間、反対の手に氷の槍を再度出現させ、ノエルへと狙って射出する。
それを、コーラルが風の魔術で掠い取り、天井へと向けさせた。

「これは、国永の偽物、か?」

躊躇いながらも横やりを入れるタイミングを計るうぐいすが口にすれば、

「違うッ、ほんとに国兄だ!双子だから俺には分かる!!国兄、なんでッ!?」
「テメェはそっから動くな、ガキ!」
「むしろ問題なのは……あの子の方よ、魔術師か何か?剣も嗜み程度の腕じゃ無いんだけど」

一触即発、点で攻めてくるレイピアを線の動きの剣で弾くなど、剣士としての腕前が並では無い証拠。
そもそも、国永は剣士であると自明していたし、職業を表す刻印は剣士のそれであった。
戦うところは、パートナーであるヒスイ以外は見た事が無い。
だからこそ、今まで剣士であって魔術も使えるという特殊性にコーラルは心が浮き立った。

「国永、待って、やめて!話を聞いて!!」
「身の内を焦がせ焔燃の炎――バーニングデス」
「くにっ!? ぐぅッ……」

強制的に体温を引き上げ、身体の内から焼かれる痛みにレイリが呻き、膝を突く。
けれどトドメをさす訳では無く、国永は剣を片手に口を開いて室内中に響く声で歌い始めた。

「nascer do sil palavras milagre……」

光りが帯となり、国永の周囲を取り巻いていく。
音楽、ひいては音を使って鼓舞し己の戦力を底上げする技は吟遊詩人のそれ。
精霊視の出来る人間が居れば、国永の周囲を舞う彼らが見えただろう。
魔術師は己の魔力を用いて変革を起こすが、その上位職である吟遊詩人は世界に居る精霊に働きかけて変革をもたらす。
中と外で指向性が違う技は、同時に習得する事は叶わない。
鶴丸ですら知らなかった国永の特異性に皆が驚き、動きが数手遅れる。
その隙を狙って国永はレイリへ向かって剣を振り下ろし、

「国兄だめぇええええッ!!」

今にも泣きそうな顔で、形振り構わずに鶴丸がレイリと剣の間へと身体を投げ出す。
誰もが間に合わないと思った刹那、国永が一瞬だけ動きが鈍くなり。
瞬間、ノエルの振るったチェインメイスの鎖が国永の剣を巻き込み破壊した。
鶴丸の頬を掠めたそれは一筋の傷を作り、勢い余った鶴丸はレイリの上に覆い被さって床を転がる。
目を見開いてその様子を見る国永の瞳は赤い色を取り戻し、微かに弟の名前を口にした。
正気に戻った様子を見せたが、次の瞬間には再び肌の上の黒い痣がうごめいてみせ。

「ぁ……あ、あぁああ"ァああ!!?」
「国永!?」

悲痛な顔で絶叫する国永を、足下から吹き上がった青白い炎が呑み込んだ。
ジュウと何かが灼ける音が響く。
咄嗟に手を出したうぐいすは手の平を舐める炎に驚き、けれど感じない熱に首を傾げた。
そうして、その炎が呪いを灼く聖職者のそれだと気付く。

「コーラル!」
「――お眠りなさい」

ノエルの呼び声に、コーラルは迷わず眠りの魔術を行使した。
拮抗する間もなく、叫びだした時と同様唐突に炎は弾けて消え。
どさりと音を立てて国永の肢体は床に投げ出された。
慌てて鶴丸が這い寄り、安定した呼吸にそれまでずっと我慢していたものが溢れ。
ぐったりと意識の無い身体を抱え、鼻を啜りながら後から後からと溢れてくる涙を流した。

「の、の"え"る"、ぐに"に"……」
「殺してねぇよ。大方、天氣屋をさらう時に呪いを食らったんだろ」
「とは言え、一時的に眠らせただけだから楽観視も出来ないわよ」
「さっきの炎……あれで浄化出来てないの?」

先生が使ったんですよね、とレイリが聞いても黙り込むノエル。
眉間の皺を深いものとさせ、国永を睨み据える。
暫くそうしていたかと思うと舌打ちと共に首を振り、否と意思表示した。

「呪いの質が悪ぃのもあるが、食らったのがコイツだから浄化しきれなかったってのがある」
「この子……クニナガ、だったわね。何か理由があるの?」

コーラルが問いかけるも、殆どの人間は不思議そうに首を傾げている。
唯一分かっているだろうノエルは黙ったまま煙草に火を付け、鶴丸は遠慮がちにそんなノエルを横目に見ていた。

「まあ良いわ。それで、どうするつもり?」
「レイリ、俺はこのまま待機する。てめぇはコーラルとソレを中央聖堂に届けて黒葉と合流しろ」
「はい、え、先生は行かないんですか?」
「隊を指揮するヤツが必要だろ。さっさと大本を叩きに行ってこいクソ弟子」
「あら、彼はどうするの? 私が着いていないと魔術が切れるわよ」
「ふー……だからコーラル、てめぇも中央聖堂で待機だ。この呪いは元凶を始末すれば解ける」

レイリを睨み付けながら紫煙を吐き出し、コーラルにも指示を飛ばす。
本来なら隊長を引き継いだ時点でお前が振るべき采配だ、と目が語っていた。
ぎくりと背筋を冷たいものが流れつつ、レイリは頷いて編成を考える。
未知の場所へ行く上に国永の安全を考えると、なるべくなら短期決戦で済ませたい。
そうなると個人での行動も可能であり、動きを予測できる者達で固めたい。
となれば、必然的に少人数での立ち回りが求められる。
攻守のバランスを鑑みて、と考えを巡らせた所で、

「……俺が行く」

ぼそり、と地を這うような低い声が聞こえてきた。
それが静かに怒りを称えているときの国永の声に聞こえ、目が覚めたのかと皆が目を向ける。
が、赤い瞳は未だ白いまつげの下に隠されている。
白い顔で寝息を立てることも無く昏倒していると、まるで人形のようで不安が増した。
そんな国永を胸に抱え、人懐っこい琥珀の瞳を怒りに燃やす鶴丸がレイリを静かに見ている。
白銀の髪に琥珀の瞳を持っていて間違いなく鶴丸であると分かるのに、まるで国永がそこに居るように思えた。
関係の無いところで、やはり二人は双子でありよく似ているのだと改めて思い知る。

「レイリ、俺も行く。国兄にこんな事させた奴らを、魔女を……俺が殺してやる」
「……僕が指示しない限り、単独行動は認めないよ?」
「分かってる。だから、行かせてくれ」

ここで拒否をした所で、無理矢理着いていくか最悪一人で乗り込みかねない気迫があった。
それならば手の届く位置で監視をしようとため息を吐き、一つ頷いてみせる。
他のメンバーは中央聖堂に居る黒葉を交え、うぐいすも連れて行く事とした。