後を国永に任せた一人と一振りは、雑木林の中を手を取り合って走っていた。
先行する鶴丸の目にはそれらしい気配など知れず、状況が分からない為に焦りが生まれる。
「どこに門があるっていうんだ!? きみ、何か知らないか? こう、ばぁーっとした感じとかごうって感じとか!!」
我ながらとんでもない説明だと思うけれど、こういう時に出てくる言葉を他に思い付かない。
ようは凄い力とか、何かを感じないかと言いたかったんだけれど。
手を繋いでからずっと難しい顔をして俯きがちになってしまった小さな子は、それで少しだけくすりと笑みを浮かべてくれた。
何だかよく分からないが、そっちの前向きな方が良いと思う。
「門……って、出陣の時に使う鳥居みたいな奴? えと……よく分からないけど……ちょっと待って」
「えーと、多分そう……かな? 遠征や出陣の時は一時的に鳥居が出現したりしたけど」
言葉のままに立ち止まり、周囲を警戒しながら次の手を待つ。
子供は不意に周囲を見回し、その内の一方向を指差して見上げてきた。
「あっちの方から、瘴気とは違う気配を感じる」
「あっち? なら急ぐぞ! 三日月様と合流して国永様の所に戻らないと……」
「うん、あっち! ちか父様の気配がする!」
言葉を紡いでくるりと前のめりに回転したかと思うと、その身体は少年のものよりも一回り以上も大きくなっていた。
それと同時に、解放された霊気が周囲の木々を揺らす。
瘴気を寄せ付けない程のそれに、道理でこんな場所でも平気だったのかと納得した。
けれどどれだけ無尽蔵に思えるものだとしても、夢渡りの意識、所謂魂だけの状態では脆い。
国永が焦る理由も分かるというもの。
青年の姿で走り出した彼は、けれど後ろを見て少しだけ迷いを見せた。
「たずお兄ちゃん……あの、ここに居るのが、嫌?」
「おい、きみ? 急いでるのにそんな暇は……」
「お願い」
悲しそうに目を伏せ、けれど意地のような何かで留まろうとする青年に、何故か主を思い出す。
本当にそれで良いのかと、自分で決めた事を最期まで見守ってくれた、強い人。
その心が愛おしくて、慈しみたくて、鶴丸が望みを持って生きられたら、きっと彼女の刀になりたかった。
「嫌とか、そういう話しじゃないだろう。敵の本拠地なんだぞ? それに……俺は鶴丸だ。俺にはやる事がある。こんな所でおちおちしてる暇なんてないんだ」
人と刀、人間と刀剣男士。
似ては居ても同じようには生きられない。
だから青年の憂いを鶴丸は分からなかったし、理解しようとも思わない。
少しだけ悲しげに顔を伏せた青年は、それでも一度だけ目を瞑ると前を向いた。
「ごめんね、つるお兄ちゃん……。ん、そうだね、ちか父様の所に行こう」
「ああ。……それはそうと、ちかとーさま、って……三日月様が父様なのか? きみは一体……」
「え? あ、えと……んーっと、えっと……ぼくは母様……緋翠母様の……養子?で、くに父様とちか父様は、ぼくの父様だよって、言ってくれたの」
些末な疑問と思いながら口にした鶴丸に、困りながらも青年は答えてくれる。
そこで思い出したのは、主が離れに子供を預かったと言っていた事。
一度だけ見た背中は小さく頼りないものだったが、今はこんなにも大きくなったのかと感慨深い。
人間の成長というのはやはり面白い、と笑みを浮かべた鶴丸に、青年が驚きに目を見開いた。
「大丈夫だ、俺がついてるからな! それに、三日月様だって居る。そっちだな?」
「ありがとう、つるお兄ちゃん」
再び繋ぎなおした手は温かく、柔らかい。
どれだけ人の欲に振り回されても、やはりその手を愛おしいと思う。
再び走り始めた二人が目的の刀を見付けるのは、そう難しくはなかった。
雑木林の切れ目、小さな広場になっている場所にその鳥居はあった。
「あ、ちか父様!」
「三日月様!」
「怜悧、無事であったか! ……おぬし、は……鶴丸?」
鷹揚に微笑むその目は、この場においても青年の姿を見て和んだ色を見せる。
どんな時も己を崩さぬその姿こそ、鶴丸が、国永が守りたいと願ったもの。
喜色に和んだ三日月の表情は、しかし鶴丸を見た瞬間に驚きに固まった。
この人がここまで感情を見せるのも珍しい。
直ぐさま御前に膝を付いて敵意がないことを示す。
「お久しぶりです、三日月様」
「ちか父様! くに父様が、一人で! 僕と……鶴お兄ちゃんを逃がしてまだ向こうに……」
鶴丸が頭を下げている間、三日月にしがみついた青年、怜悧が状況を説明する。
頷きその小さな頭を撫でた三日月は笑みを浮かべ、
「怖い思いをしたな、泣かないで偉かったぞ怜悧。鶴丸……顔を上げ、立っておくれ」
子を労い、鶴丸へと視線を向けた。
厳しい色合いをしながらも、そこには親しさが見える。
鶴丸は最期の時、三日月にも国永にも言わずにとある出陣をした。
その時期は遡行軍の手に掛かった本丸が急増し、遺刀の受け入れをしていた頃。
離れに霊力の不安定な子を抱えた主に、遡行軍と内通の疑いが掛けられた。
奇しくもそれは遺刀として迎え入れた仲間の裏切りである事が発覚し、国永はつるし上げとして囮を買って出る。
けれど、その戦場に出たのは国永ではなく鶴丸だった。
前情報以上の遡行軍が待ち構える中、偽って戦場へ出た鶴丸は裏切り者の手によって折れたのだ。
「このようなところでお前に会えるとは思っていなかったが、よくぞ怜悧を連れ帰ってくれた」
「三日月様……」
言いたい事は他にもあるだろうに、昔と変わらず親しげな笑みを浮かべて鶴丸の頭を撫でる。
鶴丸は、自分の最期を後悔はしていない。
だからと言ってそれを彼に押し付ける気もないけれど、国永が損なわれる事は彼を損なう事だと思ったから。
あの時、行動して良かったと心から思う。
自分の胸に宿る慕わしさなど、国永からの受け売りでしかないのだからと。
「俺はこのまま国永を加勢する、お前は怜悧を主の元へ」
「――そうはさせないよ」
褒められた事に喜び、熱くなる頬を感じていた鶴丸の耳元で、聞き慣れない声が聞こえた。
その瞬間、胸に熱塊を押し付けられたような衝撃が走る。
いつの間にそれがあったのか、胸からは銀色の光りが突き出ていた。
刀だ、と気付いたのは光りに驚き、顔を上げて三日月の目を見てから。
「可愛い俺の子を奪うなんて、許さないよ」
「――あ……が、はッ……!? みか……づ、さ……」
「そんな悪い子は、お前の子を奪われても文句は言えない……よね?」
いつの間にか、鶴丸の隣に居たはずの青年は見知らぬ銀髪の彼の腕の中で震えている。
鶴丸が手を持ち上げた事で、自重で胸から刀が抜け、支えを失った身体は地面にかろうじて蹲った。
痛みに浅くなる呼吸を、込み上げる血液が阻害する。
ぼとぼとと地面に胸や口から血を吐き出し、腕を突き出すことで転がることを耐えた。
まさか、こんなに早く追っ手が来るなんて。
残してきた国永の安否が気になったが、それよりも今はこの状況をどう打開するか。
「そうさなぁ……、無礼者には天罰を与えるのも好い」
鶴丸の背後から、聞こえるはずのない声が響いた。
玲瓏に響く声は聞き間違える事もなく、その清涼な気配は姿を見ずとも分かる。
最上の刀と名高く、天下五剣で最も美しいとされるそれ。
「俺は、三日月宗近。……と、言って良いものか。今は単なる朝ぼらけの月よ」
「……国永ッ」
「うむ。その子を置いて行くなら、これを返し、此度の無礼は見逃してやろう」
二つの月が、互いを見る。
片方は夜の色を宿した三日月を、片方は淡く輝く朝の色を宿した三日月を。
濃紺と真白の、同じ顔をした者が相見える。
真白の胸には、鶴丸そっくりの顔をした国永が力なく横たわっていた。
気絶しているらしい彼は、傷の具合から見て中傷。
むしろ国永を二人で相手取ったとは言え、その程度の傷で無力化出来たという事実が強さを物語った。
「ほら、どうするの? 可愛い我が子の喉元がぱっくり裂けてもいいのかな?」
怜悧の喉元に鶴丸の血が付いたままの刃を当て、軽く傷を作りながら楽しげに言う。
迷い込んだ青年の事など歯牙にも掛けていないのだ。
がくがくと震え、涙を零す怜悧がいたわしい。
この状況をどうにか出来るとしたら、一つしか無い。
鶴丸は震える身体に叱咤して、かろうじて顔を上げると三日月ににやりと笑ってみせた。
元からこの命の使い道は一つだけ。
隣に居る事は、三日月が望まなかったから。
「……、ぁ、っ……」
「――ッ……分かった、鶴丸には手出しはせぬ。怜悧と国永を返して貰おう」
鶴丸の意を汲んでくれる優しい彼に、笑みが零れた。
2020-9-23 23:03