「察しの通り、国永と出会ったのは上層でな。しかし、抑制剤を買うには苦労が多いようだ」
「ふぅん……まあ、あいつが上層で何をしていたか、俺は知らねぇんだけどな。分かってるとは思うが、俺は流れ者だ」
「左様か。うむ、見慣れぬ者とは思ったが……下層ならば、紛れるに問題も無かろう」
「へぇ……上層なら別、と?」
「紛れ込むのは容易かろう。だが、そなたの義肢……技術力の出所や活用を求められるだろう」
「なんだ、そっちか。俺の予想としては住民管理の方かと思ったぜ」
「むしろそちらの方はやり様がある。家に属する者には寛容よ」

暗に囲い込む者も居るのだと、言外に告げる。
宗近の言葉を聞いたヒスイは、意地の悪い笑みを浮かべた後に鼻で笑い飛ばした。
そうして椅子に改めて深く座り込むと、足を組んでリラックスした様子を見せる。

「まあ国永が許容したなら、多少の性格の悪さはあっても真っ当か」
「おや、何の話しだ?」
「お前を認めるって話しだよ。国永も鶴丸も、お互いに依存が強くて心配だったんだがな……」

くすり、と口元に小さく笑みを浮かべるそれは、子を思う母のそれに似ていた。
母性というものがそれをさせるのか、宗近には分からない。
だが、深い愛情を感じる事に家族というものの温かさを感じる。
微笑ましく、少しだけ寂しさが胸を占めた。
羨ましいといえる程、それを求めた事が宗近にはない。
その事が少しだけ寂しかったのだ。

「ヒスイ殿は長子だったか。二人共、良い姉を持って居るな」
「ん、まあ年功序列って奴だな。俺は二人が良い友人を持ったようで安心だよ」

年功序列とは、組織内で使うような口ぶりに宗近は笑った。
それを言うなら親子や家族というのは、皆そういった括りになってしまうだろうと。
丁度、鶴丸がお盆に茶を載せて現れた。
一度口を閉じ、渇いた喉を潤す事に専念する。

「抑制剤、だったか。Ωの絶対数が少ないから検証例もあまりないんだな」
「うむ。それについては情報のやり取りは端末で良いと聞き及んでいる。設備を導入せずに良いのか?」
「使い慣れた奴があんのさ。こっちとの相互干渉は把握済み」

けろり、と何でも無い事のように口にするヒスイの持つ技術力に、改めて宗近は内心で驚いた。
上層でも上級の設備を使っている宗近と、遜色ないと言ってのけたのだ。
一体どこから流れて来たのかは分からないが、ひょっとすると要人レベルの者だったかも知れない。
そうなると、素性を隠して下層に居るのは正解とも言える。
くれぐれも扱いに困るような事にしてはならない、と宗近はヒスイに関する情報収集も頭の隅に置くことにした。
何より、彼女に何かあっては大事な友人達が悲しむ事になるのだから。

「ではこの端末を使っておくれ。鶴丸は薬慣れをしておらぬ故、常用型よりも周期によって服用をする方が良かろう」
「ああ、そうだな。まあその辺りはこっちで考えるさ」
「俺、あんまり普段の影響出ない方が良い……手伝いも止めたくないし」

ついていけない話しに大人しく宗近の隣に座っていた鶴丸が、おずおずと意思表示をしてみせる。
それに二人共、当然だと頷き返した事で安堵の笑みを見せた。
自分の話題をしている時に、ちゃんと意思を組んで貰える。
何気ない事だろうが、国永が居ないと鶴丸はこういった場面でも遠慮がちになってしまうのだ。

「抑制剤は通常、どうやって使う?」
「発情期の前後に飲んで期間中は家に居る事が通例だろう。他、緊急時用として強めの抑制剤を渡しておいた方が良いだろうな」
「そうなると……お前が渡したって言う人工知能が頼りか。緊急連絡先に俺の番号を登録しておけ……これな」

些末な紙だが下層で流通する中ではまともな部類に入るそれに、簡単にメモを書く。
横から見ても鶴丸にはよく分からない文字の羅列に見えたが、宗近にはそれで伝わったらしい。
一度目を通してから頷き、胸から出した小型の機械を指先で操作していく。
あっという間に終えたそれを再度しまい直し、不思議そうに首を傾げている鶴丸と目が合うと微笑んだ。

「どうした?」
「あ、いや……今の、何やってたのかなって」
「うぅむ、そうさなぁ……俺も今、ヴィータを持っているのだ。それを、ヒスイ殿のヴィータと手紙や電話が出来るようにしていた、と言えば分かるか?」
「あ、それなら分かる! へぇ、さっきの変な文字でそんな事が出来るのか」
「個人毎に今の文字が変わるようになっておってな、知らない者とは連絡が出来ぬようになっておる」

仕舞った端末を再度出しながら、鶴丸にも分かりやすいよう手振りを交えて宗近が説明する。
意外にも様になっているその姿に、ヒスイが対面で忍び笑いをしている事にも気付かない。

「なんだ、随分楽しそうにしてるな?」

馴染みのある声が響いたのは、そんな二人が顔を付き合わせて端末を覗き込んでいる時だった。
予定より早い到着に宗近は目を瞬かせ、鶴丸は目を輝かせる。
いつも宗近が会う時よりもラフな格好で、むしろそちらの方が着飾っているのだろう事が分かる簡単な装いだ。
襟足の髪を後ろで一つに束ねている事から、仕事を早めに終えてすぐに伺ったことが知れた。

「国兄! いらっしゃい、おかえり!」
「ああ、ただいまお鶴。ヒスイ、宗近はどうだい?」
「合格だ。まあお前が絆されるような色男なんだから当然だな」
「それは重畳。心配はしてなかったけどな」

軽いやり取りに国永が笑い、宗近の隣に立つと顔色を窺ってくる。
そうして、宗近の方にも問題は無いかと言葉にはせずに問うてきた。
恐らくはヒスイへの配慮、そして心配はしていなくとも気遣ってはいるからだろう。
勿論問題ない事を頷いて示し、国永はようやく安堵の笑みを浮かべた。
焦ってきたのか額の汗に張り付く髪をひと掠い、そうして驚きに目を見開く国永の頭を撫でる。

「急がせてすまなんだなぁ」
「……別に、心配はしてないって言ったろ?」

口では素っ気なく言いながら、眼を和ませて気持ち良さそうに頭を預けた。
触れる事が好きな宗近に最初の頃こそ遠慮していたが、今では慣れた物で止める事すらしない。
二人にとってはいつもの光景なのだが、不意にヒスイと鶴丸が黙り込んでいる事が気になって顔を上げた。
二人は、とくにヒスイは驚きに言葉を失ってその光景に見入っていた。

「おいおい、どうしたんだい?」
「いや、お前……頭触られるの好きじゃなかったろう? 単純に驚いた」
「うん、国兄俺以外には髪切るのも嫌って……とくに首筋触るのが嫌だって」
「え? ああ、確かにそうだけど……そういえば、宗近に触られるのは平気だな」

不思議そうに首を傾げる国永が襟足を縛るリボンを引いて解き、その髪を見つめる。
桜色に綺麗に染まっている髪は、肩を通り越して肩甲骨に届きつつあった。
男にしては長く、けれど中性的な国永だからこそ似合っていると思うそれ。

「結構伸びたな……お鶴、また切って貰っても良いかい?」
「えー、切っちゃうの? 国兄、昔みたいにもう長くしない?」
「あれは髪を売ってたから伸ばしてただけさ。その分苦労も多くて、大変なんだぜ」
「髪を? ここではその様な物まで売れるのか」
「売れるものなら子だって売るさ。実際には子供なんて掃いて捨てるほど居るからそうそう売れないけどな」
「……そういえば、お前達はストリートチルドレンでは無く孤児院に所属していたのか?」

唐突とも言えるその言葉に、国永は目を丸くし鶴丸は言いづらそうに目をそらした。
先程も中途半端に打ち切られた話題なだけに明確な答えがあるとは思っていない。
けれど、宗近にはどうしても聞いておきたい理由があったのだ。
暫し国永と見つめ合いの後、彼は首を傾げてきた。

「言ってなかったかい? 俺とお鶴は孤児院を出てきたんだ。ヒスイとはその時に会った」
「え、国兄言っちゃうの? 俺、隠しておけって言われたから黙ってたのに」

あまりにも拍子抜けする程の軽やかな口調に、鶴丸が少しショックを受けた表情で呟く。
やはり言いづらい事なだけに二人の間では黙秘を約束していたのだろう。

「まあ、宗近だしな。こいつの場合、下手に隠してもいずれバレるさ」

それはやはり居所を調べていたことを言っているのだろうか。
前歴があるだけに、此度もやらないとは言い切れないところがあった。
国永は呆れ顔でため息と共に言うと、ふて腐れる鶴丸の頭を撫でて落ち着かせる。

「ちか兄、ごめん……そういう事で言えなかったんだ」
「なに、お前達の事情も察せようもの、無理に聞き出して悪かったな。てっきり、住居近くの子供達と同じだと思っておったのだ」
「あー……まあ、無関係ではないな。彼らに何もされなかったのか?」
「うむ、デコイの財布をすられた程度だ。むしろ中身が多いと教授を受けてな、今では近隣を通る際には護衛をしてくれるぞ」

ほくほく、と微笑みながら語る宗近に国永は呆れ、ヒスイは爆笑し、鶴丸は目を見開いて慌てた。
住居近くの子供達というのは大方、国永が知恵を貸しているチームの面々だろう。
鶴丸も時折世話になる彼らは良くも悪くも身内には優しく、よそ者には冷たい。
そんな彼らが護衛をする程の間柄になっていたのに、何も聞いていなかったのだ。
チームの者ならスリをする程度、他のチームの者なら刃物が出てきたかも知れない。

「ちか兄、よく無事だったな……」
「たまにせんべえを貰うぞ? ここのは塩味なのだなぁ」
「しかも餌付けされてる方……って、もしかしてこないだ、どーなつ上げたりした?」
「お? うむ、いつも世話になっているでな。差し入れをしたのだが……何か、まずかったか?」
「ううん……気に入ってた。けど、何で真ん中空いてるのかなって話になったとき、いやしんぼだからなって結果になって……」
「っ、ぶははははは!!! いやしんぼ、こいつが、マジかよ!!!」
「あなや……俺はいやしん坊だと思われておったのか……」

結局、この日の話題はドーナツの穴の中身はどこへ消えたのか、という事が主題になって終わったのだった。