ありったけの想いはいつも誰の耳にも届かない。
それだけのことなの。


その日、騎兵隊隊長からの呼び出しを受けてしぶしぶ騎兵隊の隊舎にむかった。
「隊長、エヴァンジルです」
こんこんとドアをノックすると中からどうぞ、と声がする。
「失礼します」
ドアを開けるといつもの執務机に座ったままにこにこと笑顔を浮かべている隊長の横に赤い髪の男が立っていた。
「よく来てくれたね。
今日は大切な話が合ってきてもらったんだけど…。
まずは彼を紹介しうておこうかな」
隊長は赤い髪の男の方を向いた。
「彼はアクセル。今日から君のバディとして行動を共にしてもらう」
「アクセルだ、記憶したか?」
「…は?ちょっと待ってください。
私に拒否権は?」
「ないよ」
笑顔で意見を棄却して来る隊長に殺意を覚える。
「まぁそう怒らないで。
僕なりに君たちの…魔憑きの未来を何とか変えたいと思っているんだ。先行実装としてまずは君と公爵令嬢に特例として魔憑き監督者とバディを組んでもらう事になったから。
魔憑き研究は騎兵隊に顕現が一任されているからこれは隊長命令として受け取ってくれてかまわない。
君は今日からプライベートな時間以外の全てをアクセルと行動を共にすることを義務付ける。反論、拒否権は認めない。いいね?」
一見穏やかそうな笑顔を浮かべているが、その口調は拒否を許さないもので、私は何も言えずに目の前の天使の様な悪魔をにらみつけるしかできなかった。


そんなこんなで私はこの男、アクセルと行動を共にすることになった。
隊長は今の魔憑きの在り方を良しとしない。
魔憑きが人間らしく生きられる世界に変革を起こしたいらしい。
そんなこと、きっと不可能なのに。
魔憑きは人ではない。
そう割り切った方がどんなに苦しくても辛くても人間じゃないから仕方ないと諦められるのに。
今更人の様に扱われても、私はそちらの方が恐ろしい。
こんな私を愛してくれる人なんているわけがない。
そう、愛されるわけない。
心のない化け物の私に、愛なんてあるわけがないのだから。


「お嬢、今日の予定は?」
それなのにこの男は毎日毎日飽きもせず私に構ってくる。
アクセルとバディを組んでからというもの、私に割り振られる騎兵隊の任務は少なくなり、自由時間が増えた。
任務の内容も街へ赴くことが多くなり、今まで隔離される様に閉じ込められていた騎兵隊の隊舎を頻繁に空けるようになった。
「今日の予定は……特にないな。休暇だ」
「ふーん、それでお嬢はどうするんだ?」
「…いきなり休暇と言われても……何をしていいかわからない」
何時もなら前もって休暇の日に何をするかを決めておく。
たまにタウが予定外に訪ねて来て一日中街中を引きずり回されるが、それはそれで楽しいから気にはならない。
「今日は休暇だ、無理に私に付き合う必要はない。お前もどこかに行きたいとかあるだろう?」
「…それが別にないんだよな。
というか、俺はお嬢の護衛兼監督役だぜ?記憶してないのか?」
笑いながら頭をくしゃっと撫でられる。
ああそうだ、忘れかけていたのかもしれない。
副隊長程ではないが私もそこそこの災害級の化け物だということを。
この男の妙な距離感のせいで私の今まで築き上げたものが崩れていく。
「それなら今日は部屋でゆっくりしてたらどうだ?
何処かに行くときは俺に声をかけてくれればいいからさ」
屈託なく笑うアクセルに、何か反論する余地もなく、それすらばからしくなってしまう。
「そうだな、そうさせてもらう」
趣味の一つでもあれば、急に休みを貰えても喜ばしい事なのだろうが、人ではない私に趣味など持てるはずもなく…。
「……ああ、そういえば」
一つだけ、趣味と言えるようなものがあった。
ドレスの裾に隠れて見えないが、太もものバンドにいつも差し込まれているフルート。
力を籠めればその音色を攻撃手段にも使えるが単純に楽器として奏でる分にももちろん問題はない。
何もすることがないのなら思う存分フルートを奏でるのも良いかもしれない。
そう思ってフルートに手をかけると
「…それ、吹くのか?」
「悪いか?これは私の唯一の武器だ。
いざ戦闘になって使えませんじゃすまないだろう。
それなりに調律が必要になる。
こういう時にやっておかないと…」
幼い頃に『幽閉』されていたからある程度制御は効くと言え、完全に支配権があるわけではない。
ちょっとした感情の変化ですぐに暴走させてしまう。
だから私はここに居るし、何かあればいつでも副隊長が私を殺せるように。
「なぁ、それ俺にも聞かせてくれないか?」
「え?」
てっきり部屋に引き返すものだと思っていたアクセルから思いもよらぬ提案に驚きの声が漏れる。
「いや、お嬢のフルートって聞いたことないから聞いてみたいと思ったんだが、ダメか?」
「……別に、好きにすればいい。
ただ、聞いて楽しい物ではないと思うがな」
それを許したのは気まぐれだった。
私に幻滅すれば優しくするのをやめると思った。
アクセルとの距離が近くなるほど胸が苦しくなる。
私とは違う、生きている人間。
生命力の溢れる命の輝き。
それが、闇に生きる私には眩し過ぎて目がくらむ。
魔憑きの研究所から騎兵隊の隊舎に移されて、光の挿す部屋というものを知った。
「お嬢の部屋は質素だな」
アクセルがいつもそうやって苦笑する、生活感のない部屋も私にとっては光が溢れる暖かな場所だ。
日当りのいい窓に腰かけるアクセルを横目に、フルートの手入れを手早く済ませる。
手入れをしてピカピカになったフルートをそっと口につけて息を吹き込む。
澄んだ高音が部屋の中に響いて私は目を閉じた。
左目が少しざわつくのを抑える為に。
何度も何度も、繰り返し奏でる音楽。
小さい頃からこの時だけは、普通の人で居られた。
何もない私が、たった一つだけ許されたこと。
人になりたかった。
どんなに自分は化け物だと言い聞かせても、求めてしまう。
ただの、一人のエヴァンジルとして生きてみたい。
この左目を抉りだすことでそれがかなうなら、こんなものいらない。
「泣くなよ、エヴァ」
不意に指で目元を撫でられる。
「泣いてなどっ…」
そう、泣いてない、私は泣いてなどいない。
だって私に心などないから、化け物だから。
泣けるはずなんてないのに…
この溢れるものはなに?
ぎゅっと抱きしめられて、じんわりとアクセルの黒いコートに染みができる。
「エヴァは我慢しなくていいんだ。
力を恐れるな、お前が暴走しても俺が居るだろ?
お前の望みは俺がかなえてやる、お前が誰かに害をなすなら俺が止める、それでもだめなら…」
ぎゅっと抱きしめられる腕に力がこもる。
「一緒に死んでやるから、もう泣くな」
何を言っているのか理解できない。
どうしてこの男は、こんな化け物にそんなことが言えるのか?
「私は、化け物なんだぞっ…」
「エヴァは化け物なんかじゃない、ただの人間の、ただのエヴァだ。
そうだろ?」
どうして、どうして、どうして?
あったばかりの、こんな男が…
今まで私が欲してやまない言葉をくれるんだ。
「俺には親友が居た。
ガキの頃からずっと一緒に居たから兄弟みたいなもんだと思ってた。
だけどアイツはずっと何かに悩んでいて、俺はちゃんとそれを聞いてやれなかった。
それに気が付いて、助けようとしたけどあいつは俺の前から消えてしまった。
今のエヴァはその時のアイツと同じ顔をしてる。
俺はもう、目の前で誰かが苦しんだままいなくなるのは嫌だ」
「私は…そいつの代りか?」
「違う。お前はお前だって言っただろ?
隊長から話があって、エヴァのバディに俺をって言われたときに俺だって大分悩んだんだぜ?
一番の親友すら救えなかった俺に名家のお嬢様の相棒になれって言われてもな」
「…名家の令嬢などではない…私は、わたしは…
母を殺し、家族を捨てられて、人でもない化け物に成り下がった」
「あのな、そうやって自分を卑下するな。
お前は俺が想像してたよりずっと人間らしくて、普通の女の子だぜ」

築き上げてきた防壁が、音を立てて崩れた気がした、

「なぁエヴァ、本当の気持ちを教えてくれないか?
俺はお前の相棒で、これからもお前の傍にずっといる」
私が魔憑きでも、望んでいいというのか?
誰もそんなこと言ってくれなかった。
誰もそんなことを許してくれなかった。
「わたし、ひと、で…いても…いいのか?
こんな、ばけものでも、ひかりのなかに…いても……」
ぼろぼろと目から温かい何かが溢れてくる。
怖い、私が私でなくなってしまいそうだ。
「いっしょに、ひとりに…しない、でっ」
アクセルの隣は居心地がいい。
ずっとずっと、初めて会った日からずっとそう思っていた。
認めてしまうのが怖かっただけ。
認めたらもう、戻れなくなる。
今まで築いていた脆く小さな虚勢が崩れ去ってしまったら、どうしていいかわからないから。
「だから、ずっと一緒に居るって言ってるだろ、記憶したか?」
笑って、頭を撫でて、涙を拭って。
この陽だまりの中で私は、暖かな眠りに就いた。



「俺の親友のロクサスだ!」
目の前で起こっている事象に頭がついていかない。
「は?」
「お嬢友達少ないだろうから、まずは俺の親友で慣れてもらおうかと思って連れてきた。
こいつも騎兵隊所属だから気にすんな」
「ちょっとまて、お前親友は消えたって…」
「ああ、突然いなくなって、突然帰ってきたんだ。
しかもいなくなった間に何があったのか教えてくれねーし、なんか本人は吹っ切れてるし、なら無理に聞く必要もないだろ?」
「なんか誤解させた?ごめんな、アクセルってたまにバカだから。
俺はロクサス、よろしくねエヴァ」
開いた口がふさがらない、とはきっとこのことを言うのだろうと身をもって知った私は、腹いせにアクセルの腹に思いっきりフルートを突き刺した。
「いってぇぇ!!!」
「自業自得だ、貴様が誤解を招く言い方をするからだろ!!
あと10回死んで来い!!」
地面でのたうち回ってるアクセルを無視してロクサスに向き直った。
「エヴァンジルだ、よろしく頼む」
ロクサスはにっこりと微笑んで手を握った。