ルージュと初めて会った時から思っていたことがある。

彼は沢山の仮面を付けていた。
そして、それを上手く使い分けることによって人間関係を円滑にしてた。
瞬時に適切な自分に切り替えることができる彼は頭がよくキレた。
だから、彼の仮面を剥がすのは難しく、傷付けてしまう恐れがあるから手を出せないでいた。


でも、ある日ルージュは真っ青な顔で帰ってきた。
今までに見たことの無い顔。
私はすぐに直感した。
今までの仮面が剥がれている。
今なら…本当の彼に触れられると思った。
本心の彼に触れ、砕け散った仮面の破片が、深く彼の心を抉った。
傷付いたルージュをきつく抱き締めて、離さないと誓った。
彼にその言葉は届かなくても。


翌日から、ルージュの態度が変わった。
それは、二人きりの時間に起きる。
「ノーツ…」
舌足らずな子供みたいな声で名前を呼ぶ。
ルージュは私の制服の裾をぎゅっと握り、俯いている。
「どうしたんだい?」
「……判らない…でも、何だか不安で……
怖いんだ…。
頭のなかがグチャグチャで、気持ち悪くて、吐きそうで…」
私は本に栞を挿んで両手を広げた。
「……ぁ、俺…」
指先がかたかたと震える。
どうしたらいいか判らないのだろう。
それでも、ぎゅっと幼子のようにしがみつく彼は、いっそう小さく見えた。
「これで、怖くないだろう?」
ルージュが頷くと、光彩によって色を変える翡翠の瞳が不安に揺らぐ。
「でも、離れるのが、辛い。」
消え入りそうな小さな声。
「君と私はよく似ている。
私達は他人に求められるままに自分を演じてきた。
けれど、今君は小さな綻びが大きな亀裂に代わり今まで築き上げたものが瓦解するのが怖いんだろう?違うかな。」
「たぶん、そう…だと思う…。
俺はいつも何も、俺自身で決めたことなんてひとつもない。
いつも答えを求められたら模範的な答えを出していた。
この場で、ロゼットが出す答えとして。」
「決断することが怖い?」
「判らない、判らないんだ。
何もかも判らない、今までと違う生き方何て…出来ない。
どうしていいか判らない、一人では生きていけない…。」
混乱してしまったルージュの背中をさすり、こんなときはどうすればいいのか、ぼんやりと考えた。
他人に求められるままに生きてきたのは同じ。
だからこそ、私には彼が私自身に何を求めているか理解できない。
そして、そんな彼だからこそ興味を持ったのは嘘ではない。
ルージュのそばに居ると新しく気付かされる事ばかりで楽しかった。
「一人ではないだろう?
君にはご家族も、友人も居る。」
「でも、誰も俺を知らない。」
ルージュの瞳がどんどん光を失っていく。
私は、覚悟を決めてずっと言えなかった言葉を口にした。
言葉にしてしまえば、ルージュの一生を拘束してしまうかもしれない。
それでも言わずに居られなかった。
彼をひとりぼっちにする方が、余程残酷だと今の彼を見れば誰でも思うはずだろう。
「私は、君の全てを受け入れるよ。」
「……え?」
驚いたルージュは言葉を失っていた。

「君が好きだ。」

それは家族から与えられる無償の愛でも、友愛や恋人同士の甘いそれとも違う。
憐れみや偽善、自己満足や同じ脛に傷でもない、お互いに一人では生きていけない者同士の、そんな不確かで曖昧な愛の種。
でも、それを育んでいけばいずれ愛と呼べるものになると信じて。
ルージュは泣きそうな表情で、背中に回す腕に力を込めた。

「うん、俺も…好き…すごく好きだ…。」
震える身体をきつく抱き締める。
「あったかい…。」
ルージュはようやく小さな笑みを浮かべた。
それは今まで見せていた張り付けた笑みではなく、本心からのそれだと理解したとき、彼の壊れた心を救えるのは自分だけなのだと感じた。
逆に、私も彼に救われたのだと。


人という生き物はとかく憐れである。
一人で生きられない人間は集団の中に居ると安心する。
自分と同じものが周りと同じであることが好ましいと考える。
だから、自分達と違うものを排除したがる。
では、排除された人達は何処にいけばいいのだろう。
他人とは違う私達はどうやって生きていけばいいのだろう。
そんな考えがほんの一瞬だけ過ったが、ルールの安心しきった表情を見て、そんな考えはすぐに消え去ってしまった。
光を失った瞳に、ほんの僅かだが光が戻ったようだ。
「俺は…死ぬまで誰にも理解されずに孤独に死んでいくのだと思っていた。」
彼の言う孤独とは、精神的な意味だろう。
親しい人達に囲まれていても、本音をさらけ出せないのならそれはただの有象無象でしかない。
無論全て、というわけにはいかないが。
とりわけ彼の場合は素の自分を出せるか否かという事だろう。
そして、彼にとって素の自分をさらけ出せる存在というのは、心の拠り所になるだろう。
「君を孤独にはさせないよ。」
ぎゅっと抱き締めて、頭を撫でれば心地良さそうに目を閉じる。
甘えてくる飼い猫を愛でる気分で、閉じられた瞼にキスを落とした。

「大丈夫、私達は独りじゃない。
二人で乗り越えていこう。
皆なら、必ず受け入れてくれるさ。」
「そうだよね…独りじゃないなら、頑張れそうな気がする。」
誰か一人でいい、受け入れてくれる存在が一人でも居れば、それを糸口に暗闇から光を手繰り寄せられるかもしれない。