艶やかな着物を纏ったシュノは羽織を肩にかけ、レイリの手を引く。
流石に花街を歩くとはいえ襦袢では出歩けないので以前に仕立てた着物を無理やり着せた。
「良く似合うな」
「……シュノが着た方が…似合ってた」
着物をまじまじと眺めながら少し恥ずかしそうに顔を背ける。
その仕草すら愛しいと感じて、肩を抱き寄せる。
戸惑ったようにレイリが見上げてくると、シュノは柔らかく微笑む。
「そういう時はな、相手の肩に頭をもたれるように預けるんだ」
「…うん」
レイリはシュノの肩にもたれ掛かるようにあたまを預けて、着物をぎゅっと握った。
「あ…この着物…」
「ああ、これは俺の一番の上客だった奴がな、俺の為に仕立ててくれた大切な着物だ。
まだ、着たところを見せてなかったからな」
頭を撫でながら、シュノが楽しそうにレイリに微笑みかける。
それはレイリが客だった時にシュノの為に仕立てた着物で、シュノがそれを着るのを見ることなくレイリは壊れてしまった。
ぼんやりとシュノを眺めていたレイリは口元を本の少し緩めた。
「…きれい」
幼子のような舌足らずな声でレイリは懸命に口元を歪ませる。
「無理に笑わなくていい」
シュノはレイリの頭を撫でると、心地よさそうに目を閉じた。
「ゼクス、ちょっと出てくる」
店の裏玄関から勘定頭のゼクスに声を掛ける。
「レイリも、連れていくのですか?」
ゼクスは驚いたように隣にいるレイリを見た。
レイリはビクッと身体を震わせてシュノの後ろに隠れてしまう。
「何だよ、ダメか?」
「いいえ、それはあなたの所有物ですし問題はありませんが、レイリは大丈夫何ですか?」
レイリは小さく頷く。
「そうですか、なら楽しんできてください。
良いですか、くれぐれも吉原大門だけは抜けない様に」
レイリは悲しそうに俯いて、頷いた。
レイリは籠の鳥、この吉原からは一生出られない。
「行くぞ、お前の好きな甘味でも食いに行くか」
シュノはレイリの手を引いて昼間の歓楽街を歩く。
静かな通りをゆっくりと歩く、レイリの歩調に合わせて。
可愛い小さなポックリがからんころんと小気味いい音を立てる。
「レイリ、何食べたい?」
「……あ、あんみつ」
いつも小さな声がその時だけ嬉しそうだった。
シュノはレイリが客だった時に通っていた甘味屋の暖簾をくぐる。
「あら、いらっしゃい
久しぶりねぇ」
甘味屋の女将がにこやかに笑いかける。
「あら、後ろの子…」
女将はレイリを見つけるなり何も言わずに奥の席に案内した。
吉原に店を出している者は、大抵が勤めを終えた娼妓が営んでいる事が多い。
女将もその1人なのか、レイリの身に起きた事を何となく察したのだろう。
「ご注文は?」
「レイリ、何にする?」
あたりを気にしながらレイリは御品書きを開いた。
「しらたまあんみつ」
「白玉あんみつと、抹茶ふたつ」
「はいよ」
女将は注文を聞くと厨房に姿を消した。
どこか落ち着かない様子のレイリは顔をあげようとしないで着物をぎゅっと握っている。
「レイリ、大丈夫だ」
シュノがレイリを抱き寄せ、頭を撫でる。
繰り返されてきたこの行為はいつしかレイリを安心させる行為に変化した。
「…ごめんなさい」
「謝るな」
幽離籠に来てから店から一歩も出なかったレイリは、どこか他人に怯えてるように思えた。
最後の逢瀬の後、レイリの身に何が起きたのかシュノは知らない。
レイリは当然ながら語れる様子じゃなく、唯一状況を知るレイアすらこの件には口を閉ざしている。
「お待たせしました」
タイミングよく女将があんみつと抹茶を持ってきた。
「!」
レイリの前に置かれたあんみつに、口元が僅かに綻んだ。
こんなに嬉しそうなレイリは久しぶりに見た。
「これはサービスだよ」
小さな皿の上にはレイリがよく頼んでいたカステラが二切れ乗っていた。
「辛いだろうけど、頑張るんだよ」
その小さな皿を見つめていたレイリの瞳からボロボロと涙がこぼれた。
止め方を知らないみたいに、拭っても零れる涙が頬を伝う。
シュノは黙ってレイリの涙を拭うと暖かな抹茶に口をつけた。
レイリは涙を拭うとあんみつを美味しそうに口に運ぶ。
シュノは知っていた、レイリが毎日白粥しか口にしていないこと。
それは嫌がらせでもなく、レイリ自身がそのような物しか口にできなかったからだ。
「レイリ、美味いか?」
レイリは瞳を潤ませながら頷いた。
「そうか、良かったな」
まともな食事をしていなかったレイリはあんみつとカステラをしっかり完食して、抹茶を飲み干すとシュノに甘える様にもたれ掛かってきた。
「また、来たい…一緒に」
「お前がいい子にしてたらな」
よしよしと幼子をあやす様に頭を撫でると、レイリは頷いた。
会計の時にレイリは珍しく自分から女将に駆け寄った。
「あの……ありがとう」
恥ずかしそうに俯いたまま小さな声でつぶやくが、女将にはちゃんと届いた様で「またおいで」と頭を撫でられていた。
店から出たレイリはいつもよりいろんな表情をするようになっていた。
「シュノ」
二人で道をのんびり歩いていると背後から声をかけられて振り返る。
身形のいい中年の男が近寄ってきてシュノの腰に自然に手を回す。
「ここ、外だけど」
「硬いこと言うなよ、それより最近めっきり抱かせてくれないじゃないか
そろそろお前が恋しくなってな
今夜あたり店に行こうかと思っていたんだ」
シュノの馴染みの客がやけに馴れ馴れしくシュノに触れる。
当のシュノは嫌がる訳でもなく、だが興味があるそぶりも見せない。
「生憎今夜は予定があるんでな
またの機会にな」
シュノはレイリを背後に隠すように客の視線を遮る。
「隠さなくてもいいだろ。
その子が前に言っていた子猫かい?
随分愛らしいな、将来が楽しみだ」
「こいつは娼妓じゃない、客は取らせない」
「そうか、それは残念だな」
「何だ、俺じゃ不満なのか?」
シュノは男に擦り寄ると、グイッとネクタイを引いた。
「気が変わった、今夜店に来いよ
相手してやる」
背後に庇われたレイリは小さく震えながら、シュノにしがみついて顔を伏せていた。
「そうか、なら今夜店に行くよ
それでは失礼します、レイリ様」
男はシュノから離れ、レイリとすれ違う時に確かにレイリの名を呼んだ。
レイリは尋常じゃない程震えながら顔を真っ青にさせている。
「レイリ、どうした?」
「あっ…は、ぅあ…」
呼吸が乱れ、冷や汗が伝う。
立っていることさえ出来ずにそのまま地面にへたりこんだ。
「レイリ!」
シュノはレイリの身体を抱き上げると、急いで店に戻る。
「レイア!レイア!」
バタバタとレイアの私室に駆け込むと、気だるそうに羽織を引っ掛けたレイアがこちらを向いた。
レイアは腕の中で異常な迄に怯えるレイリを見てシュノを睨んだ。
「おい、お前こいつに何をした」
「知るかよ、客と話してただけだ
だが、あいつレイリの事知っていた」
「……マジかよ
あー面倒臭い、だから嫌だったんだよお前引き取るの」
レイアは煙管の灰を落として、ふぅと煙を吐き出した。
「そいつ、クライン家の間者だろう
恐らくは本家と繋がりはない…
こいつの父親が独自で持ってるルートだ
それじゃなきゃクラインの間者をお前の客になんかしない」
「あいつはレイリと会う前からの客だった」
「なら買収したに決まってんだろ
分家とは言え1度爵位を譲ったんだ、取り消せるわけがない。
そいつが死なない限りね」
「それは、レイリが命を狙われてるって話か?」
するとレイアは驚いたように目を開いた。
「なんだ、まだ言ってなかったのか…
仕方ないな、僕の知ってる範囲で教えてやるよ」
そう言ってレイアは語りだし、レイリは小さな子供のようにシュノにしがみつくだけだった。
レイリはクライン家の分家に妾腹の子として生まれた。
本妻は子宝に恵まれず、レイリの母親は身分の低い美しい遊女だった。
母親がレイリを身籠ると父親は母親を身請けして敷地内の離れに幽閉した。
愛のある身請けではなかった。
やがて産まれたレイリは後継として肩身の狭い思いをしながら母親と離れに暮らしていた。
レイリが15歳になって元服を迎えると、父親はレイリに爵位を与えた。
母親に愛情を持って大切に育てられたのにレイリは貴族の世界で生きるのにはあまりにも純真無垢すぎた。
なので、レイアの所で裏世界の繋がりを知るために幽離籠に通っていた。
単に廓遊びを覚え、そこがどんな用途に使われる場所かを教えるつもりだった。 それが、誰にも靡かないシュノがレイリに興味を持った。
成り行きでレイリはシュノを買った。
その晩から、毎日の様に吉原に通いシュノを指名した。
シュノもいつもは気まぐれにしか客を取らないのにレイリだけは断らなかった。
複雑な家庭環境で爪弾きにされてきたレイリにとっては、シュノは母親以外に唯一自分に好意的な存在だった。
それも長く続かなかった。
レイリが如何わしい店に出入りして金を浪費していると誰かが父親に告げたからだ。
レイリは後継と言っても家の金を自由にできる権利は無く、吉原での廓遊びもシュノが自分の花代を上げてレイリを呼び付けていた。
詰まるところ、レイリが吉原似通うことで財政を圧迫する事など無かった。
ただ、邪魔になったのだ。
その頃、ずっと子供ができなかった本妻に男の子が産まれた。
この先も子供は無理だと言われていて、仕方なくレイリを認知したが本妻との子供が出来たならやはりそちらの方が可愛くなり、そうなると産まれの卑しいレイリは邪魔な存在。
だから母親とレイリを殺そうと離れに火を放った。
その日レイリは吉原でシュノと会っていたから無事だったが、レイリが離れに戻ると、轟々と燃える離が目に映る。
慌てて離れに飛び込み、母親の寝室に向かうと焼け爛れた母の遺体がベットに横たわっていた。
レイリは母親の遺体を引き摺りながら、燃え盛る離から転がり出た。
母親は顔も判らぬ程にグチャグチャに焼けており、人の燃える臭いにレイリはもう訳が判らず、母親だったものを抱きしめながらずっと泣いていた。
レイリ自身も重度の火傷を全身に負っていたが、医者に痕が残ると言われた火傷痕は綺麗に消えていた。
レイアが病院に駆けつけた頃にはレイリは包帯で全身を巻かれ、死んだ様に眠っていた。
レイリは時折発作的に暴れだしては訳の分からない事を叫びだし病院も手を焼いていた。
このままではレイリは秘密裏に処理されるのは目に見えていた。
ほんの少しだけ哀れに思ったレイアは、レイリの父親を呼び付けてレイリを幽離籠で買い取ることを告げた。
しかしレイリが生きている間、この一家はレイリの影に怯えなければならない。
生き残ったレイリが自分たちに復讐するのではという何とも自分勝手な言い訳だった。
レイリには復讐すら考えるような感情すら無くしてしまったのに。
吉原の遊郭に買われた遊女は買われた金額を返済しきるまで勤めを終える事は出来ず、唯一の出口である大門には常に見張りが居て足抜けは大罪であった。
レイアは吉原からレイリを一生出さない代わりに、吉原に居る間のレイリに対する一切の干渉を禁止した。
もし廓内でレイリが不審死を遂げた場合、レイア・クラインの名を持って父親一家を断罪すると告げて屍の様なレイリを連れ帰った。
家事から一月後の事だった。
「恐らくはレイリがここを出る気配がないかの偵察だろうけど…」
腕の中に抱かれたレイリは混乱し、酷く怯えている。
「レイリ、大丈夫だ。
心配するな。俺がお前を守ってやる」
「や……ぁ、や、や…だ」
駄々をこねて愚図る赤子のように言葉にならない言葉を重ねるレイリをきつく抱き締めた。
「あいつとは俺が話をつける、今夜来るって言ってたからな」
「そう、ならお前に任せるよ。
レイリは1人だと何するか判らないから今日の所はシュリの世話でもさせておく」
シュノはレイリを落ち着かせる様に抱き締めて、頭を撫でた。
「レイリ、いい子にしてろよ
お前を不安にさせるもの全てから俺が守ってやる」
「ぃ…ゃ……シュノ…」
掠れた声がシュノに縋るようにシュノを呼び続ける。
それしか単語を知らないみたいに、何度も、何度も…