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記憶のオリ。

うららかな日差しが目立つようになって早数日。
風が強い時は砂塵すら舞う下層だが、冬の身を切るような寒さが和らぐのは好ましい事だ。
けれど春の気配が漂うようになったのとは真逆に、

「……はぁ……」

三条宗近は落ち込んでいた。
今居る場所は下層、Ω13地区。
最愛の子等、国永と鶴丸が世話になっている薬屋だ。
Ωである鶴丸の為に抑制剤を卸すことが決まって以降、店主ヒスイとの関わりが増えた。
女性とは思えぬほど粗野な振る舞いに驚いたのは一度や二度では済まない。
けれどそんな細かい事を気にするほど、宗近は繊細ではない。
気鬱の原因は鶴丸の一言が発端だった。

『国兄は、俺の為に孤児院を出たんだ』

どういった流れでそんな話になったのか。
今までの暮らしぶりを聞いていたのだったか、幼い頃の話しをしていたのだったか。
もはや記憶の彼方で預かり知れない事だが、孤児院を出たという言葉が宗近には衝撃だった。
数少ないとは言え下層に併設されている孤児院は教会が運営し、確かな衣食住を提供される。
その安息から抜け出る程に追い詰められていたのかという困惑と、疑惑。
三条家は古くからコロニーにあるαを有する華族であり、血筋を残す為には子を成す義務がある。
けれど家として認めるのは家長のαただ一人。
決してαの輩出率が少ないという訳では無い。
家長以外のαは予備として別の場所に"保管"されるのだ。
宗近もそうして保管されていた予備の一人だった。
幼い頃、世話役のアンドロイド一体と二人だけで小さな屋敷に暮らしていた。
三条家が教会と提携する事で保管場所にしていた、孤児院の片隅にある屋敷だった。
人の出入りは許されず、宗近も狭い中庭しか知らぬ。
物心ついた時に連れてこられたその場所。
母は精一杯の温もりを分け与え、父は最上の者としての誇りを託してくれた。
お陰で、宗近は多少擦れた子ながら人として腐らずに生き。
誰にも知られず、ただ老い朽ちていくのだと思っていた。
そんな生き方が寂しいと気付かせてくれたのは、真白の温もりだった。
中庭を抜けた先、院長室の前庭で。
言葉も涙も忘れた人形の様に、ただそこにあっただけの少年。
次第に話しを、笑顔を取り戻していく様は胸が震えて。
涙を人に見せようとしない強がりな少年の、泣ける場所になりたいと思った。
共に生きたいと思うようになった。
だからそれを伝えようとした、矢先。
家長の候補であったαに不備が見付かり、宗近は"家"に戻された。
伝手を頼りに少年を探せば、彼は死んだと聞かされて。
失意の内に国永と出会った。

「……はぁ……」

吐き出す息と共に、胸のうちに凝ったものが出ていきやしないかと願う。
今のところそれが叶った覚えはない。
それでも出てしまうのがため息であり、

「いい加減うざいんだが?」
「……む、あいすまぬ」

同じ室内に居たヒスイが顔をしかめながら手元のカルテから顔を上げた。
対面に座りながら用意されたハーブティに口を付け、漏れ出そうになる息を呑み込む。
ヒスイは表情を変えず、面倒くさそうにテーブルへとカルテを投げ捨てた。
人の情報を無造作に扱うなど、医者ならば苦言をあげられる事だろう。
けれどもヒスイは医者ではなく、そしてその情報が己の物であるから気にもならない。

「俺はカウンセラーじゃねぇ、相談なら他所でやってくれ」
「ふむ、これは異な事を。俺もそなたを心療医とは思っておらぬぞ?」
「……どうだかな。で?」
「うん?」
「何が気になる」

渋い顔をしながら、相談は受けないと口にしながら、結局話しを聞いてくれるらしい青年に笑みがこぼれる。
何だかんだ面倒見の良い、気優しい人柄なのだろうと思えた。
居住まいを正し、何から口にしたものか一寸迷い。
けれど隠そうとしたところであまり意味は無いと思い直して素直に話す事にした。

「鶴がな、孤児院の出だと言っておった」
「ああ」
「ヒスイ殿は下層の特性をご存じだろうか?」
「隔離、管理、培養……あと何だ?」
「いや、概ねそんな所だろう。とくにαとΩについては綿密な管理が成されて居る」
「……へぇ、つまりあれか。Ωの鶴丸とαの国永が外を出歩いているなら、脱走した、と」

切れ長の眼を細め、口元に笑みをはきながら声を潜めてヒスイは言う。
まるで猛禽の鳥のようだと宗近は思った。
同時に、狩る対象であるかも計られている。

「その事自体に何を言うつもりもない。あの子等が決めた事ならば、必要だったのだろう」
「……ふーん?」

一瞬にして気を抜き、目を和らげながらヒスイは首を捻った。
つまり何が言いたいのだと、沈黙で問いかける。

「……そなたは、あの子等が出てきた孤児院を知っているだろうか?」
「知ってるなら?」
「教えて欲しい」
「何故」

短い応酬は、わざとだと知っている。
何気なく首を捻っているようで、色の見えない目はこちらの動きを探って居た。
恐らく宗近の知らぬ所でもこうやってヒスイは二人を守っていたのだろう。
隠したまま情報を引き出せる相手でもなく。
そうするだけ時間の無駄だという事も分かっていた。
耳に残る甘い呼びかけを思い出しながら、一度だけ目を固く閉じて姿を追う。
白い肌に白い髪、似通った顔立ちの少年達。
赤い瞳には長い睫の陰が落ちていた、宗近に寂しさを与えてくれた初恋と。
蜜色の瞳は大きく、陽だまりを教えてくれた初恋。

『ちか』

二人がそう呼んでくれたから、宗近は名を忘れずに人として居られたのだ。
よすがに思い耽るのをやめ、目を開けた。
彼らを思い出す度、胸の甘さに笑みがこぼれる。

「初恋の行方を、探している」

声は、掠れて小さなものだった。
聞こえているかも定かではない。
けれどヒスイは驚きに目を丸く瞠ってから、肩の力を抜いて脱力した。

「純情かよ……お前、その顔でそれはないだろ……」
「む、顔か? 褒めそやされる事はあれ、否やと言われた覚えはないが」
「ああ、ああ、そうだろうよ。素敵なご尊顔って奴だぜお前」
「はっはっは、そうかそうか。褒めて良し」
「ったく……調子狂うぜ」
「うむ、して」

次第に頭を抱え始めたヒスイに、事の次第を問い詰める。
こうなれば、とことんまで話し合う心づもりであった。
今度はヒスイが一つ大きなため息を吐き、白い兄弟に出会った時の事を話し始める。
出会いは、瓦礫の山だった、と。

「あの二人を囲うつもりなら、やめておいた方が良いと言おうと思ったんだがな……」

そう前置いてから知らされたのは、3人がどうやって生き抜いてきたかというものだった。
Ωである鶴丸は、他言されるような虚弱さなど見せず他人と変わりなかったこと。
初めはヒスイにバース性の知識が無かった事もあり、抑制剤もない中で考えられる対処方を取ることにした。
αとの番。
幸い、αはすぐ傍に居た。
想い合うαとΩ同士、なんら問題も無いように感じ。
実際、初めの数年間はそれでヒートを上手くしのげていたようだった。
なのに、

「国永が二十歳を過ぎた頃からか……鶴丸のヒートによるフェロモンを抑えられなくなってな」
「ヒートを? しかし、Ωは番った相手にのみ……」
「そう聞いてるし、俺には感じない。が、強弱はあれど他に漏れてるらしい」
「……国永が噛んだ痕は」
「残ってる。そんな訳で、鶴丸は未だに抑制剤が必要なんだ」

肩を竦めながら軽く流される内容に、宗近は口元に手を当てて考え込んだ。
もし新種のΩならば、確実に研究所なりに囲い込まれるだろう。
それでなくともΩは数が少なく、劣勢遺伝子だというそしりを受けていた。
鶴丸の意思に関係なく、番という安全性が働かない限り孕み袋としての扱いを受けるだろう。
誰とも知れぬ相手に組みされるか弱い彼が脳裏を過ぎり、吐き気が込み上げた。

「で、だ。今回お前に検査を受けて貰ったのはαのデータが欲しかったからだが」
「――む?」
「多分、鶴丸に問題は無い。あいつは通常のΩ検体と同じだ」

通常の検体と同じ。
確実ではないにしてもヒスイにそう告げられ、宗近は詰めていた息を吐いた。
Ωというだけで弱者と断じられる世界。
そんな中で更に惨いことにはならずに済むと、安堵に身体の力を抜く。
けれど、鶴丸に問題が無いと言う事は――

「国永の身体な……Ωでいう、子宮みたいなものがあるみたいで」
「……し、きゅう?」
「ごく稀に、αからΩに転向する奴が出るんだろう? 仮性Ωっていうんだったか」
「まて、それは……それでは、国永は……」
「ホルモンバランスの崩れが原因だろうな。どちらの要素もあるってのは、つまりどっちつかずって事だ。実際に妊娠可能かは俺には判別不可能」

せっかく安堵したというのに、頭は尚酷い混乱状態だった。
つまりΩの要素を持っているからαになりきれず、番った相手にも支障が出てきた訳で。
けれどαでもあるから抑制にはなっている。
ならば、国永が今後Ω側に傾く事はあるのだろうか。
そうなった時、鶴丸はどうなるのか。
伏せていた顔を上げヒスイを見ても、肩を竦めて首を振るばかり。

「国永の問題はそれだけでもないんだ。あいつ、首にテーピングしてるだろ」
「う、む……初めはΩの貞淑帯かと思ったが」
「上層じゃΩでも身を守れるようになってんのか。こっちだと番の証しに左手小指の指輪くらいだな。……じゃなくて、あれな、抑制チップなんだ」
「……よくせい? だが、Ωではないと……」
「ああ、そっちじゃない。脳、海馬への抑制チップだ。記憶をいじくってんだよ」

脳、と口にしたところでこめかみを人差し指でトントン、と叩いてみせるヒスイ。
幼少期ないしトラウマを患うような出来事により、日常生活すら困難になった者に施される措置らしい。
荒療治が過ぎる気もするが、そうでもしないと廃人になりかねない、と。
聞いて、何故か空虚なガラス玉の赤い瞳を思い出した。
恐らく、そうなった人間を宗近は知っている。
小さな身体が反応もせず、人形の様にただそこにあるだけだった。
触った時の温もりだけが確かなもので、目を離せず、どんな風に笑うのか気になった。
どんな声をしているのか。
笑って欲しい、名前を呼んで欲しいと強く願い。
それが叶った時の、救われるような気持ちを知っている。

「何があったか鶴丸は覚えて無いし、国永も知らない。物心ついた時からしてるってんだから相当な年期だろうよ」
「……」
「問題ってのはな、そのままにしておいても害になる部分があってな。国永はそれが顕著なんだ」
「……一体、どのような……」
「過覚醒、痛覚の鈍化、身体の制御が外れやすい、過労、記憶障害……感覚器機械化症に似てるが無自覚、下手すりゃ寿命が縮むんだよ」
「じゅ、みょう?」
「つまり、脳みそに負担を掛けすぎて早死にするって事さ」

何でも無い事を語るような軽さで、ヒスイは口にした。
それは、近い将来彼が居なくなると言う事実を、分かりやすく、呑み込みやすく。

「そもそも本人が耐えきれない部分を誤魔化す、時間稼ぎのようなもんだからな」

壊れ、散ってしまいそうな者を繋ぎ止めるための措置。
国永は上げられた症状のどれもが、当てはまっている。
下層から上層への侵入など、ただのαには荷が重い上に容易ではない。
可能にしていたのは、そう出来るだけの理由があったからか。
眠るのが得意ではないとも言っていた。
直ぐに目が覚める上、2.3時間寝ればそれで十分なのだとも。
もし、もしも記憶の中の少年が国永だとすれば。
忘れてしまうだけの要因が、あったのだとすれば。
あの柔らかな微笑みに、会えるのだろうか。

「そのチップを、外すことは出来るのか……?」

答えを待つ間、背中に冷や汗が流れるのが気持ち悪かった。
逸る心臓の音でヒスイの声を聞き逃さないよう、唇の動きに注視する。

「出来る。後遺症は……まあ無い、一応な」
「ならば――」
「――ただし、外すと必ずリバウンド、精神の揺さぶりが起こる。1.2ヶ月と言われているが、どのくらい続くかは分からん」
「リバウンド……そうか、それもあり得るか……」
「心療内科は俺の性分じゃないし、得手でもない。本能が剥き出しになって凶暴化されても対処出来ん」

一日中面倒を見ることは、一人の人間では不可能だろう。
なまじ、国永への依存度が高い鶴丸が傍に居ては満足に診る事も出来るかどうか。
一人を治療するために患者を二人抱えるのが得策でない事も分かる。

「国永にとっては治療をしたら少し記憶が抜ける程度だと伝えてる。けれど、鶴丸の事があるから踏み切れないと言われた。ここじゃ拘束も出来んしな」
「……拘束が出来、常に人の目があり、鶴への配慮が出来るなら……頷いてくれるだろうか」
「さてな? 今のままで不足はない、の一点張りだ。……ああ、執着心の増加も症状の一つだったな」
「……そうか」
「まあ、どっちつかずともなるとどんな影響が出るかも分からんからな」

αの本能に溺れる程度ならば、鶴丸に無体を強いることになっても対処のしようがあるだけマシ。
Ωの本能が出るならば――

(国永を、手に入れられる……か?)

欲に溺れる上層の人間を嫌っていたというのに、結局は自分も同じ穴の狢なのかと苦いものが込み上げた。
それでも、あの真白の青年達が手に入るのならば。

(いや、俺が願うのは……あの子等のさいわいだ)

手に入れるばかりが幸せとは限らない。
何よりもあの笑顔を守りたいと、見続けたいと思ったのなら。
踏み込むべきではないのだ。
そう飲み下そうと思うのに、喉が張り付いて上手く呼吸すら出来そうになかった。
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