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母のぬくもり

夏の終わり、久方振りの町を謳歌した緋翠がそれを目にしたのはたまたまだった。
審神者を生業とする者等が中継地として寄り合う万屋界隈。
祝詞を祀ったお守りや数多の資源を政府から卸しているその店は、何でも揃うとの通り名から万屋と呼ばれている。
そうして店の奥には日用品や用途不明な品まで揃えてあるのだから、名ばかりとも言いがたい。
そんな店で霊力回復に用いられる団子を買いに、ついで引き取った幼子達の育児から解放された一時を堪能するために主自らが足を運んでいた。

「緋翠ちゃん? 何か面白いの見付けた?」

ひょこ、と右肩から手の中を覗き込むのは初期刀であり式神でもある、本日護衛の任を申し渡した加州清光だ。
反対の左肩からは髪を一括りに浅葱の羽織に袖を通した大和守安定が。
仲の良い通称沖田組の二振りに、緋翠は笑みを返した。

「何それ、糸? 神事用?」
「毛糸だよ。まじないの道具にも用いられるが……これは本当に、単なる毛糸」
「へえ、綺麗な色だね。蒲公英と、藤?」
「ああ。……あの子等に似合いだと思ってな」

緋翠の両手に鎮座する糸に、なるほど確かに今預かっている小鳥の様だと二振りは納得する。
少し色合いは違うだろうが、それぞれの髪色にそっくりだ。
そうして子守から解放されても思考は子供達の事ばかりなのだ、と気付いた加州はぷくりと頬を膨らませる。
せっかくのでぇとだと思ったのに、行く先々で出てくるのは子供達の事ばかり。

「ねえ緋翠ちゃん、今日は何しに来たか分かってる?」
「うん? ああ、そうだな。すまんすまん」
「僕は別に良いと思うよ? 緋翠ちゃんがそれだけ大事にしてるって事でしょう」
「そーだけどっ! 俺は緋翠ちゃんに、たまには息抜きして貰いたいの! せっかくのお出かけなのに、ちっとも構ってくれないんだもん」

前半はそれらしく、後半は本音を漏らした加州に緋翠はきょとりと目を瞬かせ、大仰に笑って見せた。
曰く、自分の刀は大層愛らしいとの事だ。
そうして毛糸の束を足りるだけ購入した緋翠は、この愛らしい己の刀達を侍らせて茶屋へと足を運ぶのだった。



ここ数日、国永は不思議な光景を目にする事となった。
本丸の主である彼女が戦線へ出ることは、小鳥たちを預かる少し前から控える様になっていた。
その代わりに増えたのが薬師の真似事と陰陽師としての副業。
今に置いては八百万と申しても差し支えない審神者たちの抱える、あやかし事への調停だ。
鶴丸国永が打たれた時節には往々にして跋扈していた闇は、千の時を掛ける内に人々のあずかり知らぬ所となり。
そうして対処の仕方などを忘却の彼方。
結果、得手を知る者に協力を仰ぐこととなったのだ。
そんな訳で前線を退いたと言っても審神者業と副業、他様々、主は多忙を極める身と言って良い。
更に昨今は本丸に居ても小鳥たちの面倒を、式神や小姓達に任せる訳には行かないとはいえ、一心に見ている。
そんな彼女が小鳥たちが寝入っている昼寝時にもなると、せっせと糸と棒を操っているのだ。

「なあ、きみ……それはなんだい?」
「ああ、おかえり国永」
「ただいま戻った。それで、それは……きみは鶴だったのかい?」
「うん? ……ああ、機織りか。言い得て妙だな。確かにそれも出来るが、これは肩掛けを編んでいるんだ」
「……編む。布を?」

会話の最中も目は手元に、手元は忙しなく棒を操って糸を繰っている。
見る間に端から端へと辿り着き、またもう一度端から端へと返っていく。
主の横には既に編み終えたらしい双揃えの手袋があり、国永は目を丸くしてそれを持ち上げた。

「すごいな、きみ! こんなに複雑に、その一本の糸から編み上げたのかい?!」
「複雑、でもないぞ? あやとりの延長のようなものだ。興味があるなら教えてやろう」

ここ数日、短刀達を中心に同じ色合いの毛糸の糸を使ったあやとりが普及していた。
なるほどあれは主が教えたのか、と合点がいった国永は頷く。
己の手練手管で様々に形を変えるあやとりは、なかなかどうして奥が深く。
何よりも驚きをもたらす良い道具だと好奇心が疼いたからだ。
最初は太めの棒を使うと良い、と言って主が勧めたのは首巻きだった。
まふらーと言ったそれの編み方を見よう見まね、後は口添えだけで習いながら国永は手元に集中する。

「昔はな、冬の間は薬草も採れないから草鞋や籠、笠を編んでいたのさ」
「へえ……それでこんなに器用なのか。まるで笠地蔵のじいさまだな」
「ふふ、鶴の機織りといい笠地蔵といい……寝物語か?」
「寝かしつけのついでにな」

一期一振を迎える前、粟田口を含む短刀らの面倒を一挙に見ていたのはこの国永だ。
元々の気質か主の影響か、母の様な面差しで彼らを世話し、慈しみ、育っていく様を見守っていた。
聞けば伊達の竜と共に居た頃と同じ事をしているだけ、と。
古刀故の矜持とも面倒見の良さとも言えるそれは、日常だけでなく戦場においても遺憾なく発揮された。
主が戦線に出ることをしなくなったのは、国永が来た影響もあるだろう。

「しかし、じいさまか……」
「うん? ああ、悪い、きみは女性だから柘榴の方、と言った方が良いか」
「柘榴、鬼子母神か。……そんなものではないよ」
「そうかい? 小鳥たちと戯れたり、こうやって今もあの子達の誂えを整えてやったり……ひとはそれを母と言うのじゃ?」
「さてなぁ……俺に母は居なかったから、母親というものを知らんのだ」

不意に上げられた途方に暮れる声に、国永は訝しんで主をうかがい見た。
糸を繰る手を止め、ぼんやりと目前に目を向ける様は、けれどどこも見てはおらず。
記憶を探る様なその様子を、見なかった事として手元に視線を戻した。
主が昔の、それも己に関わる話しをするのは珍しい。
大抵はあまりに多くの時を過ごしたが故の、忘我だ。
けれど始まりの時、というものに関しては違ったらしい。

「俺がまだ異質だと気付いていないとき、家族としてあったのは爺様と、その御朋友様だけだった」
「その朋友殿は……」
「やはり男だな。だから、女らしい所作も真似も、その後に学んだ物だろう」

あるいは天をも籠絡しようとせしめん、白面金毛九尾の性か。
小鳥たちを見る穏やかな面差しを目蓋の裏に思い浮かべ、国永は否と思った。
恐らくは生来の気質に備わった、

「きみの本質だろう。子を慈しむ母の顔をしているぜ」
「そうか? ……まあ、ふふ、そう言われて悪い気はしないな」

上機嫌に笑みを浮かべる主に気をよくした国永は、手元の針と糸を横に置いて休憩を告げた。
頷く主はやはり慈しむ様に己が編む肩掛けを、一目一目丁寧に編んでいる。
短刀達の寝物語の他、子守歌として馴染みとなった物がもうひとつ国永にはあった。
かあさんが、よなべして、てぶくろをあんでくれた。
それはそれは愛おしく、喜ぶ顔が見たいという母の顔が思い浮かぶ。
それと同時、貰った子は、母を心配しながらも嬉しくて仕方なかったろう。
誰でもなかったそれは、次第に母を主に、子を小鳥たちに実像を結び出す。

「君は預かった子たち皆にこれをしてやったのかい?」

なんとなくの好奇心と、恐らくはそうなのだろうという確信からの言葉だった。
だが、

「――……いいや」

固く、低く掠れる声で帰って来たのは、反対の言葉だった。
急に声色の変わった相手を不思議に思い、今度は横目ではなく顔を向けて主を見た。
彼女は、唇を横一文字に引き絞って硬い顔をしている。
堅い顔、緊張、もどかしさ、自責の念と、深い後悔。
それらの感情を読み取った国永は、何故、と言えなかった。
知らず、主の一番深い心の奥の、生々しい傷に触れてしまったと理解したから。

「……母の何たるかを知らなかった。あの子達に、親として出来た事など……何も無い」
「……あの子、たち? 小鳥の事じゃ?」
「……鶴丸国永。もし、"俺"が鬼子母神であったなら……」

常とは違う人称に、今ではない彼女を垣間見る。
傷を負い、子を失い、血の涙を流して天に哭く、貴女の姿を。

「どんな手を使ってでも、俺はこの手を離さないだろう。俺の信念にもとらない限り、全力で」
「……主」
「まあ、といっても昔の話しさ。今の私はお前達の主だ」

瞬き一つ、その間に切り替えたらしい主は軽妙な様子で口を開いた。
そこにはもう、傷口から血を流す様相は見られない。
本心を、隠してしまった。
あるいは些事と決めつけ、本人ですら自覚がないのかもしれない。
未だ生々しく彼女に刻み付けられたその傷を。
膿んでしまうほど抱えて、抱えている内に傷みに摩耗したのかも知れない。
人の心は、なんとも脆く、そして強いのだろう。

「……そうだな。なあ、この手袋!俺が驚きの仕掛けを付けても良いかい?」
「うん? どうするんだ?」
「小鳥たちにやるんだろう? なら……父と慕ってくれる俺と、三日月のとれーどまーく、とやらを、な!」
「ふふ、良いぞ。これをやるにはまだ早いが、お前のそれが編み上がる頃には必要になるだろう」
「まふらー、か。ちゃあんと二つ、編み上げてやらないとな!」

これを貰った小さな子達は、どんな顔をするのだろう。
嬉しいというのか、むずがゆい心地で言葉を探すのか。
身体は昔でいう元服の頃にまで成長はしたが、心の成長は赤子同然の愛らしい子供達。
神気の強く、主と夫婦の約定を交わしている三日月宗近が今は子らを見。
それと同様、式神として既に約を交わしている加州清光や大和守安定が子らの護衛に。
それ以外の主と主従の契機を済ませた刀剣男士では、小鳥の霊力による影響が計り知れずに会うこと能わず。
それでも主の守符や呪を使うなど、面倒を一揃えと、きっちり禊ぎをしてからならば、ようやく相見える事となる。
病気で床に伏せきりだという小鳥たちに驚きをもたらそうと、国永は非番の日にはそうして会いに行っていた。
また、主が子として愛おしいと言うのなら、自分にとってもまた子のようで守り刀となってやりたいとも思った。
けれどその子が特別気に入ったかと聞かれれば、そうではない。
自分の、ひとの形をとった鶴丸国永の心が、一体何を求めているか。
この時はまだ分からなかった。

「ふふ、これはこれは、なんだか楽しいなあ!」
「そうか? お前はつまらんと言うかと思ったぞ」
「いやいや、なかなかどうして、驚きの仕込みをしている時のような愉しさだ」
「ふむ……なるほどな」

鶴丸国永と主、縁側で毛糸の玉を置いた籠を間に、二人は何でも無い事や花の色合い、季節の移ろいの事まで様々に話して気を抜いたのだった。
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